那智さんの指
独特な幸福感
本を読んだ。
知らない作家さんだったからすこしハードル高かったけど、ためらいなく手に入れたのは『どうしても見てしまう』種類の話だったから。
いままでもそれについては書いてきた。
女郎のような立場に憧れているとか、虐待にうずくものがあるとか、針山に自分を投影するとか。
本来なら苦しい内容のものなのに、どうしても見てしまう。
まあ、針山や女郎の妄想なんていうのは、自分でもまぁ勝手にやっててと思うけど(笑)
特に自分の理性と良心が目を背けたくなってしまう『わたし』が見てしまうのは、性的虐待についてなのだ。
絶対的にあってはならないものだし、ニュースなど見て人並みに心を痛める。
街中で理不尽に怒鳴られている子どもなんて見たら、けっこう気になってしまうほうなので、もしかしたら人並み以上かもしれないと思うほどなのに。
それなのに児童買春や性的虐待の文章に触れると、憤りや恐怖や正義感の隙間に性的興奮に近いなんとも言えない感情がわいてしまうのだ。
今回の本は、その性的虐待を受けた著者が半生を振り返るものだった。
幼い頃の苦痛と、その後何十年も続く苦悩は本当にあってはならないものだと再確認するし、吐露する勇気に心の平穏を願わずにはいられない。
この気持ちは本当のものだ。
だけど、だけど、やっぱりわたしは幼い頃にその人が受けた性的虐待の描写から目が離せず、困惑する。
苦痛はもちろんだけど、父に好かれたいという歪んだ愛情のようなものが芽生えたり、実際に性的快感を覚えてしまったりする複雑な感情が描かれ(これは生き抜くための脳のカムフラージュともいえると思うけど)、その苦痛以外のものにも妙に惹かれてしまう自分もいるし。
著者が大人になってからの『父親くらい年の離れた人と楽しく楽しく暮らしたい(意訳)』という願望を持つことや、父を受け入れたいという歪んだ愛情ゆえに男性から迫られると言いなりになってしまう『娼婦性』に至っては、わずかに自分を重ね合わせてしまったり。
文中に『O孃の物語』の文字が出てきたときは息苦しささえ感じたほどだ。
『どうしても見てしまう』ものが自分の中にずっとある。
マゾなのか、変態なのか、淫乱なのか、わからないけど、とにかく見たくないのに目を逸らせないもの。
それをイヤでも感じてしまうと、わたしは自分が恐ろしくなる。
あの人が今日も来る。
やめてほしいくせに、よろこんでほしくて、自ら濡らしておく。
そんな描写から目が離せない自分が怖い。
ああ、那智さん。
那智さんを思う。
それは那智さんの指。
淫乱な女の子のわたしの暗闇のようなおまんこに触れて、慰めてくれるのは那智さんの指。
ああ、早く、那智さんに包んでもらいたい。
そんな恐ろしいものを抱えている淫乱なわたしをいいこいいこと撫でて真っ白くしてほしい。
暗闇から引っぱり上げて可愛がってほしい。
怖さより那智さんに可愛がってもらうほうが強いのだもの。
そんな気持ちを文字で伝えると
そうだね
と返してくれる。
見たくないのにどうしても見てしまうものを抱えていて、じゃあ、見なきゃいいじゃんと思うけど、見てしまって。
それを那智さんによしよししてもらえることで、わたしはもう怖くない。
わたしはマゾ的嗜好を持っているらしいけど、すべてを包括して『那智さんに可愛がってもらう』なのだと、思うのだ。
(で、また見てのくり返しなんだけど^^;)
補足。
岩月謙司さんの著書に『父親から適正な愛情をもらえなかった女はM傾向がある』と書かれていたし、この著者の例を見ても当てはまるように思うけど、わたしの中ではそれは『マゾ』とは違うと思っています。
(これはいつか書けるか!?)
