パブロフの犬
非日常的な日常
さて、前エントリーの『乗馬鞭(仮)』では那智さんはいつもより満足度が低かったそうだ。
お仕事の電話で何度か中断したこともひとつの要因。
あと、おそらく那智さんはゴムのバラ鞭の『打撃感』も満足に繋がるので、いつもより軽い乗馬鞭(仮)だけしか使わなかったから、打った!!という満足感が不十分だったとも想像できる。
どれも正解、原因はひとつじゃないよね。
ところで、『乗馬鞭(仮)』のときわたしは新しい感覚を覚えた。
痛いけど、気持ちいい。
痛いことが気持ちいい。
痛みと快感に関していろいろ表現されるよね。
で、この日、はじめて憶えた感覚は『痛くされると、体が気持ちよくなる』だった。
この違い、上手に表現できるか自信ないけど、
いままでのわたしにとって『痛いけど気持ちいい』とか『痛いことが気持ちいい』というのは、そのように判断しているとか、そのように認識しているという状態だった。
痛いと感じて、それを脳で認識して、でも気持ちいいと判断を下しているような感じだった。
だけど、あのときは『痛くされると(しかもそこそこの痛さ)、体が気持ちよくなる』という現象がまず起きた。
痛いと感じて、脳では痛いという認識と判断を下している最中にも関わらず、その前に瞬時に体が快感を感じていたのだ。
体が勝手に反応する条件反射と近いと思う。
脳が認識や判断をする前に別の回路が繋がって、勝手に快感物質を放出するようになっているみたい(これだって、脳科学とか?では脳が指令を出しているのでしょうから、あくまで文系の感覚ね^^;)
おそらく、長い時間かけた『痛いこと→いずれ気持ちよくなる』という経験が『痛いこと=体の快感』という回路を繋げたのではないだろうか。
特に、ここしばらくは痛いことを集中していたから、よりそうなりやすかったのかもしれない。
だから、あんなに苦手な痛みだったのに最初の3発だけで、もう快感を感じてしまったのではないかなって思う。
どうしてあんなに痛いことであんなに濡れて快感を覚えるのか、それは那智さんとの関係や那智さんの力量、あとは、もしかしたら、わたしの精神的肉体的な資質もあるのかもしれない、とにかく、その積み重ねが快感物質を放出する扉をゆるゆるにしてしまったのだ。
意識として判断を下す前に、体が快感の反応をする。
とても不思議な感覚だった。
でも、これにはちょっと戸惑う。
いままですごく痛くないとあの状態になれないとか、那智さんとふたりっきりの空間だからそうなれるのだとか言っていたけど、この回路がちゃんと繋がったら、もしかしたら、どこでも『痛くされる』だけですぐ体が気持いいと反応してしまうかもしれないからだ。
まあ、なかなか一筋縄ではいかないと思うけど、たとえば電車の中でつねられただけで【痴人状態】になる日が来てしまう?なんて想像して、無理だよね?と思いつつ、ちょっと戸惑い、でも、その理性手放し状態はちょっと憧れる。
で、那智さんの満足感の少なさの原因のひとつは、この回路のせいなのではないかなと思う。
わたしとしてはすぐ気持ちよくなれたからうれしかったのだけど、那智さんはきっと『コントロールするよろこび』も満足のひとつなんだ。
もちろん、あのわたしだって那智さんのコントロール下だからこそなんだけど、いつものように反応と気分のバランスを見て打ち方をコントロールし、それによりわたしがどんどん変化していく過程が上下の上の楽しみなのだろう。
それがほとんどなくてすぐ快感になってしまったから、ちょっとつまらなかったのではないでしょうか^^
でも、もしそうだったとして、これはちょっと新たな懸案事項だ。
わたしは痛いことが快感になり痴人状態を味わえることは代え難い幸福なんだけど、そこには那智さんがそうしたいと思うことも幸福な条件だったりする。
最近は『マゾのりん子』をとても好いてもらっていて、那智さんの打ちたいテンションとわたしの被虐欲がよい具合に一致していたから、本当にうれしかった。
でも、この回路が繋がってしまったら、『那智さんである』ことは当然必須ではあるけど、それ以外の細かいコントロールが必要なくなってしまうわけで那智さんが楽しいと思わなくなってしまうかもしれない。
そうはいっても、那智さんは好きな女をよろこばせることが好きなので、変わらず痛いことをしてくれると思うけど、打ちたいと打たれたいの双方の欲望のバランスがいまとは変わってきてしまうことが、ちょっと残念になっちゃう^^;
