焼肉ショック2
りん子的独り言(エラそう)
焼いてもらった肉を一度焼き直しただけで焼かなくなってしまった那智さんとそれに衝撃を受けたわたしのお話を前回書きました。
これは那智さんの『否定を発する覚悟』ゆえのことです。
否定するってことは、それなりの覚悟を持ってするから、相手にもそうを求めるわけですね。
那智さんにとって否定をする行為は最後通牒に近い意味を持つのです。
ここはわたしも同じ感性を持っていて、基本的には最後通牒になる言葉は発しないようにしている。
『二度と◯◯しない』とか『今後一切◯◯しない』とか、関係を深くありたいと思えば思うほど、慎重にする。
なぜなら、相手にそれを発する前に『悪意はないか』などたくさん考えるからだ、それでも、どうしてもの場合のみ発するので、結果的に発する機会は少ないともいえる。
ということは大事な人に最後通牒をするときは、本当にそうするってことでもあるんだよね。
昔のエントリーに『繋いだ手の行方』というものがあります。
「ずっと同じ方向を向いていたり手を繋いでいられるとは限らないよね。意見が食い違ったりしてお互い違う方向を向いて手が離れてしまうこともある。だから、何よりも『手を伸ばそう』と思うことが大事なんじゃないかな。」
という那智さんの言葉。
価値観や意見が違うとき、離れてしまいそうな手を離さない、『びよ〜ん』と伸ばしてでも離さない。
一瞬でも離したら、離したという事実がお互いの心のシミになるから、離さず柔軟な着地点を見つける。
という考え方。
今回感じたことは、まさにこれ。
那智さんとわたしにとって最後通牒的な言葉は『手を離した事実』と感じてしまうのだ。
まあ、今回の焼き直した事実くらいはある程度柔軟に着地点を見つけられる程度のものだけど。
『別れる』とか『捨てる』のような付き合いの根幹に関わるような言葉は完全に手を離した事実になっちゃうし、それに近い相手を否定するような言葉も同じように感じるんだ。
だから、ふたりとも、ものすごく慎重に言葉と感情を表現している。
けして無理をしているんじゃないんだよ。
そういう最後通牒や拒否を言葉にすることは発するこちらもマイナスの空気に支配されるから、やりたくないんだ。
ただ、そうありたいと、かなり努めているもの同士ではある。
だからね。
わたしから見ると最後通牒しまくりに見えるカップルさんを見ると、不思議でしょうがない(笑)
いるよね?
売り言葉に買い言葉なのかわからないけど、けっこう相手を否定するような言葉を言い合っている人。
ネットでも、電車の中とかでも見かける。
とくにブログなどは、その後の経緯もわかるから『二度と◯◯しない』と言った人が、何週間か何か月か(もしくは数時間^^;)後に◯◯していたりするのを読んだりするとホント不思議。
書かれていることがすべてではないし、事実でもないかもしれないけど、読む側の勝手な感情として、わたしがそんな感じだったら、那智さんはしてくれないことだらけになっちゃうし、那智さんがそうだったら手のひらを返す様子にバカにしてしまいそう。
それでも関係が継続しているみたいだし、電車で見かけるカップルも慣れたものっぽくて不思議だったけど、最近はすこし考え方を変えた(笑)
わたしには理解できないことだけど、最後通牒を言い合って、その後、仲直りすることで愛を感じ合う人もいるみたいなんだよね、きっと。
ケンカするほど仲がいいなんて言葉もあるし、案外、そういう人のほうが多いのかもしれないね。
わたしはケンカせずに『気持ち(一次的な感情)を伝え合う』だけでも充分関係は深まると思うんだけど^^;
