劇場型
独り言
お友達と飲んだときに「りん子さんたちは劇場型だよね?」と言われたことがあった。
彼女のいう劇場型というのは役を演じる(役割分担?)ということのようだ。
たしかに、『娘』になったりするし、大和撫子ごっことかするし、まだ書いていないけど『ご主人様と奴隷ごっこ』もしたことある(ヘタレでダメだったけど^^;)ので否定はしない。
ただ、友達が『わんこ』もその一例にあげたときに、「う〜ん」とうなってしまった。
役になりきる、役になることを楽しむ、それで感じる、それらはSMというか変態嗜好のカテゴリとしては存在するし、わたしもわかる。
でも、『わんこ』は?と考えると、YESともNOとも即答できなかったのだ。
わたしたちにとって『わんこ』ってなんだろう?
犬、そのもの?(もちろん犬ではないけれど)
それとも人なのに犬になっている体?
犬のような存在?
あらためて、『わんこ』はなんだろう。
わたしは犬になっているつもりはない。
でもって、人だけど犬のようにしているつもりもない。
犬を代表とする『愛玩的存在』としての『わんこ』というのが一番しっくりくる。
可愛がり、慕う、双方の思いが一致している関係の象徴として『わんこ』。
だから、ホントはにゃんこでもちゅんたでもいいわけだし、わざわざお外で四つん這いでになる必要もないかもしれないけど。
わたしたちの間には『愛玩的存在』にプラスして従属嗜好があるので首輪やリードなどのそれを感じられる姿を求めているし、より従属感を感じられるお外を選んでいる。(部屋の中でもするけれど)
異質な状態に性的興奮を覚える性癖も相まって犬のような体勢を選んでいるのだよね。
そういうわけで、犬を演じているつもりはほとんどないのだ。
かなり違和感のある姿だけど、わたしはわたしのまま自然に『わんこ』になっているので、演じている?と問われると違うと答えたくなってしまう。
でも、何事も名前がつくとある種役割を与えられるものだと思うので、『わんこ』という名前がついている時点で彼女のいうところの『劇場型』ということも否定できないから、答えに困ってしまったのだ^^;
ひとまずと従属嗜好と性癖を満たす『愛玩的存在』。
ただ、そうとなると日頃のわたしもほとんどそんなような感じだったりする?
日頃と違うとしたら、那智さんにより全権を委ねている。
日頃も最終判断は那智さんが下すので委ねているといえば同じなんだけど、『わんこ』の最中はより完全に那智さんに委ねてわたしはわたしのことだけで精一杯の不完全な人間でいるという感じ。
ああ、でも、考えると性的場面ではほとんどその状態のような気もするので、一概に『わんこ』だけが全権を委ねる不完全な状態というわけではないけど、とにかく不完全な時間帯のわたしのひとつが『わんこ』ということになるのかな。
『わんこ』は、従属嗜好と性癖を満たす全権を委ねた不完全な愛玩的存在のわたし(長い!!)
役割分担をしている劇場型かどうかはわからないけど、もしこれが役柄だとしたら、これだけ詳細な設定の役作り北島マヤばりの演技力が必要だと思うので、那智さんの『わんこ』になれるのは、わたしくらいしかいないということで、満足だ(笑)
ところで、はっきり比べたわけではないけれど、おそらく、那智さんのほうがより犬に近い感覚で『わんこ』をしているのではないかと思う。
四つん這いのわたしの首筋を撫でる感じが犬の対するガシガシとしたものに近く、普段わたしを撫でるそれとは違うことがあるからだ。
まあ、いろいろ理由はあるでしょうけど、もしかしたら、たとえ嗜好の一致とはいえ女を四つん這いにして一般道を歩くなんてやるほうはむちゃくちゃ勇気のいる、それをするためには『これは犬!!』と思ったほうがやりやすいのかな〜と想像してみたけど、那智さんどうでしょう^^
<関連エントリー>
『大和撫子』
『お散歩の裏話1』
「等式」感想です。わんこの存在は、我々にとっての「ごっこ」遊び(経験してみたい)行為と、可能ならば継続したい変身願望の違いでしょうか。又、劇場の役が、当然、人間と動物の違いもあるので同等に考えられないのかもしれません。
お友達と飲んだときに「りん子さんたちは劇場型だよね?」と言われたことがあった。
彼女のいう劇場型というのは役を演じる(役割分担?)ということのようだ。
たしかに、『娘』になったりするし、大和撫子ごっことかするし、まだ書いていないけど『ご主人様と奴隷ごっこ』もしたことある(ヘタレでダメだったけど^^;)ので否定はしない。
ただ、友達が『わんこ』もその一例にあげたときに、「う〜ん」とうなってしまった。
役になりきる、役になることを楽しむ、それで感じる、それらはSMというか変態嗜好のカテゴリとしては存在するし、わたしもわかる。
でも、『わんこ』は?と考えると、YESともNOとも即答できなかったのだ。
わたしたちにとって『わんこ』ってなんだろう?
