駄犬のマッサージ
独特な幸福感
うわあ、どうしよう。
みなさん、お相手にマッサージするの、そんなに、好き!?^^;
勝手にわんこ仲間にしているみぃさんのマッサージをする喜びのエントリー『愛情マッサージ』、健気でかわいいなぁとニヤニヤしながら読ませていただいて、同じ『犬気質』のわたしもそんなふうに思う?とふと我に返り、さらにコメントで同じような感覚の皆さんを拝見して、はっきりわかってしまった!!!
わたし、そんなふうに思えない〜〜〜、面倒って思ってる〜〜〜〜〜って(笑)
いえ、那智さんがラクになってくれたらうれしいし、気持ち良さそうにウトウトしてくれたら『よっしゃ』とも思う。
ドロドロのヘトヘトで本当ならこちらがマッサージしていただきたいくらいのところを耳掃除を含めて正味30分額に汗を滲ませながら、『ためして○テン』で指圧のコツを覚え、ネットのツボ箇所を確認し、手を抜かず愛情込めてマッサージして差し上げているつもり。
そりゃあ、もう愛情たっぷり^^
でも、でも。
じゃあ、ないと寂しい?かと問われれば。
…、なきゃないでかまわない…。
と、思ってしまうーーーー!!
いや、なくなったら一抹の寂しさは覚えるはずだ。
だからすることはやぶさかではないけど、面倒と思うわたしもいるという感じ^^;
これって、どうなの!?
那智さんが嬉しいとわたしは幸せなんて上下の下を自認しているつもりだけど、ダメだ、すべてがそれには当てはまらない^^;
面倒なものは面倒だし、疲れるものは疲れる、よ。
全然かわいくないぞ。
でも、そんなかわいくないわたしだけど最近ちょっと変化を感じることがあるのだ。
(これでかわいいになれるだろうか^^;)
実は最近湧き上がってしかたがない欲求がある。
それはフェラチオをしたいという欲求。
いままでもそういう気持ちが湧くことはよーくあったけど(笑)、最近その感情に変化を感じていて少し驚いている。
いままではフェラチオ自体が気持ち良くて興奮して、自分の快感のためにしていた。
(相手の顔色を伺ってしまうところがあるわたしを敢えてそういう回路を育ててもらったとも言える)
自分の快感のためというのは変わりないのだけど。
いま、求めている快感は『那智さんのうれしい』なのだ。
忠誠や献身とは少し違っていて、どちらかというと結果的に献身という感じ。
那智さんがうれしいことをしたい。
それがわたしの快感で幸福。
だから、わたしは、わたしのために那智さんに喜んでもらいたい、のだ。
これは同化する快感。
フェラチオをして、きっと那智さん気持ちいいだろうな、感じているわたしを見て満足だろうなと思うと、それがわたしの快感になるのだ。
那智さんの快感はわたしの快感。
那智さんの満足はわたしの満足。
心だけじゃなく、体にも作用する同化や共鳴、そんな感じ。
もともとあったフェラチオをする快感に、同化共鳴の快感が加わったのだ。
これはもうしたくてしょうがないものになってしまう。
もちろん好きな人に喜んでもらいたいというごく普通の感情はあるけれど。
わたしの場合の『那智さんがうれしいとわたしは幸せ』は奉仕の精神よりも、基本的にこの同化共鳴の快感がそうさせているのだと思う。
わたし自身は特別中華料理が大好きというわけではないけれど、那智さんと中華を食べることは大好きだ、大大大好き。(餃子と生ビールや台湾料理は、この場合中華とは言わない^^)
それは那智さんが中華が好きなのを知っているから。
好きなジャンルの料理を食べている那智さんの側にいることは、不思議とそれだけでわたしの喜びになる。
こんな感覚にも同化共鳴の快感。
割りと、この感覚は日常のあちこちである。
じゃあ、なぜマッサージでは感じないのだろう?
(いや、しつこいけど、気持ち良くなってほしい気持ちはあるんだよぉぉぉ)
で、考えてみた。
同化共鳴の快感は、その快感自体を知らないと感じられないのではないだろうか。
好きな料理を食べる喜びは、もちろん知っている。
フェラチオの快感は知らないけど性的な快感は知っているから、似たような快感として繋げられやすいだろう。
こんなふうに『それ』の気持ち良さがわかっていると同化共鳴しやすいのではないでしょうか!!
