トランジスタ・ラジオ
独り言
私が中学生だったころは、多分いまの中学生よりもずっと『中学生がとても中学生らしい』時代だったはずだ。
指定の制服に指定のソックスを規定の範囲内で着崩す程度、おしゃれはジャージの裾を折るくらい^^;
ちょっとおしゃれな子は白の体操着の代わりにアディダスの白いTシャツなんかを着ていたけど、一部の不良の子以外は大きく規定から外れるような空気はほとんどなかった。
その不良も小学生の頃から知ってる子だったりするので、どんなに剃り込みを入れてても全然怖くない^^
だって、半ズボンにタイツ履いてた頃を知ってるんだもん。
でもって、むこうも小学校からのあだ名でわたしを呼んだりするから、なんとも和やかな時代だった。
インターネットも携帯もなく。
毎日学校と家の往復。
たまに出かけるのはひと駅先の大型スーパーか映画館。
数駅乗って繁華街に出かけるのは、もう大イベントだった。
友達と部活と金八先生とザ・ベストテンが日常のほとんどを締めているような時代。
世界はとても狭かった。
世界は広いことは知っている。
知らないことが溢れていることも知っている。
その広い世界に憧れを抱くことはあるけれど、それは憧れ止まり。
マンガや洋画や芸能界のような極端に遠い世界への憧れと、自分を取り巻く最狭の日常が、世界のすべてのような。
隣りにも、違う町にも、同じような日常が流れ、その中で生きている人がいることも常識としては知っていても、それにはまったく興味もなく、知らないものは知らないままでよかった。
だから、とても狭い世界だった。
人が成長することのひとつは、この自分を取り巻く世界の幅が一歩ずつ広がっていくことでもあると思う。
環境が広がれば、考え方や生きる選択肢も広がる。
ベビーベッドから公園、幼稚園から小学校。
小学校から中学校。
そして、中学校から高校。
メガネをコンタクトレンズに変えたのと同じように、また一歩世界の半径が広がったように感じたときだった。
アルバイトをはじめて、大学生という大人に触れた。
駅や地名は知っていたけど、そこから通う人というのを実際に知った。
当たり前のことだけど、常識として『存在している』と知っていることよりも、実際に触れるほうがずっと自分の世界になる。
学校帰りに友達のバイトしてるファーストフードに寄り道して夕方までおしゃべりしたり。
バイト代で流行の洋服を買いに繁華街まで出かけたり。
行動範囲が広がっただけじゃなくて、そこから生まれる新しい感情とともに、メキメキと自分を世界が広がっていくようだった。
高校に入ってはじめての夏。
クラスの『不良』の男の子と付き合った。
他の不良とは少し違う子だった。
髪を染めるわけでもなく、まわりを威嚇するようなこともなく、むしろ冗談を言ってクラスを笑わせるような子だった。
ただ、ときどき授業に来なくなることと、『あいつはケンカをしたら、とても強い』というウワサが、彼を『不良』っぽく感じさせていた。
はじめてお付き合いする男の子の部屋に入った。
そこではじめてタバコを吸う同学年の男の子を見た。
その子はウイスキーを飲んでいた。(まあ、今思えば可愛らしいけどね^^;)
不良のくせにキスをするのにすごーく時間がかかって、二度目のキスはわたしからした。
それ以上進むことはなく、ただじっと抱き合っていた。
その部屋ではじめて聴いた『トランジスタ・ラジオ』。
授業をサボって 陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で タバコのけむりとてもあおくて
内ポケットにいつもの トランジスタ・ラジオ
彼女 教科書ひろげてる時 ほっとナンバー 空に溶けてった
こんな気持ち Ah うまく言えたことがない NAI AI AI
○○くんみたいだね〜。
サボってタバコ吸って。
で、わたしは、ちゃんと教科書広げてて。
わたしが彼の部屋で聴いたときはこれが発売されてから数年経っていたはずなんだけど、どうして彼が好きだったのかは知らない。
当時、RCサクセションや忌野清志郎さんを知っていたのかはっきり覚えていないのだけど。
彼の部屋で聴いたこの『トランジスタ・ラジオ』が。
ああ、わたしの知らないことはたくさんあって、だけど、いま、ちょっとだけ自分の世界が広がってるところだな〜と、強く感じさせてくれたようだった。
こんなに明確に言語化できていたわけじゃないけどね、サビの『君の知らない メロディー きいたことのないヒット曲』という歌詞を聴いたとき、『わたしの知らないことはたくさんあるな』と感じた記憶はあるんだ。
それから、別段忌野清志郎さんのファンになるわけでもなく。
ライブはおろか、アルバムさえ手にしたことがないほどの無視っぷりだったんだけど(笑)
