皆既月食といろいろ
140字もどき
もどきを気分でいくつか。
ずっと先を見ていて、ふたりの間に起こるさまざまなことをわたしに無理させることなく解決していく。
結局那智さんの方法で幸せになるのだ。
すこしだけ張りつめていた糸がふわっとゆるむ。
そして、かなわないと、尊敬と畏怖の念で見上げるような気持ちになると、なぜか欲情する。
最初の頃は厳しい様子の調教だったのに付き合いが進むと仲良くお風呂に入っていたりラブラブカップルのようなご主人様と奴隷さんの変化を見ていると、なかなか厳しいご主人様でい続けるのも大変なんだろうな〜と思ったりもする。
互いが快適なポジションでいることが何よりだから、関係が変化してくこともアリだと思うけどね。
縛りたいと思うのがSじゃない。
お尻を叩くのがSというわけでもない。
そういう欲望を何年も何年も抱えているがSだと思う。
那智さんは結わいた髪もお好きだけど
髪を撫でてほしいから
今日は髪をほどいていく
いつもいつもそうだから、なかなか髪を結わいた姿をお見せできないのだ
夕方、今年最後の本番を終えて駅に向かう途中、大きな大きな明るい月が出ていた。
歩きながら電話でつながっている那智さんに『大きな月が出ていますよ~』とお話しする。
Twitterサーフィンしていたら、どうやら今日は皆既月食らしい。
大きな月はその予感だったのかなぁと、まったく天体に詳しくない人間の感想。
何時から欠けはじめるのかも知らずにいたけれど、夜も深まってベランダから覗き込んだら夕方の大きな月が切った爪みたいな細い三日月になっていた。
わー、本当に欠けるんだぁ。
実は、はじめてみる(笑)
しばらくベランダから見上げていたけど首が疲れてしまった。
我が家には小さな庭がある。
よし、腰を据えて天体ショーだ。
芝にマットを敷いて寝転んで毛布にくるまった。
深夜、寝転がって眺める月のなんて贅沢な気分。
爪の先の三日月がギリギリまで細くなったら今度は深いオレンジ色のぼんやりした輪郭が浮き上がってくる。
右下には、唯一わかる冬の星座のオリオン座。
いま、わたし地球の影を見ているんだ。
那智さんは今夜のお月様をみることができているだろうか。
きっと無理。
今夜泊まりで会議と懇親会。
いまは、お酒の席の佳境だろう(笑)
ときどきふたりで遊びに行く街にいる。
日本有数の繁華街では月を見上げる心はなくなりそうだから、きっと見ない。
見られなくて残念がる人ではないけれど、わたしが見たと知ったら『俺も見ていたらりん子は喜んだだろうに』という気持ちになる可能性はある(笑)
だから、お知らせして差し上げた。
那智さん、今夜は皆既月食です。
○○はお月様見えますか?(笑)
部屋着に毛布だけだったから天体ショーはそこそこに切り上げて寒い寒いと温かいお風呂に飛び込む。
30分ほど遅れて『見たよ~』とお返事をもらえた。
あ、やっぱり、うれしい。
時差はあっても、うれしかった。
この前、メガネを新調した。
那智さんに見たてでプレゼントしていただいた。
何か普段使いのもの身に付けているといいだろ?と、特に誕生日でも記念日でもないけれどいただいた。
そのメガネ越しに見たお月様。
ホントはリアルタイムでツイートしたい気分だったけど、やめておいた。
きっと今夜はたくさんの月のツイートが並ぶだろう。
その仲間に入れてもらうことは楽しそうだけど。
那智さんと時差で共有できたから、Twitterにはわたしも同じように時差共有。
さらに遅れて、夜の◯○で酔っぱらいの那智さんから届いたちょっと恋しくなるメール。
Re:
りん子がいない○○を歩いても面白くないぞ〜
ね、酔っぱらいさんはちょっと甘い^^
皆既月食の夜をもうワンランク上の幸せにしてくれた。
140字もどきは、隙と余韻があるので感想を書きやすい。いくつかあるから、その内1つだけ感想を付けるのは不公平だからしない。せっかくのエントリーなので時間があって且つ覚えていたら感想を付けよう。そうそう、1つ1つのお話しの区切りがわかるようにして欲しいかな。123とかABCとかね~
もどきを気分でいくつか。
ずっと先を見ていて、ふたりの間に起こるさまざまなことをわたしに無理させることなく解決していく。
結局那智さんの方法で幸せになるのだ。
すこしだけ張りつめていた糸がふわっとゆるむ。
そして、かなわないと、尊敬と畏怖の念で見上げるような気持ちになると、なぜか欲情する。
最初の頃は厳しい様子の調教だったのに付き合いが進むと仲良くお風呂に入っていたりラブラブカップルのようなご主人様と奴隷さんの変化を見ていると、なかなか厳しいご主人様でい続けるのも大変なんだろうな〜と思ったりもする。
互いが快適なポジションでいることが何よりだから、関係が変化してくこともアリだと思うけどね。
縛りたいと思うのがSじゃない。
お尻を叩くのがSというわけでもない。
そういう欲望を何年も何年も抱えているがSだと思う。
那智さんは結わいた髪もお好きだけど
髪を撫でてほしいから
今日は髪をほどいていく
いつもいつもそうだから、なかなか髪を結わいた姿をお見せできないのだ
夕方、今年最後の本番を終えて駅に向かう途中、大きな大きな明るい月が出ていた。
歩きながら電話でつながっている那智さんに『大きな月が出ていますよ~』とお話しする。
Twitterサーフィンしていたら、どうやら今日は皆既月食らしい。
大きな月はその予感だったのかなぁと、まったく天体に詳しくない人間の感想。
何時から欠けはじめるのかも知らずにいたけれど、夜も深まってベランダから覗き込んだら夕方の大きな月が切った爪みたいな細い三日月になっていた。
わー、本当に欠けるんだぁ。
実は、はじめてみる(笑)
しばらくベランダから見上げていたけど首が疲れてしまった。
我が家には小さな庭がある。
よし、腰を据えて天体ショーだ。
芝にマットを敷いて寝転んで毛布にくるまった。
深夜、寝転がって眺める月のなんて贅沢な気分。
爪の先の三日月がギリギリまで細くなったら今度は深いオレンジ色のぼんやりした輪郭が浮き上がってくる。
右下には、唯一わかる冬の星座のオリオン座。
いま、わたし地球の影を見ているんだ。
那智さんは今夜のお月様をみることができているだろうか。
きっと無理。
今夜泊まりで会議と懇親会。
いまは、お酒の席の佳境だろう(笑)
ときどきふたりで遊びに行く街にいる。
日本有数の繁華街では月を見上げる心はなくなりそうだから、きっと見ない。
見られなくて残念がる人ではないけれど、わたしが見たと知ったら『俺も見ていたらりん子は喜んだだろうに』という気持ちになる可能性はある(笑)
だから、お知らせして差し上げた。
那智さん、今夜は皆既月食です。
○○はお月様見えますか?(笑)
部屋着に毛布だけだったから天体ショーはそこそこに切り上げて寒い寒いと温かいお風呂に飛び込む。
30分ほど遅れて『見たよ~』とお返事をもらえた。
あ、やっぱり、うれしい。
時差はあっても、うれしかった。
この前、メガネを新調した。
那智さんに見たてでプレゼントしていただいた。
