「いく」という悪しき慣行
140字もどき
わたしは性の達人でもないし医学的なこともまったく知りません、ただひたすらわたしの経験と想像だけで書きます。
ですから、断定して書きますが、その状況に当てはまっている人を否定しているわけではありません。
『140字もどき』だから、いろいろ大目に見てね^^
男性の射精の『いく』が『上り詰め、頂点に達して、落ちる』だとしたら、女性にとってのそれはクリトリスでオーガズムを得ることだ。
これを『いく』とするならば、それ以外の『いく』表記はすべて違うものだと思っておいたほうがいい。
中でいく、脳でいく、声を聞いただけでいく、これらはどれも射精やクリトリスのように明確に体が頂点に達して(落ちる)わけではないのだ。
中でいくのは当たる場所によってはそれに近いものもあるし、セックスの体位によってはクリトリスも刺激してそのいくと混ざって『いく』になる場合もあるし、最近ではおまんこの周り全体がクリトリスのような快感を得るようになっているので、セックスをしながらおまんこ全体がクリトリスのいくに近い状態になることはあるけど、それでも射精のような放物線を描きはっきりした爆発があるわけではない。
だから、中でいくことは、射精とクリトリスの『いく』と同じだと思わないほうがいい。
(むしろ、中のほうは気持ちよさは持続する)
まして、脳や声だけでなんていうのは、まったく違うもの。
以前のエントリーにも書いたけど、ほとんどのいくは『その気』になっているだけなのだ。
相手による暗示と自己暗示と自己陶酔。
もし何かしらの才能があるとしたら『暗示にかかりやすい』人だというだけだと思っておいたほうがいい。
セックスをして気持ちがいいとは感じるだけでクリトリスのような爆発的な頂点にはならない人も『その気』になればいっていると言えるかもしれないし、好きな男の声を聞いて胸がきゅんとなって子宮がうずいたら、それも『その気』を加えたらいっていることになるのだ。
世の中に氾濫しているイクや逝くやイくを鵜呑みにしないほうがいい。
その縛りは不必要な縛り。
『等式』の中でわたしは昔より『イク』という表現を使わなくなっている。
それはなぜかというと、当初感じていた『イク』より、中も脳もずっとずっと気持ちがよくなっているからだ。
射精やクリトリスのような放物線と頂点を描かないエクスタシーをたくさんたくさん教えてもらい、あの頃の表現に疑問を抱くようになり『イク』に対して慎重に表現したいと思っている。
『イク』と表現しないのは、それ以外の表現ができるほど様々な快感を感じているからなのだ。
そして、かつて『中でいったことがない』ことがコンプレックスに感じていたわたしのような女性がたくさんいると感じているからでもある。
このコンプレックスは『いく』という悪しき慣行の産物。
わたしの変態仲間の女性はセックスで床がびしょ濡れになるほど水分を漏らす。
それが潮とかいうヤツかどうかはわからないけど、彼女は『いく』とは表現していないし、その後ぐったりなんてしないで彼氏と一緒になってせっせと床を拭いている^^
(彼女のフラットなところは魅力だ)
わたしも痣だらけになるほど叩かれても気絶することもない。
2度ほど、そのままウトウトしてしまったことがあるけど、ほとんどは数分だけゴロンとさせてもらったら、那智さんと一緒にサクサクとお風呂に入れる。
人間、そんなに意識なくさないし、いきまくってぐったりなんてならないのだ。
なるとしたら、陶酔しているだけ。
だからね、いかないことをコンプレックスに思うのはやめよう。
何度もいきまくっている女性は、きっと『気持ちいい〜』という感覚が継続しているだけのことで、声を聞いただけでいっちゃう女性は『声を聞いてきゅんとした』ことをいくと表現しているだけだと思おう。
もちろん、それらを『いく』と表現することを否定しているわけではない。
お相手が暗示をかけるのが上手だったりこちら側が感性豊かだったりしたら、それだけでエクスタシーを得ていることだってあるかもしれない。
わたしだって、鞭で意識が混濁して体がガクガク震えるときもあるし、それは『いく』と表現したいなと思うこともある。
浣腸をかけるとクリトリスが敏感になって、トクトクと脈を打つことも『いく』かもしれない。
乳首への刺激だけで脳天まで快感になるなんて、那智さんの開拓と『その気』にさせてもらっている最たるものだ。
それらも人によっては『いく』かもしれないし、わたしのようにまどろっこしく表現するかもしれない。
(那智さんには『イク』とお伝えしていることのほうが多いけど 笑)
何をどう感じ、表現するのは自由だ。
だけど、わたしは『いく』ことへの悪しき慣行をなくしたい。
わたしも含め、しょせん、その気になっているだけのこと。
その気になりやすい人は快感を得るのも早いかもしれないけど、かつてのわたしのようにその気になりにくい女はね、開発する楽しみがあるというもの(笑)
開発する楽しみを殿方に味わってもらうために、その気になりにくい女はきっと大事な存在だよ^^
