徒然に『りん子的独り言』のこと
りん子的独り言(生意気)
あるときお友達に『りん子さんのところにはいっぱい相談がくるでしょ?』と言われたことがあるのだけど。
実は、かなりないのです。
いただくとしたら『自分も過去はそうだったから共感できる』という励ましのメールがほとんど。
これは、自分の書いていることはひとつの考え方として間違っていなかったのかなととても勇気をもらえます。
そして『つらいころに読んでいたらよかった』と過去を振り返ってくださったりもします。
でも、そんなときはこんなお返事するの。
もしかしたら、そのとき読んでいても何も感じなかったかもしれませんよ、って。
たぶん。
『渦中の人には伝わりづらい』
のだと思う。
『りん子的独り言って』というエントリーを書いたことがある。
なぜわたしは『SM』や『主従』や『性的な場面での女性の傷』を書き続けているか。
それは怒りからだ。
かつて渦中にいるときに、自分の心に触ってあげられず傷ついたあのときのわたしの代わりに。
怒りを表すことで浄化しているのだ。
そして、ただ怒りを表すだけより、同じような思いをしている人に気がついてと投げかけるほうが建設的だろうと思って主張しているのだ。
と。
書きながら自問自答していた。
誰かに伝わっているだろうか。
似たような立場で幸せを築いている人にイヤな思いをさせてまで主張する意義はあるのだろうか。
それでも書き続けたのは善意だけからじゃない、怒っていたからだ。
だから、渦中の人には伝わらないと思う。
わたしもかつて渦中にいたときには目を逸らしていたから怒れなかったのだ。
きっと那智さんと出会う前の『旅』の途中で誰かの『りん子的独り言』を読んでも、自分は違うと否定していただろう。
渦中のわたしには伝わらなかったと思うのだ。
人は変わるものだと感じる。
『ぬいぐるみ』というエントリーで、那智さんの『女の子』になることはかつて父からもらえなかったものを欲しているからだと、もう思うのはやめよう。
誰のせいでも、何が原因でもなくて、ただわたしは『女の子』になりたいというだけの女なんだ。
誰かのせいにするよりも、そういう人間なんだと思えたほうが気持ちがいい。
と書いた。
このときのわたしは、父からもらえなかったことに対する怒りを成仏することができていたのだろう。
人は変われるものだ。
最近、わたしは、M女さんの悲しいに触れて、かつてのような怒りは湧かなくなっている。
それは、わたしの怒りが浄化されたからだと思う。
たくさん那智さんに愛してもらって、ここで主張して、何ができるか考えて、そうしているうちに浄化することができたのだと思う。
いまは、ただ静かに寂しいと思い、M女さんの心が穏やかになれるように小さく祈るような気持ちになる。
怒りはひとつの原動力。
それがなくなりつつあるいま『りん子的独り言』は形を変えていくのかな、なんて思っている。
あの体温が少し上昇するような訴えはもうしないかもしれないね。
それでも、いまでも、ずっと変わらず思っているよ。
マゾと奴隷は違う。
主従も違う。
どれも嗜好や性癖で、好きだからという理由だけでマゾになんかなれない。
側にいたいということだけで奴隷の立場を選ぶべきじゃない。
自分は何を求めているのか必死に心に触れて感じよう。
そこには案外、とてもシンプルな答えがあるかもしれない。
ただ、好きな人と好きなことをする喜び、それだけなのかもしれない。
渦中の人には伝わらない?
