『わたし』とお知らせ
独特な幸福感
穴として使ってもらう。
人格のない便器。
こんな言葉をときどき目にする。
被虐願望は疼く。
自分という個さえも無視されるほどの被虐。
でも一瞬憧れは抱くけれど、私はそれでは満たされないなとと思う。
私は、ものすごく『わたし』を望むのだ。
わたしを抱きたいと思って。
わたしじゃなきゃダメだと思って。
他の女なんて目に入らないほど、わたしがいいと言って。
わたしを満たして。
あなたじゃなきゃダメだってほど、あなたでわたしをいっぱいにして。
他の人になんか興味がなくなるほど、わたしを雁字搦めにして。
以前モデルの梨花さんが、空気のような存在的な恋愛を求める彼に対して『安心なんかしないで、いつでもハラハラしていて!!』とみたいなことを思ったと言っていた気がする。
私はこれがわかる気がする。
『ハラハラして』というのではないけれど、いつでも100%で好きでいて、100%の好きを受け止めてと思う。
わたしを愛して、わたしを那智さんでいっぱいにして、そしてわたしに酷いことをして。
そんなふうに思うので、己をなくすような『穴』も『便器』もダメみたいなのだ。
時々、この『わたしを、わたしで』と強く求める感情に自分自身が尻込みしてしまうことがある。
熱しやすくて冷めやすい恋愛ばかりしていたから『私は愛するという才能がないんだな』と思っていた。
それを相反するように『100%好きでいて、100%好きでいさせて』と、好きを持て余していた。
この矛盾を感じながら。
人を好きになるたびに、私の溢れる『わたし』が相手に負担になるだろうと、いつもいつも押さえ込んでいた。
少し諦めを込めて。
那智さんは『溢れさせていい』という。
私の『わたし』がいつか那智さんを押し潰してしまわないか時々恐ろしくなるけれど、ためらいなく溢れさせることができるのは幸せで、ずっと蛇口を開けっ放しにしている。
どんなに勢いよく放流させても。
那智さんは怯むことなく、適切に流し、大きなバケツに溜めて遊び、時にはもっととスポンジで吸い上げてくれた。
私は『わたし』じゃなきゃだめ。
だから意志のない『穴』にもなれないし、感情のない『便器』にもなりたくない。
これは現代の日本のSMに於いては、劣等生のMになるよね^^;
性癖として『穴』や『便器』で快感を覚えることはわかる。
私も、そりゃぁ憧れます^^
だけど、それではいやなんだな、私は。
『わたし』を抱いて。
『わたし』で感じて。
と思う。
いまでも『わたし』がぐわーっと湧き上がり、それが私の体の中で暴れ回るような感覚を覚えるときがある。
心の穴の底の深さを覗き込むような気持ちになって、自分でも尻込みしてしまう。
こういうとき、『那智さーん』ってひと言メールをすると、ちょっと落ち着く。
『わたし』アピールだ(笑)
この深い底に尻込みする感じ。
那智さんの『独占欲』を感じるときにも、覗いている気がする。
(『独占欲』『徒然に『独占欲』のこと』)
那智さんの『独占欲』の深い底と私の『わたし』のそれ、同じものを覗き込んでいるのかもしれない。
私たちは似たもの同士なんじゃないかと、時々思う。
同じものを求めてると言ってしまえばそれまでだけど、『わたし』アピールを受け止めてくれると『わたし』が満たされ、どんどん那智さんから離れられなくなる。
これは那智さんの『独占欲』を満足させることになっているはずだ。
ふたりにしかわからないと思うのだけど、なんだか濃密な深い底^^;
って、ただのべったりなカップルってだけなんですけどね^^
<お知らせ>
ところで、ただいま記事カテゴリを編集中です。
『りん子的独り言』をふたつに分けてます。
『りん子的独り言(生意気)』と『りん子的独り言(偉そう)』。
『生意気』のほうは、主にSMや主従や女の性などに対して生意気なことを書いているカテゴリ。
『偉そう』のほうは、人としてとか生きていく上でとか、偉そうなことを書いているカテゴリ。
で分けます。
『父性』や『無価値感』のような話は、ケースバイケースですが、基本的には『生意気』のほうに入れると思います。
やりはじめたらけっこう大変^^;
がんばります〜。
