理不尽と引き換えに
独特な幸福感
那智さんには海外からのお客人をアテンドするお仕事が数年に一度ある。
東に行ったり北に行ったりの8日間、この間はランチでちょっと会うなんてこともできず朝のお電話タイムもままならない。
そんな状態、さみしくなってしまいそうなんだけどメールはどれだけ送ってもいいと許されていいるので、日々のご挨拶やくだらない独り言をばんばん送ってわたしの知っていてほしい欲を満たしているし、日に2、3回、それまで送った何通かの何に対してのお返事かわからない「はーい」や暗号のような「あ」だけが届いたりするのでさみしい気持ちにもならずに済んでいる。
ポンポンとはねる【那智さん大好きポップコーン】をそのままにしていられるのだ。
最終日、無事飛行機も離陸してお見送りの空港からひと安心のお電話。
搭乗から離陸を確認するまで空港で待機していないといけないから、その間に生ビールを2杯飲んでいたそうだ。
新幹線に乗って、今夜こちらに戻っていらしたら夕食をご一緒する予定だったので、あと数時間でひさしぶりに会える、那智さんのホッとした空気も伝わってきて、わたしもウキウキ。
でも、アルコールがちょっぴり入った那智さんはことさら理不尽。
那智さんに会いたい、那智さんに会いたい♪
はぁい〜
那智さんは?わたしに会いたい?
会いたい?って言われてもね〜
会いたくないのですか?(笑)
いや〜、会いたくないんじゃなくて…、いまは会えないから、『会えないもんだ』って切り替えてるからね〜
ええ!?切り替えて切り替えられる程度の会いたいなのですか!?
まあね、そりゃあ、最初のうちはの切り替えられなかったけどね、最初の2、3ヶ月かな〜
ええ、じゃあ、いまは切り替えられる程度の『会いたい』なのですか!?
そう(笑)
じゃあ、わたしもそうなっていいですか?
ダメ
いまは会えないのだから、切り替えて『大丈夫』って
ダメに決まってんだろ
なぜ〜?
ダメなものはダメなの
わたしは会えないとわかっていても『那智さんに会いたい、会いたい』してないとダメなのですね
そう(笑)
ひと言「俺も会いたいよ〜」って言えばすむものを!!
頑なに否定し、自分は切り替えてもいいけど、わたしには切り替えるな理不尽な要求をする。
わかっています。
そう要求をするには、それなりの覚悟を持っていただきましょう。
わたしの『那智さんに会いたい、会いたい』を全部受け取り吸収して、わたしを寂しくさせない覚悟。
それを引き受けてくれるから、その理不尽にもお応えできるのです^^
女にそれなりの理不尽を求めるなら、引き受けないといけないことがある。
「はーい」や「あ」を惜しまない気概が必要だ。
そうしてもらえればいつまでもずっと『会いたい、会いたい♪』と思い続けられるのだ。
もしかしたら、その理不尽を理不尽なままで幸福でいられるのが、わたしの定義する『奴隷』なのかもしれないなぁ。
<関連エントリー>
那智さん大好きポップコーン^^
『待ち方』
『奴隷の定義』
「等式」感想です。過剰な素直を自分に課している所があるからね、その時の気分で「会いたい」と言えない時もある。あの時は、10日に近い旅が終わり、感慨に耽っていた時だったからね。でも、素直に「会いたい」と言うときもあることを付け加えさせてよ。そして、その方が圧倒的に多いことも。(笑)
那智さんには海外からのお客人をアテンドするお仕事が数年に一度ある。
東に行ったり北に行ったりの8日間、この間はランチでちょっと会うなんてこともできず朝のお電話タイムもままならない。
そんな状態、さみしくなってしまいそうなんだけどメールはどれだけ送ってもいいと許されていいるので、日々のご挨拶やくだらない独り言をばんばん送ってわたしの知っていてほしい欲を満たしているし、日に2、3回、それまで送った何通かの何に対してのお返事かわからない「はーい」や暗号のような「あ」だけが届いたりするのでさみしい気持ちにもならずに済んでいる。
ポンポンとはねる【那智さん大好きポップコーン】をそのままにしていられるのだ。
最終日、無事飛行機も離陸してお見送りの空港からひと安心のお電話。
搭乗から離陸を確認するまで空港で待機していないといけないから、その間に生ビールを2杯飲んでいたそうだ。
新幹線に乗って、今夜こちらに戻っていらしたら夕食をご一緒する予定だったので、あと数時間でひさしぶりに会える、那智さんのホッとした空気も伝わってきて、わたしもウキウキ。
でも、アルコールがちょっぴり入った那智さんはことさら理不尽。
那智さんに会いたい、那智さんに会いたい♪
はぁい〜
那智さんは?わたしに会いたい?
会いたい?って言われてもね〜
会いたくないのですか?(笑)
いや〜、会いたくないんじゃなくて…、いまは会えないから、『会えないもんだ』って切り替えてるからね〜
ええ!?切り替えて切り替えられる程度の会いたいなのですか!?
まあね、そりゃあ、最初のうちはの切り替えられなかったけどね、最初の2、3ヶ月かな〜
ええ、じゃあ、いまは切り替えられる程度の『会いたい』なのですか!?
そう(笑)
じゃあ、わたしもそうなっていいですか?
ダメ
いまは会えないのだから、切り替えて『大丈夫』って
ダメに決まってんだろ
なぜ〜?
ダメなものはダメなの
わたしは会えないとわかっていても『那智さんに会いたい、会いたい』してないとダメなのですね
そう(笑)
ひと言「俺も会いたいよ〜」って言えばすむものを!!
頑なに否定し、自分は切り替えてもいいけど、わたしには切り替えるな理不尽な要求をする。
わかっています。
そう要求をするには、それなりの覚悟を持っていただきましょう。
わたしの『那智さんに会いたい、会いたい』を全部受け取り吸収して、わたしを寂しくさせない覚悟。
それを引き受けてくれるから、その理不尽にもお応えできるのです^^
女にそれなりの理不尽を求めるなら、引き受けないといけないことがある。
「はーい」や「あ」を惜しまない気概が必要だ。
そうしてもらえればいつまでもずっと『会いたい、会いたい♪』と思い続けられるのだ。
もしかしたら、その理不尽を理不尽なままで幸福でいられるのが、わたしの定義する『奴隷』なのかもしれないなぁ。
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那智さん大好きポップコーン^^
『待ち方』
『奴隷の定義』
「等式」感想です。過剰な素直を自分に課している所があるからね、その時の気分で「会いたい」と言えない時もある。あの時は、10日に近い旅が終わり、感慨に耽っていた時だったからね。でも、素直に「会いたい」と言うときもあることを付け加えさせてよ。そして、その方が圧倒的に多いことも。(笑)
SとMっぽいこと
140字もどき
たくさんセックスをして、もう「わーーー」ってしたくて
イッてもいいですか?
と聞く。
首を横に振られる。
おまんこがぎゅーっと収縮する感覚になる。
もう一度聞く。
ダメ〜
また否定。
わーーーってしたいよぉ。
気持ちいいを放出させたい。
でも、否定も甘美だ。
目をぎゅっと閉じ、眉間にしわを寄せ、大きく呼吸をして否定と我慢を味わう。
いいねぇ、りん子のつらそうな顔
見下ろす満足そうな那智さん。
めずらしくS的な発言に、もっと否定して、我慢させてと思ってしまうのだ。
夢を見た。
本屋にいる。
目の前には平積みになったSM関連の本と一緒に『拷問』や『処刑』といった文字が並んでいる。
どうやら『世界の拷問展』のような特集を組んでいるようだ。
人気があるのか、人だかりができていて本を手にすることができない。
もどかしげに人の間から覗いていると、ひとりの男性がわたしに話しかけてきた。
さえない中年男性。
すこしだけ『2回目の旅』の男性に似ているような気がする。
一番つらい拷問って知っていますか?
