ありのまま
りん子的独り言(エラそう)
映画のヒットもあり『ありのまま』という言葉を見聞きすることが多くなった。
もともとは『素の自分』とか『全部さらけ出す』とか、そんな言葉で語られていたものだから、SMや主従の世界でも時々目にする。
で、わたしはこの『ありのまま』に懐疑的だ。
それは『ありのままでわたしを受け止めて』も『ありのままであなたでいい』も、『ありのまま』本体と『ありのまま』容認の他者、の両方に対して。
『ありのまま』って、何?!
『ありのまま』って、何?って聞かれて答えられるような簡単なものではないのと思うのだ。
わたしは那智さんに出会う前は自分が父性を求めているなんて思ってもみなかった。
那智さんに出会い、本に出会い、内省作業を重ね長い時間かけて知っていったことだ。
また、最近のわたしは問題が起こると、感情をコントロールし俯瞰して問題解決に取り組むことができている(当社比ね^^)。
以前なら、ぶつかるとすぐ凹んで泣きついて問題解決を依存先に求めていたわたしが、自分で考えられるようになっているのも新しい自分である。
人は変わるのだ。
成長するし、知らなかった自分を発見するし、逆に劣化もする。
わたしはこの自分を知っていくことが人生の醍醐味だと思っているのだけど、良くも悪くもいまの自分は生涯いまの自分ではない。
10年前と3年前といまのわたしの『ありのまま』は違うのだ、もちろん5年先のわたしも。
それを知っていると『ありのまま』とおいそれと言えるものじゃない。
わたし自身わからないことを他人にわかってもらおうなんて甘い考えは持てない。
たくさんの人やものから影響を受け、内省作業を重ねれば重ね、自分を知れば知るほど。
せいぜい言えるとするなら『いまの時点のありのまま』だ。
だから、『ありのまま』に代表される言葉を目にすると、その人は本当に自分の『ありのまま』を知っているのだろうかと訝しく思ってしまうし、仮に知らないのであれば、自分が知らないことは他者だってわからないだろうと『ありのまま』を受け止めなければならない受け皿に同情してしまう。
(あなた自身がわからないことはご主人様もわからないよ〜ってね^^;)
と思いつつ。
『ありのまま』を容認するご主人様を見ると同じように疑う気持ちになる。
じゃあ、何かい?
鼻くそほじほじしてテレビを見ながらおならしちゃう『ありのまま』も受け入れるのかい?
『いつも良い子を演じていて本当は泣きたいの』程度の『ありのまま』はあなたの都合のいい範囲の『ありのまま』なんだよ〜って思っちゃう(笑)
とにかく人はそんな単純なものではない。
どちらの立場でも『ありのまま』はそう簡単に口にできるものではないと思ってしまうから懐疑的なのだ。
ところで、そうはいってもあの歌の中で好きなところもある。
歌の最後の部分の
これでいいの 自分を好きになって
これでいいの 自分を信じて
の『自分を好きになって』のところだ。
わたしは那智さんの前では可愛い子ぶっている(笑)
以前、友達と一緒にいるところで後から那智さんが合流することがあったのだけど、遠目に見たわたしの印象が那智さんが日頃見ているわたしちは少し違ったそうだ。
だって、那智さんと一緒のわたしはぶりっ子してるもん、そりゃあ、多少は違うでしょ。
と、わたしも公言してしまうほど、だ。
(ですから、いつもご一緒いただく友達にはぶりっ子を許容していただき感謝しています^^)
那智さんの前にいるわたしは『ありのまま』の自分ではないことは那智さんもわかっている。
(ついでにいうと、友達と一緒にいる自分も『ありのまま』だとは思っていないよ、わたし、自分のありのまま、わからないからね)
じゃあ、なぜ、わたしは那智さんといて幸せなのだろう。
わたしは那智さんと一緒にいるときの自分が好きなのだ。
「わたしの排泄物はピンク色のハート形です」と言えちゃうわたしが。
手首を反らし恥ずかしそうにうつむく仕草をするわたしが!!