穴として使ってもらう。
人格のない便器。
こんな言葉をときどき目にする。
被虐願望は疼く。
自分という個さえも無視されるほどの被虐。
でも一瞬憧れは抱くけれど、私はそれでは満たされないなとと思う。
私は、ものすごく『わたし』を望むのだ。
わたしを抱きたいと思って。
わたしじゃなきゃダメだと思って。
他の女なんて目に入らないほど、わたしがいいと言って。
わたしを満たして。
あなたじゃなきゃダメだってほど、あなたでわたしをいっぱいにして。
他の人になんか興味がなくなるほど、わたしを雁字搦めにして。
以前モデルの梨花さんが、空気のような存在的な恋愛を求める彼に対して『安心なんかしないで、いつでもハラハラしていて!!』とみたいなことを思ったと言っていた気がする。
私はこれがわかる気がする。
『ハラハラして』というのではないけれど、いつでも100%で好きでいて、100%の好きを受け止めてと思う。
わたしを愛して、わたしを那智さんでいっぱいにして、そしてわたしに酷いことをして。
そんなふうに思うので、己をなくすような『穴』も『便器』もダメみたいなのだ。
時々、この『わたしを、わたしで』と強く求める感情に自分自身が尻込みしてしまうことがある。
熱しやすくて冷めやすい恋愛ばかりしていたから『私は愛するという才能がないんだな』と思っていた。
それを相反するように『100%好きでいて、100%好きでいさせて』と、好きを持て余していた。
この矛盾を感じながら。
人を好きになるたびに、私の溢れる『わたし』が相手に負担になるだろうと、いつもいつも押さえ込んでいた。
少し諦めを込めて。
那智さんは『溢れさせていい』という。
私の『わたし』がいつか那智さんを押し潰してしまわないか時々恐ろしくなるけれど、ためらいなく溢れさせることができるのは幸せで、ずっと蛇口を開けっ放しにしている。
どんなに勢いよく放流させても。
那智さんは怯むことなく、適切に流し、大きなバケツに溜めて遊び、時にはもっととスポンジで吸い上げてくれた。
私は『わたし』じゃなきゃだめ。
だから意志のない『穴』にもなれないし、感情のない『便器』にもなりたくない。
これは現代の日本のSMに於いては、劣等生のMになるよね^^;
性癖として『穴』や『便器』で快感を覚えることはわかる。
私も、そりゃぁ憧れます^^
だけど、それではいやなんだな、私は。
『わたし』を抱いて。
『わたし』で感じて。
と思う。
いまでも『わたし』がぐわーっと湧き上がり、それが私の体の中で暴れ回るような感覚を覚えるときがある。
心の穴の底の深さを覗き込むような気持ちになって、自分でも尻込みしてしまう。
こういうとき、『那智さーん』ってひと言メールをすると、ちょっと落ち着く。
『わたし』アピールだ(笑)
この深い底に尻込みする感じ。
那智さんの『独占欲』を感じるときにも、覗いている気がする。
(『独占欲』『徒然に『独占欲』のこと』)
那智さんの『独占欲』の深い底と私の『わたし』のそれ、同じものを覗き込んでいるのかもしれない。
私たちは似たもの同士なんじゃないかと、時々思う。
同じものを求めてると言ってしまえばそれまでだけど、『わたし』アピールを受け止めてくれると『わたし』が満たされ、どんどん那智さんから離れられなくなる。
これは那智さんの『独占欲』を満足させることになっているはずだ。
ふたりにしかわからないと思うのだけど、なんだか濃密な深い底^^;
って、ただのべったりなカップルってだけなんですけどね^^
<お知らせ>
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『りん子的独り言』をふたつに分けてます。
『りん子的独り言(生意気)』と『りん子的独り言(偉そう)』。
『生意気』のほうは、主にSMや主従や女の性などに対して生意気なことを書いているカテゴリ。
『偉そう』のほうは、人としてとか生きていく上でとか、偉そうなことを書いているカテゴリ。
で分けます。
『父性』や『無価値感』のような話は、ケースバイケースですが、基本的には『生意気』のほうに入れると思います。
やりはじめたらけっこう大変^^;
がんばります〜。