快感は生もの2
非日常的な日常
キスからの濃厚な時間が終わり。
お風呂やマッサージやすこしのんびりの時間を過ごす。
このホテルはウェルカムドリンクのサービスがあってビールを頼み軽くサンドイッチを食べた。
小さめのジョッキだったので酔うとまではいかなかったけど、サンドイッチも食べたのでそれなりに満腹感。
前半が濃厚だったし今夜は夕方のお食事の予約もあるから、なんとなくこのまままったり過ごすのかなとぼんやりと感じていた。
お道具カバンをガサゴソ漁る那智さんが孫の手を取り出した。
ああ、痛いことをするんだ。
なんとなくおしまいかなと思っていたので、痛いことを受け入れる回路を繋げるのが難しいような気がした。
ちょっぴり拒否の気持ち。
那智さん、痛いことするんですか?
うん
膝の上に抱えられて孫の手で打たれる。
孫の手は軽くて皮膚の表面を痛めつける。
痛いけど、耐えられる痛さだ。
だけどわずかにあった拒否の気持ちが、その痛みを大げさにする。
抱えられて膝から降りられない不自由さも、それを助長する。
ジタバタもがいて痛みをやり過ごせるほうが痛みを受け入れる気持ちになれる。
痛いのイヤです、痛いのイヤです
しばらく叩いても、心底痛がるわけでもなく、泣きも笑い(^^;)もせず、拒否するだけのわたしに那智さんはどうしたもんかと思っているだろう。
那智さんはわたしを痛めつけたいわけでもないし調教しているわけでもない。
わたしを可愛がりたいだけだ。
わたしたちの上下関係では気持ちよくなれないのは『那智さんの責任』なのだから、それをどうにかするのも那智さんの役割。
仕方がないという様子でバラ鞭を持ち出した。
ああ、イヤです。
この拒否モードで、もっとも強力なバラ鞭は恐い。
笑い出すような痴人状態になるにはこのバラ鞭のような強烈な痛みが必要だけど、拒否の気持ちが先に立ってしまうと、この痛みは受け入れ難いものになってしまうのだ。
那智さん、イヤです
気持ちよくなれないのは那智さんのせいだけど、気持ちよくならなくてもいいと判断するのも那智さんだ。
性的な場面で拒否権がないわたしの拒否モードは最終的な那智さんの判断であっさり覆される。
有無を言わさぬ様子に観念して
恐い
恐い
と連呼してうつ伏せになる。
最初はすこし様子を見るように。
時々強烈に。
『恐い』とも『痛い』とも訴えているのに全然取り合ってくれなくてすこし悲しくなってくる。
ふと、胃が圧迫されるような感覚になった。
さっき飲食したからだ。
恐怖や邪念を払拭しないとバラ鞭の痛さを受け入れることができないのに、この胃の圧迫を感じた状態であの痛さを味わい続けたら具合が悪くなってしまいそうな気がしてしまった。
実際に具合が悪くなってしまったわけではない。
だけどそれを想像してしまった時点で、さらに拒否モードの気持ちが強くなってしまった。
そのまま素直に伝える。
具合が悪くなってしまいそうだと。
いま具合が悪いわけじゃないだろ?
もし具合が悪くなったら介抱してあげるよ
そんなふうに優しく言ってくれる。
それでも一度恐いと思ってしまうとどうしても痛いことを受け入れる回路が繋がってくれない。
かなり強く、捻ってゴツゴツした一本鞭にして何度も、叩かれて、おまんこが濡れていても、それでもどうしてもただ痛いだけ。
気持ちよくなれないことも、訴えを聞いてくれないことも、何もかも悲しくなってしまって泣き出してしまった。
那智さん、わたし、どうして、こんなに痛いこととか苦しいことしないといけないの?
