精神的SMから派生したこと1 9:45追記あり
りん子的独り言(生意気)
エントリー内赤字で追記をしました。
今日は『精神的SM』にいただいた毒蜘蛛さんのコメントへのレスをエントリーにいたします。
毒蜘蛛さん宛てに書きはじめてどんどんエントリーになっていきますので、最初は毒蜘蛛さんへのメッセージになりますが、これも含めてエントリーです^^
ですから、毒蜘蛛さんはコメントの義理はありませんよ^^
毒蜘蛛さん
コメントありがとうございます。
日頃の『りん子的独り言(生意気)』のときは、主張はするけどできるだけ『否定せず』書くように努めています。
◯◯批判ではなく、わたし側の女性にヒントになるように。
でも、『140字もどき』はそのハードルを下げていてかなり偏った批判を書いてしまっていますので、その対象の人にとっては不快な思いをさせてしまう可能性は高いはずです。
わたしはエントリーを書くときにいろいろな人を思い浮かべます。
それぞれの内容によって思い浮かべる人は違いますが、その人たちに恥ずかしくないように書けているかって。
『140字もどき』のときももちろん思い浮かぶのですが、すこしだけいつもより「書きますよ(ごめんねとは思わないようにしています)」とちょっと気合い入れます。
あのエントリーを書きながら思い描く人は何人かいて、その中に毒蜘蛛さんもいました。
『SMは手段』と公言されていることを知っていたからです。
その毒蜘蛛さんからコメントをいただけただけでもありがたいのに、そのコメントに悪意が感じられないこともとてもうれしく思いました。
『精神的SM』の他の方へのコメントレスにも書きましたが、わたしが本当に言いたかったのは『Sじゃない人がご主人様をしていることはの批判』なんかじゃなくて、『言っていることとやっていることが違う』ことへの残念な気持ちだったわけですが、そこまで明確に読み取ってくださっているのではないにしても、おそらく、毒蜘蛛さんは、少なくとも『等式』を読んでくださっている人のご意見だと思えたことがありがたく、うれしかったです。
また、一方的なエントリーの場合は毒蜘蛛さんのように反対側からの悪意のないご意見というものは、風通しをよくすると思いますので助かります。
そんな気持ちも書きたい、この際(?)他にもいろいろ書きたいと思い、コメントレスをエントリーにすることにいたしました。
毒蜘蛛さん、ありがとうございます。
と長い前振り^^
毒蜘蛛さんは『罰』や『褒美』、自覚を促すためにSM行為を行うそうです。
そのような理由付けがないとSM行為はただの暴力行為になってしまうからだということです。
SM行為を暴力にしないために『罰』や『褒美』の目的のための手段と位置付けている毒蜘蛛さんのようなスタンスの『する側』の視点はどう思うかというコメントでした。
たしかに、暴力行為を己の快楽だけで行うことはとても危険ですから、手段として冷静に行うことは危険を回避する方法のひとつとして、こちら側も理解できます。
ですから、ただの暴力としてSM行為を行わないというスタンスは、身を任せる側としてはひとつの安心の要素ではあります。
まず。
このお話を進めるにあたり、毒蜘蛛さんとわたし(たち)の前提がまったく違うことはとても大事なこのなので、あらためて明記します。
毒蜘蛛さんと毒蜘蛛さんの求める女性はSM行為を『したくない人』と『されたくない人』の組み合わせで、那智さんとわたしは『したい人』と『されたい人』の組み合わせだということです。
なぜかというと、毒蜘蛛さんはSM行為が『罰』になりえるからです。
『褒美』という側面もあるそうですが、たとえば鞭は罰だけど、縛りはご褒美というようなことなのかな。(ちょっとここが情報不足で自信持って書けないです)
だとしても、罰という側面があるのであれば、罰=マイナスのことをいう認識があるわけで、『したくない人されたくない人』と言えますよね。
もちろんわたしたちだって、できないことややってはいけないことはあるけれど、全般を通してSM行為をしたいしされたいし、互いに性的興奮を憶えているわけで、やはり毒蜘蛛さんとSM行為に対する前提が違います。
