わたしのこと1『棘と毒』
独特な幸福感
那智さんは今日から海外出張です。
もうお空の上。
気を付けていってらっしゃいませ。
この数日間は、いままで書こうと思っててかけなかったことを書いていこうと思ってます。
パズルのピースをはめていくようなお話で、うまく書けるか自信がなかったからいままで書かなかったこと。
何回かに分けます。
過去に出て来たお話と重なることもあります。
とてもとても個人的なことで、根拠もない仮説で、わたし以外の人には大した話じゃありません。
それでも、よければお付き合いください。
人にマイナスの感情を向けるのが苦手だ。
これは「肯定女」で書いたこととダブってしまうかもしれないけど。
マイナスの感情とは。
否定や拒否。
愚痴。
批判。
悪口や陰口。
責任転嫁。
ときには否定や批判も必要だろう。
責任転嫁は良くないけれど、責任の所在を明らかにする必要があるときだってある。
だけど、そういうことを極力避けてしまう。
それはそれで困った性格だけど。
集まればそこにいない人の噂話ばっかりだったり、愚痴ばかり言って改善策を考えなかったり、何かと言うと人のせいにするような人を見てると、まあ、そんな自分が嫌いじゃないなと思ったりもする。
じゃあ、弱々しい子羊のような人間かというと、そんなことは全然なくて、時々ブログでも見せるような「毒」を持っているのも知っている。
そして、それを持ってる自分も好きだ。
真っ白で純粋よりも、ちょっと色が付いてるほうが面白いものね。
「肯定女の抵抗(笑)」のコメントで那智さんがうまいことわたしを表現してくれたと思う。
相手が特定されない、または、その人に害が及ばない場合に鉄球を投げて、相手が特定される場合や個人に向けては肯定女だと。
そう、わたしには、「毒」はあるけど「棘」はないと思ってる。
過剰に「人を傷付けたくない」と思うわたしには、人を刺す「棘」はない。
「棘」って人に向かうでしょ?
わたしが持っているのは「毒」。
毒は、わたしが持っているだけでは誰も傷付けることはない。
そばに来て、仲良くなって、はじめて「これ舐めてみる?」って「毒」を出す。
舐めてみたいと思う人が舐めるのだから、毒は覚悟の上だ。
「体に悪いかもね〜」と言い合いながら、こっそりと指で掬ってひと舐めする。
これをわたしは、心を許した数少ない人や「りん子」を許容してくれているであろうブログ上で、こっそりと見せているのだ。
そうやって一見平穏に過ごす日々、でも、心穏やかにひっそりとしてばかりはいられないこともある。
なにか「不具合」が起きたとき。
成熟した人なら正常に機能するように原因を見つけ対処し那智正するでしょう。
それが議論や、ときには相手を批判する行為に繋がるかもしれない、でも、それは正常範囲のことだ。
もし、未成熟な人だったら。
多分、原因を追求することもせず、論点をすり替え責任転嫁して自分を正当化して、替わりに誰かを傷付けるのだ。
わたしは、そういう人、いっぱい知ってる(で、けっこう、その被害に遭う 笑)。
そして、わたしのような人間は、自傷するんだ。
こんな衝撃的なことを書くと、また「大げさ!!」と自らに突っ込み入れたくなっちゃうけど^^;
もちろんわたしは目に見える自傷行為はしません。
いつも言ってるけど、わたしはそれほど深刻な状況じゃないからね、もっと苦しんでる人はいます。
でも、それの端っこの端っこくらいの気持ちはわかるような気がするのです。
「不具合」が起きたとき。
わたしは、まず自分を責めてしまう。
冷静に判断すれば原因は他にあるのがわかってても、自分で背負っちゃう。
カタツムリのように頭を引っ込めて、表に向けるはずの棘を自分に向けてしまうのだ。
こうやってわたしは生きてきた。
一方でわたしには「ハツカネズミさん」と名付けたぐるぐるもある。
