気持ちを乗っける
独り言
言葉は悪いんだけど、久しぶりに胸くそ悪いものを見てしまった。
辻井伸行さんというピアニストが国際ピアノコンクールで優勝したニュース。
日本人として初の優勝だそうで、それだけでも素晴らしいことなのでしょうけど、全盲だということでより脚光を浴びている。
まったく関係のない私まで、祝福の気持ちとなんだか『どうだ〜』というわけのわからない誇らしさをお裾分けさせてもらった感じだった。
優勝した日からニュースや情報番組で様々な報道をされ、ご家族のご苦労や愛情に心を動かされた。
中でもお父さんの語ったエピソードに、胸を打たれて、朝からウルウルしてしまった。
生まれたときから目が見えない辻井さんが、10代(だったかな?)の頃、一度だけお父さんにこう言ったそうだ。
『一日だけ目が見えるなら、その後また見えなくなってもいいから、一日だけ見ることができるならお母さんの顔を見てみたい』
と。
幼い頃から常に支えてきてくれたであろうお母さんの顔を一度でいいから見てみたい。
お父さんは、それを聞いた時はさすがに不憫になったと、声をつまらせながらインタビューに応えていた。
そうだよな〜、愛する人の顔見たいよね。
それを一度だけ口に出して願う息子の姿を見たお父さんは、胸がつぶれそうなほど切なかっただろう。
いち視聴者のわたしが『切なかった』なんて想像するのも申し訳ないくらい、辻井さんの言葉とそれを振り返るお父さんの言葉は心からの、ううん、かっこいい言い方だけど『魂の言葉』だった。
そのエピソードをたまたま見て、しばらくして辻井さんが帰国して凱旋記者会見がテレビで流れていたのをたまたま目にした時のことだった。
チャンネルザッピングをしていたので、前後の関係がわからずその一場面だけを取って言う失礼をお許しいただきたいのですが。
テレビ画面には辻井さんが写っていて、たくさんのマイクの前で質問に答えている様子だった。
女性の声が聞こえてきた。
多分、どこかの記者かレポーターだろう。
ものすごく感情を込めたような声でこう質問してきた。
『もしも、一日だけ目が見えるとしたら…』
ここで私はテレビのスイッチを消した。
恐らく、『一日だけ見えるとしたら、何が見たいですか?』と聞いたのだろう。
そのインタビュアーが前に書いたお父さんのエピソードを知っているのか、知らないのか、それはわからない。
だけど、もし知らなかったとしたら、なんて失礼な質問だろう。
そして、もし知っていたのなら、『お母さん』という答えを誘導しているはずで、それはなんて無神経な能のない質問だろう。
あの言葉は、それを共有できる父と息子の間でひっそりと交わされた言葉だから『魂の言葉』として、私には感じられたんだ。
それを、誰とも知らない人に、無理矢理『美談』として引っ張り出されたくないんじゃないかと、勝手に思ってしまった。
その言葉に魂が宿るかどうかは、それを発する人の心で決まると思う。
テレビに載せる美談にしようと、いくら女性レポーターが感情を込めていっても、何も心を揺さぶらない。
もちろんね、会話には『誘導』はあるかもしれない、でも、『裏側の意図』がわかってしまうのは、よくないよね。
あまりの無神経さに腹が立った。
その後辻井さんがどう答えたか見ていないのだけど、なんだか不憫になってしまったよ。
言葉には魂が宿るなんて、日頃考えないし、そんな立派な人生を歩んでいるわけじゃなけど。
言葉には、その人の気持ちが乗っかるな〜というのを感じることが時々ある。
前エントリーで『未来の自分のために放置される幸せ』を書いたけど、それに拍手コメントで『羨ましくて、憎らしくて…』という始まりでコメントをくれた方がいた。
その方とは初対面(ネット上でですが)ではないので多少のアドバンテージはあるにしても、『憎らしい』と書くにはちょっと勇気がいるはずだ。
だけど、その人はその人の幸せを持っているなかで、『憎らしい』で互いの幸せの共感を表してくれたのだ。
普通ちょっと身構える言葉だけど、そこに悪意がないのがわかるから、私は喜んでその言葉を受け取った。
気持ちは言葉に乗っかるのだ。
逆に、字面としては良い言葉を使っていてもそこに悪意や別な意図を含んでしまうと、やはり伝わる。
例のレポーターのような言葉の裏側の『別な意図』は、伝わってしまうものだ。
ただ、こればかりは、好みや感性の相性があると思う。
もしかしたら、あの記者会見だけしか見ていない人や感性がレポーター寄りな人には、感動のインタビューに感じられているかもしれないので、どれが良い悪いじゃないと思うのだけど。
