お父さん1
惹かれ合う理由
那智さんに出会う前、私は時々こんな想像をしていた。
それは病院だったり、葬儀場だったり、とにかく私の父が亡くなっている場面だ。
私は父の亡骸に向かって「お父さん、私ね、一度で良いからお父さんに『おねえちゃんよりもりん子の方がかわいい』って、言ってほしかったんだよ。」と静かに訴えるのだ。
生きていても叶わないことだけど、亡くなってしまっては完全に不可能になってしまった願いを絶望しながら口にするのだ。
ちょっと悲劇のヒロインを気取る想像で、いつか実際に味わうであろう絶望感を、静かな諦めに変えられるように予行練習していたのだ。
父との関係は相変わらずだった。
おねえちゃんかわいい。
成人して華やかな仕事をする私に鼻高々な気持ちを持ってくれてはいたようだ。
ただ、そのころ近所の人が私を「きれいなお嬢さんね」と誉めてくれると、父は「おねえちゃんの方がかわいい」と首を傾げたり、幼い頃「絵が上手い」と数少ない父が誉めてくれたことを成人した頃には「絵が上手いのはおねえちゃん」と都合良く記憶が塗り替えられていたりと、表面上は苦笑いしてしまうようなことは続いていた。(良いイメージだけで固められた姉も悲劇ですよね)
そんな中で、僅かではあるが父との関係(私の構え方かな)が良くなることが起きた。
それは、私の出産だ。
父は私の産んだ子を、それはそれは可愛がったのだ。
おそらく姉に対するのと同じように、父の脳みそに「なお(仮名)は可愛くて良い子」というイメージが固められたのだ。(実際良い子ですよ♪)
「なおは、かわいいな~。いい顔している。将来は大物になるぞ♪」
鼻の下を伸ばして嬉しそうに子供を眺める父を見て、その子を産んだ私さえ誉められているように錯覚させて、ほんの少し癒されていたのだ。
「それにしても、誰に似たんだろうな~。おまえじゃないよな。鳶が鷹を産んだな♪」
誉めた最後の締めくくりは必ずこの言葉。
ねえねえ、お父さん、最後の一言が余計ですよ!!
ちょっとくらい良い気分でいさせてよ!!
私は、父らしいな~と他人事で苦笑いするしかなかった。
それでも、子供を通してでも誉められるのは、何もないよりはまし。
出産当初、私は実家のすぐ近所に住んでいたから毎日のように実家に行った。
ただ、その頃はまだ実家は商売をしていたから、あまり長居はしなかったが、日中二人っきりになりがちな子育てだが、実家の存在はとてもありがたかった。
子供を誉められることで、多少は癒されたつもりでいたけど、思った以上に求めているものが深いと感じてしまうことがあった。
その日もいつものように実家に行き、お昼ご飯をご馳走になって、母とおしゃべりをしていた。
おしゃべりが盛り上がってきたところで父が「おまえはうるせぇな~。もう帰れ~。」と言ったのだ。
その一言で、私は叱られた子犬のように意気消沈して、そそくさと自宅へ帰る支度をするのだった。
家に帰っても、沈んだ気持ちは収まらず、私は姉に電話をかける。
依存しているのはわかっているけど、我慢できない、おねえちゃん聞いて。
「お父さんに、こんなふうに言われた。」
話しはじめたら、涙が出て止まらない。
姉は慰めてくれる「お父さん、いつもそういう言い方するじゃない。私だって遊びに行くと『もう帰れ~』って言われるよ。あれはお父さん特有の愛情表現なんだよ。深い意味なんてないよ。お父さんの性格わかってるでしょ!!」
確かに、その通りだ、こんなことでしゃくり上げるほど泣いてしまう妹を電話越しで慰める姉はさぞかし困惑しているだろう。
そういうとき、受け取る側の土台がしっかりしていないと、上手に愛情を受け取れないことを感じるのだ。
そして、その土台は「子供を誉めてもらう」くらいでは固められないみたいだ。
多少は良くなったけど、これを完全に解決させることは困難なことだと、あらためて思う。
そんなときに、不謹慎だが「父の死んだとき」を想像して心構えをしておくのだ。
那智さんには、このあと2、3年で出会う。
いろんな旅をして、那智さんに出会って私の土台を固めてくれる。
偶然かもしれないが、不思議なことにその変化に父がはじめに気付いたのだ。
(「惹かれ合う理由」の「尊敬」から「毛布」あたりを読んでいただければ、嬉しいです)
那智さんに「見返りを期待せず、お父さんに自然に接する」と教えられたことは、思いの外私の心を軽くした。
自分でも実感できるくらい父に対して楽な気持ちでいられるようになっていった。
那智さんがいる」と思って接すると楽だ。
魔法じゃないから、すっきりきれいとはいかないかもしれないけど、本当に楽になった。
私が新しく司会の仕事をはじめようとした時、主人や母に実務面でお世話になるのだから、きちんと「挑戦したい」思い伝え、お願いをした。
そのとき母が「難しいと思うけど、やってごらん。そういえば前にお父さんが『りん子は最近明るくなったな』って言っていたけど、やりたいことを見つけたから、そう感じたのかな?」と言ったのだ。
私は決して暗くない、きっと明るいと思われているほうだ。
だから、母としては「お父さん、またとんちんかんなこと言ってる」くらいに捉えていたようだ。
父の私に対するイメージが「明るくない」だったのが、いつものように父の勝手なスイッチが入って根拠なく「りん子は明るくなった」にキャラ変更しただけなのかもしれない。(それが当たり前なくらい、浮世離れした人なのです)
でも、タイムリーなキャラ変更は、私はいまのまま自然にいればいいんだという、安定した気持ちにさせてくれたのだった。
那智さんに出会う前、私は時々こんな想像をしていた。
