正解はひとつじゃない?
独特な幸福感
詳細は書かないけどわたしの家族のことですこし頑張らないといけないことがあった。
きっと那智さんに出会う前のわたしだったら、全部自分で抱え込んで本質的な解決を先送りしていたようなこと。
問題提起をして、自分の感情を伝え、その後フォローする。
大前提は家族の良好、基本思考は『那智さんならどうするか』で奮い立たせるものは『那智さんに胸を張って報告できるか』。
はじめから終わり方まで、わたしの中では大事なことは全部やった。
翌日。
このことをお話し…しないでも大丈夫なような気がしていた。
いちおう解決しているけど、多少は心配をかけることになると思ったから。
わたしも少し大人になったものだ(笑)
昔だったら、まず、問題の部分だけお話しして、どう解決するかを相談してから、昨夜行った行動を開始した。
少し成長してからは、自分なりにやったことを報告して、これでよかたのか確認していた。
そのときに、よかったこと足りなかったことを評価してもらっていた。
ほぼ足りないことはないほどにできるようになって、最近はほとんど事後報告『問題なし』のハンコをいただいて安心する、そんな状態にまでなっていた。
それが、今回はお話ししなくても大丈夫かなっと思えるほどになったわけだ、だから、ずいぶん大人になった(笑)
でも、まあ、結局時間があったからお話ししたんだけど^^
そのとき自分はほとんど心にダメージを受けていなかったし、わたしの中では問題解決していたので、これはむしろ報告して喜んでもらえるのではないかという気持ちもあってお話しした。
喜んでもらえて、きっと、きちんと解決できたわたしを見たら安心してくれるんじゃないかなって思ったのです。
最後のフォローも含めて、完璧ってよろこんでもらえた。
おそらく、那智さんの理想とする『正解』とほとんど一致していたのでしょう。
なんでも妄信することはよくないけど、那智さんのやり方が自分の身に付いてわたしなりの納得できる問題解決に導けたのだから、この一致はとても感慨深くうれしい。
那智さんは出会った頃、わたしと感性が合うと言ってくれていた。
それは音楽や本のような形のあるものではなく、ほとんど目に見えない感覚的なもののようで、まだお互いの好きなアーチストさえ知らない頃から、そんなふうにいう那智さんがちょっぴり不思議だった。
きっと選ぶ言葉や間合いのようなもののことなんだろうなと思っていた。
もしかしたら、『正解』もそうなのかもしれない。
自分が正しいと思うこと。(那智さんは、それを『正しい』ではなく『好き、キライ』というけど)
人にとって正しいと思うことはひとつじゃない。
宗教や文化、もっと簡単に読んだ本や映画によっても人の『正解』はそれぞれあるかもしれない。
わたしが那智さんに相談して、実践できて、報告して、修正を受け入れられたのは、根本の『正解』が合っていたからなんじゃないかなって思う。
『正解』が違う人がいたとして、その人に那智さんがわたしにしたことと同じことをされても、もしかしたら、心から採用しようと思えなかったかもしれないし、それだと『実践できて、その後の修正』にまで発展しなかったと思う。
わたしには言語化できず、さらに実践できずにいた『正解』があったのだ。
那智さんは、それとほとんど一致する『正解』を持っていて、わたしにわかりやすく教えてくてた。
そもそも一致していたのだから、そのやり方はわたしにとって、慣れない大変さはあれど信じて遂行することができたのだと思う。
あなたを信じる。
言葉にするのは簡単だ。
だけど、実際これをし続けるのは難しい。
その難しいことのひとつに、感性の相性は重要なことのような気がする。
互いの『正解』が違うとどんなに言葉を尽くしても理解してもらえないことはやっぱりある。
最初は逐一報告と相談していたわたしが「お話ししなくても大丈夫かもしれない」と思えるくらいにまでなれたのは、那智さんの技量と根気強さと、『正解』が一緒だったという感性の相性の力なんじゃないかなって思うのだ。
なかなか感慨深いので、ちょっぴり徒然なエントリーでした^^
後日談。
このエントリーをほぼ書き終わったある日、たまたまお酒の席でご一緒したお友達のこの話題を出してみた。
「『正解』の相性が合っているから那智さんのアドバイスを受け入れられるのではないか」というわたしにわたしたちふたりを知る友人は
それは、那智さんがりん子さんの持っているものを使ったからじゃない?