ポロポロと涙を零しながら、これは自己憐憫だと思う。
まるで、苦痛を無理やり受け入れているように取れる発言だけど、これは自分に向けての言葉だった。
なぜ、わたしはこの苦痛が必要なのだろう。
痛いことは痛い、苦しいことは苦しい。
だけど、これがないと、わたしは満たされない。
セックスもキスも性的快感を満たしてくれるけど、それとは違う何かを苦痛による解放でしか埋めることができない。
今日、これをやめてもらったら、後でわたしが寂しい気持ちになる、またして欲しいと欲することは目に見えている。
そんな自分に憐れみの気持ちで涙を流していたのだ。
『イヤ』と訴え、涙を流し。
それでも、わたしのきっかけではなく『あと○回ね』と強く数発打ち、那智さんのタイミングで終らせてくれた。
わたしの判断ではなく、『那智さんのせい』にしてくれたということ。
結局、この日は痛いことで那智さんもわたしも100点満点の満足は得られなかった(はず)。
その後縛られてバイブを使ったりして、それはそれで感じたので、那智さんとしては『ノルマは果たした』と思ってくれているとは思うけど(笑)
同じ人同士だとしてもその日の体調や気持ちで感じ方は違うものだ。
普通のセックスでも、日によってよかったりイマイチだったりするよね。
与えられることが喜びのわたしだけど上手に受け取れないこともある。
この日は、そういう日だった。
ちょっと残念だし那智さんに申し訳ないと感じているけど、そういう時もある。
まして体や精神にちょっとハードなSM行為が伴うと体調や気持ちが快感に大きく作用するのかもしれないなと思う。
わたしたちは比較的頻繁に会えるので、じゃあ次は気持ちを切り替えてってできやすいけど、なかなかお会いできない人からしたら、大事な一回をちょっと残念な気持ちでおしまいにするのは不本意だろう。
でも、だからといって、その最中、自分の感情や快感に嘘をついてしまっては、長い目で見れば、会うことが楽しいことではなくなってしまう恐れがある。
だからこそ、そのときにできるだけいい状態でいられるように日頃のコミュニケーションは大事だし、それができる関係のほうが良好に継続できると思うのです。
人の心や体は生もの。
そういう時も大事な出来事。
記録に残しておきたいと思うのだ。
<関連エントリー>
とても痛いことは恐いとダメなんだよぉ
『徒然に『あの世界』」
うまくいかないこともあるよね^^
『not favorite』
『理性、邪魔!!』
『バイオレンス前後』
うまくいかないというか、笑っちゃうこともあるよね(笑)
『笑うSM』
『SMに音楽は必要か』
今朝の「等式」感想です。
テンションや快感はきれいな放物線を描けばハズレや失敗はない。しかし、色々なパターンで私は行為をしようとする、何故かと言うと2つ理由がある。
1つはいつも新鮮でありたいと思うから。
2つ目はりん子がどんなテンションからでも深い快感に到達して欲しい、達しさせたいからです。
今はあまりない車のシフトですが、高いギアは力がありません、ロウギアで発進しますが、高いギアで思いっきりアクセルを踏みたくなるのですよ、力がないので発進しなかったり、エンジンが止まってしまったり、ギア自体が壊れるかもしれないのですが。
要するに「どんな状況下」でもその世界に入れるようにしたいのでしょうね。痛覚を伴う快感はお外で遊ぶことが出来ます、お外好きの二人としてはうれしい限りです。
勿論、通常の性感帯と言われる部分に触れていたら問題でしょうが、例えば手のひらを強く抓るだけで恍惚になれたら、イク事が出来たら大抵の場所で平然とその行為をすることが出来ます。(笑)長文でまとまりなし、失礼しました。
キスからの濃厚な時間が終わり。
お風呂やマッサージやすこしのんびりの時間を過ごす。
このホテルはウェルカムドリンクのサービスがあってビールを頼み軽くサンドイッチを食べた。
小さめのジョッキだったので酔うとまではいかなかったけど、サンドイッチも食べたのでそれなりに満腹感。
前半が濃厚だったし今夜は夕方のお食事の予約もあるから、なんとなくこのまままったり過ごすのかなとぼんやりと感じていた。
お道具カバンをガサゴソ漁る那智さんが孫の手を取り出した。
ああ、痛いことをするんだ。
なんとなくおしまいかなと思っていたので、痛いことを受け入れる回路を繋げるのが難しいような気がした。
ちょっぴり拒否の気持ち。
那智さん、痛いことするんですか?
