『等式』の意味
独り言
ブログを変更するにあたってタイトルとHNも変えることにした。
名前って、とても思い入れがあるという一方で、実はただの記号だという感覚もある。
もちろん慣れ親しんだものを手放すのはとても名残惜しい気持ちはあったけど、今回のわたしたちにとっては思い入れを重視するつもりはなかった。
それよりもサクッと決めて作業を開始して、一日でも早くブログを再開するほうを優先した。
だからHNはお気に入りの記号を見つければよかった。
多少悩んだけれど、前回同様、サクッと決めて作業をはじめられた。
タイトルだって考えようによってはただの記号なんだけど、でも、これがとても困った。
前タイトルは自分でいうのもなんだけどものすごく気に入っていて、わたしたちを表すもっとも適した言葉だったと思っているからだ。
大好きだったし、ああ違うな、愛していたな(笑)
あれ以上愛せるタイトルを見つけることは、ホントに難しかった。
タイトルを考え出してかなり最初のころ那智さんはこう言った。
あれより良いものにしようと思うことはやめよう。
違う土俵から考えるようにしたらどうだろう。
薬指はわたしたちを表すもの。
じゃあ、わたしたちの関係を表すもの?
それともわたしに焦点を当てる?
たかがタイトル、されどタイトル^^;
わたしが上げた候補からいろいろ枝葉をつけてふたりであれやこれや考えてみた。
有力候補は『対等で上下』。
これはわたしたちを表している言葉だものね。
だけどふたりともちょっと抵抗があったんだ。
なぜなら、いまのわたしたちは『対等』であることも『上下』であること日常ほとんど意識していなんだ。
ごく自然に対等で上下でいる。
誰かに説明するときには有効な言葉かもしれないけど、どうも一張羅を着せられてちょっと居心地悪いような気持ちになってしまうのだ。
だから、最終的に見つけられなければのキープにしていた。
『対等』を使わずに、ふたりには等しい価値があるという言葉はないだろうか。
でも、なんだか『価値』という言葉も値踏みしているようで、ちょっとイヤ。
そんなとき。
昔読んだ本を思い出した。
キャリアウーマンと売れない漫画家の話だ。
そこに『等式』という言葉が使われていた。
紆余曲折ありながらも。
彼女が家賃を払っているふたりのアパートに帰ってきたら、彼がローズマリーを入れてジャーマンポテトを作っている。
ハーブとじゃがいもの香りが部屋に漂い、彼女は『たしかに等式成り立ってる』と思うのだ。
わたしは那智さんに対等であることを教えてもらった。
那智さんにとって価値のある人間だといことも。
上と下というポジションでいるけれど、ふたりの間に優劣はなく同じ分量与え合えている(はず?)。
形は違えど『=』なのだよね。
これが、理由のひとつ。
もうひとつ。
前エントリーでも書いたけど、わたしは那智さんと出会ってから人との付き合い方が変わった。
不思議なもので、那智さんと付き合うことで自分の波長が合う人との心地よさを感じられるようになった。
そしてその人たちと誠実に付き合いたいと思えるようになった。
少し前。
モカちゃんが自分のブログでちょっとやさぐれていた(笑)
それはわたしたちを連想させなくもない内容だった。
(いきなり名前出しちゃってごめん!!!!)
もともとランチしようねと話していたところだったから早速ランチの日程を決めて彼女に会う約束を取付けた。
昔のわたしだったら真意を聞かず、なんとなく表面だけ取り繕った関係を維持していただろうけれど、今回はちゃんと会って真意を聞こうと行動できたのだ。
仮に『そうだ』と答えてもらっても何も問題ないと思っていた、モカちゃんとの付き合いはそこから、じゃあ、どうやって良好な気持ちで付き合っていかれるか構築できると信じていたからね。
それよりモカちゃんに対して真意を計りかねたまま付き合うことのほうがイヤだった。
(結果は、もちろんふたりにとって良好な関係でいられるものでしたよ^^)
こんなこともあった。
お友達のmineさんとメールをやり取りしていて。
(こっちもごめん!!!いきなり登場!!!)
以前わたしがチラッと言ったことを間違った意味で記憶している?と感じる内容があった。
些細なわたしの思考のことだったんだけど、ちょっと大事なことだった(内容、忘れた^^;)
だから敢えて話題を戻して誤解を解いた。
こんなことも以前のわたしならしなかっただろう。
知ってほしい人にちゃんと知ってほしい。
そのためには、ちょっと遠回りしても気持ちを伝える。
そう思えて、行動できた。
(で、こちらもちゃんとわかってもらえた^^)
これはほんの一例で。
那智さんにたくさんの生き方を教えてもらって、わたしはとても生きやすくなってる。
『たまたま』と思えたり。
適切なときにごめんなさいが言えるようになったり。
『頑張れ』や『ありがとう』の使いどころなんかも指針になっている。
細かいテクニックから生き方の姿勢まで。
気がつけば、プチ那智ができあがっているではないか!!(笑)
ホテルのベッドの上で胡座をかいている那智さんに向かい合い跨がるように抱き合う。
薄暗い中で抱き合いながら、こんなことを言っていた。
俺はりん子を通して自己実現している
心理学の自己実現とは意味合いがことなるかもしれないけれど。
ちょっと大げさだけど、恐らく那智さんはわたしを育てることで自分に輪郭を持たせているのかもしれない。
画家が絵を描くように、音楽家が奏でるように。
だから、わたしはあなた。
そしてきっとあなたはわたし。
血縁関係でさえ『=』なんて難しい、まして元は赤の他人、あり得ないこととは充分承知して、でも、恐らく赤の他人というカテゴリの中ではとても『=』に近いはずだし、何よりわたしたちはそうなりたいと強く思っている。
前タイトルにはかなわないと思うけど^^このふたつの意味を結びつけられたから『等式』に決めた。
こんな感じが『等式』の意味です^^
ところで。
納得で決めたのだけど、でもやっぱりちょっと名残惜しいという気持もなくはなかった、この数日間。
今朝、電話でわたしは『ふたりの間では愛称として薬指と言いたい』とちょっと名残惜しくリクエストした。
ダメだよ、『等式』にしなきゃ
『等式』がかわいそうだろ(笑)
なんて那智さんらしい答えだろう。
那智さんにお気に入りのバッチをつけてもらったような気分だ。
この瞬間から『等式』はわたしの中でとりあえずのものではなくり、大事なタイトルになったのでした^^
<関連エントリー>
那智さん的思考
『たまたま』
『気持ちを乗っける』
『等身大』
今朝の「等式」感想です。りん子の中で今日のエントリーが名付けの時から組み立てられていたのならば「お見それしました」ですね。ああ、上手くまとめられるとかける言葉が見つかりません。確かに全部事実の積み重ねなのですが一気に「等式」に対する愛着がアップするエントリーでした。(笑)
ブログを変更するにあたってタイトルとHNも変えることにした。
名前って、とても思い入れがあるという一方で、実はただの記号だという感覚もある。
もちろん慣れ親しんだものを手放すのはとても名残惜しい気持ちはあったけど、今回のわたしたちにとっては思い入れを重視するつもりはなかった。
それよりもサクッと決めて作業を開始して、一日でも早くブログを再開するほうを優先した。
だからHNはお気に入りの記号を見つければよかった。
多少悩んだけれど、前回同様、サクッと決めて作業をはじめられた。
タイトルだって考えようによってはただの記号なんだけど、でも、これがとても困った。
前タイトルは自分でいうのもなんだけどものすごく気に入っていて、わたしたちを表すもっとも適した言葉だったと思っているからだ。
大好きだったし、ああ違うな、愛していたな(笑)
あれ以上愛せるタイトルを見つけることは、ホントに難しかった。
タイトルを考え出してかなり最初のころ那智さんはこう言った。
あれより良いものにしようと思うことはやめよう。
違う土俵から考えるようにしたらどうだろう。
薬指はわたしたちを表すもの。
じゃあ、わたしたちの関係を表すもの?