おまけ
ふたつエントリーは間違いじゃありません^^
ひとつめ短いから。
で、今日デートだから(ここは正直にしました 那智さん 笑)
<関連エントリー>
徒然に「苦悩」
針山
マゾの根っこ
「等式」「那智さんの指」感想です。極端な例でごめんなさい❗アイドルを見てオナニーする男とどこが違うのだろう。引かれる物が違うだけで本質は同じような気がする。自分で考えると反社会的なほど、ネタとして刺激が強く憧れます。
本を読んだ。
知らない作家さんだったからすこしハードル高かったけど、ためらいなく手に入れたのは『どうしても見てしまう』種類の話だったから。
いままでもそれについては書いてきた。
女郎のような立場に憧れているとか、虐待にうずくものがあるとか、針山に自分を投影するとか。
本来なら苦しい内容のものなのに、どうしても見てしまう。
まあ、針山や女郎の妄想なんていうのは、自分でもまぁ勝手にやっててと思うけど(笑)
特に自分の理性と良心が目を背けたくなってしまう『わたし』が見てしまうのは、性的虐待についてなのだ。
絶対的にあってはならないものだし、ニュースなど見て人並みに心を痛める。
街中で理不尽に怒鳴られている子どもなんて見たら、けっこう気になってしまうほうなので、もしかしたら人並み以上かもしれないと思うほどなのに。
それなのに児童買春や性的虐待の文章に触れると、憤りや恐怖や正義感の隙間に性的興奮に近いなんとも言えない感情がわいてしまうのだ。
今回の本は、その性的虐待を受けた著者が半生を振り返るものだった。
幼い頃の苦痛と、その後何十年も続く苦悩は本当にあってはならないものだと再確認するし、吐露する勇気に心の平穏を願わずにはいられない。
この気持ちは本当のものだ。
だけど、だけど、やっぱりわたしは幼い頃にその人が受けた性的虐待の描写から目が離せず、困惑する。
苦痛はもちろんだけど、父に好かれたいという歪んだ愛情のようなものが芽生えたり、実際に性的快感を覚えてしまったりする複雑な感情が描かれ(これは生き抜くための脳のカムフラージュともいえると思うけど)、その苦痛以外のものにも妙に惹かれてしまう自分もいるし。
著者が大人になってからの『父親くらい年の離れた人と楽しく楽しく暮らしたい(意訳)』という願望を持つことや、父を受け入れたいという歪んだ愛情ゆえに男性から迫られると言いなりになってしまう『娼婦性』に至っては、わずかに自分を重ね合わせてしまったり。
文中に『O孃の物語』の文字が出てきたときは息苦しささえ感じたほどだ。
『どうしても見てしまう』ものが自分の中にずっとある。
マゾなのか、変態なのか、淫乱なのか、わからないけど、とにかく見たくないのに目を逸らせないもの。
それをイヤでも感じてしまうと、わたしは自分が恐ろしくなる。
あの人が今日も来る。
やめてほしいくせに、よろこんでほしくて、自ら濡らしておく。
そんな描写から目が離せない自分が怖い。
ああ、那智さん。
那智さんを思う。
それは那智さんの指。
淫乱な女の子のわたしの暗闇のようなおまんこに触れて、慰めてくれるのは那智さんの指。
ああ、早く、那智さんに包んでもらいたい。
そんな恐ろしいものを抱えている淫乱なわたしをいいこいいこと撫でて真っ白くしてほしい。
暗闇から引っぱり上げて可愛がってほしい。
怖さより那智さんに可愛がってもらうほうが強いのだもの。
そんな気持ちを文字で伝えると
そうだね
と返してくれる。
見たくないのにどうしても見てしまうものを抱えていて、じゃあ、見なきゃいいじゃんと思うけど、見てしまって。
それを那智さんによしよししてもらえることで、わたしはもう怖くない。
わたしはマゾ的嗜好を持っているらしいけど、すべてを包括して『那智さんに可愛がってもらう』なのだと、思うのだ。
(で、また見てのくり返しなんだけど^^;)
補足。
岩月謙司さんの著書に『父親から適正な愛情をもらえなかった女はM傾向がある』と書かれていたし、この著者の例を見ても当てはまるように思うけど、わたしの中ではそれは『マゾ』とは違うと思っています。
(これはいつか書けるか!?)