とにかく、わたしは大事な人には最後通牒やそれに近い言葉は言いたくないし、言われたくないので那智さんの感性はありがたいけど、世の中には、それを言い合っても大丈夫な人もいるんだよね、と、ひとまず納得しておくのでした^^;
とにかく、最後通牒言い合うカップルさんにあれこれ言えるとは言えないほど、わたしたちも偏っている組み合わせではあります(笑)
ちなみに、翌日になり
牛肉と豚肉では焼き方の好みが違う
那智さんはわたしの豚肉の焼き方の好みを知らなかった
(これが那智さんなりの着地点)
だから、わたしは『豚肉はもう少ししっかり焼いたほうが好きですので、これからそのようにお願いします』と言うのがベスト
であり
那智さんは「牛と豚の焼き方の好みを考えず『焼かない』と言ってしまった(一瞬でも手を離したように見える行為)ことはごめん
であり
さらに
これからも焼いてください::
焼くよ〜(笑)
で一件落着、なのでした^^
ね、ケンカっぽくならなくても、ちゃんと仲良しでいられるよ^^
<関連エントリー>
繋いだ手の行方
関連しているようなしてないないようなものたち^^
覆水盆に返らず
世界平和
わたしの本音
「等式」感想です。私は焼肉の火を入れる加減の好みの幅が狭いので、その範疇に入らないならばご自分の好みでどうぞだけなのですけれどね。焼いて欲しいーのも「味付け」と考えしょう。(笑)
焼いてもらった肉を一度焼き直しただけで焼かなくなってしまった那智さんとそれに衝撃を受けたわたしのお話を前回書きました。
これは那智さんの『否定を発する覚悟』ゆえのことです。
否定するってことは、それなりの覚悟を持ってするから、相手にもそうを求めるわけですね。
那智さんにとって否定をする行為は最後通牒に近い意味を持つのです。
ここはわたしも同じ感性を持っていて、基本的には最後通牒になる言葉は発しないようにしている。
『二度と◯◯しない』とか『今後一切◯◯しない』とか、関係を深くありたいと思えば思うほど、慎重にする。
なぜなら、相手にそれを発する前に『悪意はないか』などたくさん考えるからだ、それでも、どうしてもの場合のみ発するので、結果的に発する機会は少ないともいえる。
ということは大事な人に最後通牒をするときは、本当にそうするってことでもあるんだよね。
昔のエントリーに『繋いだ手の行方』というものがあります。
「ずっと同じ方向を向いていたり手を繋いでいられるとは限らないよね。意見が食い違ったりしてお互い違う方向を向いて手が離れてしまうこともある。だから、何よりも『手を伸ばそう』と思うことが大事なんじゃないかな。」
という那智さんの言葉。
価値観や意見が違うとき、離れてしまいそうな手を離さない、『びよ〜ん』と伸ばしてでも離さない。
一瞬でも離したら、離したという事実がお互いの心のシミになるから、離さず柔軟な着地点を見つける。
という考え方。
今回感じたことは、まさにこれ。
那智さんとわたしにとって最後通牒的な言葉は『手を離した事実』と感じてしまうのだ。
まあ、今回の焼き直した事実くらいはある程度柔軟に着地点を見つけられる程度のものだけど。
『別れる』とか『捨てる』のような付き合いの根幹に関わるような言葉は完全に手を離した事実になっちゃうし、それに近い相手を否定するような言葉も同じように感じるんだ。
だから、ふたりとも、ものすごく慎重に言葉と感情を表現している。
けして無理をしているんじゃないんだよ。
そういう最後通牒や拒否を言葉にすることは発するこちらもマイナスの空気に支配されるから、やりたくないんだ。
ただ、そうありたいと、かなり努めているもの同士ではある。
だからね。
わたしから見ると最後通牒しまくりに見えるカップルさんを見ると、不思議でしょうがない(笑)
いるよね?