わたしに話しかけることが当然のことのように澱みなく問いかける。
わかりません
変わった人だと思いながらも、興味があって、つい答えてしまう。
男性は、その拷問のやり方をわたしに説明する。
後手に縛り、片方の膝にも縄を通し後手の縄と一緒に、もう片方の足がぎりぎり地面につく程度に上から吊る。
片足だけで全身を支える。
かろうじて背中で組み縄を巻かれた腕に体重をかけて片足を休ませることはできる。
その体勢で息絶えるまで放置する。
という拷問なのだそうだ。
じっさい、そんな拷問が存在するかどうか知らないし、仮に存在してもそれよりつらいものだってあると思うけど。
その男は、ほんのすこし物欲しそうな様子で話していたけど、わたしはそれに気づかないフリをしていた。
気づかないフリをしながら、「『はじめての旅』のときにされたのと同じ姿だ」と思いながら、わたしの思考は違うところに飛ぶ。
じりじりを照りつける太陽が全裸の肌を焼いている。
もう何日、あの姿でいるのだろう。
やせ細り目はうつろで、生きているのか、もしかしたら死んでいるのか、わからない。
ときおりゆらゆら揺れるのは、風のせいかもしれない。
おろしている右足はうっ血してもう感覚がない。
最初のうちは腕によりかかりなんとか足を休ませていたけど、いつしか、腕に巻かれた縄が皮膚を破り肉を抉り、力をかけると激痛が走るようになってしまった。
上げられた膝の裏側も同じだ。
空腹はとっくに感じられなくなっている、ただ、猛烈に喉が渇く。
もう立っていられない。
誰かひと思いに殺してくれないか。
意識がもうろうとする中、壊死して、そのうち虫がわき、体を蝕むのだ。
男の話を聞きながら、拷問を受けている人を見ているのがわたしなのか、それともわたしが受けているのか、わからなくなっている。
そんな夢。
いま、思い出して言語化して書いているけど、そんな情景が生々しく夢の中で感じられていた。
たまに、こういうリアルな感覚として残る夢を見る。
そんなとき、あれ?わたし欲求不満?と最近は笑い飛ばせるようになれている(笑)
<関連エントリー>
夢いろいろ
『モンスターを抱きしめて』
『夢が叶うとき1』
『2回目の旅1』
『はじめての旅1 2』
ついでに夢でおまけ^^
『もってる女』
「等式」感想です。読んでいたらテンション上がってきました。次のデートは楽しみにしてね、久しぶりに鞭と根性棒を、気合を入れて振りたくなったよ。今日は、りん子の皮膚が切れないように、根性棒のメンテナンスをするからね。
たくさんセックスをして、もう「わーーー」ってしたくて
イッてもいいですか?
と聞く。
首を横に振られる。
おまんこがぎゅーっと収縮する感覚になる。
もう一度聞く。
ダメ〜
また否定。
わーーーってしたいよぉ。
気持ちいいを放出させたい。
でも、否定も甘美だ。
目をぎゅっと閉じ、眉間にしわを寄せ、大きく呼吸をして否定と我慢を味わう。
いいねぇ、りん子のつらそうな顔
見下ろす満足そうな那智さん。
めずらしくS的な発言に、もっと否定して、我慢させてと思ってしまうのだ。
夢を見た。
本屋にいる。
目の前には平積みになったSM関連の本と一緒に『拷問』や『処刑』といった文字が並んでいる。
どうやら『世界の拷問展』のような特集を組んでいるようだ。
人気があるのか、人だかりができていて本を手にすることができない。
もどかしげに人の間から覗いていると、ひとりの男性がわたしに話しかけてきた。
さえない中年男性。
すこしだけ『2回目の旅』の男性に似ているような気がする。
一番つらい拷問って知っていますか?
わたしに話しかけることが当然のことのように澱みなく問いかける。
わかりません
変わった人だと思いながらも、興味があって、つい答えてしまう。
男性は、その拷問のやり方をわたしに説明する。
後手に縛り、片方の膝にも縄を通し後手の縄と一緒に、もう片方の足がぎりぎり地面につく程度に上から吊る。
片足だけで全身を支える。
かろうじて背中で組み縄を巻かれた腕に体重をかけて片足を休ませることはできる。
その体勢で息絶えるまで放置する。
という拷問なのだそうだ。
じっさい、そんな拷問が存在するかどうか知らないし、仮に存在してもそれよりつらいものだってあると思うけど。
その男は、ほんのすこし物欲しそうな様子で話していたけど、わたしはそれに気づかないフリをしていた。
気づかないフリをしながら、「『はじめての旅』のときにされたのと同じ姿だ」と思いながら、わたしの思考は違うところに飛ぶ。
じりじりを照りつける太陽が全裸の肌を焼いている。
もう何日、あの姿でいるのだろう。
やせ細り目はうつろで、生きているのか、もしかしたら死んでいるのか、わからない。
ときおりゆらゆら揺れるのは、風のせいかもしれない。
おろしている右足はうっ血してもう感覚がない。
最初のうちは腕によりかかりなんとか足を休ませていたけど、いつしか、腕に巻かれた縄が皮膚を破り肉を抉り、力をかけると激痛が走るようになってしまった。
上げられた膝の裏側も同じだ。
空腹はとっくに感じられなくなっている、ただ、猛烈に喉が渇く。
もう立っていられない。
誰かひと思いに殺してくれないか。
意識がもうろうとする中、壊死して、そのうち虫がわき、体を蝕むのだ。
男の話を聞きながら、拷問を受けている人を見ているのがわたしなのか、それともわたしが受けているのか、わからなくなっている。
そんな夢。
いま、思い出して言語化して書いているけど、そんな情景が生々しく夢の中で感じられていた。
たまに、こういうリアルな感覚として残る夢を見る。
そんなとき、あれ?わたし欲求不満?と最近は笑い飛ばせるようになれている(笑)
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夢いろいろ
『モンスターを抱きしめて』
『夢が叶うとき1』
『2回目の旅1』
『はじめての旅1 2』
ついでに夢でおまけ^^
『もってる女』
「等式」感想です。読んでいたらテンション上がってきました。次のデートは楽しみにしてね、久しぶりに鞭と根性棒を、気合を入れて振りたくなったよ。今日は、りん子の皮膚が切れないように、根性棒のメンテナンスをするからね。
梟
非日常的な日常
秋にポンチョを買った。
頭からざっくりかぶるタイプで同じニットのベルトでウエストを絞る、袖口からベルト辺りまでは脇が縫い合わさっているのだけど、ベルト辺りから裾にかけては両脇スリットが入っている。
だからいわゆるポンチョとはすこし違う感じのもの。
ウエストで絞るからかな、すこし大人っぽい印象になる。
那智さんもごく普通に気に入ってくれたのでけど、普通じゃないことでも気に入ってくれてしまったのだ。
このポンチョ丈が絶妙で、直立するとちょうどお尻が隠れるくらい。
正面からしゃがんで見たら『毛』の数本の先っぽくらいは裾から確認できてしまうのではないかというほどのギリギリ加減。