ですから、『したくない人』『されたくない人』の組み合わせであれば、SM行為を『罰』や『褒美』のための手段であることは、あり得るのだと思います。
(やっぱり褒美は、ちょっと自信持って書けない、だって罰と褒美が同一になることがわからないので^^;)
だから、する側のスタンスとして『SM行為は目的ではなく手段』はあり得る、がコメントをいただいて一考した答えです。
毒蜘蛛さんとわたしたちは、そもそもSM行為に対する前提が違うという認識のもと、自分の好みの方法で自分のしたいことを楽しみましょう^^
補足でもうちょっと詰めると。
SM行為を『したくない人とされたい人』と『したい人とされたくない人』の組み合わせもありますよね。
『したくない人とされたい人』の場合、されたい人にSM行為をするわけで、これでは『罰』にはなりません。
また、『したい人とされたくない人』の場合は、したい人なんだからS嗜好ありなので、SM行為自体目的にもなりますから、SM行為は目的ではなく手段とは言えません。
ですから、この2組の場合はSM行為は『罰』を与える手段というのは辻妻合わないから、このお話を進めるにあたっては除外します。
まあ、物事ははっきり線引きできるものではありませんけど、危険なこともお任せするこちら側としてはする側から『なんとなく』というグレーゾーンを認められてしまうのは怖いので、あえてはっきり線引きしますね。
また、ここには、なぜ『罰』や『褒美』や自覚を促すことにSM行為を用いる必要があるのかという疑問は残ります。
人を変えたいと思うとき、Mだろうが関係なく一番必要なことは対話だと思うからです。
(これについては、また別の機会に詳しく^^)
と、ここからは、わたしたちのSM行為について。
というか那智さんのということがメインになるかな。
那智さんの考えを聞いてわたしなりに解釈したいつもの感じですので、毒蜘蛛さんへのレスとは切り離してお読みくださいませ^^
補足ですが、毒蜘蛛さんへのお返事を書くにあたり、『SM行為に対する前提が違う(『したい されたい』と『したくない されたくない』の組み合わせ)』という大きな柱は那智さんが立てたので、そこも含めて那智さんの柱とわたしの考えとご理解ください。
那智さんは少年の頃から縛られた女性に性的な興奮を憶え、好きな女の子にうんこを食べさせたいと思っていました。
思春期の頃、性的に惹かれるものはSMものでした。
これをS嗜好というなら、那智さんはS的嗜好を持った人です。
ただ那智さんは、おそらく生粋のサディスト(?)というわけではないので、とにかく暴力行為がしたい本当に嫌がっている姿を見て興奮するというわけではないのです。
自分が施すSM行為でその先に快楽を得ている女性を見たい、それで支配欲や肯定されたい欲を満たしたい。
そういう欲が強いのです。
ですから、わたしに鞭を打つとき、おしっこと飲ませるとき(飲尿ってSM?笑)、泣いたり厳しそうな表情をしたりしても、最後には幸福なり快感なりを味わうことが必要になってくるし、それが満足です。
そう考えると那智さんがわたしにSM行為をするのは、それで幸福にしたいという目的を持ってするわけで、じつは、手段であるともいえます。
毒蜘蛛さんとの違いは、互いにそれを求めているもの同士が行っているので、そこに『罰』や『褒美』の意味はなく、意味をつけるならその行為で互いに満たされ幸福になるためということになります。
(褒美の意味もないよ、だって那智さんもしたいことなんだからね、わかりますよね)
また一般的には暴力行為にあたるようなことを、好きな女に自由に行うために『可愛がる』行為と位置付け、これにより【SM行為における矛盾】も解消しているわけです。
ですから、那智さんは手段としてSM行為をしているといことでは毒蜘蛛さん他の男性と同じといえば同じです^^
『罰』(したくない、されたくない組み合わせ)か『可愛がる』(したい、されたい組み合わせ)か、目的が違うことですね。