ときどき、ニュースで話題になったりCMで歌声が流れたりすると、あの『世界が広がる』感覚を思い出し、ワクワクするようなでも不安なような、青い気持ちが蘇ったりしていた。
(あの頃いやな思いもしたので、ワクワクばかりじゃなかったんだよね『職業選択(前振り1)』の頃)
なんとなく忌野清志郎さんは常にわたしの世界の外側にいて、視界のすみで捉えているような人だったかもしれない。
まだ、外側があるって。
ほんとに、まったくファンでもないし、ほとんどわたしの生活には無縁のアーチストだったけど(笑)
訃報を聞いて、『あ、淋しい』と思ってしまった。
それは、実はわたしの視界のすみに彼がいたということだったのだと思うのだ。
多分彼以外にもわたしの世界の外側を走ってて、『世界は広がる』ことを感じさせてくれる人や物はたくさんあると思うのだけど、彼はそのひとりだったんだよね。
それは、なくなってはじめて気づくものだったのです。
そうかぁ、そういう淋しさもあるんだな〜と、ちょっと身が引き締まる思いになった。
なくなったら困る人やものは自覚できている。
『那智さんがいなくなっちゃったら』なんて、何度もシミュレーションして覚悟を決めているもの^^;(『生きてる(笑)』)
そういう自覚できているものは、日々大切にしようと心がけることができるよね。
(失敗することもあるけど)
だけど、わたしには、視界のすみにいてなくなってはじめて『淋しい』と感じることが、あとどれくらいあるのかと思うと、どうしたもんかと思う。
わかっていれば大切にできるけど、わかっていなければ、大切にしようがないではないか。
そんなふうに、かるーく途方に暮れてしまった。
でも、気を取り直し^^それはイコール、『視界のすみにそういう存在もあるぞ』と教えてもらったと感謝して。
いままでファンでもなんでもなく無視してしまっていたことを詫びつつ。
忌野清志郎さんのご冥福をお祈りしようと思うのでした。
ということで。
わたしができることはいま目の前にある大切なものを後悔しないように大切にすること。
気持ちを新しく洗濯して。
みんな〜、愛し合ってるか〜い^^
那智さん、愛してま〜す^^
『たまたま』のGWも終了して、通常営業。
GW中もコメント・拍手・拍手コメントありがとうございました。
感謝の気持ちで、りん子らしい『長くて、熱ーい』エントリーでした^^
あとで
YouTubeで『トランジスタ・ラジオ』聴こ〜♪
私が中学生だったころは、多分いまの中学生よりもずっと『中学生がとても中学生らしい』時代だったはずだ。
指定の制服に指定のソックスを規定の範囲内で着崩す程度、おしゃれはジャージの裾を折るくらい^^;
ちょっとおしゃれな子は白の体操着の代わりにアディダスの白いTシャツなんかを着ていたけど、一部の不良の子以外は大きく規定から外れるような空気はほとんどなかった。
その不良も小学生の頃から知ってる子だったりするので、どんなに剃り込みを入れてても全然怖くない^^
だって、半ズボンにタイツ履いてた頃を知ってるんだもん。
でもって、むこうも小学校からのあだ名でわたしを呼んだりするから、なんとも和やかな時代だった。
インターネットも携帯もなく。
毎日学校と家の往復。
たまに出かけるのはひと駅先の大型スーパーか映画館。
数駅乗って繁華街に出かけるのは、もう大イベントだった。
友達と部活と金八先生とザ・ベストテンが日常のほとんどを締めているような時代。
世界はとても狭かった。
世界は広いことは知っている。
知らないことが溢れていることも知っている。
その広い世界に憧れを抱くことはあるけれど、それは憧れ止まり。
マンガや洋画や芸能界のような極端に遠い世界への憧れと、自分を取り巻く最狭の日常が、世界のすべてのような。
隣りにも、違う町にも、同じような日常が流れ、その中で生きている人がいることも常識としては知っていても、それにはまったく興味もなく、知らないものは知らないままでよかった。
だから、とても狭い世界だった。
人が成長することのひとつは、この自分を取り巻く世界の幅が一歩ずつ広がっていくことでもあると思う。
環境が広がれば、考え方や生きる選択肢も広がる。
ベビーベッドから公園、幼稚園から小学校。
小学校から中学校。
そして、中学校から高校。
メガネをコンタクトレンズに変えたのと同じように、また一歩世界の半径が広がったように感じたときだった。
アルバイトをはじめて、大学生という大人に触れた。
駅や地名は知っていたけど、そこから通う人というのを実際に知った。
当たり前のことだけど、常識として『存在している』と知っていることよりも、実際に触れるほうがずっと自分の世界になる。
学校帰りに友達のバイトしてるファーストフードに寄り道して夕方までおしゃべりしたり。
バイト代で流行の洋服を買いに繁華街まで出かけたり。