それは病院だったり、葬儀場だったり、とにかく私の父が亡くなっている場面だ。
私は父の亡骸に向かって「お父さん、私ね、一度で良いからお父さんに『おねえちゃんよりもりん子の方がかわいい』って、言ってほしかったんだよ。」と静かに訴えるのだ。
生きていても叶わないことだけど、亡くなってしまっては完全に不可能になってしまった願いを絶望しながら口にするのだ。
ちょっと悲劇のヒロインを気取る想像で、いつか実際に味わうであろう絶望感を、静かな諦めに変えられるように予行練習していたのだ。
父との関係は相変わらずだった。
おねえちゃんかわいい。
成人して華やかな仕事をする私に鼻高々な気持ちを持ってくれてはいたようだ。
ただ、そのころ近所の人が私を「きれいなお嬢さんね」と誉めてくれると、父は「おねえちゃんの方がかわいい」と首を傾げたり、幼い頃「絵が上手い」と数少ない父が誉めてくれたことを成人した頃には「絵が上手いのはおねえちゃん」と都合良く記憶が塗り替えられていたりと、表面上は苦笑いしてしまうようなことは続いていた。(良いイメージだけで固められた姉も悲劇ですよね)
そんな中で、僅かではあるが父との関係(私の構え方かな)が良くなることが起きた。
それは、私の出産だ。
父は私の産んだ子を、それはそれは可愛がったのだ。
おそらく姉に対するのと同じように、父の脳みそに「なお(仮名)は可愛くて良い子」というイメージが固められたのだ。(実際良い子ですよ♪)
「なおは、かわいいな~。いい顔している。将来は大物になるぞ♪」
鼻の下を伸ばして嬉しそうに子供を眺める父を見て、その子を産んだ私さえ誉められているように錯覚させて、ほんの少し癒されていたのだ。
「それにしても、誰に似たんだろうな~。おまえじゃないよな。鳶が鷹を産んだな♪」
誉めた最後の締めくくりは必ずこの言葉。
ねえねえ、お父さん、最後の一言が余計ですよ!!
ちょっとくらい良い気分でいさせてよ!!
私は、父らしいな~と他人事で苦笑いするしかなかった。
それでも、子供を通してでも誉められるのは、何もないよりはまし。
出産当初、私は実家のすぐ近所に住んでいたから毎日のように実家に行った。
ただ、その頃はまだ実家は商売をしていたから、あまり長居はしなかったが、日中二人っきりになりがちな子育てだが、実家の存在はとてもありがたかった。
子供を誉められることで、多少は癒されたつもりでいたけど、思った以上に求めているものが深いと感じてしまうことがあった。
その日もいつものように実家に行き、お昼ご飯をご馳走になって、母とおしゃべりをしていた。
おしゃべりが盛り上がってきたところで父が「おまえはうるせぇな~。もう帰れ~。」と言ったのだ。
その一言で、私は叱られた子犬のように意気消沈して、そそくさと自宅へ帰る支度をするのだった。
家に帰っても、沈んだ気持ちは収まらず、私は姉に電話をかける。
依存しているのはわかっているけど、我慢できない、おねえちゃん聞いて。
「お父さんに、こんなふうに言われた。」
話しはじめたら、涙が出て止まらない。
姉は慰めてくれる「お父さん、いつもそういう言い方するじゃない。私だって遊びに行くと『もう帰れ~』って言われるよ。あれはお父さん特有の愛情表現なんだよ。深い意味なんてないよ。お父さんの性格わかってるでしょ!!」
確かに、その通りだ、こんなことでしゃくり上げるほど泣いてしまう妹を電話越しで慰める姉はさぞかし困惑しているだろう。
そういうとき、受け取る側の土台がしっかりしていないと、上手に愛情を受け取れないことを感じるのだ。
そして、その土台は「子供を誉めてもらう」くらいでは固められないみたいだ。
多少は良くなったけど、これを完全に解決させることは困難なことだと、あらためて思う。
そんなときに、不謹慎だが「父の死んだとき」を想像して心構えをしておくのだ。
那智さんには、このあと2、3年で出会う。
いろんな旅をして、那智さんに出会って私の土台を固めてくれる。
偶然かもしれないが、不思議なことにその変化に父がはじめに気付いたのだ。
(「惹かれ合う理由」の「尊敬」から「毛布」あたりを読んでいただければ、嬉しいです)
那智さんに「見返りを期待せず、お父さんに自然に接する」と教えられたことは、思いの外私の心を軽くした。
自分でも実感できるくらい父に対して楽な気持ちでいられるようになっていった。
那智さんがいる」と思って接すると楽だ。
魔法じゃないから、すっきりきれいとはいかないかもしれないけど、本当に楽になった。
私が新しく司会の仕事をはじめようとした時、主人や母に実務面でお世話になるのだから、きちんと「挑戦したい」思い伝え、お願いをした。
そのとき母が「難しいと思うけど、やってごらん。そういえば前にお父さんが『りん子は最近明るくなったな』って言っていたけど、やりたいことを見つけたから、そう感じたのかな?」と言ったのだ。
私は決して暗くない、きっと明るいと思われているほうだ。
だから、母としては「お父さん、またとんちんかんなこと言ってる」くらいに捉えていたようだ。
父の私に対するイメージが「明るくない」だったのが、いつものように父の勝手なスイッチが入って根拠なく「りん子は明るくなった」にキャラ変更しただけなのかもしれない。(それが当たり前なくらい、浮世離れした人なのです)
でも、タイムリーなキャラ変更は、私はいまのまま自然にいればいいんだという、安定した気持ちにさせてくれたのだった。
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