おまけ
ふたつエントリーは間違いじゃありません^^
ひとつめ短いから。
で、今日デートだから(ここは正直にしました 那智さん 笑)
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徒然に「苦悩」
針山
マゾの根っこ
「等式」「那智さんの指」感想です。極端な例でごめんなさい❗アイドルを見てオナニーする男とどこが違うのだろう。引かれる物が違うだけで本質は同じような気がする。自分で考えると反社会的なほど、ネタとして刺激が強く憧れます。
メモ
140字もどき
モラルではなく嫌悪感でNGはどうか。
『強い人が強いままでいること』と『弱さを見せられるようになること』はどちらが強いのだろう。
強いかどうかの価値観ではなく『その人にとってはどちらが生きやすいか』が価値基準である。
精神的に10対0の関係でい続けるに、それぞれ何を考えているか。
『結果的に10対0になればいい』、その結果を出すスパンに決まりはない、要するに、そうであるように個々に思考することに意義がある。
じゃあ、どんなふうに思考しているか。
那智さん『言葉より行動』
りん子『自分の精神状態の安定(→那智さんの負担を減らす→ふたりにとって良いこと)』
那智さんの行動の表れ。
行動に至る思考回路。
どれくらい考える?
今日話したこと。
どれもとても充実していた。
エントリーにして残したいけど、順序立てて書く自信がありません(笑)
なので、メモ^^
いつか書くかもしれないし、書けなかったとしても忘れないでいられそうだから。
モラルではなく嫌悪感でNGはどうか。
『強い人が強いままでいること』と『弱さを見せられるようになること』はどちらが強いのだろう。
強いかどうかの価値観ではなく『その人にとってはどちらが生きやすいか』が価値基準である。
精神的に10対0の関係でい続けるに、それぞれ何を考えているか。
『結果的に10対0になればいい』、その結果を出すスパンに決まりはない、要するに、そうであるように個々に思考することに意義がある。
じゃあ、どんなふうに思考しているか。
那智さん『言葉より行動』
りん子『自分の精神状態の安定(→那智さんの負担を減らす→ふたりにとって良いこと)』
那智さんの行動の表れ。
行動に至る思考回路。
どれくらい考える?
今日話したこと。
どれもとても充実していた。
エントリーにして残したいけど、順序立てて書く自信がありません(笑)
なので、メモ^^
いつか書くかもしれないし、書けなかったとしても忘れないでいられそうだから。
首輪と情事のあと1
非日常的な日常
ひさしぶりの首輪。
愛用しているピンクが見当たらないらしく、一緒に購入した水色。
馴染んでいたしお気に入りのピンクじゃなかったから一瞬しゅんとしてしまいそうだったけど、一緒に購入したことを那智さんが思い出させてくれて、やっぱりうれしい気持ちになる。
でも、リードも見当たらなかったそうなので、別のもの。
それは残念だった。
ピンクと赤のキレイな色のリードをわたしはとても気に入っていたからだ。
ああ、那智さん、あのリードがすきなのに~
そうだね~
ぶんぶんと首を振る。
ピンクと赤のキャンディみたいなリードはわたしの心を甘いものにしてくれていた。
それがない分、那智さんに甘える。
ほとんど使ったことのない拘束具で足を括る(でも、これ拘束されないので、おそらく装飾 笑)
短い縄で手首をまとめる。
今日はどうするんだろう。
しばらく痛いことをしていなかったから、もし鞭になったら怖いな。
大きく不安。
されるがままで横たわる。
そのわたしの横に那智さんが肘をついて添い寝してくれる。