売り言葉に買い言葉なのかわからないけど、けっこう相手を否定するような言葉を言い合っている人。
ネットでも、電車の中とかでも見かける。
とくにブログなどは、その後の経緯もわかるから『二度と◯◯しない』と言った人が、何週間か何か月か(もしくは数時間^^;)後に◯◯していたりするのを読んだりするとホント不思議。
書かれていることがすべてではないし、事実でもないかもしれないけど、読む側の勝手な感情として、わたしがそんな感じだったら、那智さんはしてくれないことだらけになっちゃうし、那智さんがそうだったら手のひらを返す様子にバカにしてしまいそう。
それでも関係が継続しているみたいだし、電車で見かけるカップルも慣れたものっぽくて不思議だったけど、最近はすこし考え方を変えた(笑)
わたしには理解できないことだけど、最後通牒を言い合って、その後、仲直りすることで愛を感じ合う人もいるみたいなんだよね、きっと。
ケンカするほど仲がいいなんて言葉もあるし、案外、そういう人のほうが多いのかもしれないね。
わたしはケンカせずに『気持ち(一次的な感情)を伝え合う』だけでも充分関係は深まると思うんだけど^^;
とにかく、わたしは大事な人には最後通牒やそれに近い言葉は言いたくないし、言われたくないので那智さんの感性はありがたいけど、世の中には、それを言い合っても大丈夫な人もいるんだよね、と、ひとまず納得しておくのでした^^;
とにかく、最後通牒言い合うカップルさんにあれこれ言えるとは言えないほど、わたしたちも偏っている組み合わせではあります(笑)
ちなみに、翌日になり
牛肉と豚肉では焼き方の好みが違う
那智さんはわたしの豚肉の焼き方の好みを知らなかった
(これが那智さんなりの着地点)
だから、わたしは『豚肉はもう少ししっかり焼いたほうが好きですので、これからそのようにお願いします』と言うのがベスト
であり
那智さんは「牛と豚の焼き方の好みを考えず『焼かない』と言ってしまった(一瞬でも手を離したように見える行為)ことはごめん
であり
さらに
これからも焼いてください::
焼くよ〜(笑)
で一件落着、なのでした^^
ね、ケンカっぽくならなくても、ちゃんと仲良しでいられるよ^^
<関連エントリー>
繋いだ手の行方
関連しているようなしてないないようなものたち^^
覆水盆に返らず
世界平和
わたしの本音
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COMMENT
「焼き加減を否定されたこと」ではなく。
「(りん子さんが自分で焼いた事で)焼く事を否定された」と受け取るのが、那智さんらしいです。そして、それを後でちゃんと教える優しさも。
自分好みの焼き加減を受け入れて貰えなかったショックも、少しはあったのでしょうか。普段の那智さんなら、焼き加減について一言ありそうな気がしますし。
りん子さんの、ショック加減もw
いろいろさすがです。
甘えて、ショックを訴える姿が、ありありと目に浮かんで微笑ましい気持ちになりました。
今回記事も、甘々でごちそうさまです。
「(りん子さんが自分で焼いた事で)焼く事を否定された」と受け取るのが、那智さんらしいです。そして、それを後でちゃんと教える優しさも。
自分好みの焼き加減を受け入れて貰えなかったショックも、少しはあったのでしょうか。普段の那智さんなら、焼き加減について一言ありそうな気がしますし。
りん子さんの、ショック加減もw
いろいろさすがです。
甘えて、ショックを訴える姿が、ありありと目に浮かんで微笑ましい気持ちになりました。
今回記事も、甘々でごちそうさまです。
らーさん
毎度の甘々にお付き合いいただきありがとうございます^^;
そうそう、焼き直したことが否定になるのは那智さんらしいです!
そして、それを伝えるのも那智さんらしいといえばおっしゃる通りですし、優しいという視点もたしかに!です^^
ただ、これはわたし的な立場の人間に対してのものなので、好意的にお付き合いいただいているみなさんには、人並みに寛容ですので遠慮なくお付き合いいただければと願います(笑)
まったくいちいち面倒なカップルです(笑)
毎度の甘々にお付き合いいただきありがとうございます^^;
そうそう、焼き直したことが否定になるのは那智さんらしいです!
そして、それを伝えるのも那智さんらしいといえばおっしゃる通りですし、優しいという視点もたしかに!です^^
ただ、これはわたし的な立場の人間に対してのものなので、好意的にお付き合いいただいているみなさんには、人並みに寛容ですので遠慮なくお付き合いいただければと願います(笑)
まったくいちいち面倒なカップルです(笑)