マイフェアレディ『心を開く1』
モカ
前振りだけして止まっていた『マイフェアレディ』。
モカちゃんには続きをアップする了解を得てはいたけど、彼女との関わりやわたしたちの果たせたであろう役割を関係がおしまいになってからアップする行為はなんだか自分を正当化しようという保身に感じられてしまってわたし自身どうしようかなと下書きとして保存したままだった。
だけど、アップしようと思う。
モカちゃんへのエールの気持ちを込めて。
ここに書かれている『モカ』はわたしの目を通したモカですので、実際の彼女とは異なると思ってください。
実際の彼女は友人に恵まれ良い関係を築いているはずで、いまから書くような『わたしたちが感じた弊害』は、わたしたちとの付き合いに於いて生じたもの、また那智とりん子と付き合うために必要と感じたからのやり取りだとご理解ください。
『心を開く1』
はじめてモカと会った時会話が噛み合ないと感じたことは『モカ』で書いた。
それは、はじめて故の緊張ではなかったことも書いた。
はじめて会って、その次にはランチタイムのカラオケに行った。
このときに那智さんとわたしは『噛み合ない』ことが、モカの特性であることを実感するのだ。
モカは人と話をするとき、じっと人の目を見る。
まっすぐな目線。
だけど、よく見ると目が細かく泳いでいる。
彼女になにか質問をすると、じっと見て目が泳ぐ、そして言葉が出て来ない、出てきたとしても答えになっていないのだ。(「観たい映画は?」の質問に「好きなのは宮崎アニメ」と答えが返ってくるような感じね)
モカはじっと目を見ながら頭の中で考えているのだ、どの答えを言えばマイナスにならないか。
だから答えに時間がかかるしぼやける。
このカラオケのとき、まだそこまでわたしたちも理解できていなかったから、かなり焦れた(笑)
例えば。
モカの嗜好を探ろうと『薬指でどんなことに憧れていた?』と質問したとすると。
「そうですね〜」と目を見たっきり答えてくれない。
那智さんとわたしは、緊張しているのかなと思って答えを促ような会話を進める。
「例えば、わんことか?娘とか?」
こんなふうに選択肢や例を挙げてみると。
「そうですね〜、憧れていたのはわんこや…娘ですね」
と来る。
一事が万事こんな調子。
これじゃあ、わたしたちはモカのなにもわからない。
こちらの欲しい答えを見つけて、それを答えにして、更に見つけるのに苦労するあまり結局なにも伝わらないのだ。
カラオケを後にして。
那智さんとわたしは、どうしたもんかと話し合う。
モカは
中身のない人なのか。
中身はあるけど表現できない人なのか。
中身を入れる器は持っているけど、いまはまだ中身がないだけなのか。
(モカちゃん、ごめん!!)
それさえも掴めない人ではわたしたちも楽しめないし、モカにとってもただのマスターベーションになってしまう。
那智さんのお仕事の合間、わずかな時間に集中していろいろ話し合う。
質問して答えを導くような選択肢を与えるのはやめよう。
時間がかかっても答えを待とう。
わたしたちの本音の会話を見せることで、本音の付き合いの経験をしてもらおう。
那智さんは『素直と正直』をこの頃から掲げるようになる。
でも、それにはまずモカ自身にある『壁』や『ためらい』を取っ払う必要がある。
だから次会うときに、モカの話したくない話をしてもらうことにした。
その内容が知りたいのではなく、話すことで壁のようなものを少しでも取っ払ってもらい、安心できる環境を作り、わたしたちを信頼してもらお。
そしてモカに信頼してもらうことで、わたしたちも彼女を信頼したかったのだ。
『モカ』でも書いたけど、モカに『夢物語』から降りてきてもらうには相互の信頼が必要だった。
少しでも相互の信頼が築ければ、あのカラオケでの会話の違和感は変わるかもしれない。
そう考えて、はじめて3人でホテルに行く日、モカの秘密を話してもらうことになった。
ホテルの部屋のソファ。
モカを挟み左にお父さん、わたしが右。
お父さんがモカの手を取り時間がかかっても泣いてもいいから話すこと、そしてそれによってわたしたちはないも変わらないことを伝える。
わたしは敢えて口を挟まず、モカに触れもせず、隣りに『いる』だけにしていた。
ためらいながらポツポツと話し始めるモカ、話が進むにつれてどんどん涙声になり鼻をすする。
スッとお父さんが動いた。
ティッシュを取りモカの鼻に。
親が小さな子供にするように『ちーん』と鼻をかませたのだ。
(ここ、わたし、モカのまじめなお話を聞きながらも、くぅ〜っとなる。憎いことしますよ、那智さん!!)
