『O』
独り言
文学少女ではなかったわたしがポツポツ本を読むようになったのは20代半ばくらいからだ。
幼い頃から自分には性的に興奮するポイントがあることは自覚していたけど、そのモヤモヤしたものに輪郭をつけ形取ることでなんとかガス抜きをしていたのは絵を描くことだった。
といっても所詮小学生の描く絵なんてたかが知れているので、なかなか妄想を描いて満足するなんて状況にはほど遠かったけど^^;
ほとんど本に触れずに大人になったわたしは、妄想の世界が本の中にあることさえ思い至らなかったのだよね。
本を読みはじめたのは一度目の結婚をおしまいにしてからだったと思う。
たしか、ひとりで過ごす時間の使い方に本を選んでみたんだ。
最初はメジャーな小説だったけど、そのうち興味が沸く分野を自覚していってドキュメンタリーや○○学みたいなものも読むようになった。
後を追うように、わたしが幼い頃から妄想していた世界が、ちょっと手を伸ばせば叶うかもしれないということを知る。
それまでわたしは『SM』というものはエロ小説の中のことで男性がお金を払ってしか実現できないものだと思っていたんだよね。
(『私について(性癖12』)
人はゲンキンなもので、叶うかもしれないと思ったらより具体的に知りたいと思い、行動を起こすもの。
ふと辺りを見回せば、それらしき読み物は書店にいくつかあるということに気づいて、それ以降手に取れる程度のものはひと通り読んだ。(村上龍さんが限界^^;だからわたしは団鬼六さんの本も読んでいないのです)
『O嬢の物語』を知ったのは、その後だった。
一時期ある大きなブックセンターに立ち寄って隣りのカフェでお茶をすることがマイブームになっていたことがあった。
本を買うというより、写真集を眺めめずらしい本を探し、面白そうなものを見つける、家の近くの図書館で借りるための仕込みという感じだったので、その日も同じようにあれこれ物色していた。
画集や写真集、サブカルチャーっぽいものを扱ったコーナーだったと思う。
平積みになったそれらの中で、拘束された女性の後ろ姿のイラストが表紙の本があった。
A4くらいの大きさで背景が薄ピンクだった記憶がある。
薄ピンクの丸くくり抜かれた円の中にその女性の姿があった(いま思えば『O』の文字をかたどっていたんだろうね)
。
視界に入って一瞬にして惹かれたけど、明らかに一般的なジャンルの本でないことはわかるのでひとまず通り過ぎる。
なにせ『トパーズ』が手に取れる限界だったのだからね、じっくり眺めるなんて無理な世界。
ウロウロっと他を見て、何食わぬ顔でもう一度その平積みのコーナーに戻る。
前を通り過ぎて、一周回って、また戻る。
平積みの前を行ったり来たり。
まるでエロ本を前にした中学生だ^^;
タイトルは『O嬢の物語』。
どうやらそれは漫画のようだった。
なんで漫画だと判別できたのか記憶が定かじゃないんだ。
帯にコマ割りのイラストが描かれていたような気もするし、もしかしたら意を決してページをめくってみたのかもしれない。
とにかく何往復かして得られた情報は、それだけだった。
当時はそれほどネットも普及していなかったし、わたしに至っては日常ほとんどパソコンに触ったこともなかったのでブックセンターでみかけた『O嬢の物語』がいったい何なのか知る方法もなかったけれど、どうしても気になったので図書館で調べてみることにした。
そしたら図書館の検索に同じタイトルの本があるではないか。
あの表紙に描かれたような世界に触れることができるかと色めき立つ。
でも、それは通常の本棚になく書庫に保管されているので用紙に必要事項を記入して受付に申し出なくてはならなかった。
ふう、神様はなかなかその世界をわたしに見せてはくれない(笑)
それでも人はどうしても手に入れたいもののためには行動を起こすもの。
