繋いだ手の行方
独特な幸福感
昨日の「繋いだ手」の続きです。
今度は、那智さんの考え方を。
「ずっと同じ方向を向いていたり手を繋いでいられるとは限らないよね。意見が食い違ったりしてお互い違う方向を向いて手が離れてしまうこともある。だから、何よりも『手を伸ばそう』と思うことが大事なんじゃないかな。」
ブログ上の那智さんの言葉って、いつもそうなんだけど、そんなような感じのこと言ってたという、わたしの記憶や解釈で書いてます。
だから、一言一句間違いなく那智さんから発せられたものというものでもないのです。
まあ、当たり前よね、録音してるわけじゃなし。
でも、かなり近いニュアンスで、時にはまったく同じということもあります。
わたしにとって大事な忘れたくない瞬間は、多分覚えてる。
那智さんに比べたら、わたしはずいぶんと記憶力がいいらしいのです。
で、上の言葉。
これも、昨日のエントリーで出しましたけど、これもかなり近いはずです。
でも、ちょっと違うんだ。
下書きで書いてたときには(ちょっと前)、手が離れてもまた繋げばいいということかと思って、そう書いておいたのだけど、そのあと会話して、ちょっとニュアンスが違うことがわかったの。
でも、直さなかった。
続き書こうと思ったから、直さなくてもいいやって^^;(単に面倒だった!?)
手が離れたら、また手を伸ばして繋げばいい。
そうじゃないのですって。
那智さんは。
手を離さないのですって。
「手を伸ばす」とは、びよ〜んって文字通り伸ばすこと。
妖怪みたいで美しい例えじゃないと本人も照れ笑いしてますけど。
言葉の上の感覚的なことなのだけど、那智さんにとって「手を離す」ということは、一瞬でも相手と向き合うことを「放棄」とか「諦め」たとかそういうことになるらしい。
誤解や問題が起きたとき。
ふっと違う方向に行ってしまいそうになったとき。
手にくっと力を入れて離さないのだ。
どんなに意見が食い違っても、手は離さない。
でも、決して無理に手を繋ぎ続けてるのでもなく手を伸ばす。
向き合い、お互い柔軟に発想を広げて、歩み寄れる場所を見つける。
もちろん、いつもいつもすぐ向き合う体勢が取れるわけじゃないから、「待ってて」ということで手を伸ばしたり、こちらも「待つ」とか「いい子でいる」とかで手を伸ばすのだ。
多分、那智さんにとって(わたしにとっても)、手を離した記憶は、一瞬でも向き合うことを放棄したという記憶になり心にシミを残すことになるのでしょう。
どんなに意見が食い違っても、手は離さない。
そういう意味で「手を伸ばす」だったのでした。
以前、別な例えをしたことがある。
互いの価値観が違ったらどうする?
そしたら、新しい価値観を作ればいい。
世界平和でもなんでもいいから、メチャクチャな観点からでもいいから、新しい価値観を作ればいい。
そんなふうに言われたこともあった。
「SMを意識するな」と、那智さんに言われ続けた。
それは、とても那智さんらしい。
恐らく、手を伸ばし新しい価値観を作ろうと考える那智さんらしい考え方のひとつ。(もともと既存のSMっぽいことが好きじゃないというのが一番の理由でしょうけど)
拘らないということのようです。
何かに拘ると、それ以外の価値観が生まれないから柔軟に形を変えていく、そういうことのよう。
多分、那智さんが唯一(唯一もちょっと大げさかな)最大に拘るのは、手を離さないことなのでしょう。
なにに拘るか。
なにを大事にするか。
多分、いまはずいぶんたくましくなれてると思うけど、わたしのような心にシミができちゃうとすぐシャッター閉めちゃうような情けない女には、手を離さずにいてくれることは、とてもありがたいことなのだ。
那智さんの拘りとわたしのウィークポイントが、きっとうまくはまってる。
相性なんて言ってしまえば、簡単なことだけど、那智さんのその考え方に、わたしはとても感謝しているのです。
昨日の「繋いだ手」の続きです。
