承認欲求
140字もどき
わたしは心理学を学んだわけではないし、数少ない本の知識と経験と想像からでしかいえないけど、今日はちょっと緊急のひとり語りです。
いまここにひとり語りをする意味があるか自信ないし、的外れだったり、ピンと来ない方ばかりだと思うけど、今日はこれに付き合ってください!!
(いつも付き合ってもらっているか^^;)
自分の中だけで承認欲求を満たせる人もいると思うけど、ほとんどの人が他者からの承認を得ることで、自分の存在を肯定でき満たされる。
そこで得た安心や自信が生きていく上で自分を守る盾になってくれる。
それは親からであることが理想ではあるけど、おそらく他人の大人やペットや、もしかしたら本などの生き物以外からでて得ることができる人はいると思う。
まあ、親であることが理想だけど。
それでも親だった100%完璧な愛情をくれるわけではないから、きっと不完全ながらも、そこからうまいこと承認を得るようにしていくのだと思うし、親以外の他者で補えるものでもあると思う。
で、たぶん、これはある程度は幼い時期にもらえていたほうが、その後の人生が生きやすくなると思う。
幼い頃にもらえていないと、それをもらうための人生になってしまって、萎縮したり我慢したり、逆に問題行動を起こして気を引いたり、悪循環、なかなか好転する機会がないはずだ。
じゃあ、一生、そんなふうに承認欲求を満たせないまま、別のなにかで補填しようともがき萎縮したり我慢したり気を引いたりをくり返していくしかないのだろうか。
そうじゃないと、わたしは思いたい。
内田春菊さんの『ファザーファッカー』のように清々しい強さを持っている人は自らの意志で親から離れるなりして解決するだろう。
でも、強行に出られない人もたくさんいるはずだ。
DVの被害に遭っている人は思考停止に陥ってしまうらしい。
『今日は暴力を振るわれなかった』『暴力を振るわれないために』そこに思考が集中してしまって適切な行動が取れなくなるそうだ。
(他者から見たらなんで家を出ないんだろう?と思うので動かないのはそういう心理が働いているらしい。他にも共依存とかあるけどね)
たぶん、その心理と似ていると思う。
承認を得られないために萎縮してきたゆえに、選択肢が極端に少なくなってしまっていて思い切った対策を取れなくなっているのだよね。
じゃあ、どうしたらいいのだろう。
親から離れられる、親に「愛していると感じさせてくれ」と真剣に訴える(撃沈覚悟で)、本や趣味など他のもので承認欲求を満たす、これらができないなら。
それは個々で導き出すしかないのだけど、わたしが通った道を書きます。
わたしの場合は父親から適切な愛情をもらえなかったので、すべてに通じるとは思わないけど。
まず、わたしは自分を一生懸命知ろうと思った。
なぜ、幸せになりきれないのか、なぜ不安定なのか、バカな恋愛をくり返すことも人の顔色を伺うことも、どれも元を辿れば父親から愛されたかったことに行き着いた。
そして、認めた。
どうしてかわからないけど、残念ながら父親はわたしが欲しい愛情をくれない人なのだと、それはわたしに原因があるのではなくて、そういう親だったのだと認めた。
認めてしまうことは、じつは苦しい。
だって、認めてしまえば、もうもらえないことが確定しちゃうから。
でも、認めた。
そして、諦めた。
これからもくれないだろうと開き直った。
(ここには那智さんが大きく関わってくれているけど、りん子には那智さんがいたからできたんだって思われてしまうと、話はおしまいになっちゃうから、ちょっと我慢してね)
くれないものなんだと諦めてしまうことは断腸の思いではあるけれど、期待をしてもらないよりその後の落胆はないし、もがく必要がなくなってきて、悪循環も生まない。
そして、それを自覚的に行うことに意味がある。
いろいろなエントリーで『自覚していると強い』と書いている。
これにも当てはまるのだけど、漠然とモヤモヤしてるより、『自分は親からの承認が欲しいのだ、だけど、くれない親だったんだ』と自覚しているほうが表面上は同じでも心の安定はぜんぜん違うと思っている。
親から離れる、親と真正面からやり合う、そういう積極的解決策が取れる人ばかりではないと思うのね。
自分を知り、自覚して諦める。