『トパーズ』が限界のわたしだったけど、ここは恥ずかしいとか人の目とかを気にする回路を切って、『O嬢の物語』と記入した用紙を受付に提出した。
はじめて触れた『O嬢の物語』。
とても古い本で、薄らと茶色く黄ばんだページは昔の本の印字、所々かがり糸が緩んでいてテープで補正してあった。
現代小説しか読んでいなかったわたしには古い翻訳された文章はとてもとても読みづらく、またその頃のヨーロッパの文化にも疎かったので、調度品や装飾の描写などを思い描くのは至難の業。
もうキャンディキャンディやらベルばらやら、めちゃくちゃな知識を総動員して必死に描いていた。
張り型なんて言葉もはじめて聞いたのだもの。
『き、きっと、あれのことだよね…?』なんて思いながら読んだっけ。
いまならネットで探せばいろいろな文字とヴィジュアル両方でたくさん知識を得られるので想像しやすいだろうけど、当時のわたしはホントに知らないことだらけだった。
焼き印や鞭で皮膚が裂かれるシーン。
情景描写が主で淡々と描かれていて、『O』自身の感情まではっきり読み取れずもどかしい気持ちになった記憶があるけど、もしかしたらそれだからこそすんなりと自分と『O』を重ねることができたのかもしれない。
それ以前に読んでいたSM的な小説で感じたような女性を蔑む印象がなかったのも、受け入れやすかったのだと思う。
(『蔑む』もね、興奮のひとつではあるのだけど、けっこう紙一重なのね)
それから澁澤龍彦さんの翻訳を読んだけど、わたしの中の『O嬢の物語』はブックセンターで見た表紙と最初の本の印象が強い。
表紙を見たときのざわざわする感覚。
図書館で用紙を差し出した緊張感。
古い印字の補正されたページ。
それを見つけて手に取るまでの時間が、絵を描いて妄想していた子供の頃のもどかしい気持ちに似ているからだろう。
なんだか、わたしを拒んでいるような、それでもずっと求めてやまないものの正体のような感じだった。
それがわたしの『O嬢の物語』の思い出。
もう何年も読んでいない。
また図書館で借りてみようか。
あの頃より知識が増えてもっと楽しめるかもしれないし、たぶん手に取る限界は『トパーズ』よりはすこし進化しているはずだからね^^
この前ツイッターサーフィンしていて(こんな言葉ある!?)、おそらくあの表紙をイラストをアイコンにされている方を見つけて、懐かしくなったので、思い出話でした^^
追伸
正しい知識よりも当時の思い出を書きたかったので、書き終わってからちょっと検索してみたら、やっぱり漫画ありましたね。
しかも、上下巻。
うん、たしか、ピンクの後ろ姿の表紙の他にももう一冊あったような記憶があります。
本も何人もの翻訳版があって、その後やなんかもいろいろ。
改めて、わたしは知らないことが多いなぁと思います。
だけど、そんな自分も好きだったりします。
豊富とはいい難い知識の数の女の考えたことや感じたことっていうのも面白いかなと思うので、これからも少ない知識と、想像力を駆使して楽しんでいこう~。
今朝の「等式」感想です。
本をあまり読まない人への指南書みたいでしたね、経験的に同じ本を何年か何十年か経過して再び読むのは楽しいのは理解できますが、こんな風に解説されると意図的に昔、読んだ本を読みたくなってしまう。大昔読んだ石坂洋次郎なんて良いかもしれない。
あと、今ならりん子は羞恥関係では「不自然」が目立ち、一番恥ずかしいと言う理屈を理解しているので、どんなエロ本でもお道具でも一直線で購入出来そうな気がします。理屈の話ですが。(笑)
りん子(^-^)今日のエントリー、『O嬢の物語』について書いた。書きながら思ったけど、わたし和風より、こちらの世界のSMのほうが好きかも。うーん、単純に長襦袢よりコルセットとピンヒールが好きくらいの感覚だけど。那智さんはどうなんだろう?