りん子がよろこぶから打つだけじゃなくて、りん子を打ちたいから打つもあってほしいのだ。
まあ、そしたら鞭はしばらくお預けとかという方法を取ったりして、那智さん自身が楽しめるようにご自分をコントロールしてくれるでしょうけど、せっかく気持ちいい回路が繋がったような気がしているから、惜しいなぁとも思う。
だって、痛いものは痛いんだもん、早く【あの世界】に行かれるほうがいいに決まってる(笑)
那智さんも『苦痛の末の快感』という道筋がお好みなのかなぁ。
そういうSMのお決まりパターンはお好きじゃないと思っていたけれど(笑)
ここは、つねるだけでどんな場所にいても痴人状態になるりん子作りに楽しみを見出していただけるとうれしいなぁ。
と、これを書いているいまですが、じつは那智さんお忙しくて2週間も痛いことから遠ざかっていまして、次痛いことをされたら回路詰まりまくっていて、ぜんぜんへなちょこかもしれないということもあり得るので、そんなに簡単に快感回路完成しないかもと思ったりもしている^^;
満足がイマイチだったのはわたしの快感回路が理由のひとつかもしれないけど、その時々によって回路の繋がり方は違ってくるでしょうから、それも含めて楽しんでいただきたいなと思うのだ。
<関連エントリー>
痴人状態いろいろ
『鞭!鞭!鞭!』
『那智さん仕様(思い通りになる)』
『痛みから生まれるもの』
『溺愛1 2 3』
あの世界いろいろ
『徒然に『あの世界』』
『ひっくり返ったカエル』
『おもらし』
「等式」感想です。だから、回路、スイッチの存在場所の確認と通常回路として使用出来るように開発を続けることを考えています。理想的にはWi-Fiのようにどこでも接続、高品質なんて言うのも楽しいですね。確かに私がスイッチを管理できないことに不満があるのかもしれません。(笑)
さて、前エントリーの『乗馬鞭(仮)』では那智さんはいつもより満足度が低かったそうだ。
お仕事の電話で何度か中断したこともひとつの要因。
あと、おそらく那智さんはゴムのバラ鞭の『打撃感』も満足に繋がるので、いつもより軽い乗馬鞭(仮)だけしか使わなかったから、打った!!という満足感が不十分だったとも想像できる。
どれも正解、原因はひとつじゃないよね。
ところで、『乗馬鞭(仮)』のときわたしは新しい感覚を覚えた。
痛いけど、気持ちいい。
痛いことが気持ちいい。
痛みと快感に関していろいろ表現されるよね。
で、この日、はじめて憶えた感覚は『痛くされると、体が気持ちよくなる』だった。
この違い、上手に表現できるか自信ないけど、
いままでのわたしにとって『痛いけど気持ちいい』とか『痛いことが気持ちいい』というのは、そのように判断しているとか、そのように認識しているという状態だった。
痛いと感じて、それを脳で認識して、でも気持ちいいと判断を下しているような感じだった。
だけど、あのときは『痛くされると(しかもそこそこの痛さ)、体が気持ちよくなる』という現象がまず起きた。
痛いと感じて、脳では痛いという認識と判断を下している最中にも関わらず、その前に瞬時に体が快感を感じていたのだ。
体が勝手に反応する条件反射と近いと思う。
脳が認識や判断をする前に別の回路が繋がって、勝手に快感物質を放出するようになっているみたい(これだって、脳科学とか?では脳が指令を出しているのでしょうから、あくまで文系の感覚ね^^;)
おそらく、長い時間かけた『痛いこと→いずれ気持ちよくなる』という経験が『痛いこと=体の快感』という回路を繋げたのではないだろうか。
特に、ここしばらくは痛いことを集中していたから、よりそうなりやすかったのかもしれない。
だから、あんなに苦手な痛みだったのに最初の3発だけで、もう快感を感じてしまったのではないかなって思う。
どうしてあんなに痛いことであんなに濡れて快感を覚えるのか、それは那智さんとの関係や那智さんの力量、あとは、もしかしたら、わたしの精神的肉体的な資質もあるのかもしれない、とにかく、その積み重ねが快感物質を放出する扉をゆるゆるにしてしまったのだ。
意識として判断を下す前に、体が快感の反応をする。
とても不思議な感覚だった。
でも、これにはちょっと戸惑う。
いままですごく痛くないとあの状態になれないとか、那智さんとふたりっきりの空間だからそうなれるのだとか言っていたけど、この回路がちゃんと繋がったら、もしかしたら、どこでも『痛くされる』だけですぐ体が気持いいと反応してしまうかもしれないからだ。