犬、そのもの?(もちろん犬ではないけれど)
それとも人なのに犬になっている体?
犬のような存在?
あらためて、『わんこ』はなんだろう。
わたしは犬になっているつもりはない。
でもって、人だけど犬のようにしているつもりもない。
犬を代表とする『愛玩的存在』としての『わんこ』というのが一番しっくりくる。
可愛がり、慕う、双方の思いが一致している関係の象徴として『わんこ』。
だから、ホントはにゃんこでもちゅんたでもいいわけだし、わざわざお外で四つん這いでになる必要もないかもしれないけど。
わたしたちの間には『愛玩的存在』にプラスして従属嗜好があるので首輪やリードなどのそれを感じられる姿を求めているし、より従属感を感じられるお外を選んでいる。(部屋の中でもするけれど)
異質な状態に性的興奮を覚える性癖も相まって犬のような体勢を選んでいるのだよね。
そういうわけで、犬を演じているつもりはほとんどないのだ。
かなり違和感のある姿だけど、わたしはわたしのまま自然に『わんこ』になっているので、演じている?と問われると違うと答えたくなってしまう。
でも、何事も名前がつくとある種役割を与えられるものだと思うので、『わんこ』という名前がついている時点で彼女のいうところの『劇場型』ということも否定できないから、答えに困ってしまったのだ^^;
ひとまずと従属嗜好と性癖を満たす『愛玩的存在』。
ただ、そうとなると日頃のわたしもほとんどそんなような感じだったりする?
日頃と違うとしたら、那智さんにより全権を委ねている。
日頃も最終判断は那智さんが下すので委ねているといえば同じなんだけど、『わんこ』の最中はより完全に那智さんに委ねてわたしはわたしのことだけで精一杯の不完全な人間でいるという感じ。
ああ、でも、考えると性的場面ではほとんどその状態のような気もするので、一概に『わんこ』だけが全権を委ねる不完全な状態というわけではないけど、とにかく不完全な時間帯のわたしのひとつが『わんこ』ということになるのかな。
『わんこ』は、従属嗜好と性癖を満たす全権を委ねた不完全な愛玩的存在のわたし(長い!!)
役割分担をしている劇場型かどうかはわからないけど、もしこれが役柄だとしたら、これだけ詳細な設定の役作り北島マヤばりの演技力が必要だと思うので、那智さんの『わんこ』になれるのは、わたしくらいしかいないということで、満足だ(笑)
ところで、はっきり比べたわけではないけれど、おそらく、那智さんのほうがより犬に近い感覚で『わんこ』をしているのではないかと思う。
四つん這いのわたしの首筋を撫でる感じが犬の対するガシガシとしたものに近く、普段わたしを撫でるそれとは違うことがあるからだ。
まあ、いろいろ理由はあるでしょうけど、もしかしたら、たとえ嗜好の一致とはいえ女を四つん這いにして一般道を歩くなんてやるほうはむちゃくちゃ勇気のいる、それをするためには『これは犬!!』と思ったほうがやりやすいのかな〜と想像してみたけど、那智さんどうでしょう^^
<関連エントリー>
『大和撫子』
『お散歩の裏話1』
「等式」感想です。わんこの存在は、我々にとっての「ごっこ」遊び(経験してみたい)行為と、可能ならば継続したい変身願望の違いでしょうか。又、劇場の役が、当然、人間と動物の違いもあるので同等に考えられないのかもしれません。
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