何か普段使いのもの身に付けているといいだろ?と、特に誕生日でも記念日でもないけれどいただいた。
そのメガネ越しに見たお月様。
ホントはリアルタイムでツイートしたい気分だったけど、やめておいた。
きっと今夜はたくさんの月のツイートが並ぶだろう。
その仲間に入れてもらうことは楽しそうだけど。
那智さんと時差で共有できたから、Twitterにはわたしも同じように時差共有。
さらに遅れて、夜の◯○で酔っぱらいの那智さんから届いたちょっと恋しくなるメール。
Re:
りん子がいない○○を歩いても面白くないぞ〜
ね、酔っぱらいさんはちょっと甘い^^
皆既月食の夜をもうワンランク上の幸せにしてくれた。
140字もどきは、隙と余韻があるので感想を書きやすい。いくつかあるから、その内1つだけ感想を付けるのは不公平だからしない。せっかくのエントリーなので時間があって且つ覚えていたら感想を付けよう。そうそう、1つ1つのお話しの区切りがわかるようにして欲しいかな。123とかABCとかね~
6周年の告白と30万
独り言
本文の最後に追記で30万記念のお知らせがありますので、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
すこし前カウンターの設定をいじった。
日々どれくらいの人が来てくださっているかを知るには、表に表示されているカウンターと管理人だけが見られるアクセス解析というものがありまして。
それぞれ訪問数を知ることができるのです。
数がすべてではないけれど、やっぱり数字で見られることは励みになりますし、更新日とそうじゃない日では当然数は違うし、内容によっても違ったりなんて傾向がわかっておもしろいものです。
1日置きが定着していることと更新のお知らせなどの機能に入れてもらっているのだろうから、更新日に多くなるのは那智さんとしてはうれしいらしい。
ちょっと力を入れた主張のときなどは、きっと何度か読み返してくださっているのだよね、カウンターが多くなるような気がするし、逆にさらっとしたつもりのものも伸びたりするので、なかなか不思議です^^
リンクを貼ってくださっているところから飛んで来られたことなどもわかるので、こちらはリンクを貼らないでいることにちょっと申し訳ないなと思いつつも、ありがたい気持ちで拝見しています。
ところが、どうしてかわからないのだけど、カウンターとアクセス解析のカウントの数字がぜんぜん違うのだ。
数の数え方には『1日ひとツール1カウント』と『その日に見に来た数だけ』というのがあって。
たとえば、ひとりの人が自宅のパソコンから3回アクセスしたら、前者だと1で後者だと3になるのね。
ところが、両方の『1日ひとツール1カウント』を見ると倍くらい違う日もあったりするのです。
そもそも違う機能だから多少の誤差は理解できても倍も違うのは何かわたしの設定が間違っているのかなと思い、ブログ開設時にいじったきりの設定をもう一度見直してみることに。
(詳しい方からしたら、なんとも素人な話題でごめんなさい^^;)
まず、知らぬ間に自分をカウントしてたから、それはオフ!!
いまさらですが、これで、わたしは何回見に行ってもカウントされない!!
表のカウンターを『1日ひとツール1カウント』の設定を『その日に見に来た数だけ』に設定変更してみた。
これだと何人見に来たかではなくて何回見に来たかという数字になるから、当然多くなるし、ちょっとズルしているみたいなんだけど、でも、これでやっとアクセス解析の『1日ひとツール1カウント』と同じくらいになるんだよね^^;
(アクセス解析の『その日に見に来た数だけ』だと、それの2〜3倍あるんだ、どうしてカウンターのそれと違うのか、わからないのです)
どれが正解なのか、結局わからないままなんだけど。
でも、数字が多いと、やっぱり気分はいい^^
だから、この場をお借りしてきちんと公言いたします。
『等式』のカウンターの設定は来てくれた人数ではなくて、見に来てくれた回数です!!
たくさんの人が見に来てくれることはうれしいと思う。
でも、那智さんはいう。
ひとりの人が1日に何回も見たいと思うブログってうれしいだろ?
はい、うれしいです。
りん子は何が言いたかったんだろう?って通勤電車で思って、ランチのときにまた来てくれたり。
過去のあのエントリーもう一回読みたいっていろいろ巡ってくれたり。
設定ミスかなんだかわからないけどどれが正確な数字かわからないなら、たくさんのほうを選んで気分よくして、何回も見に来てくれることに喜ぼう。
気にされている人はいるかわかりませんが、ある時期からカウンターの数字が増えたことを不思議に思った方もいるかもしれません。
他のブログはどういう設定にしているかわかりませんので、どうか他がいくつでここがいくつでということはスルーしてください。
ちょっとずっこいかもしれないけど、いまの『等式』は来てくれた分だけ数えています^^
2006年6月13日にブログをはじめて丸6年。
ついでに『等式』に引っ越しして、1年^^
7年目に突入します。
で、ずっこい告白が6周年記念エントリー!!
いつもこの時期になると最初の頃を読み返してみます。
半生を吐露して書くことで浄化し、ときには怒り、ノロケ、生意気な発言をして。
『何かを伝えたい』という思いを軸に、ひとりの女が形を変えながら綴ってきた記録にわたし自身触れることができます(照れるけど^^;)
どんなに形が変わってもわたしはいつまでも『わたし』。
柔らかくても主張してても、『自分の心にウソをつかないでいたい』ということが言葉の土台はずっと一緒。
1日一回の人も、週末まとめ読みの人も、そして、何回も来てくれる人も。
2度の引っ越しにも、充電にも付き合ってくださった方。
新しくお気に入りになってくださった方。
すべてのカウンターのひとつひとつに、ありがとうございます。
本当にありがとう。
『わたし』の記録をこれからも楽しんでくれたら、うれしいです。
そして、いつも同じ締めくくり^^
那智さん。
『等式』はわたしの記録と書きましたが、当然のように『あなたの記録』でもあり『わたしたちの記録』です。
だって、イコールですものね^^
わたしがこれだけ長い期間伝え続けていられたのは、那智さんの力です。
書いたのはわたしだけど書けるようにしてくれたのは那智さんで、じつは、直接手を下さないぶん書けるようにしてくれえることが大変だということもわかっています。
ずっとずっと支えてくれました。
『等式』6歳になりました^^
本当にありがとうございます。
ということで、みなさん、7年目もよろしくお願いします^^
追記
カウンターの設定を変えたおかげ(?)であと数ヶ月はかかると思っていた30万ヒットを思いのほか早く迎えることができました。
いままで『3人で遊びませんか?』や『那智があなたの夢を叶えます(笑)』ちょっぴり無謀な企画から、ミニオフやチャットなどの実現可能な企画を立てていました。
多少ネタも尽き^^;しばらくおとなしくしておりましたが、30万のときには何かやりたいねと話しておりました。
今回は
わたしたちとスカイプでおしゃべりしませんか?