すごーーーく大局的に見れば、『罰を与え、良好な関係を作る』、『可愛がり、良好な関係を作る』ということで『良好な関係を作る』という目的は同じかもしれないけど、毒蜘蛛さんのコメントにはそこまで明記されていなかったから、違うってことにしますよ(笑)
ただ、『したい人』である那智さんですから、サディスティックな欲望はもちろんあるわけで、それをためらいなく行うためにわたしが快感を味わえるように時間をかけて仕向けていきました。
わたしだって最初からいろいろなことが快感になったわけではないので、那智さんの調教(笑)の結果、鞭で【あの世界に行き】、那智さんの排泄物で興奮を憶えるようになりました。
感想の補足にも書きましたが、最初は『気持ちよくなりな』という可愛がる感情からスタートしますが、そんなふうにわたしが感じはじめて、そこからサディスティックな欲望で鞭を打つことを楽しめるそうです。
ですから、厳密にいうと手段であり、目的でもあるというのが正解です。
これが暴力行為にならない、那智さんのSM行為の手段と目的です。
そもそも前提(したいか、したくないか)から違っているのだから、どちらが正しいかなんて決められるものじゃないですよね。
どちらが、好きか、ということだけですね^^
で、わたしは『罰』なんてほしくないし(笑)、可愛がってもらいたし、那智さんのサディスティックな欲望にも触れたいので、那智さん流のSM行為が好きなわけです。
もう一度言いますが、『SMは目的ではなく手段』という男性を否定しているわけではありません。
精神のSMとかいいながら、いつのまにかSM行為をしなくなっちゃう『言ってることとやってることが違う』ことに違和感を感じたということなのですから。
(もしかしたら、『精神のSM』と『目的ではなく手段』を一緒に書かないほうが正解だったかもしれません。手段のみなさま、ごめんなさい!!)
だから、世の中には『言ってることとやってることが違う』ことなく、一貫してSM行為を手段として行っている男性もいるはずです。
だとしたら、こちら側は自分はSM行為を『されたくない人』なのか『されたい人』か、『罰』がいいのか『可愛がる』がいいのか、オプションで時折サディスティックな欲望も見せてほしいのか(笑)、見極める必要がありますよね^^
以上が、いただいたコメントのお返事とそこから長々思ったことです。
ということで、1エントリー稼がせていただいちゃいました。
毒蜘蛛さんに感謝です。
そして、これにはまだ続きがあります(笑)
かつてのわたしのような『依存体質』ちゃんたちへの、いつもの『りん子的独り言』です^^
だから、2エントリー分、稼いじゃう〜〜(笑)
クリックしていただけるとよろこびます^^
<関連エントリー>
『精神的SM』
SM行為における矛盾っぽいものを集めました、ちょっと違うのもあるかもしれないけど、とりあえず^^
『奴隷願望の矛盾』
『恋心も支配して♪』
『『絶対服従』のまやかしと『尊重』という逃げ』
『SMのスイッチ』
『スイッチのないSM』
『真のSMって!?』
『M女余り?』
依存体質ちゃん
『M女の種類』
いろいろな人を思い浮かべたりな、こんな気持ちで書いてます
『覚悟を決める時間』
『読み逃げOK』
『りん子的独り言って』
『かつてのわたしに』
「等式」感想です。私には幼い頃より性的に憧れるものがあった。正確には性的と判断つかない位幼い頃から本能の欲求見たいなものがあった。それがなんなのか理解出来た時は嬉しかったと同時に絶望した。一生その欲求を満たすことは難しいと思ったからだ。性的な情報はたくさんあるが選ぶのではなく、
自分の中から出る欲求や欲望に従って欲しいと思う。相手が必要なそれが多いとは思うから難しいこともあるかもしれないが、性的な欲求や欲望を満たす環境は今は整っていると思う。
エントリー内赤字で追記をしました。
今日は『精神的SM』にいただいた毒蜘蛛さんのコメントへのレスをエントリーにいたします。
毒蜘蛛さん宛てに書きはじめてどんどんエントリーになっていきますので、最初は毒蜘蛛さんへのメッセージになりますが、これも含めてエントリーです^^
