成長を畏れない
りん子的独り言(生意気)
美容院でカットしてもらっていたら、那智さんから文字が来る。
「りん子は、いつになったら自信が持てる?」
「那智さんに出会うのに30数年かかったから、あと30数年後かな(笑)」
「70になったらってこと!?ふっざけるな!!(笑)」
そうやって、ずっと暗闇の安息を抱えた私を、笑い飛ばしていてくださいと願うのだ。
もう自信持てた?(笑)
これはあのエントリーだ。
わたしの中では傑作のひとつ。
ランダムの関連記事のおかげか過去エントリーを読む機会も増えているのかな。
自信、持てているだろうか。
いや、エントリーにも書いてあるけど、自信がないわけではなくて、わたしを苦しめたのは『愛されるに値する価値がない』と思うことだった。
だから、自信というより『愛される価値がない』と思うことだとすると、最近は思えるようになれているかな。
那智さんだけではなく、他の人からも、やっと。
でも、結局、いつも那智さんに甘えているから、むしろ『自信(自立の自信かな)』はどうかな〜。
みたいなことをぐるぐるお返事する。
(相変わらず、くどい^^;)
そうしているうちに、その頃を振り返ってみた。
たしかに、ヨワヨワだったな〜。
何かっていうとすぐメソメソぐずぐずして、泣きついて。
那智さんにわたしを尊重して愛してと飢えた子どものように求めていた。
あの頃のわたしは本当に弱かった、そして、那智さんだけが頼りだった。
面倒だったと思うけど、反面、きっと可愛かっただろうなとも思う。
那智さんがいないと生きていかれないような不安定さは、与えるもの好きな那智さんからしたら、実はかなりの魅力だったのではないかとさえ思うほど。
教育の賜物でずいぶん強くなり、自信もつき、愛される価値があると(一部からね^^;)思えるようになったわたしはとても生きやすくなってきたけれど、あのときの可愛さはなくなってきてしまったなと思う。
ちょっとだけ残念な、気持ち。
成長は幸福だ。
だけど、不安定ゆえの苦しさは支えてくれる人がいるのであれば、実は甘美なものだったのだと思う。
那智さんの意思で力で成長できるよろこびと、弱さゆえの庇護が得られなくなる残念さが、ある時期、ジレンマだった。
いつまでも那智さんの手がかかる『女の子』でいたい、でも、否応なく成長しているし、成長こそが那智さんのよろこびでもあるはずで、切ないほどのジレンマ。
その葛藤を『感性』なんてエントリーにしたりして、なんとか折り合いをつけてきたけど、昔のエントリーに触れたことでじわりと蘇ってきたのだった。
つい、甘えて
昔のわたしは可愛かったですねー(笑)
なんて送ってしまう。
すると
そうだね〜、今はかわいくて、たよりになるね〜
とお返事をくれた。
ああ、よかった。
そんなふうに言ってくれて。
そして、思う。
そうだ、いまのわたしは弱くない。
ずいぶん、ひとりで考え判断できるようになり、ときには那智さんを支える役割も担えている。
だから、昔の可愛さは減っているはずだけど、でも、いまのわたしの可愛さは別のところにあると思うのだ。
そもそも『育てたものの自負』として、『可愛い』は存在するのではないか。
それは我が子の成長を目を細めて見守るような『愛おしさ』。
なにかあったら『那智さんならどうするか』を指針にしているわたしの存在は、きっと可愛い。
わたしが育ててもらった恩義を忘れないでいるように、『育てたものの自負』も存在していると信じている。
そして、何より、わたしはまた育てられているじゃないか。
那智さんに『可愛がってもらえない』と情緒不安定になるほど困るわたし、を。
これは新たな可愛さを生んでいると思う。
(さっきから自分を『可愛い』と連呼しているのはお許しください^^;那智さんにとって、ですから^^;)
那智さんにとって「抱いてくれないと困ります;;」と泣いて訴える存在は、たぶん、きっと可愛い。
淫乱に仕上げた結果も『あなたが必要』であり、可愛いということに於いては弱さゆえの可愛さと、そう変わらないのではないだろうか!!