行動範囲が広がっただけじゃなくて、そこから生まれる新しい感情とともに、メキメキと自分を世界が広がっていくようだった。
高校に入ってはじめての夏。
クラスの『不良』の男の子と付き合った。
他の不良とは少し違う子だった。
髪を染めるわけでもなく、まわりを威嚇するようなこともなく、むしろ冗談を言ってクラスを笑わせるような子だった。
ただ、ときどき授業に来なくなることと、『あいつはケンカをしたら、とても強い』というウワサが、彼を『不良』っぽく感じさせていた。
はじめてお付き合いする男の子の部屋に入った。
そこではじめてタバコを吸う同学年の男の子を見た。
その子はウイスキーを飲んでいた。(まあ、今思えば可愛らしいけどね^^;)
不良のくせにキスをするのにすごーく時間がかかって、二度目のキスはわたしからした。
それ以上進むことはなく、ただじっと抱き合っていた。
その部屋ではじめて聴いた『トランジスタ・ラジオ』。
授業をサボって 陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で タバコのけむりとてもあおくて
内ポケットにいつもの トランジスタ・ラジオ
彼女 教科書ひろげてる時 ほっとナンバー 空に溶けてった
こんな気持ち Ah うまく言えたことがない NAI AI AI
○○くんみたいだね〜。
サボってタバコ吸って。
で、わたしは、ちゃんと教科書広げてて。
わたしが彼の部屋で聴いたときはこれが発売されてから数年経っていたはずなんだけど、どうして彼が好きだったのかは知らない。
当時、RCサクセションや忌野清志郎さんを知っていたのかはっきり覚えていないのだけど。
彼の部屋で聴いたこの『トランジスタ・ラジオ』が。
ああ、わたしの知らないことはたくさんあって、だけど、いま、ちょっとだけ自分の世界が広がってるところだな〜と、強く感じさせてくれたようだった。
こんなに明確に言語化できていたわけじゃないけどね、サビの『君の知らない メロディー きいたことのないヒット曲』という歌詞を聴いたとき、『わたしの知らないことはたくさんあるな』と感じた記憶はあるんだ。
それから、別段忌野清志郎さんのファンになるわけでもなく。
ライブはおろか、アルバムさえ手にしたことがないほどの無視っぷりだったんだけど(笑)
ときどき、ニュースで話題になったりCMで歌声が流れたりすると、あの『世界が広がる』感覚を思い出し、ワクワクするようなでも不安なような、青い気持ちが蘇ったりしていた。
(あの頃いやな思いもしたので、ワクワクばかりじゃなかったんだよね『職業選択(前振り1)』の頃)
なんとなく忌野清志郎さんは常にわたしの世界の外側にいて、視界のすみで捉えているような人だったかもしれない。
まだ、外側があるって。
ほんとに、まったくファンでもないし、ほとんどわたしの生活には無縁のアーチストだったけど(笑)
訃報を聞いて、『あ、淋しい』と思ってしまった。
それは、実はわたしの視界のすみに彼がいたということだったのだと思うのだ。
多分彼以外にもわたしの世界の外側を走ってて、『世界は広がる』ことを感じさせてくれる人や物はたくさんあると思うのだけど、彼はそのひとりだったんだよね。
それは、なくなってはじめて気づくものだったのです。
そうかぁ、そういう淋しさもあるんだな〜と、ちょっと身が引き締まる思いになった。
なくなったら困る人やものは自覚できている。
『那智さんがいなくなっちゃったら』なんて、何度もシミュレーションして覚悟を決めているもの^^;(『生きてる(笑)』)
そういう自覚できているものは、日々大切にしようと心がけることができるよね。
(失敗することもあるけど)
だけど、わたしには、視界のすみにいてなくなってはじめて『淋しい』と感じることが、あとどれくらいあるのかと思うと、どうしたもんかと思う。
わかっていれば大切にできるけど、わかっていなければ、大切にしようがないではないか。
そんなふうに、かるーく途方に暮れてしまった。
でも、気を取り直し^^それはイコール、『視界のすみにそういう存在もあるぞ』と教えてもらったと感謝して。
いままでファンでもなんでもなく無視してしまっていたことを詫びつつ。
忌野清志郎さんのご冥福をお祈りしようと思うのでした。
ということで。
わたしができることはいま目の前にある大切なものを後悔しないように大切にすること。
気持ちを新しく洗濯して。
みんな〜、愛し合ってるか〜い^^
那智さん、愛してま〜す^^
『たまたま』のGWも終了して、通常営業。
GW中もコメント・拍手・拍手コメントありがとうございました。
感謝の気持ちで、りん子らしい『長くて、熱ーい』エントリーでした^^
あとで
YouTubeで『トランジスタ・ラジオ』聴こ〜♪