でも、ギリギリなんだ、いちおう隠れているの。
これなら、これだけで歩けるね〜
とうれしそうにおっしゃる。
脇のスリットもポンチョのざっくりした形が幸いして、前後折り重ねるようにベルトを締めれば腰がむき出しになることもないので、たしかに出したらいけない部分は出ることはない。(でも、ひらっとすればウエストから太ももまで丸見え、でも横からなので性器やお尻は露出しないけども)
これをワンピース代わりに着て歩こう!!というのだ。
いや、世の中にはマイクロミニなんてものもあるし、女子高生のスカート丈だってこれと大差ないともいえなくない、でも、それにしても短すぎる。
なにより、たとえば超ショートパンツをギリギリのラインで合わせるとかではなく、ポンチョ単体をワンピース(?)として着ることのファッション的な違和感は、おそらく男性の那智さんにはピンと来ないのだろう。
ホテルで、同様の格好で『試着』をして、短すぎる!!見えちゃう!!スタイルとして違和感あり!!といろいろ異議申し立てをしても
いいの、俺はかわいいと思うから(笑)
で、一蹴され、次回お出かけのときにも着てくるように指示されてしまった。
当日。
ああ、気が重い。
ホントにわたしはお尻の際ギリギリを見せて歩くのか。
しかも、ポンチョ一枚という不思議な格好で。
いっそのこと、超ミニとかエロ服とかのほうがにしてくれたほうがいいかもしれない(半分ホントで半分ウソです、那智さん^^)
わんこのときもそうなんだけど、露出行為をするときはこの事態を真正面から受け止められないで半信半疑で準備をする。
我がことではないような。
きっと思考が現実逃避しているのだよね、まるでわたしじゃない誰かのために準備しているよう。
ポンチョの下はデニムのミニスカートをニーハイソックスを合わせる。
デニムのミニスカートは短いので、なんていうか、ポンチョから足をたくさん出すことに慣れておこうという気持ち^^;
それとニーハイソックスはできるだけ長いものを選んで、『わたしのお尻、意外ともっと上のほうにあるんですよ』となんとかカムフラージュできなかと苦肉の策^^;
駅で待ち合わせをする。
今日は遊覧船に乗って観光する予定だったので、駅から乗り場までの道のりをポンチョ一枚で歩くのだ。
ノーパンになるかどうかは決めていいよ
事前にそう言われていた。
ここで問題^^
お尻ギリギリの格好をするとき、下着はどうするべきか。
那智さんはノーパンのほうがいいという。
なぜなら、仮にチラッとお尻の一部が見えたとしても『肌』だとしたら、そこは太ももだと言い訳できるけど、パンツが見たら『お尻を出している』ことになるということだ。
たしかに、いまは亡きハイレグの水着などは『もう、そこはお尻だろ!!』ってところを太もものフリして露出させていたものね、きっとそれと同じことをおっしゃっているのだと思う。
それもわかる。
でも、もしチラッとじゃなくて、比較的がっつりめくれてしまったら?
下半身の一部を確実に晒してしまうことになる。
迷った末、わたしは『どう見えるか』よりも『何を見せるか』で下着をつけることに決めた。
だから、いちおう、人目につきにくいように黒のタンガにしておいた^^
駅から近い公園に差しかかり、
あそこで支度してきな
とトイレを指差す。
ホントにします?
ホントに!!
突然我がこととなり愕然とする。
見えないぎりぎりの露出。
那智さんがうなずく。
ふう、と息を吐き、トイレに向かう。
途中チラッと振り返ると那智さんが同じ場所で見送ってくれるのが見えた、とても真面目で、ちょっぴり心配そうに見える表情で。
なんで、こんなことをふたりして求めるんだろう。
この世界ではよくある『露出』のひとつに過ぎないけど、なぜ飽きもせず何年も似たようなことをし続けるのか、単に刺激や好奇心だけではない何かを思うと、すこし途方に暮れる。
スカート脱ぎ、ポンチョの脇をしっかり重ね裾を引きニーハイソックスを目一杯伸ばし、鏡の前に立つ。
那智さんが待っているから、あまりノロノロはしていたくない。
全体的に不備がないかチェックして、外に向かう。
瞬間。
鏡から姿を消す瞬間の女が見えた。
その残像。
ゆったりした上着にギリギリの丈、そこから足が伸びる。
丈が短すぎる分、割り増しですらりとして見えた。
何かのコスプレみたいなほどの極端なバランスの姿。
すこし、いいかも?と思ってしまった。
あくまでも、『姿』なので、そのコスプレの上にいい年した女の顔が乗っていることは思考から抜けている(許して!!でも、無理を承知でさらに言ってしまうなら、ポンチョの感じが色違うけどナウシカっぽいのだ^^;)
でも、大多数の抵抗感に色濃い自己愛の一石が投じられてしまった。
外に出る。
那智さんに近寄る。
あまり激しく動くと裾が舞ってしまうから、ごく普通に静かに。
すこし波紋が広がった自己愛は外の空気と行き交う人によって一気に首を引っこめてしまった。
すぐ近くのベンチにとりあえず腰掛けさせてもらって、那智さんにスカートを渡して息を整える。
かわいい、かわいいと喜んでくれることが拠り所。
ここから信号を渡って、一本道。
すこし気持ちを切り替えた。
じゃあ、信号が変わったら、行くよ
信号が青になると同時に立ち上がり、歩き出す。
中年男性がこちらを見ている気がする。
恥ずかしい。
でも、さっき鏡に映った『姿』をすこし無理やり思い描いて、背筋を伸ばす。
隣りには那智さん、腕を組んで歩いてくれている。
凛とした娼婦。
Oの物語の梟を読んだときの気持ち。
恥ずかしい気持ちは消えてくれない、でも、それ以上に自己愛と那智さんのものだという快感のほうが勝っていて、不思議な高揚感を味わいながら歩いた。
公園周辺はどちらかといえばリタイヤしたおじさまらしき人たちが多かった。
この種類の人の値踏みされるようなまなざしは、うまくいけば快感になる。
しばらく、その状態でいられた。
しかし、道を進むとだんだん人の種類が変わってきた。
オフィス街の一角を通り抜けるのだ。
スーツに身を包んだ男女がさっそうと並木道を闊歩する。
周りが見えていないから意識の問題だと思うけど、そこには先ほどのような値踏みする視線より、疑問や蔑みに近い視線が感じられるような気がしてくる。
ああ、気持ちがくじけそう。
蔑みは、これもうまく変換すれば快感にならなくもない(まだ訓練が足りないけど)
だけど、疑問とか迷惑かけちゃうとか、そういう気持ちが一番弱い。
くじけそう。
モロくなった心に海風がトドメの一撃を加える。
風が吹いた。
めくれたかどうかわからない、でも、めくれた気がした。
もう、そしたら、ダメ。
気張っていたものが一気に崩れ落ちる。
快感は瞬時に消える。
那智さん、いま、めくれました!!
ダメ、見えちゃう!!
一瞬だから大丈夫だよ
無理です、もう、恥ずかしい!!