聞いて聞いてと、ときどきエラそうに主張するわたしが!!!
好きなのだ。
好きな自分でいることは気持ちいい。
そして、好きな自分でいさせてもらえることが幸福なのだ。
好きな自分でいられること。
この気持ちよさは『ありのまま』より気持ちいいかもしれないよ^^
<関連エントリー>
自分を知ること
海の底
チャット閉鎖に寄せて
ぶりっ子なんだよ〜
徒然に『ぶりっ子』
モテ仕草
ハート型でピンク色♪
「等式」感想です。「自分のことは自身がわからなければ、他者はもっとわからない」これはどうかな?わたしとりん子との間で自分ではわからないことを教えあったりしていると思う。何かりん子の勘違いか、真意が書けていないのではあろうか?(笑)勿論、総論は大きく同意します。
映画のヒットもあり『ありのまま』という言葉を見聞きすることが多くなった。
もともとは『素の自分』とか『全部さらけ出す』とか、そんな言葉で語られていたものだから、SMや主従の世界でも時々目にする。
で、わたしはこの『ありのまま』に懐疑的だ。
それは『ありのままでわたしを受け止めて』も『ありのままであなたでいい』も、『ありのまま』本体と『ありのまま』容認の他者、の両方に対して。
『ありのまま』って、何?!
『ありのまま』って、何?って聞かれて答えられるような簡単なものではないのと思うのだ。
わたしは那智さんに出会う前は自分が父性を求めているなんて思ってもみなかった。
那智さんに出会い、本に出会い、内省作業を重ね長い時間かけて知っていったことだ。
また、最近のわたしは問題が起こると、感情をコントロールし俯瞰して問題解決に取り組むことができている(当社比ね^^)。
以前なら、ぶつかるとすぐ凹んで泣きついて問題解決を依存先に求めていたわたしが、自分で考えられるようになっているのも新しい自分である。
人は変わるのだ。
成長するし、知らなかった自分を発見するし、逆に劣化もする。
わたしはこの自分を知っていくことが人生の醍醐味だと思っているのだけど、良くも悪くもいまの自分は生涯いまの自分ではない。
10年前と3年前といまのわたしの『ありのまま』は違うのだ、もちろん5年先のわたしも。
それを知っていると『ありのまま』とおいそれと言えるものじゃない。
わたし自身わからないことを他人にわかってもらおうなんて甘い考えは持てない。
たくさんの人やものから影響を受け、内省作業を重ねれば重ね、自分を知れば知るほど。
せいぜい言えるとするなら『いまの時点のありのまま』だ。
だから、『ありのまま』に代表される言葉を目にすると、その人は本当に自分の『ありのまま』を知っているのだろうかと訝しく思ってしまうし、仮に知らないのであれば、自分が知らないことは他者だってわからないだろうと『ありのまま』を受け止めなければならない受け皿に同情してしまう。
(あなた自身がわからないことはご主人様もわからないよ〜ってね^^;)
と思いつつ。
『ありのまま』を容認するご主人様を見ると同じように疑う気持ちになる。
じゃあ、何かい?
鼻くそほじほじしてテレビを見ながらおならしちゃう『ありのまま』も受け入れるのかい?
