優しくされた記憶1
独特な幸福感
さっきまで焼けるような日差しが照りつけていたのに、空のはしっこから灰色の雲が広がってきた。
開け放った窓からすーーっとひんやりした風を感じる。
ああ、きっと夕立が来る。
ちょっとわくわくした気持ちで窓から覗くと、灰色が、もっとなんていうか、青みがかった深い深い灰色に変わっていた。
やっぱり夕立。
お買い物に出ようと思っていた。
でももう少し待とう。
夕立が来てからにしよう。
何もわざわざ濡れるようなことしなくてもいいんだけど、わたしはどしゃぶりの雨が大好きなんだ。
その中を歩きたーい^^
しばらくすると、ゴロゴロと低い雷鳴が聞こえてきてさっきより冷たい風も増えた。
ポツポツとアスファルトに水玉模様が付いたと思ったら、あっという間に滝のような雨!!
わーい、わーい、これを待っていたのだ。
Tシャツに半パン、海に行くようなつっかけサンダル。
濡れてもいいような格好でどしゃ降りの夕立に中、お買い物に出た。
両手で傘を持たないと雨の重さでよろけてしまいそうなほどのどしゃ降り。
つっかけサンダルなんて、履いている意味があるんだろうかというくらい、即座にずぶ濡れの足。
ゴロゴロというカミナリにちょっとヒヤヒヤしながら近所のスーパーへ。
とっても大変!!という状態をわざわざ作るあたり、これも性癖か?と苦笑する^^;
お買い物が済んで再び表に出ても、まだどしゃ降りは続いていた。
なかなかしぶとい夕立。
ちょうど近所の小学校の下校時間と重なったようで子供たちが交差点で散り散りになっている。
天気予報を見て親が持たせたのか傘をさしている子がほとんどだけど、中にはそうじゃない子もいて、友達に入れてもらっていたり、ずぶ濡れで駆け足の子もいた。
ども子もきゃあきゃあ浮き足立ってる。
夕立マジックだなぁ(って、わたしもそのマジックにかかってるけど^^;)
信号で止まっていたら、二人組の女の子が来た。
まだ低学年、よくて3年生。
傘を持っている子がまっすぐ傘がない子がわたしと同じ方向のようで、ふたりで信号のところでやんやとおしゃべりしている。
「いいから、大丈夫だから」
どうやら、傘を持っている子が心配しているようで、傘のない子が気を使わせないようにしているみたい。
「いいから、いいから」
バイバイを手を振って傘のない子は信号待ちのわたしの横に並んだ。
小さい子の相合い傘、たいして上手に雨を凌げていたわけでもないみたいで、見るとすでにふたりともけっこう濡れている。
まあ、雨に濡れても死ぬわけじゃないよね。
どしゃ降りの経験だって悪くない。
しかも、すでにけっこう濡れている。
それにこの子の行き先だってわからないものね。
傘、必要ないかな。
一瞬、ためらったけど、ごく普通に声に出してみた。
「わたし、あそこを曲がるけど、傘に入る?」
信号を渡ってどちらの方向に行くかはわからなかったけど、ずぶ濡れの少女に相合い傘の申し出をしてみた。
ちょっと遠慮して迷って、でも彼女は快く申し出を受け入れてくれた。
「わたし、あそこ曲がるけど、あなたのお家は?」
聞けば、途中まで一緒らしい。
「じゃあ、途中までだけど一緒にいこう」
「お家じゃないんだ、ばあばの家」
「そうか〜、じゃあ、いっぱい濡れておばあちゃん驚いちゃうね」
距離にしたら50mもなかったかもしれない。
わたしはまっすぐ、女の子は右に。
「ありがとうございました〜」
可愛い笑顔でおばあちゃんの家に走っていった。
うふふ、いいことした自己満足。
しかも可愛い子と相合い傘。
なんともいい気分だった。
そのときのことを那智さんに話した。
いいこと自慢だ(笑)
そういう話を聞くと、その分野ではりん子にかなわないと思うんだよな〜
那智さんは公共性という言葉を使ったけど、どうやら那智さんはわたしほど一歩が出ないらしいのだ。
だって、どこで別れるかわからないだろ?