だから、パンツ脱いでおいたほうがよかったんじゃない(笑)
那智さんがなにを話してくれても、もう、ダメ。
一旦恥ずかしいと思ってしまったら、何をどうしても、その気持ちには勝てない。
半ばパニックのような状態。
しがみつく腕に力が入る。
那智さん、もう、無理です、ここから一歩も歩けない
ちょうど大きな柱があったから、怖くて申し訳なくて恥ずかしくて、腰が抜けたようにもたれかかるようにしてしゃがみ込んでしまった。
那智さん、周囲を見ている。
じゃあ、あそこまで行こう
そこでスカートを履きな
3mほど先に街路樹が折り重なっているところがあった。
そこなら人から見えにくいと判断してくれたのだ。
はい、行って
人の行き交いを見て指示してくれる。
怖い、怖い、怖い、必死に歩く。
もうほとんど記憶がない。
いまなら人いないから着ちゃいな
そういってスカートを渡してくれたから、震えるように急いでスカートを履いた。
目の前は桟橋。
海が広がる広場になっている。
急いで、急いで、信号を渡り脱力してベンチに腰かける。
この後、激しい揺り戻しで遊覧船に乗るまでずっと自己嫌悪。
那智さんは、「それはりん子がたくさん感じて喜んだ証拠好きなだけ落ち込んでな〜」と笑ってくれていた。
わたしたちはどうして。こんなことをするんだろう。
わたしはどうしてこんなに濡れて、こんなに落ち込んでしまうのだろう。
キラキラ光る日差しと爽やかな海風。
揺り戻しの落ち込みを優しく包むよう。
わたしたちは、どうしてこんなことをし続けるのだろう。
性的行為といってしまえばそれまでだけど、なぜ、わざわざこんな面倒なことや揺り戻しを覚悟してまで続けるのだろう。
おそらく、ふたりにとって、刺激や好奇心だけじゃない『どうしてもしたいこと』なのだ。
なかなか面倒なことが『どうしてもしたいこと』で、すこし困る。
梟の仮面をかぶったOのように凛とするには、まだまだ時間がかかりそう。
でも、困りながらも那智さんに手を引いてもらって、ふたりが求める露出の道を歩いて行くのだろうな、これからも。
「等式」感想です。去年の秋だったかな?公園を抜けて大通りに出ると、海風が強くなり、まずいかなと判断した。意地悪な風くらいの感じだとおもしろかったのに残念だったね。う~ん、でも何かエントリーを通じてりん子からかわいがり方のリクエストを受けているような気がするのは気のせいか?
秋にポンチョを買った。
頭からざっくりかぶるタイプで同じニットのベルトでウエストを絞る、袖口からベルト辺りまでは脇が縫い合わさっているのだけど、ベルト辺りから裾にかけては両脇スリットが入っている。
だからいわゆるポンチョとはすこし違う感じのもの。
ウエストで絞るからかな、すこし大人っぽい印象になる。
那智さんもごく普通に気に入ってくれたのでけど、普通じゃないことでも気に入ってくれてしまったのだ。
このポンチョ丈が絶妙で、直立するとちょうどお尻が隠れるくらい。
正面からしゃがんで見たら『毛』の数本の先っぽくらいは裾から確認できてしまうのではないかというほどのギリギリ加減。
でも、ギリギリなんだ、いちおう隠れているの。
これなら、これだけで歩けるね〜
とうれしそうにおっしゃる。
脇のスリットもポンチョのざっくりした形が幸いして、前後折り重ねるようにベルトを締めれば腰がむき出しになることもないので、たしかに出したらいけない部分は出ることはない。(でも、ひらっとすればウエストから太ももまで丸見え、でも横からなので性器やお尻は露出しないけども)
これをワンピース代わりに着て歩こう!!というのだ。
いや、世の中にはマイクロミニなんてものもあるし、女子高生のスカート丈だってこれと大差ないともいえなくない、でも、それにしても短すぎる。
なにより、たとえば超ショートパンツをギリギリのラインで合わせるとかではなく、ポンチョ単体をワンピース(?)として着ることのファッション的な違和感は、おそらく男性の那智さんにはピンと来ないのだろう。
ホテルで、同様の格好で『試着』をして、短すぎる!!見えちゃう!!スタイルとして違和感あり!!といろいろ異議申し立てをしても
いいの、俺はかわいいと思うから(笑)
で、一蹴され、次回お出かけのときにも着てくるように指示されてしまった。
当日。
ああ、気が重い。
ホントにわたしはお尻の際ギリギリを見せて歩くのか。
しかも、ポンチョ一枚という不思議な格好で。
いっそのこと、超ミニとかエロ服とかのほうがにしてくれたほうがいいかもしれない(半分ホントで半分ウソです、那智さん^^)
わんこのときもそうなんだけど、露出行為をするときはこの事態を真正面から受け止められないで半信半疑で準備をする。
我がことではないような。
きっと思考が現実逃避しているのだよね、まるでわたしじゃない誰かのために準備しているよう。
ポンチョの下はデニムのミニスカートをニーハイソックスを合わせる。
デニムのミニスカートは短いので、なんていうか、ポンチョから足をたくさん出すことに慣れておこうという気持ち^^;
それとニーハイソックスはできるだけ長いものを選んで、『わたしのお尻、意外ともっと上のほうにあるんですよ』となんとかカムフラージュできなかと苦肉の策^^;
駅で待ち合わせをする。
今日は遊覧船に乗って観光する予定だったので、駅から乗り場までの道のりをポンチョ一枚で歩くのだ。
ノーパンになるかどうかは決めていいよ
事前にそう言われていた。
ここで問題^^
お尻ギリギリの格好をするとき、下着はどうするべきか。
那智さんはノーパンのほうがいいという。
なぜなら、仮にチラッとお尻の一部が見えたとしても『肌』だとしたら、そこは太ももだと言い訳できるけど、パンツが見たら『お尻を出している』ことになるということだ。
たしかに、いまは亡きハイレグの水着などは『もう、そこはお尻だろ!!』ってところを太もものフリして露出させていたものね、きっとそれと同じことをおっしゃっているのだと思う。
それもわかる。
でも、もしチラッとじゃなくて、比較的がっつりめくれてしまったら?
下半身の一部を確実に晒してしまうことになる。
迷った末、わたしは『どう見えるか』よりも『何を見せるか』で下着をつけることに決めた。
だから、いちおう、人目につきにくいように黒のタンガにしておいた^^
駅から近い公園に差しかかり、
あそこで支度してきな
とトイレを指差す。
ホントにします?
ホントに!!
突然我がこととなり愕然とする。
見えないぎりぎりの露出。
那智さんがうなずく。
ふう、と息を吐き、トイレに向かう。
途中チラッと振り返ると那智さんが同じ場所で見送ってくれるのが見えた、とても真面目で、ちょっぴり心配そうに見える表情で。
なんで、こんなことをふたりして求めるんだろう。
この世界ではよくある『露出』のひとつに過ぎないけど、なぜ飽きもせず何年も似たようなことをし続けるのか、単に刺激や好奇心だけではない何かを思うと、すこし途方に暮れる。
スカート脱ぎ、ポンチョの脇をしっかり重ね裾を引きニーハイソックスを目一杯伸ばし、鏡の前に立つ。
那智さんが待っているから、あまりノロノロはしていたくない。
全体的に不備がないかチェックして、外に向かう。
瞬間。
鏡から姿を消す瞬間の女が見えた。
その残像。
ゆったりした上着にギリギリの丈、そこから足が伸びる。
丈が短すぎる分、割り増しですらりとして見えた。
何かのコスプレみたいなほどの極端なバランスの姿。
すこし、いいかも?と思ってしまった。
あくまでも、『姿』なので、そのコスプレの上にいい年した女の顔が乗っていることは思考から抜けている(許して!!でも、無理を承知でさらに言ってしまうなら、ポンチョの感じが色違うけどナウシカっぽいのだ^^;)
でも、大多数の抵抗感に色濃い自己愛の一石が投じられてしまった。
外に出る。
那智さんに近寄る。
あまり激しく動くと裾が舞ってしまうから、ごく普通に静かに。
すこし波紋が広がった自己愛は外の空気と行き交う人によって一気に首を引っこめてしまった。
すぐ近くのベンチにとりあえず腰掛けさせてもらって、那智さんにスカートを渡して息を整える。
かわいい、かわいいと喜んでくれることが拠り所。
ここから信号を渡って、一本道。
すこし気持ちを切り替えた。
じゃあ、信号が変わったら、行くよ
信号が青になると同時に立ち上がり、歩き出す。
中年男性がこちらを見ている気がする。
恥ずかしい。
でも、さっき鏡に映った『姿』をすこし無理やり思い描いて、背筋を伸ばす。
隣りには那智さん、腕を組んで歩いてくれている。
凛とした娼婦。
Oの物語の梟を読んだときの気持ち。
恥ずかしい気持ちは消えてくれない、でも、それ以上に自己愛と那智さんのものだという快感のほうが勝っていて、不思議な高揚感を味わいながら歩いた。
公園周辺はどちらかといえばリタイヤしたおじさまらしき人たちが多かった。
この種類の人の値踏みされるようなまなざしは、うまくいけば快感になる。
しばらく、その状態でいられた。
しかし、道を進むとだんだん人の種類が変わってきた。
オフィス街の一角を通り抜けるのだ。
スーツに身を包んだ男女がさっそうと並木道を闊歩する。
周りが見えていないから意識の問題だと思うけど、そこには先ほどのような値踏みする視線より、疑問や蔑みに近い視線が感じられるような気がしてくる。
ああ、気持ちがくじけそう。
蔑みは、これもうまく変換すれば快感にならなくもない(まだ訓練が足りないけど)
だけど、疑問とか迷惑かけちゃうとか、そういう気持ちが一番弱い。
くじけそう。
モロくなった心に海風がトドメの一撃を加える。
風が吹いた。
めくれたかどうかわからない、でも、めくれた気がした。
もう、そしたら、ダメ。
気張っていたものが一気に崩れ落ちる。
快感は瞬時に消える。
那智さん、いま、めくれました!!
