徒然に『あの世界』
非日常的な日常
股縄というのをした。
腰に麻の縄が巻き付く姿はとても気恥ずかしい。
尾てい骨が擦れるところがすこし不安気な気持を表しているようだ。
今日はこれを巻いた腰に鞭を入れるようだ。
ああ、ダメ。
恐いと思ってしまった。
何度も書いているけれど、痛いことを受け入れ快感に変換して惚けた世界に連れて行ってもらうには恐怖心は邪魔なだけ。
鞭は毎回恐い、緊箍児の洗濯バサミを外すときはその後握り潰すことも想像できるから、恐怖に震える。
でも少しずつ少しずつ、それは快感に繋がるのだよと教えてもらってきたから、いまは大丈夫になっている。
以前、電マで柔らかいところがほんの僅かに痛んで針の先ほどに血が滲んでしまったことがあったけど、最中にそれを知った途端に、痛みなんて微塵もないのにもう恐くて恐くて仕方がなくなって、すぐ中止してもらったほど。
だから未知の恐怖が特にダメなんだろうな。
股縄をした状態での鞭。
これがはじめてだったから、恐い。
股縄以外はどこも縛られていないから自由な両手で枕を抱える。
大人しくお尻を差し出すけれど、あの不安気な尾てい骨に鞭がちょうど縄に当たったときの麻縄越しの痛みや、痛みをやり過ごすために大きく息を吐くときにウエストを締める縄の違和感などを想像してしまって、最初から逃げ腰だった。
『那智さん恐いです』を連呼してしまう。
いつもより強くない、でも、しっかりと痛いやり方で叩いてくれるけど、恐さが先に立ってしまうとぜんぜん受け入れられない。
まず最初に皮膚に当たるところは縄に当たる分いくらか痛さが和らいでいるくらいだけど、その次に当たる鞭の先端部分が縄の高さが加わっていつもより強く刺さるのだ。
縄の直径、数㎜だけでも、こんなに感じ方が違う。
もう恐いことだらけだ^^;
いつもより数段痛くないように打っているのに、大騒ぎ。
結局、あんまり恐がるので数発でおしまいにしてくれた。
わたしたちの間で『痛過ぎます』はセーフティワード。
だから『恐過ぎます』も『恥ずかし過ぎます』も基本的には通用しないのだけど、きっとここで恐がらせることは良い方向に繋がらない判断してくれたのだろう。
股縄+鞭は、見送り^^
『痛みから生まれるもの』というエントリーを書いたことがある。
痛みから生まれるものが、いいのだと。
泣いたり笑ったり、呂律が回らなくなったり。
痛いことは痛いのに、その痛いことが嬉しくてたまらないという精神状態がいとおしかったり。
普段味わえない世界に行かれることがいいのだ。
そしてわたしがその世界に行くには、本当に痛くないと行かれないのだ。
痛いことをされているシチュエーションがいいとか
那智さんがくれる痛みだからとか
刺激のひとつとしてとか
恐さと痛さを混同させてとか
では行かれないの。
痣くらいにはなるけど流血や骨折(大げさ?)をしない種類と程度ギリギリのところでしか作れないわたしにとって『本当に痛いこと』でないとダメなのだ。
それ以外の痛みは、結局ただの中くらいに痛いことを我慢している状態になってしまう。
で、『本当に痛いこと』を受け入れるには、余計な感情は極力排除したいのですね。
血が滲むくらいはあっても流血まではいかないよ。
痣はできるけど打撲にはならないよ。
痛いけど、ケガしないよ。
いつもより少し痛いけど、知っている痛さだよ。
こんなふうに不安要素をなくして純粋に『本当に痛いこと』だけに集中していたいのですね。
だから股縄+鞭とときのようにはじめてのことのときには、恐さが邪魔をしてギブアップしてしまうことがある。
恐らく、わたしが行きたい世界に那智さんに連れて行ってもらうのは、繰り返し慣れさせて少しずつじゃないと完成しない手間のかかることなのだと思う。
ギブアップしてしまって申し訳ない気持や残念な気持はあるけれど、こればかりは我慢していると痛いことが苦痛になってしまうので、また楽しみにが増えましたね〜くらいに思っていたいと思うのだ^^
で、トゲが刺さったくらいで絶望してしまうほどの恐がりなので、このギブアップはけっこうよくある^^;
『痛過ぎます』より、頻繁かもしれない^^