最後まで入れてあげるとは限らないし
それなのにしていいものかって思っちゃうんだよね
『最後まで責任を持てないことはしたくない』
あはは、那智さんらしい考え方^^
それもとてもよくわかります。
わたしだって、すでにずぶ濡れでどこまで同じ方向かわからない少女に傘をさす意味はどれくらいあるものか、一瞬ためらったもの。
だけど、わたしなりの明確な動機付けはあるんだ^^
(あ、もちろん、親切にする心地よさとかはあるよ)
それはね、『親切にしてもらった経験』。
あのね、那智さん。
わたしも最後まで付き合えないのわかっていたけど、それはどちらでもよかったのです。
知らない大人に親切にされたという経験っていいかなって思ったのです。
人に親切にされた経験。
一瞬の通りすがりだったからあの子の心にどれだけ残ってくれるかわからないけど、それは人生で味わえたほうがいいと思うのです。
その経験は、自分で自分を大切に思える記録になると思う。
そしていつか自分の実になって、他者に優しくできるかもしれない。
たかが50m相合い傘をしただけで人生が変わるわけないことは充分承知しているけど、わたし自身の動機付けにはなる。
『責任持たないから』としない那智さんと、わたし。
それぞれの親切の表現の仕方があるな〜と思う。
その部分をかなわないと褒めてくれる那智さん。
でも、それを聞きながら、『わたしにそれを教えてくれたのは那智さんなんですけどね〜』とひとり思っていた。
優しくされる。
親切にされる。
大事にされる。
こういう経験は、きっとその人の情緒を育む大きな役割になる。
次回、この経験の代表的なお話を書こうと思っています。
ちょっと『いい人』なエントリーが続いてしまって照れ臭いのですが、今回は次エントリーの前振りなのでした。
タブーな内容のノロケになる予定(まだ未着手^^;)
朝の「等式」感想です。
ふたりでデートしているときに、色々な親切や思いやりを表すことは普通のことかもしれません。デートの最中で気分がよいから、もしくはふたりの存在に社会性をもたせたいと思う私の気持ちもあるのかもしれませんが。
さっきまで焼けるような日差しが照りつけていたのに、空のはしっこから灰色の雲が広がってきた。
開け放った窓からすーーっとひんやりした風を感じる。
ああ、きっと夕立が来る。
ちょっとわくわくした気持ちで窓から覗くと、灰色が、もっとなんていうか、青みがかった深い深い灰色に変わっていた。
やっぱり夕立。
お買い物に出ようと思っていた。
でももう少し待とう。
夕立が来てからにしよう。
何もわざわざ濡れるようなことしなくてもいいんだけど、わたしはどしゃぶりの雨が大好きなんだ。
その中を歩きたーい^^
しばらくすると、ゴロゴロと低い雷鳴が聞こえてきてさっきより冷たい風も増えた。
ポツポツとアスファルトに水玉模様が付いたと思ったら、あっという間に滝のような雨!!
わーい、わーい、これを待っていたのだ。
Tシャツに半パン、海に行くようなつっかけサンダル。
濡れてもいいような格好でどしゃ降りの夕立に中、お買い物に出た。
両手で傘を持たないと雨の重さでよろけてしまいそうなほどのどしゃ降り。
つっかけサンダルなんて、履いている意味があるんだろうかというくらい、即座にずぶ濡れの足。
ゴロゴロというカミナリにちょっとヒヤヒヤしながら近所のスーパーへ。
とっても大変!!という状態をわざわざ作るあたり、これも性癖か?と苦笑する^^;
お買い物が済んで再び表に出ても、まだどしゃ降りは続いていた。
なかなかしぶとい夕立。
ちょうど近所の小学校の下校時間と重なったようで子供たちが交差点で散り散りになっている。
天気予報を見て親が持たせたのか傘をさしている子がほとんどだけど、中にはそうじゃない子もいて、友達に入れてもらっていたり、ずぶ濡れで駆け足の子もいた。
ども子もきゃあきゃあ浮き足立ってる。
夕立マジックだなぁ(って、わたしもそのマジックにかかってるけど^^;)
信号で止まっていたら、二人組の女の子が来た。
まだ低学年、よくて3年生。
傘を持っている子がまっすぐ傘がない子がわたしと同じ方向のようで、ふたりで信号のところでやんやとおしゃべりしている。
「いいから、大丈夫だから」
どうやら、傘を持っている子が心配しているようで、傘のない子が気を使わせないようにしているみたい。
「いいから、いいから」
バイバイを手を振って傘のない子は信号待ちのわたしの横に並んだ。
小さい子の相合い傘、たいして上手に雨を凌げていたわけでもないみたいで、見るとすでにふたりともけっこう濡れている。
まあ、雨に濡れても死ぬわけじゃないよね。
どしゃ降りの経験だって悪くない。
しかも、すでにけっこう濡れている。
それにこの子の行き先だってわからないものね。
傘、必要ないかな。
一瞬、ためらったけど、ごく普通に声に出してみた。
「わたし、あそこを曲がるけど、傘に入る?」
信号を渡ってどちらの方向に行くかはわからなかったけど、ずぶ濡れの少女に相合い傘の申し出をしてみた。
ちょっと遠慮して迷って、でも彼女は快く申し出を受け入れてくれた。
「わたし、あそこ曲がるけど、あなたのお家は?」
聞けば、途中まで一緒らしい。
「じゃあ、途中までだけど一緒にいこう」
「お家じゃないんだ、ばあばの家」
「そうか〜、じゃあ、いっぱい濡れておばあちゃん驚いちゃうね」
距離にしたら50mもなかったかもしれない。
わたしはまっすぐ、女の子は右に。
「ありがとうございました〜」
可愛い笑顔でおばあちゃんの家に走っていった。
うふふ、いいことした自己満足。
しかも可愛い子と相合い傘。
なんともいい気分だった。
そのときのことを那智さんに話した。
いいこと自慢だ(笑)
そういう話を聞くと、その分野ではりん子にかなわないと思うんだよな〜
那智さんは公共性という言葉を使ったけど、どうやら那智さんはわたしほど一歩が出ないらしいのだ。
だって、どこで別れるかわからないだろ?