を企画します。
スカイプができる環境にない方は今回はごめんなさい!!
後日詳細を決めてお知らせいたしますが、現段階で決まっていることは平日ある程度時間(早朝と深夜帯以外です、ごめんなさい)を決めて大勢ではなく個別に『おしゃべりタイム』を作ろうと思っています。
ですから、大勢が苦手な方やプライベートな話題も可能です。
スカイプができる環境で参加したいなと思ってくださる方は事前にIDの取得などを済ませておいていただけるとよいかと思います。
できれば、肉声でおしゃべりしたいと思っていますが、おしゃべりが厳しい状況の方はチャットでも対応します^^
ということで、あらためて
来てくれて、読んでくれて、ページをめくってくれて、ありがとうございました!!
これからも、よろしくね^^
<関連エントリー>
過去の周年エントリーです^^
『胸いっぱいの』
『2周年です』
『hotに3周年御礼』
『薬指なう^^』
『薬指にキスをして』
お礼と色々です。「等式」6周年サイドメニューの「月別」を見るとその歳月の長さを感じることができます。ブログコンセプトから記憶を記録しようとする意図がありました。
ここ数日いつもよりも200位カウンターが進んでいました、多分これは、1人の方が集中して読そんな方の熱意やパワーを頂くためにもカウンターの数え方を変更することに対して大賛成しました、もっと早くそうするべきとさえ思っています。(2・3ヶ月前だと思います)
これは我々が読み返すことが目的なのですから、読んで頂ける方が過去を遡っていただけるのは当然スカイプの件、少し時間でも遊びに来て下さいね。月並みですが、いつもありがとうございます、これからも宜しくお願いします。嬉しく思います。
本文の最後に追記で30万記念のお知らせがありますので、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
すこし前カウンターの設定をいじった。
日々どれくらいの人が来てくださっているかを知るには、表に表示されているカウンターと管理人だけが見られるアクセス解析というものがありまして。
それぞれ訪問数を知ることができるのです。
数がすべてではないけれど、やっぱり数字で見られることは励みになりますし、更新日とそうじゃない日では当然数は違うし、内容によっても違ったりなんて傾向がわかっておもしろいものです。
1日置きが定着していることと更新のお知らせなどの機能に入れてもらっているのだろうから、更新日に多くなるのは那智さんとしてはうれしいらしい。
ちょっと力を入れた主張のときなどは、きっと何度か読み返してくださっているのだよね、カウンターが多くなるような気がするし、逆にさらっとしたつもりのものも伸びたりするので、なかなか不思議です^^
リンクを貼ってくださっているところから飛んで来られたことなどもわかるので、こちらはリンクを貼らないでいることにちょっと申し訳ないなと思いつつも、ありがたい気持ちで拝見しています。
ところが、どうしてかわからないのだけど、カウンターとアクセス解析のカウントの数字がぜんぜん違うのだ。
数の数え方には『1日ひとツール1カウント』と『その日に見に来た数だけ』というのがあって。
たとえば、ひとりの人が自宅のパソコンから3回アクセスしたら、前者だと1で後者だと3になるのね。
ところが、両方の『1日ひとツール1カウント』を見ると倍くらい違う日もあったりするのです。
そもそも違う機能だから多少の誤差は理解できても倍も違うのは何かわたしの設定が間違っているのかなと思い、ブログ開設時にいじったきりの設定をもう一度見直してみることに。
(詳しい方からしたら、なんとも素人な話題でごめんなさい^^;)
まず、知らぬ間に自分をカウントしてたから、それはオフ!!
いまさらですが、これで、わたしは何回見に行ってもカウントされない!!
表のカウンターを『1日ひとツール1カウント』の設定を『その日に見に来た数だけ』に設定変更してみた。
これだと何人見に来たかではなくて何回見に来たかという数字になるから、当然多くなるし、ちょっとズルしているみたいなんだけど、でも、これでやっとアクセス解析の『1日ひとツール1カウント』と同じくらいになるんだよね^^;
(アクセス解析の『その日に見に来た数だけ』だと、それの2〜3倍あるんだ、どうしてカウンターのそれと違うのか、わからないのです)
どれが正解なのか、結局わからないままなんだけど。
でも、数字が多いと、やっぱり気分はいい^^
だから、この場をお借りしてきちんと公言いたします。
『等式』のカウンターの設定は来てくれた人数ではなくて、見に来てくれた回数です!!
たくさんの人が見に来てくれることはうれしいと思う。
でも、那智さんはいう。
ひとりの人が1日に何回も見たいと思うブログってうれしいだろ?
はい、うれしいです。
りん子は何が言いたかったんだろう?って通勤電車で思って、ランチのときにまた来てくれたり。
過去のあのエントリーもう一回読みたいっていろいろ巡ってくれたり。
設定ミスかなんだかわからないけどどれが正確な数字かわからないなら、たくさんのほうを選んで気分よくして、何回も見に来てくれることに喜ぼう。
気にされている人はいるかわかりませんが、ある時期からカウンターの数字が増えたことを不思議に思った方もいるかもしれません。
他のブログはどういう設定にしているかわかりませんので、どうか他がいくつでここがいくつでということはスルーしてください。
ちょっとずっこいかもしれないけど、いまの『等式』は来てくれた分だけ数えています^^
2006年6月13日にブログをはじめて丸6年。
ついでに『等式』に引っ越しして、1年^^
7年目に突入します。
で、ずっこい告白が6周年記念エントリー!!
いつもこの時期になると最初の頃を読み返してみます。
半生を吐露して書くことで浄化し、ときには怒り、ノロケ、生意気な発言をして。
『何かを伝えたい』という思いを軸に、ひとりの女が形を変えながら綴ってきた記録にわたし自身触れることができます(照れるけど^^;)
どんなに形が変わってもわたしはいつまでも『わたし』。
柔らかくても主張してても、『自分の心にウソをつかないでいたい』ということが言葉の土台はずっと一緒。
1日一回の人も、週末まとめ読みの人も、そして、何回も来てくれる人も。
2度の引っ越しにも、充電にも付き合ってくださった方。
新しくお気に入りになってくださった方。
すべてのカウンターのひとつひとつに、ありがとうございます。
本当にありがとう。
『わたし』の記録をこれからも楽しんでくれたら、うれしいです。
そして、いつも同じ締めくくり^^
那智さん。
『等式』はわたしの記録と書きましたが、当然のように『あなたの記録』でもあり『わたしたちの記録』です。
だって、イコールですものね^^
わたしがこれだけ長い期間伝え続けていられたのは、那智さんの力です。
書いたのはわたしだけど書けるようにしてくれたのは那智さんで、じつは、直接手を下さないぶん書けるようにしてくれえることが大変だということもわかっています。
ずっとずっと支えてくれました。
『等式』6歳になりました^^
本当にありがとうございます。
ということで、みなさん、7年目もよろしくお願いします^^
追記
カウンターの設定を変えたおかげ(?)であと数ヶ月はかかると思っていた30万ヒットを思いのほか早く迎えることができました。
いままで『3人で遊びませんか?』や『那智があなたの夢を叶えます(笑)』ちょっぴり無謀な企画から、ミニオフやチャットなどの実現可能な企画を立てていました。
多少ネタも尽き^^;しばらくおとなしくしておりましたが、30万のときには何かやりたいねと話しておりました。
今回は
わたしたちとスカイプでおしゃべりしませんか?
