M女余り?
りん子的独り言(生意気)
SMって、サディストとマゾヒストのSとMですよね。
それぞれ小説家の名前から由来してることは知られていますが、その加虐と被虐で性的興奮を覚える性癖がサディズムとマゾヒズムと名付けられた当初から比べたら、いまの日本で一般的に使われているSMって様変わりしちゃっていると思うのです。
時々わたしがブログの中で書いてる「性癖M」と「性格M」。
これのね、性癖MがそもそものMなんだろうな。
それでも、サド侯爵の話に比べたら、いまわたしたちが使っている被虐で興奮する内容も変化してると思うけど、広く性癖としてのMが、それなんだと思う。
O嬢のように、選択の余地なく鞭で打たれ、焼印をされる。
これに興奮する。
でも、その「有無を言わせず」という部分が「服従」という種類の言葉で表されて、わたしたちはS=支配する人、M=支配される人と認識するようになっている?
もちろん、あり得ない苦痛により快感を覚え、その快感によって支配されてしまうとも言えるけど、なんていうのかな「なんでも言うことを聞く人」ってすり替わってる感じがする。
そうすると、わたしのように「性格M」を強く持ってる女は、なんでも言うことを聞きたい、支配されたいと、これをM願望と思い、叶うのかもしれないと相手を探す。
わたしは、性癖も性格もMだと思ってる。
これね、微妙にリンクしてるよね。
どちらかだけって人もいるでしょうけど、多分、両方持ってる人が多いと思う、どちらかに比重が掛かってて千差万別だろう。
でね、「誰かに従いたい」「跪ける存在がほしい」そう思う性格Mは、SM的な行為の中で有無を言わせない圧倒的な存在を確認しようと、一歩踏み出すところがあると思うの。
恥ずかしいけど従うしかない。
痛いけど言う通りにする。
性癖もリンクしてるから、それで濡れる。
SMの行為の中で、その被虐願望と従いたい願望が満たされれば、問題ない。
でも、わたし自身について言えば、その性格Mはね、底なし。(怖いのよ〜)
基本的に「誰かに従いたい」なんて思うこと自体、自分の土台がしっかりしてない自律できてない女なので、性的な行いだけ「従う」だけじゃ、根本的に満たされない。
最初はSMとして、プレイの中で「従う」ことで満足できると思っているけど、ほんとは違う穴を埋めたいのだと気付く。(自覚してない場合もある)
そうすると、ご主人様と名乗る人に、全人格を支配してもらって、導いてもらいたいと、底なしに渇望してしまうのだ。(ほんとはね、従って「褒めてもらいた い」っていうのが一番根底にあるんだな。だから、このタイプに奴隷ゆえの「無償の愛」なんてほんとは求めても、無理なの 笑)
で、結局何が言いたいかってね。
純粋に「加虐」と「被虐」を求めている者同士ならそれでいい。
でも、よく出会い系とかで「心も体も支配したい」なんて謳い文句で、エッチの場面で都合良く言うことをきく女性を求めていると、あなたに従いますなんてか わいいかわいいM女さんがやって来るかもしれないけど、それって、底なしに「満たして満たして」って浸食してくることになるように思うのです。
現代の日本のSMから想像する「支配したい」と「支配されたい」という思いには、温度差があるように思う。
「支配されたい欲」は、不安定な土台を全部含めて包み込んでほしいということの現れ。
でも、そんな面倒くさいことしてくれる人そんなにいないと思うから、満たしきれていないMはけっこういると思うのだ。(わたしは10年、彷徨ってた 笑 いまでもそんな簡単に支配なんて言葉使いたくないし)
だって、全人格を丸抱えにして女性を支配したなんて思って出会い系に登録してるS男性そんなにいないよね!?
だからね、いまの日本の一般的なSM観で見渡せば、深層部分で以外とM女余りだったりして!!…エッチな出会いでは圧倒的に女性不足だと思うけど、ここだけ逆転現象が起こってる!?なーんて思うのでした。
わたし自身も、底なしになり過ぎないように、一生懸命「客観視」の努力です^^
マルキ・ド・サドも「そんなつもりで加虐嗜好を書いたんじゃなかったんだけど…」なんて天国(地獄?)から思ってたりして^^
説明、難しいなぁ^^;
訳わかんないこと、言ってる?
こんな話をお酒のつまみにしながらだったら、楽しいだろうし、上手に伝えられるかもしれないな〜。
ここまで書いてアップして、改めてブログ巡りしてみると、わたしにはとてもできそうもないことをされている方々もたくさんいて、頭の下がる思いです。
満たして〜って底なしに浸食してるのは、わたしだけかもしれない!?