クンクンとリードを引っぱって静かな空気。
手にしていたリードを後ろに回しクッと引かれた。
苦しい。
ほんのわずかに苦しいと感じた。
その瞬間。
カクンと腰が揺れ、勝手に体が快感の反応をした。
それに引っぱられるように心と体で快感を感じはじめた。
けして強く引いていない、わずかに『苦しい』と感じただけだ。
いままで手でそのようなプレイをしたことはあった、もしかしたら、そのときのほうが強くしていたかもしれない。
でも、こんな感じにはならなかった。
『脳を変える』のときと同じ現象が『苦しい』でも起こった、しかも、たいした苦痛でもないのに。
快感を察知する前に、体が快感の反応を示す。
条件反射のように体が勝手に反応して驚くけれど、そこから深く思考するのを簡単に手放してしまうくらい静かに、でも、急激に全身に快感が充満する。
はあはあと静かに喘ぎ、腰を揺らす。
那智さんがキスをしてくれる。
気持ちがいい。
たいして強い力ではなく硬い皮の首輪は隙間だらけで、そうかキスもできるし息もできるんだと、上の空で思う。
那智さんの引く力に抵抗するように唇を合わせる。
後ろに引かれているから緩めようと思えば簡単にできる。
わたしの意思で首を後ろに引けばいい。
でも、キスしたくて、苦しい状況が気持ちよくて、しない。
腰は揺れ続ける。
いわゆる『落ちる』ような激しいものではない。
緩やかに緩やかに恍惚としてくる。
いつもの快感で朦朧とするのとさほど変わらないくらいだ。
どれくらいキスをしいただろう。
那智さんの引く力に負けないように首輪に体重をかける自分がおかしい。
苦しいのに、苦しいのが終わってほしくない。
自分で苦しくしている。
緩やかな恍惚が激しい快感を抱えているような感じ。
うーうーと小さく呻いて激しく腰を振る。
心と体の両方に静と動の矛盾を抱えているようななんともいえない感覚。
那智さんが乳首を弄ぶ。
それが静も動に変わる合図。
全部が繋がる感じ。
気持ちいい、気持ちいい、気持ちいい!!
恍惚は激しい快感になる。
逡巡する余裕もないまま、衝動的におちんぽさまに手が伸びる。
ほしいほしいと貪る。
ふと、確認しなければと理性が思い「触ってもいいですか?」と聞く(触りながら^^;)
乳首を強く潰されているはずだ。
痛いと言っていると思う。
自分自身を触りたいのを我慢していると告げたわたしに「触りな」と促してくれて、拘束された不自由な手で触る。
なかなかイカせてくれなくて半べそで地団駄を踏んだ。
うーうーと呻くわたしは那智さんの目にどのように映っているのだろうか。
かわいいと思ってもらえるといいなと思うけど、でも、もう、なんでも、どうでもよくなる。
どうでもよくなれることが、うれしい。
<関連エントリー>
脳を変える1 2 3 4
首輪
ひさしぶりの首輪。
愛用しているピンクが見当たらないらしく、一緒に購入した水色。
馴染んでいたしお気に入りのピンクじゃなかったから一瞬しゅんとしてしまいそうだったけど、一緒に購入したことを那智さんが思い出させてくれて、やっぱりうれしい気持ちになる。
でも、リードも見当たらなかったそうなので、別のもの。
それは残念だった。
ピンクと赤のキレイな色のリードをわたしはとても気に入っていたからだ。
ああ、那智さん、あのリードがすきなのに~
そうだね~
ぶんぶんと首を振る。
ピンクと赤のキャンディみたいなリードはわたしの心を甘いものにしてくれていた。
それがない分、那智さんに甘える。
ほとんど使ったことのない拘束具で足を括る(でも、これ拘束されないので、おそらく装飾 笑)
短い縄で手首をまとめる。