女も、そして男も『女のいく』の呪縛から解かれたほうがきっと幸せだと思うのだ。
<関連エントリー>
『徒然に「イクこと」1 2 3』
絶叫だけがイクじゃない
『静かな自慰』
『声あげなくても感じているよ』
でも、訓練してもらえばクリトリスで連続でイクこともできます^^
『徒然に「電マ」』
「等式」感想です。りん子は8年間、私の許可がないとイケない、だから普段からイクことに対して意識している。イクことを焦らして許可しないと、泣いたり、怒ったり、いじけたり、するりん子の言うことには私は重さを感じる。(笑)
りん子(^-^)10年です、那智さん…。
りん子(^-^)8年間はブログです(笑)
わたしは性の達人でもないし医学的なこともまったく知りません、ただひたすらわたしの経験と想像だけで書きます。
ですから、断定して書きますが、その状況に当てはまっている人を否定しているわけではありません。
『140字もどき』だから、いろいろ大目に見てね^^
男性の射精の『いく』が『上り詰め、頂点に達して、落ちる』だとしたら、女性にとってのそれはクリトリスでオーガズムを得ることだ。
これを『いく』とするならば、それ以外の『いく』表記はすべて違うものだと思っておいたほうがいい。
中でいく、脳でいく、声を聞いただけでいく、これらはどれも射精やクリトリスのように明確に体が頂点に達して(落ちる)わけではないのだ。
中でいくのは当たる場所によってはそれに近いものもあるし、セックスの体位によってはクリトリスも刺激してそのいくと混ざって『いく』になる場合もあるし、最近ではおまんこの周り全体がクリトリスのような快感を得るようになっているので、セックスをしながらおまんこ全体がクリトリスのいくに近い状態になることはあるけど、それでも射精のような放物線を描きはっきりした爆発があるわけではない。
だから、中でいくことは、射精とクリトリスの『いく』と同じだと思わないほうがいい。
(むしろ、中のほうは気持ちよさは持続する)
まして、脳や声だけでなんていうのは、まったく違うもの。
以前のエントリーにも書いたけど、ほとんどのいくは『その気』になっているだけなのだ。
相手による暗示と自己暗示と自己陶酔。
もし何かしらの才能があるとしたら『暗示にかかりやすい』人だというだけだと思っておいたほうがいい。
セックスをして気持ちがいいとは感じるだけでクリトリスのような爆発的な頂点にはならない人も『その気』になればいっていると言えるかもしれないし、好きな男の声を聞いて胸がきゅんとなって子宮がうずいたら、それも『その気』を加えたらいっていることになるのだ。
世の中に氾濫しているイクや逝くやイくを鵜呑みにしないほうがいい。
その縛りは不必要な縛り。
『等式』の中でわたしは昔より『イク』という表現を使わなくなっている。
それはなぜかというと、当初感じていた『イク』より、中も脳もずっとずっと気持ちがよくなっているからだ。
射精やクリトリスのような放物線と頂点を描かないエクスタシーをたくさんたくさん教えてもらい、あの頃の表現に疑問を抱くようになり『イク』に対して慎重に表現したいと思っている。
『イク』と表現しないのは、それ以外の表現ができるほど様々な快感を感じているからなのだ。
そして、かつて『中でいったことがない』ことがコンプレックスに感じていたわたしのような女性がたくさんいると感じているからでもある。
このコンプレックスは『いく』という悪しき慣行の産物。
わたしの変態仲間の女性はセックスで床がびしょ濡れになるほど水分を漏らす。
それが潮とかいうヤツかどうかはわからないけど、彼女は『いく』とは表現していないし、その後ぐったりなんてしないで彼氏と一緒になってせっせと床を拭いている^^
(彼女のフラットなところは魅力だ)
わたしも痣だらけになるほど叩かれても気絶することもない。
2度ほど、そのままウトウトしてしまったことがあるけど、ほとんどは数分だけゴロンとさせてもらったら、那智さんと一緒にサクサクとお風呂に入れる。
人間、そんなに意識なくさないし、いきまくってぐったりなんてならないのだ。
なるとしたら、陶酔しているだけ。
だからね、いかないことをコンプレックスに思うのはやめよう。
何度もいきまくっている女性は、きっと『気持ちいい〜』という感覚が継続しているだけのことで、声を聞いただけでいっちゃう女性は『声を聞いてきゅんとした』ことをいくと表現しているだけだと思おう。
もちろん、それらを『いく』と表現することを否定しているわけではない。
お相手が暗示をかけるのが上手だったりこちら側が感性豊かだったりしたら、それだけでエクスタシーを得ていることだってあるかもしれない。
わたしだって、鞭で意識が混濁して体がガクガク震えるときもあるし、それは『いく』と表現したいなと思うこともある。
浣腸をかけるとクリトリスが敏感になって、トクトクと脈を打つことも『いく』かもしれない。