最後まで入れてあげるとは限らないし
それなのにしていいものかって思っちゃうんだよね
『最後まで責任を持てないことはしたくない』
あはは、那智さんらしい考え方^^
それもとてもよくわかります。
わたしだって、すでにずぶ濡れでどこまで同じ方向かわからない少女に傘をさす意味はどれくらいあるものか、一瞬ためらったもの。
だけど、わたしなりの明確な動機付けはあるんだ^^
(あ、もちろん、親切にする心地よさとかはあるよ)
それはね、『親切にしてもらった経験』。
あのね、那智さん。
わたしも最後まで付き合えないのわかっていたけど、それはどちらでもよかったのです。
知らない大人に親切にされたという経験っていいかなって思ったのです。
人に親切にされた経験。
一瞬の通りすがりだったからあの子の心にどれだけ残ってくれるかわからないけど、それは人生で味わえたほうがいいと思うのです。
その経験は、自分で自分を大切に思える記録になると思う。
そしていつか自分の実になって、他者に優しくできるかもしれない。
たかが50m相合い傘をしただけで人生が変わるわけないことは充分承知しているけど、わたし自身の動機付けにはなる。
『責任持たないから』としない那智さんと、わたし。
それぞれの親切の表現の仕方があるな〜と思う。
その部分をかなわないと褒めてくれる那智さん。
でも、それを聞きながら、『わたしにそれを教えてくれたのは那智さんなんですけどね〜』とひとり思っていた。
優しくされる。
親切にされる。
大事にされる。
こういう経験は、きっとその人の情緒を育む大きな役割になる。
次回、この経験の代表的なお話を書こうと思っています。
ちょっと『いい人』なエントリーが続いてしまって照れ臭いのですが、今回は次エントリーの前振りなのでした。
タブーな内容のノロケになる予定(まだ未着手^^;)
朝の「等式」感想です。
ふたりでデートしているときに、色々な親切や思いやりを表すことは普通のことかもしれません。デートの最中で気分がよいから、もしくはふたりの存在に社会性をもたせたいと思う私の気持ちもあるのかもしれませんが。
COMMENT
あ…なんかタイムリーな感覚…(笑)
昨日、ネットで予約した新幹線のチケットをみどりの窓口に受け取りに行ったの。
息子とね、チケット受け取ってカウンターのチケットを入れる紙製のケースを取ったら、息子がぼくも欲しい!と、言ったのだけど、これは必要な人しかもらえない。と、答えたら窓口のお兄さんが、「これをどうぞ」と、カウンターに置いてあったのと同じケースを息子に差し出してくれた。息子はにっこり笑って「ありがとうございます」と大きな声で返事して受け取った。わたしがお礼を言うと、前の方に使うために取ったのが余ってしまったのだと言う。でも結果息子は大喜び♪
窓口のお兄さんも満面の笑顔♪
遠慮のない子どもだと思ったけれど、人に親切にされることを知っている「ありがとうございます」だったな。って、思ったの。
わたしに家族に周りに大切にされて、物怖じしないことを知ってる。
嬉しいなって、思ったのよね*^^*
りん子さん小さな子どもに親切にしてくれてありがとう^^
小さな子どもの母親としてでお礼♪
それと同じで悪さをしたときに、知らない大人に叱られることも、とてもよいことなんだよね^^
昨日、ネットで予約した新幹線のチケットをみどりの窓口に受け取りに行ったの。
息子とね、チケット受け取ってカウンターのチケットを入れる紙製のケースを取ったら、息子がぼくも欲しい!と、言ったのだけど、これは必要な人しかもらえない。と、答えたら窓口のお兄さんが、「これをどうぞ」と、カウンターに置いてあったのと同じケースを息子に差し出してくれた。息子はにっこり笑って「ありがとうございます」と大きな声で返事して受け取った。わたしがお礼を言うと、前の方に使うために取ったのが余ってしまったのだと言う。でも結果息子は大喜び♪
窓口のお兄さんも満面の笑顔♪
遠慮のない子どもだと思ったけれど、人に親切にされることを知っている「ありがとうございます」だったな。って、思ったの。
わたしに家族に周りに大切にされて、物怖じしないことを知ってる。
嬉しいなって、思ったのよね*^^*
りん子さん小さな子どもに親切にしてくれてありがとう^^
小さな子どもの母親としてでお礼♪
それと同じで悪さをしたときに、知らない大人に叱られることも、とてもよいことなんだよね^^
何と心温まるお話なのだろうか!
