痛みから生まれるもの
非日常的な日常
もともと被虐願望があるのだから、痛いことを望むのは当たり前なのでしょうけど。
その痛いことにも『純粋に痛さがほしい』という気持ちより、痛いことで思い切り泣き叫んだりして我を忘れたいというような、痛いことから生まれるものを望んでいるところもあるみたい。
痛いことは、気持ちいいことよりも恥ずかしいことよりも、さらに我を忘れる状態になれる。
ただわたしは『可愛がられたい』と思っているので、被虐といっても行為は酷いことでもそこに流れる空気や精神的には甘いものがベースになっていると思う。
我を忘れるとか頭が真っ白とまでは言い難いけど(だって、ブログに書けちゃってるからね)、痴人状態になれるようになってからは、ずいぶんと手放せる機会が増えた。
快感は進化するなと思う。
それに応じて自分の反応の変化が面白い。
先日、鞭打ちをした。
鞭を使うのはちょっと久しぶりで、実は、かなり怖いと思うようになってしまっていた。
痛いことは間が空くと、怖さは増す。
この先ずっと鞭をしないと言われれば、それは困ると思うけど、間が空けば空くほど使わなかったことに安堵していることを自覚していた。
そんな安堵を何回か繰り返したある日、久しぶりに鞭を使ったのだ。
その前から、最近していないから鞭が怖いと伝えてあったので、それでもするのか、それだからするのか、どちらにしても那智さんに委ねるしかないなと、ちょっと諦め気分。
でも、その鞭を打つきっかけが「可愛いと感じたから、打ちたくなった」なの*^^*
そんなん言われたら『委ねる』気持ちになりますよね〜♪
最初に振り下ろされた一発は、それほど強い力じゃなかった。
きっと怖がっていたから様子を見ながら調整してくれるのだよね。
わたしから恐怖を取り除いてくれようとしていることに感謝しなきゃいけないのだけど、それより『怖い』が先に立ってしまって、思わず聞いてしまった。
「いまのは、どのくらいの強さですか?」
わたしは、時々そう聞くの。
それは、いま自分が感じている痛さと那智さんの力加減にギャップがないか確認したいのね。
あはは、ここにも『共感』を望むわたし。
このちょっとだけ痛い打ち方は那智さんにとってどんな位置づけなんだろうと思ったの。
位置を確認することで『共感』を生み、怖さを払拭させようとしたんだね。
それが那智さんには違うように取られてしまった。
その後の二発目から、ふだんのMAXに近い力で打ち出すのだ。
「そんなふうに聞くってことは、痛さが物足りないからだね」って。
違います!!
そういうつもりじゃないの!!
そんなふうに思うけど、それを口にすることもできないくらいの強烈な鞭の雨。
この日は珍しく照明を落としていたから、いつもよりピンポイントにヒットしないんだ。
だから、肉の薄いところにヒットするし、鞭の尖った先端が体に巻き付くし、とてもとても痛い。
痛すぎて、怖さもどこかに吹き飛び、わたしはこれを待っていたのだと思う。
そのうち、強烈な力で打たれて、痛がりながら『くすくす』と笑い出す。
ああ、すこしおかしくなっちゃったと自分を見る。
まったく手放すという状態ではないけれど、そのおかしな自分を自分が見つめるという感じ。
このふわふわした感覚は体も心も気持ちいいんだ。
完全に正気に戻ることはないけれど正気の浮き沈みはあって、くすくすしながらもときどき焦点が合ったりばやけたりを繰り返す。
その少し正気よりになったときに『怖い』と思った。
そして、それをそのまま伝えた。
でも、呂律が回ってないみたい。
「こ、わい」
そう言って両手を広げて那智さんに近寄る。
那智さんはわたしを抱きしめてくれる。
「どうして?りん子自分が怖いんじゃない?」
そうかもしれない。
どんどんおかしくなっていく自分が怖いのかもしれない。
でも、正気の浮き沈みの中、それを認めたくないわたしがいた。
それを認めてしまったら、おかしいわたしを認めてしまうことになる(こんなになっても、まだ抵抗している)、それに認めたら、もっと怖くなってしまいそうだもの。
「りん子、自分が怖いんじゃない?」
那智さんに抱きつきながら首を振る。
「ううん。」
「じゃ、俺が怖いの?」
「ううん。」
薄暗いベッドに投げ出された鞭が見えた。
「…あいつが怖いの。あいつが…。」
わたし、何言ってるの!?