ダメ、見えちゃう!!
一瞬だから大丈夫だよ
無理です、もう、恥ずかしい!!
だから、パンツ脱いでおいたほうがよかったんじゃない(笑)
那智さんがなにを話してくれても、もう、ダメ。
一旦恥ずかしいと思ってしまったら、何をどうしても、その気持ちには勝てない。
半ばパニックのような状態。
しがみつく腕に力が入る。
那智さん、もう、無理です、ここから一歩も歩けない
ちょうど大きな柱があったから、怖くて申し訳なくて恥ずかしくて、腰が抜けたようにもたれかかるようにしてしゃがみ込んでしまった。
那智さん、周囲を見ている。
じゃあ、あそこまで行こう
そこでスカートを履きな
3mほど先に街路樹が折り重なっているところがあった。
そこなら人から見えにくいと判断してくれたのだ。
はい、行って
人の行き交いを見て指示してくれる。
怖い、怖い、怖い、必死に歩く。
もうほとんど記憶がない。
いまなら人いないから着ちゃいな
そういってスカートを渡してくれたから、震えるように急いでスカートを履いた。
目の前は桟橋。
海が広がる広場になっている。
急いで、急いで、信号を渡り脱力してベンチに腰かける。
この後、激しい揺り戻しで遊覧船に乗るまでずっと自己嫌悪。
那智さんは、「それはりん子がたくさん感じて喜んだ証拠好きなだけ落ち込んでな〜」と笑ってくれていた。
わたしたちはどうして。こんなことをするんだろう。
わたしはどうしてこんなに濡れて、こんなに落ち込んでしまうのだろう。
キラキラ光る日差しと爽やかな海風。
揺り戻しの落ち込みを優しく包むよう。
わたしたちは、どうしてこんなことをし続けるのだろう。
性的行為といってしまえばそれまでだけど、なぜ、わざわざこんな面倒なことや揺り戻しを覚悟してまで続けるのだろう。
おそらく、ふたりにとって、刺激や好奇心だけじゃない『どうしてもしたいこと』なのだ。
なかなか面倒なことが『どうしてもしたいこと』で、すこし困る。
梟の仮面をかぶったOのように凛とするには、まだまだ時間がかかりそう。
でも、困りながらも那智さんに手を引いてもらって、ふたりが求める露出の道を歩いて行くのだろうな、これからも。
「等式」感想です。去年の秋だったかな?公園を抜けて大通りに出ると、海風が強くなり、まずいかなと判断した。意地悪な風くらいの感じだとおもしろかったのに残念だったね。う~ん、でも何かエントリーを通じてりん子からかわいがり方のリクエストを受けているような気がするのは気のせいか?
Oの物語
りん子的独り言(生意気)
読書感想文は不得意(笑)
上手にまとめられるかな。とりあえず、パソコンに向かってみる。
お友達から『完訳 Oの物語』をお借りして読んだ。
SMの世界では『Oの物語』の世界を理想としている人は多いと思う。
序文の『奴隷状態における幸福』なんてタイトルにうっとりするような感覚を持った人も少なくないだろう。
わたしもそのひとりだった。
鞭や焼き印、鞭、鉄の輪。
Oには選択の自由はなく(その立場を選ぶ選択はある)、求められるままに体を差し出す、いとしい男性や顔もわからぬ男性たちに。
そんなストーリーに自分を重ねソワソワしたものだ。
でも、なぜか、わたしのまわりで目にする『Oの物語』を理想とする人の言葉や、『奴隷』という状態から受ける印象が、わたしの心を掴んでソワソワさせたものとは違う気がして、なんだかずっと落ち着かない気持ちだった。
今回、ひさしぶりに読み直してみて、その違和感がわたしなりにわかった気がする。
完訳版の結末はネタばれになってしまうから、それ以前澁澤龍彦訳などで書かれている『梟』まで読んで感じたことを書きます。(というか、結末を含めちゃうとわたしの言いたいことの筋が通らなくなっちゃうし^^;)
わたしは外国人の知り合いはいないしヨーロッパへ旅行したこともないし、フランスの歴史や文化にまったくうといので『Oの物語』を当時のフランスの文化と言っていいのか自信ないけど、このエントリーに関してはそう言わせていただきます。
なぜなら、まず、これは『Oの物語』に限ってのことなのか、それともそういう文化や、ううん、そもそも人間というものがそうなのかわからないのだけど、とにかく『Oの物語』の中では愛と性がほとんどイコールとして書かれています。
そこに違和感の正体があるからです。
愛しているは欲情として表現されるし、欲情は愛しているというささやきに書かれている。
『いつでもあなたに体を開く』が愛している証しになるし、『わたしの体を使いたい』で愛されていると感じる。
相手を理解するために話し合うとかキレイな景色を一緒に見て愛情の交流をするみたいな、想像しがちな『愛』ではなくて、愛と性が密接に、ほぼ同じようなものとして描かれている。
(たしかに、まさしくエロス^^)
特にSMの世界を描いているのだから当然といえば当然なのかもしれないけど、愛=性というならば、じつはOはめちゃくちゃ愛されているのだ。
恋人のルネやその後の所有者のスティーブン卿はOに欲情し、Oを自分の好きなように叩くし抱くし、他の男と共有する。
この女は自分のものだとすることでOに欲情し、充分すぎるほど愛しているのだ。
ロワシーでは(覆面していて)誰かもわからないまま他の男に抱かれ鞭を打たれるけれど、美しい衣装をまとい入浴を手伝ってもらったりもしていて、ある意味大切に扱われている。
けして、ルネやスティーブン卿にとってOは最下層でもないし、家畜でもないし、人格無視でもない。
Oは欲情(愛)され、尊重されていて、まったく蔑まれてもいない。
(SMとは無縁の人からの蔑みはあるけど)
愛=性のために受け入れやすい状態に体を変えることはしているけど、それはご主人様の喜びが奴隷の喜びの献身でもなんでもない。
だって、O自身も欲情するし、それらの行為で感じているのだから。
読んでいるうちに、いままでわたしの感じていたモヤモヤがわかってきた気がする。
わたしの周辺で『Oの物語』の世界に憧れているS男性の多くは、いつでも体を開くOや覆面をして好きに鞭を打つ男性たちに対して女を意思のない道具、無機質なものを思い描いているのかなって思った。
だけど、わたしが感じたOへの扱いは、とても大切にされているし愛されているもので、そこには充分女を感情のあるものだと感じさせるものだった。
『Oの物語』の世界に憧れているS男性たちは女に感情を持たせない世界と解釈して、わたし(女)は女に充分感情があり、その中での被虐行為や被所有感に憧れを抱いていたんだよね。
だってさ、キレイに着飾って食事も用意されていて個室もあって、きっと掃除も洗濯もしないでいいんだよ、男たちにお酒を出して、あとは被虐的なセックスができるのだよ、愛する男の意思のもとに、ね、ロワシー、ステキ!!って思うもの^^
SMや主従の関係で『Oの物語』を思い描いている男女がいたとするなら、もしかしたら、同じものを読みながら、違う世界を思い描いてしまっているのではないだろうか。
S(男)は感情のない人ではない道具としてM(女、奴隷)を扱い、M(女、奴隷)はすごく欲情されて愛されて『俺の物』扱いされることを描いている。
