半径50mから見えるもの『オリジナル』
りん子的独り言(エラそう)
オリジナルなんでいうのは基本的にほとんどなくて、だいたいのものは何かから影響を受けたり、何かをもとに形を変えたりしているだけ。
足し算したり引き算したり使う場所を変えたりして自分らしさは出るけれど、基本的に元をただせばもうすでに誰かがしていること。
映画も料理も洋服も。
意識したり、しなかったり。
それをマネしていることと批判する気持ちはまったくないの。
世の中のものはほとんどそうだと思うから当然のこと。
オリジナルをどう使うかで自分らしさは出るし、それが力で魅力になるのだと思う。
私ごとだけど。
当たり前のようにわたしもそう。
エントリーを書いているのはわたしだけど、もとになるものは山ほどあってオリジナルなんてほとんどないはずです。
幼いころからの姉の影響もあるし。
当然、那智さんの生き方や考え方は数えきれないほど。
『集団の善意』なんて発想は多分『ぼくは勉強できない』から生まれているし、父性の重要性などは岩月謙司さんを読まなければ言語化できなかったかもしれない。
ブログを書くときに選ぶ言葉も同じ。
すべて意識しているかというとそんなことはないし、普段は思いつくままではあるけれど。
本や会話から拝借することはたくさんある。
先日もよそ様のブログで、ああいい使い方〜と感じた言葉を使わせてもらった^^
『削ぎ落とす』という表現の使いどころや『諦念』なんて言葉も本から知った。
『諦念の青き歯車をまわしながら、女優はそれを憂いという名の毛皮に変える』なんて表現にうっとりしちゃってた(笑)
(これがわかる人はかなりのマニアック^^)
『○○しましょうよ』という言い回しは、やさしい励まし、新聞の人生相談から見つけた。
ああその言葉好きと心に響く。
それを引き出しししまうのだ。
いつ使おうかちょっとわくわくしながら。
文章を書きながらしまっておいた言葉を使える機会待つ。
あ〜、この気持ちはあの言葉がぴったり!!
しまっておいた言葉を使えるときのなんとも清々しい気持ち。
使わせてもらいまーすという気恥ずかしさ。
これは小さいけれど豊かな喜びだ。
『諦念』という言葉は使いたくてしょうがないけど、たかがブログで『諦念の青き歯車』はないだろうとうずうずする気持ちを抑え、このときしかないという出番を待っている。
でも、たしか一回使ってる(笑)
初期の頃だと思う。
ブログを書き続けると言葉選びをより意識するようになるのかもね。
たかがブログだし、プロでもないし、国語の成績はいつも真ん中だったし、いまだに語彙は豊富とは言い難いし。
たくさんの人の影響を受けて、ここにいる。
それを意識しながら、でも、たくさんある中でどのタイミングでどれを使うかはわたしの感性。
国語としてはお粗末だと思うけど、この感性がオリジナルに色を添えられるといいなと思うのです。
そうそう、那智さんは誰もやらないようなことをするのが好き。
百貨店の前でわんことか熱湯をかけるなんていうのもあったなぁ。
オリジナル好きと言えなくもないけれど、那智さんもそれがオリジナルじゃないことは知っている。
どこかで誰かがすでにやっていることかもしれないけど、那智さん自身見たことも考えたこともない発想が生まれることが好きということらしい。
あー、おもしろいこと思いついた〜という『自分内オリジナル』がお好きということだろう。
ところで、半径50mの生活をしているわたし。
当然このネットのSM世界もほんの片隅しか知らない。
小さな小さな世界だけど、わたしはお友達のmineさんの言葉選びの影響も受けていることを自覚している。
彼女も誰かの影響を受けているだろうけど、それでもちょっと独特な言葉を選ぶ。
ここはひらがな、ここはカタカナ。
わたしが言葉を選ぶことをとても意識するようになったこと自体彼女の影響でもあると思う。
で、彼女が使う『牝』という文字。
これはわたしの小さな世界でははじめて見る表現だったんじゃないかと思う。
牝犬、牝豚、牝奴隷。
こんな文字は溢れるほど見ているけど、牝のひと文字。
さらにおもしろいのが、それを自ら呼称にしているのだ。
彼女は自分のことを牝と呼ぶ。
これは、ちょっと見ないなと思っている。
もちろんね、わたしが知らないだけだとも思うけどね。
で、わたしもそれを引き出しにしまわせてもらっているのだ。
だけど、あまりに身近すぎて使うことをためらう。
『諦念の青き歯車』と同じくらいためらう(笑)
いつか、ここは『牝』しか使いたくないという場面にでくわしたら登場させようとしまってある。
だから、ここに『牝』という表現があったら、mineさんの影響〜とほくそ笑んでください^^
だけどね〜、『女の子』は『牝』になることあんまりないんだよね〜*^^*
ついでに『躾』という言葉も彼女らしい言葉だ。
これも使いたい言葉のうちのひとつ、でもやっぱりためらってる(笑)
『調教』が主流の中、最近半径50m内でちょこちょこ『躾』という文字を見るけど、たぶんわたしが意識したのは彼女が最初。
だけどね〜、出会った当初那智さんから『調教は違うから、言葉にするなら教育とか躾け、躾けるが一番合うかな』と言われたことがあるのだ〜^^
でも、このとき那智さんがお気に入りのサイトがあって、その管理人がすでに『躾け』と位置付けしていた。
やっぱりね、オリジナルってそうそうないのだ(笑)
半径50mの小さな世界にいるけれど、その中で自分だけの宝石を見つけることはたのしい。
引き出しがいっぱいになることも自分の色をつけることも、たのしい。
<関連エントリー>
半径50mって?『半径50m』
集団の善意は『善意』『集団の善意の続き』
