『おちんぽ様』 case薬指(笑)
独り言
さて。
前エントリーを読んでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが…、ええ、呼んでます『おちんぽ様』。
これで『おちんぽ様』について書くのは何回目だろう。
『男様』では性器に様をつけたいと思う男性を滑稽だといい。
『オチンポ様への道』では女性側に堕ちる快感、堕ちる自己愛があるなら、まあわかると納得。
『続 オチンポ様への道』のときには性器を別人格と捉えて、それにさえ焦がれてしまう道が、この先にあるのかな〜と書いた。
『例えていうなら』では、それを飢餓状態時の白米と位置付け、やっぱりなかなか言えるもんじゃないよね〜と抵抗している。
わたしのおちんぽ様遍歴は実はけっこう長い^^;
最初の頃はあり得ない!!ものだったものが、それによる自分なりの快感を想像してすこし見方を変え、それと平行するように快感にも変化が起こり、いつの間にか『言わされて(言わせてもらってともいう)』快感を知るようになっていった。
遍歴の最後のほうは『言わされる(言わせてもらう』ことは快感を増幅させるワードになっていた。
『わたし大改造』のいま、うう、直近の場合は自ら口にしている^^;
ああ、あのね、普段から口にしているわけじゃないのですよ。
普段は、その部位のどんな名称だってできれば言わずに会話を進めようと努めているくらいなんだよ!!
有事の特殊環境に限ってのことであることは間違いないのです;;
いりん子れを書きながらだって、ああ、『男様』を書いた頃の自分や同じ感想を持っていた人たちはこの変わり身に驚かれているのではないかと思うと、非常に居心地悪い(笑)
それでも、それでも、認めよう。
わたしは、それを自ら口にして切実に欲しがり、口にして快感に堕ちている。
ああ、真っ逆さまに堕ちている気分。
でも、ただではおっこちないのだ!!
わたしにとってのそれはなんなのだろう!!と、いまのわたしたちの『おちんぽ様』事情を検証してみよう!!(あれ?なんか前振りだけ盛り上がってる^^;)
上下の下のわたしの意志は、イコール那智さんの意思だ。
故に『おちんぽ様』だって那智さんの意図が十二分に作用していることは当然のこと。
ということで、那智さんはどう思っているのでしょう?
まず、考えられるのは性器に『様』をつけて崇めさせることによる自尊心の満足。
これはゼロに等しいそうです。
ただ那智さん(男性?)は、おちんちんを『息子』とか『ジュニア』なんていうように、(特に若い頃?)手のかかるちょっと困った相棒くらいに感じていたようで、少なからず愛着もあるようです。
だから崇められたい気持ちはゼロでも、愛着のある相棒を愛される満足のようなものは数%くらいはあるらしい。
(自分の子供が褒められると、自分も嬉しいみたいな感じ?)
那智さん自身は『おちんぽ様』という呼び方は滑稽だと思っている。
だけどそれを口にするわたしが堕ちる快感に酔い、より一層感じるから快感のスイッチのひとつとしての位置付けでもあるだろう。
そして最大の理由は、散々抵抗していた名称を言わされるとか決まり事ではなくて、その滑稽な名称のものを切実に欲して真剣に口にしてしまうようなほどの淫乱を作りたかったのだそうだ。
『おちんぽ様』が話題に出た当初は試しに言わせたり、数ヶ月話題に出さなかったりして、ここ最近は訓練とも取れるように『言わされて(言わせてもらって)』いた。
その積み重ねと大改造の結果、いま那智さんの最大の理由だった滑稽なものが滑稽と感じられないほどの欲情をするわたしが出来たわけだ。
その欲情の大きさを表すものが『おちんぽ様』なわけです。
相棒を褒められる少しの満足感と、快感のスイッチ、真剣にそれを求めるほどの淫乱。
これが那智さんの理由。
わたしは、どうなんだろう?