を企画します。
スカイプができる環境にない方は今回はごめんなさい!!
後日詳細を決めてお知らせいたしますが、現段階で決まっていることは平日ある程度時間(早朝と深夜帯以外です、ごめんなさい)を決めて大勢ではなく個別に『おしゃべりタイム』を作ろうと思っています。
ですから、大勢が苦手な方やプライベートな話題も可能です。
スカイプができる環境で参加したいなと思ってくださる方は事前にIDの取得などを済ませておいていただけるとよいかと思います。
できれば、肉声でおしゃべりしたいと思っていますが、おしゃべりが厳しい状況の方はチャットでも対応します^^
ということで、あらためて
来てくれて、読んでくれて、ページをめくってくれて、ありがとうございました!!
これからも、よろしくね^^
<関連エントリー>
過去の周年エントリーです^^
『胸いっぱいの』
『2周年です』
『hotに3周年御礼』
『薬指なう^^』
『薬指にキスをして』
お礼と色々です。「等式」6周年サイドメニューの「月別」を見るとその歳月の長さを感じることができます。ブログコンセプトから記憶を記録しようとする意図がありました。
ここ数日いつもよりも200位カウンターが進んでいました、多分これは、1人の方が集中して読そんな方の熱意やパワーを頂くためにもカウンターの数え方を変更することに対して大賛成しました、もっと早くそうするべきとさえ思っています。(2・3ヶ月前だと思います)
これは我々が読み返すことが目的なのですから、読んで頂ける方が過去を遡っていただけるのは当然スカイプの件、少し時間でも遊びに来て下さいね。月並みですが、いつもありがとうございます、これからも宜しくお願いします。嬉しく思います。
正当な怒り
140字もどき
あんまり力を入れてツイートしちゃったからこっちにも載せちゃう〜^^
Twitterをちょろちょろ覗いていたら、多頭だったことを知らずに奴隷さんになって途中で知らされて(ばれた?)結局お別れしたという元奴隷さんのつぶやきをみつけた。
彼女は、その元ご主人様のことをなんとか理解したいと他のS男性をフォローしたり自問自答をしていた。
そこに『主従関係にもいろいろあるから〜』と元のご主人様への理解を促すようなS男性の言葉があったりするとわたしは怒りの感情が湧いてしまう。
(まあ、この人は問いかけのツイートに自分だったらということで反応されただけなので親切心でしょうから文句言っちゃいけないかもしれないけども。)
いま彼女に必要なのはキレイごとでじゃないと思うんだ。
彼女は怒らないといけない。
もし仮に奴隷という立場のときには怒れないのだとしても、別れたいま彼女には怒る必要がある。
わたしが『りん子的独り言(生意気)』を書いている理由のひとつは怒りだ。
過去怒れなかった自分の代わりに書くことで怒りの感情を浄化させたいと思っている。
那智さんに聞いてもらって『もっと怒れ』と手伝ってもらい、さらにここに吐き出すことでずいぶん気持ちはラクになった。
だから最近の『りん子的独り言』はちょっとおだやか?(笑)
そこから抜け出すために必要なことは、理解やキレイごとじゃなくて自分の怒りを認めること。
ウソをつき、ちゃんと向き合おうとしなかった男の無責任さに怒りを表す。
相手に直接ぶつけることができなかったとしても、怒りの存在を認めることだけでも必要だ。
バカな男に引っかかったと反省したり、どうすればよかったか検証し直す作業は怒りを吐き出し終わってからでいい。
だからキレイごとをいうS男性の言葉を見ると、あなたにまず必要なことは怒ることだと思うと伝えたくなってうずうずしてしまう。
しょうがないから彼女の代わりにツイートで怒っておいて、もったいないから、ここにもネタにしてしまった^^
正当に怒ることも必要だ、よね。
<関連エントリー>
『りん子的独り言って』
『徒然に「りん子的独り言」のこと』
『かつてのわたしに』
今日は、まずいな~(笑)私の思う奴隷像を考えると(披露はしませんが)ご主人様がどのような行いをしても問題ないでしょ、奴隷なんだから、多頭なんて普通でしょ、奴隷なんだから。そんな気軽に奴隷を名のるのは過去に存在した奴隷だった方と現在、真に奴隷をしている方に失礼でしょ。
それで傷ついたなら奴隷とご主人様と言う関係を望んだ自分か承諾した自分を悔い改めるしかないと思います。
那智さん、感想うれしいです。追加と感想をふたつです。まず、ごめんなさい、カテゴリが『りん子的独り言』ではなかったので曖昧になっていました。殿下の宝刀注釈「かつてのわたしのように『依存』と『奴隷』を混同させてしまっている人に向けて」を追加いたします!!(笑)
最近ハッキリとわたしなりの奴隷の定義が固まってきたので、那智さんのおっしゃるような「理不尽は当然」には賛成です。『奴隷』というの言葉の意味を考えたら軽々しく口にできないはずで、ゆえに、それなりの認識をしないとねって思います。
でも、でも、それを承知の上で、傷に対する怒りを見過ごすことはしないでいたいと思うのです。
怒りというか、傷ついちゃったなぁという認識ということかな。
あんまり力を入れてツイートしちゃったからこっちにも載せちゃう〜^^
Twitterをちょろちょろ覗いていたら、多頭だったことを知らずに奴隷さんになって途中で知らされて(ばれた?)結局お別れしたという元奴隷さんのつぶやきをみつけた。
彼女は、その元ご主人様のことをなんとか理解したいと他のS男性をフォローしたり自問自答をしていた。
そこに『主従関係にもいろいろあるから〜』と元のご主人様への理解を促すようなS男性の言葉があったりするとわたしは怒りの感情が湧いてしまう。
(まあ、この人は問いかけのツイートに自分だったらということで反応されただけなので親切心でしょうから文句言っちゃいけないかもしれないけども。)
いま彼女に必要なのはキレイごとでじゃないと思うんだ。
彼女は怒らないといけない。
もし仮に奴隷という立場のときには怒れないのだとしても、別れたいま彼女には怒る必要がある。
わたしが『りん子的独り言(生意気)』を書いている理由のひとつは怒りだ。
過去怒れなかった自分の代わりに書くことで怒りの感情を浄化させたいと思っている。
那智さんに聞いてもらって『もっと怒れ』と手伝ってもらい、さらにここに吐き出すことでずいぶん気持ちはラクになった。
だから最近の『りん子的独り言』はちょっとおだやか?(笑)
そこから抜け出すために必要なことは、理解やキレイごとじゃなくて自分の怒りを認めること。