話しては泣き、鼻をかませてもらっては、また話し。
全部お話が終わったときにはティッシュの山ができていた。
このお話しをしたことで、なにもかも上手くいくことはもちろんない。
モカの、自分の言葉で(特に自分の心の奥を)語らない、マイナスにならない答えを見つけるクセはこれ以後もまだまだ続く。
ただ、このティッシュの山がまず最初の大きな『遠慮』の壁を打ち破ったことは間違いないだろう。
まずは、これが第一歩だった。
前振りだけして止まっていた『マイフェアレディ』。
モカちゃんには続きをアップする了解を得てはいたけど、彼女との関わりやわたしたちの果たせたであろう役割を関係がおしまいになってからアップする行為はなんだか自分を正当化しようという保身に感じられてしまってわたし自身どうしようかなと下書きとして保存したままだった。
だけど、アップしようと思う。
モカちゃんへのエールの気持ちを込めて。
ここに書かれている『モカ』はわたしの目を通したモカですので、実際の彼女とは異なると思ってください。
実際の彼女は友人に恵まれ良い関係を築いているはずで、いまから書くような『わたしたちが感じた弊害』は、わたしたちとの付き合いに於いて生じたもの、また那智とりん子と付き合うために必要と感じたからのやり取りだとご理解ください。
『心を開く1』
はじめてモカと会った時会話が噛み合ないと感じたことは『モカ』で書いた。
それは、はじめて故の緊張ではなかったことも書いた。
はじめて会って、その次にはランチタイムのカラオケに行った。
このときに那智さんとわたしは『噛み合ない』ことが、モカの特性であることを実感するのだ。
モカは人と話をするとき、じっと人の目を見る。
まっすぐな目線。
だけど、よく見ると目が細かく泳いでいる。
彼女になにか質問をすると、じっと見て目が泳ぐ、そして言葉が出て来ない、出てきたとしても答えになっていないのだ。(「観たい映画は?」の質問に「好きなのは宮崎アニメ」と答えが返ってくるような感じね)
モカはじっと目を見ながら頭の中で考えているのだ、どの答えを言えばマイナスにならないか。
だから答えに時間がかかるしぼやける。
このカラオケのとき、まだそこまでわたしたちも理解できていなかったから、かなり焦れた(笑)
例えば。
モカの嗜好を探ろうと『薬指でどんなことに憧れていた?』と質問したとすると。
「そうですね〜」と目を見たっきり答えてくれない。
那智さんとわたしは、緊張しているのかなと思って答えを促ような会話を進める。
「例えば、わんことか?娘とか?」
こんなふうに選択肢や例を挙げてみると。
「そうですね〜、憧れていたのはわんこや…娘ですね」
と来る。
一事が万事こんな調子。
これじゃあ、わたしたちはモカのなにもわからない。
こちらの欲しい答えを見つけて、それを答えにして、更に見つけるのに苦労するあまり結局なにも伝わらないのだ。
カラオケを後にして。
那智さんとわたしは、どうしたもんかと話し合う。
モカは
中身のない人なのか。
中身はあるけど表現できない人なのか。
中身を入れる器は持っているけど、いまはまだ中身がないだけなのか。
(モカちゃん、ごめん!!)
それさえも掴めない人ではわたしたちも楽しめないし、モカにとってもただのマスターベーションになってしまう。
那智さんのお仕事の合間、わずかな時間に集中していろいろ話し合う。
質問して答えを導くような選択肢を与えるのはやめよう。
時間がかかっても答えを待とう。
わたしたちの本音の会話を見せることで、本音の付き合いの経験をしてもらおう。
那智さんは『素直と正直』をこの頃から掲げるようになる。
でも、それにはまずモカ自身にある『壁』や『ためらい』を取っ払う必要がある。
だから次会うときに、モカの話したくない話をしてもらうことにした。
その内容が知りたいのではなく、話すことで壁のようなものを少しでも取っ払ってもらい、安心できる環境を作り、わたしたちを信頼してもらお。
そしてモカに信頼してもらうことで、わたしたちも彼女を信頼したかったのだ。
『モカ』でも書いたけど、モカに『夢物語』から降りてきてもらうには相互の信頼が必要だった。
少しでも相互の信頼が築ければ、あのカラオケでの会話の違和感は変わるかもしれない。
そう考えて、はじめて3人でホテルに行く日、モカの秘密を話してもらうことになった。
ホテルの部屋のソファ。
モカを挟み左にお父さん、わたしが右。
お父さんがモカの手を取り時間がかかっても泣いてもいいから話すこと、そしてそれによってわたしたちはないも変わらないことを伝える。
わたしは敢えて口を挟まず、モカに触れもせず、隣りに『いる』だけにしていた。
ためらいながらポツポツと話し始めるモカ、話が進むにつれてどんどん涙声になり鼻をすする。
スッとお父さんが動いた。
ティッシュを取りモカの鼻に。
親が小さな子供にするように『ちーん』と鼻をかませたのだ。
(ここ、わたし、モカのまじめなお話を聞きながらも、くぅ〜っとなる。憎いことしますよ、那智さん!!)