それともわたしに焦点を当てる?
たかがタイトル、されどタイトル^^;
わたしが上げた候補からいろいろ枝葉をつけてふたりであれやこれや考えてみた。
有力候補は『対等で上下』。
これはわたしたちを表している言葉だものね。
だけどふたりともちょっと抵抗があったんだ。
なぜなら、いまのわたしたちは『対等』であることも『上下』であること日常ほとんど意識していなんだ。
ごく自然に対等で上下でいる。
誰かに説明するときには有効な言葉かもしれないけど、どうも一張羅を着せられてちょっと居心地悪いような気持ちになってしまうのだ。
だから、最終的に見つけられなければのキープにしていた。
『対等』を使わずに、ふたりには等しい価値があるという言葉はないだろうか。
でも、なんだか『価値』という言葉も値踏みしているようで、ちょっとイヤ。
そんなとき。
昔読んだ本を思い出した。
キャリアウーマンと売れない漫画家の話だ。
そこに『等式』という言葉が使われていた。
紆余曲折ありながらも。
彼女が家賃を払っているふたりのアパートに帰ってきたら、彼がローズマリーを入れてジャーマンポテトを作っている。
ハーブとじゃがいもの香りが部屋に漂い、彼女は『たしかに等式成り立ってる』と思うのだ。
わたしは那智さんに対等であることを教えてもらった。
那智さんにとって価値のある人間だといことも。
上と下というポジションでいるけれど、ふたりの間に優劣はなく同じ分量与え合えている(はず?)。
形は違えど『=』なのだよね。
これが、理由のひとつ。
もうひとつ。
前エントリーでも書いたけど、わたしは那智さんと出会ってから人との付き合い方が変わった。
不思議なもので、那智さんと付き合うことで自分の波長が合う人との心地よさを感じられるようになった。
そしてその人たちと誠実に付き合いたいと思えるようになった。
少し前。
モカちゃんが自分のブログでちょっとやさぐれていた(笑)
それはわたしたちを連想させなくもない内容だった。
(いきなり名前出しちゃってごめん!!!!)
もともとランチしようねと話していたところだったから早速ランチの日程を決めて彼女に会う約束を取付けた。
昔のわたしだったら真意を聞かず、なんとなく表面だけ取り繕った関係を維持していただろうけれど、今回はちゃんと会って真意を聞こうと行動できたのだ。
仮に『そうだ』と答えてもらっても何も問題ないと思っていた、モカちゃんとの付き合いはそこから、じゃあ、どうやって良好な気持ちで付き合っていかれるか構築できると信じていたからね。
それよりモカちゃんに対して真意を計りかねたまま付き合うことのほうがイヤだった。
(結果は、もちろんふたりにとって良好な関係でいられるものでしたよ^^)
こんなこともあった。
お友達のmineさんとメールをやり取りしていて。
(こっちもごめん!!!いきなり登場!!!)
以前わたしがチラッと言ったことを間違った意味で記憶している?と感じる内容があった。
些細なわたしの思考のことだったんだけど、ちょっと大事なことだった(内容、忘れた^^;)
だから敢えて話題を戻して誤解を解いた。
こんなことも以前のわたしならしなかっただろう。
知ってほしい人にちゃんと知ってほしい。
そのためには、ちょっと遠回りしても気持ちを伝える。
そう思えて、行動できた。
(で、こちらもちゃんとわかってもらえた^^)
これはほんの一例で。
那智さんにたくさんの生き方を教えてもらって、わたしはとても生きやすくなってる。
『たまたま』と思えたり。
適切なときにごめんなさいが言えるようになったり。
『頑張れ』や『ありがとう』の使いどころなんかも指針になっている。
細かいテクニックから生き方の姿勢まで。
気がつけば、プチ那智ができあがっているではないか!!(笑)
ホテルのベッドの上で胡座をかいている那智さんに向かい合い跨がるように抱き合う。
薄暗い中で抱き合いながら、こんなことを言っていた。
俺はりん子を通して自己実現している
心理学の自己実現とは意味合いがことなるかもしれないけれど。
ちょっと大げさだけど、恐らく那智さんはわたしを育てることで自分に輪郭を持たせているのかもしれない。
画家が絵を描くように、音楽家が奏でるように。
だから、わたしはあなた。
そしてきっとあなたはわたし。
血縁関係でさえ『=』なんて難しい、まして元は赤の他人、あり得ないこととは充分承知して、でも、恐らく赤の他人というカテゴリの中ではとても『=』に近いはずだし、何よりわたしたちはそうなりたいと強く思っている。
前タイトルにはかなわないと思うけど^^このふたつの意味を結びつけられたから『等式』に決めた。
こんな感じが『等式』の意味です^^
ところで。
納得で決めたのだけど、でもやっぱりちょっと名残惜しいという気持もなくはなかった、この数日間。
今朝、電話でわたしは『ふたりの間では愛称として薬指と言いたい』とちょっと名残惜しくリクエストした。
ダメだよ、『等式』にしなきゃ
『等式』がかわいそうだろ(笑)
なんて那智さんらしい答えだろう。
那智さんにお気に入りのバッチをつけてもらったような気分だ。
この瞬間から『等式』はわたしの中でとりあえずのものではなくり、大事なタイトルになったのでした^^
<関連エントリー>
那智さん的思考
『たまたま』
『気持ちを乗っける』
『等身大』
今朝の「等式」感想です。りん子の中で今日のエントリーが名付けの時から組み立てられていたのならば「お見それしました」ですね。ああ、上手くまとめられるとかける言葉が見つかりません。確かに全部事実の積み重ねなのですが一気に「等式」に対する愛着がアップするエントリーでした。(笑)
優しい命令
独特な幸福感
雨降りの駅前は人でごった返していた。
駅の灯りが夜の濡れたアスファルトに反射する。
待ち合わせで立ち止まる人。
手前とその奥のふたつの改札に流れ込む人たち。
傘をさしながらまっすぐ進むこともままならない。
それでもさようならを目前にして片時も那智さんから離れたくないとついて行く。
那智さんの改札のほうが手前。
そこでお別れだ。
一歩大きく改札へ向かう那智さんに小さく会釈する。
振り返るなよ
わたしはたいがい振り返る。
時間が許されて見通しが良ければ、見えなくなるまで背中を追う。
那智さんは一度振り返り、手をあげて応えて、それからはずっと背中を見せてくれる。
急いでいたり人が多かったりするときは、チラッと振り返る。
タイミングが合えば互いに合図を送るし、合わなければ心の中で背中に合図する。
タイミングが合わないとき那智さんは振り返っているのか、わからない。
でも、後で『俺は振り返ったのに、りん子はスタスタ歩いてた(笑)』といって、わたしをからかう。
ふたりにとって『振り返る』にもたくさんのストーリーがある。