『いつも良い子を演じていて本当は泣きたいの』程度の『ありのまま』はあなたの都合のいい範囲の『ありのまま』なんだよ〜って思っちゃう(笑)
とにかく人はそんな単純なものではない。
どちらの立場でも『ありのまま』はそう簡単に口にできるものではないと思ってしまうから懐疑的なのだ。
ところで、そうはいってもあの歌の中で好きなところもある。
歌の最後の部分の
これでいいの 自分を好きになって
これでいいの 自分を信じて
の『自分を好きになって』のところだ。
わたしは那智さんの前では可愛い子ぶっている(笑)
以前、友達と一緒にいるところで後から那智さんが合流することがあったのだけど、遠目に見たわたしの印象が那智さんが日頃見ているわたしちは少し違ったそうだ。
だって、那智さんと一緒のわたしはぶりっ子してるもん、そりゃあ、多少は違うでしょ。
と、わたしも公言してしまうほど、だ。
(ですから、いつもご一緒いただく友達にはぶりっ子を許容していただき感謝しています^^)
那智さんの前にいるわたしは『ありのまま』の自分ではないことは那智さんもわかっている。
(ついでにいうと、友達と一緒にいる自分も『ありのまま』だとは思っていないよ、わたし、自分のありのまま、わからないからね)
じゃあ、なぜ、わたしは那智さんといて幸せなのだろう。
わたしは那智さんと一緒にいるときの自分が好きなのだ。
「わたしの排泄物はピンク色のハート形です」と言えちゃうわたしが。
手首を反らし恥ずかしそうにうつむく仕草をするわたしが!!
聞いて聞いてと、ときどきエラそうに主張するわたしが!!!
好きなのだ。
好きな自分でいることは気持ちいい。
そして、好きな自分でいさせてもらえることが幸福なのだ。
好きな自分でいられること。
この気持ちよさは『ありのまま』より気持ちいいかもしれないよ^^
<関連エントリー>
自分を知ること
海の底
チャット閉鎖に寄せて
ぶりっ子なんだよ〜
徒然に『ぶりっ子』
モテ仕草
ハート型でピンク色♪
「等式」感想です。「自分のことは自身がわからなければ、他者はもっとわからない」これはどうかな?わたしとりん子との間で自分ではわからないことを教えあったりしていると思う。何かりん子の勘違いか、真意が書けていないのではあろうか?(笑)勿論、総論は大きく同意します。
- 関連記事
-
- ついったーをしないわけ 2010/07/27
- 未経験がいい理由 2011/07/11
- 罪悪感 2013/10/04
COMMENT
りん子さん、初めまして。
同感です^^
「ありのまま」を容認し合うことがいかにも美徳って感じの文章を見かけますが、私も、そうかなぁ?って思うクチで。
私にも、「彼」がいるのですが、彼の前では、私が理想とする「イイ女」で居させて貰えるので、最高に幸せを感じています。
同感です^^
「ありのまま」を容認し合うことがいかにも美徳って感じの文章を見かけますが、私も、そうかなぁ?って思うクチで。
私にも、「彼」がいるのですが、彼の前では、私が理想とする「イイ女」で居させて貰えるので、最高に幸せを感じています。
すぴかさん
はじめまして、ようこそおいでくださいました♪
ご理解いただきうれしいです!!
ね、人によっては、ありのままの姿を見せられていると思えて、それで幸福に思えている人もいるかもしれないですけど、わたし鼻ほじほじを見せても幸福には思えそうにありません(笑)
好きな男の前で「いい女」でいられる。
「いい女」で居続けることができるのは、それが気持ちいいし、いい女でいさせてくれる彼の魅力もあるのかなって思いました(^-^)
不定期更新になりましたけど、よかったらまたいらしてくださいねー!
はじめまして、ようこそおいでくださいました♪
ご理解いただきうれしいです!!
ね、人によっては、ありのままの姿を見せられていると思えて、それで幸福に思えている人もいるかもしれないですけど、わたし鼻ほじほじを見せても幸福には思えそうにありません(笑)
好きな男の前で「いい女」でいられる。
「いい女」で居続けることができるのは、それが気持ちいいし、いい女でいさせてくれる彼の魅力もあるのかなって思いました(^-^)
不定期更新になりましたけど、よかったらまたいらしてくださいねー!