ですから、毒蜘蛛さんはコメントの義理はありませんよ^^
毒蜘蛛さん
コメントありがとうございます。
日頃の『りん子的独り言(生意気)』のときは、主張はするけどできるだけ『否定せず』書くように努めています。
◯◯批判ではなく、わたし側の女性にヒントになるように。
でも、『140字もどき』はそのハードルを下げていてかなり偏った批判を書いてしまっていますので、その対象の人にとっては不快な思いをさせてしまう可能性は高いはずです。
わたしはエントリーを書くときにいろいろな人を思い浮かべます。
それぞれの内容によって思い浮かべる人は違いますが、その人たちに恥ずかしくないように書けているかって。
『140字もどき』のときももちろん思い浮かぶのですが、すこしだけいつもより「書きますよ(ごめんねとは思わないようにしています)」とちょっと気合い入れます。
あのエントリーを書きながら思い描く人は何人かいて、その中に毒蜘蛛さんもいました。
『SMは手段』と公言されていることを知っていたからです。
その毒蜘蛛さんからコメントをいただけただけでもありがたいのに、そのコメントに悪意が感じられないこともとてもうれしく思いました。
『精神的SM』の他の方へのコメントレスにも書きましたが、わたしが本当に言いたかったのは『Sじゃない人がご主人様をしていることはの批判』なんかじゃなくて、『言っていることとやっていることが違う』ことへの残念な気持ちだったわけですが、そこまで明確に読み取ってくださっているのではないにしても、おそらく、毒蜘蛛さんは、少なくとも『等式』を読んでくださっている人のご意見だと思えたことがありがたく、うれしかったです。
また、一方的なエントリーの場合は毒蜘蛛さんのように反対側からの悪意のないご意見というものは、風通しをよくすると思いますので助かります。
そんな気持ちも書きたい、この際(?)他にもいろいろ書きたいと思い、コメントレスをエントリーにすることにいたしました。
毒蜘蛛さん、ありがとうございます。
と長い前振り^^
毒蜘蛛さんは『罰』や『褒美』、自覚を促すためにSM行為を行うそうです。
そのような理由付けがないとSM行為はただの暴力行為になってしまうからだということです。
SM行為を暴力にしないために『罰』や『褒美』の目的のための手段と位置付けている毒蜘蛛さんのようなスタンスの『する側』の視点はどう思うかというコメントでした。
たしかに、暴力行為を己の快楽だけで行うことはとても危険ですから、手段として冷静に行うことは危険を回避する方法のひとつとして、こちら側も理解できます。
ですから、ただの暴力としてSM行為を行わないというスタンスは、身を任せる側としてはひとつの安心の要素ではあります。
まず。
このお話を進めるにあたり、毒蜘蛛さんとわたし(たち)の前提がまったく違うことはとても大事なこのなので、あらためて明記します。
毒蜘蛛さんと毒蜘蛛さんの求める女性はSM行為を『したくない人』と『されたくない人』の組み合わせで、那智さんとわたしは『したい人』と『されたい人』の組み合わせだということです。
なぜかというと、毒蜘蛛さんはSM行為が『罰』になりえるからです。
『褒美』という側面もあるそうですが、たとえば鞭は罰だけど、縛りはご褒美というようなことなのかな。(ちょっとここが情報不足で自信持って書けないです)
だとしても、罰という側面があるのであれば、罰=マイナスのことをいう認識があるわけで、『したくない人されたくない人』と言えますよね。
もちろんわたしたちだって、できないことややってはいけないことはあるけれど、全般を通してSM行為をしたいしされたいし、互いに性的興奮を憶えているわけで、やはり毒蜘蛛さんとSM行為に対する前提が違います。
ですから、『したくない人』『されたくない人』の組み合わせであれば、SM行為を『罰』や『褒美』のための手段であることは、あり得るのだと思います。
(やっぱり褒美は、ちょっと自信持って書けない、だって罰と褒美が同一になることがわからないので^^;)
