言葉
りん子的独り言(生意気)
既成の共通語に違和感を感じる。
ううん、共通語は必要だし便利だからわたしだってたくさん使っているし、それ自体は否定しない。
アブノーマルな世界で漠然とした嗜好を表すのにとても便利なので、一般論や自己紹介として共通語を使うことに抵抗は感じないのだけど。
自身のことを語るときに、共通語を使うことに違和感を感じるのだ。
極めて個人的な嗜好は共通語で一括りにしてしまえるものではないように思う。
同じように。
一般論としてではなく、個人を語るときに使っていると違和感を感じてしまう言葉がある。
それは『人それぞれ』という言葉。
何度となくその言葉を書いてきた。
体型や顔立ち、肌の色と同じように性格や考え方にも個性があって、基本的には千差万別。
それが当然で、むしろ皆が同じ考えでいるほうが不健全で不幸だよね。
アブノーマルな世界だって同じで、もともとごく個人的な嗜好を大ざっぱな括りで区別しているだけで、SでもMでも奴隷でも細かく見れば同じってことはありえない。
Mだから、どんなSでも『S』ならいいなんてことはまったくなくて、この人ならという人を選び、そこからさらに擦り合わせをしていってはじめて『そのカップルなり』の付き合い方ができあがっていくものですよね。
似ていることはあっても、同じことはない。
だから、『人それぞれ』とたくさん書いてきた。
だけど、 やっぱり自分のこと伝えるときに、その言葉を使うことだけには違和感を感じるのです。
だから、時々『主従の形はそれぞれ、カップルの数だけ形がある』というような言葉を目にするととてもとても居心地が悪く感じてしまう。
主従の一般論として『それぞれだよね』と表現されているときには頷けるのだけど、それが自分たちのことを語る言葉として使われると、わたしはその言葉に疑問が湧く。
例えば、M女さんブログで、そのカップルに対して意見が寄せられたときなど。
もちろん非常識な中傷にいちいち答える必要はないし、たとえ真摯な意見だったとしても必ず答えないといけないなんて義務はないのだけど。
『主従の形は人それぞれ』と片付けてしまうのを見ると、ほんと?と思ってしまう。
そして、すこし切なくなる。
なぜなら、もしかしたら、『主従』という言葉以外で、自分たちのことを説明できる言葉を彼女は持っていないのではないか。
それは、イコール、そのご主人様が持っていないからだろうと想像してしまうからだ。
だって、ふたりの間で話し合いや擦り合わせがあれば、『主従』以外の言葉を出すことはだってできるはずだ。
そんなことをいちいち語り合わなくても奴隷は従うものならば、従わせる方だけでも『説明できる言葉』を持っていてほしいと思う。
そして、そういうときこそ、M女さんの代わりに言葉を発してほしいものだと思う。
『それぞれ』と言いながら、一括りにされた言葉以外持ち合わせていないご主人様を『主従』という言葉だけでかばい続けているように見えて、切なくなってしまうのだ。
ずいぶん前、メールをくれた女性がいた。(仮に今日子さん。キョンキョン好きだから^^)
わたしの『父性』を求める感情などに共感してくれて、メールをくれたのだ。
まだ、コメントがほとんどつかないような時で、その共感はとてもとても励みになった。
ただ、今日子さんとのやり取りは、ほんの数日だけでおしまいになってしまった。
なぜかというと、彼女のご主人様がわたしとのやり取りを禁止したからだ。
今日子さんがおっしゃるにはご自身は『影響を受けやすい性格』だそうで、共通点の多いわたしのブログを読んであれこれ考えることを、ご主人様は快く思わなかったらしい。
それで、集中的にわたしとやり取りをして、気が済んだらもうブログを読むこともメールをすることもおしまいにするように言われていたのだ。
そして、なぜだけわからないのだけど、わたしとやり取りをしている間はご主人様と連絡を断つという決まりになっていて、数日後もう限界だからやり取り終了をせっつかれて、わたしとのメールはおしまいになった。
(やり取りをブログのネタにしてかまわないとおっしゃっていたので、書かせていただきました。もう読んでくださっていないかもしれないけれど、ありがとう)
『M女ブログを信じるな』というエントリーを書いた。
理想の奴隷にさせたいために、他のM女さんのブログを読んで勉強しろと言った主の話。
その逆のパターンだ。
今日子さんのご主人様は、もともとSMに興味のなかった今日子さんに自分以外の色を入れたくなかったらしい。
だから、他者からの影響を恐れて禁止した。
『俺たちは、俺たちの形がある』
そういうことらしい。
言葉を尽くせと思う。
だから、『見るな』じゃなくて。
ふたりの関係を確かなものにしたいなら、言葉を尽くして伝え合うしかないと思う。
(もしかしたら、ふたりの間では尽くされていたかもしれない。でも、それならなおさら『見るな』ということに疑問を感じる。そんなに有害?薬指の刺青って^^;)
自分たちの形があるならば、既成の言葉以外でも語れる言葉を持つべきだ。
それは、語彙や知識の多さの問題じゃない。