と、また違う視点で話してくれた。
持っていないものを要求されても「無理!!」って思うけど、那智さんはりん子さんの持っているものの中から「はい、これとこれ使って〜」ってアドバイスしたから、受け入れられただけでしょ。
と、エントリーを丸ごとひっくり返すようなご意見(笑)
なるほど、たしかに人にアドバイスするのは簡単だとしても、泳げない人に「まず向こう岸まで泳いで」なんてアドバイスしてもそれは無理というもの。
泳げないけど、歩くのが得意な人だったら遠回りの迂回路を歩かせて目的地まで行かせるとか、工作が得意だったら簡易イカダでも作って向こう岸まで渡らせるとか、その人の力に合わせた『正解』があるはずだよね。
那智さんは、わたしの持っているものを見つけて使わせることが上手だったのかもしれない。
だから、すんなりとアドバイスを吸収することができたのだとしたら、それは那智さんの観察力の賜物ということになりますね^^
まあ、結局、どちらでもかまわないのだけど、ひとつの出来事からいろいろな答えが出たので、全部書いちゃいました^^
「等式」感想です。りん子の「持っているもの」少なかったですよ~(笑)当時はですね。「正解・好き」を提示して、なぜそうするかの説明と、やり方の説明、どうしたらやる気になるのかの説明、など、気の遠くなるような会話でした。でも、楽しかったな~。日々、成長するような感覚は。
私が育て好きなのは自負しているし、最初の頃はりん子も慣れていないので判断を間違えて、私がたしなめると、よく泣いていました。決して責める訳ではないのだけれど、りん子自身が悔しかったのと、私の思いや期待に応えられない悲しさがあったのだと思います。あの頃はね~かわいかったな~
今はね~偉そうにしている訳ではないのだけれど、殆ど完璧なのでつまらないですね~(笑)稀に齟齬があるとしても自覚していたりしているので確認したりして気を使う。自覚しているりん子を責めることはしたくないのでね。笑えるのは、私の言いたいことを、私よりも理解しているような気さえする。
懐かしい思いがするエントリーでした。具体性がないと読んでいる人は理解しにくいと思いますが、私は具体的に書かれていない分、大きく重い感じがして感慨深いものがあります。だらだらと書いていますが私がうれしいのでしょうね。深夜ののろけで失礼しました。
詳細は書かないけどわたしの家族のことですこし頑張らないといけないことがあった。
きっと那智さんに出会う前のわたしだったら、全部自分で抱え込んで本質的な解決を先送りしていたようなこと。
問題提起をして、自分の感情を伝え、その後フォローする。
大前提は家族の良好、基本思考は『那智さんならどうするか』で奮い立たせるものは『那智さんに胸を張って報告できるか』。
はじめから終わり方まで、わたしの中では大事なことは全部やった。
翌日。
このことをお話し…しないでも大丈夫なような気がしていた。
いちおう解決しているけど、多少は心配をかけることになると思ったから。
わたしも少し大人になったものだ(笑)
昔だったら、まず、問題の部分だけお話しして、どう解決するかを相談してから、昨夜行った行動を開始した。
少し成長してからは、自分なりにやったことを報告して、これでよかたのか確認していた。
そのときに、よかったこと足りなかったことを評価してもらっていた。
ほぼ足りないことはないほどにできるようになって、最近はほとんど事後報告『問題なし』のハンコをいただいて安心する、そんな状態にまでなっていた。
それが、今回はお話ししなくても大丈夫かなっと思えるほどになったわけだ、だから、ずいぶん大人になった(笑)
でも、まあ、結局時間があったからお話ししたんだけど^^
そのとき自分はほとんど心にダメージを受けていなかったし、わたしの中では問題解決していたので、これはむしろ報告して喜んでもらえるのではないかという気持ちもあってお話しした。
喜んでもらえて、きっと、きちんと解決できたわたしを見たら安心してくれるんじゃないかなって思ったのです。
最後のフォローも含めて、完璧ってよろこんでもらえた。
おそらく、那智さんの理想とする『正解』とほとんど一致していたのでしょう。
なんでも妄信することはよくないけど、那智さんのやり方が自分の身に付いてわたしなりの納得できる問題解決に導けたのだから、この一致はとても感慨深くうれしい。