振り返るなよ
ほんの少しわたしの体調がよくなかった。
傘をさした人の流れをせき止めるのは迷惑だ。
人が多いから、振り返って見失っている淋しさを感じさせないように。
もしかしたら『振り返る』ことを習慣とか義務にしたくないのかもしれない。
那智さんの指示。
どんな意図があるのだろう。
どれかかもしれないし、全部かもしれない。
ただわかるのはそれは優しさからの言葉だということだ。
『はい』と唇で答えて、もう一度会釈する。
言われたことには従う。
だから2、3歩後ずさり。
傘をさす人の波に逆らいながら、迷惑にならないだけの、ほんの2、3歩。
一度後ろを向いたら振り返るになってしまうから、背中を見つめたまま後ずさりして見送った。
優しい気持ちに従っていられることが、うれしい。
優しい気持ちは温かくしてくれる。
だけど、ちょっぴり切ない。
雨のせいかな。
それとも幸せな時間の余韻かな。
雨と優しさの組み合わせは、人をすこし切なくさせるのかもしれない。
今朝の「等式」感想です。振り返ることに関連する私のりん子に対する揶揄やずっと見送られる恥ずかしさ、大変だろうと思う気遣い、こんな感情が「振り返るなよ」の正体かな。たまに見送るときは、完全に見送りたいと思うのに。
雨降りの駅前は人でごった返していた。
駅の灯りが夜の濡れたアスファルトに反射する。
待ち合わせで立ち止まる人。
手前とその奥のふたつの改札に流れ込む人たち。
傘をさしながらまっすぐ進むこともままならない。
それでもさようならを目前にして片時も那智さんから離れたくないとついて行く。
那智さんの改札のほうが手前。
そこでお別れだ。
一歩大きく改札へ向かう那智さんに小さく会釈する。
振り返るなよ
わたしはたいがい振り返る。
時間が許されて見通しが良ければ、見えなくなるまで背中を追う。
那智さんは一度振り返り、手をあげて応えて、それからはずっと背中を見せてくれる。
急いでいたり人が多かったりするときは、チラッと振り返る。
タイミングが合えば互いに合図を送るし、合わなければ心の中で背中に合図する。
タイミングが合わないとき那智さんは振り返っているのか、わからない。
でも、後で『俺は振り返ったのに、りん子はスタスタ歩いてた(笑)』といって、わたしをからかう。
ふたりにとって『振り返る』にもたくさんのストーリーがある。
振り返るなよ
ほんの少しわたしの体調がよくなかった。
傘をさした人の流れをせき止めるのは迷惑だ。
人が多いから、振り返って見失っている淋しさを感じさせないように。
もしかしたら『振り返る』ことを習慣とか義務にしたくないのかもしれない。
那智さんの指示。
どんな意図があるのだろう。
どれかかもしれないし、全部かもしれない。
ただわかるのはそれは優しさからの言葉だということだ。
『はい』と唇で答えて、もう一度会釈する。
言われたことには従う。
だから2、3歩後ずさり。
傘をさす人の波に逆らいながら、迷惑にならないだけの、ほんの2、3歩。
一度後ろを向いたら振り返るになってしまうから、背中を見つめたまま後ずさりして見送った。
優しい気持ちに従っていられることが、うれしい。
優しい気持ちは温かくしてくれる。
だけど、ちょっぴり切ない。
雨のせいかな。
それとも幸せな時間の余韻かな。
雨と優しさの組み合わせは、人をすこし切なくさせるのかもしれない。
今朝の「等式」感想です。振り返ることに関連する私のりん子に対する揶揄やずっと見送られる恥ずかしさ、大変だろうと思う気遣い、こんな感情が「振り返るなよ」の正体かな。たまに見送るときは、完全に見送りたいと思うのに。
徒然に『あの世界』
非日常的な日常
股縄というのをした。
腰に麻の縄が巻き付く姿はとても気恥ずかしい。
尾てい骨が擦れるところがすこし不安気な気持を表しているようだ。
今日はこれを巻いた腰に鞭を入れるようだ。
ああ、ダメ。
恐いと思ってしまった。
何度も書いているけれど、痛いことを受け入れ快感に変換して惚けた世界に連れて行ってもらうには恐怖心は邪魔なだけ。
鞭は毎回恐い、緊箍児の洗濯バサミを外すときはその後握り潰すことも想像できるから、恐怖に震える。
でも少しずつ少しずつ、それは快感に繋がるのだよと教えてもらってきたから、いまは大丈夫になっている。
以前、電マで柔らかいところがほんの僅かに痛んで針の先ほどに血が滲んでしまったことがあったけど、最中にそれを知った途端に、痛みなんて微塵もないのにもう恐くて恐くて仕方がなくなって、すぐ中止してもらったほど。
だから未知の恐怖が特にダメなんだろうな。
股縄をした状態での鞭。
これがはじめてだったから、恐い。
股縄以外はどこも縛られていないから自由な両手で枕を抱える。
大人しくお尻を差し出すけれど、あの不安気な尾てい骨に鞭がちょうど縄に当たったときの麻縄越しの痛みや、痛みをやり過ごすために大きく息を吐くときにウエストを締める縄の違和感などを想像してしまって、最初から逃げ腰だった。
『那智さん恐いです』を連呼してしまう。
いつもより強くない、でも、しっかりと痛いやり方で叩いてくれるけど、恐さが先に立ってしまうとぜんぜん受け入れられない。
まず最初に皮膚に当たるところは縄に当たる分いくらか痛さが和らいでいるくらいだけど、その次に当たる鞭の先端部分が縄の高さが加わっていつもより強く刺さるのだ。
縄の直径、数㎜だけでも、こんなに感じ方が違う。
もう恐いことだらけだ^^;
いつもより数段痛くないように打っているのに、大騒ぎ。
結局、あんまり恐がるので数発でおしまいにしてくれた。
わたしたちの間で『痛過ぎます』はセーフティワード。
だから『恐過ぎます』も『恥ずかし過ぎます』も基本的には通用しないのだけど、きっとここで恐がらせることは良い方向に繋がらない判断してくれたのだろう。
股縄+鞭は、見送り^^
『痛みから生まれるもの』というエントリーを書いたことがある。
痛みから生まれるものが、いいのだと。
泣いたり笑ったり、呂律が回らなくなったり。
痛いことは痛いのに、その痛いことが嬉しくてたまらないという精神状態がいとおしかったり。
普段味わえない世界に行かれることがいいのだ。
そしてわたしがその世界に行くには、本当に痛くないと行かれないのだ。
痛いことをされているシチュエーションがいいとか
那智さんがくれる痛みだからとか
刺激のひとつとしてとか
恐さと痛さを混同させてとか
では行かれないの。
痣くらいにはなるけど流血や骨折(大げさ?)をしない種類と程度ギリギリのところでしか作れないわたしにとって『本当に痛いこと』でないとダメなのだ。
それ以外の痛みは、結局ただの中くらいに痛いことを我慢している状態になってしまう。
で、『本当に痛いこと』を受け入れるには、余計な感情は極力排除したいのですね。