今日はどうするんだろう。
しばらく痛いことをしていなかったから、もし鞭になったら怖いな。
大きく不安。
されるがままで横たわる。
そのわたしの横に那智さんが肘をついて添い寝してくれる。
クンクンとリードを引っぱって静かな空気。
手にしていたリードを後ろに回しクッと引かれた。
苦しい。
ほんのわずかに苦しいと感じた。
その瞬間。
カクンと腰が揺れ、勝手に体が快感の反応をした。
それに引っぱられるように心と体で快感を感じはじめた。
けして強く引いていない、わずかに『苦しい』と感じただけだ。
いままで手でそのようなプレイをしたことはあった、もしかしたら、そのときのほうが強くしていたかもしれない。
でも、こんな感じにはならなかった。
『脳を変える』のときと同じ現象が『苦しい』でも起こった、しかも、たいした苦痛でもないのに。
快感を察知する前に、体が快感の反応を示す。
条件反射のように体が勝手に反応して驚くけれど、そこから深く思考するのを簡単に手放してしまうくらい静かに、でも、急激に全身に快感が充満する。
はあはあと静かに喘ぎ、腰を揺らす。
那智さんがキスをしてくれる。
気持ちがいい。
たいして強い力ではなく硬い皮の首輪は隙間だらけで、そうかキスもできるし息もできるんだと、上の空で思う。
那智さんの引く力に抵抗するように唇を合わせる。
後ろに引かれているから緩めようと思えば簡単にできる。
わたしの意思で首を後ろに引けばいい。
でも、キスしたくて、苦しい状況が気持ちよくて、しない。
腰は揺れ続ける。
いわゆる『落ちる』ような激しいものではない。
緩やかに緩やかに恍惚としてくる。
いつもの快感で朦朧とするのとさほど変わらないくらいだ。
どれくらいキスをしいただろう。
那智さんの引く力に負けないように首輪に体重をかける自分がおかしい。
苦しいのに、苦しいのが終わってほしくない。
自分で苦しくしている。
緩やかな恍惚が激しい快感を抱えているような感じ。
うーうーと小さく呻いて激しく腰を振る。
心と体の両方に静と動の矛盾を抱えているようななんともいえない感覚。
那智さんが乳首を弄ぶ。
それが静も動に変わる合図。
全部が繋がる感じ。
気持ちいい、気持ちいい、気持ちいい!!
恍惚は激しい快感になる。
逡巡する余裕もないまま、衝動的におちんぽさまに手が伸びる。
ほしいほしいと貪る。
ふと、確認しなければと理性が思い「触ってもいいですか?」と聞く(触りながら^^;)
乳首を強く潰されているはずだ。
痛いと言っていると思う。
自分自身を触りたいのを我慢していると告げたわたしに「触りな」と促してくれて、拘束された不自由な手で触る。
なかなかイカせてくれなくて半べそで地団駄を踏んだ。
うーうーと呻くわたしは那智さんの目にどのように映っているのだろうか。
かわいいと思ってもらえるといいなと思うけど、でも、もう、なんでも、どうでもよくなる。
どうでもよくなれることが、うれしい。
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脳を変える1 2 3 4
首輪
首輪と情事のあと2
非日常的な日常
相変わらず手を替え品を替え、いろいろ繰り広げてくれる那智さん。
首輪引っぱりの後はくんにや電マや、次々怒濤のかわいがり。
で、挿入して、なんていうんですか、それまでの怒濤からは想像できないような失速ぶり!?(笑)
いっちゃった…?
思いの外早く??
いいんです、いいんです、それまでがすごかったから。
それを責めるつもりは毛頭ありません。
が。
那智さん、こういうときわざとわたしの顔を覗き込むのだ。
あれ?もう?って思ってるだろ?
