徒然に『泣き叫ぶ』こと
独り言
わたしは痛みに強いのかな。
痛いことで簡単に泣かない。
出産のときもほとんど声を上げなかったし当然涙も流さなかったくらいだから、きっと痛みに強いほうなのかな。
乳首に針を貫通させても、靴べらが折れるほど叩かれたときも泣いていない気がする。
M女さんが痛みで泣いている、もっと激しく泣き叫んでいるというような状態を目にするときに、ちょっぴりうらやましいなと思う。
わたしは単純に『痛み』だけでは簡単に泣けないし、泣き叫べないから。
それでも時々は、大泣きしたりぎゃーぎゃー騒いだり、感情が溢れ出してしまうことはある。
それを『泣き叫び』と表現するなら、じゃあ、どんな場合に泣き叫ぶのだろう。
と思って、徒然に泣き叫ぶ^^
いや、単純に痛いことで涙が出ることはあった。
あのね、すごーく『痛い』と『痛い』と感じるより早くか同時くらいに涙がボロっと出るんだ。
体の反応ね。
痛覚がスイッチになるみたい。
だから『痛み』で涙が出ることはある。
そこから継続した泣くになりにくいということですね^^
あ、あと小さいころはすごーく泣き虫だった!!
あれ?いまでもよく泣く?那智さんに笑われる^^
えっと、だから、痛いことで泣き叫べないってことがいいたいだけです(脱線しすぎ!!でも『徒然』だからいい^^)
わたしが泣き叫ぶのは『痛い』ことからいろんな感情に繋がるからだ。
『痛み』は様々な感情を生む。
そこから泣くという感情表現に繋がるのだと思う。
まず泣くという表現に直結しやすいのは、恐怖と怒りだ。
ときどき書いているけど、痛みより厄介なのは恐怖。
拘束されて動けない。
痛い場所を無意識に避けることができない恐怖。
猿ぐつわをされる。
SOSを伝える手段を奪われる恐怖。
(これは経験なし。恐らくわたしたちの間では、鞭を打ちながらのコミュニケーションも重要なのでなしなんだな)
怖いという感情があると、すこしの痛みでもそれは逃げ出したくなるような『苦痛』になる。
これは泣き叫ぶに直結しやすい。
もうひとつ、怒り。
痛いのにやめてくれない。
痛いって言ってるのに聞き入れてくれない。
なんでやめてくれないの!!
なんでわかってくれないの!!
痛いって言ってるじゃーん!!という怒りでわーーーと泣き出すことができる。
『壊れた日』というエントリーで書かれていたのは、まさにこれだった。
両手を吊るされて慣れない鞭で散々打たれた。
恐怖と怒りが感情が入り交じり、地団駄を踏んで泣き叫んだ。
だから、恐怖と怒りは泣き叫ぶに直結しやすい。
他にはね。
ちょっと複雑になってくる^^
恐怖や怒りを通り越してもやめてくれないと『わかってくれないよぉ』という諦めとか絶望の気持ちになってしくしく泣く状態になる。
これになると、ちょっと自己憐憫で酔える(笑)
「わたしってかわいそう〜」って^^
次はね。
痛いことがうれしいとか快感とかになってきたときにわーんって泣く。
これはね、もう、うれし涙(笑)
ああ、ずっとこうしてほしかったな〜。
いま願いが叶っているな〜。
うれしい!!うれしい!!うれしい!!!
