エゴマゾでいこう
りん子的独り言(生意気)
エゴマゾって言葉が不思議。
辞書に載っていないから本当の意味は知らないのだけど。
自分の要求だけを通そうとするマゾのことなんだよね。
たしかにね、一人で成立するものじゃないので、お互い話し合い擦り合せ、求めるものを一致させたり譲歩したりが必要だから、自分の要求だけを通そうとするのはよくないと思う。
時々S女さんのところで『してしてオンリー君』みたいな話を拝見すると、それは商業ベースとしては成り立つかもしれないけど、互いの性癖を軸にするにはお付き合いしたくないな〜とは思う。
何かしらのあだ名をつけられて揶揄されてもしかたない、と納得もする。
それとは別に。
一般論として(?)
なぜ?
マゾが要求を通そうとするとエゴがつくの?
サディストがしたいことをするとエゴにならないの?
だって、そもそも『被虐願望』って『願望』がある時点で、それはエゴなんだから自分の要求を通そうとする気持ちがあって当たり前なんじゃないかな。
だから、すべてのマゾはエゴマゾじゃないの?
サディストだって、エゴサドだよね。
なんでマゾだけエゴになっちゃうんだろ。
そこに、マゾと奴隷(従者)が混同されている印象を受ける。
あまり賛成できないけど、奴隷や従者は従うべきで意見も言えないというのが前提であれば、自分の要求だけを通そうとしたらエゴと言われても、まあ仕方ないかもしれないとしたら。
(それだって、奴隷願望従者願望があるのだから『エゴ(自我)』なんだけどね)
そこにマゾ=奴隷(従者)という認識で、マゾが要求を通そうとして『エゴ』と言われているんだろうなと思う。
だから、マゾ(M女)は従うものっていう暗黙の了解になっているのだよね。
で、わたしはどうしても、マゾと奴隷(従者)と一緒に考えることに違和感を感じるんだ。
たかが名称の問題なんだけど、けっこうこれで疑問を感じている人多いんじゃないかな。
まあ、ちょっとこの混同は置いといて^^;
そもそもエゴじゃいけないの?
自分の願望を叶えるために要求を通してはいけないの?
そんなことないよね、エゴでいいよね。
しかも、本当は。
マゾも従者も奴隷も、エゴでいいと思うのだ。
もちろんサディストだって、ご主人様だって。
誰も傷つかない関係を作るには、むしろエゴ(自我)は必要な気がする。
まして、心も体も傷つく可能性が高い『される側』はきちんと自我を持っているべきだ。
それなのに『される側』にだけエゴってつけちゃうところが、不思議。
まあ、この場合の『エゴ』は、きっと要求を通すための手順をきちんと踏まずにいる精神的に大人じゃない人のことを指しているのでしょうから、いちいち言葉に疑問を持つこともないのでしょうけど。
精神的に大人になって、マゾもエゴを通したいものです^^
ちなみに、わたしは、要求を通して『やってもらって』も全然嬉しくないので、要求はしません。
健気な言い方をすれば、那智さんのしたいことをしてほしいから。
『那智さんのよいように』が、口癖です。
だって、そっちのほうが幸福なんだもの。
でも、してほしいことは存在しているわけで。
要求せずに伝わるように、そして、それがいつか那智さんのしたいことになるように、反応や目線、伝えられる手段をフル活用して、訴えたりして種を蒔いてます。
(いや、溢れちゃって勝手に伝わっているほうが多いか^^;)
で、ここにも書いて、種蒔いている(笑)
言葉にしないで要求を通そうとする…時間はかかるし、相手をよーく見ていなきゃ上手に伝えられない、頭も使うし素直でいないといけない。
那智さんも、それを感じ取る感性を研ぎすましている必要はあるし、気づいてもするタイミングをコントロールしたりと、それはそれで、とても大変だと思う。
とても手間のかかること。
だけど、那智さんの『したいこと』とわたしの『してほしいこと』が、無言のうちに合致したときの喜びは、とてもとても大きいのだ。
それが数年単位の時間がかかったとしても。
自分の要求を押し込んで、相手の言いなりになるよりも。
『して』と自分の要求だけを通すよりも。
ずっとずっと喜びは大きい。
多分、よい反応をするわたしを見て、那智さんだって楽しいはずだ。
そのためにも、わたしはちゃんとエゴでいたいと思うのだ。
あ、エゴじゃないか、隠れエゴだね。
じゃあ、わたしは『隠れエゴマゾ』でいこうと思う^^
エゴマゾって言葉が不思議。
辞書に載っていないから本当の意味は知らないのだけど。
自分の要求だけを通そうとするマゾのことなんだよね。
たしかにね、一人で成立するものじゃないので、お互い話し合い擦り合せ、求めるものを一致させたり譲歩したりが必要だから、自分の要求だけを通そうとするのはよくないと思う。
時々S女さんのところで『してしてオンリー君』みたいな話を拝見すると、それは商業ベースとしては成り立つかもしれないけど、互いの性癖を軸にするにはお付き合いしたくないな〜とは思う。
何かしらのあだ名をつけられて揶揄されてもしかたない、と納得もする。
それとは別に。
一般論として(?)