ばかみたい、鞭のせいにしている。
那智さんの陰に隠れるようにして鞭を指差し、呂律の回らない口調で鞭に悪態ついている。
普段なら絶対理屈に合わない理由で人のせいになんかしないし、『あいつが』なんて言い方もしない。
そのわたしが、鞭に悪態ついている。
こっそりと告げ口をして、責任転嫁するような姑息な言動。
わかりやすい悪知恵を働かせる子供のようだ。
普段の自分は絶対にしないようなことをしてしまえる。
こんなふうに、新しい自分の反応を見ると、ああ、また少し手放せたなってちょっと感慨深くなる。
この後、わたしに責任をなすりつけられた鞭が容赦なく那智さんの手によってわたしを散々痛め付けた。
最後には、高笑いをし出すわたし。
わはははと高笑いするわたしを那智さんがぎゅーっと抱きしめた。
そしたら、今度は急に涙が溢れて、「こわいよ〜〜」とわんわん泣き出してしまった。
もう一回那智さんが聞いた。
「りん子、自分が怖いんだろ?おかしくなっちゃって。」
「うわーーーーん。」
泣きながら頷く。
ずるいわたし。
痛いことで喜ぶわたし。
どんどんおかしくなっていくわたしを認めてあげられた。
「大丈夫、俺がついているからね。」
そうか、大丈夫なんだね。
安心して手放していいだね。
そう思って、いっぱいいっぱい泣いた。
那智さんは、かつては『自分で耐えられることしかしない』が信条で痛いことや汚いことをしてきたけれど、しばらく前から、その信条はやめたそうです。
わたしにする痛みは到底耐えられそうにないらしい。
この前の試しに自分の足を靴べらで叩いていた。
一発だけで、負けず嫌いの那智さんが「いってぇ〜」と踞ってしまった。
で、そのあと出た台詞が。
「りん子、ばかじゃない!?」
ばかぁ?
それを作ったのはあなたでしょ!?
理不尽なことを口走ることができる手放し状態ならば、全部那智さんのせいにするけれど、一応正気なので、ここは連帯責任ということで。
だから、ふたりして『ばか』です(笑)
痛みの先に生まれるもの。
それを重ねると自分の反応に変化が起きる。
理不尽なことを口走るという反応が現れて、ちょっとおもしろかった。
これの手放せる瞬間はわたしがほしいと望むのものなんだと思う。
もともと被虐願望があるのだから、痛いことを望むのは当たり前なのでしょうけど。
その痛いことにも『純粋に痛さがほしい』という気持ちより、痛いことで思い切り泣き叫んだりして我を忘れたいというような、痛いことから生まれるものを望んでいるところもあるみたい。
痛いことは、気持ちいいことよりも恥ずかしいことよりも、さらに我を忘れる状態になれる。
ただわたしは『可愛がられたい』と思っているので、被虐といっても行為は酷いことでもそこに流れる空気や精神的には甘いものがベースになっていると思う。
我を忘れるとか頭が真っ白とまでは言い難いけど(だって、ブログに書けちゃってるからね)、痴人状態になれるようになってからは、ずいぶんと手放せる機会が増えた。
快感は進化するなと思う。
それに応じて自分の反応の変化が面白い。
先日、鞭打ちをした。
鞭を使うのはちょっと久しぶりで、実は、かなり怖いと思うようになってしまっていた。
痛いことは間が空くと、怖さは増す。
この先ずっと鞭をしないと言われれば、それは困ると思うけど、間が空けば空くほど使わなかったことに安堵していることを自覚していた。
そんな安堵を何回か繰り返したある日、久しぶりに鞭を使ったのだ。
その前から、最近していないから鞭が怖いと伝えてあったので、それでもするのか、それだからするのか、どちらにしても那智さんに委ねるしかないなと、ちょっと諦め気分。
でも、その鞭を打つきっかけが「可愛いと感じたから、打ちたくなった」なの*^^*
そんなん言われたら『委ねる』気持ちになりますよね〜♪
最初に振り下ろされた一発は、それほど強い力じゃなかった。
きっと怖がっていたから様子を見ながら調整してくれるのだよね。
わたしから恐怖を取り除いてくれようとしていることに感謝しなきゃいけないのだけど、それより『怖い』が先に立ってしまって、思わず聞いてしまった。
「いまのは、どのくらいの強さですか?」
わたしは、時々そう聞くの。
それは、いま自分が感じている痛さと那智さんの力加減にギャップがないか確認したいのね。
あはは、ここにも『共感』を望むわたし。
このちょっとだけ痛い打ち方は那智さんにとってどんな位置づけなんだろうと思ったの。
位置を確認することで『共感』を生み、怖さを払拭させようとしたんだね。
それが那智さんには違うように取られてしまった。
その後の二発目から、ふだんのMAXに近い力で打ち出すのだ。
「そんなふうに聞くってことは、痛さが物足りないからだね」って。
違います!!