これは過去エントリーでも書いたけど。
なんていうのかな、いつも走ってるというか居ても立ってもいられないというか、衝動に駆られてしまうようなわたし。
敏感に反応して過剰に走り回るわたし。
だから、肯定女のわたしは子羊のように小さくうずくまり震えているという可愛らしいものではなくて、こっそりと「毒」を持ち、うずくまりながら自傷して、そして、得体の知れない「ハツカネズミ」を抱えているのだ。
これを抱えきれないと、昔は時々姉に泣きついていたな〜。
八つ当たりという「棘」は持っていないから、ただただ泣きついてた。(申し訳なかったなって思います)
いまは、全面的に那智さん。
わたしのハツカネズミを上手に飼いならし、「棘」で自分も他者も刺すことなく負の感情を伝える経験を積ませてくれている。
そして、ここに書き言語化することで整理し、様々な方とのやり取りでまた経験を積んでる。
よく「誰もわかってくれない」と嘆く人がいるけれど、それを聞くといつも違和感を持っていた。
じゃあ、あなたは自分のことわかってるの?って。
だって、わたし、いまになって自分のことわかり始めてるんだよ。
そんなに簡単に人は自分のこと把握できるものじゃないでしょ、自分でもわかっていないことを人にわかってというのは無理がある。
誰かのせいにして嘆く前にわかってもらえるように、自分もわかるように努力しなきゃって思ってる。
ああ、横道逸れちゃった^^;
いくつになっても、自分のことがわかってくるのって幸せだ。
情けない部分を露呈してしまうこともあるけれど、それでも自分のことを知らないよりは知ってもがくほうがずっと、いい。
わたしは、那智さんに出会って、そして、ブログを通じて、自分の心を探ることができていることが、とても嬉しい。
いまのわたしってこういう人。
そして、この数年間で、他にもわかったことがあります。
それを次回書きますね。
那智さんは今日から海外出張です。
もうお空の上。
気を付けていってらっしゃいませ。
この数日間は、いままで書こうと思っててかけなかったことを書いていこうと思ってます。
パズルのピースをはめていくようなお話で、うまく書けるか自信がなかったからいままで書かなかったこと。
何回かに分けます。
過去に出て来たお話と重なることもあります。
とてもとても個人的なことで、根拠もない仮説で、わたし以外の人には大した話じゃありません。
それでも、よければお付き合いください。
人にマイナスの感情を向けるのが苦手だ。
これは「肯定女」で書いたこととダブってしまうかもしれないけど。
マイナスの感情とは。
否定や拒否。
愚痴。
批判。
悪口や陰口。
責任転嫁。
ときには否定や批判も必要だろう。
責任転嫁は良くないけれど、責任の所在を明らかにする必要があるときだってある。
だけど、そういうことを極力避けてしまう。
それはそれで困った性格だけど。
集まればそこにいない人の噂話ばっかりだったり、愚痴ばかり言って改善策を考えなかったり、何かと言うと人のせいにするような人を見てると、まあ、そんな自分が嫌いじゃないなと思ったりもする。
じゃあ、弱々しい子羊のような人間かというと、そんなことは全然なくて、時々ブログでも見せるような「毒」を持っているのも知っている。
そして、それを持ってる自分も好きだ。
真っ白で純粋よりも、ちょっと色が付いてるほうが面白いものね。
「肯定女の抵抗(笑)」のコメントで那智さんがうまいことわたしを表現してくれたと思う。
相手が特定されない、または、その人に害が及ばない場合に鉄球を投げて、相手が特定される場合や個人に向けては肯定女だと。
そう、わたしには、「毒」はあるけど「棘」はないと思ってる。
過剰に「人を傷付けたくない」と思うわたしには、人を刺す「棘」はない。
「棘」って人に向かうでしょ?