ウソをつき、ちゃんと向き合おうとしなかった男の無責任さに怒りを表す。
相手に直接ぶつけることができなかったとしても、怒りの存在を認めることだけでも必要だ。
バカな男に引っかかったと反省したり、どうすればよかったか検証し直す作業は怒りを吐き出し終わってからでいい。
だからキレイごとをいうS男性の言葉を見ると、あなたにまず必要なことは怒ることだと思うと伝えたくなってうずうずしてしまう。
しょうがないから彼女の代わりにツイートで怒っておいて、もったいないから、ここにもネタにしてしまった^^
正当に怒ることも必要だ、よね。
<関連エントリー>
『りん子的独り言って』
『徒然に「りん子的独り言」のこと』
『かつてのわたしに』
今日は、まずいな~(笑)私の思う奴隷像を考えると(披露はしませんが)ご主人様がどのような行いをしても問題ないでしょ、奴隷なんだから、多頭なんて普通でしょ、奴隷なんだから。そんな気軽に奴隷を名のるのは過去に存在した奴隷だった方と現在、真に奴隷をしている方に失礼でしょ。
それで傷ついたなら奴隷とご主人様と言う関係を望んだ自分か承諾した自分を悔い改めるしかないと思います。
那智さん、感想うれしいです。追加と感想をふたつです。まず、ごめんなさい、カテゴリが『りん子的独り言』ではなかったので曖昧になっていました。殿下の宝刀注釈「かつてのわたしのように『依存』と『奴隷』を混同させてしまっている人に向けて」を追加いたします!!(笑)
最近ハッキリとわたしなりの奴隷の定義が固まってきたので、那智さんのおっしゃるような「理不尽は当然」には賛成です。『奴隷』というの言葉の意味を考えたら軽々しく口にできないはずで、ゆえに、それなりの認識をしないとねって思います。
でも、でも、それを承知の上で、傷に対する怒りを見過ごすことはしないでいたいと思うのです。
怒りというか、傷ついちゃったなぁという認識ということかな。
その瞬間からひとりで立てるように
独特な幸福感
『思いっきり依存していい、その代わり俺が死んだらその瞬間からひとりで立てるようにする』
何度か登場しているこのセリフ。
これは知り合って、どれくらいだろう、きっと半年くらいでいわれたのではないかな。
愛される価値がないと自分を肯定できずに、足下がぐらぐら不安定だったわたしに思いっきりよりかかることを教えてくれた。
それはそれは幸せなことだったけど、負担じゃないかとか、もし那智さんがいなくなってしまったらまたもとに戻ってしまうのではないかとか、幸せゆえの幸福な不安に、那智さんの『目指している先』を教えてもらいたいと会話を重ねていたときだったと思う。
うっとりするような気持ちとそんな都合良くできる!?と疑う気持ち、だから『お伽噺』のようだと思った。
もしわたしが先に死んだら。
新しく女性を作るかどうか、それは那智さんの好きにするらしい。
わたしは枕元に化けてでて『わたしほどよくないでしょう?』と目配せしてもいいそうだ。
だけど、那智さんんが先に死んだら、もうわたしは誰ともセックスをしてはいけないそうだ(セックスを伴う恋愛もふくめて)。
ほとんど本気でほとんど冗談(笑)
でも、那智さんとの心と体の交流があまりにも良すぎるので、自由にどうぞと言われても、まあ、まったく積極的に男性とお付き合いしようという気は起こらないと想像できる。
だから禁止しなくても、結果的に『禁止』状態になるのではないかなと思っている。
ただ子供の頃から持っていたマゾ的嗜好は消えてなくならないと思うから、そこはどうしたらいいかな〜とか、たとえば、明日死んでしまったら、ちょっと女としての余生が長すぎて困るな〜なんて、ぼんやりお話ししていた。
まあ、誰とも付き合っちゃいけないというのは大げさなことだよ
俺が言いたいのは、いい男と付き合いえってこと
俺と付き合うことでりん子にとっていい付き合いを学ぶことができただろ?
いまはそれができるようになっているからダメとは言わないと(笑)
(ううん、ホントはそう望んでらっしゃる、おそらく『結果的に禁止』が理想なはず^^で、きっとそうなります、きっと)
そう、わたしは那智さんと付き合うことで自分にウソをつかない付き合いの心地よさを知った。
相手のことを深読みをしないで素直に信じる心地よさを知った。
どうやったら自分にウソをつかないで相手を信じて人間関係を築けるか教えてもらった。
この話は男性がモデルになっているけれど、実際わたしはいま自分にウソをつかず、相手に対して疑わず、消耗しない人お友達付き合いができている。
那智さん、わたし、できるようになりましたよね?
ときどき、相談を受けることがある、もしくはおせっかいでこちらから意見することもある。
アドバイスするわたしはけっこう厳しいと思う。
ブログで『女は共感とか』『女の子』とか書いているからふわふわやさしい相談相手と思われているかもしれないけど、おそらくそういうイメージからしたら厳しいのではないかと思う。
その人の感情のスタートを読み取ろうとして、本来の目的から感情的に視点がブレてしまっていないか見極めて、その目的を達成するためのアドバイスをする。
だから、つい脱線しがちな感情論に『かわいそうに、よしよし』ってあんまりしないんだ。(必要だと思ったらするけど)
相談って、アドバイスを求める場合と共感や慰めがほしい場合とあるけど、だからけっこう後者な場合には冷たいことを言っていると感じる人もいるかもしれない^^;
人に『目的は○○だから、××は論点ズレているよね。○○のためには△△と思うしかないんじゃないかな』なんてきちっと話をするとき。
エラそうにアドバイスしているけど、ふと我が身を振り返ることがある。
もし、那智さんが死んでしまったら。
困難に見舞われたとき、相談相手と同じような立場になったときわたしは論点をズラさず、感情と理論を混同させず、自分を律することができるだろうか。
いまは那智さんがいてくれるから、エラそうにアドバイスもできるし足下を固めていられるだけなんじゃないか。
那智さんが死んでしまったら。
那智さんが生きていたときのように、自分の足で立てるだろうか。
『思いっきり依存していい、その代わり俺が死んだらその瞬間からひとりで立てるようにする』なんてお伽噺、叶うのだろうか。
ううん、叶わない。
依存体質のわたしは那智さんが死んでしまったら泣いて泣いて泣き暮らす。
お友達にかたっぱしからメールして電話して『悲しいよ〜』と泣きつく。
たくさんたくさん付き合いってもらう。
悩み事なんてできたらグラグラだ(それでも『那智さんならどうするか』を必死に考える!!)