そうすれば批判的なコメントも、影響されてしまうかもしれない物も、『人それぞれ』で片付けずに、びくともしない関係でいられるのではないでしょうか。
都合の良いときだけ既成の言葉で一括りにして、都合が悪くなると『主従の形はそれぞれ』と言っているように感じる。
自分たちのことを語ろうとするときに共通語を使うのは自分を納得させる材料になっていないか、そして、『それぞれ』という言葉で遮断してしまうのは、不都合なことに蓋をしてはいないだろうか。
那智さんは『SMは意識するな』という。
だから、ここでわたしはふたりの関係を、できるだけ既成の言葉を使わずに、ない頭を使って言葉を尽くして伝える努力をしている。
いろんな方の意見を聞いたり本を読んだりして得た知識もあるけれど、それをする努力ができたのは圧倒的に那智さんの力が大きい。
互いを理解したいと言葉を尽くし語り合ったから、ブログに綴る努力ができる。
共通語は伝わりやすい。
だから、それを使うことはかまわないし、わたしだって使っている。
そして、共通語の中に入っていると、なんとなく安心するのもわかる。
だけど、不都合なことをそれで納得させる道具になっていないだろうか。
『奴隷』なんだからしかたがない。
『主従』なんだから、従って当然。
ってね。
共通語だけじゃなく、『それぞれ』で片付けず、自分の言葉で綴るのはけっこう大変なこと。
(なんてたって、小学生のとき姉に作文書いてもらっていたくらいですから^^;)
でも、那智さんがそうしたいと思わせてくれるから、わたしはこれからも言葉を尽くして伝えたいと思う。
それはとてもとても難しくて、2年半書き続けてもまだ『わたしたちとは』と伝えられていないかもしれない。
結果、ノロケばかりになってる気がする^^;
それでも、わたしはこれからも、いざというときに、共通語以外に自分たちを語れる言葉を持ちたいと思う。
さてさて、こうやって、ノロケも生意気なこともとほほなことも、言葉を尽くして書いて参りましたが。
おそらくこれが年内最後の更新です。
しばらくパソコン環境から離れますので、年明けの本格営業は5日の予定です。
今年もお付き合いくださってありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
それでは、みなさん、よいお年を〜^^
最後に、那智さんへ。
『那智さん、だーい好き♪わたしはあなたのもの^^』
たくさん言葉を尽くして、伝えたいのはこのひと言。
来年もよろしくお願いします。
既成の共通語に違和感を感じる。
ううん、共通語は必要だし便利だからわたしだってたくさん使っているし、それ自体は否定しない。
アブノーマルな世界で漠然とした嗜好を表すのにとても便利なので、一般論や自己紹介として共通語を使うことに抵抗は感じないのだけど。
自身のことを語るときに、共通語を使うことに違和感を感じるのだ。
極めて個人的な嗜好は共通語で一括りにしてしまえるものではないように思う。
同じように。
一般論としてではなく、個人を語るときに使っていると違和感を感じてしまう言葉がある。
それは『人それぞれ』という言葉。
何度となくその言葉を書いてきた。
体型や顔立ち、肌の色と同じように性格や考え方にも個性があって、基本的には千差万別。
それが当然で、むしろ皆が同じ考えでいるほうが不健全で不幸だよね。
アブノーマルな世界だって同じで、もともとごく個人的な嗜好を大ざっぱな括りで区別しているだけで、SでもMでも奴隷でも細かく見れば同じってことはありえない。
Mだから、どんなSでも『S』ならいいなんてことはまったくなくて、この人ならという人を選び、そこからさらに擦り合わせをしていってはじめて『そのカップルなり』の付き合い方ができあがっていくものですよね。
似ていることはあっても、同じことはない。
だから、『人それぞれ』とたくさん書いてきた。
だけど、 やっぱり自分のこと伝えるときに、その言葉を使うことだけには違和感を感じるのです。
だから、時々『主従の形はそれぞれ、カップルの数だけ形がある』というような言葉を目にするととてもとても居心地が悪く感じてしまう。
主従の一般論として『それぞれだよね』と表現されているときには頷けるのだけど、それが自分たちのことを語る言葉として使われると、わたしはその言葉に疑問が湧く。
例えば、M女さんブログで、そのカップルに対して意見が寄せられたときなど。
もちろん非常識な中傷にいちいち答える必要はないし、たとえ真摯な意見だったとしても必ず答えないといけないなんて義務はないのだけど。
『主従の形は人それぞれ』と片付けてしまうのを見ると、ほんと?と思ってしまう。
そして、すこし切なくなる。
なぜなら、もしかしたら、『主従』という言葉以外で、自分たちのことを説明できる言葉を彼女は持っていないのではないか。
それは、イコール、そのご主人様が持っていないからだろうと想像してしまうからだ。
だって、ふたりの間で話し合いや擦り合わせがあれば、『主従』以外の言葉を出すことはだってできるはずだ。
そんなことをいちいち語り合わなくても奴隷は従うものならば、従わせる方だけでも『説明できる言葉』を持っていてほしいと思う。