だから、する側のスタンスとして『SM行為は目的ではなく手段』はあり得る、がコメントをいただいて一考した答えです。
毒蜘蛛さんとわたしたちは、そもそもSM行為に対する前提が違うという認識のもと、自分の好みの方法で自分のしたいことを楽しみましょう^^
補足でもうちょっと詰めると。
SM行為を『したくない人とされたい人』と『したい人とされたくない人』の組み合わせもありますよね。
『したくない人とされたい人』の場合、されたい人にSM行為をするわけで、これでは『罰』にはなりません。
また、『したい人とされたくない人』の場合は、したい人なんだからS嗜好ありなので、SM行為自体目的にもなりますから、SM行為は目的ではなく手段とは言えません。
ですから、この2組の場合はSM行為は『罰』を与える手段というのは辻妻合わないから、このお話を進めるにあたっては除外します。
まあ、物事ははっきり線引きできるものではありませんけど、危険なこともお任せするこちら側としてはする側から『なんとなく』というグレーゾーンを認められてしまうのは怖いので、あえてはっきり線引きしますね。
また、ここには、なぜ『罰』や『褒美』や自覚を促すことにSM行為を用いる必要があるのかという疑問は残ります。
人を変えたいと思うとき、Mだろうが関係なく一番必要なことは対話だと思うからです。
(これについては、また別の機会に詳しく^^)
と、ここからは、わたしたちのSM行為について。
というか那智さんのということがメインになるかな。
那智さんの考えを聞いてわたしなりに解釈したいつもの感じですので、毒蜘蛛さんへのレスとは切り離してお読みくださいませ^^
補足ですが、毒蜘蛛さんへのお返事を書くにあたり、『SM行為に対する前提が違う(『したい されたい』と『したくない されたくない』の組み合わせ)』という大きな柱は那智さんが立てたので、そこも含めて那智さんの柱とわたしの考えとご理解ください。
那智さんは少年の頃から縛られた女性に性的な興奮を憶え、好きな女の子にうんこを食べさせたいと思っていました。
思春期の頃、性的に惹かれるものはSMものでした。
これをS嗜好というなら、那智さんはS的嗜好を持った人です。
ただ那智さんは、おそらく生粋のサディスト(?)というわけではないので、とにかく暴力行為がしたい本当に嫌がっている姿を見て興奮するというわけではないのです。
自分が施すSM行為でその先に快楽を得ている女性を見たい、それで支配欲や肯定されたい欲を満たしたい。
そういう欲が強いのです。
ですから、わたしに鞭を打つとき、おしっこと飲ませるとき(飲尿ってSM?笑)、泣いたり厳しそうな表情をしたりしても、最後には幸福なり快感なりを味わうことが必要になってくるし、それが満足です。
そう考えると那智さんがわたしにSM行為をするのは、それで幸福にしたいという目的を持ってするわけで、じつは、手段であるともいえます。
毒蜘蛛さんとの違いは、互いにそれを求めているもの同士が行っているので、そこに『罰』や『褒美』の意味はなく、意味をつけるならその行為で互いに満たされ幸福になるためということになります。
(褒美の意味もないよ、だって那智さんもしたいことなんだからね、わかりますよね)
また一般的には暴力行為にあたるようなことを、好きな女に自由に行うために『可愛がる』行為と位置付け、これにより【SM行為における矛盾】も解消しているわけです。
ですから、那智さんは手段としてSM行為をしているといことでは毒蜘蛛さん他の男性と同じといえば同じです^^
『罰』(したくない、されたくない組み合わせ)か『可愛がる』(したい、されたい組み合わせ)か、目的が違うことですね。
すごーーーく大局的に見れば、『罰を与え、良好な関係を作る』、『可愛がり、良好な関係を作る』ということで『良好な関係を作る』という目的は同じかもしれないけど、毒蜘蛛さんのコメントにはそこまで明記されていなかったから、違うってことにしますよ(笑)
