徒然に『淘汰』
独り言
ずっと昔新聞で読んだ記事にこんなようなことが書いてあった(気がする^^;)
なんだったけなぁ、すごくうる覚えなんだけど…。
たしかね
何千年も前?
まだ猿に毛が生えたくらいの人類が(って、猿は毛ェ生えてる!!)別の大陸を目指して大移動したそうなんだけど、そのときの人数がね、100とかそれくらいだったというようなことが書いてあった(ような気がする^^;)
その辺りの説明はぜんぜん曖昧だから無視してください^^;
で、結局、その記事で言いたかったことは、要は人がだいたい同じ方向を向いて同じような意志で一番力を発揮できるのは100〜150人だみたいというようなことなのね。
100人より少ないと意志統一はしやすいけれど、パワーとしては弱い。
逆に150人を過ぎてくると、だんだん違う意志も生まれてきてまとまりとして、弱くなっていく。
だから人がある程度同じ気持ちで力を出すには100〜150人が適切な人数なんだって。
記事の記憶曖昧だし間違った認識かもしれないけど、わたしはこれを勝手に良いように解釈して自分に当てはめているんだ。
最近のカウンターの数字がね、ちょうど100〜150くらいなの^^
携帯からだと複数カウントされるらしいし、PCと携帯両方から見ていればその分上がるし、逆に週イチでまとめ読みとかしている人もいるだろうから、まあ純粋に閲覧人数は計れないのだけど、でも、そんなものだよね^^
きっとこれが適正で、尚かつわたしにとって心強い数字なんだろうって勝手に解釈している。
ううん、たまたま記事の人数とカウンターが同じようだからこじつけているだけ^^;
本当に思うことはちょっと別、数字じゃないんだな^^
『淘汰』なんだ^^
『薬指の刺青』をはじめて6月で丸5年になる。
たしか、開設した初日は24件だった。
それが徐々に増え、teacup時代にはありがたいことに200〜300、カウンターが回るようになっていた。
もっとたくさんの閲覧数のあるブログは山ほどあるのはわかっているけど、やっぱりカウンターが回ることは嬉しかった。(もしかしてfc2とカウント方法が違うかもしれないけど^^^;)
でも反面すこし怖かった。
SMやアダルトにカテゴライズされているのに、生い立ちを書いたり○○批判を書いたり、そのくせ自分は『とーっても幸せ』ってノロケまくっているのだもの、快く思わない人もいるだろうなって。
数字が増えれば増えるほどそのパーセンテージも上がるはずで、目に見えない負の感情にちょっと立ちすくむような気持ちになったこともあった。
コメント欄でわたしに対する批判的なコメントがついたときなどは、カウンターがグングン上がって、これも目に見えない負の何%の表れなんじゃないかなって思ったりした。
たぶんいろいろ多岐に渡って書いて、さらにノロケまくりたいわたしには200や300や、それよりもっとというのは分不相応だったんだと思う。
強い弱いじゃなくて、わたしのアンテナには手一杯だったんだと思う。
だけど人は余程の深い恨みがない限り、他者に向かう負の感情はそう長続きしないはずで、何年も続けていると当初『薬指の刺青』に負の感情を抱いていた人は、そのうちいなくなる。
負の感情を向けるより、もっと先の感情『無関心』になるのだ。
たぶん200や300の頃快く思わずに、でもなんだか気になって見てくれていた人はいつの間にかわたしに関心がなくなったのだと思う。
ここで吠えたりぐずぐずしたりノロケたりしている女なんてどーでもよくなっているはずだ。
いまの数字に落ち着いたのは他にもいろいろ理由はあるだろう。
でも確実に、何人かの生活からわたしは淘汰されいるはずだ。
そして、またわたしの知らぬ間にその人もわたしから淘汰されている。
こうしてある程度の期間同じことを続けていると良くも悪くも淘汰が生じ、何かだけが『残る』。
きっとその残ったものには価値がある。