なぜ?
マゾが要求を通そうとするとエゴがつくの?
サディストがしたいことをするとエゴにならないの?
だって、そもそも『被虐願望』って『願望』がある時点で、それはエゴなんだから自分の要求を通そうとする気持ちがあって当たり前なんじゃないかな。
だから、すべてのマゾはエゴマゾじゃないの?
サディストだって、エゴサドだよね。
なんでマゾだけエゴになっちゃうんだろ。
そこに、マゾと奴隷(従者)が混同されている印象を受ける。
あまり賛成できないけど、奴隷や従者は従うべきで意見も言えないというのが前提であれば、自分の要求だけを通そうとしたらエゴと言われても、まあ仕方ないかもしれないとしたら。
(それだって、奴隷願望従者願望があるのだから『エゴ(自我)』なんだけどね)
そこにマゾ=奴隷(従者)という認識で、マゾが要求を通そうとして『エゴ』と言われているんだろうなと思う。
だから、マゾ(M女)は従うものっていう暗黙の了解になっているのだよね。
で、わたしはどうしても、マゾと奴隷(従者)と一緒に考えることに違和感を感じるんだ。
たかが名称の問題なんだけど、けっこうこれで疑問を感じている人多いんじゃないかな。
まあ、ちょっとこの混同は置いといて^^;
そもそもエゴじゃいけないの?
自分の願望を叶えるために要求を通してはいけないの?
そんなことないよね、エゴでいいよね。
しかも、本当は。
マゾも従者も奴隷も、エゴでいいと思うのだ。
もちろんサディストだって、ご主人様だって。
誰も傷つかない関係を作るには、むしろエゴ(自我)は必要な気がする。
まして、心も体も傷つく可能性が高い『される側』はきちんと自我を持っているべきだ。
それなのに『される側』にだけエゴってつけちゃうところが、不思議。
まあ、この場合の『エゴ』は、きっと要求を通すための手順をきちんと踏まずにいる精神的に大人じゃない人のことを指しているのでしょうから、いちいち言葉に疑問を持つこともないのでしょうけど。
精神的に大人になって、マゾもエゴを通したいものです^^
ちなみに、わたしは、要求を通して『やってもらって』も全然嬉しくないので、要求はしません。
健気な言い方をすれば、那智さんのしたいことをしてほしいから。
『那智さんのよいように』が、口癖です。
だって、そっちのほうが幸福なんだもの。
でも、してほしいことは存在しているわけで。
要求せずに伝わるように、そして、それがいつか那智さんのしたいことになるように、反応や目線、伝えられる手段をフル活用して、訴えたりして種を蒔いてます。
(いや、溢れちゃって勝手に伝わっているほうが多いか^^;)
で、ここにも書いて、種蒔いている(笑)
言葉にしないで要求を通そうとする…時間はかかるし、相手をよーく見ていなきゃ上手に伝えられない、頭も使うし素直でいないといけない。
那智さんも、それを感じ取る感性を研ぎすましている必要はあるし、気づいてもするタイミングをコントロールしたりと、それはそれで、とても大変だと思う。
とても手間のかかること。
だけど、那智さんの『したいこと』とわたしの『してほしいこと』が、無言のうちに合致したときの喜びは、とてもとても大きいのだ。
それが数年単位の時間がかかったとしても。
自分の要求を押し込んで、相手の言いなりになるよりも。
『して』と自分の要求だけを通すよりも。
ずっとずっと喜びは大きい。
多分、よい反応をするわたしを見て、那智さんだって楽しいはずだ。
そのためにも、わたしはちゃんとエゴでいたいと思うのだ。
あ、エゴじゃないか、隠れエゴだね。
じゃあ、わたしは『隠れエゴマゾ』でいこうと思う^^
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