わたしは那智さんと一緒にいるときの自分が好きなのだ。
これこれ!ここの部分、大切ですよね。
これこれ!ここの部分、大切ですよね。
あこさん
でしょーーー^^
きっと、こっちのほうが気持ちいいと思うんだよね^^
でしょーーー^^
きっと、こっちのほうが気持ちいいと思うんだよね^^
「その人にだけは安心して出せる部分」
なのかなーとこのエントリをみて思いました。
実際問題
通行人Aとかなら兎も角
お食事やお茶などに他の人が同席とかなると
多分私は「暁さんの前の灯里」じゃなくて「通常営業の灯里」にマルッと変わる気がします。
外野がいるとダメなんですよねーw
なのかなーとこのエントリをみて思いました。
実際問題
通行人Aとかなら兎も角
お食事やお茶などに他の人が同席とかなると
多分私は「暁さんの前の灯里」じゃなくて「通常営業の灯里」にマルッと変わる気がします。
外野がいるとダメなんですよねーw
灯里さん
たしかに、ふたりだけでいるときと同じものはふたりだけのときにしか作れないよね。
わたしの場合は特に性的な部分において、そこは顕著だなと思います。
ただ、わたし、那智さんとふたりのときもかなりぶりっ子してまして(笑)ぶりっ子っていうのは案外神経使うわけで(笑)じつは友人と一緒にご飯なんてときと大きく違わなかったりします(笑)
でも、そのわたしが好きなんだなぁ。
灯里さんはね、きっと暁さんといると本当に緩められるのでしょうから、ふたりだけで味わえる『灯里さん』を飽きるほど味わってほしいなーと思います(^-^)
たしかに、ふたりだけでいるときと同じものはふたりだけのときにしか作れないよね。
わたしの場合は特に性的な部分において、そこは顕著だなと思います。
ただ、わたし、那智さんとふたりのときもかなりぶりっ子してまして(笑)ぶりっ子っていうのは案外神経使うわけで(笑)じつは友人と一緒にご飯なんてときと大きく違わなかったりします(笑)
でも、そのわたしが好きなんだなぁ。
灯里さんはね、きっと暁さんといると本当に緩められるのでしょうから、ふたりだけで味わえる『灯里さん』を飽きるほど味わってほしいなーと思います(^-^)
りん子さん、はじめまして。等式、少し前から気まぐれに読ませて頂いています。
私たちは、少し変わった主従関係を築いていて(普段は恋人で、時々主従)、そのこととか諸々迷ってる最中に等式を見つけました。りん子さんも那智さんも、私やパートナーと全然違うかた達だし、当然在り方も私たちとは全く違うのに、なぜかすごく憧れの気持ちを持ちました。
その憧れの理由が、りん子さん那智さんの関係を、きちんと理解できてないかもしれないのにこう言うのは失礼ですが、「ありのまま」だからだと思うんです。というより、ありのままで幸せに見えるから、だと思います。
いろんな葛藤とか、嫌な気持ちとか、きっと恥ずかしくて見せたくない部分とか、そういうのもさらけだしてお二人の関係を築いていらっしゃる。それを、私はありのままだと感じ、羨ましく思い、そして、私たちは私達の関係を見つければ良いんだと思えるようになりました。
りん子さんと那智さんの関係は、私にすごく勇気を下さいました。
それと、エントリーから少しずれますが、りん子さんが悩んだり苦しんだり泣いたりされながら那智さんと進んで行かれる姿は、私個人としても勇気を頂いています。私、嫌な意味のプライドが高いんです。劣等感も。惨めな姿を見せたり、ということに恐れを感じます。けれど、(失礼でごめんなさい!)りん子さんはきっと大好きな人に見せたくない部分にも向き合い、那智さんにも見せて、前へ進んでいらっしゃる。それが、なんというか...みっともない、それこそ最低な自分でも、見せて良いんだ、知ってもらうことでスタートできる、変われるんだと思えるというか。もちろん、私のパートナーは私にとってかけがえのない、最初で最後の生涯の相棒だと互いに思っています。それでも、怖かったんですけど、等式のお陰で今、少しずつ踏み出せています。
長文ごめんなさい。それと、失礼な部分があったら本当にすみません(>_<)
私たちは、少し変わった主従関係を築いていて(普段は恋人で、時々主従)、そのこととか諸々迷ってる最中に等式を見つけました。りん子さんも那智さんも、私やパートナーと全然違うかた達だし、当然在り方も私たちとは全く違うのに、なぜかすごく憧れの気持ちを持ちました。
その憧れの理由が、りん子さん那智さんの関係を、きちんと理解できてないかもしれないのにこう言うのは失礼ですが、「ありのまま」だからだと思うんです。というより、ありのままで幸せに見えるから、だと思います。
