『たまたま』
独り言
那智語録というか那智イズムというか、那智さんの言葉や考え方はずいぶんとわたしを助けてくれている。
成熟した人が聞いたら当たり前のことかもしれないけど、言葉にしてもらえるということは心に染みていきやすい。
まあ、これも相性があると思うので、すべてがすべてに当てはまるとは思っていませんが。
わたしには合っているようで比較的すんなりと受け入れることができているんだ。
たくさんあるうちのひとつを今日は披露します^^
付き合ってまだ間もない頃だったと思う。
那智さんのお仕事の都合でお休みが合わない時が続いたことがあった。
今週もダメ、来週も無理みたい、お仕事場にちょっと寄ることはできても、ゆっくり会える予定が立たない。
また、こんな時もあった。
たまたま予定が立て込んでいてお話しできない夜が連続した。
いまでも充分コミュニケーションは取ってくれているけど、付き合いはじめの頃はちょっと狂ったような繋がり方を欲していたので、お話しできない夜はかなりの痛手だったのだ。(『尊敬』の辺り^^)
こういうとき、少し、ううんいっぱい淋しいと思う。
次はいつ会えるの?
お話しできる夜は来るの?
そんなわたしに那智さんはこう言う。
たまたまだ。
長く続くりん子との付き合いの中で『たまたま』都合が悪いことが重なっているだけ。
それを抜け出せれば、また元の状態に戻る。
たまたま、いまはそういう時だと思えばいい。
じゃあ、それが何週間も続いても?
そう、たまたま何週間か続いているだけ。
俺もりん子も会いたいと思っているのだから、いつかは必ず来るよ。
永遠なんてないと思うけど。
那智さんの続けていくという意志が、長い『たまたま』も次のための時間と思えるようになっていった。
ブログでも何回か書いているけど。
那智さんとわたしはある時期まったくお休みが合わないことがあった。(『ノロケとトホホなお話』)
会える方法といえば、わたしが片道2時間かけてランチに行くということだけ。
お仕事場からファミレスまでの移動時間を考慮したら、一緒にいられるのはせいぜい50分間。
わたしは、那智さんに会いたい一心で、50分間のために往復4時間の道のりを通ったものだ。
その状況がいつまで続くのか、まったくわからなかった。
無期限の『たまたま』だったわけです。
それでも仕事帰りにすごい遠回りをしてわたしの家の近くまでこっそり来てくれる那智さんに、感謝の気持ちでその無期限の『たまたま』を過ごした。
結局一年と数ヶ月、それは続いた。
過ぎてしまえば、長いような短いような一年数ヶ月だったけど。
思い出しても、せつなく必死な一年数ヶ月だった。
いま、お休みを自分でコントロールできる立場になって、その頃からは想像できないくらい会えているけど、よく頑張ったな〜と那智さんに感謝で自分にエラい!!と言っちゃう^^
ただ、やはり那智さんのその考え方をずっと前から教わっていたから、せつないながらもなんとかやっていかれたのかなと思うのだ。
お互いに継続したいという思いがあれば、どんなに長くてもそれは『たまたま』で、いつかきっとそれは終わると信じていられたのですね。
こんなふうに、那智さんの言葉はわたしをたくさん助けてくれる。
何かうまくいかなかったとき。
うまくいくように努力することは必要だけど。
たまたまだと思う。
何回かの成功と何回かの失敗の、失敗がたまたまいまなんだ。
だから、必要以上に自分を責めることはせず、次に繋げようと思えるようになっている。(練習中^^)
那智さんとのこと以外でも、この思考は気持ちを楽にしてくれて一歩踏み出す力になっている。
大変なことがあっても、きっとそれは『たまたま』。
長い人生の、ほんの一時の『たまたま』なんだ。
この先も人生は続くと考えれば、それは取るに足らない出来事になる。
…、なぜ、こんな教訓めいたことを言っているかというと…。
いまわたし、子供や地域関係で役員というのをたまたま3つ引き受けている^^;
順番だったりやる人がいなかったりで、たまたま重なったのだ。
ちょっと大変なんだけど。
たまたま3つ重なっただけ。
長い人生のほんの一部の『たまたま』なんだ。
この先も人生は続くと思えば、たかが一年、それは取るに足らないものになる、はず(笑)
人生を、関係を、これからも継続させたいという気持ち、それがわかっていれば『たまたま』は取るに足らないものになる^^
そんなふうに那智さんの言葉を染み込ませて、3つ重なる役員をこなそうと思う、わたしでした^^
でもって、いまはGW。
『たまたま』那智さんに会えない期間、なだけ^^
大事なことは、人生も、関係も、これからも続けていくって思うこと、だよね^^
那智語録というか那智イズムというか、那智さんの言葉や考え方はずいぶんとわたしを助けてくれている。
成熟した人が聞いたら当たり前のことかもしれないけど、言葉にしてもらえるということは心に染みていきやすい。
まあ、これも相性があると思うので、すべてがすべてに当てはまるとは思っていませんが。
わたしには合っているようで比較的すんなりと受け入れることができているんだ。
たくさんあるうちのひとつを今日は披露します^^
付き合ってまだ間もない頃だったと思う。
那智さんのお仕事の都合でお休みが合わない時が続いたことがあった。
今週もダメ、来週も無理みたい、お仕事場にちょっと寄ることはできても、ゆっくり会える予定が立たない。
また、こんな時もあった。
たまたま予定が立て込んでいてお話しできない夜が連続した。
いまでも充分コミュニケーションは取ってくれているけど、付き合いはじめの頃はちょっと狂ったような繋がり方を欲していたので、お話しできない夜はかなりの痛手だったのだ。(『尊敬』の辺り^^)
こういうとき、少し、ううんいっぱい淋しいと思う。
次はいつ会えるの?