ちょっと反省。
でも、そういう女なので、しょうがない(笑)
SMって、サディストとマゾヒストのSとMですよね。
それぞれ小説家の名前から由来してることは知られていますが、その加虐と被虐で性的興奮を覚える性癖がサディズムとマゾヒズムと名付けられた当初から比べたら、いまの日本で一般的に使われているSMって様変わりしちゃっていると思うのです。
時々わたしがブログの中で書いてる「性癖M」と「性格M」。
これのね、性癖MがそもそものMなんだろうな。
それでも、サド侯爵の話に比べたら、いまわたしたちが使っている被虐で興奮する内容も変化してると思うけど、広く性癖としてのMが、それなんだと思う。
O嬢のように、選択の余地なく鞭で打たれ、焼印をされる。
これに興奮する。
でも、その「有無を言わせず」という部分が「服従」という種類の言葉で表されて、わたしたちはS=支配する人、M=支配される人と認識するようになっている?
もちろん、あり得ない苦痛により快感を覚え、その快感によって支配されてしまうとも言えるけど、なんていうのかな「なんでも言うことを聞く人」ってすり替わってる感じがする。
そうすると、わたしのように「性格M」を強く持ってる女は、なんでも言うことを聞きたい、支配されたいと、これをM願望と思い、叶うのかもしれないと相手を探す。
わたしは、性癖も性格もMだと思ってる。
これね、微妙にリンクしてるよね。
どちらかだけって人もいるでしょうけど、多分、両方持ってる人が多いと思う、どちらかに比重が掛かってて千差万別だろう。
でね、「誰かに従いたい」「跪ける存在がほしい」そう思う性格Mは、SM的な行為の中で有無を言わせない圧倒的な存在を確認しようと、一歩踏み出すところがあると思うの。
恥ずかしいけど従うしかない。
痛いけど言う通りにする。
性癖もリンクしてるから、それで濡れる。
SMの行為の中で、その被虐願望と従いたい願望が満たされれば、問題ない。
でも、わたし自身について言えば、その性格Mはね、底なし。(怖いのよ〜)
基本的に「誰かに従いたい」なんて思うこと自体、自分の土台がしっかりしてない自律できてない女なので、性的な行いだけ「従う」だけじゃ、根本的に満たされない。
最初はSMとして、プレイの中で「従う」ことで満足できると思っているけど、ほんとは違う穴を埋めたいのだと気付く。(自覚してない場合もある)
そうすると、ご主人様と名乗る人に、全人格を支配してもらって、導いてもらいたいと、底なしに渇望してしまうのだ。(ほんとはね、従って「褒めてもらいた い」っていうのが一番根底にあるんだな。だから、このタイプに奴隷ゆえの「無償の愛」なんてほんとは求めても、無理なの 笑)
で、結局何が言いたいかってね。
純粋に「加虐」と「被虐」を求めている者同士ならそれでいい。
でも、よく出会い系とかで「心も体も支配したい」なんて謳い文句で、エッチの場面で都合良く言うことをきく女性を求めていると、あなたに従いますなんてか わいいかわいいM女さんがやって来るかもしれないけど、それって、底なしに「満たして満たして」って浸食してくることになるように思うのです。
現代の日本のSMから想像する「支配したい」と「支配されたい」という思いには、温度差があるように思う。
「支配されたい欲」は、不安定な土台を全部含めて包み込んでほしいということの現れ。
でも、そんな面倒くさいことしてくれる人そんなにいないと思うから、満たしきれていないMはけっこういると思うのだ。(わたしは10年、彷徨ってた 笑 いまでもそんな簡単に支配なんて言葉使いたくないし)
だって、全人格を丸抱えにして女性を支配したなんて思って出会い系に登録してるS男性そんなにいないよね!?
だからね、いまの日本の一般的なSM観で見渡せば、深層部分で以外とM女余りだったりして!!…エッチな出会いでは圧倒的に女性不足だと思うけど、ここだけ逆転現象が起こってる!?なーんて思うのでした。
わたし自身も、底なしになり過ぎないように、一生懸命「客観視」の努力です^^
マルキ・ド・サドも「そんなつもりで加虐嗜好を書いたんじゃなかったんだけど…」なんて天国(地獄?)から思ってたりして^^
説明、難しいなぁ^^;
訳わかんないこと、言ってる?
こんな話をお酒のつまみにしながらだったら、楽しいだろうし、上手に伝えられるかもしれないな〜。
ここまで書いてアップして、改めてブログ巡りしてみると、わたしにはとてもできそうもないことをされている方々もたくさんいて、頭の下がる思いです。
満たして〜って底なしに浸食してるのは、わたしだけかもしれない!?
ちょっと反省。
でも、そういう女なので、しょうがない(笑)