このギャップは、ときどき目にするご主人様と奴隷さんの食い違いと同じような構図に見える。
『調教の定義』でも書いたけど、人は自分の都合のよい解釈をするもの。
同じ本を読んでもぜんぜん違うように解釈するし、同じ言葉を使っても捉え方は様々だ。
『奴隷』や『主従』なんていうのも、そのひとつだろう。
ううん、そんなこと言ったらわたしたちが使っている言葉全部そうだよね、『愛』だって『優しさ』だって『友情』だって、なんでも辞書の文字だけでは描かれない、個々の解釈があるはずだ。
厳しくてもアドバイスすることが優しさだと思う人もいれば、そっと見守ることがそうだと思っている人もいるように。
だとしたら、『oの物語』の解釈なんて人によって違うことは当然あり得る。
『奴隷』や『主従』も自分に都合よく解釈していることだってあり得る。
特に、多くの女性は性的な場面でもの申せない風潮はあるし、そもそも奴隷さんは最初から弱い立場に置かれるのだからご主人様が如何ようにも好きに立ち位置を作れるわけで、強く意識しないと男性(S)側の解釈が関係の主流になりかねない。
それならばせめてパートナーとは可能な限り近い解釈をしていたいよね。
そうすれば、よりよい関係を継続させることができると思うのです。
同じものを見ても、それぞれ思い描くものは違う。
その違いが、わたしの感じたモヤモヤだったのだと思うのです。
ところで、M(女、奴隷)を愛さずに人格無視の道具として扱っているとしたら、ロワシーに訪れる『覆面をしたその他大勢の男たち』は、そう言えるだろう。
『Oの物語』に憧れている男性はこの名もなきその他大勢になれば憧れは叶うのかもしれない。
スティーブン卿ではない、その他大勢。
やっぱり女に人格を求めないならその男性はこちら側から見たらじつは顔のないその他大勢になっているかもしれないね^^
<関連エントリー>
『O』
『鞭』
「等式」感想です。この話は昔、映画をさらっと見ただけで、本は読んでいないし、あまり興味がないよ。エントリーの同一の物を見ても角度によって異なる実態はその通りだね。りん子、解説してね、もう1回感想書くかも。
読書感想文は不得意(笑)
上手にまとめられるかな。とりあえず、パソコンに向かってみる。
お友達から『完訳 Oの物語』をお借りして読んだ。
SMの世界では『Oの物語』の世界を理想としている人は多いと思う。
序文の『奴隷状態における幸福』なんてタイトルにうっとりするような感覚を持った人も少なくないだろう。
わたしもそのひとりだった。
鞭や焼き印、鞭、鉄の輪。
Oには選択の自由はなく(その立場を選ぶ選択はある)、求められるままに体を差し出す、いとしい男性や顔もわからぬ男性たちに。
そんなストーリーに自分を重ねソワソワしたものだ。
でも、なぜか、わたしのまわりで目にする『Oの物語』を理想とする人の言葉や、『奴隷』という状態から受ける印象が、わたしの心を掴んでソワソワさせたものとは違う気がして、なんだかずっと落ち着かない気持ちだった。
今回、ひさしぶりに読み直してみて、その違和感がわたしなりにわかった気がする。
完訳版の結末はネタばれになってしまうから、それ以前澁澤龍彦訳などで書かれている『梟』まで読んで感じたことを書きます。(というか、結末を含めちゃうとわたしの言いたいことの筋が通らなくなっちゃうし^^;)
わたしは外国人の知り合いはいないしヨーロッパへ旅行したこともないし、フランスの歴史や文化にまったくうといので『Oの物語』を当時のフランスの文化と言っていいのか自信ないけど、このエントリーに関してはそう言わせていただきます。
なぜなら、まず、これは『Oの物語』に限ってのことなのか、それともそういう文化や、ううん、そもそも人間というものがそうなのかわからないのだけど、とにかく『Oの物語』の中では愛と性がほとんどイコールとして書かれています。
そこに違和感の正体があるからです。
愛しているは欲情として表現されるし、欲情は愛しているというささやきに書かれている。
『いつでもあなたに体を開く』が愛している証しになるし、『わたしの体を使いたい』で愛されていると感じる。
相手を理解するために話し合うとかキレイな景色を一緒に見て愛情の交流をするみたいな、想像しがちな『愛』ではなくて、愛と性が密接に、ほぼ同じようなものとして描かれている。
(たしかに、まさしくエロス^^)
特にSMの世界を描いているのだから当然といえば当然なのかもしれないけど、愛=性というならば、じつはOはめちゃくちゃ愛されているのだ。
恋人のルネやその後の所有者のスティーブン卿はOに欲情し、Oを自分の好きなように叩くし抱くし、他の男と共有する。
この女は自分のものだとすることでOに欲情し、充分すぎるほど愛しているのだ。
ロワシーでは(覆面していて)誰かもわからないまま他の男に抱かれ鞭を打たれるけれど、美しい衣装をまとい入浴を手伝ってもらったりもしていて、ある意味大切に扱われている。
けして、ルネやスティーブン卿にとってOは最下層でもないし、家畜でもないし、人格無視でもない。
Oは欲情(愛)され、尊重されていて、まったく蔑まれてもいない。
(SMとは無縁の人からの蔑みはあるけど)
愛=性のために受け入れやすい状態に体を変えることはしているけど、それはご主人様の喜びが奴隷の喜びの献身でもなんでもない。
だって、O自身も欲情するし、それらの行為で感じているのだから。
読んでいるうちに、いままでわたしの感じていたモヤモヤがわかってきた気がする。
わたしの周辺で『Oの物語』の世界に憧れているS男性の多くは、いつでも体を開くOや覆面をして好きに鞭を打つ男性たちに対して女を意思のない道具、無機質なものを思い描いているのかなって思った。
だけど、わたしが感じたOへの扱いは、とても大切にされているし愛されているもので、そこには充分女を感情のあるものだと感じさせるものだった。
『Oの物語』の世界に憧れているS男性たちは女に感情を持たせない世界と解釈して、わたし(女)は女に充分感情があり、その中での被虐行為や被所有感に憧れを抱いていたんだよね。
だってさ、キレイに着飾って食事も用意されていて個室もあって、きっと掃除も洗濯もしないでいいんだよ、男たちにお酒を出して、あとは被虐的なセックスができるのだよ、愛する男の意思のもとに、ね、ロワシー、ステキ!!って思うもの^^
SMや主従の関係で『Oの物語』を思い描いている男女がいたとするなら、もしかしたら、同じものを読みながら、違う世界を思い描いてしまっているのではないだろうか。
S(男)は感情のない人ではない道具としてM(女、奴隷)を扱い、M(女、奴隷)はすごく欲情されて愛されて『俺の物』扱いされることを描いている。
このギャップは、ときどき目にするご主人様と奴隷さんの食い違いと同じような構図に見える。
『調教の定義』でも書いたけど、人は自分の都合のよい解釈をするもの。
同じ本を読んでもぜんぜん違うように解釈するし、同じ言葉を使っても捉え方は様々だ。
『奴隷』や『主従』なんていうのも、そのひとつだろう。