那智さんは出会った頃、わたしと感性が合うと言ってくれていた。
それは音楽や本のような形のあるものではなく、ほとんど目に見えない感覚的なもののようで、まだお互いの好きなアーチストさえ知らない頃から、そんなふうにいう那智さんがちょっぴり不思議だった。
きっと選ぶ言葉や間合いのようなもののことなんだろうなと思っていた。
もしかしたら、『正解』もそうなのかもしれない。
自分が正しいと思うこと。(那智さんは、それを『正しい』ではなく『好き、キライ』というけど)
人にとって正しいと思うことはひとつじゃない。
宗教や文化、もっと簡単に読んだ本や映画によっても人の『正解』はそれぞれあるかもしれない。
わたしが那智さんに相談して、実践できて、報告して、修正を受け入れられたのは、根本の『正解』が合っていたからなんじゃないかなって思う。
『正解』が違う人がいたとして、その人に那智さんがわたしにしたことと同じことをされても、もしかしたら、心から採用しようと思えなかったかもしれないし、それだと『実践できて、その後の修正』にまで発展しなかったと思う。
わたしには言語化できず、さらに実践できずにいた『正解』があったのだ。
那智さんは、それとほとんど一致する『正解』を持っていて、わたしにわかりやすく教えてくてた。
そもそも一致していたのだから、そのやり方はわたしにとって、慣れない大変さはあれど信じて遂行することができたのだと思う。
あなたを信じる。
言葉にするのは簡単だ。
だけど、実際これをし続けるのは難しい。
その難しいことのひとつに、感性の相性は重要なことのような気がする。
互いの『正解』が違うとどんなに言葉を尽くしても理解してもらえないことはやっぱりある。
最初は逐一報告と相談していたわたしが「お話ししなくても大丈夫かもしれない」と思えるくらいにまでなれたのは、那智さんの技量と根気強さと、『正解』が一緒だったという感性の相性の力なんじゃないかなって思うのだ。
なかなか感慨深いので、ちょっぴり徒然なエントリーでした^^
後日談。
このエントリーをほぼ書き終わったある日、たまたまお酒の席でご一緒したお友達のこの話題を出してみた。
「『正解』の相性が合っているから那智さんのアドバイスを受け入れられるのではないか」というわたしにわたしたちふたりを知る友人は
それは、那智さんがりん子さんの持っているものを使ったからじゃない?
と、また違う視点で話してくれた。
持っていないものを要求されても「無理!!」って思うけど、那智さんはりん子さんの持っているものの中から「はい、これとこれ使って〜」ってアドバイスしたから、受け入れられただけでしょ。
と、エントリーを丸ごとひっくり返すようなご意見(笑)
なるほど、たしかに人にアドバイスするのは簡単だとしても、泳げない人に「まず向こう岸まで泳いで」なんてアドバイスしてもそれは無理というもの。
泳げないけど、歩くのが得意な人だったら遠回りの迂回路を歩かせて目的地まで行かせるとか、工作が得意だったら簡易イカダでも作って向こう岸まで渡らせるとか、その人の力に合わせた『正解』があるはずだよね。
那智さんは、わたしの持っているものを見つけて使わせることが上手だったのかもしれない。
だから、すんなりとアドバイスを吸収することができたのだとしたら、それは那智さんの観察力の賜物ということになりますね^^
まあ、結局、どちらでもかまわないのだけど、ひとつの出来事からいろいろな答えが出たので、全部書いちゃいました^^
「等式」感想です。りん子の「持っているもの」少なかったですよ~(笑)当時はですね。「正解・好き」を提示して、なぜそうするかの説明と、やり方の説明、どうしたらやる気になるのかの説明、など、気の遠くなるような会話でした。でも、楽しかったな~。日々、成長するような感覚は。
私が育て好きなのは自負しているし、最初の頃はりん子も慣れていないので判断を間違えて、私がたしなめると、よく泣いていました。決して責める訳ではないのだけれど、りん子自身が悔しかったのと、私の思いや期待に応えられない悲しさがあったのだと思います。あの頃はね~かわいかったな~