乳首への刺激だけで脳天まで快感になるなんて、那智さんの開拓と『その気』にさせてもらっている最たるものだ。
それらも人によっては『いく』かもしれないし、わたしのようにまどろっこしく表現するかもしれない。
(那智さんには『イク』とお伝えしていることのほうが多いけど 笑)
何をどう感じ、表現するのは自由だ。
だけど、わたしは『いく』ことへの悪しき慣行をなくしたい。
わたしも含め、しょせん、その気になっているだけのこと。
その気になりやすい人は快感を得るのも早いかもしれないけど、かつてのわたしのようにその気になりにくい女はね、開発する楽しみがあるというもの(笑)
開発する楽しみを殿方に味わってもらうために、その気になりにくい女はきっと大事な存在だよ^^
女も、そして男も『女のいく』の呪縛から解かれたほうがきっと幸せだと思うのだ。
<関連エントリー>
『徒然に「イクこと」1 2 3』
絶叫だけがイクじゃない
『静かな自慰』
『声あげなくても感じているよ』
でも、訓練してもらえばクリトリスで連続でイクこともできます^^
『徒然に「電マ」』
「等式」感想です。りん子は8年間、私の許可がないとイケない、だから普段からイクことに対して意識している。イクことを焦らして許可しないと、泣いたり、怒ったり、いじけたり、するりん子の言うことには私は重さを感じる。(笑)
りん子(^-^)10年です、那智さん…。
りん子(^-^)8年間はブログです(笑)
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COMMENT
りん子さん
こんにちは。女性のイクって男性とって
重要な事なんですかね・・それから潮吹きとかって・・潮吹いたら感じてるとか・・・
イクから絶頂を味わってるとか・・・
違うよね。いかなくても、脳は感じるし身体も気持ちいい。潮なんか吹かなくても十分なのにね。わかってない男性多いですよね!!
こんにちは。女性のイクって男性とって
重要な事なんですかね・・それから潮吹きとかって・・潮吹いたら感じてるとか・・・
イクから絶頂を味わってるとか・・・
違うよね。いかなくても、脳は感じるし身体も気持ちいい。潮なんか吹かなくても十分なのにね。わかってない男性多いですよね!!
ここさん
うん、おっしゃるように女性の快感についてわかっていない男性は多いと思います。
わたしは男性の快感を知らないので、推測ですけど、おそらく『射精』的な快感がメインの男性にとっては『いく』以外の想像が難しいのかもしれない。
だから、かな。
そしたらね、わたしたち女性が、そうじゃない快感もあるって教えて差し上げればいいのですよね。
画一的でない快感を表現しましょう、そんな気持ちで、女性のために女性に向けて書きました^^
わたしも含め『いく』が呪縛になっている女性、たくさんいるかなって思ってね^^
ここさんもいろいろな快感を知っていていいね^^
たくさん表現しましょうね〜。
うん、おっしゃるように女性の快感についてわかっていない男性は多いと思います。
わたしは男性の快感を知らないので、推測ですけど、おそらく『射精』的な快感がメインの男性にとっては『いく』以外の想像が難しいのかもしれない。
だから、かな。
そしたらね、わたしたち女性が、そうじゃない快感もあるって教えて差し上げればいいのですよね。
画一的でない快感を表現しましょう、そんな気持ちで、女性のために女性に向けて書きました^^
わたしも含め『いく』が呪縛になっている女性、たくさんいるかなって思ってね^^
ここさんもいろいろな快感を知っていていいね^^
たくさん表現しましょうね〜。
りん子さん、こんばんはー♪
画一的でない快感の表現、ステレオタイプじゃないSMなど、りん子さんの提案されていること、とても共感します。
イクとかご奉仕とか、簡単に使わないように自制されていることにも(^^)
今回は自分の「イク」って何なんだろうと改めて考えさせられました。
自分の感覚・感情なのだから、自分が一番よく分かるのかというと、そんなに単純ではない気がしますし、それがどんな感覚・感情なのかを言語化するとなれば、言葉って社会的なものだから、それが未知の感覚・感情であればあるほど、うっすらと陳腐な気がしつつも、結局伝わりやすく分かりやすい既成のSM用語・表現を使ってしまうような…。
そうやって型にはまっていくことは、自分が本当に求めているものは何なのか、気がつくきっかけを逃してしまうことにもなるわけで、とてももったいないことなのですけど、だからと言って、いきなりオリジナルの表現にたどり着けるかというと、それはそれですごく難しいことのようにも思うのです。
ステレオタイプな表現に安住してしまうのは危険だけど、自分なりの表現に出会うまでは、もやもやを手放さないようには気をつけつつ、そういうものに多少は頼っててもいいのかなーとか。
うまくまとまりませんが、本当に繊細にご自身の感情・感覚を掘り下げてゆくりん子さんの根気強さと集中力には、いつもながら脱帽です!
