暗闇の安息
独特な幸福感
また、「尊重」の話です。
でも、いつも言ってるけど、もっと大変な人はたくさんいて、私の書くことはそこだけにスポットを当てているだけのこと。
そして、岩月謙司さんの著書の記憶を頼りに自分と照らし合わせているので、いまだからそう思えるという気持ちで書いてます。
最近重たい話が続いてしまって、それでも読んでくれる皆さんに感謝しながら、長いけど一気に出しちゃお♪
ある人が、私に純粋な疑問を投げかけてくれた。
「りん子さんは、なぜ自分に自信がないの?だって、過去の職業や画像の雰囲気を見る限りでは、決して周りと見劣りすることないと思うのに。周りと比べれば自信持てるんじゃない?」
それを、そのまま那智さんに投げかけてみた。
「なぜ、私は自信がないんでしょう。」
「りん子は、自分に自信がないんじゃない。周りと比べたら自信があるんだ。だけど、自己評価が低いだけなんだよ。」
ああ、そうなの。
私は、自分に自信はあるの。(多少ね、でもここは話を進めやすくするために、高飛車な言い方させてね)
見た目は抜群ではないけど、悪くない。
性格だって、いいと思ってる。
学校のお勉強はいまひとつだったけど、いまは周りのママさんたちに比べたら、本も読んでると思う。
だから、人と比べて自分が劣ってるという、劣等感ではないものが私を押さえつけてる。
その自己評価の低さは、「勉強できない」とか「不細工」というのではなく、「私には、愛される価値がない」というもの。
大切にされるに値しない。
尊重されるはずがない。
なぜなら、無償の愛をくれるはずだった父から、もらえないほどの女なのだから。
という、自己評価の低さが、どんなに周りより「顔の作りが悪くなく」ても、性格も悪くなくても、刷り込まれて植え付けられて、どうにもならないのだ。
子供のころ、死活問題だった父からの愛情。
それをくれないのは、お父さんが悪いんじゃない、私にその価値がないから、私が尊重されないという種類の子だから、そう思うことで幼い私は生き抜いた。
くれないお父さんなんて嫌い、くれないお父さんに問題があるって、思えないのだ。
なぜなら、女の子にとって、お父さんはナイトじゃなきゃいけない、だから、愛がほしいと望む一方で、その愛情欠如の父親をかばおうと必死になるのだ。
お父さんが悪いんじゃない。
私に価値がない。
お父さんが悪いと認めることは、自分に価値がないと認めるよりも、幼い子には絶望だったのだろう。
だって、私が問題ならいつかもらえるかもしれないけど、お父さんに問題があったら一生もらえない。
周りと比べて、「悪くない」はずの自分が、どうしても「愛される価値がある」と思えないことが私の長い間のジレンマだった。
幼いころは「お人形さんみたい」と言われていた。
でも、思春期に入ると、自分に自信のある早熟な子が「かわいい」と言われるようになる。
ジレンマを微かに感じながら、でも、漠然として「価値がない」という不安と諦めが私を支配している。
社会人になって、華やかな職業に就いて、私の中の「私は見た目が悪くない」という自信を持つことができた。
たくさんの人の注目を浴び、いろんな男性から誘われる。
きれいに着飾って、雑誌の取材とかも受けたことがある。
そこで私が持つことができた感覚。
「私には、価値がある」ではなくて、「私には、商品価値がある」だったのだ。
どんなにきれいともてはやされても、素直に価値があると思えない。
落ち着くのは「商品価値」だった。(別に体を売ったりしたんじゃないけど)
要するに、無条件に愛されるはずないと思ってるの。
商品のように、何かしらのメリットを相手に与えないと愛されないと思ってる。
どうすることもできない、幼い頃から刷り込まれ植え付けられた生きる術だったのだから。
だから、私は、恋人に「尊重されない」ように振る舞う。
自分を低く低く見せる。
「ね、価値ないでしょ!?」「いいよ、偉そうにして。」
どんどん低くなって、相手は増長する。
ああ、やっぱり、大切にされないんだって、諦める。
半分は私の責任だ。(そのくせ、最後はこっぴどくふる、わたし)
価値がないと思って、わざと尊重されないように振る舞うのは、私の体に染み付いてどうすることもできない。
那智さんに出会った。
ずっとずっと、根気強く「愛してる」と言い続けてくれて、こうやって客観的に自分を書けるようになってきた。
一生懸命自分の心を確認して、いま自分は傷付いているのか見極めようとして訓練している。
そして、先日「怒らない私」と「怒らない私で思ったこと」を書いた。
那智さんの感想は「りん子を大切にしなきゃと思った」と嬉しいものだった。
そして、もうひとつ。
「あれを読んで思ったけど、りん子、尊重しないでほしいと思ってないか?」
え?
