わたし大改造
独特な幸福感
那智さんと知り合って最初の数ヶ月はわたし大改造だった。
父のこと、相手を見下していること、性癖、自分が幸せになりきれない問題と原因を引っ張り出して丁寧に拭いて並べ直してもらった数ヶ月。
実際、それまで父に感じていたコンプレックスは徐々に減っていき、いままで不定期だった生理がきっちり毎月来るようになり、しばらくはずっとおまんこが腫れているような状態、意識も体も骨組みから変わってしまったようだった。
あのときを第一次大改造だとしたなら、この1、2ヶ月は第二次大改造なんじゃないかと感じている。
快感がすごいのだ。
那智さんが指で乳首を弾くだけで全身が気持ちいい、おまんこにおちんちんでも指でも、それがダメならバイブでも、とにかく突っ込んでほしくてたまらない。
覆いかぶされるようにベッドに横たわるだけで、息があがり、もうしてほしくてしてほしくて涎を垂らす犬のようだ。
ほんのわずかな時間乳首を愛撫されただけでもう『入れてください、入れてください』とお願いしてしまう。
欲情のために情緒が安定しなくなる『女という性』を認めてからは、その深い業を解放できる快感に意識も体も変わってきている。
性的に乱れることは恥ずかしいこと。
欲しがることはみっともないこと。
そんな意識を取っ払う。
『入れてください』とお願いするわたしに言葉にしてごらんと言う。
那智さんのおちんぽ様を入れてもらいたくて、入れてくださいとお願いして入れてもらうことと、関係が好きです。
『ください』と乞う。
与える与えられる関係値。
わたしは『那智さんにおちんぽ様を入れてもらう』ことに代え難い喜びを感じ、堕落と与えられる立場に酔う。
『入れていただく』という謙譲語を心から言う気持ちと口にする快感の両方で『おちんぽ様を入れていただくことが、好き』『入れていただく立場が好き』と腰を振りながら叫ぶ。
自分の性欲を認め堕落の快感を受け入れたわたしは、たぶん、いま再び改造されているように思うのだ。
ガラガラと自分の中が音を立てているのが聞こえている。
前エントリーに書いたように、どんなに堕落の快感を覚えたとしても、那智さんはそのわたしを卑下しないことがわかっている。
そこにあるのは『ここまで来たか』という満足感と『与えられて満足しているわたしを見る』満足感(『与えている満足感』とはすこし異なるようです、わかる?笑)が多くを占めているそうだ。
それを感じさせてもらえているから安心して堕ちることができるのだと思う。
確か出会って3、4回目のホテルだったと思う。
「『いやいや、入れてくれなきゃ、いやー』って言ってみ(笑)」と両手をグーにしてアゴの下でゆさゆささせるブリッコポーズ付きでやらされたことがある。
互いに超スーパー冗談だったのだけど、8年経って、なんだか似たような、ううん、もっと切実な状態になってしまっている^^;
この切実さは、那智さんに抱いてもらわないと欲情してしまって落ち込むほどの女になって表れている。
情緒が安定しないことは手間をかけさせることだけど、最近はそれを認め受け入れることができたから、今後は同じ不安定でもこちらの訴え方を変えられると思う。
それにも、8年、かかった(笑)
自分のおちんちんを思い出して欲情してはあはあする女を作るには、けっこう手間ひまかかるのだ。
情緒が不安定になるほどの欲情にしたいかどうかは、男性側の好みにもよるかもしれないけどね^^
『ください』と乞い、与えられる立場の快感を覚えた。
自分は(もしかしたらって、まだもしかしたらにしている^^;)性欲が強く、それで情緒が安定しない女(らしい、まだらしでいる^^;)
この意識と体の変化は二度目の大改造。
これを実感してすこし不安になって聞いてみる。
わたしたちは与え与えられる関係?
わたしは那智さんから『いただく』立場?