今度は、那智さんの考え方を。
「ずっと同じ方向を向いていたり手を繋いでいられるとは限らないよね。意見が食い違ったりしてお互い違う方向を向いて手が離れてしまうこともある。だから、何よりも『手を伸ばそう』と思うことが大事なんじゃないかな。」
ブログ上の那智さんの言葉って、いつもそうなんだけど、そんなような感じのこと言ってたという、わたしの記憶や解釈で書いてます。
だから、一言一句間違いなく那智さんから発せられたものというものでもないのです。
まあ、当たり前よね、録音してるわけじゃなし。
でも、かなり近いニュアンスで、時にはまったく同じということもあります。
わたしにとって大事な忘れたくない瞬間は、多分覚えてる。
那智さんに比べたら、わたしはずいぶんと記憶力がいいらしいのです。
で、上の言葉。
これも、昨日のエントリーで出しましたけど、これもかなり近いはずです。
でも、ちょっと違うんだ。
下書きで書いてたときには(ちょっと前)、手が離れてもまた繋げばいいということかと思って、そう書いておいたのだけど、そのあと会話して、ちょっとニュアンスが違うことがわかったの。
でも、直さなかった。
続き書こうと思ったから、直さなくてもいいやって^^;(単に面倒だった!?)
手が離れたら、また手を伸ばして繋げばいい。
そうじゃないのですって。
那智さんは。
手を離さないのですって。
「手を伸ばす」とは、びよ〜んって文字通り伸ばすこと。
妖怪みたいで美しい例えじゃないと本人も照れ笑いしてますけど。
言葉の上の感覚的なことなのだけど、那智さんにとって「手を離す」ということは、一瞬でも相手と向き合うことを「放棄」とか「諦め」たとかそういうことになるらしい。
誤解や問題が起きたとき。
ふっと違う方向に行ってしまいそうになったとき。
手にくっと力を入れて離さないのだ。
どんなに意見が食い違っても、手は離さない。
でも、決して無理に手を繋ぎ続けてるのでもなく手を伸ばす。
向き合い、お互い柔軟に発想を広げて、歩み寄れる場所を見つける。
もちろん、いつもいつもすぐ向き合う体勢が取れるわけじゃないから、「待ってて」ということで手を伸ばしたり、こちらも「待つ」とか「いい子でいる」とかで手を伸ばすのだ。
多分、那智さんにとって(わたしにとっても)、手を離した記憶は、一瞬でも向き合うことを放棄したという記憶になり心にシミを残すことになるのでしょう。
どんなに意見が食い違っても、手は離さない。
そういう意味で「手を伸ばす」だったのでした。
以前、別な例えをしたことがある。
互いの価値観が違ったらどうする?
そしたら、新しい価値観を作ればいい。
世界平和でもなんでもいいから、メチャクチャな観点からでもいいから、新しい価値観を作ればいい。
そんなふうに言われたこともあった。
「SMを意識するな」と、那智さんに言われ続けた。
それは、とても那智さんらしい。
恐らく、手を伸ばし新しい価値観を作ろうと考える那智さんらしい考え方のひとつ。(もともと既存のSMっぽいことが好きじゃないというのが一番の理由でしょうけど)
拘らないということのようです。
何かに拘ると、それ以外の価値観が生まれないから柔軟に形を変えていく、そういうことのよう。
多分、那智さんが唯一(唯一もちょっと大げさかな)最大に拘るのは、手を離さないことなのでしょう。
なにに拘るか。
なにを大事にするか。
多分、いまはずいぶんたくましくなれてると思うけど、わたしのような心にシミができちゃうとすぐシャッター閉めちゃうような情けない女には、手を離さずにいてくれることは、とてもありがたいことなのだ。
那智さんの拘りとわたしのウィークポイントが、きっとうまくはまってる。
相性なんて言ってしまえば、簡単なことだけど、那智さんのその考え方に、わたしはとても感謝しているのです。
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