そういうつもりじゃないの!!
そんなふうに思うけど、それを口にすることもできないくらいの強烈な鞭の雨。
この日は珍しく照明を落としていたから、いつもよりピンポイントにヒットしないんだ。
だから、肉の薄いところにヒットするし、鞭の尖った先端が体に巻き付くし、とてもとても痛い。
痛すぎて、怖さもどこかに吹き飛び、わたしはこれを待っていたのだと思う。
そのうち、強烈な力で打たれて、痛がりながら『くすくす』と笑い出す。
ああ、すこしおかしくなっちゃったと自分を見る。
まったく手放すという状態ではないけれど、そのおかしな自分を自分が見つめるという感じ。
このふわふわした感覚は体も心も気持ちいいんだ。
完全に正気に戻ることはないけれど正気の浮き沈みはあって、くすくすしながらもときどき焦点が合ったりばやけたりを繰り返す。
その少し正気よりになったときに『怖い』と思った。
そして、それをそのまま伝えた。
でも、呂律が回ってないみたい。
「こ、わい」
そう言って両手を広げて那智さんに近寄る。
那智さんはわたしを抱きしめてくれる。
「どうして?りん子自分が怖いんじゃない?」
そうかもしれない。
どんどんおかしくなっていく自分が怖いのかもしれない。
でも、正気の浮き沈みの中、それを認めたくないわたしがいた。
それを認めてしまったら、おかしいわたしを認めてしまうことになる(こんなになっても、まだ抵抗している)、それに認めたら、もっと怖くなってしまいそうだもの。
「りん子、自分が怖いんじゃない?」
那智さんに抱きつきながら首を振る。
「ううん。」
「じゃ、俺が怖いの?」
「ううん。」
薄暗いベッドに投げ出された鞭が見えた。
「…あいつが怖いの。あいつが…。」
わたし、何言ってるの!?
ばかみたい、鞭のせいにしている。
那智さんの陰に隠れるようにして鞭を指差し、呂律の回らない口調で鞭に悪態ついている。
普段なら絶対理屈に合わない理由で人のせいになんかしないし、『あいつが』なんて言い方もしない。
そのわたしが、鞭に悪態ついている。
こっそりと告げ口をして、責任転嫁するような姑息な言動。
わかりやすい悪知恵を働かせる子供のようだ。
普段の自分は絶対にしないようなことをしてしまえる。
こんなふうに、新しい自分の反応を見ると、ああ、また少し手放せたなってちょっと感慨深くなる。
この後、わたしに責任をなすりつけられた鞭が容赦なく那智さんの手によってわたしを散々痛め付けた。
最後には、高笑いをし出すわたし。
わはははと高笑いするわたしを那智さんがぎゅーっと抱きしめた。
そしたら、今度は急に涙が溢れて、「こわいよ〜〜」とわんわん泣き出してしまった。
もう一回那智さんが聞いた。
「りん子、自分が怖いんだろ?おかしくなっちゃって。」
「うわーーーーん。」
泣きながら頷く。
ずるいわたし。
痛いことで喜ぶわたし。
どんどんおかしくなっていくわたしを認めてあげられた。
「大丈夫、俺がついているからね。」
そうか、大丈夫なんだね。
安心して手放していいだね。
そう思って、いっぱいいっぱい泣いた。
那智さんは、かつては『自分で耐えられることしかしない』が信条で痛いことや汚いことをしてきたけれど、しばらく前から、その信条はやめたそうです。
わたしにする痛みは到底耐えられそうにないらしい。
この前の試しに自分の足を靴べらで叩いていた。
一発だけで、負けず嫌いの那智さんが「いってぇ〜」と踞ってしまった。
で、そのあと出た台詞が。
「りん子、ばかじゃない!?」
ばかぁ?
それを作ったのはあなたでしょ!?
理不尽なことを口走ることができる手放し状態ならば、全部那智さんのせいにするけれど、一応正気なので、ここは連帯責任ということで。
だから、ふたりして『ばか』です(笑)
痛みの先に生まれるもの。
それを重ねると自分の反応に変化が起きる。
理不尽なことを口走るという反応が現れて、ちょっとおもしろかった。
これの手放せる瞬間はわたしがほしいと望むのものなんだと思う。
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