話しては泣き、鼻をかませてもらっては、また話し。
全部お話が終わったときにはティッシュの山ができていた。
このお話しをしたことで、なにもかも上手くいくことはもちろんない。
モカの、自分の言葉で(特に自分の心の奥を)語らない、マイナスにならない答えを見つけるクセはこれ以後もまだまだ続く。
ただ、このティッシュの山がまず最初の大きな『遠慮』の壁を打ち破ったことは間違いないだろう。
まずは、これが第一歩だった。
マイフェアレディ『心を開く2』
モカ
他愛もない話ではなく、特にモカ本人についてやこちらの意見に感想を求めたときに、モカの目は泳ぐ。
それは、相手にとってマイナスの答えをしないようにと警戒しているからだ。
これはね、相手に悪く思われたくないというものとは少し違うと思っている。
多分、相手からの反応を警戒しているように思う。
わたしほど厄介な『ガラスのハート』ではないと思うのだけど、自分が原因で相手の心に負の感情を与えて、それを向けられることを避けているような感じだ。
わたしは『脳内一人旅』と命名したのだけど、モカは相手からマイナスの反応が来ないように息を潜めながら、目を泳がせ、そして脳内で一人旅をしているのだ。
一人旅は誰の反応も気にすることはない、恐らくモカの自由な時間。
このクセ?を那智さんが見つけ、せめてわたしたちとのコミュニケーションに於いては一人旅をしないでもらいたいなと思った。
その経験は、きっとモカ自身の力になると信じて。
それにはスカイプのチャットはとても有効だった。
那智さんは、ときにからかい、ときに真剣に投げかけ、モカに自分の気持ちを表に出すことを経験させた。
それはそれは、羨望を抱くほど見事に。(もしかしたら、この日々のやり取りが一番焦がれたかもしれない 笑)
こちらの発言に『なるほど〜』とか『そうだね』と肯定の返事しかしないモカに、それ以外の気持ちを話すように促し、言葉に詰まって沈黙すると『10、9、8…(笑)』とカウントダウンして、きゃーきゃー楽しませる。
じっくり心を見つめないと答えられないような質問を与え静かに待つ、その答えにまた深い質問をする。
モカ自身も考えたことがなかったモカのことを一緒に探っている。
詰め将棋みたい。
かつてのわたしを見ているようだ。
なんでそこまで答えないといけないの?とモカの戸惑いも伝わってくる、だけど『素直と正直』を元に自分の気持ちを表現して、それを受け入れてくれる心地よさは、きっとモカに『一人旅』にはない幸福感を伝えることができているだろう。
モカとのスカイプの会話や独り言のあと、これも仕事の合間を縫ってよく那智さんと話し合った。
「俺の言ったこと理解できたかな」
那智さんが気になっているこを翌日モカに咀嚼して聞かせる。
「アイツの言いたいことって○○ってことかな」
那智さんの疑問に、代わりにわたしが質問して更に恐らく那智さんが知りたい内容まで掘り下げる。
ときどきモカが独り言で
「お父さんが言った○○って、どういうことだろう」
みたいな投げかけや、ちょっとわかりにくいことがあったりすれば、わたしがお父さんの代わりに補足説明したり。
(モカちゃんから『お父さん翻訳機』という称号をもらった^^)
そんな補足や質問のやり取りをわたしともたくさんした。
そこにもきっと『伝わる気持ち良さ』を感じてくれていたと思う。
(わたしはね〜、もうモカにりん子節全開^^語りまくっていました)
こんな伝え合う気持ち良さ、文字の会話からはじまってほんの少しずつ会っているときにも効果が生まれると信じて毎日文字の会話を積み重ねた。
ある日、いつもと違う展開が生まれた。
いままで、わたしたちが話題を振りモカがそれに答え、心を探る道筋を作り自分の言葉で相手に伝えさせるようにしてきた。
こちらが主導だったのね。
もちろん、他愛もない話はモカから『独り言』と称していろいろ発言されていたけどね。
(独り言、お返事不要という決まりで垂れ流しオッケイなのね。とーっても他愛ないのだけど、モカらしい味があってわたしたちはけっこう楽しんだ。簡単カフェモカの作り方、とかだったりするんだけどね〜)
大切な話はこちらが主導だった。
春の夕方。
いつものように『独り言』がはじまった。
でも、とても改まった感じではじまった。
自分の心を書いてみる。
ゆっくりといままでの自分を振り返り、なにが問題で何が理由で、なりたい自分になるためにどうしたらいいのだろう、と。
静かに積み重なるチャットの文字。
時々止まる、ああ、泣いているのだろうな。
それでも、わたしは見つめるだけにしていた。
促さない、助け舟を出さない、道筋を立てない。
時々、読んでるよと伝えるだけ。
なぜなら、これはモカの成長の証だから。
いままでわたしたちに引っ張ってもらっていたけど、この時は自分のことを自分で語り出したのだ。
ここで軌道を変えたり手を差し伸べてしまっては、せっかく踏み出した一歩を引き戻すことになってしまう。
綴られた文字は、それまでスカイプで語られたことをそれほど差はなかった。
違う言葉で表現されてはいたけれど特に目新しいものはなかった。
でも、これは大きな進歩。