血が滲むくらいはあっても流血まではいかないよ。
痣はできるけど打撲にはならないよ。
痛いけど、ケガしないよ。
いつもより少し痛いけど、知っている痛さだよ。
こんなふうに不安要素をなくして純粋に『本当に痛いこと』だけに集中していたいのですね。
だから股縄+鞭とときのようにはじめてのことのときには、恐さが邪魔をしてギブアップしてしまうことがある。
恐らく、わたしが行きたい世界に那智さんに連れて行ってもらうのは、繰り返し慣れさせて少しずつじゃないと完成しない手間のかかることなのだと思う。
ギブアップしてしまって申し訳ない気持や残念な気持はあるけれど、こればかりは我慢していると痛いことが苦痛になってしまうので、また楽しみにが増えましたね〜くらいに思っていたいと思うのだ^^
で、トゲが刺さったくらいで絶望してしまうほどの恐がりなので、このギブアップはけっこうよくある^^;
『痛過ぎます』より、頻繁かもしれない^^
あ!!でも、例えばビンタみたいなものは痛みよりも『ビンタ』だからいいというのもあるし、針はあの恐怖感に濡れてしまっていたのだから、これはひとつのケースということになるのかな。
ひとくちに『痛いこと』と言っても、いろいろある^^
わたしにとってのあの世界は、ギリギリの痛さが必要で、それを受け入れるには恐さは払拭してほしいなということなのです。
<関連エントリー>
ビンタ『バイオレンス^^』
針〜『恐怖体験』
今日の「等式」感想です。飾り程度の股縄なのにダメでしたね。痛覚を伴う2つの刺激にもりん子は弱いかもしれない。洗濯ばさみを使いながら鞭とかね。他の話だけれど「鞭を入れる」の表現はかっこよいですね、確かにその表現が合っている程、強く「入れて」いますが。(笑)
股縄というのをした。
腰に麻の縄が巻き付く姿はとても気恥ずかしい。
尾てい骨が擦れるところがすこし不安気な気持を表しているようだ。
今日はこれを巻いた腰に鞭を入れるようだ。
ああ、ダメ。
恐いと思ってしまった。
何度も書いているけれど、痛いことを受け入れ快感に変換して惚けた世界に連れて行ってもらうには恐怖心は邪魔なだけ。
鞭は毎回恐い、緊箍児の洗濯バサミを外すときはその後握り潰すことも想像できるから、恐怖に震える。
でも少しずつ少しずつ、それは快感に繋がるのだよと教えてもらってきたから、いまは大丈夫になっている。
以前、電マで柔らかいところがほんの僅かに痛んで針の先ほどに血が滲んでしまったことがあったけど、最中にそれを知った途端に、痛みなんて微塵もないのにもう恐くて恐くて仕方がなくなって、すぐ中止してもらったほど。
だから未知の恐怖が特にダメなんだろうな。
股縄をした状態での鞭。
これがはじめてだったから、恐い。
股縄以外はどこも縛られていないから自由な両手で枕を抱える。
大人しくお尻を差し出すけれど、あの不安気な尾てい骨に鞭がちょうど縄に当たったときの麻縄越しの痛みや、痛みをやり過ごすために大きく息を吐くときにウエストを締める縄の違和感などを想像してしまって、最初から逃げ腰だった。
『那智さん恐いです』を連呼してしまう。
いつもより強くない、でも、しっかりと痛いやり方で叩いてくれるけど、恐さが先に立ってしまうとぜんぜん受け入れられない。
まず最初に皮膚に当たるところは縄に当たる分いくらか痛さが和らいでいるくらいだけど、その次に当たる鞭の先端部分が縄の高さが加わっていつもより強く刺さるのだ。
縄の直径、数㎜だけでも、こんなに感じ方が違う。
もう恐いことだらけだ^^;
いつもより数段痛くないように打っているのに、大騒ぎ。
結局、あんまり恐がるので数発でおしまいにしてくれた。
わたしたちの間で『痛過ぎます』はセーフティワード。
だから『恐過ぎます』も『恥ずかし過ぎます』も基本的には通用しないのだけど、きっとここで恐がらせることは良い方向に繋がらない判断してくれたのだろう。
股縄+鞭は、見送り^^
『痛みから生まれるもの』というエントリーを書いたことがある。
痛みから生まれるものが、いいのだと。
泣いたり笑ったり、呂律が回らなくなったり。
痛いことは痛いのに、その痛いことが嬉しくてたまらないという精神状態がいとおしかったり。
普段味わえない世界に行かれることがいいのだ。
そしてわたしがその世界に行くには、本当に痛くないと行かれないのだ。
痛いことをされているシチュエーションがいいとか
那智さんがくれる痛みだからとか
刺激のひとつとしてとか
恐さと痛さを混同させてとか
では行かれないの。
痣くらいにはなるけど流血や骨折(大げさ?)をしない種類と程度ギリギリのところでしか作れないわたしにとって『本当に痛いこと』でないとダメなのだ。
それ以外の痛みは、結局ただの中くらいに痛いことを我慢している状態になってしまう。
で、『本当に痛いこと』を受け入れるには、余計な感情は極力排除したいのですね。
血が滲むくらいはあっても流血まではいかないよ。
痣はできるけど打撲にはならないよ。
痛いけど、ケガしないよ。
いつもより少し痛いけど、知っている痛さだよ。
こんなふうに不安要素をなくして純粋に『本当に痛いこと』だけに集中していたいのですね。
だから股縄+鞭とときのようにはじめてのことのときには、恐さが邪魔をしてギブアップしてしまうことがある。
恐らく、わたしが行きたい世界に那智さんに連れて行ってもらうのは、繰り返し慣れさせて少しずつじゃないと完成しない手間のかかることなのだと思う。
ギブアップしてしまって申し訳ない気持や残念な気持はあるけれど、こればかりは我慢していると痛いことが苦痛になってしまうので、また楽しみにが増えましたね〜くらいに思っていたいと思うのだ^^
で、トゲが刺さったくらいで絶望してしまうほどの恐がりなので、このギブアップはけっこうよくある^^;
『痛過ぎます』より、頻繁かもしれない^^
あ!!でも、例えばビンタみたいなものは痛みよりも『ビンタ』だからいいというのもあるし、針はあの恐怖感に濡れてしまっていたのだから、これはひとつのケースということになるのかな。
ひとくちに『痛いこと』と言っても、いろいろある^^
わたしにとってのあの世界は、ギリギリの痛さが必要で、それを受け入れるには恐さは払拭してほしいなということなのです。
<関連エントリー>
ビンタ『バイオレンス^^』
針〜『恐怖体験』
今日の「等式」感想です。飾り程度の股縄なのにダメでしたね。痛覚を伴う2つの刺激にもりん子は弱いかもしれない。洗濯ばさみを使いながら鞭とかね。他の話だけれど「鞭を入れる」の表現はかっこよいですね、確かにその表現が合っている程、強く「入れて」いますが。(笑)
モテ仕草
りん子的独り言(エラそう)
すっごいくだらないことだけど、かなり普遍的な真理を発見してしまったかもしれない!!