親からも、もっというと親からもらえないための補填の承認も一度諦めることは、一見絶望を感じるとしても萎縮している心をラクにしてくれる。
ラクになった心は次の景色を見せてくれるかもしれないよ。
消極的な解決方法だけど、これもひとつの方法だと思う。
(ちょっと勇気を振り絞って、親に「愛していると感じさせてくれ」と真剣に訴える(撃沈覚悟で)くらいもできたらなお良しなんだけどね)
不思議なもので諦めてしまうと気持ちはラクになったし、父親とも意識せず接することができるようになった。
そして、父親はくれないのではなくて、父親の愛情表現とわたしの受け取り方の相性が合わなかったのかなとも思えるくらいになった。
そして、わたしの歪みは父親のせいではなくて『そういう女なのだ』と思えるようになれたというおまけもついてきたしね。
これが正解かどうかわからない。
人が人を変えるのは所詮無理な話、那智さんがわたしにしたように長期に渡り濃密に接し続けてくれてやっと変わったくらいなのだから、このエントリーで誰かが変わるとも思っていない。
だけど、わたしの通った道や見てきた景色を文章にせずにはいられい気持ち。
ひとり語りにお付き合いくださってありがとうございました。
次回から続きものです^^
お楽しみに〜^^
<関連エントリー>
私について(父性とシスターコンプレックス1 2)
ここらへんから那智さん関わった
尊敬
父親からの愛情をもらえない心理状態
毛布
お父さん1
わたしよりおねえちゃんが好きなだけだったんだよねと自然に思えたとき
お父さん5
わたしはそういう女だと思えたとき
ぬいぐるみ
「等式」感想です。良く書けましたお疲れさま。「承認欲求」その物の優しい解説を聞きたかったな~(笑)
わたしは心理学を学んだわけではないし、数少ない本の知識と経験と想像からでしかいえないけど、今日はちょっと緊急のひとり語りです。
いまここにひとり語りをする意味があるか自信ないし、的外れだったり、ピンと来ない方ばかりだと思うけど、今日はこれに付き合ってください!!
(いつも付き合ってもらっているか^^;)
自分の中だけで承認欲求を満たせる人もいると思うけど、ほとんどの人が他者からの承認を得ることで、自分の存在を肯定でき満たされる。
そこで得た安心や自信が生きていく上で自分を守る盾になってくれる。
それは親からであることが理想ではあるけど、おそらく他人の大人やペットや、もしかしたら本などの生き物以外からでて得ることができる人はいると思う。
まあ、親であることが理想だけど。
それでも親だった100%完璧な愛情をくれるわけではないから、きっと不完全ながらも、そこからうまいこと承認を得るようにしていくのだと思うし、親以外の他者で補えるものでもあると思う。
で、たぶん、これはある程度は幼い時期にもらえていたほうが、その後の人生が生きやすくなると思う。
幼い頃にもらえていないと、それをもらうための人生になってしまって、萎縮したり我慢したり、逆に問題行動を起こして気を引いたり、悪循環、なかなか好転する機会がないはずだ。
じゃあ、一生、そんなふうに承認欲求を満たせないまま、別のなにかで補填しようともがき萎縮したり我慢したり気を引いたりをくり返していくしかないのだろうか。
そうじゃないと、わたしは思いたい。
内田春菊さんの『ファザーファッカー』のように清々しい強さを持っている人は自らの意志で親から離れるなりして解決するだろう。
でも、強行に出られない人もたくさんいるはずだ。
DVの被害に遭っている人は思考停止に陥ってしまうらしい。
『今日は暴力を振るわれなかった』『暴力を振るわれないために』そこに思考が集中してしまって適切な行動が取れなくなるそうだ。
(他者から見たらなんで家を出ないんだろう?と思うので動かないのはそういう心理が働いているらしい。他にも共依存とかあるけどね)
たぶん、その心理と似ていると思う。
承認を得られないために萎縮してきたゆえに、選択肢が極端に少なくなってしまっていて思い切った対策を取れなくなっているのだよね。
じゃあ、どうしたらいいのだろう。
親から離れられる、親に「愛していると感じさせてくれ」と真剣に訴える(撃沈覚悟で)、本や趣味など他のもので承認欲求を満たす、これらができないなら。