それで泣ける。
その後、さらに来るのが。
こんな痛いことでうれし泣きしてるわたしって異常!!どうしよう那智さん、わたしおかしい!?という、自分に対する困惑や恐怖。
この辺りになるとちょっと正常じゃなくなってみたいで、思考回路がどんどん甘えん坊の子供のようになってくる。
『怖いよぉ、那智さん。怖いよぉ、助けて〜』みたいに無防備に泣きつく感じ。
鞭に悪態ついたりし出す^^;
(電柱に絡む酔っぱらいみたいだ^^)
『よしよし』なんてされたら、一気に涙腺決壊どどーーっと泣き叫ぶ。
これくらいの泣くの後にもう一撃あると、今度は違う回路。
笑い出すになっちゃう^^;
痛いのがうれしくて、くすくす。
わはは〜、そこまでする〜!?と高笑い。
那智さんとたのしいお遊びをしているようにきゃっきゃとはしゃぎ出す。
どんどん感情が内に内に向かって無防備で無邪気になっていくのだ。
ここになるのは毎回じゃない、でもこれは相当な快感。
こんな道を通るかな。
でね。
那智さんは、わたしを調教したいわけでも服従させたいわけでもなく、彼の施すことで喜ぶわたしが見たくて痛くしてるところが大きいから(単純に打ちたいもあるでしょうけどね)
こんな道を何度も通るうちに、恐怖や怒りがあまり湧かなくなっているの。
もちろんいまでも怖いけど、那智さんのモチベーションを知っているから最初のころのような絶望的な恐怖にはならないし、『まったくもう、やめて!!』くらいにはなるけど泣き叫ぶような怒りにも繋がらないのだ。
だって、気持ちよくしようとしていることも知っているし、現に気持ちよくなる経験を積んでいるからね。
だから、最近は、泣くよりも笑い出すほうが早い気がする^^;
おそらく痛い→笑うという回路になりやいように作られたのだね。
泣き叫んでいると書いてあるのを読むとちょっとうらやましくて、この違いはなんだろうって思う^^
ケガをしないでも泣き叫べるほどの痛い鞭があるのかもしれないけど、これはわからないから。
想像するに、やっぱり『痛い』ことだけではなく、恐怖や怒り、さらには自己憐憫の陶酔などの『痛み』から生まれる感情で泣いているのかな〜なんて想像する。
痛いのは痛いけど、泣くことはカタルシス、気持ちいいよね^^;
そう考えると、やはりお相手との関係値や目的によって現象は違ってくるのかもしれないね。
手っ取り早く泣き叫ばせたければ恐怖を植え付ければいいしね。
那智さんみたいに、喜ばせたければ違う方法にすればいい。
って、喜ばせたり笑わせたりするのに、どんな方法にすればいいかわからないけど^^;
ああ、これもある意味かなりの『調教』だ!!
(作り方は那智さんに聞いてください 笑)
わたしは『痛み』に強いのかもしれない。
だからそれだけでは、そう簡単に泣き叫ぶことはできない。
しかも那智さんは快感や喜びにしようとしているから、どんどん恐怖も怒りも湧かなくなって、どんどん泣き叫びにくくなっている。
恐怖や痛みは徐々に慣れるものだ。
まして快感になるように仕向けられたわけだから、簡単に泣き叫べなくなっている。
簡単に泣き叫べばいわたし、ちょっと残念な感じもするけど、その代わりそこから生まれる感情でいろいろな現象が現れることは不可思議でおもしろくて、とても気持ちがいい。
だから泣き叫べなくても、好しとしよう^^
<関連エントリー>
痛いこといっぱい♪
『壊れた日』
針〜『恐怖体験』
『本当に怖いのは?』
笑い出したのはこの辺り『違う場所12』
『徒然に「痛みのこと」』
鞭に悪態つく^^『痛みから生まれるもの』
わたしは痛みに強いのかな。
痛いことで簡単に泣かない。
出産のときもほとんど声を上げなかったし当然涙も流さなかったくらいだから、きっと痛みに強いほうなのかな。
乳首に針を貫通させても、靴べらが折れるほど叩かれたときも泣いていない気がする。
M女さんが痛みで泣いている、もっと激しく泣き叫んでいるというような状態を目にするときに、ちょっぴりうらやましいなと思う。
わたしは単純に『痛み』だけでは簡単に泣けないし、泣き叫べないから。
それでも時々は、大泣きしたりぎゃーぎゃー騒いだり、感情が溢れ出してしまうことはある。
それを『泣き叫び』と表現するなら、じゃあ、どんな場合に泣き叫ぶのだろう。
と思って、徒然に泣き叫ぶ^^
いや、単純に痛いことで涙が出ることはあった。
あのね、すごーく『痛い』と『痛い』と感じるより早くか同時くらいに涙がボロっと出るんだ。
体の反応ね。
痛覚がスイッチになるみたい。
だから『痛み』で涙が出ることはある。
そこから継続した泣くになりにくいということですね^^
あ、あと小さいころはすごーく泣き虫だった!!
あれ?いまでもよく泣く?那智さんに笑われる^^
えっと、だから、痛いことで泣き叫べないってことがいいたいだけです(脱線しすぎ!!でも『徒然』だからいい^^)
わたしが泣き叫ぶのは『痛い』ことからいろんな感情に繋がるからだ。
『痛み』は様々な感情を生む。
そこから泣くという感情表現に繋がるのだと思う。
まず泣くという表現に直結しやすいのは、恐怖と怒りだ。
ときどき書いているけど、痛みより厄介なのは恐怖。
拘束されて動けない。
痛い場所を無意識に避けることができない恐怖。
猿ぐつわをされる。
SOSを伝える手段を奪われる恐怖。
(これは経験なし。恐らくわたしたちの間では、鞭を打ちながらのコミュニケーションも重要なのでなしなんだな)
怖いという感情があると、すこしの痛みでもそれは逃げ出したくなるような『苦痛』になる。
これは泣き叫ぶに直結しやすい。
もうひとつ、怒り。
痛いのにやめてくれない。
痛いって言ってるのに聞き入れてくれない。
なんでやめてくれないの!!
なんでわかってくれないの!!