わたしのような女は『女の子』でいたい。
厳密にいうと『女の子』は小さい子とは違う意味合いだけど、それでも、弱くてメソメソしてお父さんだけが頼りのような娘的状態は幸福だ。
まったくバカなんだから(笑)と苦笑して子ども扱いしてほしいと思ってしまう。
だから、成長をためらう気持ちがどこかである。
何でも問えば必ず答えてくれて、判断してくれる那智さんだから、成長なんてしないで、ずっと問い続け答えを待ち続けたいと思ってしまう。
考えるのを放棄したくなるほど。
だけど、那智さんはわたしを『自分で判断できる人』に育てたから、自分で考えられちゃうし、答えを出せてしまう、否応なく(笑)
でも、大丈夫。
可愛いの種類はたくさんある。
大人になっても、しっかりできても、成長しても、可愛いと思われて『よしよし』の対象であり続けることは可能だ。
だから、成長を畏れるのはやめよう。
自分の足で立って自信を持って生きやすくなれることをためらうのはよそう。
子ども扱いは甘美だ。
育て好きの那智さんだからなおのこと。
だけど、大人の女で可愛いと思われるなんてカテゴリだって存在するのだから、安心して。
生きやすさと可愛がられると両立させるのだ。
だから、成長は畏れない。
と、付き合って12年、いい年した女であるのに『可愛い』を求める無謀さは自覚しています、たぶん(笑)
<関連エントリー>
あのエントリー
暗闇の安息
感性1 2 3
女の子
女の子の正体(仮)
恩義
「等式」感想です。久しぶりに「重いの」来ました。(笑)矛盾の無い関係性を構築出来たことがうれしく、しあわせだ。
美容院でカットしてもらっていたら、那智さんから文字が来る。
「りん子は、いつになったら自信が持てる?」
「那智さんに出会うのに30数年かかったから、あと30数年後かな(笑)」
「70になったらってこと!?ふっざけるな!!(笑)」
そうやって、ずっと暗闇の安息を抱えた私を、笑い飛ばしていてくださいと願うのだ。
もう自信持てた?(笑)
これはあのエントリーだ。
わたしの中では傑作のひとつ。
ランダムの関連記事のおかげか過去エントリーを読む機会も増えているのかな。
自信、持てているだろうか。
いや、エントリーにも書いてあるけど、自信がないわけではなくて、わたしを苦しめたのは『愛されるに値する価値がない』と思うことだった。
だから、自信というより『愛される価値がない』と思うことだとすると、最近は思えるようになれているかな。
那智さんだけではなく、他の人からも、やっと。
でも、結局、いつも那智さんに甘えているから、むしろ『自信(自立の自信かな)』はどうかな〜。
みたいなことをぐるぐるお返事する。
(相変わらず、くどい^^;)
そうしているうちに、その頃を振り返ってみた。
たしかに、ヨワヨワだったな〜。
何かっていうとすぐメソメソぐずぐずして、泣きついて。
那智さんにわたしを尊重して愛してと飢えた子どものように求めていた。
あの頃のわたしは本当に弱かった、そして、那智さんだけが頼りだった。
面倒だったと思うけど、反面、きっと可愛かっただろうなとも思う。
那智さんがいないと生きていかれないような不安定さは、与えるもの好きな那智さんからしたら、実はかなりの魅力だったのではないかとさえ思うほど。
教育の賜物でずいぶん強くなり、自信もつき、愛される価値があると(一部からね^^;)思えるようになったわたしはとても生きやすくなってきたけれど、あのときの可愛さはなくなってきてしまったなと思う。
ちょっとだけ残念な、気持ち。
成長は幸福だ。
だけど、不安定ゆえの苦しさは支えてくれる人がいるのであれば、実は甘美なものだったのだと思う。
那智さんの意思で力で成長できるよろこびと、弱さゆえの庇護が得られなくなる残念さが、ある時期、ジレンマだった。
いつまでも那智さんの手がかかる『女の子』でいたい、でも、否応なく成長しているし、成長こそが那智さんのよろこびでもあるはずで、切ないほどのジレンマ。