お話しできる夜は来るの?
そんなわたしに那智さんはこう言う。
たまたまだ。
長く続くりん子との付き合いの中で『たまたま』都合が悪いことが重なっているだけ。
それを抜け出せれば、また元の状態に戻る。
たまたま、いまはそういう時だと思えばいい。
じゃあ、それが何週間も続いても?
そう、たまたま何週間か続いているだけ。
俺もりん子も会いたいと思っているのだから、いつかは必ず来るよ。
永遠なんてないと思うけど。
那智さんの続けていくという意志が、長い『たまたま』も次のための時間と思えるようになっていった。
ブログでも何回か書いているけど。
那智さんとわたしはある時期まったくお休みが合わないことがあった。(『ノロケとトホホなお話』)
会える方法といえば、わたしが片道2時間かけてランチに行くということだけ。
お仕事場からファミレスまでの移動時間を考慮したら、一緒にいられるのはせいぜい50分間。
わたしは、那智さんに会いたい一心で、50分間のために往復4時間の道のりを通ったものだ。
その状況がいつまで続くのか、まったくわからなかった。
無期限の『たまたま』だったわけです。
それでも仕事帰りにすごい遠回りをしてわたしの家の近くまでこっそり来てくれる那智さんに、感謝の気持ちでその無期限の『たまたま』を過ごした。
結局一年と数ヶ月、それは続いた。
過ぎてしまえば、長いような短いような一年数ヶ月だったけど。
思い出しても、せつなく必死な一年数ヶ月だった。
いま、お休みを自分でコントロールできる立場になって、その頃からは想像できないくらい会えているけど、よく頑張ったな〜と那智さんに感謝で自分にエラい!!と言っちゃう^^
ただ、やはり那智さんのその考え方をずっと前から教わっていたから、せつないながらもなんとかやっていかれたのかなと思うのだ。
お互いに継続したいという思いがあれば、どんなに長くてもそれは『たまたま』で、いつかきっとそれは終わると信じていられたのですね。
こんなふうに、那智さんの言葉はわたしをたくさん助けてくれる。
何かうまくいかなかったとき。
うまくいくように努力することは必要だけど。
たまたまだと思う。
何回かの成功と何回かの失敗の、失敗がたまたまいまなんだ。
だから、必要以上に自分を責めることはせず、次に繋げようと思えるようになっている。(練習中^^)
那智さんとのこと以外でも、この思考は気持ちを楽にしてくれて一歩踏み出す力になっている。
大変なことがあっても、きっとそれは『たまたま』。
長い人生の、ほんの一時の『たまたま』なんだ。
この先も人生は続くと考えれば、それは取るに足らない出来事になる。
…、なぜ、こんな教訓めいたことを言っているかというと…。
いまわたし、子供や地域関係で役員というのをたまたま3つ引き受けている^^;
順番だったりやる人がいなかったりで、たまたま重なったのだ。
ちょっと大変なんだけど。
たまたま3つ重なっただけ。
長い人生のほんの一部の『たまたま』なんだ。
この先も人生は続くと思えば、たかが一年、それは取るに足らないものになる、はず(笑)
人生を、関係を、これからも継続させたいという気持ち、それがわかっていれば『たまたま』は取るに足らないものになる^^
そんなふうに那智さんの言葉を染み込ませて、3つ重なる役員をこなそうと思う、わたしでした^^
でもって、いまはGW。
『たまたま』那智さんに会えない期間、なだけ^^
大事なことは、人生も、関係も、これからも続けていくって思うこと、だよね^^