人わんこの幸福
独特な幸福感
小さなギャラリーに『人わんこ展(仮名)』を見に行った。
SMで女を犬にするということはひとつのカテゴリとして確立されている。
山奥で夜の公園で女性を裸にして四つん這いであるかせるし、SMの絵描きさんの中にも首輪にリードで繋がれている女性の絵はよく見かけるものね。
そういうわたしもずっと昔から『首輪にリード』や『人に非ずの違和感』や『裸を晒される』なんてことに漠然と憧れは持っていたので、妄想のひとつに『犬になる』はあった。
那智さんと付き合い実際自分が『わんこ』になることを何度も経験して、那智さんとわたしの『わんこ』ができあがってきたと思うのだけど、すればするほど、ネットなどで目にする『女を犬にする』ものから感じ取れる印象とは違うものになっていっているように感じていた。
四つん這いの女性の写真には蔑みや辱め。
電信柱に繋がれた女性の絵から醸し出される困惑や諦め。
どうしても女性が負を背負うような印象のものばかりで、わたしたちの作ってきた『わんこ』はその世界からどんどん離れていっているようだった。
『人わんこ展』が開催されることを知ったときも一瞬興味は湧いたけど、きっといままでたくさん見てきたSM界の『女を犬にする』ものと同じで残念な気持ちになると想像できたので行くのはよそうと思っていた。
でも、あらためてネットで告知の絵を見ていってみる気持ちになったのだ。
その絵は着物を着た女性の胸に首輪をつけた男性が寄り添い見上げていて、女性は男性の頭を撫でているものだった。
そこにあるのは蔑みでも諦めでもなく、まぎれもない慈しみ。
慕い慕われることで互いに幸福を感じる関係がその絵から感じられたのだ。
その世界観が1枚でもあるなら見に行っても残念な気持ちになれずにすみそうだったので、夕方那智さんと合流して小さなギャラリーに足を運んだ。
ちょうど初日だったこともあり簡単な飲み物を提供してくれて、なんと作家さんまでいらした。
お名前と作品は目にしたことはあるけれど勉強不足でそれだけしか知識がなく、主催者の方に作家さんを紹介してもらったにも関わらず実りあるお話しができなかった。
ちょっと残念。
おそらく著名なその作家さんの絵を筆頭に様々なシーンの『人わんこ』がギャラリーを賑わしていた。
広告を飾っていた画と漫画タッチのかわいらしいわんこの画が数点、これらはわたしたちの『わんこ』と重なる部分はあったけど、やはりその他のものは女性が全裸で犬小屋に住み、蔑まれ虐げられ、嘲笑の的になっているようなものばかりだった。
中には、手足が改良され犬をモチーフにしたテーブルになっている女性や、ロボットのような女性の画もあった。
ここまで来ると『人わんこ』というより家畜人ヤプーの世界に近い。
演出に飾られていた犬用の皿と首輪とリードと座布団を見てほふほふしてしまったりはしたものの、やはり全体を通して残念ながら違和感を感じずにはいられなかった。
わたしがSM的妄想を抱いたとき、『犬、もしくは人に非ず』な妄想に発展していったとき。
そこには哀れや蔑みやみじめがあったはずだ。
もう、それは被虐嗜好とセットになったものとして。
このギャラリーの絵画たちのように。
でも、いくつかの経験と様々な人たちのSMや主従を見たことと那智さんがわたしに施してくれたことで、己を知る。
わたしにとって蔑みやみじめは幸福のもとの快感には繋がらないこを、そして、那智さんから慈しみ可愛がられる『犬、もしくは人に非ず』の代え難い幸福を。
人なのに首輪をつけリードを引かれ好奇の目に晒される。
手足を切断され椅子になるような肉体改造にさえ憧れを抱いていた。