いろんな葛藤とか、嫌な気持ちとか、きっと恥ずかしくて見せたくない部分とか、そういうのもさらけだしてお二人の関係を築いていらっしゃる。それを、私はありのままだと感じ、羨ましく思い、そして、私たちは私達の関係を見つければ良いんだと思えるようになりました。
りん子さんと那智さんの関係は、私にすごく勇気を下さいました。
それと、エントリーから少しずれますが、りん子さんが悩んだり苦しんだり泣いたりされながら那智さんと進んで行かれる姿は、私個人としても勇気を頂いています。私、嫌な意味のプライドが高いんです。劣等感も。惨めな姿を見せたり、ということに恐れを感じます。けれど、(失礼でごめんなさい!)りん子さんはきっと大好きな人に見せたくない部分にも向き合い、那智さんにも見せて、前へ進んでいらっしゃる。それが、なんというか...みっともない、それこそ最低な自分でも、見せて良いんだ、知ってもらうことでスタートできる、変われるんだと思えるというか。もちろん、私のパートナーは私にとってかけがえのない、最初で最後の生涯の相棒だと互いに思っています。それでも、怖かったんですけど、等式のお陰で今、少しずつ踏み出せています。
長文ごめんなさい。それと、失礼な部分があったら本当にすみません(>_<)
ハルさん
はじめまして、ようこそおいでくださいました♪
生涯の相棒ってステキな表現だなって思いました。
そんな方からコメントをいただけてうれしいですし、もし何かのヒントになれば光栄です。
いろいろな種類のエントリーがありますのでマイペースで楽しんでくださいね!
わたしはもともとマゾ的な性癖を持っていて、奴隷に象徴されるようなものに憧れを抱いていましたが、那智さんの考えに沿うように何かの形に当てはめることに意味はないと(最近やっと 笑)思えるようになりました^^
誰かが作った既存のものではない、自分たちだけの関係であるほうがずっと自由だし、ホントにほしいものが手に入るのではないかと思います。
(『主従』という形に当てはめることで自由を感じる人もいるの思うので、それは否定しません^^)
生涯の相棒はまさにハルさんたちだけのものに感じます^^
葛藤や嫌な気持ちを表に出すことは勇気がいりますね。
嫌われなくないし、相手にも嫌な思いをさせたくない。
でも、この人とは誠実に付き合いたいと思うほど、それらは伝えるべきものなのだろうなと思います。
わたしたちの場合は、そこに『互いに悪意はない』『相手に優しくありたい』という根底の共通認識を持って、伝えるようにしています。
そうすると、嫌な気持ちを伝えるとしても言葉選びなど工夫できるから無理なくできるように思います。
それが性的な場面のことであっても同じ共通認識でいるのですが、恥ずかしい姿やみじめな姿を受け入れ、晒す勇気はなかなか持てるものではないですよね。
わたしも何度も自己嫌悪に陥り、揺り戻しで那智さんに話しを聞いてもらいました。
やはり、そこにも『相手に悪意はない』という認識があれば、みじめな姿も愛してもらえるという意識を徐々に持てるように思います。
(SM的行為って『蔑む』場合が多いから、蔑むと愛してもらうの矛盾が生じちゃうんですよね、だから、わたしたちの場合は『可愛がるSM』なんていって矛盾しないようにしています^^;)
ひとつ大事なことがあって、わたしもかなりプライドもあるし羞恥心も強いので、恥ずかしい姿を晒すのはハードルが高かったのですが、根底にマゾ的嗜好があり『みじめな自分に興奮する』種のようなものがありました。
だから、ものすごく抵抗感があっても、どこかでそれを望んでいて、那智さんに叶えてもらっている側面もあるのです。
ハルさんにもその嗜好があれば、よいのだけど、もし違うようであれば、性的な場面でみじめな自分を受け入れることはなかなか大変そうな気がしますので、パートナーさんとゆっくり進めていかれるといいなと思います^^
わたしこそ、的外れなことを言ってしまっているかもしれないですね^^
ハルさんは失礼なことなどひとつもないので安心してください。
悪意なく、です^^
よかったら、これからも『これ!』と思うものがあったら、コメント大歓迎です^^
よろしくお願いします♪
はじめまして、ようこそおいでくださいました♪
生涯の相棒ってステキな表現だなって思いました。
そんな方からコメントをいただけてうれしいですし、もし何かのヒントになれば光栄です。
いろいろな種類のエントリーがありますのでマイペースで楽しんでくださいね!
