M女の快感
りん子的独り言(生意気)
M女さんブログを読んでいて疑問を覚えることがある。
今日はその疑問と、それから想像することを書きます。
普段は私の経験に基づいてかなり断定的に書いてるけど、これは未経験のことだから疑問と想像だけで書かせていただきます。
そして、そういう傾向が見られる?と思うことなので、特定のケースがあるわけではありません。
もちろんそうじゃないケースもたくさんあるはずです。
またいつものように、それで満たされている方は、例えその傾向があったとしてもそれは当てはまりません。
私の疑問とは違うと思ってください。
もし、それで苦しんでいるなら、そして同じように疑問を感じているなら、一緒にその疑問に思いを巡らせてほしいなと思います。
M女さんといっても特に主従といわれる関係に多く見られると思うのですが。
例えば。
ご主人様にオナニーを命令されて、恥ずかしくて仕方がないけど『我慢』してオナニーを始めると、ご主人様の目線や声でめくるめく快感が訪れる。
それとか、鞭も怖くて痛いけどご主人様がくださる痛みだから『耐え』ていると、最後にはその痛みが喜びに変わったり、最後に褒めてもらうことで喜びに繋がったりして、また鞭をほしいと思う。
こういう話を目にすると思う。
なぜ、M女の喜びは『忍耐』や『我慢』の上でばかり成り立つのだろう。
なぜ、その我慢はご主人様のための『我慢』なの?
なぜ『忍耐・我慢』→『ご主人様』→『快感』という流れがとても多いのだろう。
マゾは被虐嗜好だ。
『肉体的、精神的苦痛』を望む。
だから『忍耐』や『我慢』はつきものだとは思うのだけど。
でもそれって快感に繋がる『我慢』なんだから、我慢であって我慢じゃないよね。
私なんて鞭を取り出されると、怖くて怖くて仕方がいないけれど『ワクワク』している。
それは自分のための『我慢』だからだ。
なぜ、この『自分のための我慢(ワクワク)』を書いている人があまりいないのだろう。
この『ワクワク』は、もちろん那智さんがしてくれることは大大大前提ですけどね^^
純粋に、快感を期待する『ワクワク』でもあるんだ。
前者は『ご主人様がくださるという喜び』的に表現されている場合もあるけど、後者の『ワクワク』に関しては、かなり少ないと思う。
こんなふうに『喜び』に至るプロセスが『我慢』や『忍耐』に『ご主人様』が加味されているパターンが多いと思う。
えっと、だから、それがいけないと言っているのではなくてね。
それは本当のことなのかな?と思うのです。
本当に『我慢→ご主人様→快感』だけなの?
だって、怖いことでもいずれ快感や喜びに繋がることは経験しているのだから、純粋にそれに対する『ワクワク(自分のための我慢)』はない?
ほんの僅かでもない?
あるなら、なぜ書かない?
で、なんでだろうと想像していくつか仮定してみました。
一番考えられるのは、他者からの圧力。
M女の快感は『我慢→ご主人様』の上に成り立つという風潮の圧力。
『我慢→ご主人様』の上で成り立つと書いたほうが、ご主人様にも周りにも褒められるから?
自分優先の快感を書くと『わがまま』と叩かれるから?
(この場合の『賞賛』もある意味、圧力だよね)
でも、それは少しわかるんだ。
だって人は褒められたいものね。
私だって、那智さんに楽しんでもらいたいから『りん子フィルター』駆使していっぱいノロケているしね。
(M女さん的賞賛は得られませんが^^)
これはなんとなく想像できる仮定。
じゃあ、他者からの圧力じゃなくて『ワクワク』を書かない人がいるとしたら?