今はね~偉そうにしている訳ではないのだけれど、殆ど完璧なのでつまらないですね~(笑)稀に齟齬があるとしても自覚していたりしているので確認したりして気を使う。自覚しているりん子を責めることはしたくないのでね。笑えるのは、私の言いたいことを、私よりも理解しているような気さえする。
懐かしい思いがするエントリーでした。具体性がないと読んでいる人は理解しにくいと思いますが、私は具体的に書かれていない分、大きく重い感じがして感慨深いものがあります。だらだらと書いていますが私がうれしいのでしょうね。深夜ののろけで失礼しました。
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COMMENT
感性が合うってこと、いいなぁって思いました。
それは、物事の捉え方、考え方が似てるってことと近い気がして。
わたしは、彼に娘たちの話をしたときによく、すれ違うんです。
まず、アドバイスが欲しいわけじゃないのに、
ああ言え、こう言えと返事が返ってきて、心がちょっとダウンします。
そして、そのアドバイスの内容に、それはわたしの考え方にはないし、
娘の心理状態に受け入れられるように、わたしが話すことが出来ない。ということが多いです。
彼の言ってることは、娘やわたしの幸せを考えてのこと、というのはわかるから、
決して否定はしないのだけど、育った環境により
『返事をしたら、実行しなくてはならない』ということが身についているので、返事ができません。
もちろん『正解』なときもありますけね~
わたしのような、むむむ…な気分にならなくて済む、感性が合うお二人はいいなぁと思いました。
それは、物事の捉え方、考え方が似てるってことと近い気がして。
わたしは、彼に娘たちの話をしたときによく、すれ違うんです。
まず、アドバイスが欲しいわけじゃないのに、
ああ言え、こう言えと返事が返ってきて、心がちょっとダウンします。
そして、そのアドバイスの内容に、それはわたしの考え方にはないし、
娘の心理状態に受け入れられるように、わたしが話すことが出来ない。ということが多いです。
彼の言ってることは、娘やわたしの幸せを考えてのこと、というのはわかるから、
決して否定はしないのだけど、育った環境により
『返事をしたら、実行しなくてはならない』ということが身についているので、返事ができません。
もちろん『正解』なときもありますけね~
わたしのような、むむむ…な気分にならなくて済む、感性が合うお二人はいいなぁと思いました。
たしかに、合うとは思うのですが、なんでもかんでも100%なんてあり得ないわけで、そりゃあ反発したくなることだってあります(笑)
特に子供のことなんて、ね^^;
あこさんとわたしに違いがあるとしたら、あこさんが書かれている『アドバイスが欲しいわけではない』ところかな、わたし、欲しがりだから、その違いがこちらの受け取り方の違いになっているのかなと思います^^
それは付き合い方によっていろいろですよね。
と、コメントをいただいて、いままでそこを書いたことなかったな〜と気づかせてもらいました!!
これじゃ『全部書け』になっていない!!
いいきっかけをこさんに作ってもらったので、その紆余曲折(?)もいつかエントリーするね^^
『返事をいたら実行しないといけない』
育った環境ということなのであまり簡単に言ってはいけないけど。
表面だけ返事しておいて、じつはやらないなんてことだってできるのに、それはしないあこさんの正直な感じが伝わるような気がします。
特に子供のことなんて、ね^^;
あこさんとわたしに違いがあるとしたら、あこさんが書かれている『アドバイスが欲しいわけではない』ところかな、わたし、欲しがりだから、その違いがこちらの受け取り方の違いになっているのかなと思います^^
それは付き合い方によっていろいろですよね。
と、コメントをいただいて、いままでそこを書いたことなかったな〜と気づかせてもらいました!!
これじゃ『全部書け』になっていない!!
いいきっかけをこさんに作ってもらったので、その紆余曲折(?)もいつかエントリーするね^^
『返事をいたら実行しないといけない』
育った環境ということなのであまり簡単に言ってはいけないけど。
表面だけ返事しておいて、じつはやらないなんてことだってできるのに、それはしないあこさんの正直な感じが伝わるような気がします。