『家畜人ヤプー』の中で椅子に改造された日本人に白人が座るときの意識が描写されててね、たしかね『これは人だと認識はしているけど意識はしていない』みたいなことだったんだよね、それも憧れる世界だったはずだ。
しかし、それは合わなかった。
『複数』と同じこと、妄想を形にしたら、必ず快感が得られるものではない。
完全自己完結のプレイを楽しむならば大丈夫かもしれないけど、結局人と人同士、妄想から抜け出し、その人たちに合った方法に作り上げていくものなのだろう。
大好きな那智さんと良好な関係を保ちながら被虐願望を叶え、互いに幸福でい続けるためには、わたしには蔑むことを含むSMは合わなかった。
それは那智さんと作り上げて知ったことで、できた形。
SMに憧れた頃に妄想していた犬や人ではなくなる蔑みをセットにした被虐は叶わないなと、小さなギャラリーにたくさん飾られたわたしたちの『わんこ』とは違う世界の絵画たちを眺めながら、妄想していた頃の自分を思い出し、ちょっぴり郷愁の思いで那智さんの腕に自分の腕を絡ませた。
<関連エントリー>
『わんこ』
「等式」感想です。あのスペースに集う人の趣向がわからないのがおもしろかった、「絵」が好きなのか、「やる」ことが好きなのか、その部分が趣味なのか、SM全般の中の一部として興味があるのか、作家の方とも少しお話しをしましたが、当たり障りの内部分でしかお話し出来なかったのが残念です。
小さなギャラリーに『人わんこ展(仮名)』を見に行った。
SMで女を犬にするということはひとつのカテゴリとして確立されている。
山奥で夜の公園で女性を裸にして四つん這いであるかせるし、SMの絵描きさんの中にも首輪にリードで繋がれている女性の絵はよく見かけるものね。
そういうわたしもずっと昔から『首輪にリード』や『人に非ずの違和感』や『裸を晒される』なんてことに漠然と憧れは持っていたので、妄想のひとつに『犬になる』はあった。
那智さんと付き合い実際自分が『わんこ』になることを何度も経験して、那智さんとわたしの『わんこ』ができあがってきたと思うのだけど、すればするほど、ネットなどで目にする『女を犬にする』ものから感じ取れる印象とは違うものになっていっているように感じていた。
四つん這いの女性の写真には蔑みや辱め。
電信柱に繋がれた女性の絵から醸し出される困惑や諦め。
どうしても女性が負を背負うような印象のものばかりで、わたしたちの作ってきた『わんこ』はその世界からどんどん離れていっているようだった。
『人わんこ展』が開催されることを知ったときも一瞬興味は湧いたけど、きっといままでたくさん見てきたSM界の『女を犬にする』ものと同じで残念な気持ちになると想像できたので行くのはよそうと思っていた。
でも、あらためてネットで告知の絵を見ていってみる気持ちになったのだ。
その絵は着物を着た女性の胸に首輪をつけた男性が寄り添い見上げていて、女性は男性の頭を撫でているものだった。
そこにあるのは蔑みでも諦めでもなく、まぎれもない慈しみ。
慕い慕われることで互いに幸福を感じる関係がその絵から感じられたのだ。
その世界観が1枚でもあるなら見に行っても残念な気持ちになれずにすみそうだったので、夕方那智さんと合流して小さなギャラリーに足を運んだ。
ちょうど初日だったこともあり簡単な飲み物を提供してくれて、なんと作家さんまでいらした。
お名前と作品は目にしたことはあるけれど勉強不足でそれだけしか知識がなく、主催者の方に作家さんを紹介してもらったにも関わらず実りあるお話しができなかった。
ちょっと残念。
おそらく著名なその作家さんの絵を筆頭に様々なシーンの『人わんこ』がギャラリーを賑わしていた。
広告を飾っていた画と漫画タッチのかわいらしいわんこの画が数点、これらはわたしたちの『わんこ』と重なる部分はあったけど、やはりその他のものは女性が全裸で犬小屋に住み、蔑まれ虐げられ、嘲笑の的になっているようなものばかりだった。