一番重要だったのは、モカが自ら『一人旅』をしなかったことだ。
このときモカは心の深い湖にそーっと沈んで降りていくような気持ちだったそうだ。
きっと掴んだロープの先を持っているのはわたしたちだったはずだ(勝手に決める 笑)
見つけた心は決して輝かしいことばかりではなかっただろう。
だけど、それをすることができた事実と経験はモカの力になる。
何より聞いてほしいと思う相手がいて、その人に話す心地よさや安心感を知ることは大切なことだ。
かつてわたしが、那智さんによって心地よさを知ったように。
人は『気持ちいい』ことを知ると、それ以降はそれを基準にすることができる。
モカはちょっと捨て鉢なところがあって『わかってくれなくてもいい』というところが少しある。
でもね、あのとき心の泉にすーっと沈んでいったとき、モカはきっと『わかってほしい』と思ったはずだ。
独り言を一人じゃない状態でしたのだから。
居酒屋で3人で話す。
基本はわたしが話題提供をして、さらに語り^^お父さんが自分の考えを話す。
ふたりはモカを見る。
…
「あ、いま目泳いでる(笑)」
「ほんとだ、いいよ〜、ゆっくり考えな〜」
わたしたちとの間でも、まだこんな具合だった。
短い時間ですべてをクリアにすることは不可能だった。
いまでもきっと目を泳がせるモカがいるだろう。
それでもかまわない。
一人旅をしても、一人旅じゃない良さを知っていることは強い。
心を開く経験はきっとモカの実力になってくれたと思っている。
モカは相手を捜していた。
これから先どんな出会いが待っているか出会いを求めるか、それはわからない。
だけど『気持ちいい』を知っていれば、無駄に消耗するような付き合いは避けられると信じている。
知っているのと知らないのとでは大きな違いがある。
人はそんなに簡単に変われるものではないだろう。
だけど、少なくともわたしたちの前で心を開くことを感じてくれたモカは、きっと選択肢をひとつ増やしてくれたはずだ。
どの場面でどの道を選ぶかはモカの自由。
どういう道を歩くか、選択肢が広がることは人生に於いて悪いことじゃないよね。
わたしの手元に『わかりやすい恋』という銀色夏生さんの詩集がある。(いまでも活躍されているのかな^^;)
ずーっと昔、年下の男の子がスペイン語の新聞紙で作ってくれたブックカバー、色褪せたそれに包まれたままずっと本棚にいる。
その中の詩に『君は僕に愛されたという事実を 金ピカのバッジにして胸にはって 歩いていくんだよ』という一節がある。
モカのことを思うとき、この一節を思い出すんだ。
だから金ピカのバッジを添えてモカちゃんにエールを贈ります^^
金ピカのバッジ。
きっと胸についていると信じているよ。
これは心を開いた印。
だからね、さみしくない。
その心を消耗するより、ずっとさみしくないのだよ。
他愛もない話ではなく、特にモカ本人についてやこちらの意見に感想を求めたときに、モカの目は泳ぐ。
それは、相手にとってマイナスの答えをしないようにと警戒しているからだ。
これはね、相手に悪く思われたくないというものとは少し違うと思っている。
多分、相手からの反応を警戒しているように思う。
わたしほど厄介な『ガラスのハート』ではないと思うのだけど、自分が原因で相手の心に負の感情を与えて、それを向けられることを避けているような感じだ。
わたしは『脳内一人旅』と命名したのだけど、モカは相手からマイナスの反応が来ないように息を潜めながら、目を泳がせ、そして脳内で一人旅をしているのだ。
一人旅は誰の反応も気にすることはない、恐らくモカの自由な時間。
このクセ?を那智さんが見つけ、せめてわたしたちとのコミュニケーションに於いては一人旅をしないでもらいたいなと思った。
その経験は、きっとモカ自身の力になると信じて。
それにはスカイプのチャットはとても有効だった。
那智さんは、ときにからかい、ときに真剣に投げかけ、モカに自分の気持ちを表に出すことを経験させた。
それはそれは、羨望を抱くほど見事に。(もしかしたら、この日々のやり取りが一番焦がれたかもしれない 笑)
こちらの発言に『なるほど〜』とか『そうだね』と肯定の返事しかしないモカに、それ以外の気持ちを話すように促し、言葉に詰まって沈黙すると『10、9、8…(笑)』とカウントダウンして、きゃーきゃー楽しませる。
じっくり心を見つめないと答えられないような質問を与え静かに待つ、その答えにまた深い質問をする。
モカ自身も考えたことがなかったモカのことを一緒に探っている。
詰め将棋みたい。
かつてのわたしを見ているようだ。
なんでそこまで答えないといけないの?とモカの戸惑いも伝わってくる、だけど『素直と正直』を元に自分の気持ちを表現して、それを受け入れてくれる心地よさは、きっとモカに『一人旅』にはない幸福感を伝えることができているだろう。
モカとのスカイプの会話や独り言のあと、これも仕事の合間を縫ってよく那智さんと話し合った。
「俺の言ったこと理解できたかな」
那智さんが気になっているこを翌日モカに咀嚼して聞かせる。
「アイツの言いたいことって○○ってことかな」
那智さんの疑問に、代わりにわたしが質問して更に恐らく那智さんが知りたい内容まで掘り下げる。