実は、わたしはマッサージの気持ち良さを知らない。
緊張といってしまえば大げさだけど、『申し訳ないな〜』とか『気持ちよくならないといけない』なんて相手のことを考えちゃって心底リラックスできないのだ。
そんなわたしだから、那智さんのマッサージの気持ち良さに共鳴できないのではないか。
那智さんは、忠誠や献身でわたしを動かしたいとは思っていない。
それ自体を欲するということが望みで、そういうふうに育ててきた。
結果、わたしはフェラチオがしたくてしょうがない状態になったのだ。(さらっと書いているけど、ちと恥ずかしい*^^*)
マッサージがしたくてしょうがないわたしになるには、まずマッサージの快感を教えるところからはじめないといけないのかもしれない。
って書きながら、そういえば、那智さんは最初の頃マッサージをさせる前にわたしにしてくれようとしてた!!
よいマッサージを受けるには、まず実演してみてやり方を教えないとというのが教育者那智氏の持論だ。
でも、緊張しちゃうし、ちょっとやってもらったらすごーく痛かったからすぐギブアップしちゃった記憶がある。
じゃあ、面倒と思うのはしかたがないのか…。
ということで、あなたの喜びはわたしの喜び、これからも愛情込めてマッサージさせていただきます、面倒って思いながら(笑)
って、やっぱり全然かわいくなーい^^;
最後に大事なおまけ^^
みぃさんのところに「面倒〜」ってコメントを書きながら、もしかしてこれってとても恵まれた『面倒』なんじゃないかって思った。
わたしは比較的頻繁に会うことができている。
ということはマッサージも頻繁なわけだ。
だからこそ『面倒』と思えるのかもしれない。
そう気がついてちょっとせつなくなって、この『面倒』に感謝した。
みぃさん、気付かせてくれてありがとう。
どうか、りょうさんにお会いしたらいーっぱいマッサージして差し上げてくださいね〜!!
で、改めて想像する…会う頻度がいまより少なかったら…。
………
マッサージなんかより、もっとわたしをかまって
になってしまいそうだ。
やっぱりかわいくない、ダメ犬なわたし^^;
<関連エントリー>
マッサージでいろいろ
『りん子に綿棒』
『どちらとも』
『ハプバーの正しい使い方1』(ほーら、実は健気な一面も^^)
『ひとりじゃない独り言』(ほーら、ほら、ここにも健気な…)
うわあ、どうしよう。
みなさん、お相手にマッサージするの、そんなに、好き!?^^;
勝手にわんこ仲間にしているみぃさんのマッサージをする喜びのエントリー『愛情マッサージ』、健気でかわいいなぁとニヤニヤしながら読ませていただいて、同じ『犬気質』のわたしもそんなふうに思う?とふと我に返り、さらにコメントで同じような感覚の皆さんを拝見して、はっきりわかってしまった!!!
わたし、そんなふうに思えない〜〜〜、面倒って思ってる〜〜〜〜〜って(笑)
いえ、那智さんがラクになってくれたらうれしいし、気持ち良さそうにウトウトしてくれたら『よっしゃ』とも思う。
ドロドロのヘトヘトで本当ならこちらがマッサージしていただきたいくらいのところを耳掃除を含めて正味30分額に汗を滲ませながら、『ためして○テン』で指圧のコツを覚え、ネットのツボ箇所を確認し、手を抜かず愛情込めてマッサージして差し上げているつもり。
そりゃあ、もう愛情たっぷり^^
でも、でも。
じゃあ、ないと寂しい?かと問われれば。
…、なきゃないでかまわない…。
と、思ってしまうーーーー!!
いや、なくなったら一抹の寂しさは覚えるはずだ。
だからすることはやぶさかではないけど、面倒と思うわたしもいるという感じ^^;
これって、どうなの!?