私は、誰も傷つけたくないと思いながらも、自分の感性を信じて言葉に気持ちを乗っけていこうと思う。
胸くそ悪くなったけど、そう思い返せたから良しとするか。
ちなみに、那智さんは字面より『気持ちを乗っける』人。
いや、もっと字面も気にしたほうがいいんじゃない?とは思うけど、とにかく那智さん的言葉の選び方があるのだ。
那智さんのことよくわかっている人には『気持ちが乗っかってる』こと伝わると思うのだけど、あんまり字面を気にしないから、時々ヒヤヒヤする^^;
先日もKIRAさんのブログに『頑張ってくださいは嫌い』とコメントしていた。
あれは、那智さんとしては最高の応援なんだけど、またまたKIRAさんとうちを両方見ている方が、拍手コメントで『KIRAさんのところのコメントを見て、びっくりした』とコメントをくれたのです。
その方は良い解釈で取ってくれたから、問題ないのだけど。
そこで、『あ〜、これって気持ち乗っかってるの伝わりにくいかも?』と改めて思ったのだ。
私は慣れているのだけどね^^
面白い人でしょ?^^
『頑張って』というのは、とても無責任な励まし言葉だと思ってるの。
頑張ってるのは本人が一番よくわかってるんだから、周りが言うと突き放しているイメージがある。
自分と無関係の人に言っているみたいで、好きじゃない、そうなんだ。
私が仕事に出かける最中にたまたまお話できるとき。
「じゃあ、そろそろ会場入りしますね〜」と言うと。
「うん、頑張って…ああ、頑張ってじゃないな、じゃあ、りん子祝福ね〜」と言って送り出してくれる。
つい言ってしまいそうになるようで、こうやって訂正までしてくれる。
こういうとき、ああ、気持ち乗っかってるな〜と感じるのだ。
確かに、ちょっと特殊な感性で『頑張っては嫌い』という字面には驚かされるけど、那智さんらしい。
もし、どこかで那智さんとやり取りをされる機会がある方がいたら、字面じゃなくて乗っかってる気持ちを見てね〜と思う^^
あ、でも、それと、発注の滞りは関係ないので…。
KIRAさ〜ん、ちょっと滞っているみたいですけど、もう少し待っててね〜^^(って、お名前いっぱい出しちゃってごめんなさい^^;)
言葉は悪いんだけど、久しぶりに胸くそ悪いものを見てしまった。
辻井伸行さんというピアニストが国際ピアノコンクールで優勝したニュース。
日本人として初の優勝だそうで、それだけでも素晴らしいことなのでしょうけど、全盲だということでより脚光を浴びている。
まったく関係のない私まで、祝福の気持ちとなんだか『どうだ〜』というわけのわからない誇らしさをお裾分けさせてもらった感じだった。
優勝した日からニュースや情報番組で様々な報道をされ、ご家族のご苦労や愛情に心を動かされた。
中でもお父さんの語ったエピソードに、胸を打たれて、朝からウルウルしてしまった。
生まれたときから目が見えない辻井さんが、10代(だったかな?)の頃、一度だけお父さんにこう言ったそうだ。
『一日だけ目が見えるなら、その後また見えなくなってもいいから、一日だけ見ることができるならお母さんの顔を見てみたい』
と。
幼い頃から常に支えてきてくれたであろうお母さんの顔を一度でいいから見てみたい。
お父さんは、それを聞いた時はさすがに不憫になったと、声をつまらせながらインタビューに応えていた。
そうだよな〜、愛する人の顔見たいよね。
それを一度だけ口に出して願う息子の姿を見たお父さんは、胸がつぶれそうなほど切なかっただろう。
いち視聴者のわたしが『切なかった』なんて想像するのも申し訳ないくらい、辻井さんの言葉とそれを振り返るお父さんの言葉は心からの、ううん、かっこいい言い方だけど『魂の言葉』だった。
そのエピソードをたまたま見て、しばらくして辻井さんが帰国して凱旋記者会見がテレビで流れていたのをたまたま目にした時のことだった。
チャンネルザッピングをしていたので、前後の関係がわからずその一場面だけを取って言う失礼をお許しいただきたいのですが。
テレビ画面には辻井さんが写っていて、たくさんのマイクの前で質問に答えている様子だった。
女性の声が聞こえてきた。
多分、どこかの記者かレポーターだろう。
ものすごく感情を込めたような声でこう質問してきた。
『もしも、一日だけ目が見えるとしたら…』
ここで私はテレビのスイッチを消した。
恐らく、『一日だけ見えるとしたら、何が見たいですか?』と聞いたのだろう。
そのインタビュアーが前に書いたお父さんのエピソードを知っているのか、知らないのか、それはわからない。