ときどきモカが独り言で
「お父さんが言った○○って、どういうことだろう」
みたいな投げかけや、ちょっとわかりにくいことがあったりすれば、わたしがお父さんの代わりに補足説明したり。
(モカちゃんから『お父さん翻訳機』という称号をもらった^^)
そんな補足や質問のやり取りをわたしともたくさんした。
そこにもきっと『伝わる気持ち良さ』を感じてくれていたと思う。
(わたしはね〜、もうモカにりん子節全開^^語りまくっていました)
こんな伝え合う気持ち良さ、文字の会話からはじまってほんの少しずつ会っているときにも効果が生まれると信じて毎日文字の会話を積み重ねた。
ある日、いつもと違う展開が生まれた。
いままで、わたしたちが話題を振りモカがそれに答え、心を探る道筋を作り自分の言葉で相手に伝えさせるようにしてきた。
こちらが主導だったのね。
もちろん、他愛もない話はモカから『独り言』と称していろいろ発言されていたけどね。
(独り言、お返事不要という決まりで垂れ流しオッケイなのね。とーっても他愛ないのだけど、モカらしい味があってわたしたちはけっこう楽しんだ。簡単カフェモカの作り方、とかだったりするんだけどね〜)
大切な話はこちらが主導だった。
春の夕方。
いつものように『独り言』がはじまった。
でも、とても改まった感じではじまった。
自分の心を書いてみる。
ゆっくりといままでの自分を振り返り、なにが問題で何が理由で、なりたい自分になるためにどうしたらいいのだろう、と。
静かに積み重なるチャットの文字。
時々止まる、ああ、泣いているのだろうな。
それでも、わたしは見つめるだけにしていた。
促さない、助け舟を出さない、道筋を立てない。
時々、読んでるよと伝えるだけ。
なぜなら、これはモカの成長の証だから。
いままでわたしたちに引っ張ってもらっていたけど、この時は自分のことを自分で語り出したのだ。
ここで軌道を変えたり手を差し伸べてしまっては、せっかく踏み出した一歩を引き戻すことになってしまう。
綴られた文字は、それまでスカイプで語られたことをそれほど差はなかった。
違う言葉で表現されてはいたけれど特に目新しいものはなかった。
でも、これは大きな進歩。
一番重要だったのは、モカが自ら『一人旅』をしなかったことだ。
このときモカは心の深い湖にそーっと沈んで降りていくような気持ちだったそうだ。
きっと掴んだロープの先を持っているのはわたしたちだったはずだ(勝手に決める 笑)
見つけた心は決して輝かしいことばかりではなかっただろう。
だけど、それをすることができた事実と経験はモカの力になる。
何より聞いてほしいと思う相手がいて、その人に話す心地よさや安心感を知ることは大切なことだ。
かつてわたしが、那智さんによって心地よさを知ったように。
人は『気持ちいい』ことを知ると、それ以降はそれを基準にすることができる。
モカはちょっと捨て鉢なところがあって『わかってくれなくてもいい』というところが少しある。
でもね、あのとき心の泉にすーっと沈んでいったとき、モカはきっと『わかってほしい』と思ったはずだ。
独り言を一人じゃない状態でしたのだから。
居酒屋で3人で話す。
基本はわたしが話題提供をして、さらに語り^^お父さんが自分の考えを話す。
ふたりはモカを見る。
…
「あ、いま目泳いでる(笑)」
「ほんとだ、いいよ〜、ゆっくり考えな〜」
わたしたちとの間でも、まだこんな具合だった。
短い時間ですべてをクリアにすることは不可能だった。
いまでもきっと目を泳がせるモカがいるだろう。
それでもかまわない。
一人旅をしても、一人旅じゃない良さを知っていることは強い。
心を開く経験はきっとモカの実力になってくれたと思っている。
モカは相手を捜していた。
これから先どんな出会いが待っているか出会いを求めるか、それはわからない。
だけど『気持ちいい』を知っていれば、無駄に消耗するような付き合いは避けられると信じている。
知っているのと知らないのとでは大きな違いがある。
人はそんなに簡単に変われるものではないだろう。
だけど、少なくともわたしたちの前で心を開くことを感じてくれたモカは、きっと選択肢をひとつ増やしてくれたはずだ。
どの場面でどの道を選ぶかはモカの自由。
どういう道を歩くか、選択肢が広がることは人生に於いて悪いことじゃないよね。
わたしの手元に『わかりやすい恋』という銀色夏生さんの詩集がある。(いまでも活躍されているのかな^^;)
ずーっと昔、年下の男の子がスペイン語の新聞紙で作ってくれたブックカバー、色褪せたそれに包まれたままずっと本棚にいる。
その中の詩に『君は僕に愛されたという事実を 金ピカのバッジにして胸にはって 歩いていくんだよ』という一節がある。
モカのことを思うとき、この一節を思い出すんだ。
だから金ピカのバッジを添えてモカちゃんにエールを贈ります^^
金ピカのバッジ。
きっと胸についていると信じているよ。
これは心を開いた印。
だからね、さみしくない。
その心を消耗するより、ずっとさみしくないのだよ。
駄犬の行方
独り言
書いてみるものですね^^