ただ、『したい人』である那智さんですから、サディスティックな欲望はもちろんあるわけで、それをためらいなく行うためにわたしが快感を味わえるように時間をかけて仕向けていきました。
わたしだって最初からいろいろなことが快感になったわけではないので、那智さんの調教(笑)の結果、鞭で【あの世界に行き】、那智さんの排泄物で興奮を憶えるようになりました。
感想の補足にも書きましたが、最初は『気持ちよくなりな』という可愛がる感情からスタートしますが、そんなふうにわたしが感じはじめて、そこからサディスティックな欲望で鞭を打つことを楽しめるそうです。
ですから、厳密にいうと手段であり、目的でもあるというのが正解です。
これが暴力行為にならない、那智さんのSM行為の手段と目的です。
そもそも前提(したいか、したくないか)から違っているのだから、どちらが正しいかなんて決められるものじゃないですよね。
どちらが、好きか、ということだけですね^^
で、わたしは『罰』なんてほしくないし(笑)、可愛がってもらいたし、那智さんのサディスティックな欲望にも触れたいので、那智さん流のSM行為が好きなわけです。
もう一度言いますが、『SMは目的ではなく手段』という男性を否定しているわけではありません。
精神のSMとかいいながら、いつのまにかSM行為をしなくなっちゃう『言ってることとやってることが違う』ことに違和感を感じたということなのですから。
(もしかしたら、『精神のSM』と『目的ではなく手段』を一緒に書かないほうが正解だったかもしれません。手段のみなさま、ごめんなさい!!)
だから、世の中には『言ってることとやってることが違う』ことなく、一貫してSM行為を手段として行っている男性もいるはずです。
だとしたら、こちら側は自分はSM行為を『されたくない人』なのか『されたい人』か、『罰』がいいのか『可愛がる』がいいのか、オプションで時折サディスティックな欲望も見せてほしいのか(笑)、見極める必要がありますよね^^
以上が、いただいたコメントのお返事とそこから長々思ったことです。
ということで、1エントリー稼がせていただいちゃいました。
毒蜘蛛さんに感謝です。
そして、これにはまだ続きがあります(笑)
かつてのわたしのような『依存体質』ちゃんたちへの、いつもの『りん子的独り言』です^^
だから、2エントリー分、稼いじゃう〜〜(笑)
クリックしていただけるとよろこびます^^
<関連エントリー>
『精神的SM』
SM行為における矛盾っぽいものを集めました、ちょっと違うのもあるかもしれないけど、とりあえず^^
『奴隷願望の矛盾』
『恋心も支配して♪』
『『絶対服従』のまやかしと『尊重』という逃げ』
『SMのスイッチ』
『スイッチのないSM』
『真のSMって!?』
『M女余り?』
依存体質ちゃん
『M女の種類』
いろいろな人を思い浮かべたりな、こんな気持ちで書いてます
『覚悟を決める時間』
『読み逃げOK』
『りん子的独り言って』
『かつてのわたしに』
「等式」感想です。私には幼い頃より性的に憧れるものがあった。正確には性的と判断つかない位幼い頃から本能の欲求見たいなものがあった。それがなんなのか理解出来た時は嬉しかったと同時に絶望した。一生その欲求を満たすことは難しいと思ったからだ。性的な情報はたくさんあるが選ぶのではなく、
自分の中から出る欲求や欲望に従って欲しいと思う。相手が必要なそれが多いとは思うから難しいこともあるかもしれないが、性的な欲求や欲望を満たす環境は今は整っていると思う。
- 関連記事
-
- Oの物語 2012/10/18
- ひとり加えること 2011/09/21
- 精神の露出6『再び露出考』 2012/02/19
COMMENT
このコメントは管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
や、ナニがって よくもまあここまで端的に 要領よく書き上げられるなって。わたしにはムリ。(T^T)ノ☆
わたしのナカのもやもや。見事に表現してくれました。感謝っ!
わたしのナカのもやもや。見事に表現してくれました。感謝っ!