この前テレビで見かけた『モテ仕草』。
物を拾うときはこうやってああやって、こっちの足を軸にこう向いて。
書類を手渡すときはこう持ってここを付けて、この角度で。
うんうん。
なるほどね、確かにこれをニッコリ笑顔でされたら男性は喜んじゃうだろうなぁと思うような立ち居振る舞いの数々。
美しい所作もあるけど、ちょっと媚び売っているように見えなくないものもある。
まあ、需要と供給が一致していれるのであれば、それもアリだよね^^
だけど、これって『○○のとき』とシチュエーションが限定されているし、複雑な動作を連続してやらないといけないからけっこう大変な感じもする。
軸足を決め目線から声をかける順序まで澱みなく流れるようになんて、わたしには無理^^;
テレビを観ながら頭の中でやってみて、見事にこんがらがる自分がよーく想像できるのだ。
たしかに、それぞれのシチュエーションでピンポイントのモテ仕草は効力を発揮するだろうけれど、わたしが発見したのはもっとオールマイティに使えて、非常に簡単な法則なのだ!!
待ち合わせの場所に急ぐ。
数十m先の喫煙所には、もう那智さんは到着しているはずだ。
急いで、早く会いたい。
人の波を縫って早歩きする。
くん♪
『くん♪』と音符付きで気持が上がる。
これは那智さんに会えるという嬉しさだけじゃないのだ。
音符が付いているのだから気分はいい。
プラス、何か『上がる』。
針が勢いよく跳ね上がるような、軽やかで少し力強い感じがする。
なんだろ?
別な時、走行中の電車で車両を移動する。
降りたときに階段に近いほうがいいからだ。
混んでいない昼間の電車は座席は埋まっているけれど、立っている人がほとんどいなくて歩きやすいから、ヒールの足が揺れに負けないようにほんの少し爪先に力を入れて、できるだけまっすぐ歩いた。
くん♪
同じ種類のもの。
これは人の目を意識すると現れるのか?
ところ変わってひとりの部屋。
惰眠から目が覚めて気持ちいい伸びをして、起き抜けにテーブルに置いてあった飲みかけの麦茶に手を伸ばす。
くん♪
おお、こういうときにも発動するぞ!!
那智さんを思って?
人の目を意識して?
それだけじゃない、ひとりのときにも感じられる。
かなり後付けの理由なんだけど。
これは、もしかしたらわたしがわたしの『女(もしくはそれに準ずる)』を意識する、もしくは『女(もしくはそれに準ずる)』でいることを楽しんでいるようなときに現れるようなのだ。
寝起きのひとりなんて、どうやって『女』と結び付いているのかわからないのだけど、あの針が跳ね上がる勢いやら小気味よさは『女』を意識して『女っぷり上がってるわ!!(笑)』といい気分になっているときに感じられるものに、とてもよく似ている。
だから根拠ないけど、一括りにして。
わたしが『くん♪』となるときに、おそらく共通しているひとつの仕草があることに気がついたのです!!
これは、もしかして、かなり男性ウケするのではないだろうか!!
(はあ、やっと答え^^;)
それは…
手首を反らす
たったこれだけ!!
わたしが那智さんのいる喫煙所に向かうとき、電車の中を歩くとき、寝起きでコップに手を伸ばすとき、『くん♪』と跳ね上がるのは気分だけではなくて、気づけばちょっと手首に力が入っている。
それを様々な仕草に当てはめて考えてみた。
カラオケのマイクを握る。
テーブルの奥にある醤油差しを取る。
整えたお布団をトントンとはたく。
ポリポリとお尻をかく^^
角度はいろいろでもほんの僅かに手首に力を入れて手の甲側に反らしてみると、どうでしょう!?
一気に男ウケする仕草に早変わりするように思いませんか!!
これは様々なモテ仕草の基本型になるのではないかと発見したのでした!!
と、相変わらずくだらないことを大仰に申しておりますが^^;
わたしの『くん♪』が、それと当てはまるかは疑問だけど。
たぶん(ある種の)男の人は『女を意識している女』が好きだ。
もっと、言ってしまうと、『男の目を意識して、女を意識している女』が好きだ。
要は男に媚びている女が好きなはず。
だから手首はひとつの現象にしか過ぎなくて、要はそれが普遍的真理なのかもしれないね。
なぜ媚びているのが好きで、なぜ手首を曲げる仕草がそれに当たるのか。
これだけでいちエントリー書けそうなんですけど、それはかなり労力がいりそうなので、またの機会に^^
そう考えると、わたしったらひとりで部屋にいても媚びてるのかと、かなり恥ずかしい女ではあるけれど、実はそんな自分がキライじゃない。
なぜなら、この『くん♪』はとても心地いいのだ。
自然発生するそれを感じるとき、気分がいい。
ということは、現象としては媚びているのかもしれないけど、それは自分の心地よさの結果ということになる。
(深層心理を探れば媚びが発端かもしれないけどね)
無理をするのはおススメしなけど、心地よいのならいいのではないかな〜と思うのだ。
ということで。
軸足を決めたり目線の角度を調整したり流れるような動作を身につけなくても、あなたも今日からちょっと手首を反らす簡単『モテ仕草』、いかがでしょう^^
気がつけば、わたしの意識下の舞台裏を披露してしまった^^;
媚び売っているみたいで恥ずかしいのだけど。
リアルでお会いする方、わたしの手首がちょっと反っていたら、りん子のヤツ、いまこの時間を気分よく過ごしているんだな〜とほくそ笑んでくださいませ^^
今朝の「等式」感想です。好きです、仕草。(笑)前々から女性の所作についてはりん子のエントリーで私が意識していることはご存じかと思いますが、「手首をそらす」」ことが美しい所作なのかはしりませんが、確かに好きです。なぜその好意が美しく見えある種の男を引きつけるのかの検証してくれるみたいなので楽しみにしていますが、はたしてそんなこと検証できるのでしょうかね~りん子のアンテナと審美眼に期待です。
すっごいくだらないことだけど、かなり普遍的な真理を発見してしまったかもしれない!!