お付き合いというのは双方影響し合うもので、特にわたしたちの関係は那智さんの意図が色濃く反映している。
その那智さんが作ってきたのでどうしても似たような感覚にはなるかな。
入れてもらうことを切実に望み乞う堕落とそんな淫乱な自分を解放する快感。
与えられる立場の快感。
この堕落と解放と与えられる立場の快感をより一層大きくするためには、振れ幅が大きいほうがいい。
そのためには、性器に様をつける、しかも『おちんぽ』なんていう、やはり(わたしからしたら)滑稽なほうがいいのではないかと思う。
それが言えちゃう自分の堕落と解放の快感なんだ。
そして『おちんぽ様』を入れてほしいと必死なわたしや、入れてもらってあうあうと喜ぶわたしが、わたしはいとおしい。
やっぱり歪んだ自己愛^^
ここにはね、そんな名称を口にする『屈辱』や『みじめさ』はほとんどないんだよね。
本当の屈辱もないし、屈辱感による被虐の快感みたいなものもない。
わたしが『おちんぽ様』に被虐を感じないのは、那智さんもそのわたしをいとおしいと思ってくれているからだと思う。
『おちんぽ様』を真剣に乞う堕落と解放と、その自分がいとおしい自己愛の快感。
那智さん流『おちんぽ様』が、わたしの快感の種類になっている。
これが薬指版の『おちんぽ様』事情なのでした^^
おまけで^^
『おちんぽ様』を口にするとき、ほんのすこしこそばゆい。
これはね、たとえば小さい子が『おちんちんやオシッコ』の話できゃあきゃあ喜ぶような感覚。
だから、滑稽と言っても微笑ましくてこそばゆい感じも含まれる。
このこそばゆいのも、気持ち良さの一部でもある、と感じています^^
(これはmineさんのそれを可愛いというつぶやきからの気づきでした。mineさん、勝手に名前出してごめん!!!)
あ〜あ、なんだか歌を口ずさみたくなるわ。
人ごみに流されて変わってゆくわたしを、あなたは時々遠くで叱って〜♪
あ〜ん、誰か叱ってください(笑)
<関連エントリー>
歪んだ自己愛
『ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭』
さて。
前エントリーを読んでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが…、ええ、呼んでます『おちんぽ様』。
これで『おちんぽ様』について書くのは何回目だろう。
『男様』では性器に様をつけたいと思う男性を滑稽だといい。
『オチンポ様への道』では女性側に堕ちる快感、堕ちる自己愛があるなら、まあわかると納得。
『続 オチンポ様への道』のときには性器を別人格と捉えて、それにさえ焦がれてしまう道が、この先にあるのかな〜と書いた。
『例えていうなら』では、それを飢餓状態時の白米と位置付け、やっぱりなかなか言えるもんじゃないよね〜と抵抗している。
わたしのおちんぽ様遍歴は実はけっこう長い^^;
最初の頃はあり得ない!!ものだったものが、それによる自分なりの快感を想像してすこし見方を変え、それと平行するように快感にも変化が起こり、いつの間にか『言わされて(言わせてもらってともいう)』快感を知るようになっていった。
遍歴の最後のほうは『言わされる(言わせてもらう』ことは快感を増幅させるワードになっていた。
『わたし大改造』のいま、うう、直近の場合は自ら口にしている^^;
ああ、あのね、普段から口にしているわけじゃないのですよ。
普段は、その部位のどんな名称だってできれば言わずに会話を進めようと努めているくらいなんだよ!!
有事の特殊環境に限ってのことであることは間違いないのです;;
いりん子れを書きながらだって、ああ、『男様』を書いた頃の自分や同じ感想を持っていた人たちはこの変わり身に驚かれているのではないかと思うと、非常に居心地悪い(笑)
それでも、それでも、認めよう。
わたしは、それを自ら口にして切実に欲しがり、口にして快感に堕ちている。
ああ、真っ逆さまに堕ちている気分。
でも、ただではおっこちないのだ!!