そうなんだよ~、おしまいだよ~
りん子はどんな顔しているかな~
といわんばかりのいたずらっ子な爛々とした目で。
わたしとしては快感の余韻だし、さっきまでの絶叫ぶりが照れ臭いから一層余韻に浸ってごまかしたいのに。
そうはさせてくれない。
淫乱女は気恥ずかしくてくすくす笑い出す。
いやいや、こういう場合、どちらかというとサクサクッとイッてしまった男性のほうがバツが悪いものなんじゃないんですか!?と思うけど、そこは『恥ずかしがったら負け』な那智さん理論によりわたしのほうが負けなのだ。
今日はね、こういうのもおもしろいかと思って敢えてイク方向に持っていった(笑)
なんていうから、ちょっと悔しくて反撃。
え~、那智さん、たまらずだったのをごまかしてませんか~?
それはない(笑)
イク方向に持っていったのはあるけど、そうしようと思ってやったんだもん
だそうだ。
まあ、思春期男子でもないので、コントロールは可能でしょうから『たまらず』はなくて、きっとイッちゃいたい気持ちを肯定した程度だろうと思うけど(で、それがおもしろいと判断したのね)
そうそう、那智さん、わりといつも終わったあと、わたしの表情覗き込んで遊ぶのだ。
淫乱女からの落差で照れるわたしと、ごまかそうとオスマシするわたしをおもしろがる。
以前、わたしは復活が早いとエントリーしたことあるけど、これって那智さんが余韻に浸らせてくれないからっていうのも一因のような気がしてきた。
え~、情事のあと、けだるくタバコをふかすなんていうのやりたいよ~。(タバコ吸わないけど^_^;)
もうちょっと余韻に浸らせていただけないものでしょうか~!!
<関連エントリー>
ぐったり
「等式」「首輪」と情事のあと」感想です。いつも、意外性を意識したい、「最後、短いけれども不満じゃないです」と、言う顔が見たくてのぞきこむ。希に、りん子が不満でも仕方がないと自覚するときがあるからね~(笑)
相変わらず手を替え品を替え、いろいろ繰り広げてくれる那智さん。
首輪引っぱりの後はくんにや電マや、次々怒濤のかわいがり。
で、挿入して、なんていうんですか、それまでの怒濤からは想像できないような失速ぶり!?(笑)
いっちゃった…?
思いの外早く??
いいんです、いいんです、それまでがすごかったから。
それを責めるつもりは毛頭ありません。
が。
那智さん、こういうときわざとわたしの顔を覗き込むのだ。
あれ?もう?って思ってるだろ?
そうなんだよ~、おしまいだよ~
りん子はどんな顔しているかな~
といわんばかりのいたずらっ子な爛々とした目で。
わたしとしては快感の余韻だし、さっきまでの絶叫ぶりが照れ臭いから一層余韻に浸ってごまかしたいのに。
そうはさせてくれない。
淫乱女は気恥ずかしくてくすくす笑い出す。
いやいや、こういう場合、どちらかというとサクサクッとイッてしまった男性のほうがバツが悪いものなんじゃないんですか!?と思うけど、そこは『恥ずかしがったら負け』な那智さん理論によりわたしのほうが負けなのだ。
今日はね、こういうのもおもしろいかと思って敢えてイク方向に持っていった(笑)
なんていうから、ちょっと悔しくて反撃。
え~、那智さん、たまらずだったのをごまかしてませんか~?
それはない(笑)
イク方向に持っていったのはあるけど、そうしようと思ってやったんだもん
だそうだ。
まあ、思春期男子でもないので、コントロールは可能でしょうから『たまらず』はなくて、きっとイッちゃいたい気持ちを肯定した程度だろうと思うけど(で、それがおもしろいと判断したのね)
そうそう、那智さん、わりといつも終わったあと、わたしの表情覗き込んで遊ぶのだ。
淫乱女からの落差で照れるわたしと、ごまかそうとオスマシするわたしをおもしろがる。
以前、わたしは復活が早いとエントリーしたことあるけど、これって那智さんが余韻に浸らせてくれないからっていうのも一因のような気がしてきた。
え~、情事のあと、けだるくタバコをふかすなんていうのやりたいよ~。(タバコ吸わないけど^_^;)
もうちょっと余韻に浸らせていただけないものでしょうか~!!