画一的でない快感の表現、ステレオタイプじゃないSMなど、りん子さんの提案されていること、とても共感します。
イクとかご奉仕とか、簡単に使わないように自制されていることにも(^^)
今回は自分の「イク」って何なんだろうと改めて考えさせられました。
自分の感覚・感情なのだから、自分が一番よく分かるのかというと、そんなに単純ではない気がしますし、それがどんな感覚・感情なのかを言語化するとなれば、言葉って社会的なものだから、それが未知の感覚・感情であればあるほど、うっすらと陳腐な気がしつつも、結局伝わりやすく分かりやすい既成のSM用語・表現を使ってしまうような…。
そうやって型にはまっていくことは、自分が本当に求めているものは何なのか、気がつくきっかけを逃してしまうことにもなるわけで、とてももったいないことなのですけど、だからと言って、いきなりオリジナルの表現にたどり着けるかというと、それはそれですごく難しいことのようにも思うのです。
ステレオタイプな表現に安住してしまうのは危険だけど、自分なりの表現に出会うまでは、もやもやを手放さないようには気をつけつつ、そういうものに多少は頼っててもいいのかなーとか。
うまくまとまりませんが、本当に繊細にご自身の感情・感覚を掘り下げてゆくりん子さんの根気強さと集中力には、いつもながら脱帽です!
雪さん
おっしゃる通りだって思いました。
わたしも、エントリーにしていろいろ書いているけど、たぶん、昔のほうが一般的な表現を使っていたと思う。
それは雪さんのおっしゃるように、わたしの中でまだモヤモヤしていたところがあったからなんだなって思い返すことができました。
だから、一般的な表現を否定したくはないし、人の感覚を実感することは不可能だから、その人の表現を尊重したいです。
雪さんのように、ステレオタイプに安住せず、モヤモヤを模索しつつ、頼る^^バランスを持てているのはステキです。
ただ、かつてのわたしのように、それが足枷になっているようなことがあれば、それは払拭したい、せめて、わたしのブログだけでもって思います^^
感覚を言葉に発した時点で、もうそれは100%感覚と一致しているものではなくなってしまうのは仕方ないことだけど、できるだけ、感覚に近づけたいです。
いま思ったけど、それって、じつはかなりわたし自身のためなんだよね。
だって後で読み返して『イッた』というだけより、『ああで、こうで、こんな気持ちよさだった』って書いたほうが思い出せて、2度3度おいしいもの!(笑)
ステレオタイプに頼らず内省しながら書くのって、気持ちいいけどちょっとだけ孤独な作業。
でも、これからもそうするから、また楽しんでね^^
おっしゃる通りだって思いました。
わたしも、エントリーにしていろいろ書いているけど、たぶん、昔のほうが一般的な表現を使っていたと思う。
それは雪さんのおっしゃるように、わたしの中でまだモヤモヤしていたところがあったからなんだなって思い返すことができました。
だから、一般的な表現を否定したくはないし、人の感覚を実感することは不可能だから、その人の表現を尊重したいです。
雪さんのように、ステレオタイプに安住せず、モヤモヤを模索しつつ、頼る^^バランスを持てているのはステキです。
ただ、かつてのわたしのように、それが足枷になっているようなことがあれば、それは払拭したい、せめて、わたしのブログだけでもって思います^^
感覚を言葉に発した時点で、もうそれは100%感覚と一致しているものではなくなってしまうのは仕方ないことだけど、できるだけ、感覚に近づけたいです。
いま思ったけど、それって、じつはかなりわたし自身のためなんだよね。
だって後で読み返して『イッた』というだけより、『ああで、こうで、こんな気持ちよさだった』って書いたほうが思い出せて、2度3度おいしいもの!(笑)
ステレオタイプに頼らず内省しながら書くのって、気持ちいいけどちょっとだけ孤独な作業。
でも、これからもそうするから、また楽しんでね^^