『駄犬のマッサージ』で同化共鳴してフェラチオがしたくてたまらないものになったように、面倒なんて思わずにマッサージを大好きにさせるには、まずはその気持ちよさを教えないといけないのではないか。
たしかに教育者那智氏は、まずそれから始めようとずいぶん昔にマッサージをしてくれようとしていたっけ。
でも痛くてギブアップしたんだ。
じゃあ、面倒なまま心を込めてマッサージいたします。
というようなことを書いた。
もちろん那智さんは面倒と思うことをまったく問題なくむしろ面白いと感じてくれていることはわかっている。
面倒だという側面もありながら、せっせと額に汗にながら嬉々としてしていることに満足感もあるはずだ。
だからね、あれを書いても那智さんにとっては取るに足らないことで、わたしがどう思おうとさせたければさせるってわかっているから、わたしも『面倒』を楽しんで書けた。
実際、基本的には変わらなかった。
教育者那智氏としては、まずやって教えたほうがよい結果が出ることはわかっているけど、まあこのままでもいいかってスルーできるようなエントリーだったはず。
一点、どうしてもスルーできないことがあったようだ。
それは、『痛くてギブアップした』。
これに反応。
反応したのは教育者那智氏じゃなくて、負けず嫌いさんのほう^^
『痛くてギブアップ』なんて俺のマッサージが下手みたいじゃないかよ〜
ということで。
していただきました、マッサージ。
しかも、痛くないようにローションつけてのリンパマッサージ^^
照明を落としたベッドの上で大好きな人の安心する手。
乱暴と丁寧のほどよいバランス。
最後には暖かいタオルで拭き取ってもらう。
もしかして、わたしのいままでの人生で『他者がわたしに触れる部門』に於いて、一番のリラックスだったのではないかというほどのリラックスだった。
お金を払ってしてもらうマッサージでもいろんなことを意識してしまって全然リラックスできなかった筋金入りの過剰な自意識と気にしぃのわたし。
プロ相手でも、この辺で「あ〜、気持ちいい〜」とかリアクションしたほうがいいかななんて考えてしまうわたし。
それが、全身の力が抜け、言葉を発することさえ放棄してしまうほどのリラックス。
ローションがついた腕を那智さんの太ももに投げ出す時、『あ、ローションで濡れちゃう』と一瞬よぎったけど、それも放棄^^
これはわたしにとって未体験ゾーンのリラックスだった。
きっとさほど凝ってはいないのでしょう、マッサージが気持ちいいのと同じくらい、このリラックスが気持ちよかった。
「書いてみるものだね〜」
那智さんの負けず嫌いさんに感謝です。
でね、やっぱり『那智さんの快感はわたしの快感』という同化共鳴の回路を育てられたわたしは、まんまとこのリラックスの快感を那智さんに味わってもらいたくなってしまったのだ。
那智さん喜ぶかな〜とうずうずしちゃうのだ。
まったく、わたしったらと思いつつネットで『リンパマッサージ』やら『オイルマッサージ やり方』などなど検索。
せっせと準備をしてしまう^^;
かくして、耳掃除、オイルマッサージ、で通常の凝りほぐしマッサージ、トータル50分!!
やってしまった、いえ、やらせていただいたのであった。
気持ちよくなってもらったことはうれしい、でも、すんなりそれだけで満足とも言い難いもの。
だって、50分だよ、さすがに、ねえ^^
だから
「那智さん、これからその日の気分でオイルか普通か選べますね♪」
いつもこれ全部ってことないですよねと、ちょっと牽制。
「ううん、選ぶ必要ないよ。両方すればいいから(笑)」
「あ〜、やっぱりそうなります;;ああ、わたしマッサージ奴隷ですねぇ」
「いや、奴隷は『面倒』なんて言わないだろ(笑)」
はい、おっしゃる通りです、ごめんなさい。
面倒だと思う気持ちと、でも気持ちいい那智さんを想像して『うずうず』しちゃうわたし。
どちらも本当の気持ち。
どちらも本当だから、そのままでいようと思う。
ということで、これからはふた通り、マッサージの選択肢が増えたのでした(まだ両方することに抵抗^^)
書いてみるもの…だったのかな〜(笑)
書いてみるものですね^^
『駄犬のマッサージ』で同化共鳴してフェラチオがしたくてたまらないものになったように、面倒なんて思わずにマッサージを大好きにさせるには、まずはその気持ちよさを教えないといけないのではないか。
たしかに教育者那智氏は、まずそれから始めようとずいぶん昔にマッサージをしてくれようとしていたっけ。
でも痛くてギブアップしたんだ。
じゃあ、面倒なまま心を込めてマッサージいたします。
というようなことを書いた。
もちろん那智さんは面倒と思うことをまったく問題なくむしろ面白いと感じてくれていることはわかっている。
面倒だという側面もありながら、せっせと額に汗にながら嬉々としてしていることに満足感もあるはずだ。
だからね、あれを書いても那智さんにとっては取るに足らないことで、わたしがどう思おうとさせたければさせるってわかっているから、わたしも『面倒』を楽しんで書けた。
実際、基本的には変わらなかった。