ぜんぜん、ひとりで立てない。
だけどわかることがある。
わたしは、もう自分の心にウソはつけない。
どんなに泣いても友達を頼ってメソメソしても、心をごまかすことはしない。
相手の親切を額面とおり受け取り、自分もごまかさない。
那智さんと出会う前のわたしのように自分を消耗させてしまうような依存先はぜったい選ばない。
ひとりで立てないかもしれないけど、ちゃんと「いい付き合い」でいられる人を頼る力はついているはずなんだ。
那智さんがわたしに躾けてくれたことがあるとすれば、信頼できる人に悪意はないと信じることと自分にウソをつかないこと。
那智さんがわたしに教えてくれたことがあるとすれば、そういう関係の心地よさ。
『一瞬にしてひとりで立つ』ことはお伽噺だろう、だけどこの心地よさはきっと『ひとりで立つ』と同じくらいわたしを幸せにしてくれるはずだ。
だから、わたしはもう自分を傷つけるようなことはしない。
お友達をたくさん巻き込んで(笑)
今日は那智さんとはじめてつながった記念の日。
丸9年が経ちました。
バカみたいに濃厚なコミュニケーションの9年は、那智さんと出会う前までの30数年間を埋めてあまりあるほどです。
それでも、9年間、まったく変わることなくわたしを大切にしてくださって、一定の良好な精神状態を保ち続ける那智さんはほんとうにすごい。
そして同じように、わたしがあなたを慕う気持ちもまったく色あせることなく、毎日毎日わたしを幸せにしてくれます。
年月がすべてではないことはわかっています。
だけど、すぐ冷めてしまう恋愛ばかり繰り返していたわたしにとって年月はひとつの大きな充実になります。
たくさんの愛と尊敬と忠誠を込めて。
那智さん、わたしはあなたのもの♪
まだまだ手のかかる女ですが、これからもよろしくお願いいたします^^
お誕生日さえほとんどお祝いし合わないわたしたちだけど、10年目は何かお祝いしましょうか^^
出会った日に合わせるために連続アップになりましたので、次回更新は明後日(6/18)になります〜。
<関連エントリー>
出会った日記念エントリー^^
『今度は5周年』
『過去の私 未来の私』
『8年目の発見』
私とりん子どちらかが亡くなったら「等式」でお相手を募集をするのが良いかもしれないですね。自薦、他薦を募る、ここに全部書いてあるので話が早いでしょ。(笑)別のお話で、記念日と言うと「食事・プレゼント」を想像するので少し書きます。
確かに記念日を殆ど意識しない我々、何年か前から年末に同じホテルで食事はしていて1年の締めくくりみたいになっている程度はあるかもしれない。プレゼント交換はしないけれど、「毎日使う時計はりん子から買って貰った物を使いたい」なんて言う普通じゃ考えられないリクエストをする。
「今度、○○を買う時は俺が買ってあげる」なんて言うこともあったと思う。時計と財布と鞄は私の希望で一定の条件をリクエストして、りん子からプレゼントして貰っている。この辺りの詳細はりん子がいつかエントリーにしてくれるでしょ。
『思いっきり依存していい、その代わり俺が死んだらその瞬間からひとりで立てるようにする』
何度か登場しているこのセリフ。
これは知り合って、どれくらいだろう、きっと半年くらいでいわれたのではないかな。
愛される価値がないと自分を肯定できずに、足下がぐらぐら不安定だったわたしに思いっきりよりかかることを教えてくれた。
それはそれは幸せなことだったけど、負担じゃないかとか、もし那智さんがいなくなってしまったらまたもとに戻ってしまうのではないかとか、幸せゆえの幸福な不安に、那智さんの『目指している先』を教えてもらいたいと会話を重ねていたときだったと思う。
うっとりするような気持ちとそんな都合良くできる!?と疑う気持ち、だから『お伽噺』のようだと思った。
もしわたしが先に死んだら。
新しく女性を作るかどうか、それは那智さんの好きにするらしい。
わたしは枕元に化けてでて『わたしほどよくないでしょう?』と目配せしてもいいそうだ。
だけど、那智さんんが先に死んだら、もうわたしは誰ともセックスをしてはいけないそうだ(セックスを伴う恋愛もふくめて)。
ほとんど本気でほとんど冗談(笑)
でも、那智さんとの心と体の交流があまりにも良すぎるので、自由にどうぞと言われても、まあ、まったく積極的に男性とお付き合いしようという気は起こらないと想像できる。
だから禁止しなくても、結果的に『禁止』状態になるのではないかなと思っている。
ただ子供の頃から持っていたマゾ的嗜好は消えてなくならないと思うから、そこはどうしたらいいかな〜とか、たとえば、明日死んでしまったら、ちょっと女としての余生が長すぎて困るな〜なんて、ぼんやりお話ししていた。
まあ、誰とも付き合っちゃいけないというのは大げさなことだよ
俺が言いたいのは、いい男と付き合いえってこと
俺と付き合うことでりん子にとっていい付き合いを学ぶことができただろ?
いまはそれができるようになっているからダメとは言わないと(笑)
(ううん、ホントはそう望んでらっしゃる、おそらく『結果的に禁止』が理想なはず^^で、きっとそうなります、きっと)
そう、わたしは那智さんと付き合うことで自分にウソをつかない付き合いの心地よさを知った。
相手のことを深読みをしないで素直に信じる心地よさを知った。
どうやったら自分にウソをつかないで相手を信じて人間関係を築けるか教えてもらった。
この話は男性がモデルになっているけれど、実際わたしはいま自分にウソをつかず、相手に対して疑わず、消耗しない人お友達付き合いができている。
那智さん、わたし、できるようになりましたよね?