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ぐったり
「等式」「首輪」と情事のあと」感想です。いつも、意外性を意識したい、「最後、短いけれども不満じゃないです」と、言う顔が見たくてのぞきこむ。希に、りん子が不満でも仕方がないと自覚するときがあるからね~(笑)
非純^^;
140字もどき
なにげなく付けていた朝のテレビ番組で、ほのぼの子どもみたいなくくりの面白動画が流れていた。
まだヨチヨチ歩きの赤ちゃんややっとおしゃべりできるくらいの子どもの泣いたり笑ったりのものがいろいろ。
そんな中、手鏡に映った自分の口に歯ブラシを当てて歯磨きらしきことをしている小さい子の映像が流れてきた。
たどたどしい仕草で鏡に向かってシャカシャカする様子は、まあ、微笑ましい。
きっと、鏡に映った顔に歯磨きしているんだろう。
実際、普段はママの膝枕でその手鏡を子どもに持たせて歯磨きしているらしいので、普段の再現なのは想像できる。
そこに撮影したであろうママのコメントが入る。
「鏡に映った子にも歯磨きしてあげているんだと思います。
そんなふうに優しく純粋な気持ちをいつまでも持ち続けてほしいと思います。」
うんうん、わかるわかる、子どもには優しい気持ちを持ってほしいよね。
そういう気持ちが表れているような様子に、そう願わずにいられない親心は痛いほどわかる。
でも…、でも…。
もしかしたら、ね。
普段、あたち、こうやってやられているから、あなたにもやっちゃえ〜(うひひ)
なんて、思ってるかもしれないよ〜。
なんて、想像してしまった。
朝の支度の片隅でなーんにも考えずに流していれば、微笑ましいで済むんだけど、そんな想像してしまう程度に純粋には育たなかったわたし、です^^;
まあ、興味とか好奇心とか、そういう気持ちも多いかなと思うけどね^^
「等式」「非純」感想です。色々な視点から物事を考えられるとも言える。特に弱者とは「何か」との考察にもつながるのかな?(笑)
なにげなく付けていた朝のテレビ番組で、ほのぼの子どもみたいなくくりの面白動画が流れていた。
まだヨチヨチ歩きの赤ちゃんややっとおしゃべりできるくらいの子どもの泣いたり笑ったりのものがいろいろ。
そんな中、手鏡に映った自分の口に歯ブラシを当てて歯磨きらしきことをしている小さい子の映像が流れてきた。
たどたどしい仕草で鏡に向かってシャカシャカする様子は、まあ、微笑ましい。
きっと、鏡に映った顔に歯磨きしているんだろう。
実際、普段はママの膝枕でその手鏡を子どもに持たせて歯磨きしているらしいので、普段の再現なのは想像できる。
そこに撮影したであろうママのコメントが入る。
「鏡に映った子にも歯磨きしてあげているんだと思います。
そんなふうに優しく純粋な気持ちをいつまでも持ち続けてほしいと思います。」
うんうん、わかるわかる、子どもには優しい気持ちを持ってほしいよね。
そういう気持ちが表れているような様子に、そう願わずにいられない親心は痛いほどわかる。
でも…、でも…。
もしかしたら、ね。
普段、あたち、こうやってやられているから、あなたにもやっちゃえ〜(うひひ)
なんて、思ってるかもしれないよ〜。
なんて、想像してしまった。
朝の支度の片隅でなーんにも考えずに流していれば、微笑ましいで済むんだけど、そんな想像してしまう程度に純粋には育たなかったわたし、です^^;
まあ、興味とか好奇心とか、そういう気持ちも多いかなと思うけどね^^
「等式」「非純」感想です。色々な視点から物事を考えられるとも言える。特に弱者とは「何か」との考察にもつながるのかな?(笑)