(もしかして、ずっと負の感情を持ち続けながら読んでくれている人がいるとして、それだって長い間継続してくれるのは、価値があると思いたいです)
100〜150ということは関係なく、でもそれが数字に表れている部分もあると思う。
いまでも快く思わず、それでも見てくれている人もいるだろう(ありがとう^^)
もしかしたら内容によって快不快がある人もいるはず(ありがとう^^)
いろんな人が読んでくれていると思うけど、これだけノロケて吠えている女のブログを読み続けてくれる人たち、きっと何かしら共感したりシンパシーを感じてくれているのだと信じている。
わたしは優劣をつけることがキライだ。
誰かを同情したくないし、誰かに対して自分を卑下したくない(同情はヘタすると優越感にすり変わるものね)
残っている人たちも同じ方向を向いていると、ふとあの新聞記事を思い出し、願う。
ううん、わたしだって完璧じゃない、優劣をつけてしまうことだってあるかもしれない。
またわたしのやり方に優越感を感じ取る人もいるかもしれない。
こればかりは感性の相性なんだけど。
でもどんな形にしろ、わたしは優劣つけたくないんだと努めていることが、ひとつの方向になってくれていたらいいなと思う。
これは違う考えを排除したいということとは違うと思ってる。
『優劣をつけない』という方向を向いてくれていたら、反対意見も大歓迎です^^
ただ那智さんが大好きで、ここで日々アンテナに引っかかることをポンポン投げていることが大好きで書いている。
とにかく、数年かけて落ち着いた心強い100〜150に感謝して、徒然。
だってね。
次回からまたエロなしのノロケ話が始まるんだよ〜^^;
いつものように1mmのデートのことを3mくらいに書いちゃうんだよ〜^^;
それにお付き合いいただくための徒然だったのだ。
那智さんの老後の楽しみのための、那智さんが先に死んじゃったときの慰めのためのエントリーにどうかお付き合いくださいませ!!
<関連エントリー>
那智さんが先に死んじゃう!?
『生きる』
ずっと昔新聞で読んだ記事にこんなようなことが書いてあった(気がする^^;)
なんだったけなぁ、すごくうる覚えなんだけど…。
たしかね
何千年も前?
まだ猿に毛が生えたくらいの人類が(って、猿は毛ェ生えてる!!)別の大陸を目指して大移動したそうなんだけど、そのときの人数がね、100とかそれくらいだったというようなことが書いてあった(ような気がする^^;)
その辺りの説明はぜんぜん曖昧だから無視してください^^;
で、結局、その記事で言いたかったことは、要は人がだいたい同じ方向を向いて同じような意志で一番力を発揮できるのは100〜150人だみたいというようなことなのね。
100人より少ないと意志統一はしやすいけれど、パワーとしては弱い。
逆に150人を過ぎてくると、だんだん違う意志も生まれてきてまとまりとして、弱くなっていく。
だから人がある程度同じ気持ちで力を出すには100〜150人が適切な人数なんだって。
記事の記憶曖昧だし間違った認識かもしれないけど、わたしはこれを勝手に良いように解釈して自分に当てはめているんだ。
最近のカウンターの数字がね、ちょうど100〜150くらいなの^^
携帯からだと複数カウントされるらしいし、PCと携帯両方から見ていればその分上がるし、逆に週イチでまとめ読みとかしている人もいるだろうから、まあ純粋に閲覧人数は計れないのだけど、でも、そんなものだよね^^
きっとこれが適正で、尚かつわたしにとって心強い数字なんだろうって勝手に解釈している。
ううん、たまたま記事の人数とカウンターが同じようだからこじつけているだけ^^;
本当に思うことはちょっと別、数字じゃないんだな^^
『淘汰』なんだ^^
『薬指の刺青』をはじめて6月で丸5年になる。
たしか、開設した初日は24件だった。
それが徐々に増え、teacup時代にはありがたいことに200〜300、カウンターが回るようになっていた。