わたしが持っているのは「毒」。
毒は、わたしが持っているだけでは誰も傷付けることはない。
そばに来て、仲良くなって、はじめて「これ舐めてみる?」って「毒」を出す。
舐めてみたいと思う人が舐めるのだから、毒は覚悟の上だ。
「体に悪いかもね〜」と言い合いながら、こっそりと指で掬ってひと舐めする。
これをわたしは、心を許した数少ない人や「りん子」を許容してくれているであろうブログ上で、こっそりと見せているのだ。
そうやって一見平穏に過ごす日々、でも、心穏やかにひっそりとしてばかりはいられないこともある。
なにか「不具合」が起きたとき。
成熟した人なら正常に機能するように原因を見つけ対処し那智正するでしょう。
それが議論や、ときには相手を批判する行為に繋がるかもしれない、でも、それは正常範囲のことだ。
もし、未成熟な人だったら。
多分、原因を追求することもせず、論点をすり替え責任転嫁して自分を正当化して、替わりに誰かを傷付けるのだ。
わたしは、そういう人、いっぱい知ってる(で、けっこう、その被害に遭う 笑)。
そして、わたしのような人間は、自傷するんだ。
こんな衝撃的なことを書くと、また「大げさ!!」と自らに突っ込み入れたくなっちゃうけど^^;
もちろんわたしは目に見える自傷行為はしません。
いつも言ってるけど、わたしはそれほど深刻な状況じゃないからね、もっと苦しんでる人はいます。
でも、それの端っこの端っこくらいの気持ちはわかるような気がするのです。
「不具合」が起きたとき。
わたしは、まず自分を責めてしまう。
冷静に判断すれば原因は他にあるのがわかってても、自分で背負っちゃう。
カタツムリのように頭を引っ込めて、表に向けるはずの棘を自分に向けてしまうのだ。
こうやってわたしは生きてきた。
一方でわたしには「ハツカネズミさん」と名付けたぐるぐるもある。
これは過去エントリーでも書いたけど。
なんていうのかな、いつも走ってるというか居ても立ってもいられないというか、衝動に駆られてしまうようなわたし。
敏感に反応して過剰に走り回るわたし。
だから、肯定女のわたしは子羊のように小さくうずくまり震えているという可愛らしいものではなくて、こっそりと「毒」を持ち、うずくまりながら自傷して、そして、得体の知れない「ハツカネズミ」を抱えているのだ。
これを抱えきれないと、昔は時々姉に泣きついていたな〜。
八つ当たりという「棘」は持っていないから、ただただ泣きついてた。(申し訳なかったなって思います)
いまは、全面的に那智さん。
わたしのハツカネズミを上手に飼いならし、「棘」で自分も他者も刺すことなく負の感情を伝える経験を積ませてくれている。
そして、ここに書き言語化することで整理し、様々な方とのやり取りでまた経験を積んでる。
よく「誰もわかってくれない」と嘆く人がいるけれど、それを聞くといつも違和感を持っていた。
じゃあ、あなたは自分のことわかってるの?って。
だって、わたし、いまになって自分のことわかり始めてるんだよ。
そんなに簡単に人は自分のこと把握できるものじゃないでしょ、自分でもわかっていないことを人にわかってというのは無理がある。
誰かのせいにして嘆く前にわかってもらえるように、自分もわかるように努力しなきゃって思ってる。
ああ、横道逸れちゃった^^;
いくつになっても、自分のことがわかってくるのって幸せだ。
情けない部分を露呈してしまうこともあるけれど、それでも自分のことを知らないよりは知ってもがくほうがずっと、いい。
わたしは、那智さんに出会って、そして、ブログを通じて、自分の心を探ることができていることが、とても嬉しい。
いまのわたしってこういう人。
そして、この数年間で、他にもわかったことがあります。
それを次回書きますね。
- 関連記事
-
- ヒラヒラ計画、第1弾? 2006/10/24
- 天敵 2011/07/29
- ある日の記録5 2014/09/05