この前テレビで見かけた『モテ仕草』。
物を拾うときはこうやってああやって、こっちの足を軸にこう向いて。
書類を手渡すときはこう持ってここを付けて、この角度で。
うんうん。
なるほどね、確かにこれをニッコリ笑顔でされたら男性は喜んじゃうだろうなぁと思うような立ち居振る舞いの数々。
美しい所作もあるけど、ちょっと媚び売っているように見えなくないものもある。
まあ、需要と供給が一致していれるのであれば、それもアリだよね^^
だけど、これって『○○のとき』とシチュエーションが限定されているし、複雑な動作を連続してやらないといけないからけっこう大変な感じもする。
軸足を決め目線から声をかける順序まで澱みなく流れるようになんて、わたしには無理^^;
テレビを観ながら頭の中でやってみて、見事にこんがらがる自分がよーく想像できるのだ。
たしかに、それぞれのシチュエーションでピンポイントのモテ仕草は効力を発揮するだろうけれど、わたしが発見したのはもっとオールマイティに使えて、非常に簡単な法則なのだ!!
待ち合わせの場所に急ぐ。
数十m先の喫煙所には、もう那智さんは到着しているはずだ。
急いで、早く会いたい。
人の波を縫って早歩きする。
くん♪
『くん♪』と音符付きで気持が上がる。
これは那智さんに会えるという嬉しさだけじゃないのだ。
音符が付いているのだから気分はいい。
プラス、何か『上がる』。
針が勢いよく跳ね上がるような、軽やかで少し力強い感じがする。
なんだろ?
別な時、走行中の電車で車両を移動する。
降りたときに階段に近いほうがいいからだ。
混んでいない昼間の電車は座席は埋まっているけれど、立っている人がほとんどいなくて歩きやすいから、ヒールの足が揺れに負けないようにほんの少し爪先に力を入れて、できるだけまっすぐ歩いた。
くん♪
同じ種類のもの。
これは人の目を意識すると現れるのか?
ところ変わってひとりの部屋。
惰眠から目が覚めて気持ちいい伸びをして、起き抜けにテーブルに置いてあった飲みかけの麦茶に手を伸ばす。
くん♪
おお、こういうときにも発動するぞ!!
那智さんを思って?
人の目を意識して?
それだけじゃない、ひとりのときにも感じられる。
かなり後付けの理由なんだけど。
これは、もしかしたらわたしがわたしの『女(もしくはそれに準ずる)』を意識する、もしくは『女(もしくはそれに準ずる)』でいることを楽しんでいるようなときに現れるようなのだ。
寝起きのひとりなんて、どうやって『女』と結び付いているのかわからないのだけど、あの針が跳ね上がる勢いやら小気味よさは『女』を意識して『女っぷり上がってるわ!!(笑)』といい気分になっているときに感じられるものに、とてもよく似ている。
だから根拠ないけど、一括りにして。
わたしが『くん♪』となるときに、おそらく共通しているひとつの仕草があることに気がついたのです!!
これは、もしかして、かなり男性ウケするのではないだろうか!!
(はあ、やっと答え^^;)
それは…
手首を反らす
たったこれだけ!!
わたしが那智さんのいる喫煙所に向かうとき、電車の中を歩くとき、寝起きでコップに手を伸ばすとき、『くん♪』と跳ね上がるのは気分だけではなくて、気づけばちょっと手首に力が入っている。
それを様々な仕草に当てはめて考えてみた。
カラオケのマイクを握る。
テーブルの奥にある醤油差しを取る。
整えたお布団をトントンとはたく。
ポリポリとお尻をかく^^
角度はいろいろでもほんの僅かに手首に力を入れて手の甲側に反らしてみると、どうでしょう!?
一気に男ウケする仕草に早変わりするように思いませんか!!
これは様々なモテ仕草の基本型になるのではないかと発見したのでした!!
と、相変わらずくだらないことを大仰に申しておりますが^^;
わたしの『くん♪』が、それと当てはまるかは疑問だけど。
たぶん(ある種の)男の人は『女を意識している女』が好きだ。
もっと、言ってしまうと、『男の目を意識して、女を意識している女』が好きだ。
要は男に媚びている女が好きなはず。
だから手首はひとつの現象にしか過ぎなくて、要はそれが普遍的真理なのかもしれないね。
なぜ媚びているのが好きで、なぜ手首を曲げる仕草がそれに当たるのか。
これだけでいちエントリー書けそうなんですけど、それはかなり労力がいりそうなので、またの機会に^^
そう考えると、わたしったらひとりで部屋にいても媚びてるのかと、かなり恥ずかしい女ではあるけれど、実はそんな自分がキライじゃない。
なぜなら、この『くん♪』はとても心地いいのだ。
自然発生するそれを感じるとき、気分がいい。
ということは、現象としては媚びているのかもしれないけど、それは自分の心地よさの結果ということになる。
(深層心理を探れば媚びが発端かもしれないけどね)
無理をするのはおススメしなけど、心地よいのならいいのではないかな〜と思うのだ。
ということで。
軸足を決めたり目線の角度を調整したり流れるような動作を身につけなくても、あなたも今日からちょっと手首を反らす簡単『モテ仕草』、いかがでしょう^^
気がつけば、わたしの意識下の舞台裏を披露してしまった^^;
媚び売っているみたいで恥ずかしいのだけど。
リアルでお会いする方、わたしの手首がちょっと反っていたら、りん子のヤツ、いまこの時間を気分よく過ごしているんだな〜とほくそ笑んでくださいませ^^
今朝の「等式」感想です。好きです、仕草。(笑)前々から女性の所作についてはりん子のエントリーで私が意識していることはご存じかと思いますが、「手首をそらす」」ことが美しい所作なのかはしりませんが、確かに好きです。なぜその好意が美しく見えある種の男を引きつけるのかの検証してくれるみたいなので楽しみにしていますが、はたしてそんなこと検証できるのでしょうかね~りん子のアンテナと審美眼に期待です。
お願い
非日常的な日常
ホテルに入る前から欲情していた。
(あれ?この前のホテル話もこんなはじまりだった^^;いや、時期はいろいろでして、そう年がら年中欲情しているわけじゃなくて…)
待ち合わせをして、いつもの喫煙所から少し移動した凹みのところ。
開店前のショッピングセンターの防火扉の凹み。
コの字型になっているから、まあ、正面の道路からは丸見えなんだけど、両脇と背後は囲われている。
たた囲われているといっても、右側と背後はガラスの壁になっているので、開店準備の店員やお掃除の人がいれば丸見えのところ。
ここで那智さんに下着を脱がしてもらう。
先にある信号の変わり具合によって人の流れに強弱があるので、タイミングを見て。
りん子、俺の後ろにいな
わたしを隠すように道路に体を向けて後ろ手でスカートをめくり下着に指をかけた。
もう、もう、この男女が重なるように凹みにいるだけで充分怪しい!!
ガラス越しの店内にいつ人が来るかわからない!!!