『ワクワク』のない『我慢→ご主人様→快感』だけという回路だということになるよね。
だとしたら、別のことを想像する。
ひとつは。
毎回毎回、快感の記憶を忘れるほどの苦痛を強いられているということ。
どんなに怖くても痛くても、快感の記憶の積み重ねがあるから『ワクワク』するわけで、それさえも思い出せないくらいの苦痛を、その都度上乗せしているのであればただの『我慢』は想像できる。
だけどそんなに苦痛の上乗せって毎回できるものなのかな。(体壊れちゃう^^;)
もうひとつ。
実は、それほど『我慢』も『快感』もないのではないかという考え。
だって『ワクワク』もせず、快感に繋がるように『我慢』ができるのならば、それはさほどの『我慢』じゃないとも考えられません?
そもそも『ワクワク』が存在していないのであれば、『ワクワク』するような『快感』をずっと得られていないのではないかとさえ思ってしまう。
ブログを続けるのに。
『書きたいこと』と『耳障り良く』のバランスがあって、私の場合は『書きたいこと』に比重がないと長くは続けられないなぁと思うのだ。
できるだけ素直な気持ちを書きたい。
それは那智さんとの関係を事実として記録したいから。
だから『ワクワク』も書く。
だから前エントリーのように『失敗』も書く^^(『理性、邪魔!!』)
それが『書きたいこと』だから。
じゃあ、なぜM女の快感が『我慢→ご主人様→快感』で語られるところが多いのだろうと、疑問に思うのです。
『ワクワク』が書かれていないところがあるならば。
理由はわからなけど、自分の意志で『ワクワク』は書きたくないのか。
M女の快感は『ご主人様のための我慢や忍耐』の上で成り立つという風潮の圧力なのか。
それとも、そもそも実は『我慢』も『快感』も存在していないのか、故に『ワクワク』もないの?
いつもの強引な極論を思いついてしまったです。
でもこれに関してはブログとして当事者の経験がないので、疑問のままなのです。(勝手な想像してごめんなさい)
ただブログという形では未経験だけど、那智さんに出会う前の相手のときには、やはり『我慢→ご主人様→喜び』回路じゃないといけないと思い込んでいたし。
そもそも『我慢』も『快感』も、している気になっていただけだった。
だから大して『ワクワク』もしてなかったしね^^;
で、もっというと。
この『薬指の刺青』を書きはじめた当初は『我慢→ご主人様→喜び』回路っぽかったと思う。(一所懸命『ご主人様』呼ばわりしてたし^^;)
那智さんと付き合ってしばらくしても、ブログで発信してみるとその染み込んだ回路が出ちゃってたのだよね。
だからブログという形では未経験だけどなんとなく想像できるかなと、極論してしまいました。
ひとつmineさんの『ブログにて』で、ヒントが書いてあった。(こんなエントリーにお名前出しちゃってごめんなさい)
確かに奴隷さんが書き上げたエントリーをまずご主人様のチェックを受けたあとアップする。とか
ご主人様が奴隷さんの了解を得ずに勝手にエントリーを改竄する。とか
意にそぐわないエントリーを削除させる。という話を何度か見かけた。
これには、ちょっと驚いてしまった^^;
チェックは想像できても改竄や削除もあるの?