中には、手足が改良され犬をモチーフにしたテーブルになっている女性や、ロボットのような女性の画もあった。
ここまで来ると『人わんこ』というより家畜人ヤプーの世界に近い。
演出に飾られていた犬用の皿と首輪とリードと座布団を見てほふほふしてしまったりはしたものの、やはり全体を通して残念ながら違和感を感じずにはいられなかった。
わたしがSM的妄想を抱いたとき、『犬、もしくは人に非ず』な妄想に発展していったとき。
そこには哀れや蔑みやみじめがあったはずだ。
もう、それは被虐嗜好とセットになったものとして。
このギャラリーの絵画たちのように。
でも、いくつかの経験と様々な人たちのSMや主従を見たことと那智さんがわたしに施してくれたことで、己を知る。
わたしにとって蔑みやみじめは幸福のもとの快感には繋がらないこを、そして、那智さんから慈しみ可愛がられる『犬、もしくは人に非ず』の代え難い幸福を。
人なのに首輪をつけリードを引かれ好奇の目に晒される。
手足を切断され椅子になるような肉体改造にさえ憧れを抱いていた。
『家畜人ヤプー』の中で椅子に改造された日本人に白人が座るときの意識が描写されててね、たしかね『これは人だと認識はしているけど意識はしていない』みたいなことだったんだよね、それも憧れる世界だったはずだ。
しかし、それは合わなかった。
『複数』と同じこと、妄想を形にしたら、必ず快感が得られるものではない。
完全自己完結のプレイを楽しむならば大丈夫かもしれないけど、結局人と人同士、妄想から抜け出し、その人たちに合った方法に作り上げていくものなのだろう。
大好きな那智さんと良好な関係を保ちながら被虐願望を叶え、互いに幸福でい続けるためには、わたしには蔑むことを含むSMは合わなかった。
それは那智さんと作り上げて知ったことで、できた形。
SMに憧れた頃に妄想していた犬や人ではなくなる蔑みをセットにした被虐は叶わないなと、小さなギャラリーにたくさん飾られたわたしたちの『わんこ』とは違う世界の絵画たちを眺めながら、妄想していた頃の自分を思い出し、ちょっぴり郷愁の思いで那智さんの腕に自分の腕を絡ませた。
<関連エントリー>
『わんこ』
「等式」感想です。あのスペースに集う人の趣向がわからないのがおもしろかった、「絵」が好きなのか、「やる」ことが好きなのか、その部分が趣味なのか、SM全般の中の一部として興味があるのか、作家の方とも少しお話しをしましたが、当たり障りの内部分でしかお話し出来なかったのが残念です。
COMMENT
ほとんど前情報のない状態でSMを始めた私は、SMでの人わんこ(これ可愛い^^)って、実は不自然だなあって思ってしまったりします。
だって、飼ってるわんこを、蔑み辱め続けてる飼い主さんなんて、ほっとんどいない。
お前は可愛いなあ、いい子だなあって、わしわししちゃったり、甘えてくるわんこを溺愛しちゃったりするもんですよね?
とはいえ、そもそもSM、不自然なんて当たり前ですし、人それぞれで当然なのですが(笑)
んがしかし、SM界でのステレオタイプの人わんこ、本当のわんこに置き換えると単なる虐待になるようなプレイは、望んでない受け手さんが実は多いんじゃないかなあ、なんて思うのです^_^;
ちなみに私は、足下でお座りして、ふんふんふんふんってお膝に鼻先擦りつけて甘えて、「よ~しよしよしよしっ」てわしわしして貰うのが好きです^^
へへへっ(#^.^#)
だって、飼ってるわんこを、蔑み辱め続けてる飼い主さんなんて、ほっとんどいない。
お前は可愛いなあ、いい子だなあって、わしわししちゃったり、甘えてくるわんこを溺愛しちゃったりするもんですよね?