ううん、そんなこと言ったらわたしたちが使っている言葉全部そうだよね、『愛』だって『優しさ』だって『友情』だって、なんでも辞書の文字だけでは描かれない、個々の解釈があるはずだ。
厳しくてもアドバイスすることが優しさだと思う人もいれば、そっと見守ることがそうだと思っている人もいるように。
だとしたら、『oの物語』の解釈なんて人によって違うことは当然あり得る。
『奴隷』や『主従』も自分に都合よく解釈していることだってあり得る。
特に、多くの女性は性的な場面でもの申せない風潮はあるし、そもそも奴隷さんは最初から弱い立場に置かれるのだからご主人様が如何ようにも好きに立ち位置を作れるわけで、強く意識しないと男性(S)側の解釈が関係の主流になりかねない。
それならばせめてパートナーとは可能な限り近い解釈をしていたいよね。
そうすれば、よりよい関係を継続させることができると思うのです。
同じものを見ても、それぞれ思い描くものは違う。
その違いが、わたしの感じたモヤモヤだったのだと思うのです。
ところで、M(女、奴隷)を愛さずに人格無視の道具として扱っているとしたら、ロワシーに訪れる『覆面をしたその他大勢の男たち』は、そう言えるだろう。
『Oの物語』に憧れている男性はこの名もなきその他大勢になれば憧れは叶うのかもしれない。
スティーブン卿ではない、その他大勢。
やっぱり女に人格を求めないならその男性はこちら側から見たらじつは顔のないその他大勢になっているかもしれないね^^
<関連エントリー>
『O』
『鞭』
「等式」感想です。この話は昔、映画をさらっと見ただけで、本は読んでいないし、あまり興味がないよ。エントリーの同一の物を見ても角度によって異なる実態はその通りだね。りん子、解説してね、もう1回感想書くかも。
やりたいことはやる
140字もどき
Sやご主人様って、じつはけっこう面倒なことだと思うんだ。
普通のセックスならいちゃいちゃして胸揉んで出し入れしておしまいになるけど(かなり偏った『普通』^^;))、縛ったり叩いたり、命令したり、道具の準備や片付けも面倒だし、そのうちネタも尽きる。
いつも主導権を握り、毎回毎回命令し続けるのも案外と骨が折れるはずだ。
だから、最初はSMやご主人様っぽいセックス(ご主人様っぽいセックスってなんだ!?)をしていたけど、そのうち普通の恋人とするセックスみたいなものしかしなくなってしまうこともあると思うんだ。
AVとか見て興味本位でSMやご主人様をしてみたけど、実際やってもたら思った以上に面倒だし飽きてしまったというだけのことだよね。
もちろん人間だから体調や環境によってテンションに波はあるし、行為の流行なんていうのもある。
でも、人は本当にやりたいことは、かならず、またやりたくなるもの、面倒でも、ネタなんて尽きない。
最初のころはSM的行為をいろいろしたり、ばんばん命令していたご主人様がいつの間にかSMをしなくなったら、マッサージとフェラチオくらいしか命令しなくなってしまったら、それは本当にやりたいことではなかったんだよね。
きっとちょっと刺激的なセックスをしたかっただけなんじゃないかな。
ここしばらく鞭をしていなかった。
最後にいつ使ったか憶えていないくらいだから、おそらく半年以上だと思う。
鞭だけじゃなくて、根性棒も。
洗濯バサミや指で乳首を潰すことはあったから、痛いこと全般ではなくて『打撃系』。
スパンキングやサンダル(!)で数発くらいならあるので、厳密にいうと『本格的な打撃系』。
本格的な打撃系はすこしだけヨイショと腰を上げる感覚があると思う。
ある程度時間もかかるし、体力も神経も使うし、わたしへのダメージも大きい。
いや、ときどきは「鞭する?(笑)」なんてサラッと聞いてきたりするので、ものすごいハードルではないと思うのだけど、それでもやっぱり、例えばキスをするよりもお手軽ではないよね。
鞭は本当に痛いし毎回同じような快感ではないから、ないのはすこしホッとする。
でもやっぱり一抹のさみしさもあることは、ある。
今日しないのはホッとするけど、じゃあ、今後一生ないと宣言されたら、それはそれで残念に思うだろうなという気持ち。
ただ、もしかしたら、『本格的な打撃系』は那智さんの本当にやりたいことではなかったのかもしれないと思い、それならそれも致し方ないと思う気持ちになった。
わたしは那智さんと一緒に過ごしたいし、那智さんのしたことで可愛がってほしいのだから、なくなるほは残念だけど、しかたがない。
人は本当にやりたいことは、やるし、そこそこのものはいつかやらなくなっていくものだもの。
わき上がる、溢れても溢れても、またしたいと思うことを嗜好や性癖というのだ。
SM行為やご主人様でいることは、意外と面倒なこと。
だから、本当にやりたいことが残っていくのだと思う。
それがSM行為や命令や支配的行いじゃなかったということもあり得るよね。
それでもその相手と一緒に過ごしたいなら、SMとか主従とかの言葉を取っ払って差し上げたら、肩の荷も降りて案外楽しいセックスライフを楽しむことができるかもしれないね^^
案外、ご主人様でいることに辟易している男性いるんじゃないかなって、すこし斜めから見てしまうわたしなのでした^^;
「等式」感想です。このエントリーはいつ書いたのだろう。通常は2か月前と聞いている。前回デートの時に「鞭」をすると宣言して仕方ない事情で出来なかった、それなのにこれをアップするのは挑戦状なの?我々の好きな、色々な行為で、継続性が必要なもの、継続しない方が良いもの、色々あると思う。
りん子(^-^)「継続性が必要なもの、継続しないほうが良いもの」、この言葉に意味があるんです。もちろん好き嫌いでやることが決まることもあるでしょうけど、基本的に先を見据えてご自分の意思で継続するかどうかを決めていますよね?それが上の言葉。それが那智さんの上たる所以なのです(笑)
その「意思」があるのか、それとも自然とやらなくなっちゃうのかは大きな違いでして、わたしのエントリーは後者のことを言いました。自然とやらなくなってしまうようなものは嗜好や性癖ではないのだろうなと思うのです。
那智さんの「やりたいこと」はひとまとめにして「プロデュース」。那智さんのやり方で可愛がること。だから、鞭や露出やいろいろな行為は可愛がり方の手段。手段には流行りもあるし、段取りもあるから、しばらくやらないこともあるのですよね。那智さんはS嗜好のプロデューサー(笑)
じゃっかんまとまりなくつぶやきましたが、エントリーは挑戦状ではありません、断じて(笑)
途中で、離席になってしまった。(笑)続き:敢えて、りん子のツイートは読まないで書きます。ここ最近は、俺の息子の課題とりん子のノーマルセックスの深さの探求がテーマになっていたので「打撃系」に興味がいかなかっただけなんだよ。
まあ、打撃系をやろうとすると、りん子怖がる雰囲気も手伝い疎遠になっていたのもあるけれどね。最初に書いたように、やろうと話をしていたのにこれをアップするからにはそれ相応の覚悟があると判断するよ~