これが本当なら『我慢→ご主人様→快感』にしかならないのもわからなでもないです。
でも私はそれでは続けられない。
一度でも那智さんに手直しされたら、そこから先一文字も書く気が湧かないと思う^^;
文章の上手い下手ではなくて、少なくとも私は血の通った言葉は書けないな。
なんとなく似たような言葉をM女さんブログで目にすると、本当はどうなんだろうって疑問に思う。
M女だって。
『我慢』の上に成り立つ快感以外の快感を味わったっていいし。
『ワクワク』するような快感を欲してもいいのにね。
そして、それを書いたっていいのにね。
誰がどんなふうに書こうと自由だ。
だから、それで満たされていればかまわないのです。
でも他者からの圧力だったり、ないものをあると書いたり、あるものをないと書いたり、でブログという形で発信し続けるのは大変だろうなと考えてしまった。
M女さんブログを読んでいて疑問を覚えることがある。
今日はその疑問と、それから想像することを書きます。
普段は私の経験に基づいてかなり断定的に書いてるけど、これは未経験のことだから疑問と想像だけで書かせていただきます。
そして、そういう傾向が見られる?と思うことなので、特定のケースがあるわけではありません。
もちろんそうじゃないケースもたくさんあるはずです。
またいつものように、それで満たされている方は、例えその傾向があったとしてもそれは当てはまりません。
私の疑問とは違うと思ってください。
もし、それで苦しんでいるなら、そして同じように疑問を感じているなら、一緒にその疑問に思いを巡らせてほしいなと思います。
M女さんといっても特に主従といわれる関係に多く見られると思うのですが。
例えば。
ご主人様にオナニーを命令されて、恥ずかしくて仕方がないけど『我慢』してオナニーを始めると、ご主人様の目線や声でめくるめく快感が訪れる。
それとか、鞭も怖くて痛いけどご主人様がくださる痛みだから『耐え』ていると、最後にはその痛みが喜びに変わったり、最後に褒めてもらうことで喜びに繋がったりして、また鞭をほしいと思う。
こういう話を目にすると思う。
なぜ、M女の喜びは『忍耐』や『我慢』の上でばかり成り立つのだろう。
なぜ、その我慢はご主人様のための『我慢』なの?
なぜ『忍耐・我慢』→『ご主人様』→『快感』という流れがとても多いのだろう。
マゾは被虐嗜好だ。
『肉体的、精神的苦痛』を望む。
だから『忍耐』や『我慢』はつきものだとは思うのだけど。
でもそれって快感に繋がる『我慢』なんだから、我慢であって我慢じゃないよね。
私なんて鞭を取り出されると、怖くて怖くて仕方がいないけれど『ワクワク』している。
それは自分のための『我慢』だからだ。
なぜ、この『自分のための我慢(ワクワク)』を書いている人があまりいないのだろう。
この『ワクワク』は、もちろん那智さんがしてくれることは大大大前提ですけどね^^
純粋に、快感を期待する『ワクワク』でもあるんだ。
前者は『ご主人様がくださるという喜び』的に表現されている場合もあるけど、後者の『ワクワク』に関しては、かなり少ないと思う。
こんなふうに『喜び』に至るプロセスが『我慢』や『忍耐』に『ご主人様』が加味されているパターンが多いと思う。
えっと、だから、それがいけないと言っているのではなくてね。
それは本当のことなのかな?と思うのです。
本当に『我慢→ご主人様→快感』だけなの?
だって、怖いことでもいずれ快感や喜びに繋がることは経験しているのだから、純粋にそれに対する『ワクワク(自分のための我慢)』はない?
ほんの僅かでもない?
あるなら、なぜ書かない?
で、なんでだろうと想像していくつか仮定してみました。
一番考えられるのは、他者からの圧力。
M女の快感は『我慢→ご主人様』の上に成り立つという風潮の圧力。
『我慢→ご主人様』の上で成り立つと書いたほうが、ご主人様にも周りにも褒められるから?
自分優先の快感を書くと『わがまま』と叩かれるから?
(この場合の『賞賛』もある意味、圧力だよね)
でも、それは少しわかるんだ。
だって人は褒められたいものね。
私だって、那智さんに楽しんでもらいたいから『りん子フィルター』駆使していっぱいノロケているしね。
(M女さん的賞賛は得られませんが^^)
これはなんとなく想像できる仮定。
じゃあ、他者からの圧力じゃなくて『ワクワク』を書かない人がいるとしたら?