とはいえ、そもそもSM、不自然なんて当たり前ですし、人それぞれで当然なのですが(笑)
んがしかし、SM界でのステレオタイプの人わんこ、本当のわんこに置き換えると単なる虐待になるようなプレイは、望んでない受け手さんが実は多いんじゃないかなあ、なんて思うのです^_^;
ちなみに私は、足下でお座りして、ふんふんふんふんってお膝に鼻先擦りつけて甘えて、「よ~しよしよしよしっ」てわしわしして貰うのが好きです^^
へへへっ(#^.^#)
「蔑みをセットにした被虐」、
私も以前は憧れていて、でも、今のパートナーと知り合ってから、
すっかり無理になってしまいました。不思議です。
彼がほかの女の子を抱いている隣で
オナニーさせられたときの興奮は今でも忘れられませんが、
それは彼が私に向けてくれたまなざしが、
「蔑み」に満ちたものではなくて、
愛おしいものを見るときのものだったからかなぁと思っています。
最近の「複数」エントリーとも併せて、
色々と考えさせられています^^
私も以前は憧れていて、でも、今のパートナーと知り合ってから、
すっかり無理になってしまいました。不思議です。
彼がほかの女の子を抱いている隣で
オナニーさせられたときの興奮は今でも忘れられませんが、
それは彼が私に向けてくれたまなざしが、
「蔑み」に満ちたものではなくて、
愛おしいものを見るときのものだったからかなぁと思っています。
最近の「複数」エントリーとも併せて、
色々と考えさせられています^^
あー、うんうん。
むしろ本当に犬はめちゃ可愛がられているよね^^
その不自然さはある。
でも、おっしゃるように、それが好きな人ならお好きにしたらよいのですけど、それが『そういうもんだから』でやってみているSやご主人様も案外多いような気がします。
那智さんの鞭のように、その既成概念取っ払って人わんこにしたM女性をわしわし可愛がるのもけっこう楽しいんじゃないかな〜って思いますよね。
SもMも、ご主人様も奴隷さんんもそういう楽しみ方もあるって思えたら自由で快適なのにな〜。
人わんこ、気に入ってくれた!?
わたしは『ふんふんふんふんでわしわし』がいい〜って思っちゃった♪
むしろ本当に犬はめちゃ可愛がられているよね^^
その不自然さはある。
でも、おっしゃるように、それが好きな人ならお好きにしたらよいのですけど、それが『そういうもんだから』でやってみているSやご主人様も案外多いような気がします。
那智さんの鞭のように、その既成概念取っ払って人わんこにしたM女性をわしわし可愛がるのもけっこう楽しいんじゃないかな〜って思いますよね。
SもMも、ご主人様も奴隷さんんもそういう楽しみ方もあるって思えたら自由で快適なのにな〜。
人わんこ、気に入ってくれた!?
わたしは『ふんふんふんふんでわしわし』がいい〜って思っちゃった♪
被虐嗜好って、けっこうギリギリなところを歩いているのですよね。
一歩間違えば傷ついたり自己嫌悪したり、また相手に対しての気持ちにも影響しそうだし。
それを求めてしまう嗜好はあれど、年がら年中それを求めているのは本人もしんどいし、毎回感じられるとも限らない。
ちょっと虐められたい程度ではない被虐願望は、それくらいギリギリだと思うのです。
だから、蔑みのない行為としての被虐、可愛がりながらの被虐行為を味わうと、それがいいと思えてしまうのかもしれないですね。
ぬくぬくは気持ちいい^^
それはマゾじゃないと言われてしまえば、それまでだけど^^;
好きな男と良い関係を築きながら嗜好を満たすには、ちょうどいいのかもしれません^^
一歩間違えば傷ついたり自己嫌悪したり、また相手に対しての気持ちにも影響しそうだし。
それを求めてしまう嗜好はあれど、年がら年中それを求めているのは本人もしんどいし、毎回感じられるとも限らない。
ちょっと虐められたい程度ではない被虐願望は、それくらいギリギリだと思うのです。
だから、蔑みのない行為としての被虐、可愛がりながらの被虐行為を味わうと、それがいいと思えてしまうのかもしれないですね。
ぬくぬくは気持ちいい^^
それはマゾじゃないと言われてしまえば、それまでだけど^^;
好きな男と良い関係を築きながら嗜好を満たすには、ちょうどいいのかもしれません^^