りん子は今日、都会のど真ん中でビスチェ姿で道を闊歩(かっぽ)し注目を集めそれが嬉しかったのでこんなことを書いているのでしょう。(笑)
りん子(^-^)那智さん、またそんなネタばらしを!なんて言いながら(笑)書きながら思ったことなので今日のこととは切り離してくださいませ。強いていえば、和装より洋装が似合うと思っているからだったりして?←相変わらず着物の苦手意識^^;
りん子(^-^)ちょっと真面目に。たぶん、長襦袢の色気よりもコルセットの気高い感じが好きなのだと思う。ずいぶん前に読んだから記憶違いかもしれないけど、『O嬢の物語』からは奴隷から連想させる忠誠や従順は感じられなかったのだよね。気高さ、だった記憶があるんだ。それが好き。
文学少女ではなかったわたしがポツポツ本を読むようになったのは20代半ばくらいからだ。
幼い頃から自分には性的に興奮するポイントがあることは自覚していたけど、そのモヤモヤしたものに輪郭をつけ形取ることでなんとかガス抜きをしていたのは絵を描くことだった。
といっても所詮小学生の描く絵なんてたかが知れているので、なかなか妄想を描いて満足するなんて状況にはほど遠かったけど^^;
ほとんど本に触れずに大人になったわたしは、妄想の世界が本の中にあることさえ思い至らなかったのだよね。
本を読みはじめたのは一度目の結婚をおしまいにしてからだったと思う。
たしか、ひとりで過ごす時間の使い方に本を選んでみたんだ。
最初はメジャーな小説だったけど、そのうち興味が沸く分野を自覚していってドキュメンタリーや○○学みたいなものも読むようになった。
後を追うように、わたしが幼い頃から妄想していた世界が、ちょっと手を伸ばせば叶うかもしれないということを知る。
それまでわたしは『SM』というものはエロ小説の中のことで男性がお金を払ってしか実現できないものだと思っていたんだよね。
(『私について(性癖12』)
人はゲンキンなもので、叶うかもしれないと思ったらより具体的に知りたいと思い、行動を起こすもの。
ふと辺りを見回せば、それらしき読み物は書店にいくつかあるということに気づいて、それ以降手に取れる程度のものはひと通り読んだ。(村上龍さんが限界^^;だからわたしは団鬼六さんの本も読んでいないのです)
『O嬢の物語』を知ったのは、その後だった。
一時期ある大きなブックセンターに立ち寄って隣りのカフェでお茶をすることがマイブームになっていたことがあった。
本を買うというより、写真集を眺めめずらしい本を探し、面白そうなものを見つける、家の近くの図書館で借りるための仕込みという感じだったので、その日も同じようにあれこれ物色していた。
画集や写真集、サブカルチャーっぽいものを扱ったコーナーだったと思う。
平積みになったそれらの中で、拘束された女性の後ろ姿のイラストが表紙の本があった。
A4くらいの大きさで背景が薄ピンクだった記憶がある。
薄ピンクの丸くくり抜かれた円の中にその女性の姿があった(いま思えば『O』の文字をかたどっていたんだろうね)
。
視界に入って一瞬にして惹かれたけど、明らかに一般的なジャンルの本でないことはわかるのでひとまず通り過ぎる。
なにせ『トパーズ』が手に取れる限界だったのだからね、じっくり眺めるなんて無理な世界。
ウロウロっと他を見て、何食わぬ顔でもう一度その平積みのコーナーに戻る。
前を通り過ぎて、一周回って、また戻る。
平積みの前を行ったり来たり。
まるでエロ本を前にした中学生だ^^;
タイトルは『O嬢の物語』。
どうやらそれは漫画のようだった。
なんで漫画だと判別できたのか記憶が定かじゃないんだ。
帯にコマ割りのイラストが描かれていたような気もするし、もしかしたら意を決してページをめくってみたのかもしれない。
とにかく何往復かして得られた情報は、それだけだった。
当時はそれほどネットも普及していなかったし、わたしに至っては日常ほとんどパソコンに触ったこともなかったのでブックセンターでみかけた『O嬢の物語』がいったい何なのか知る方法もなかったけれど、どうしても気になったので図書館で調べてみることにした。
そしたら図書館の検索に同じタイトルの本があるではないか。
あの表紙に描かれたような世界に触れることができるかと色めき立つ。
でも、それは通常の本棚になく書庫に保管されているので用紙に必要事項を記入して受付に申し出なくてはならなかった。
ふう、神様はなかなかその世界をわたしに見せてはくれない(笑)
それでも人はどうしても手に入れたいもののためには行動を起こすもの。