そして、そういうときこそ、M女さんの代わりに言葉を発してほしいものだと思う。
『それぞれ』と言いながら、一括りにされた言葉以外持ち合わせていないご主人様を『主従』という言葉だけでかばい続けているように見えて、切なくなってしまうのだ。
ずいぶん前、メールをくれた女性がいた。(仮に今日子さん。キョンキョン好きだから^^)
わたしの『父性』を求める感情などに共感してくれて、メールをくれたのだ。
まだ、コメントがほとんどつかないような時で、その共感はとてもとても励みになった。
ただ、今日子さんとのやり取りは、ほんの数日だけでおしまいになってしまった。
なぜかというと、彼女のご主人様がわたしとのやり取りを禁止したからだ。
今日子さんがおっしゃるにはご自身は『影響を受けやすい性格』だそうで、共通点の多いわたしのブログを読んであれこれ考えることを、ご主人様は快く思わなかったらしい。
それで、集中的にわたしとやり取りをして、気が済んだらもうブログを読むこともメールをすることもおしまいにするように言われていたのだ。
そして、なぜだけわからないのだけど、わたしとやり取りをしている間はご主人様と連絡を断つという決まりになっていて、数日後もう限界だからやり取り終了をせっつかれて、わたしとのメールはおしまいになった。
(やり取りをブログのネタにしてかまわないとおっしゃっていたので、書かせていただきました。もう読んでくださっていないかもしれないけれど、ありがとう)
『M女ブログを信じるな』というエントリーを書いた。
理想の奴隷にさせたいために、他のM女さんのブログを読んで勉強しろと言った主の話。
その逆のパターンだ。
今日子さんのご主人様は、もともとSMに興味のなかった今日子さんに自分以外の色を入れたくなかったらしい。
だから、他者からの影響を恐れて禁止した。
『俺たちは、俺たちの形がある』
そういうことらしい。
言葉を尽くせと思う。
だから、『見るな』じゃなくて。
ふたりの関係を確かなものにしたいなら、言葉を尽くして伝え合うしかないと思う。
(もしかしたら、ふたりの間では尽くされていたかもしれない。でも、それならなおさら『見るな』ということに疑問を感じる。そんなに有害?薬指の刺青って^^;)
自分たちの形があるならば、既成の言葉以外でも語れる言葉を持つべきだ。
それは、語彙や知識の多さの問題じゃない。
そうすれば批判的なコメントも、影響されてしまうかもしれない物も、『人それぞれ』で片付けずに、びくともしない関係でいられるのではないでしょうか。
都合の良いときだけ既成の言葉で一括りにして、都合が悪くなると『主従の形はそれぞれ』と言っているように感じる。
自分たちのことを語ろうとするときに共通語を使うのは自分を納得させる材料になっていないか、そして、『それぞれ』という言葉で遮断してしまうのは、不都合なことに蓋をしてはいないだろうか。
那智さんは『SMは意識するな』という。
だから、ここでわたしはふたりの関係を、できるだけ既成の言葉を使わずに、ない頭を使って言葉を尽くして伝える努力をしている。
いろんな方の意見を聞いたり本を読んだりして得た知識もあるけれど、それをする努力ができたのは圧倒的に那智さんの力が大きい。
互いを理解したいと言葉を尽くし語り合ったから、ブログに綴る努力ができる。
共通語は伝わりやすい。
だから、それを使うことはかまわないし、わたしだって使っている。
そして、共通語の中に入っていると、なんとなく安心するのもわかる。
だけど、不都合なことをそれで納得させる道具になっていないだろうか。
『奴隷』なんだからしかたがない。
『主従』なんだから、従って当然。
ってね。
共通語だけじゃなく、『それぞれ』で片付けず、自分の言葉で綴るのはけっこう大変なこと。
(なんてたって、小学生のとき姉に作文書いてもらっていたくらいですから^^;)
でも、那智さんがそうしたいと思わせてくれるから、わたしはこれからも言葉を尽くして伝えたいと思う。
それはとてもとても難しくて、2年半書き続けてもまだ『わたしたちとは』と伝えられていないかもしれない。
結果、ノロケばかりになってる気がする^^;
それでも、わたしはこれからも、いざというときに、共通語以外に自分たちを語れる言葉を持ちたいと思う。
さてさて、こうやって、ノロケも生意気なこともとほほなことも、言葉を尽くして書いて参りましたが。
おそらくこれが年内最後の更新です。
しばらくパソコン環境から離れますので、年明けの本格営業は5日の予定です。
今年もお付き合いくださってありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
それでは、みなさん、よいお年を〜^^
最後に、那智さんへ。
『那智さん、だーい好き♪わたしはあなたのもの^^』
たくさん言葉を尽くして、伝えたいのはこのひと言。
来年もよろしくお願いします。
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