私は耳を疑った。
那智さん何を言い出すの?
私、尊重してほしいって、ずっと訓練してるのに。
驚きを隠せない。
でも、同時に涙が溢れてきている。
その涙にも、驚く。
「私、まだ尊重されない空気を出してるんですか?」
「他の人に対してはわからない。でも、俺はあれを読んで、りん子は俺に尊重しないでほしいと望んでいるように、少し感じた。」
耳を疑った。
でも、尊重しないでほしいという、その言葉に諦めと微かな安堵を感じてしまった。
こんなにも、根深く私に染み付いているものの大きさに、諦念のため息。
尊重してほしい、大切にしてもらうことが幸せ、一生懸命心を伝える。
あれほど言い聞かせているはずなのに、私に付着した「自分を低く」してしまう空気は、簡単には消えてなくならないのだろうか。
そう感じたら、涙が止まらない。
私は「尊重される」ことを自ら捨てているの?
一生、手に入らないことなの?
でも、この涙は悲しみだけじゃない、この消えない暗闇をわかってもらえたという安心感もある。
気を抜けば「尊重しないでほしい」という言葉で感じた微かな安堵に身を置いてしまいそうだ。
それほどまでに、負の居心地に捕われているのか。
もう那智さんになんとかしてもらうしか考えられない。
泣きながらお願いする。
「他の人はどう感じるかわからないのは、もうそれはいいです。でも、那智さんがそう感じるなら、私は那智さんにはそれを発しているんだと思います。
発しているとして、いまの私にはこれが精一杯です。だから、那智さん、私がどんなに『私を尊重しないで』という空気を出しても、どうか尊重してください。」
「そうだね。」
私は那智さんにそこまで要求している。
私はあなたのもの、あなたの幸せが私の幸せ、あなたのしてくれることは何でも嬉しい。
私の髪を引っ張って、頬を叩いて、おしっこをかけて、あなたの手で酷く惨めにして。
性的なことじゃなくても嬉しい、お仕事の手伝いも頼まれ事も、私は那智さんの役に立つことが嬉しい。
犬が寝転んでお腹を見せて服従を表すように、私は私の全部を並べて「お好きなように」とにっこり微笑む。
できることは、素直に伝えるということだけ。
そして、それらを全部並べてお願いする。
「どうか私を尊重していてください。」
どうか、那智さん、あなたがご自身を律してください。
理不尽なわがままを言えない私の、唯一最大の「理不尽」。
凄い自制を要求していると思ってるけど、那智さんだけが頼り。
刷り込まれた「価値がない」という自己評価。
それは簡単に払拭でいない。
頑張ってプライドを持とうとしても、染み付いた影は常に私に付いて回る。
「あなたの良いように」そうやってにっこり微笑むしおらしい私は、そこに負の暗闇の安息を感じている。
すべてを曝け出す。
それは、私の場合「自己主張」とか「わがまま」とかではないように思う。
私が曝け出すのは、他者と比べて自信があるという部分を認めてもらった上で、暗闇を見せて安心してプライドを捨てることだと気付いた。
そして、それを全部抱えて「大切にして」と、那智さんにお願いしているのだ。
「りん子は、いつになったら自信が持てる?」
「那智さんに出会うのに30数年かかったから、あと30数年後かな(笑)」
「70になったらってこと!?ふっざけるな!!(笑)』
そうやって、ずっと暗闇の安息を抱えた私を、笑い飛ばしていてくださいと願うのだ。
また、「尊重」の話です。
でも、いつも言ってるけど、もっと大変な人はたくさんいて、私の書くことはそこだけにスポットを当てているだけのこと。
そして、岩月謙司さんの著書の記憶を頼りに自分と照らし合わせているので、いまだからそう思えるという気持ちで書いてます。
最近重たい話が続いてしまって、それでも読んでくれる皆さんに感謝しながら、長いけど一気に出しちゃお♪
ある人が、私に純粋な疑問を投げかけてくれた。
「りん子さんは、なぜ自分に自信がないの?だって、過去の職業や画像の雰囲気を見る限りでは、決して周りと見劣りすることないと思うのに。周りと比べれば自信持てるんじゃない?」