恐いし恥ずかしいし、もう心の中はジタバタ。
スッと引き下ろし、こちらに向き直してもらって両手でささっと下げてくれる。
あわあわしながら片足ずつ脱いでいく。
あっという間の出来事。
恥ずかしくて恐くてしかたないけれど、脱がしてもらうという行為が露出の甘い快感にしてくれる。
くしゃくしゃに丸まった下着がなんだかとても弱々しいもののようだった。
遅い朝食を食べようとお店に向かう那智さん。
そんなことをした後だから欲情してしまっていつもとテンションが違っているわたし。
那智さん、那智さん、ご飯なんていらないから、すぐホテル行きましょ。ね、ね。
こういうテンションになれたときは冗談半分でこんなお願いを口にできる。
それはちょっと楽しい。
那智さんも、本気半分なわたしをきっと楽しんでいるはずだ。
もちろんわたしのお願いなんて聞いてくれるはずもなく、遅い朝食を取ってからホテルに向かった。
そんな状態だったからホテルに入る前から欲情だったのだ。
部屋に入ってからも、もうそわそわしてしまっている。
早く抱いてほしい。
那智さんの携帯が鳴り、スーツのポケットからそれを取り出し話しはじめた。
ソファに腰掛けている足元に座る。
那智さんの膝の間に収まりながら、正面にあるはずの見えないおちんちんの存在を意識して欲情が溢れてしまう。
片手で携帯を持ちながらもう片方の手が、またポケットに伸び、首輪とリードが出てきた。
まるで携帯を取り出すみたいに。
首輪を渡され、足元に正座しながら付ける。
ポケットに入っていたということは、もしかしたらお外で遊ぶ気持もあったのかもしれない。
使われなかったことが、安心のような、残念なような。
カチャリ。
お仕事の会話をしながらリードを繋いでくれた。
リードの先を那智さんが持つ。
うれしい!!
うれしい!!
なんでこんなにうれしいんだろう。
たわんだリードがまるで安心のへその緒みたいだ。
幸福と快感と生きるエネルギーまで注いでくれている。
もうドバドバと欲情が溢れている。
おちんぽ様がほしい。
顔を上げれば視界にズボンのファスナーがあるはずだ。
むしゃぶりついてしまいそうで、そうしたくなっている自分が恥ずかしくて、うつむいたまま腰を揺らして無言でお願いを伝える。
しばらくして、会話の途中でファスナーを降ろしておちんぽ様をくれた。
あああ、うれしい!!
お口に含み、ずぶずぶと音を立ててしゃぶる。
最初はほんの少しスーツを汚してしまわないか気にしていたけれど、もう気持よくてたまらなくてどうでもよくなっていく。
いつの間にかお電話が終っていた。
りん子、口がおまんこみたいだね
那智さんのこの言葉は合図。
お口がおまんこになる。
吸い付くようにしゃぶりながら激しく上下に頭を動かす。
それと同じように正座した腰も大きく揺れる。
口の周りと、足の裏が足首が太ももが、どんどん濡れてくる。
髪は乱れ、濡れた口元に張り付く。
無我夢中で頭と腰を動かすわたしは、きっとはしたない女になっているだろう。
世界中で誰に思われるよりも一番可愛いと思ってほしい人にこの上なくはしたない姿を見せることの抵抗感、でも、快感のほうが勝ってしまって、それを諦める瞬間はとても興奮する。
頭と腰がまるで別々の生き物みたいに器用に自分勝手に動いていた。
服を脱いでベッドに。
前回股縄を巻いてギブアップした鞭だ。
ギブアップしてすぐ次のときにするということは、きっと容赦しないつもりだろう。
でも今日はもうすでにふわふわしているから、恐いけど最初から喜んでしまっている。
少し慣らすように最初の一発。
大丈夫。
すぐ次。
また次。
中くらいの痛さで連続している。
これって、意外とキツい。
キツい上に、それが続くだけで、一気にあちらの世界に行かれるわけでもないのでだんだんこの状態がイヤになってきそうになる。
もしかしたら、それが伝わったのかもしれない。
強く、一発。
ぎゃっと身をよじり、痛さを逃す。
もう一発。
はうう、と体を曲げる。
ビリビリする痛みが徐々に引いていくと、『ふっ』と体が軽くなるように感じる。
これ、これを待っていた。
強烈な痛みが引いていくとふわっとなる。
一歩あの世界に近づく。
また次の痛みが引くときにふわっ。
こんなふうにひとつひとと正気を手放していくのだ。
何回か繰り返すと、もう、痛いことがうれしくてたまらなくなってきて、ゴムのバラ鞭を捻りゴツゴツした一本鞭を作っている姿を恐怖と歓喜の目で見上げるようになるのだ。
枕を抱えて痛みと快感に酔っていると、鞭とは違う刺激が皮膚を刺した。
熱湯だ!!
湧かしたお湯をスプーンで掬ってお尻に垂らしている。
何本もの鞭の痕が付いた真っ赤な皮膚に熱湯。
刺すような痛みと沁みる痛み。
鞭で皮膚が痛んでいることがわかる。
しばらく鞭の破壊力のある痛みとと熱湯の鋭い痛みが繰り返された。
痛くて笑う。
嬉しくて泣く。
甘えてキスをせがみ、おっぱいにしゃぶりつく。
おちんぽ様、入れてください
ずっとお願いしているのに入れてくれない。
入れてください、ね、入れて
ベッドサイドに立つ那智さんに体を寄せて、小さい声で唱える。
入れやすいように腰を浮かせて。
あまりに小さい声だったから那智さんに届くのは少し時間がかかっただろう。
もはや那智さんに届くとか届かないとか、どちらでもよくなっているような種類の懇願だった。
わたしはいつから入れてくださいと懇願しながら腰を浮かせる女になってしまったのだろう。
そんな自分がいとおしくて。
それを作った那智さんに抱え込んでもらっているような気持になる。
今朝の「等式」感想です。りん子は元々、はしたなくなかった。(もしくは恥ずかしくて表現できなかった・笑)→私がりん子の快感を育て、我慢できなくした。→だから、りん子がはしたなくしても仕方がない。→私の責任である。こんな根拠でりん子がこの手のエントリーを書くことが出来る。
でも、ここで私の身勝手な考えが・・・・。自分が女性に対してスケベにするのは嬉しいけれど、他の誰かによって成長・教育・仕込まれたのはネガティブになってしまう。
勿論、その女性が元々スケベな資質がある場合は除かれますが。1歩間違えば全女性から総攻撃を受けそうな発言ですが男はでなく「私は」女性はではなく「私の好みの女性は」で読んでください、それでも十分怒られそうです。
ホテルに入る前から欲情していた。
(あれ?この前のホテル話もこんなはじまりだった^^;いや、時期はいろいろでして、そう年がら年中欲情しているわけじゃなくて…)
待ち合わせをして、いつもの喫煙所から少し移動した凹みのところ。
開店前のショッピングセンターの防火扉の凹み。
コの字型になっているから、まあ、正面の道路からは丸見えなんだけど、両脇と背後は囲われている。
たた囲われているといっても、右側と背後はガラスの壁になっているので、開店準備の店員やお掃除の人がいれば丸見えのところ。
ここで那智さんに下着を脱がしてもらう。
先にある信号の変わり具合によって人の流れに強弱があるので、タイミングを見て。
りん子、俺の後ろにいな
わたしを隠すように道路に体を向けて後ろ手でスカートをめくり下着に指をかけた。
もう、もう、この男女が重なるように凹みにいるだけで充分怪しい!!