ときどき、相談を受けることがある、もしくはおせっかいでこちらから意見することもある。
アドバイスするわたしはけっこう厳しいと思う。
ブログで『女は共感とか』『女の子』とか書いているからふわふわやさしい相談相手と思われているかもしれないけど、おそらくそういうイメージからしたら厳しいのではないかと思う。
その人の感情のスタートを読み取ろうとして、本来の目的から感情的に視点がブレてしまっていないか見極めて、その目的を達成するためのアドバイスをする。
だから、つい脱線しがちな感情論に『かわいそうに、よしよし』ってあんまりしないんだ。(必要だと思ったらするけど)
相談って、アドバイスを求める場合と共感や慰めがほしい場合とあるけど、だからけっこう後者な場合には冷たいことを言っていると感じる人もいるかもしれない^^;
人に『目的は○○だから、××は論点ズレているよね。○○のためには△△と思うしかないんじゃないかな』なんてきちっと話をするとき。
エラそうにアドバイスしているけど、ふと我が身を振り返ることがある。
もし、那智さんが死んでしまったら。
困難に見舞われたとき、相談相手と同じような立場になったときわたしは論点をズラさず、感情と理論を混同させず、自分を律することができるだろうか。
いまは那智さんがいてくれるから、エラそうにアドバイスもできるし足下を固めていられるだけなんじゃないか。
那智さんが死んでしまったら。
那智さんが生きていたときのように、自分の足で立てるだろうか。
『思いっきり依存していい、その代わり俺が死んだらその瞬間からひとりで立てるようにする』なんてお伽噺、叶うのだろうか。
ううん、叶わない。
依存体質のわたしは那智さんが死んでしまったら泣いて泣いて泣き暮らす。
お友達にかたっぱしからメールして電話して『悲しいよ〜』と泣きつく。
たくさんたくさん付き合いってもらう。
悩み事なんてできたらグラグラだ(それでも『那智さんならどうするか』を必死に考える!!)
ぜんぜん、ひとりで立てない。
だけどわかることがある。
わたしは、もう自分の心にウソはつけない。
どんなに泣いても友達を頼ってメソメソしても、心をごまかすことはしない。
相手の親切を額面とおり受け取り、自分もごまかさない。
那智さんと出会う前のわたしのように自分を消耗させてしまうような依存先はぜったい選ばない。
ひとりで立てないかもしれないけど、ちゃんと「いい付き合い」でいられる人を頼る力はついているはずなんだ。
那智さんがわたしに躾けてくれたことがあるとすれば、信頼できる人に悪意はないと信じることと自分にウソをつかないこと。
那智さんがわたしに教えてくれたことがあるとすれば、そういう関係の心地よさ。
『一瞬にしてひとりで立つ』ことはお伽噺だろう、だけどこの心地よさはきっと『ひとりで立つ』と同じくらいわたしを幸せにしてくれるはずだ。
だから、わたしはもう自分を傷つけるようなことはしない。
お友達をたくさん巻き込んで(笑)
今日は那智さんとはじめてつながった記念の日。
丸9年が経ちました。
バカみたいに濃厚なコミュニケーションの9年は、那智さんと出会う前までの30数年間を埋めてあまりあるほどです。
それでも、9年間、まったく変わることなくわたしを大切にしてくださって、一定の良好な精神状態を保ち続ける那智さんはほんとうにすごい。
そして同じように、わたしがあなたを慕う気持ちもまったく色あせることなく、毎日毎日わたしを幸せにしてくれます。
年月がすべてではないことはわかっています。
だけど、すぐ冷めてしまう恋愛ばかり繰り返していたわたしにとって年月はひとつの大きな充実になります。
たくさんの愛と尊敬と忠誠を込めて。
那智さん、わたしはあなたのもの♪
まだまだ手のかかる女ですが、これからもよろしくお願いいたします^^
お誕生日さえほとんどお祝いし合わないわたしたちだけど、10年目は何かお祝いしましょうか^^
出会った日に合わせるために連続アップになりましたので、次回更新は明後日(6/18)になります〜。
<関連エントリー>
出会った日記念エントリー^^
『今度は5周年』
『過去の私 未来の私』
『8年目の発見』
私とりん子どちらかが亡くなったら「等式」でお相手を募集をするのが良いかもしれないですね。自薦、他薦を募る、ここに全部書いてあるので話が早いでしょ。(笑)別のお話で、記念日と言うと「食事・プレゼント」を想像するので少し書きます。
確かに記念日を殆ど意識しない我々、何年か前から年末に同じホテルで食事はしていて1年の締めくくりみたいになっている程度はあるかもしれない。プレゼント交換はしないけれど、「毎日使う時計はりん子から買って貰った物を使いたい」なんて言う普通じゃ考えられないリクエストをする。
「今度、○○を買う時は俺が買ってあげる」なんて言うこともあったと思う。時計と財布と鞄は私の希望で一定の条件をリクエストして、りん子からプレゼントして貰っている。この辺りの詳細はりん子がいつかエントリーにしてくれるでしょ。
上って大変
独特な幸福感
2時間限定のお酒の時間だった。
飲み物は互いに好きなものを選んでから。
メニューを広げた那智さんが2品選んでオーダーする。
楽しく飲んで、2/3過ぎた頃だろうか、ふたたびメニューを手に取りまた何か選び出した。
〆は味噌煮込みうどんか鶏雑炊かのどっちかにしようと思ってるんだよね〜
よし、決めた味噌煮込みうどんにしよ
そういってからスタッフを呼んで注文をした。
ふむふむ、今夜はそういう夜ですね。
そう、今夜は飲み物以外、全部那智さんが選んで決めた。
『りん子何が食べたい?』とわたしへの希望を聞くことも、全部自分が決めることへの合意も一切なし。
そして、わたしはそれに対してなんら疑問も抵抗感も持たず、運ばれて来た料理をおいしくいただく。
わたしだったら、ぜったい味噌煮込みうどんは選ばないなぁ、きっと候補にも挙らない^^;
濃い味の汁を絡めた固めの麺を咀嚼しながら、那智さんが選ばなかったら、なかなか出会えない1品だな〜としんみり思った。
毎回全部那智さんが勝手に決めるわけじゃない、これはひとつのパターン。
りん子好きなの選びな
と自由なときもあるし
1品ずつ好きなの選ぼう
と提案されることもあるし
これとこれとこれの中だったら、どれでもいいよ
と最終決定を任されることもある。
もちろん、わたしがメニューを広げて、これとこれにしますよね?と定番料理を率先して指定することだってある。
どれもごくわたしたちにとって当たり前の行為、あらためてコンセンサスを得ているわけではないんだけど、ひとつ大きな柱がある。
それは那智さんが主導しているということ。
注文全部を決める
どのように決めるかを決める
りん子に一任することを決める
どれも、那智さんが判断しているのだ。
わたしはそれを当然とし、そのときそのとき決定した方法に従っている。
もちろんいちいち確認しているわけじゃないけど、この夜は『那智さんが全部決める』ということに決まっていたようなので、わたしの役割はそれを楽しむことになるわけだ。
自然に上下が出来上がっているように思う。
そして、わたしはそれが心地よくて楽しい、快適だ。
こういうことがあると上下の上は大変だな〜とつくづく思うのだ。
『よいようにしたい那智さんとよいようにしてほしいわたし』というのがわたしたちの幸福なポジションなんだけど、これをし続ける那智さんは大変。
自分の好きなようにするという判断。
自分の好きなものを選んで一緒にいる女を楽しませるという自信のもとに下す。
相手に任せるという判断。
『任せる』のだから結果がどうあれそれを受け入れる覚悟の上。
(覚悟なんて大げさにいってるけど、けっこう人任せにして文句いう人いるよね?)