教育者那智氏としては、まずやって教えたほうがよい結果が出ることはわかっているけど、まあこのままでもいいかってスルーできるようなエントリーだったはず。
一点、どうしてもスルーできないことがあったようだ。
それは、『痛くてギブアップした』。
これに反応。
反応したのは教育者那智氏じゃなくて、負けず嫌いさんのほう^^
『痛くてギブアップ』なんて俺のマッサージが下手みたいじゃないかよ〜
ということで。
していただきました、マッサージ。
しかも、痛くないようにローションつけてのリンパマッサージ^^
照明を落としたベッドの上で大好きな人の安心する手。
乱暴と丁寧のほどよいバランス。
最後には暖かいタオルで拭き取ってもらう。
もしかして、わたしのいままでの人生で『他者がわたしに触れる部門』に於いて、一番のリラックスだったのではないかというほどのリラックスだった。
お金を払ってしてもらうマッサージでもいろんなことを意識してしまって全然リラックスできなかった筋金入りの過剰な自意識と気にしぃのわたし。
プロ相手でも、この辺で「あ〜、気持ちいい〜」とかリアクションしたほうがいいかななんて考えてしまうわたし。
それが、全身の力が抜け、言葉を発することさえ放棄してしまうほどのリラックス。
ローションがついた腕を那智さんの太ももに投げ出す時、『あ、ローションで濡れちゃう』と一瞬よぎったけど、それも放棄^^
これはわたしにとって未体験ゾーンのリラックスだった。
きっとさほど凝ってはいないのでしょう、マッサージが気持ちいいのと同じくらい、このリラックスが気持ちよかった。
「書いてみるものだね〜」
那智さんの負けず嫌いさんに感謝です。
でね、やっぱり『那智さんの快感はわたしの快感』という同化共鳴の回路を育てられたわたしは、まんまとこのリラックスの快感を那智さんに味わってもらいたくなってしまったのだ。
那智さん喜ぶかな〜とうずうずしちゃうのだ。
まったく、わたしったらと思いつつネットで『リンパマッサージ』やら『オイルマッサージ やり方』などなど検索。
せっせと準備をしてしまう^^;
かくして、耳掃除、オイルマッサージ、で通常の凝りほぐしマッサージ、トータル50分!!
やってしまった、いえ、やらせていただいたのであった。
気持ちよくなってもらったことはうれしい、でも、すんなりそれだけで満足とも言い難いもの。
だって、50分だよ、さすがに、ねえ^^
だから
「那智さん、これからその日の気分でオイルか普通か選べますね♪」
いつもこれ全部ってことないですよねと、ちょっと牽制。
「ううん、選ぶ必要ないよ。両方すればいいから(笑)」
「あ〜、やっぱりそうなります;;ああ、わたしマッサージ奴隷ですねぇ」
「いや、奴隷は『面倒』なんて言わないだろ(笑)」
はい、おっしゃる通りです、ごめんなさい。
面倒だと思う気持ちと、でも気持ちいい那智さんを想像して『うずうず』しちゃうわたし。
どちらも本当の気持ち。
どちらも本当だから、そのままでいようと思う。
ということで、これからはふた通り、マッサージの選択肢が増えたのでした(まだ両方することに抵抗^^)
書いてみるもの…だったのかな〜(笑)
お知らせです〜^^
独り言
しばらくパソコン環境から離れます。
更新とこれ以降のコメントレス、昨日からいただいているメールのお返事が滞ると思います。
よろしくお願いします^^
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静かな夜に
りん子的独り言(エラそう)
日付を跨ぐころ。
開け放った窓から小さな音。
あ、今日もだ。
小さな咳。
恐らく、あのお宅の女の子のだ。
まだ幼稚園に入る前、きっと3才くらいだろう。
時々咳をする。
小児喘息というものを実際には知らないけど、恐らくそれとは違うと思う。
一晩中続いているようでもないし、ごく普通に咳き込んでいるくらいの様子だから。
だけど、ときどき、連夜続くのだ。
小さい女の子の咳は、胸をちょっと苦しくさせる。
その子自身もそうなんだけど。
横に寝ているであろうお母さんのことも思う。
わたしの子は喘息ではなかったけど、ちょっと気管が弱くて時々気管支炎になっていた。
夜中に否応なく眠りから引きずり出される理不尽さを甘受しながら、その理不尽への軽い怒りを心に収め。
泣き言を言わずに苦しそうに咳き込む背中をさするとき、これが自分だったほうがずっと気持ちがラクなのにと思っていた。
そんな、ただ不憫だという気持ちだけではない複雑な、でも、分身を痛めつけられるような苦しさ。
もしかして、あの女の子のお母さんもそんな複雑な気持ちでいるのだろうかと思うと苦しくなる。
そんなことを思いながら、ちょっと前にテレビで見たふたつの記事を思い出す。
わたしは、ちゃんとフェミニズムを語れるほど知識はないので、物事を反対側から見たがる性質ゆえのただの戯れ言とお許しください。
ひとつは妊婦の低体重を懸念する記事だった。
体重を増やしたくないと、食事を抜いたりサプリメントだけで過ごす妊婦が増えているという。
これは胎児の成長にも深刻な影響を与えると。
テレビのコメンテーターは『体重は増えても出産すれば減ることなどの正しい知識を教えてあげないと』とアドバイスしていた。