だけど、もし知らなかったとしたら、なんて失礼な質問だろう。
そして、もし知っていたのなら、『お母さん』という答えを誘導しているはずで、それはなんて無神経な能のない質問だろう。
あの言葉は、それを共有できる父と息子の間でひっそりと交わされた言葉だから『魂の言葉』として、私には感じられたんだ。
それを、誰とも知らない人に、無理矢理『美談』として引っ張り出されたくないんじゃないかと、勝手に思ってしまった。
その言葉に魂が宿るかどうかは、それを発する人の心で決まると思う。
テレビに載せる美談にしようと、いくら女性レポーターが感情を込めていっても、何も心を揺さぶらない。
もちろんね、会話には『誘導』はあるかもしれない、でも、『裏側の意図』がわかってしまうのは、よくないよね。
あまりの無神経さに腹が立った。
その後辻井さんがどう答えたか見ていないのだけど、なんだか不憫になってしまったよ。
言葉には魂が宿るなんて、日頃考えないし、そんな立派な人生を歩んでいるわけじゃなけど。
言葉には、その人の気持ちが乗っかるな〜というのを感じることが時々ある。
前エントリーで『未来の自分のために放置される幸せ』を書いたけど、それに拍手コメントで『羨ましくて、憎らしくて…』という始まりでコメントをくれた方がいた。
その方とは初対面(ネット上でですが)ではないので多少のアドバンテージはあるにしても、『憎らしい』と書くにはちょっと勇気がいるはずだ。
だけど、その人はその人の幸せを持っているなかで、『憎らしい』で互いの幸せの共感を表してくれたのだ。
普通ちょっと身構える言葉だけど、そこに悪意がないのがわかるから、私は喜んでその言葉を受け取った。
気持ちは言葉に乗っかるのだ。
逆に、字面としては良い言葉を使っていてもそこに悪意や別な意図を含んでしまうと、やはり伝わる。
例のレポーターのような言葉の裏側の『別な意図』は、伝わってしまうものだ。
ただ、こればかりは、好みや感性の相性があると思う。
もしかしたら、あの記者会見だけしか見ていない人や感性がレポーター寄りな人には、感動のインタビューに感じられているかもしれないので、どれが良い悪いじゃないと思うのだけど。
私は、誰も傷つけたくないと思いながらも、自分の感性を信じて言葉に気持ちを乗っけていこうと思う。
胸くそ悪くなったけど、そう思い返せたから良しとするか。
ちなみに、那智さんは字面より『気持ちを乗っける』人。
いや、もっと字面も気にしたほうがいいんじゃない?とは思うけど、とにかく那智さん的言葉の選び方があるのだ。
那智さんのことよくわかっている人には『気持ちが乗っかってる』こと伝わると思うのだけど、あんまり字面を気にしないから、時々ヒヤヒヤする^^;
先日もKIRAさんのブログに『頑張ってくださいは嫌い』とコメントしていた。
あれは、那智さんとしては最高の応援なんだけど、またまたKIRAさんとうちを両方見ている方が、拍手コメントで『KIRAさんのところのコメントを見て、びっくりした』とコメントをくれたのです。
その方は良い解釈で取ってくれたから、問題ないのだけど。
そこで、『あ〜、これって気持ち乗っかってるの伝わりにくいかも?』と改めて思ったのだ。
私は慣れているのだけどね^^
面白い人でしょ?^^
『頑張って』というのは、とても無責任な励まし言葉だと思ってるの。
頑張ってるのは本人が一番よくわかってるんだから、周りが言うと突き放しているイメージがある。
自分と無関係の人に言っているみたいで、好きじゃない、そうなんだ。
私が仕事に出かける最中にたまたまお話できるとき。
「じゃあ、そろそろ会場入りしますね〜」と言うと。
「うん、頑張って…ああ、頑張ってじゃないな、じゃあ、りん子祝福ね〜」と言って送り出してくれる。
つい言ってしまいそうになるようで、こうやって訂正までしてくれる。
こういうとき、ああ、気持ち乗っかってるな〜と感じるのだ。
確かに、ちょっと特殊な感性で『頑張っては嫌い』という字面には驚かされるけど、那智さんらしい。
もし、どこかで那智さんとやり取りをされる機会がある方がいたら、字面じゃなくて乗っかってる気持ちを見てね〜と思う^^
あ、でも、それと、発注の滞りは関係ないので…。
KIRAさ〜ん、ちょっと滞っているみたいですけど、もう少し待っててね〜^^(って、お名前いっぱい出しちゃってごめんなさい^^;)
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