わたしにとってのそれはなんなのだろう!!と、いまのわたしたちの『おちんぽ様』事情を検証してみよう!!(あれ?なんか前振りだけ盛り上がってる^^;)
上下の下のわたしの意志は、イコール那智さんの意思だ。
故に『おちんぽ様』だって那智さんの意図が十二分に作用していることは当然のこと。
ということで、那智さんはどう思っているのでしょう?
まず、考えられるのは性器に『様』をつけて崇めさせることによる自尊心の満足。
これはゼロに等しいそうです。
ただ那智さん(男性?)は、おちんちんを『息子』とか『ジュニア』なんていうように、(特に若い頃?)手のかかるちょっと困った相棒くらいに感じていたようで、少なからず愛着もあるようです。
だから崇められたい気持ちはゼロでも、愛着のある相棒を愛される満足のようなものは数%くらいはあるらしい。
(自分の子供が褒められると、自分も嬉しいみたいな感じ?)
那智さん自身は『おちんぽ様』という呼び方は滑稽だと思っている。
だけどそれを口にするわたしが堕ちる快感に酔い、より一層感じるから快感のスイッチのひとつとしての位置付けでもあるだろう。
そして最大の理由は、散々抵抗していた名称を言わされるとか決まり事ではなくて、その滑稽な名称のものを切実に欲して真剣に口にしてしまうようなほどの淫乱を作りたかったのだそうだ。
『おちんぽ様』が話題に出た当初は試しに言わせたり、数ヶ月話題に出さなかったりして、ここ最近は訓練とも取れるように『言わされて(言わせてもらって)』いた。
その積み重ねと大改造の結果、いま那智さんの最大の理由だった滑稽なものが滑稽と感じられないほどの欲情をするわたしが出来たわけだ。
その欲情の大きさを表すものが『おちんぽ様』なわけです。
相棒を褒められる少しの満足感と、快感のスイッチ、真剣にそれを求めるほどの淫乱。
これが那智さんの理由。
わたしは、どうなんだろう?
お付き合いというのは双方影響し合うもので、特にわたしたちの関係は那智さんの意図が色濃く反映している。
その那智さんが作ってきたのでどうしても似たような感覚にはなるかな。
入れてもらうことを切実に望み乞う堕落とそんな淫乱な自分を解放する快感。
与えられる立場の快感。
この堕落と解放と与えられる立場の快感をより一層大きくするためには、振れ幅が大きいほうがいい。
そのためには、性器に様をつける、しかも『おちんぽ』なんていう、やはり(わたしからしたら)滑稽なほうがいいのではないかと思う。
それが言えちゃう自分の堕落と解放の快感なんだ。
そして『おちんぽ様』を入れてほしいと必死なわたしや、入れてもらってあうあうと喜ぶわたしが、わたしはいとおしい。
やっぱり歪んだ自己愛^^
ここにはね、そんな名称を口にする『屈辱』や『みじめさ』はほとんどないんだよね。
本当の屈辱もないし、屈辱感による被虐の快感みたいなものもない。
わたしが『おちんぽ様』に被虐を感じないのは、那智さんもそのわたしをいとおしいと思ってくれているからだと思う。
『おちんぽ様』を真剣に乞う堕落と解放と、その自分がいとおしい自己愛の快感。
那智さん流『おちんぽ様』が、わたしの快感の種類になっている。
これが薬指版の『おちんぽ様』事情なのでした^^
おまけで^^
『おちんぽ様』を口にするとき、ほんのすこしこそばゆい。
これはね、たとえば小さい子が『おちんちんやオシッコ』の話できゃあきゃあ喜ぶような感覚。
だから、滑稽と言っても微笑ましくてこそばゆい感じも含まれる。
このこそばゆいのも、気持ち良さの一部でもある、と感じています^^
(これはmineさんのそれを可愛いというつぶやきからの気づきでした。mineさん、勝手に名前出してごめん!!!)
あ〜あ、なんだか歌を口ずさみたくなるわ。
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あ〜ん、誰か叱ってください(笑)
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