わたしはもともとマゾ的な性癖を持っていて、奴隷に象徴されるようなものに憧れを抱いていましたが、那智さんの考えに沿うように何かの形に当てはめることに意味はないと(最近やっと 笑)思えるようになりました^^
誰かが作った既存のものではない、自分たちだけの関係であるほうがずっと自由だし、ホントにほしいものが手に入るのではないかと思います。
(『主従』という形に当てはめることで自由を感じる人もいるの思うので、それは否定しません^^)
生涯の相棒はまさにハルさんたちだけのものに感じます^^
葛藤や嫌な気持ちを表に出すことは勇気がいりますね。
嫌われなくないし、相手にも嫌な思いをさせたくない。
でも、この人とは誠実に付き合いたいと思うほど、それらは伝えるべきものなのだろうなと思います。
わたしたちの場合は、そこに『互いに悪意はない』『相手に優しくありたい』という根底の共通認識を持って、伝えるようにしています。
そうすると、嫌な気持ちを伝えるとしても言葉選びなど工夫できるから無理なくできるように思います。
それが性的な場面のことであっても同じ共通認識でいるのですが、恥ずかしい姿やみじめな姿を受け入れ、晒す勇気はなかなか持てるものではないですよね。
わたしも何度も自己嫌悪に陥り、揺り戻しで那智さんに話しを聞いてもらいました。
やはり、そこにも『相手に悪意はない』という認識があれば、みじめな姿も愛してもらえるという意識を徐々に持てるように思います。
(SM的行為って『蔑む』場合が多いから、蔑むと愛してもらうの矛盾が生じちゃうんですよね、だから、わたしたちの場合は『可愛がるSM』なんていって矛盾しないようにしています^^;)
ひとつ大事なことがあって、わたしもかなりプライドもあるし羞恥心も強いので、恥ずかしい姿を晒すのはハードルが高かったのですが、根底にマゾ的嗜好があり『みじめな自分に興奮する』種のようなものがありました。
だから、ものすごく抵抗感があっても、どこかでそれを望んでいて、那智さんに叶えてもらっている側面もあるのです。
ハルさんにもその嗜好があれば、よいのだけど、もし違うようであれば、性的な場面でみじめな自分を受け入れることはなかなか大変そうな気がしますので、パートナーさんとゆっくり進めていかれるといいなと思います^^
わたしこそ、的外れなことを言ってしまっているかもしれないですね^^
ハルさんは失礼なことなどひとつもないので安心してください。
悪意なく、です^^
よかったら、これからも『これ!』と思うものがあったら、コメント大歓迎です^^
よろしくお願いします♪
りん子さん、夜分にすみません。そしてお返事ありがとうございます。
私たちは、どちらも相手を尊重しようとして自分を軽んじる悪癖があります。特に相棒は本当に酷いです。それじゃ駄目だと二人で頑張ってるけど、簡単には変われなくて色んな時に何度も壁に激突をくりかえしています。
その中で、私が抱える嫌なものに気付きました。嫌な意味でのプライド、劣等感、可愛いで済まないワガママ(というか感情の制御ができない)などです。
相棒は呼吸するように我慢を続けては自分を傷つけるから、本当は我慢させたくないんです。でも相棒の好きなものは私が嫌い。独りにされて寂しいからです。待っている間に寂しくてイライラして八つ当たりしてしまい、それでまた我慢させてしまう。今日読んだ中で、本当の気持ちを伝える重要さが書かれた記事がありました。これだと思いました。イライラは二次的な感情。八つ当たりしながらもそれが嫌で悲しくなるのは、相棒を傷つけるための言葉を吐いてるからだと。