文字にしたら簡単なことだけど、長年自然にやり続けるのってけっこう大変。
人って普通、なんだかんだいっても好きな女の顔色を伺ってしまうところもあるし、迷うことだってある。
自分の判断を通すのって根性いるよね。
任せた結果によっては一緒に責任を負わないといけないしね。
自分の決めたものでわたしを幸せにさせて、わたしに任せてると判断したときは責任のもと、それで楽しんでくれる。
これを続けてくれると、わたしのような従属嗜好の女は自然と幸福のもと従うことができるようになる。
気がつけば、全部那智さんが勝手にオーダーしたものを疑問も持たずに喜んでいただいている自分がそこにいるのだった。
ただ、これには例外もありまして。
たとえば、わたしが気を利かせて先回りしてお店を選んできたりすると、けっこうな割合で些細な文句をつけられます(「隣りと席近すぎ〜」とか「串焼き一本が高すぎ〜」とか 笑)
これがね、「じゃあ、りん子に任せる」とか「りん子の判断でふたつピックアップしておいて」とか、何かしらこちらに任せる判断を下したときは些細な文句もないのですよね。
たしかに、主導でい続けるのはかっこいいように思えるけど、要するに、那智さんはきっと自分で決めたい人なのだ。
大変だけど、それが好きな人。
いつも思うけど、上下のポジションは上のほうがぜったい大変、良好でこちらも幸せにするエゴイストでいないといけないのだもの。
好きだから続けられるのだと思う。
だから、わたしはいつも遠慮なくありがたく従う。
上下の上は大変ですねと思いながら、味噌煮込みうどんをいただくのでした^^
1.お店選びは、選択の意図や意志が欲しい。高いけれど美味しそうとか、狭いけれど安いとか、この立地にしては安いとかね。
2.そうですね~何かを任せたら私が責任を取るのが筋でしょ、(笑)
3.一番笑えるのが、食事を取るのでおのおの単品で注文するとかなりの確立で私が失敗することが多いような気がする、二人で一緒に食する時にはあまり失敗がないのに。
4,だから、私が選択に失敗したときには素直にゴメンナサイします。良かった時に誇るために。(笑)
2時間限定のお酒の時間だった。
飲み物は互いに好きなものを選んでから。
メニューを広げた那智さんが2品選んでオーダーする。
楽しく飲んで、2/3過ぎた頃だろうか、ふたたびメニューを手に取りまた何か選び出した。
〆は味噌煮込みうどんか鶏雑炊かのどっちかにしようと思ってるんだよね〜
よし、決めた味噌煮込みうどんにしよ
そういってからスタッフを呼んで注文をした。
ふむふむ、今夜はそういう夜ですね。
そう、今夜は飲み物以外、全部那智さんが選んで決めた。
『りん子何が食べたい?』とわたしへの希望を聞くことも、全部自分が決めることへの合意も一切なし。
そして、わたしはそれに対してなんら疑問も抵抗感も持たず、運ばれて来た料理をおいしくいただく。
わたしだったら、ぜったい味噌煮込みうどんは選ばないなぁ、きっと候補にも挙らない^^;
濃い味の汁を絡めた固めの麺を咀嚼しながら、那智さんが選ばなかったら、なかなか出会えない1品だな〜としんみり思った。
毎回全部那智さんが勝手に決めるわけじゃない、これはひとつのパターン。
りん子好きなの選びな
と自由なときもあるし
1品ずつ好きなの選ぼう
と提案されることもあるし
これとこれとこれの中だったら、どれでもいいよ
と最終決定を任されることもある。
もちろん、わたしがメニューを広げて、これとこれにしますよね?と定番料理を率先して指定することだってある。
どれもごくわたしたちにとって当たり前の行為、あらためてコンセンサスを得ているわけではないんだけど、ひとつ大きな柱がある。
それは那智さんが主導しているということ。
注文全部を決める
どのように決めるかを決める
りん子に一任することを決める
どれも、那智さんが判断しているのだ。
わたしはそれを当然とし、そのときそのとき決定した方法に従っている。
もちろんいちいち確認しているわけじゃないけど、この夜は『那智さんが全部決める』ということに決まっていたようなので、わたしの役割はそれを楽しむことになるわけだ。
自然に上下が出来上がっているように思う。
そして、わたしはそれが心地よくて楽しい、快適だ。
こういうことがあると上下の上は大変だな〜とつくづく思うのだ。
『よいようにしたい那智さんとよいようにしてほしいわたし』というのがわたしたちの幸福なポジションなんだけど、これをし続ける那智さんは大変。
自分の好きなようにするという判断。
自分の好きなものを選んで一緒にいる女を楽しませるという自信のもとに下す。
相手に任せるという判断。
『任せる』のだから結果がどうあれそれを受け入れる覚悟の上。
(覚悟なんて大げさにいってるけど、けっこう人任せにして文句いう人いるよね?)
文字にしたら簡単なことだけど、長年自然にやり続けるのってけっこう大変。
人って普通、なんだかんだいっても好きな女の顔色を伺ってしまうところもあるし、迷うことだってある。
自分の判断を通すのって根性いるよね。
任せた結果によっては一緒に責任を負わないといけないしね。
自分の決めたものでわたしを幸せにさせて、わたしに任せてると判断したときは責任のもと、それで楽しんでくれる。
これを続けてくれると、わたしのような従属嗜好の女は自然と幸福のもと従うことができるようになる。
気がつけば、全部那智さんが勝手にオーダーしたものを疑問も持たずに喜んでいただいている自分がそこにいるのだった。
ただ、これには例外もありまして。
たとえば、わたしが気を利かせて先回りしてお店を選んできたりすると、けっこうな割合で些細な文句をつけられます(「隣りと席近すぎ〜」とか「串焼き一本が高すぎ〜」とか 笑)
これがね、「じゃあ、りん子に任せる」とか「りん子の判断でふたつピックアップしておいて」とか、何かしらこちらに任せる判断を下したときは些細な文句もないのですよね。
たしかに、主導でい続けるのはかっこいいように思えるけど、要するに、那智さんはきっと自分で決めたい人なのだ。
大変だけど、それが好きな人。
いつも思うけど、上下のポジションは上のほうがぜったい大変、良好でこちらも幸せにするエゴイストでいないといけないのだもの。
好きだから続けられるのだと思う。
だから、わたしはいつも遠慮なくありがたく従う。
上下の上は大変ですねと思いながら、味噌煮込みうどんをいただくのでした^^
1.お店選びは、選択の意図や意志が欲しい。高いけれど美味しそうとか、狭いけれど安いとか、この立地にしては安いとかね。
2.そうですね~何かを任せたら私が責任を取るのが筋でしょ、(笑)
3.一番笑えるのが、食事を取るのでおのおの単品で注文するとかなりの確立で私が失敗することが多いような気がする、二人で一緒に食する時にはあまり失敗がないのに。
4,だから、私が選択に失敗したときには素直にゴメンナサイします。良かった時に誇るために。(笑)