那智さんが嬉しいとわたしは幸せなんて上下の下を自認しているつもりだけど、ダメだ、すべてがそれには当てはまらない^^;
面倒なものは面倒だし、疲れるものは疲れる、よ。
全然かわいくないぞ。
でも、そんなかわいくないわたしだけど最近ちょっと変化を感じることがあるのだ。
(これでかわいいになれるだろうか^^;)
実は最近湧き上がってしかたがない欲求がある。
それはフェラチオをしたいという欲求。
いままでもそういう気持ちが湧くことはよーくあったけど(笑)、最近その感情に変化を感じていて少し驚いている。
いままではフェラチオ自体が気持ち良くて興奮して、自分の快感のためにしていた。
(相手の顔色を伺ってしまうところがあるわたしを敢えてそういう回路を育ててもらったとも言える)
自分の快感のためというのは変わりないのだけど。
いま、求めている快感は『那智さんのうれしい』なのだ。
忠誠や献身とは少し違っていて、どちらかというと結果的に献身という感じ。
那智さんがうれしいことをしたい。
それがわたしの快感で幸福。
だから、わたしは、わたしのために那智さんに喜んでもらいたい、のだ。
これは同化する快感。
フェラチオをして、きっと那智さん気持ちいいだろうな、感じているわたしを見て満足だろうなと思うと、それがわたしの快感になるのだ。
那智さんの快感はわたしの快感。
那智さんの満足はわたしの満足。
心だけじゃなく、体にも作用する同化や共鳴、そんな感じ。
もともとあったフェラチオをする快感に、同化共鳴の快感が加わったのだ。
これはもうしたくてしょうがないものになってしまう。
もちろん好きな人に喜んでもらいたいというごく普通の感情はあるけれど。
わたしの場合の『那智さんがうれしいとわたしは幸せ』は奉仕の精神よりも、基本的にこの同化共鳴の快感がそうさせているのだと思う。
わたし自身は特別中華料理が大好きというわけではないけれど、那智さんと中華を食べることは大好きだ、大大大好き。(餃子と生ビールや台湾料理は、この場合中華とは言わない^^)
それは那智さんが中華が好きなのを知っているから。
好きなジャンルの料理を食べている那智さんの側にいることは、不思議とそれだけでわたしの喜びになる。
こんな感覚にも同化共鳴の快感。
割りと、この感覚は日常のあちこちである。
じゃあ、なぜマッサージでは感じないのだろう?
(いや、しつこいけど、気持ち良くなってほしい気持ちはあるんだよぉぉぉ)
で、考えてみた。
同化共鳴の快感は、その快感自体を知らないと感じられないのではないだろうか。
好きな料理を食べる喜びは、もちろん知っている。
フェラチオの快感は知らないけど性的な快感は知っているから、似たような快感として繋げられやすいだろう。
こんなふうに『それ』の気持ち良さがわかっていると同化共鳴しやすいのではないでしょうか!!
実は、わたしはマッサージの気持ち良さを知らない。
緊張といってしまえば大げさだけど、『申し訳ないな〜』とか『気持ちよくならないといけない』なんて相手のことを考えちゃって心底リラックスできないのだ。
そんなわたしだから、那智さんのマッサージの気持ち良さに共鳴できないのではないか。
那智さんは、忠誠や献身でわたしを動かしたいとは思っていない。
それ自体を欲するということが望みで、そういうふうに育ててきた。
結果、わたしはフェラチオがしたくてしょうがない状態になったのだ。(さらっと書いているけど、ちと恥ずかしい*^^*)
マッサージがしたくてしょうがないわたしになるには、まずマッサージの快感を教えるところからはじめないといけないのかもしれない。
って書きながら、そういえば、那智さんは最初の頃マッサージをさせる前にわたしにしてくれようとしてた!!
よいマッサージを受けるには、まず実演してみてやり方を教えないとというのが教育者那智氏の持論だ。
でも、緊張しちゃうし、ちょっとやってもらったらすごーく痛かったからすぐギブアップしちゃった記憶がある。
じゃあ、面倒と思うのはしかたがないのか…。
ということで、あなたの喜びはわたしの喜び、これからも愛情込めてマッサージさせていただきます、面倒って思いながら(笑)
って、やっぱり全然かわいくなーい^^;
最後に大事なおまけ^^
みぃさんのところに「面倒〜」ってコメントを書きながら、もしかしてこれってとても恵まれた『面倒』なんじゃないかって思った。
わたしは比較的頻繁に会うことができている。
ということはマッサージも頻繁なわけだ。
だからこそ『面倒』と思えるのかもしれない。
そう気がついてちょっとせつなくなって、この『面倒』に感謝した。
みぃさん、気付かせてくれてありがとう。
どうか、りょうさんにお会いしたらいーっぱいマッサージして差し上げてくださいね〜!!
で、改めて想像する…会う頻度がいまより少なかったら…。
………
マッサージなんかより、もっとわたしをかまって
になってしまいそうだ。
やっぱりかわいくない、ダメ犬なわたし^^;
<関連エントリー>
マッサージでいろいろ
『りん子に綿棒』
『どちらとも』
『ハプバーの正しい使い方1』(ほーら、実は健気な一面も^^)
『ひとりじゃない独り言』(ほーら、ほら、ここにも健気な…)
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今回は、mineさん繋がりで新しくリンクさせて頂いたみぃさんのエントリをヒントにしてみました。ちなみに私天秤座です ←前も聞いたって...