最近考え中なのがあのゴム鞭のカスタマイズだよ、ゴムの先端に鋲を付けたらスピード・重量・遠心力・強度がそれぞれが増して喜んでもらえるかなと思う。ハンズでベルトなどの皮に打ち込む鋲がありそうな気がするから今度見に行こうね。この後、りん子のツイートを読むのが楽しみです。
りん子のツイート読み終わりました。これでは納得がいかないかな~、私がエントリーを読んだ時にどう考えるかをりん子が予想できないとは思えないのだけれどね。まあ最近、私の天の邪鬼な性格を逆手に取る技を会得しているので、この件もそう考えると楽しいかな。(笑)テンションさらに上がったよ~
りん子(^-^)那智さん、おはようございます。ここでチャット状態にするのはフォロワーさんに申し訳ないのですが、取り急ぎ、あれには深い理由があるのです!!深くてくだらない理由が(笑)チャットになってしまうので、その理由は今度お会いしたときにお伝えします(笑)
Sやご主人様って、じつはけっこう面倒なことだと思うんだ。
普通のセックスならいちゃいちゃして胸揉んで出し入れしておしまいになるけど(かなり偏った『普通』^^;))、縛ったり叩いたり、命令したり、道具の準備や片付けも面倒だし、そのうちネタも尽きる。
いつも主導権を握り、毎回毎回命令し続けるのも案外と骨が折れるはずだ。
だから、最初はSMやご主人様っぽいセックス(ご主人様っぽいセックスってなんだ!?)をしていたけど、そのうち普通の恋人とするセックスみたいなものしかしなくなってしまうこともあると思うんだ。
AVとか見て興味本位でSMやご主人様をしてみたけど、実際やってもたら思った以上に面倒だし飽きてしまったというだけのことだよね。
もちろん人間だから体調や環境によってテンションに波はあるし、行為の流行なんていうのもある。
でも、人は本当にやりたいことは、かならず、またやりたくなるもの、面倒でも、ネタなんて尽きない。
最初のころはSM的行為をいろいろしたり、ばんばん命令していたご主人様がいつの間にかSMをしなくなったら、マッサージとフェラチオくらいしか命令しなくなってしまったら、それは本当にやりたいことではなかったんだよね。
きっとちょっと刺激的なセックスをしたかっただけなんじゃないかな。
ここしばらく鞭をしていなかった。
最後にいつ使ったか憶えていないくらいだから、おそらく半年以上だと思う。
鞭だけじゃなくて、根性棒も。
洗濯バサミや指で乳首を潰すことはあったから、痛いこと全般ではなくて『打撃系』。
スパンキングやサンダル(!)で数発くらいならあるので、厳密にいうと『本格的な打撃系』。
本格的な打撃系はすこしだけヨイショと腰を上げる感覚があると思う。
ある程度時間もかかるし、体力も神経も使うし、わたしへのダメージも大きい。
いや、ときどきは「鞭する?(笑)」なんてサラッと聞いてきたりするので、ものすごいハードルではないと思うのだけど、それでもやっぱり、例えばキスをするよりもお手軽ではないよね。
鞭は本当に痛いし毎回同じような快感ではないから、ないのはすこしホッとする。
でもやっぱり一抹のさみしさもあることは、ある。
今日しないのはホッとするけど、じゃあ、今後一生ないと宣言されたら、それはそれで残念に思うだろうなという気持ち。
ただ、もしかしたら、『本格的な打撃系』は那智さんの本当にやりたいことではなかったのかもしれないと思い、それならそれも致し方ないと思う気持ちになった。
わたしは那智さんと一緒に過ごしたいし、那智さんのしたことで可愛がってほしいのだから、なくなるほは残念だけど、しかたがない。
人は本当にやりたいことは、やるし、そこそこのものはいつかやらなくなっていくものだもの。
わき上がる、溢れても溢れても、またしたいと思うことを嗜好や性癖というのだ。
SM行為やご主人様でいることは、意外と面倒なこと。
だから、本当にやりたいことが残っていくのだと思う。
それがSM行為や命令や支配的行いじゃなかったということもあり得るよね。
それでもその相手と一緒に過ごしたいなら、SMとか主従とかの言葉を取っ払って差し上げたら、肩の荷も降りて案外楽しいセックスライフを楽しむことができるかもしれないね^^
案外、ご主人様でいることに辟易している男性いるんじゃないかなって、すこし斜めから見てしまうわたしなのでした^^;
「等式」感想です。このエントリーはいつ書いたのだろう。通常は2か月前と聞いている。前回デートの時に「鞭」をすると宣言して仕方ない事情で出来なかった、それなのにこれをアップするのは挑戦状なの?我々の好きな、色々な行為で、継続性が必要なもの、継続しない方が良いもの、色々あると思う。
りん子(^-^)「継続性が必要なもの、継続しないほうが良いもの」、この言葉に意味があるんです。もちろん好き嫌いでやることが決まることもあるでしょうけど、基本的に先を見据えてご自分の意思で継続するかどうかを決めていますよね?それが上の言葉。それが那智さんの上たる所以なのです(笑)
その「意思」があるのか、それとも自然とやらなくなっちゃうのかは大きな違いでして、わたしのエントリーは後者のことを言いました。自然とやらなくなってしまうようなものは嗜好や性癖ではないのだろうなと思うのです。
那智さんの「やりたいこと」はひとまとめにして「プロデュース」。那智さんのやり方で可愛がること。だから、鞭や露出やいろいろな行為は可愛がり方の手段。手段には流行りもあるし、段取りもあるから、しばらくやらないこともあるのですよね。那智さんはS嗜好のプロデューサー(笑)
じゃっかんまとまりなくつぶやきましたが、エントリーは挑戦状ではありません、断じて(笑)
途中で、離席になってしまった。(笑)続き:敢えて、りん子のツイートは読まないで書きます。ここ最近は、俺の息子の課題とりん子のノーマルセックスの深さの探求がテーマになっていたので「打撃系」に興味がいかなかっただけなんだよ。
まあ、打撃系をやろうとすると、りん子怖がる雰囲気も手伝い疎遠になっていたのもあるけれどね。最初に書いたように、やろうと話をしていたのにこれをアップするからにはそれ相応の覚悟があると判断するよ~
最近考え中なのがあのゴム鞭のカスタマイズだよ、ゴムの先端に鋲を付けたらスピード・重量・遠心力・強度がそれぞれが増して喜んでもらえるかなと思う。ハンズでベルトなどの皮に打ち込む鋲がありそうな気がするから今度見に行こうね。この後、りん子のツイートを読むのが楽しみです。
りん子のツイート読み終わりました。これでは納得がいかないかな~、私がエントリーを読んだ時にどう考えるかをりん子が予想できないとは思えないのだけれどね。まあ最近、私の天の邪鬼な性格を逆手に取る技を会得しているので、この件もそう考えると楽しいかな。(笑)テンションさらに上がったよ~
りん子(^-^)那智さん、おはようございます。ここでチャット状態にするのはフォロワーさんに申し訳ないのですが、取り急ぎ、あれには深い理由があるのです!!深くてくだらない理由が(笑)チャットになってしまうので、その理由は今度お会いしたときにお伝えします(笑)