『ワクワク』のない『我慢→ご主人様→快感』だけという回路だということになるよね。
だとしたら、別のことを想像する。
ひとつは。
毎回毎回、快感の記憶を忘れるほどの苦痛を強いられているということ。
どんなに怖くても痛くても、快感の記憶の積み重ねがあるから『ワクワク』するわけで、それさえも思い出せないくらいの苦痛を、その都度上乗せしているのであればただの『我慢』は想像できる。
だけどそんなに苦痛の上乗せって毎回できるものなのかな。(体壊れちゃう^^;)
もうひとつ。
実は、それほど『我慢』も『快感』もないのではないかという考え。
だって『ワクワク』もせず、快感に繋がるように『我慢』ができるのならば、それはさほどの『我慢』じゃないとも考えられません?
そもそも『ワクワク』が存在していないのであれば、『ワクワク』するような『快感』をずっと得られていないのではないかとさえ思ってしまう。
ブログを続けるのに。
『書きたいこと』と『耳障り良く』のバランスがあって、私の場合は『書きたいこと』に比重がないと長くは続けられないなぁと思うのだ。
できるだけ素直な気持ちを書きたい。
それは那智さんとの関係を事実として記録したいから。
だから『ワクワク』も書く。
だから前エントリーのように『失敗』も書く^^(『理性、邪魔!!』)
それが『書きたいこと』だから。
じゃあ、なぜM女の快感が『我慢→ご主人様→快感』で語られるところが多いのだろうと、疑問に思うのです。
『ワクワク』が書かれていないところがあるならば。
理由はわからなけど、自分の意志で『ワクワク』は書きたくないのか。
M女の快感は『ご主人様のための我慢や忍耐』の上で成り立つという風潮の圧力なのか。
それとも、そもそも実は『我慢』も『快感』も存在していないのか、故に『ワクワク』もないの?
いつもの強引な極論を思いついてしまったです。
でもこれに関してはブログとして当事者の経験がないので、疑問のままなのです。(勝手な想像してごめんなさい)
ただブログという形では未経験だけど、那智さんに出会う前の相手のときには、やはり『我慢→ご主人様→喜び』回路じゃないといけないと思い込んでいたし。
そもそも『我慢』も『快感』も、している気になっていただけだった。
だから大して『ワクワク』もしてなかったしね^^;
で、もっというと。
この『薬指の刺青』を書きはじめた当初は『我慢→ご主人様→喜び』回路っぽかったと思う。(一所懸命『ご主人様』呼ばわりしてたし^^;)
那智さんと付き合ってしばらくしても、ブログで発信してみるとその染み込んだ回路が出ちゃってたのだよね。
だからブログという形では未経験だけどなんとなく想像できるかなと、極論してしまいました。
ひとつmineさんの『ブログにて』で、ヒントが書いてあった。(こんなエントリーにお名前出しちゃってごめんなさい)
確かに奴隷さんが書き上げたエントリーをまずご主人様のチェックを受けたあとアップする。とか
ご主人様が奴隷さんの了解を得ずに勝手にエントリーを改竄する。とか
意にそぐわないエントリーを削除させる。という話を何度か見かけた。
これには、ちょっと驚いてしまった^^;
チェックは想像できても改竄や削除もあるの?
これが本当なら『我慢→ご主人様→快感』にしかならないのもわからなでもないです。
でも私はそれでは続けられない。
一度でも那智さんに手直しされたら、そこから先一文字も書く気が湧かないと思う^^;
文章の上手い下手ではなくて、少なくとも私は血の通った言葉は書けないな。
なんとなく似たような言葉をM女さんブログで目にすると、本当はどうなんだろうって疑問に思う。
M女だって。
『我慢』の上に成り立つ快感以外の快感を味わったっていいし。
『ワクワク』するような快感を欲してもいいのにね。
そして、それを書いたっていいのにね。
誰がどんなふうに書こうと自由だ。
だから、それで満たされていればかまわないのです。
でも他者からの圧力だったり、ないものをあると書いたり、あるものをないと書いたり、でブログという形で発信し続けるのは大変だろうなと考えてしまった。
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