こういうふうに聞くと必ず同じ答えが返ってくる。
そういう側面も、ある。
とても大事な側面だけど、『側面』であることは、わたしをすこし安心させてくれる。
この安心は良い作用があるはずだ。
大改造の結果は、体の快感や意識の解放。
そしてもうひとつ、わたしは淫乱な自分に恥ずかしいという気持ちはあるけれど、いつも同時に湧く自己嫌悪がほとんどなくなっているのだ。
これはとても幸福な改造だと思う。
<関連エントリー>
前エントリー
『徒然に女という性』
自己嫌悪、厄介だったんだよ〜。
『徒然に「自己嫌悪」のこと』
『「よかったね」』
那智さんと知り合って最初の数ヶ月はわたし大改造だった。
父のこと、相手を見下していること、性癖、自分が幸せになりきれない問題と原因を引っ張り出して丁寧に拭いて並べ直してもらった数ヶ月。
実際、それまで父に感じていたコンプレックスは徐々に減っていき、いままで不定期だった生理がきっちり毎月来るようになり、しばらくはずっとおまんこが腫れているような状態、意識も体も骨組みから変わってしまったようだった。
あのときを第一次大改造だとしたなら、この1、2ヶ月は第二次大改造なんじゃないかと感じている。
快感がすごいのだ。
那智さんが指で乳首を弾くだけで全身が気持ちいい、おまんこにおちんちんでも指でも、それがダメならバイブでも、とにかく突っ込んでほしくてたまらない。
覆いかぶされるようにベッドに横たわるだけで、息があがり、もうしてほしくてしてほしくて涎を垂らす犬のようだ。
ほんのわずかな時間乳首を愛撫されただけでもう『入れてください、入れてください』とお願いしてしまう。
欲情のために情緒が安定しなくなる『女という性』を認めてからは、その深い業を解放できる快感に意識も体も変わってきている。
性的に乱れることは恥ずかしいこと。
欲しがることはみっともないこと。
そんな意識を取っ払う。
『入れてください』とお願いするわたしに言葉にしてごらんと言う。
那智さんのおちんぽ様を入れてもらいたくて、入れてくださいとお願いして入れてもらうことと、関係が好きです。
『ください』と乞う。
与える与えられる関係値。
わたしは『那智さんにおちんぽ様を入れてもらう』ことに代え難い喜びを感じ、堕落と与えられる立場に酔う。
『入れていただく』という謙譲語を心から言う気持ちと口にする快感の両方で『おちんぽ様を入れていただくことが、好き』『入れていただく立場が好き』と腰を振りながら叫ぶ。
自分の性欲を認め堕落の快感を受け入れたわたしは、たぶん、いま再び改造されているように思うのだ。
ガラガラと自分の中が音を立てているのが聞こえている。
前エントリーに書いたように、どんなに堕落の快感を覚えたとしても、那智さんはそのわたしを卑下しないことがわかっている。
そこにあるのは『ここまで来たか』という満足感と『与えられて満足しているわたしを見る』満足感(『与えている満足感』とはすこし異なるようです、わかる?笑)が多くを占めているそうだ。
それを感じさせてもらえているから安心して堕ちることができるのだと思う。
確か出会って3、4回目のホテルだったと思う。
「『いやいや、入れてくれなきゃ、いやー』って言ってみ(笑)」と両手をグーにしてアゴの下でゆさゆささせるブリッコポーズ付きでやらされたことがある。
互いに超スーパー冗談だったのだけど、8年経って、なんだか似たような、ううん、もっと切実な状態になってしまっている^^;
この切実さは、那智さんに抱いてもらわないと欲情してしまって落ち込むほどの女になって表れている。
情緒が安定しないことは手間をかけさせることだけど、最近はそれを認め受け入れることができたから、今後は同じ不安定でもこちらの訴え方を変えられると思う。
それにも、8年、かかった(笑)
自分のおちんちんを思い出して欲情してはあはあする女を作るには、けっこう手間ひまかかるのだ。
情緒が不安定になるほどの欲情にしたいかどうかは、男性側の好みにもよるかもしれないけどね^^
『ください』と乞い、与えられる立場の快感を覚えた。
自分は(もしかしたらって、まだもしかしたらにしている^^;)性欲が強く、それで情緒が安定しない女(らしい、まだらしでいる^^;)
この意識と体の変化は二度目の大改造。
これを実感してすこし不安になって聞いてみる。
わたしたちは与え与えられる関係?
わたしは那智さんから『いただく』立場?
こういうふうに聞くと必ず同じ答えが返ってくる。
そういう側面も、ある。
とても大事な側面だけど、『側面』であることは、わたしをすこし安心させてくれる。
この安心は良い作用があるはずだ。
大改造の結果は、体の快感や意識の解放。
そしてもうひとつ、わたしは淫乱な自分に恥ずかしいという気持ちはあるけれど、いつも同時に湧く自己嫌悪がほとんどなくなっているのだ。
これはとても幸福な改造だと思う。
<関連エントリー>
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『徒然に女という性』
自己嫌悪、厄介だったんだよ〜。
『徒然に「自己嫌悪」のこと』
『「よかったね」』
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