まあ、なかなか一筋縄ではいかないと思うけど、たとえば電車の中でつねられただけで【痴人状態】になる日が来てしまう?なんて想像して、無理だよね?と思いつつ、ちょっと戸惑い、でも、その理性手放し状態はちょっと憧れる。
で、那智さんの満足感の少なさの原因のひとつは、この回路のせいなのではないかなと思う。
わたしとしてはすぐ気持ちよくなれたからうれしかったのだけど、那智さんはきっと『コントロールするよろこび』も満足のひとつなんだ。
もちろん、あのわたしだって那智さんのコントロール下だからこそなんだけど、いつものように反応と気分のバランスを見て打ち方をコントロールし、それによりわたしがどんどん変化していく過程が上下の上の楽しみなのだろう。
それがほとんどなくてすぐ快感になってしまったから、ちょっとつまらなかったのではないでしょうか^^
でも、もしそうだったとして、これはちょっと新たな懸案事項だ。
わたしは痛いことが快感になり痴人状態を味わえることは代え難い幸福なんだけど、そこには那智さんがそうしたいと思うことも幸福な条件だったりする。
最近は『マゾのりん子』をとても好いてもらっていて、那智さんの打ちたいテンションとわたしの被虐欲がよい具合に一致していたから、本当にうれしかった。
でも、この回路が繋がってしまったら、『那智さんである』ことは当然必須ではあるけど、それ以外の細かいコントロールが必要なくなってしまうわけで那智さんが楽しいと思わなくなってしまうかもしれない。
そうはいっても、那智さんは好きな女をよろこばせることが好きなので、変わらず痛いことをしてくれると思うけど、打ちたいと打たれたいの双方の欲望のバランスがいまとは変わってきてしまうことが、ちょっと残念になっちゃう^^;
りん子がよろこぶから打つだけじゃなくて、りん子を打ちたいから打つもあってほしいのだ。
まあ、そしたら鞭はしばらくお預けとかという方法を取ったりして、那智さん自身が楽しめるようにご自分をコントロールしてくれるでしょうけど、せっかく気持ちいい回路が繋がったような気がしているから、惜しいなぁとも思う。
だって、痛いものは痛いんだもん、早く【あの世界】に行かれるほうがいいに決まってる(笑)
那智さんも『苦痛の末の快感』という道筋がお好みなのかなぁ。
そういうSMのお決まりパターンはお好きじゃないと思っていたけれど(笑)
ここは、つねるだけでどんな場所にいても痴人状態になるりん子作りに楽しみを見出していただけるとうれしいなぁ。
と、これを書いているいまですが、じつは那智さんお忙しくて2週間も痛いことから遠ざかっていまして、次痛いことをされたら回路詰まりまくっていて、ぜんぜんへなちょこかもしれないということもあり得るので、そんなに簡単に快感回路完成しないかもと思ったりもしている^^;
満足がイマイチだったのはわたしの快感回路が理由のひとつかもしれないけど、その時々によって回路の繋がり方は違ってくるでしょうから、それも含めて楽しんでいただきたいなと思うのだ。
<関連エントリー>
痴人状態いろいろ
『鞭!鞭!鞭!』
『那智さん仕様(思い通りになる)』
『痛みから生まれるもの』
『溺愛1 2 3』
あの世界いろいろ
『徒然に『あの世界』』
『ひっくり返ったカエル』
『おもらし』
「等式」感想です。だから、回路、スイッチの存在場所の確認と通常回路として使用出来るように開発を続けることを考えています。理想的にはWi-Fiのようにどこでも接続、高品質なんて言うのも楽しいですね。確かに私がスイッチを管理できないことに不満があるのかもしれません。(笑)
COMMENT
『イタイのキモチイイ』『イタイがキモチイイ』。 わかってくれてウレシイ(笑)。
…でもコレ、とってもメンドぃのですorz
…でもコレ、とってもメンドぃのですorz
ゆう。さん
ああ、わたしも嬉しい、共感、ありがとう♪♪
で、面倒だよね、本当ならないに越したことはないものだもんね。
しかも、痛いものは痛いし^^;
更新が病院の暇つぶしになれるといいなと願っていますよ^^
ああ、わたしも嬉しい、共感、ありがとう♪♪
で、面倒だよね、本当ならないに越したことはないものだもんね。
しかも、痛いものは痛いし^^;
更新が病院の暇つぶしになれるといいなと願っていますよ^^