『トパーズ』が限界のわたしだったけど、ここは恥ずかしいとか人の目とかを気にする回路を切って、『O嬢の物語』と記入した用紙を受付に提出した。
はじめて触れた『O嬢の物語』。
とても古い本で、薄らと茶色く黄ばんだページは昔の本の印字、所々かがり糸が緩んでいてテープで補正してあった。
現代小説しか読んでいなかったわたしには古い翻訳された文章はとてもとても読みづらく、またその頃のヨーロッパの文化にも疎かったので、調度品や装飾の描写などを思い描くのは至難の業。
もうキャンディキャンディやらベルばらやら、めちゃくちゃな知識を総動員して必死に描いていた。
張り型なんて言葉もはじめて聞いたのだもの。
『き、きっと、あれのことだよね…?』なんて思いながら読んだっけ。
いまならネットで探せばいろいろな文字とヴィジュアル両方でたくさん知識を得られるので想像しやすいだろうけど、当時のわたしはホントに知らないことだらけだった。
焼き印や鞭で皮膚が裂かれるシーン。
情景描写が主で淡々と描かれていて、『O』自身の感情まではっきり読み取れずもどかしい気持ちになった記憶があるけど、もしかしたらそれだからこそすんなりと自分と『O』を重ねることができたのかもしれない。
それ以前に読んでいたSM的な小説で感じたような女性を蔑む印象がなかったのも、受け入れやすかったのだと思う。
(『蔑む』もね、興奮のひとつではあるのだけど、けっこう紙一重なのね)
それから澁澤龍彦さんの翻訳を読んだけど、わたしの中の『O嬢の物語』はブックセンターで見た表紙と最初の本の印象が強い。
表紙を見たときのざわざわする感覚。
図書館で用紙を差し出した緊張感。
古い印字の補正されたページ。
それを見つけて手に取るまでの時間が、絵を描いて妄想していた子供の頃のもどかしい気持ちに似ているからだろう。
なんだか、わたしを拒んでいるような、それでもずっと求めてやまないものの正体のような感じだった。
それがわたしの『O嬢の物語』の思い出。
もう何年も読んでいない。
また図書館で借りてみようか。
あの頃より知識が増えてもっと楽しめるかもしれないし、たぶん手に取る限界は『トパーズ』よりはすこし進化しているはずだからね^^
この前ツイッターサーフィンしていて(こんな言葉ある!?)、おそらくあの表紙をイラストをアイコンにされている方を見つけて、懐かしくなったので、思い出話でした^^
追伸
正しい知識よりも当時の思い出を書きたかったので、書き終わってからちょっと検索してみたら、やっぱり漫画ありましたね。
しかも、上下巻。
うん、たしか、ピンクの後ろ姿の表紙の他にももう一冊あったような記憶があります。
本も何人もの翻訳版があって、その後やなんかもいろいろ。
改めて、わたしは知らないことが多いなぁと思います。
だけど、そんな自分も好きだったりします。
豊富とはいい難い知識の数の女の考えたことや感じたことっていうのも面白いかなと思うので、これからも少ない知識と、想像力を駆使して楽しんでいこう~。
今朝の「等式」感想です。
本をあまり読まない人への指南書みたいでしたね、経験的に同じ本を何年か何十年か経過して再び読むのは楽しいのは理解できますが、こんな風に解説されると意図的に昔、読んだ本を読みたくなってしまう。大昔読んだ石坂洋次郎なんて良いかもしれない。
あと、今ならりん子は羞恥関係では「不自然」が目立ち、一番恥ずかしいと言う理屈を理解しているので、どんなエロ本でもお道具でも一直線で購入出来そうな気がします。理屈の話ですが。(笑)
りん子(^-^)今日のエントリー、『O嬢の物語』について書いた。書きながら思ったけど、わたし和風より、こちらの世界のSMのほうが好きかも。うーん、単純に長襦袢よりコルセットとピンヒールが好きくらいの感覚だけど。那智さんはどうなんだろう?
りん子は今日、都会のど真ん中でビスチェ姿で道を闊歩(かっぽ)し注目を集めそれが嬉しかったのでこんなことを書いているのでしょう。(笑)
りん子(^-^)那智さん、またそんなネタばらしを!なんて言いながら(笑)書きながら思ったことなので今日のこととは切り離してくださいませ。強いていえば、和装より洋装が似合うと思っているからだったりして?←相変わらず着物の苦手意識^^;
りん子(^-^)ちょっと真面目に。たぶん、長襦袢の色気よりもコルセットの気高い感じが好きなのだと思う。ずいぶん前に読んだから記憶違いかもしれないけど、『O嬢の物語』からは奴隷から連想させる忠誠や従順は感じられなかったのだよね。気高さ、だった記憶があるんだ。それが好き。
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