でもそれだけじゃなくって、私の中に、多分すごく醜くて嫌な私がまだいるってことも気付きました。自尊心とかの源はそこで、それをまず自分が理解し、相棒に伝え改善していかないとならないと感じました。でも、恐ろしいです。SMでは、無様な所を見られるのは平気だし、それを蔑まれることに強い快楽を得る私ですが...日常で汚い嫌な自分を見られるのはとても怖い。
それでも、私たちには必要だから、また相手を信じ委ねる勇気をもらいに、等式にお邪魔します。
ああ、何を言いたいんだかぐちゃぐちゃになってしまいました。長文、乱文をお許しください。
私たちは、どちらも相手を尊重しようとして自分を軽んじる悪癖があります。特に相棒は本当に酷いです。それじゃ駄目だと二人で頑張ってるけど、簡単には変われなくて色んな時に何度も壁に激突をくりかえしています。
その中で、私が抱える嫌なものに気付きました。嫌な意味でのプライド、劣等感、可愛いで済まないワガママ(というか感情の制御ができない)などです。
相棒は呼吸するように我慢を続けては自分を傷つけるから、本当は我慢させたくないんです。でも相棒の好きなものは私が嫌い。独りにされて寂しいからです。待っている間に寂しくてイライラして八つ当たりしてしまい、それでまた我慢させてしまう。今日読んだ中で、本当の気持ちを伝える重要さが書かれた記事がありました。これだと思いました。イライラは二次的な感情。八つ当たりしながらもそれが嫌で悲しくなるのは、相棒を傷つけるための言葉を吐いてるからだと。
でもそれだけじゃなくって、私の中に、多分すごく醜くて嫌な私がまだいるってことも気付きました。自尊心とかの源はそこで、それをまず自分が理解し、相棒に伝え改善していかないとならないと感じました。でも、恐ろしいです。SMでは、無様な所を見られるのは平気だし、それを蔑まれることに強い快楽を得る私ですが...日常で汚い嫌な自分を見られるのはとても怖い。
それでも、私たちには必要だから、また相手を信じ委ねる勇気をもらいに、等式にお邪魔します。
ああ、何を言いたいんだかぐちゃぐちゃになってしまいました。長文、乱文をお許しください。
ハルさん
ハルさんのコメントを読んで思い浮かんだことをお返事にしますね。
わたしたちのことなのでコメントのお返事になっていないかもしれないし、的外れかもしれないけど^^;
わたしもええかっこしいである意味プライド高いし、意地悪だし、ずるいこと考えるし(笑)
ぜんぜん良い人間ではありません。
那智さんにも「りん子は性格悪い(笑)」といわれたりもします^^;
那智さんに対しては、『一瞬湧く悪感情』(カチンと来るとか、ムッとしてヘソ曲げそうになるとか)があったとしても『互いに悪意はない』前提に立てるようになれているので、いまはもうほとんどその気持ちを沈めることができていますが、それまではやはり気持ちの持っていきように困ることもありました。
で、、そんなとき、わたしはどうしていただろうと思い返してみました。
たぶん、わたしは悪感情を『お話し』しているんです、『ぶつける』のではなくて。
ニュアンスのことなのでご理解いただきにくいかもしれないけど。
これには主にふたつのやり方がありまして。
ひとつは、エントリーにもなっているけど、わたしはできるだけ『優しいほうを選ぶ』ようにしています。
那智さんのおしっこを飲んだとき、『まずい』と感じても「飲みにくかった」「今日は苦手な味だった」と表現を柔らかくします。
このように、いくつか選択肢があれば優しいほうを選びます。