うん
膝の上に抱えられて孫の手で打たれる。
孫の手は軽くて皮膚の表面を痛めつける。
痛いけど、耐えられる痛さだ。
だけどわずかにあった拒否の気持ちが、その痛みを大げさにする。
抱えられて膝から降りられない不自由さも、それを助長する。
ジタバタもがいて痛みをやり過ごせるほうが痛みを受け入れる気持ちになれる。
痛いのイヤです、痛いのイヤです
しばらく叩いても、心底痛がるわけでもなく、泣きも笑い(^^;)もせず、拒否するだけのわたしに那智さんはどうしたもんかと思っているだろう。
那智さんはわたしを痛めつけたいわけでもないし調教しているわけでもない。
わたしを可愛がりたいだけだ。
わたしたちの上下関係では気持ちよくなれないのは『那智さんの責任』なのだから、それをどうにかするのも那智さんの役割。
仕方がないという様子でバラ鞭を持ち出した。
ああ、イヤです。
この拒否モードで、もっとも強力なバラ鞭は恐い。
笑い出すような痴人状態になるにはこのバラ鞭のような強烈な痛みが必要だけど、拒否の気持ちが先に立ってしまうと、この痛みは受け入れ難いものになってしまうのだ。
那智さん、イヤです
気持ちよくなれないのは那智さんのせいだけど、気持ちよくならなくてもいいと判断するのも那智さんだ。
性的な場面で拒否権がないわたしの拒否モードは最終的な那智さんの判断であっさり覆される。
有無を言わさぬ様子に観念して
恐い
恐い
と連呼してうつ伏せになる。
最初はすこし様子を見るように。
時々強烈に。
『恐い』とも『痛い』とも訴えているのに全然取り合ってくれなくてすこし悲しくなってくる。
ふと、胃が圧迫されるような感覚になった。
さっき飲食したからだ。
恐怖や邪念を払拭しないとバラ鞭の痛さを受け入れることができないのに、この胃の圧迫を感じた状態であの痛さを味わい続けたら具合が悪くなってしまいそうな気がしてしまった。
実際に具合が悪くなってしまったわけではない。
だけどそれを想像してしまった時点で、さらに拒否モードの気持ちが強くなってしまった。
そのまま素直に伝える。
具合が悪くなってしまいそうだと。
いま具合が悪いわけじゃないだろ?
もし具合が悪くなったら介抱してあげるよ
そんなふうに優しく言ってくれる。
それでも一度恐いと思ってしまうとどうしても痛いことを受け入れる回路が繋がってくれない。
かなり強く、捻ってゴツゴツした一本鞭にして何度も、叩かれて、おまんこが濡れていても、それでもどうしてもただ痛いだけ。
気持ちよくなれないことも、訴えを聞いてくれないことも、何もかも悲しくなってしまって泣き出してしまった。
那智さん、わたし、どうして、こんなに痛いこととか苦しいことしないといけないの?
ポロポロと涙を零しながら、これは自己憐憫だと思う。
まるで、苦痛を無理やり受け入れているように取れる発言だけど、これは自分に向けての言葉だった。
なぜ、わたしはこの苦痛が必要なのだろう。
痛いことは痛い、苦しいことは苦しい。
だけど、これがないと、わたしは満たされない。
セックスもキスも性的快感を満たしてくれるけど、それとは違う何かを苦痛による解放でしか埋めることができない。
今日、これをやめてもらったら、後でわたしが寂しい気持ちになる、またして欲しいと欲することは目に見えている。
そんな自分に憐れみの気持ちで涙を流していたのだ。
『イヤ』と訴え、涙を流し。
それでも、わたしのきっかけではなく『あと○回ね』と強く数発打ち、那智さんのタイミングで終らせてくれた。
わたしの判断ではなく、『那智さんのせい』にしてくれたということ。
結局、この日は痛いことで那智さんもわたしも100点満点の満足は得られなかった(はず)。
その後縛られてバイブを使ったりして、それはそれで感じたので、那智さんとしては『ノルマは果たした』と思ってくれているとは思うけど(笑)
同じ人同士だとしてもその日の体調や気持ちで感じ方は違うものだ。
普通のセックスでも、日によってよかったりイマイチだったりするよね。
与えられることが喜びのわたしだけど上手に受け取れないこともある。
この日は、そういう日だった。
ちょっと残念だし那智さんに申し訳ないと感じているけど、そういう時もある。
まして体や精神にちょっとハードなSM行為が伴うと体調や気持ちが快感に大きく作用するのかもしれないなと思う。
わたしたちは比較的頻繁に会えるので、じゃあ次は気持ちを切り替えてってできやすいけど、なかなかお会いできない人からしたら、大事な一回をちょっと残念な気持ちでおしまいにするのは不本意だろう。