じっくり 読ませていただきました。
続きが 楽しみです。
前に主とチャットをしていたとき
主が私に罰を与えようとしたのですが
“主がしてくださることは 何でも嬉しい”
と表現した私に
「それじゃぁ 罰にならないじゃん。」
と言われたことを 思い出しました。
続きが 楽しみです。
前に主とチャットをしていたとき
主が私に罰を与えようとしたのですが
“主がしてくださることは 何でも嬉しい”
と表現した私に
「それじゃぁ 罰にならないじゃん。」
と言われたことを 思い出しました。
ゆう。さん
いえいえ、わたしも整然とした文章は得意じゃないんですよ^^;
だから、四苦八苦でした。
でも、ゆう。さんがスッキリしてくれたなら、よかったー。
そもそもね、心の通った相手とする性行為はいいに決まっているんですよ。
そこにあえて精神なんて言葉を挟んで、なぜか「してほしい」にいろいろ理由をつけなきゃいけなくなっていて、ね、「あなたにしてほしい」で充分だと思うんです(^-^)
いえいえ、わたしも整然とした文章は得意じゃないんですよ^^;
だから、四苦八苦でした。
でも、ゆう。さんがスッキリしてくれたなら、よかったー。
そもそもね、心の通った相手とする性行為はいいに決まっているんですよ。
そこにあえて精神なんて言葉を挟んで、なぜか「してほしい」にいろいろ理由をつけなきゃいけなくなっていて、ね、「あなたにしてほしい」で充分だと思うんです(^-^)
tomoさん
そうそう、それはSMもしくは主従の矛盾ですよね。
主様、わたしの場合は那智さんがしてくれるなら何でも嬉しいならお仕置きにならないし、じゃあ、逆に指詰める?とか爪剥がす?とか、そんなことお仕置きにされても困るし、結局、お仕置きと言ってもふたりにとっていい具合に収まる種類のことになっちゃいますよね。
特に、継続してお付き合いしたいと思えば思うほど、それでいいんじゃないかなぁと思います。
わたしだったら、ホントにお仕置きするなら、数学の問題集とかが効くと思うんですけどね(笑)
じっくり読んでくれて、ありがとう(^-^)
そうそう、それはSMもしくは主従の矛盾ですよね。
主様、わたしの場合は那智さんがしてくれるなら何でも嬉しいならお仕置きにならないし、じゃあ、逆に指詰める?とか爪剥がす?とか、そんなことお仕置きにされても困るし、結局、お仕置きと言ってもふたりにとっていい具合に収まる種類のことになっちゃいますよね。
特に、継続してお付き合いしたいと思えば思うほど、それでいいんじゃないかなぁと思います。
わたしだったら、ホントにお仕置きするなら、数学の問題集とかが効くと思うんですけどね(笑)
じっくり読んでくれて、ありがとう(^-^)
もしかしたら、『精神のSM』と『目的ではなく手段』を一緒に書かないほうが正解だったかもしれません。手段のみなさま、ごめんなさい!!)
許してあげます(笑)
反論ではなく、私なりの意見ですけど
数回に分けて書いていきたいと思っています。
こういう機会があると、改めて見つめなおせていいですな
許してあげます(笑)
反論ではなく、私なりの意見ですけど
数回に分けて書いていきたいと思っています。
こういう機会があると、改めて見つめなおせていいですな
毒蜘蛛さん
ああ、お許しいただけましたか!!ありがとうございます;;
やっぱり男の魅力は『寛容』です^^
またエントリーにさせていただたことも改めて御礼申し上げます。
毒蜘蛛さんのところで、また毒蜘蛛さんのご意見を読ませていただけるのですね。
じゃっかん、ビビっておりますが、楽しみにいたします^^
ああ、お許しいただけましたか!!ありがとうございます;;
やっぱり男の魅力は『寛容』です^^
またエントリーにさせていただたことも改めて御礼申し上げます。
毒蜘蛛さんのところで、また毒蜘蛛さんのご意見を読ませていただけるのですね。
じゃっかん、ビビっておりますが、楽しみにいたします^^