りん子さんのお話を聞くと私は十数年前に夏休みを一緒に過ごした姪っ子、甥っ子を思い出してしまう。
近所のスーパーへ買い物に行った時に自分で買ったお菓子を自分でレジに持っていき、自分でお金を払うことをさせた時に緊張して何も言えずにただ商品とお金を差し出してしまった、、
そんな時にレジのお姉さんから「一人でチャンと出来て、偉いね~」と褒められた時の満面の笑顔が今でも忘れられない、、それから後は チャンと「ありがとう」と言えるようになった。
私も機会があれば 知らない小さい子供にちょっとしたことをしてあげたいと思っても、、今のご時世私みたいな中年男性が小学生に何かをするということは
例え私が善意であったとしても子供に対して誤解や緊張を与え将来に危険な目に合わせかねないと思うので、出来ない、、
全く知らない近所の大人からの親切にされたことや褒められたことは子供にとってのいい経験だと思う、
それはスンナリ出来るりん子さん、素晴らしい(*^。^*)
りん子さんのお話を聞くと私は十数年前に夏休みを一緒に過ごした姪っ子、甥っ子を思い出してしまう。
近所のスーパーへ買い物に行った時に自分で買ったお菓子を自分でレジに持っていき、自分でお金を払うことをさせた時に緊張して何も言えずにただ商品とお金を差し出してしまった、、
そんな時にレジのお姉さんから「一人でチャンと出来て、偉いね~」と褒められた時の満面の笑顔が今でも忘れられない、、それから後は チャンと「ありがとう」と言えるようになった。
私も機会があれば 知らない小さい子供にちょっとしたことをしてあげたいと思っても、、今のご時世私みたいな中年男性が小学生に何かをするということは
例え私が善意であったとしても子供に対して誤解や緊張を与え将来に危険な目に合わせかねないと思うので、出来ない、、
全く知らない近所の大人からの親切にされたことや褒められたことは子供にとってのいい経験だと思う、
それはスンナリ出来るりん子さん、素晴らしい(*^。^*)
mineさん
ああ、ステキなお話ですね。
親切をそのまま受け取れることは、大切にされている経験が素直な気持ちを育んでいるんだよね^^
ところでね。
那智さんとも話していたんだけど、mineさんの姿勢、好きなんだよね。
きちんと『必要な人しかもらえない』と言える。
これも公共性のひとつだと思います。
親が、その線引きをしっかりしているから、他者の親切も際立つのかなとも思いました。
そうそう、他人の大人に叱られる経験も、とってもよいことだと思います。
これのほうがパワーがいるなぁ、でも、できたらちょっとステキだね^^
ああ、ステキなお話ですね。
親切をそのまま受け取れることは、大切にされている経験が素直な気持ちを育んでいるんだよね^^
ところでね。
那智さんとも話していたんだけど、mineさんの姿勢、好きなんだよね。
きちんと『必要な人しかもらえない』と言える。
これも公共性のひとつだと思います。
親が、その線引きをしっかりしているから、他者の親切も際立つのかなとも思いました。
そうそう、他人の大人に叱られる経験も、とってもよいことだと思います。
これのほうがパワーがいるなぁ、でも、できたらちょっとステキだね^^
パイパン大好きさん
そうですね。
確かに最近の風潮では、したい気持ちはあってもできにくい状況でもありますね。
なんだかもったいない世の中。
だけど、姪っ子さんや甥っ子さんが経験されたように、お仕事中としてなら親切にしやすいかもしれないですね。
なかなか機会は少ないけど、親切にするチャンスはいろいろあるかも^^
まあ、あの子にとってはなんてことない出来事だったかもしれないけど、親切にすることはこちらが心地よいので、それが実は一番の原動力だったりするから、あんまり褒められたことじゃないですよ〜^^;
そうですね。
確かに最近の風潮では、したい気持ちはあってもできにくい状況でもありますね。
なんだかもったいない世の中。
だけど、姪っ子さんや甥っ子さんが経験されたように、お仕事中としてなら親切にしやすいかもしれないですね。
なかなか機会は少ないけど、親切にするチャンスはいろいろあるかも^^
まあ、あの子にとってはなんてことない出来事だったかもしれないけど、親切にすることはこちらが心地よいので、それが実は一番の原動力だったりするから、あんまり褒められたことじゃないですよ〜^^;