それを、そのまま那智さんに投げかけてみた。
「なぜ、私は自信がないんでしょう。」
「りん子は、自分に自信がないんじゃない。周りと比べたら自信があるんだ。だけど、自己評価が低いだけなんだよ。」
ああ、そうなの。
私は、自分に自信はあるの。(多少ね、でもここは話を進めやすくするために、高飛車な言い方させてね)
見た目は抜群ではないけど、悪くない。
性格だって、いいと思ってる。
学校のお勉強はいまひとつだったけど、いまは周りのママさんたちに比べたら、本も読んでると思う。
だから、人と比べて自分が劣ってるという、劣等感ではないものが私を押さえつけてる。
その自己評価の低さは、「勉強できない」とか「不細工」というのではなく、「私には、愛される価値がない」というもの。
大切にされるに値しない。
尊重されるはずがない。
なぜなら、無償の愛をくれるはずだった父から、もらえないほどの女なのだから。
という、自己評価の低さが、どんなに周りより「顔の作りが悪くなく」ても、性格も悪くなくても、刷り込まれて植え付けられて、どうにもならないのだ。
子供のころ、死活問題だった父からの愛情。
それをくれないのは、お父さんが悪いんじゃない、私にその価値がないから、私が尊重されないという種類の子だから、そう思うことで幼い私は生き抜いた。
くれないお父さんなんて嫌い、くれないお父さんに問題があるって、思えないのだ。
なぜなら、女の子にとって、お父さんはナイトじゃなきゃいけない、だから、愛がほしいと望む一方で、その愛情欠如の父親をかばおうと必死になるのだ。
お父さんが悪いんじゃない。
私に価値がない。
お父さんが悪いと認めることは、自分に価値がないと認めるよりも、幼い子には絶望だったのだろう。
だって、私が問題ならいつかもらえるかもしれないけど、お父さんに問題があったら一生もらえない。
周りと比べて、「悪くない」はずの自分が、どうしても「愛される価値がある」と思えないことが私の長い間のジレンマだった。
幼いころは「お人形さんみたい」と言われていた。
でも、思春期に入ると、自分に自信のある早熟な子が「かわいい」と言われるようになる。
ジレンマを微かに感じながら、でも、漠然として「価値がない」という不安と諦めが私を支配している。
社会人になって、華やかな職業に就いて、私の中の「私は見た目が悪くない」という自信を持つことができた。
たくさんの人の注目を浴び、いろんな男性から誘われる。
きれいに着飾って、雑誌の取材とかも受けたことがある。
そこで私が持つことができた感覚。
「私には、価値がある」ではなくて、「私には、商品価値がある」だったのだ。
どんなにきれいともてはやされても、素直に価値があると思えない。
落ち着くのは「商品価値」だった。(別に体を売ったりしたんじゃないけど)
要するに、無条件に愛されるはずないと思ってるの。
商品のように、何かしらのメリットを相手に与えないと愛されないと思ってる。
どうすることもできない、幼い頃から刷り込まれ植え付けられた生きる術だったのだから。
だから、私は、恋人に「尊重されない」ように振る舞う。
自分を低く低く見せる。
「ね、価値ないでしょ!?」「いいよ、偉そうにして。」
どんどん低くなって、相手は増長する。
ああ、やっぱり、大切にされないんだって、諦める。
半分は私の責任だ。(そのくせ、最後はこっぴどくふる、わたし)
価値がないと思って、わざと尊重されないように振る舞うのは、私の体に染み付いてどうすることもできない。
那智さんに出会った。
ずっとずっと、根気強く「愛してる」と言い続けてくれて、こうやって客観的に自分を書けるようになってきた。
一生懸命自分の心を確認して、いま自分は傷付いているのか見極めようとして訓練している。
そして、先日「怒らない私」と「怒らない私で思ったこと」を書いた。
那智さんの感想は「りん子を大切にしなきゃと思った」と嬉しいものだった。
そして、もうひとつ。
「あれを読んで思ったけど、りん子、尊重しないでほしいと思ってないか?」
え?