でも、だからといって、その最中、自分の感情や快感に嘘をついてしまっては、長い目で見れば、会うことが楽しいことではなくなってしまう恐れがある。
だからこそ、そのときにできるだけいい状態でいられるように日頃のコミュニケーションは大事だし、それができる関係のほうが良好に継続できると思うのです。
人の心や体は生もの。
そういう時も大事な出来事。
記録に残しておきたいと思うのだ。
<関連エントリー>
とても痛いことは恐いとダメなんだよぉ
『徒然に『あの世界』」
うまくいかないこともあるよね^^
『not favorite』
『理性、邪魔!!』
『バイオレンス前後』
うまくいかないというか、笑っちゃうこともあるよね(笑)
『笑うSM』
『SMに音楽は必要か』
今朝の「等式」感想です。
テンションや快感はきれいな放物線を描けばハズレや失敗はない。しかし、色々なパターンで私は行為をしようとする、何故かと言うと2つ理由がある。
1つはいつも新鮮でありたいと思うから。
2つ目はりん子がどんなテンションからでも深い快感に到達して欲しい、達しさせたいからです。
今はあまりない車のシフトですが、高いギアは力がありません、ロウギアで発進しますが、高いギアで思いっきりアクセルを踏みたくなるのですよ、力がないので発進しなかったり、エンジンが止まってしまったり、ギア自体が壊れるかもしれないのですが。
要するに「どんな状況下」でもその世界に入れるようにしたいのでしょうね。痛覚を伴う快感はお外で遊ぶことが出来ます、お外好きの二人としてはうれしい限りです。
勿論、通常の性感帯と言われる部分に触れていたら問題でしょうが、例えば手のひらを強く抓るだけで恍惚になれたら、イク事が出来たら大抵の場所で平然とその行為をすることが出来ます。(笑)長文でまとまりなし、失礼しました。
COMMENT
はじめまして、こんにちは
お父様、お姉様への複雑な思い、性癖に関することなど、過去の記事にさかのぼって、少しずつ拝読しました。
自分の性癖を見つめるとき、思うところがさまざまにありますね。
そして、愛する人によって、その性癖を満たす幸福も、私は理解できるつもりです。
私自身、りん子さんとは異なるかも知れませんが、やはりSM的な性癖があり、愛する夫との営みでそれを充足させているからです。
もしよろしければ、ブログを通じて仲良くしていただけたらうれしいです。
お父様、お姉様への複雑な思い、性癖に関することなど、過去の記事にさかのぼって、少しずつ拝読しました。
自分の性癖を見つめるとき、思うところがさまざまにありますね。
そして、愛する人によって、その性癖を満たす幸福も、私は理解できるつもりです。
私自身、りん子さんとは異なるかも知れませんが、やはりSM的な性癖があり、愛する夫との営みでそれを充足させているからです。
もしよろしければ、ブログを通じて仲良くしていただけたらうれしいです。
佐知子さん
ようこそおいでくださいました^^
過去エントリーもさかのぼって読んでくださったのですね、ありがとうございます!!
性癖や生きていく上で求めるもの、見つめれば見つめるほどいろいろ出て来ました^^
最初は生い立ちからだったのですが、どうやらわたしは『そういう女』なのだろうと辿り着いたり(『ぬいぐるみ』というエントリーに書いてあります←宣伝^^)、性的な欲求も那智さんと一緒に発展している部分もあると思うので、ホントに複雑です。
佐知子さんもご自身の求めるものを愛する旦那さまで充足されているのですね。
それは、とてもとても幸せなことだと思います^^
わたしのブログはいろいろなジャンルのお話がありますので好みが分かれるかと思いますが、お気に入りがありましたら是非またいらしてくださいね。
ようこそおいでくださいました^^
過去エントリーもさかのぼって読んでくださったのですね、ありがとうございます!!
性癖や生きていく上で求めるもの、見つめれば見つめるほどいろいろ出て来ました^^
最初は生い立ちからだったのですが、どうやらわたしは『そういう女』なのだろうと辿り着いたり(『ぬいぐるみ』というエントリーに書いてあります←宣伝^^)、性的な欲求も那智さんと一緒に発展している部分もあると思うので、ホントに複雑です。
佐知子さんもご自身の求めるものを愛する旦那さまで充足されているのですね。
それは、とてもとても幸せなことだと思います^^
わたしのブログはいろいろなジャンルのお話がありますので好みが分かれるかと思いますが、お気に入りがありましたら是非またいらしてくださいね。