その葛藤を『感性』なんてエントリーにしたりして、なんとか折り合いをつけてきたけど、昔のエントリーに触れたことでじわりと蘇ってきたのだった。
つい、甘えて
昔のわたしは可愛かったですねー(笑)
なんて送ってしまう。
すると
そうだね〜、今はかわいくて、たよりになるね〜
とお返事をくれた。
ああ、よかった。
そんなふうに言ってくれて。
そして、思う。
そうだ、いまのわたしは弱くない。
ずいぶん、ひとりで考え判断できるようになり、ときには那智さんを支える役割も担えている。
だから、昔の可愛さは減っているはずだけど、でも、いまのわたしの可愛さは別のところにあると思うのだ。
そもそも『育てたものの自負』として、『可愛い』は存在するのではないか。
それは我が子の成長を目を細めて見守るような『愛おしさ』。
なにかあったら『那智さんならどうするか』を指針にしているわたしの存在は、きっと可愛い。
わたしが育ててもらった恩義を忘れないでいるように、『育てたものの自負』も存在していると信じている。
そして、何より、わたしはまた育てられているじゃないか。
那智さんに『可愛がってもらえない』と情緒不安定になるほど困るわたし、を。
これは新たな可愛さを生んでいると思う。
(さっきから自分を『可愛い』と連呼しているのはお許しください^^;那智さんにとって、ですから^^;)
那智さんにとって「抱いてくれないと困ります;;」と泣いて訴える存在は、たぶん、きっと可愛い。
淫乱に仕上げた結果も『あなたが必要』であり、可愛いということに於いては弱さゆえの可愛さと、そう変わらないのではないだろうか!!
わたしのような女は『女の子』でいたい。
厳密にいうと『女の子』は小さい子とは違う意味合いだけど、それでも、弱くてメソメソしてお父さんだけが頼りのような娘的状態は幸福だ。
まったくバカなんだから(笑)と苦笑して子ども扱いしてほしいと思ってしまう。
だから、成長をためらう気持ちがどこかである。
何でも問えば必ず答えてくれて、判断してくれる那智さんだから、成長なんてしないで、ずっと問い続け答えを待ち続けたいと思ってしまう。
考えるのを放棄したくなるほど。
だけど、那智さんはわたしを『自分で判断できる人』に育てたから、自分で考えられちゃうし、答えを出せてしまう、否応なく(笑)
でも、大丈夫。
可愛いの種類はたくさんある。
大人になっても、しっかりできても、成長しても、可愛いと思われて『よしよし』の対象であり続けることは可能だ。
だから、成長を畏れるのはやめよう。
自分の足で立って自信を持って生きやすくなれることをためらうのはよそう。
子ども扱いは甘美だ。
育て好きの那智さんだからなおのこと。
だけど、大人の女で可愛いと思われるなんてカテゴリだって存在するのだから、安心して。
生きやすさと可愛がられると両立させるのだ。
だから、成長は畏れない。
と、付き合って12年、いい年した女であるのに『可愛い』を求める無謀さは自覚しています、たぶん(笑)
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あのエントリー
暗闇の安息
感性1 2 3
女の子
女の子の正体(仮)
恩義
「等式」感想です。久しぶりに「重いの」来ました。(笑)矛盾の無い関係性を構築出来たことがうれしく、しあわせだ。
COMMENT
好きな男からは いつまで~も可愛いと思われたいと願うのは、わたしも一緒です。
え、無謀なの?(笑)
わたしは『可愛いおばあちゃん』にもなりたいとも思っています。
え、無謀なの?(笑)
わたしは『可愛いおばあちゃん』にもなりたいとも思っています。
あこさん
無謀じゃないね!?
うん、無謀じゃない!!
好きな男から、だもん^^
『可愛いおばあちゃん』、いいね〜。
わたしも目指そう^^
無謀じゃないね!?
うん、無謀じゃない!!
好きな男から、だもん^^
『可愛いおばあちゃん』、いいね〜。
わたしも目指そう^^