ガラス越しの店内にいつ人が来るかわからない!!!
恐いし恥ずかしいし、もう心の中はジタバタ。
スッと引き下ろし、こちらに向き直してもらって両手でささっと下げてくれる。
あわあわしながら片足ずつ脱いでいく。
あっという間の出来事。
恥ずかしくて恐くてしかたないけれど、脱がしてもらうという行為が露出の甘い快感にしてくれる。
くしゃくしゃに丸まった下着がなんだかとても弱々しいもののようだった。
遅い朝食を食べようとお店に向かう那智さん。
そんなことをした後だから欲情してしまっていつもとテンションが違っているわたし。
那智さん、那智さん、ご飯なんていらないから、すぐホテル行きましょ。ね、ね。
こういうテンションになれたときは冗談半分でこんなお願いを口にできる。
それはちょっと楽しい。
那智さんも、本気半分なわたしをきっと楽しんでいるはずだ。
もちろんわたしのお願いなんて聞いてくれるはずもなく、遅い朝食を取ってからホテルに向かった。
そんな状態だったからホテルに入る前から欲情だったのだ。
部屋に入ってからも、もうそわそわしてしまっている。
早く抱いてほしい。
那智さんの携帯が鳴り、スーツのポケットからそれを取り出し話しはじめた。
ソファに腰掛けている足元に座る。
那智さんの膝の間に収まりながら、正面にあるはずの見えないおちんちんの存在を意識して欲情が溢れてしまう。
片手で携帯を持ちながらもう片方の手が、またポケットに伸び、首輪とリードが出てきた。
まるで携帯を取り出すみたいに。
首輪を渡され、足元に正座しながら付ける。
ポケットに入っていたということは、もしかしたらお外で遊ぶ気持もあったのかもしれない。
使われなかったことが、安心のような、残念なような。
カチャリ。
お仕事の会話をしながらリードを繋いでくれた。
リードの先を那智さんが持つ。
うれしい!!
うれしい!!
なんでこんなにうれしいんだろう。
たわんだリードがまるで安心のへその緒みたいだ。
幸福と快感と生きるエネルギーまで注いでくれている。
もうドバドバと欲情が溢れている。
おちんぽ様がほしい。
顔を上げれば視界にズボンのファスナーがあるはずだ。
むしゃぶりついてしまいそうで、そうしたくなっている自分が恥ずかしくて、うつむいたまま腰を揺らして無言でお願いを伝える。
しばらくして、会話の途中でファスナーを降ろしておちんぽ様をくれた。
あああ、うれしい!!
お口に含み、ずぶずぶと音を立ててしゃぶる。
最初はほんの少しスーツを汚してしまわないか気にしていたけれど、もう気持よくてたまらなくてどうでもよくなっていく。
いつの間にかお電話が終っていた。
りん子、口がおまんこみたいだね
那智さんのこの言葉は合図。
お口がおまんこになる。
吸い付くようにしゃぶりながら激しく上下に頭を動かす。
それと同じように正座した腰も大きく揺れる。
口の周りと、足の裏が足首が太ももが、どんどん濡れてくる。
髪は乱れ、濡れた口元に張り付く。
無我夢中で頭と腰を動かすわたしは、きっとはしたない女になっているだろう。
世界中で誰に思われるよりも一番可愛いと思ってほしい人にこの上なくはしたない姿を見せることの抵抗感、でも、快感のほうが勝ってしまって、それを諦める瞬間はとても興奮する。
頭と腰がまるで別々の生き物みたいに器用に自分勝手に動いていた。
服を脱いでベッドに。
前回股縄を巻いてギブアップした鞭だ。
ギブアップしてすぐ次のときにするということは、きっと容赦しないつもりだろう。
でも今日はもうすでにふわふわしているから、恐いけど最初から喜んでしまっている。
少し慣らすように最初の一発。
大丈夫。
すぐ次。
また次。
中くらいの痛さで連続している。
これって、意外とキツい。
キツい上に、それが続くだけで、一気にあちらの世界に行かれるわけでもないのでだんだんこの状態がイヤになってきそうになる。
もしかしたら、それが伝わったのかもしれない。
強く、一発。
ぎゃっと身をよじり、痛さを逃す。
もう一発。
はうう、と体を曲げる。
ビリビリする痛みが徐々に引いていくと、『ふっ』と体が軽くなるように感じる。
これ、これを待っていた。
強烈な痛みが引いていくとふわっとなる。
一歩あの世界に近づく。
また次の痛みが引くときにふわっ。
こんなふうにひとつひとと正気を手放していくのだ。
何回か繰り返すと、もう、痛いことがうれしくてたまらなくなってきて、ゴムのバラ鞭を捻りゴツゴツした一本鞭を作っている姿を恐怖と歓喜の目で見上げるようになるのだ。
枕を抱えて痛みと快感に酔っていると、鞭とは違う刺激が皮膚を刺した。
熱湯だ!!
湧かしたお湯をスプーンで掬ってお尻に垂らしている。
何本もの鞭の痕が付いた真っ赤な皮膚に熱湯。
刺すような痛みと沁みる痛み。
鞭で皮膚が痛んでいることがわかる。
しばらく鞭の破壊力のある痛みとと熱湯の鋭い痛みが繰り返された。
痛くて笑う。
嬉しくて泣く。
甘えてキスをせがみ、おっぱいにしゃぶりつく。
おちんぽ様、入れてください
ずっとお願いしているのに入れてくれない。
入れてください、ね、入れて
ベッドサイドに立つ那智さんに体を寄せて、小さい声で唱える。
入れやすいように腰を浮かせて。
あまりに小さい声だったから那智さんに届くのは少し時間がかかっただろう。
もはや那智さんに届くとか届かないとか、どちらでもよくなっているような種類の懇願だった。
わたしはいつから入れてくださいと懇願しながら腰を浮かせる女になってしまったのだろう。
そんな自分がいとおしくて。
それを作った那智さんに抱え込んでもらっているような気持になる。
今朝の「等式」感想です。りん子は元々、はしたなくなかった。(もしくは恥ずかしくて表現できなかった・笑)→私がりん子の快感を育て、我慢できなくした。→だから、りん子がはしたなくしても仕方がない。→私の責任である。こんな根拠でりん子がこの手のエントリーを書くことが出来る。
でも、ここで私の身勝手な考えが・・・・。自分が女性に対してスケベにするのは嬉しいけれど、他の誰かによって成長・教育・仕込まれたのはネガティブになってしまう。
勿論、その女性が元々スケベな資質がある場合は除かれますが。1歩間違えば全女性から総攻撃を受けそうな発言ですが男はでなく「私は」女性はではなく「私の好みの女性は」で読んでください、それでも十分怒られそうです。