痛いって言ってるじゃーん!!という怒りでわーーーと泣き出すことができる。
『壊れた日』というエントリーで書かれていたのは、まさにこれだった。
両手を吊るされて慣れない鞭で散々打たれた。
恐怖と怒りが感情が入り交じり、地団駄を踏んで泣き叫んだ。
だから、恐怖と怒りは泣き叫ぶに直結しやすい。
他にはね。
ちょっと複雑になってくる^^
恐怖や怒りを通り越してもやめてくれないと『わかってくれないよぉ』という諦めとか絶望の気持ちになってしくしく泣く状態になる。
これになると、ちょっと自己憐憫で酔える(笑)
「わたしってかわいそう〜」って^^
次はね。
痛いことがうれしいとか快感とかになってきたときにわーんって泣く。
これはね、もう、うれし涙(笑)
ああ、ずっとこうしてほしかったな〜。
いま願いが叶っているな〜。
うれしい!!うれしい!!うれしい!!!
それで泣ける。
その後、さらに来るのが。
こんな痛いことでうれし泣きしてるわたしって異常!!どうしよう那智さん、わたしおかしい!?という、自分に対する困惑や恐怖。
この辺りになるとちょっと正常じゃなくなってみたいで、思考回路がどんどん甘えん坊の子供のようになってくる。
『怖いよぉ、那智さん。怖いよぉ、助けて〜』みたいに無防備に泣きつく感じ。
鞭に悪態ついたりし出す^^;
(電柱に絡む酔っぱらいみたいだ^^)
『よしよし』なんてされたら、一気に涙腺決壊どどーーっと泣き叫ぶ。
これくらいの泣くの後にもう一撃あると、今度は違う回路。
笑い出すになっちゃう^^;
痛いのがうれしくて、くすくす。
わはは〜、そこまでする〜!?と高笑い。
那智さんとたのしいお遊びをしているようにきゃっきゃとはしゃぎ出す。
どんどん感情が内に内に向かって無防備で無邪気になっていくのだ。
ここになるのは毎回じゃない、でもこれは相当な快感。
こんな道を通るかな。
でね。
那智さんは、わたしを調教したいわけでも服従させたいわけでもなく、彼の施すことで喜ぶわたしが見たくて痛くしてるところが大きいから(単純に打ちたいもあるでしょうけどね)
こんな道を何度も通るうちに、恐怖や怒りがあまり湧かなくなっているの。
もちろんいまでも怖いけど、那智さんのモチベーションを知っているから最初のころのような絶望的な恐怖にはならないし、『まったくもう、やめて!!』くらいにはなるけど泣き叫ぶような怒りにも繋がらないのだ。
だって、気持ちよくしようとしていることも知っているし、現に気持ちよくなる経験を積んでいるからね。
だから、最近は、泣くよりも笑い出すほうが早い気がする^^;
おそらく痛い→笑うという回路になりやいように作られたのだね。
泣き叫んでいると書いてあるのを読むとちょっとうらやましくて、この違いはなんだろうって思う^^
ケガをしないでも泣き叫べるほどの痛い鞭があるのかもしれないけど、これはわからないから。
想像するに、やっぱり『痛い』ことだけではなく、恐怖や怒り、さらには自己憐憫の陶酔などの『痛み』から生まれる感情で泣いているのかな〜なんて想像する。
痛いのは痛いけど、泣くことはカタルシス、気持ちいいよね^^;
そう考えると、やはりお相手との関係値や目的によって現象は違ってくるのかもしれないね。
手っ取り早く泣き叫ばせたければ恐怖を植え付ければいいしね。
那智さんみたいに、喜ばせたければ違う方法にすればいい。
って、喜ばせたり笑わせたりするのに、どんな方法にすればいいかわからないけど^^;
ああ、これもある意味かなりの『調教』だ!!
(作り方は那智さんに聞いてください 笑)
わたしは『痛み』に強いのかもしれない。
だからそれだけでは、そう簡単に泣き叫ぶことはできない。
しかも那智さんは快感や喜びにしようとしているから、どんどん恐怖も怒りも湧かなくなって、どんどん泣き叫びにくくなっている。
恐怖や痛みは徐々に慣れるものだ。
まして快感になるように仕向けられたわけだから、簡単に泣き叫べなくなっている。
簡単に泣き叫べばいわたし、ちょっと残念な感じもするけど、その代わりそこから生まれる感情でいろいろな現象が現れることは不可思議でおもしろくて、とても気持ちがいい。
だから泣き叫べなくても、好しとしよう^^
<関連エントリー>
痛いこといっぱい♪
『壊れた日』
針〜『恐怖体験』
『本当に怖いのは?』
笑い出したのはこの辺り『違う場所12』
『徒然に「痛みのこと」』
鞭に悪態つく^^『痛みから生まれるもの』