私は耳を疑った。
那智さん何を言い出すの?
私、尊重してほしいって、ずっと訓練してるのに。
驚きを隠せない。
でも、同時に涙が溢れてきている。
その涙にも、驚く。
「私、まだ尊重されない空気を出してるんですか?」
「他の人に対してはわからない。でも、俺はあれを読んで、りん子は俺に尊重しないでほしいと望んでいるように、少し感じた。」
耳を疑った。
でも、尊重しないでほしいという、その言葉に諦めと微かな安堵を感じてしまった。
こんなにも、根深く私に染み付いているものの大きさに、諦念のため息。
尊重してほしい、大切にしてもらうことが幸せ、一生懸命心を伝える。
あれほど言い聞かせているはずなのに、私に付着した「自分を低く」してしまう空気は、簡単には消えてなくならないのだろうか。
そう感じたら、涙が止まらない。
私は「尊重される」ことを自ら捨てているの?
一生、手に入らないことなの?
でも、この涙は悲しみだけじゃない、この消えない暗闇をわかってもらえたという安心感もある。
気を抜けば「尊重しないでほしい」という言葉で感じた微かな安堵に身を置いてしまいそうだ。
それほどまでに、負の居心地に捕われているのか。
もう那智さんになんとかしてもらうしか考えられない。
泣きながらお願いする。
「他の人はどう感じるかわからないのは、もうそれはいいです。でも、那智さんがそう感じるなら、私は那智さんにはそれを発しているんだと思います。
発しているとして、いまの私にはこれが精一杯です。だから、那智さん、私がどんなに『私を尊重しないで』という空気を出しても、どうか尊重してください。」
「そうだね。」
私は那智さんにそこまで要求している。
私はあなたのもの、あなたの幸せが私の幸せ、あなたのしてくれることは何でも嬉しい。
私の髪を引っ張って、頬を叩いて、おしっこをかけて、あなたの手で酷く惨めにして。
性的なことじゃなくても嬉しい、お仕事の手伝いも頼まれ事も、私は那智さんの役に立つことが嬉しい。
犬が寝転んでお腹を見せて服従を表すように、私は私の全部を並べて「お好きなように」とにっこり微笑む。
できることは、素直に伝えるということだけ。
そして、それらを全部並べてお願いする。
「どうか私を尊重していてください。」
どうか、那智さん、あなたがご自身を律してください。
理不尽なわがままを言えない私の、唯一最大の「理不尽」。
凄い自制を要求していると思ってるけど、那智さんだけが頼り。
刷り込まれた「価値がない」という自己評価。
それは簡単に払拭でいない。
頑張ってプライドを持とうとしても、染み付いた影は常に私に付いて回る。
「あなたの良いように」そうやってにっこり微笑むしおらしい私は、そこに負の暗闇の安息を感じている。
すべてを曝け出す。
それは、私の場合「自己主張」とか「わがまま」とかではないように思う。
私が曝け出すのは、他者と比べて自信があるという部分を認めてもらった上で、暗闇を見せて安心してプライドを捨てることだと気付いた。
そして、それを全部抱えて「大切にして」と、那智さんにお願いしているのだ。
「りん子は、いつになったら自信が持てる?」
「那智さんに出会うのに30数年かかったから、あと30数年後かな(笑)」
「70になったらってこと!?ふっざけるな!!(笑)』
そうやって、ずっと暗闇の安息を抱えた私を、笑い飛ばしていてくださいと願うのだ。
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