あ!!でも、例えばビンタみたいなものは痛みよりも『ビンタ』だからいいというのもあるし、針はあの恐怖感に濡れてしまっていたのだから、これはひとつのケースということになるのかな。
ひとくちに『痛いこと』と言っても、いろいろある^^
わたしにとってのあの世界は、ギリギリの痛さが必要で、それを受け入れるには恐さは払拭してほしいなということなのです。
<関連エントリー>
ビンタ『バイオレンス^^』
針〜『恐怖体験』
今日の「等式」感想です。飾り程度の股縄なのにダメでしたね。痛覚を伴う2つの刺激にもりん子は弱いかもしれない。洗濯ばさみを使いながら鞭とかね。他の話だけれど「鞭を入れる」の表現はかっこよいですね、確かにその表現が合っている程、強く「入れて」いますが。(笑)
股縄というのをした。
腰に麻の縄が巻き付く姿はとても気恥ずかしい。
尾てい骨が擦れるところがすこし不安気な気持を表しているようだ。
今日はこれを巻いた腰に鞭を入れるようだ。
ああ、ダメ。
恐いと思ってしまった。
何度も書いているけれど、痛いことを受け入れ快感に変換して惚けた世界に連れて行ってもらうには恐怖心は邪魔なだけ。
鞭は毎回恐い、緊箍児の洗濯バサミを外すときはその後握り潰すことも想像できるから、恐怖に震える。
でも少しずつ少しずつ、それは快感に繋がるのだよと教えてもらってきたから、いまは大丈夫になっている。
以前、電マで柔らかいところがほんの僅かに痛んで針の先ほどに血が滲んでしまったことがあったけど、最中にそれを知った途端に、痛みなんて微塵もないのにもう恐くて恐くて仕方がなくなって、すぐ中止してもらったほど。
だから未知の恐怖が特にダメなんだろうな。
股縄をした状態での鞭。
これがはじめてだったから、恐い。
股縄以外はどこも縛られていないから自由な両手で枕を抱える。
大人しくお尻を差し出すけれど、あの不安気な尾てい骨に鞭がちょうど縄に当たったときの麻縄越しの痛みや、痛みをやり過ごすために大きく息を吐くときにウエストを締める縄の違和感などを想像してしまって、最初から逃げ腰だった。
『那智さん恐いです』を連呼してしまう。
いつもより強くない、でも、しっかりと痛いやり方で叩いてくれるけど、恐さが先に立ってしまうとぜんぜん受け入れられない。
まず最初に皮膚に当たるところは縄に当たる分いくらか痛さが和らいでいるくらいだけど、その次に当たる鞭の先端部分が縄の高さが加わっていつもより強く刺さるのだ。
縄の直径、数㎜だけでも、こんなに感じ方が違う。
もう恐いことだらけだ^^;
いつもより数段痛くないように打っているのに、大騒ぎ。
結局、あんまり恐がるので数発でおしまいにしてくれた。
わたしたちの間で『痛過ぎます』はセーフティワード。
だから『恐過ぎます』も『恥ずかし過ぎます』も基本的には通用しないのだけど、きっとここで恐がらせることは良い方向に繋がらない判断してくれたのだろう。
股縄+鞭は、見送り^^
『痛みから生まれるもの』というエントリーを書いたことがある。
痛みから生まれるものが、いいのだと。
泣いたり笑ったり、呂律が回らなくなったり。
痛いことは痛いのに、その痛いことが嬉しくてたまらないという精神状態がいとおしかったり。
普段味わえない世界に行かれることがいいのだ。
そしてわたしがその世界に行くには、本当に痛くないと行かれないのだ。
痛いことをされているシチュエーションがいいとか
那智さんがくれる痛みだからとか
刺激のひとつとしてとか
恐さと痛さを混同させてとか
では行かれないの。
痣くらいにはなるけど流血や骨折(大げさ?)をしない種類と程度ギリギリのところでしか作れないわたしにとって『本当に痛いこと』でないとダメなのだ。
それ以外の痛みは、結局ただの中くらいに痛いことを我慢している状態になってしまう。
で、『本当に痛いこと』を受け入れるには、余計な感情は極力排除したいのですね。
血が滲むくらいはあっても流血まではいかないよ。
痣はできるけど打撲にはならないよ。
痛いけど、ケガしないよ。
いつもより少し痛いけど、知っている痛さだよ。
こんなふうに不安要素をなくして純粋に『本当に痛いこと』だけに集中していたいのですね。