それと、悪感情はできるだけ時間を置いてから話します。
その場では『悪意はないのだ』と一旦治め、時期を見て「あのときの◯◯は悲しかったです」というよに話します。
(これは数日、数ヶ月先の場合もあるけど、1分後でもありです^^)
一旦治めることで、ぶつけずにお話しできます。
このふたつを無意識に意識してきたように思います。
だからね、もしかしたら、ハルさんが思うほど『ありのまま』ではないかもしれません^^
感情ぶつけてないから^^;
ただ、ありのままがあるとするなら、わたし(たち)のそれは『相手に優しくしていたい』ことかな。
たとえば、プライドが邪魔をして素直な気持ちが言えないようなことがあるとしたら、わたしだったら、優しい表現を選び、一旦治めてから「本当は◯◯だと思っているんだ」と伝えるようにするかな〜。
と、以上が思い浮かんだことです^^
ハルさんの伝えないといけないと感じている醜い?感情も、どうしたら相棒さんに『良い形』で伝えられるか工夫できたらいいですね^^
何かお役に立てるなら、どんどん『等式』使ってくださいませ〜^^
ハルさんのコメントを読んで思い浮かんだことをお返事にしますね。
わたしたちのことなのでコメントのお返事になっていないかもしれないし、的外れかもしれないけど^^;
わたしもええかっこしいである意味プライド高いし、意地悪だし、ずるいこと考えるし(笑)
ぜんぜん良い人間ではありません。
那智さんにも「りん子は性格悪い(笑)」といわれたりもします^^;
那智さんに対しては、『一瞬湧く悪感情』(カチンと来るとか、ムッとしてヘソ曲げそうになるとか)があったとしても『互いに悪意はない』前提に立てるようになれているので、いまはもうほとんどその気持ちを沈めることができていますが、それまではやはり気持ちの持っていきように困ることもありました。
で、、そんなとき、わたしはどうしていただろうと思い返してみました。
たぶん、わたしは悪感情を『お話し』しているんです、『ぶつける』のではなくて。
ニュアンスのことなのでご理解いただきにくいかもしれないけど。
これには主にふたつのやり方がありまして。
ひとつは、エントリーにもなっているけど、わたしはできるだけ『優しいほうを選ぶ』ようにしています。
那智さんのおしっこを飲んだとき、『まずい』と感じても「飲みにくかった」「今日は苦手な味だった」と表現を柔らかくします。
このように、いくつか選択肢があれば優しいほうを選びます。
それと、悪感情はできるだけ時間を置いてから話します。
その場では『悪意はないのだ』と一旦治め、時期を見て「あのときの◯◯は悲しかったです」というよに話します。
(これは数日、数ヶ月先の場合もあるけど、1分後でもありです^^)
一旦治めることで、ぶつけずにお話しできます。
このふたつを無意識に意識してきたように思います。
だからね、もしかしたら、ハルさんが思うほど『ありのまま』ではないかもしれません^^
感情ぶつけてないから^^;
ただ、ありのままがあるとするなら、わたし(たち)のそれは『相手に優しくしていたい』ことかな。
たとえば、プライドが邪魔をして素直な気持ちが言えないようなことがあるとしたら、わたしだったら、優しい表現を選び、一旦治めてから「本当は◯◯だと思っているんだ」と伝えるようにするかな〜。
と、以上が思い浮かんだことです^^
ハルさんの伝えないといけないと感じている醜い?感情も、どうしたら相棒さんに『良い形』で伝えられるか工夫できたらいいですね^^
何かお役に立てるなら、どんどん『等式』使ってくださいませ〜^^