そうかもしれないね。
でも人は変われる。
自分の怒りに気付かないほどの『渦中』になんていないほうがいいよね。
そう思って、次はどんな『りん子的独り言』になっていくのかなと、ふと徒然でした^^
<関連エントリー>
ちょっと強めの主張『りん子的独り言』^^
『奴隷誓約書』
『「奴隷願望」の矛盾』
『M女ブログを信じるな』
『りん子的独り言って』
『否応なくマゾ』
『M女の快感』
わあ、お腹いっぱいだよね〜^^;
ついでに
『ぬいぐるみ』
あるときお友達に『りん子さんのところにはいっぱい相談がくるでしょ?』と言われたことがあるのだけど。
実は、かなりないのです。
いただくとしたら『自分も過去はそうだったから共感できる』という励ましのメールがほとんど。
これは、自分の書いていることはひとつの考え方として間違っていなかったのかなととても勇気をもらえます。
そして『つらいころに読んでいたらよかった』と過去を振り返ってくださったりもします。
でも、そんなときはこんなお返事するの。
もしかしたら、そのとき読んでいても何も感じなかったかもしれませんよ、って。
たぶん。
『渦中の人には伝わりづらい』
のだと思う。
『りん子的独り言って』というエントリーを書いたことがある。
なぜわたしは『SM』や『主従』や『性的な場面での女性の傷』を書き続けているか。
それは怒りからだ。
かつて渦中にいるときに、自分の心に触ってあげられず傷ついたあのときのわたしの代わりに。
怒りを表すことで浄化しているのだ。
そして、ただ怒りを表すだけより、同じような思いをしている人に気がついてと投げかけるほうが建設的だろうと思って主張しているのだ。
と。
書きながら自問自答していた。
誰かに伝わっているだろうか。
似たような立場で幸せを築いている人にイヤな思いをさせてまで主張する意義はあるのだろうか。
それでも書き続けたのは善意だけからじゃない、怒っていたからだ。
だから、渦中の人には伝わらないと思う。
わたしもかつて渦中にいたときには目を逸らしていたから怒れなかったのだ。
きっと那智さんと出会う前の『旅』の途中で誰かの『りん子的独り言』を読んでも、自分は違うと否定していただろう。
渦中のわたしには伝わらなかったと思うのだ。
人は変わるものだと感じる。
『ぬいぐるみ』というエントリーで、那智さんの『女の子』になることはかつて父からもらえなかったものを欲しているからだと、もう思うのはやめよう。
誰のせいでも、何が原因でもなくて、ただわたしは『女の子』になりたいというだけの女なんだ。
誰かのせいにするよりも、そういう人間なんだと思えたほうが気持ちがいい。
と書いた。
このときのわたしは、父からもらえなかったことに対する怒りを成仏することができていたのだろう。
人は変われるものだ。
最近、わたしは、M女さんの悲しいに触れて、かつてのような怒りは湧かなくなっている。
それは、わたしの怒りが浄化されたからだと思う。
たくさん那智さんに愛してもらって、ここで主張して、何ができるか考えて、そうしているうちに浄化することができたのだと思う。
いまは、ただ静かに寂しいと思い、M女さんの心が穏やかになれるように小さく祈るような気持ちになる。
怒りはひとつの原動力。
それがなくなりつつあるいま『りん子的独り言』は形を変えていくのかな、なんて思っている。
あの体温が少し上昇するような訴えはもうしないかもしれないね。
それでも、いまでも、ずっと変わらず思っているよ。
マゾと奴隷は違う。
主従も違う。
どれも嗜好や性癖で、好きだからという理由だけでマゾになんかなれない。
側にいたいということだけで奴隷の立場を選ぶべきじゃない。
自分は何を求めているのか必死に心に触れて感じよう。
そこには案外、とてもシンプルな答えがあるかもしれない。
ただ、好きな人と好きなことをする喜び、それだけなのかもしれない。
渦中の人には伝わらない?
そうかもしれないね。
でも人は変われる。
自分の怒りに気付かないほどの『渦中』になんていないほうがいいよね。
そう思って、次はどんな『りん子的独り言』になっていくのかなと、ふと徒然でした^^
<関連エントリー>
ちょっと強めの主張『りん子的独り言』^^
『奴隷誓約書』
『「奴隷願望」の矛盾』
『M女ブログを信じるな』
『りん子的独り言って』
『否応なくマゾ』
『M女の快感』
わあ、お腹いっぱいだよね〜^^;
ついでに
『ぬいぐるみ』
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