百貨店でわんこ『成功なの?失敗なの?』
熱湯『露出後のお話』
オリジナルなんでいうのは基本的にほとんどなくて、だいたいのものは何かから影響を受けたり、何かをもとに形を変えたりしているだけ。
足し算したり引き算したり使う場所を変えたりして自分らしさは出るけれど、基本的に元をただせばもうすでに誰かがしていること。
映画も料理も洋服も。
意識したり、しなかったり。
それをマネしていることと批判する気持ちはまったくないの。
世の中のものはほとんどそうだと思うから当然のこと。
オリジナルをどう使うかで自分らしさは出るし、それが力で魅力になるのだと思う。
私ごとだけど。
当たり前のようにわたしもそう。
エントリーを書いているのはわたしだけど、もとになるものは山ほどあってオリジナルなんてほとんどないはずです。
幼いころからの姉の影響もあるし。
当然、那智さんの生き方や考え方は数えきれないほど。
『集団の善意』なんて発想は多分『ぼくは勉強できない』から生まれているし、父性の重要性などは岩月謙司さんを読まなければ言語化できなかったかもしれない。
ブログを書くときに選ぶ言葉も同じ。
すべて意識しているかというとそんなことはないし、普段は思いつくままではあるけれど。
本や会話から拝借することはたくさんある。
先日もよそ様のブログで、ああいい使い方〜と感じた言葉を使わせてもらった^^
『削ぎ落とす』という表現の使いどころや『諦念』なんて言葉も本から知った。
『諦念の青き歯車をまわしながら、女優はそれを憂いという名の毛皮に変える』なんて表現にうっとりしちゃってた(笑)
(これがわかる人はかなりのマニアック^^)
『○○しましょうよ』という言い回しは、やさしい励まし、新聞の人生相談から見つけた。
ああその言葉好きと心に響く。
それを引き出しししまうのだ。
いつ使おうかちょっとわくわくしながら。
文章を書きながらしまっておいた言葉を使える機会待つ。
あ〜、この気持ちはあの言葉がぴったり!!
しまっておいた言葉を使えるときのなんとも清々しい気持ち。
使わせてもらいまーすという気恥ずかしさ。
これは小さいけれど豊かな喜びだ。
『諦念』という言葉は使いたくてしょうがないけど、たかがブログで『諦念の青き歯車』はないだろうとうずうずする気持ちを抑え、このときしかないという出番を待っている。
でも、たしか一回使ってる(笑)
初期の頃だと思う。
ブログを書き続けると言葉選びをより意識するようになるのかもね。
たかがブログだし、プロでもないし、国語の成績はいつも真ん中だったし、いまだに語彙は豊富とは言い難いし。
たくさんの人の影響を受けて、ここにいる。
それを意識しながら、でも、たくさんある中でどのタイミングでどれを使うかはわたしの感性。
国語としてはお粗末だと思うけど、この感性がオリジナルに色を添えられるといいなと思うのです。
そうそう、那智さんは誰もやらないようなことをするのが好き。
百貨店の前でわんことか熱湯をかけるなんていうのもあったなぁ。
オリジナル好きと言えなくもないけれど、那智さんもそれがオリジナルじゃないことは知っている。
どこかで誰かがすでにやっていることかもしれないけど、那智さん自身見たことも考えたこともない発想が生まれることが好きということらしい。
あー、おもしろいこと思いついた〜という『自分内オリジナル』がお好きということだろう。
ところで、半径50mの生活をしているわたし。
当然このネットのSM世界もほんの片隅しか知らない。
小さな小さな世界だけど、わたしはお友達のmineさんの言葉選びの影響も受けていることを自覚している。
彼女も誰かの影響を受けているだろうけど、それでもちょっと独特な言葉を選ぶ。
ここはひらがな、ここはカタカナ。
わたしが言葉を選ぶことをとても意識するようになったこと自体彼女の影響でもあると思う。
で、彼女が使う『牝』という文字。
これはわたしの小さな世界でははじめて見る表現だったんじゃないかと思う。
牝犬、牝豚、牝奴隷。
こんな文字は溢れるほど見ているけど、牝のひと文字。
さらにおもしろいのが、それを自ら呼称にしているのだ。
彼女は自分のことを牝と呼ぶ。
これは、ちょっと見ないなと思っている。
もちろんね、わたしが知らないだけだとも思うけどね。
で、わたしもそれを引き出しにしまわせてもらっているのだ。
だけど、あまりに身近すぎて使うことをためらう。
『諦念の青き歯車』と同じくらいためらう(笑)
いつか、ここは『牝』しか使いたくないという場面にでくわしたら登場させようとしまってある。
だから、ここに『牝』という表現があったら、mineさんの影響〜とほくそ笑んでください^^
だけどね〜、『女の子』は『牝』になることあんまりないんだよね〜*^^*
ついでに『躾』という言葉も彼女らしい言葉だ。
これも使いたい言葉のうちのひとつ、でもやっぱりためらってる(笑)
『調教』が主流の中、最近半径50m内でちょこちょこ『躾』という文字を見るけど、たぶんわたしが意識したのは彼女が最初。
だけどね〜、出会った当初那智さんから『調教は違うから、言葉にするなら教育とか躾け、躾けるが一番合うかな』と言われたことがあるのだ〜^^
でも、このとき那智さんがお気に入りのサイトがあって、その管理人がすでに『躾け』と位置付けしていた。
やっぱりね、オリジナルってそうそうないのだ(笑)
半径50mの小さな世界にいるけれど、その中で自分だけの宝石を見つけることはたのしい。
引き出しがいっぱいになることも自分の色をつけることも、たのしい。
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