それは個々で導き出すしかないのだけど、わたしが通った道を書きます。
わたしの場合は父親から適切な愛情をもらえなかったので、すべてに通じるとは思わないけど。
まず、わたしは自分を一生懸命知ろうと思った。
なぜ、幸せになりきれないのか、なぜ不安定なのか、バカな恋愛をくり返すことも人の顔色を伺うことも、どれも元を辿れば父親から愛されたかったことに行き着いた。
そして、認めた。
どうしてかわからないけど、残念ながら父親はわたしが欲しい愛情をくれない人なのだと、それはわたしに原因があるのではなくて、そういう親だったのだと認めた。
認めてしまうことは、じつは苦しい。
だって、認めてしまえば、もうもらえないことが確定しちゃうから。
でも、認めた。
そして、諦めた。
これからもくれないだろうと開き直った。
(ここには那智さんが大きく関わってくれているけど、りん子には那智さんがいたからできたんだって思われてしまうと、話はおしまいになっちゃうから、ちょっと我慢してね)
くれないものなんだと諦めてしまうことは断腸の思いではあるけれど、期待をしてもらないよりその後の落胆はないし、もがく必要がなくなってきて、悪循環も生まない。
そして、それを自覚的に行うことに意味がある。
いろいろなエントリーで『自覚していると強い』と書いている。
これにも当てはまるのだけど、漠然とモヤモヤしてるより、『自分は親からの承認が欲しいのだ、だけど、くれない親だったんだ』と自覚しているほうが表面上は同じでも心の安定はぜんぜん違うと思っている。
親から離れる、親と真正面からやり合う、そういう積極的解決策が取れる人ばかりではないと思うのね。
自分を知り、自覚して諦める。
親からも、もっというと親からもらえないための補填の承認も一度諦めることは、一見絶望を感じるとしても萎縮している心をラクにしてくれる。
ラクになった心は次の景色を見せてくれるかもしれないよ。
消極的な解決方法だけど、これもひとつの方法だと思う。
(ちょっと勇気を振り絞って、親に「愛していると感じさせてくれ」と真剣に訴える(撃沈覚悟で)くらいもできたらなお良しなんだけどね)
不思議なもので諦めてしまうと気持ちはラクになったし、父親とも意識せず接することができるようになった。
そして、父親はくれないのではなくて、父親の愛情表現とわたしの受け取り方の相性が合わなかったのかなとも思えるくらいになった。
そして、わたしの歪みは父親のせいではなくて『そういう女なのだ』と思えるようになれたというおまけもついてきたしね。
これが正解かどうかわからない。
人が人を変えるのは所詮無理な話、那智さんがわたしにしたように長期に渡り濃密に接し続けてくれてやっと変わったくらいなのだから、このエントリーで誰かが変わるとも思っていない。
だけど、わたしの通った道や見てきた景色を文章にせずにはいられい気持ち。
ひとり語りにお付き合いくださってありがとうございました。
次回から続きものです^^
お楽しみに〜^^
<関連エントリー>
私について(父性とシスターコンプレックス1 2)
ここらへんから那智さん関わった
尊敬
父親からの愛情をもらえない心理状態
毛布
お父さん1
わたしよりおねえちゃんが好きなだけだったんだよねと自然に思えたとき
お父さん5
わたしはそういう女だと思えたとき
ぬいぐるみ
「等式」感想です。良く書けましたお疲れさま。「承認欲求」その物の優しい解説を聞きたかったな~(笑)
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COMMENT
。。。ありがとね わたしだとホラ、短文が過ぎて言いたいこと 伝えたいことが届けられなくて
だから
りんちゃに感謝っ♪
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ゆう。さん
いやいや、これはわたしの勝手な語りなので感謝してもらうのは恥ずかしい^^;
でも、ありがとう♪
『心をラクにする』っていうのがわたしのテーマなの^^
いやいや、これはわたしの勝手な語りなので感謝してもらうのは恥ずかしい^^;
でも、ありがとう♪
『心をラクにする』っていうのがわたしのテーマなの^^