もっともなこと。
そこでわたしは思っちゃう。
その体重を増やさない妊婦さんの旦那さんが、スタイルのいいグラビアアイドルに目もくれず『どんなに太っても君が一番かわいい。大事な子を産んでくれてありがとう』と言い続けてくれたら。
もしかしたら、いっぱい栄養のあるものを食べようと思うのではないかしら。
体重を増やさないのは、もしかしてその妊婦さんだけの問題ではないんじゃないかなって。
もうひとつ。
虐待死のことを取り上げていた。
記事には『鬼母』と。
コメンテーターは『なぜ、そんなことができるのかわからない』と眉をひそめていた。
記事の内容はとてもとても辛いもので、けして許されるものではない。
それも百も承知で、思ってしまう。
なぜ、この記事に『父親』がいないのだろう。
子供はひとりでは生まれてこない。
父親がいるはずだ。
そこにいなかったとしても存在している。
もし同じ場所にいても、救いにならなかった可能性もある。
だけど、どうして『鬼母』だけなんだろう。
もちろん虐待は許されないことだ、だけどその父親に対して言及されないことにいいようのない不安を覚える。
物事にはあちらとこちらといろいろある。
何かひとつだけが正しいと思うことは苦手だ。
小さい女の子の咳を聞いて。
どうか、その子の咳が治まって静かに眠りに落ちていけますように。
どうか背中をさするお母さんを気にかけてくれる旦那さんがいてくれますように。
わたしが感じたような複雑な感情があるのなら、そんな夜が過ぎてしまえば甘い思い出だったなと思えますように。
そんなことを咳の聞こえなくなった静かな夜に。
でもって、こんな感じですが、PC環境ぼちぼち戻りちゅう^^
日付を跨ぐころ。
開け放った窓から小さな音。
あ、今日もだ。
小さな咳。
恐らく、あのお宅の女の子のだ。
まだ幼稚園に入る前、きっと3才くらいだろう。
時々咳をする。
小児喘息というものを実際には知らないけど、恐らくそれとは違うと思う。
一晩中続いているようでもないし、ごく普通に咳き込んでいるくらいの様子だから。
だけど、ときどき、連夜続くのだ。
小さい女の子の咳は、胸をちょっと苦しくさせる。
その子自身もそうなんだけど。
横に寝ているであろうお母さんのことも思う。
わたしの子は喘息ではなかったけど、ちょっと気管が弱くて時々気管支炎になっていた。
夜中に否応なく眠りから引きずり出される理不尽さを甘受しながら、その理不尽への軽い怒りを心に収め。
泣き言を言わずに苦しそうに咳き込む背中をさするとき、これが自分だったほうがずっと気持ちがラクなのにと思っていた。
そんな、ただ不憫だという気持ちだけではない複雑な、でも、分身を痛めつけられるような苦しさ。
もしかして、あの女の子のお母さんもそんな複雑な気持ちでいるのだろうかと思うと苦しくなる。
そんなことを思いながら、ちょっと前にテレビで見たふたつの記事を思い出す。
わたしは、ちゃんとフェミニズムを語れるほど知識はないので、物事を反対側から見たがる性質ゆえのただの戯れ言とお許しください。
ひとつは妊婦の低体重を懸念する記事だった。
体重を増やしたくないと、食事を抜いたりサプリメントだけで過ごす妊婦が増えているという。
これは胎児の成長にも深刻な影響を与えると。
テレビのコメンテーターは『体重は増えても出産すれば減ることなどの正しい知識を教えてあげないと』とアドバイスしていた。
もっともなこと。
そこでわたしは思っちゃう。
その体重を増やさない妊婦さんの旦那さんが、スタイルのいいグラビアアイドルに目もくれず『どんなに太っても君が一番かわいい。大事な子を産んでくれてありがとう』と言い続けてくれたら。
もしかしたら、いっぱい栄養のあるものを食べようと思うのではないかしら。
体重を増やさないのは、もしかしてその妊婦さんだけの問題ではないんじゃないかなって。
もうひとつ。
虐待死のことを取り上げていた。
記事には『鬼母』と。
コメンテーターは『なぜ、そんなことができるのかわからない』と眉をひそめていた。
記事の内容はとてもとても辛いもので、けして許されるものではない。
それも百も承知で、思ってしまう。
なぜ、この記事に『父親』がいないのだろう。
子供はひとりでは生まれてこない。
父親がいるはずだ。
そこにいなかったとしても存在している。
もし同じ場所にいても、救いにならなかった可能性もある。
だけど、どうして『鬼母』だけなんだろう。
もちろん虐待は許されないことだ、だけどその父親に対して言及されないことにいいようのない不安を覚える。
物事にはあちらとこちらといろいろある。
何かひとつだけが正しいと思うことは苦手だ。
小さい女の子の咳を聞いて。
どうか、その子の咳が治まって静かに眠りに落ちていけますように。
どうか背中をさするお母さんを気にかけてくれる旦那さんがいてくれますように。
わたしが感じたような複雑な感情があるのなら、そんな夜が過ぎてしまえば甘い思い出だったなと思えますように。
そんなことを咳の聞こえなくなった静かな夜に。
でもって、こんな感じですが、PC環境ぼちぼち戻りちゅう^^