だから股縄+鞭とときのようにはじめてのことのときには、恐さが邪魔をしてギブアップしてしまうことがある。
恐らく、わたしが行きたい世界に那智さんに連れて行ってもらうのは、繰り返し慣れさせて少しずつじゃないと完成しない手間のかかることなのだと思う。
ギブアップしてしまって申し訳ない気持や残念な気持はあるけれど、こればかりは我慢していると痛いことが苦痛になってしまうので、また楽しみにが増えましたね〜くらいに思っていたいと思うのだ^^
で、トゲが刺さったくらいで絶望してしまうほどの恐がりなので、このギブアップはけっこうよくある^^;
『痛過ぎます』より、頻繁かもしれない^^
あ!!でも、例えばビンタみたいなものは痛みよりも『ビンタ』だからいいというのもあるし、針はあの恐怖感に濡れてしまっていたのだから、これはひとつのケースということになるのかな。
ひとくちに『痛いこと』と言っても、いろいろある^^
わたしにとってのあの世界は、ギリギリの痛さが必要で、それを受け入れるには恐さは払拭してほしいなということなのです。
<関連エントリー>
ビンタ『バイオレンス^^』
針〜『恐怖体験』
今日の「等式」感想です。飾り程度の股縄なのにダメでしたね。痛覚を伴う2つの刺激にもりん子は弱いかもしれない。洗濯ばさみを使いながら鞭とかね。他の話だけれど「鞭を入れる」の表現はかっこよいですね、確かにその表現が合っている程、強く「入れて」いますが。(笑)
- 関連記事
-
- いつもね、こんなふうにすごしているの^^1 2014/04/26
- 温度差 2011/06/19
- 本当に怖いのは? 2006/11/27
COMMENT
痛い を受け入れる感覚って人それぞれで面白いですねぇ。
注射は怖いけど、SMってカテゴリなら針はOKとか思ってる私。
注射嫌だけど、血液抜くのは好き、とか
美味く説明できないけど、自分の中ではそれぞれ受け入れる理屈があるんだろうなぁ。
注射は怖いけど、SMってカテゴリなら針はOKとか思ってる私。
注射嫌だけど、血液抜くのは好き、とか
美味く説明できないけど、自分の中ではそれぞれ受け入れる理屈があるんだろうなぁ。
どうして焦がれてしまうんでしょうね^^;
私はまだ鞭を使われた事がないので…やはり未知の痛みには怖さが先に立ってしまいます。
痛みに慣れてしまっても多分ダメな気がするし…ギリギリの快楽って、魅力的です(笑)
私はまだ鞭を使われた事がないので…やはり未知の痛みには怖さが先に立ってしまいます。
痛みに慣れてしまっても多分ダメな気がするし…ギリギリの快楽って、魅力的です(笑)
薫さん
その理屈のようなものがわたしは『痛さと恐さを分ける』ことなのかもしれないな〜。
わたしはものすごい恐がりで痛いことに強い人間なのかもしれない。
これはM女として、どうなんだろ?
恐い恐いと大騒ぎするくせに本気で痛くないとダメなんて、面倒なM女な気がします(笑)
その理屈のようなものがわたしは『痛さと恐さを分ける』ことなのかもしれないな〜。
わたしはものすごい恐がりで痛いことに強い人間なのかもしれない。
これはM女として、どうなんだろ?
恐い恐いと大騒ぎするくせに本気で痛くないとダメなんて、面倒なM女な気がします(笑)
ライラックさん
鞭にもいろいろあるみたいだから、徐々に慣らしてもらうこともできますよね。
(わたしは、いきなり強烈だったけど^^;)
その際に、恐さと痛さを分けて考えたらけっこう大丈夫かも。
あ、いや、する側は恐がらせたい気持もあるかもしれないから、わたしみたいに頭で考えないほうが可愛いかも(笑)
痛みは、慣れるという危険性もありますよね。
そういった意味でも徐々にがいいですね^^
鞭にもいろいろあるみたいだから、徐々に慣らしてもらうこともできますよね。
(わたしは、いきなり強烈だったけど^^;)
その際に、恐さと痛さを分けて考えたらけっこう大丈夫かも。
あ、いや、する側は恐がらせたい気持もあるかもしれないから、わたしみたいに頭で考えないほうが可愛いかも(笑)
痛みは、慣れるという危険性もありますよね。
そういった意味でも徐々にがいいですね^^