もっとたくさんの閲覧数のあるブログは山ほどあるのはわかっているけど、やっぱりカウンターが回ることは嬉しかった。(もしかしてfc2とカウント方法が違うかもしれないけど^^^;)
でも反面すこし怖かった。
SMやアダルトにカテゴライズされているのに、生い立ちを書いたり○○批判を書いたり、そのくせ自分は『とーっても幸せ』ってノロケまくっているのだもの、快く思わない人もいるだろうなって。
数字が増えれば増えるほどそのパーセンテージも上がるはずで、目に見えない負の感情にちょっと立ちすくむような気持ちになったこともあった。
コメント欄でわたしに対する批判的なコメントがついたときなどは、カウンターがグングン上がって、これも目に見えない負の何%の表れなんじゃないかなって思ったりした。
たぶんいろいろ多岐に渡って書いて、さらにノロケまくりたいわたしには200や300や、それよりもっとというのは分不相応だったんだと思う。
強い弱いじゃなくて、わたしのアンテナには手一杯だったんだと思う。
だけど人は余程の深い恨みがない限り、他者に向かう負の感情はそう長続きしないはずで、何年も続けていると当初『薬指の刺青』に負の感情を抱いていた人は、そのうちいなくなる。
負の感情を向けるより、もっと先の感情『無関心』になるのだ。
たぶん200や300の頃快く思わずに、でもなんだか気になって見てくれていた人はいつの間にかわたしに関心がなくなったのだと思う。
ここで吠えたりぐずぐずしたりノロケたりしている女なんてどーでもよくなっているはずだ。
いまの数字に落ち着いたのは他にもいろいろ理由はあるだろう。
でも確実に、何人かの生活からわたしは淘汰されいるはずだ。
そして、またわたしの知らぬ間にその人もわたしから淘汰されている。
こうしてある程度の期間同じことを続けていると良くも悪くも淘汰が生じ、何かだけが『残る』。
きっとその残ったものには価値がある。
(もしかして、ずっと負の感情を持ち続けながら読んでくれている人がいるとして、それだって長い間継続してくれるのは、価値があると思いたいです)
100〜150ということは関係なく、でもそれが数字に表れている部分もあると思う。
いまでも快く思わず、それでも見てくれている人もいるだろう(ありがとう^^)
もしかしたら内容によって快不快がある人もいるはず(ありがとう^^)
いろんな人が読んでくれていると思うけど、これだけノロケて吠えている女のブログを読み続けてくれる人たち、きっと何かしら共感したりシンパシーを感じてくれているのだと信じている。
わたしは優劣をつけることがキライだ。
誰かを同情したくないし、誰かに対して自分を卑下したくない(同情はヘタすると優越感にすり変わるものね)
残っている人たちも同じ方向を向いていると、ふとあの新聞記事を思い出し、願う。
ううん、わたしだって完璧じゃない、優劣をつけてしまうことだってあるかもしれない。
またわたしのやり方に優越感を感じ取る人もいるかもしれない。
こればかりは感性の相性なんだけど。
でもどんな形にしろ、わたしは優劣つけたくないんだと努めていることが、ひとつの方向になってくれていたらいいなと思う。
これは違う考えを排除したいということとは違うと思ってる。
『優劣をつけない』という方向を向いてくれていたら、反対意見も大歓迎です^^
ただ那智さんが大好きで、ここで日々アンテナに引っかかることをポンポン投げていることが大好きで書いている。
とにかく、数年かけて落ち着いた心強い100〜150に感謝して、徒然。
だってね。
次回からまたエロなしのノロケ話が始まるんだよ〜^^;
いつものように1mmのデートのことを3mくらいに書いちゃうんだよ〜^^;
それにお付き合いいただくための徒然だったのだ。
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