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りん子的独り言(エラそう)
『負に巣食う人々』の続きです。
『りん子的独り言(エラそう)』なので、SMや主従についてではありません。
でも『負に巣食う人々』を読んで不快に感じた人は読まないほうがいいかもしれません。
『負に巣食う人々のおいしいエサになっちゃいけない』
共感や励ましが、もしかしたら『不幸に留まらせるコントロール』かもしれない。
問題の本質から目を逸らさないほうがいい。
そんなことを書きました。
じゃあ、『エサ』ってなんだろう。
例え本質から目を逸らしていたとしても本人がそれでいいなら、いいじゃない。
エサなんて大げさ。
たしかにそうかもしれない。
だけどわたしはそんなふうに感じてしまうのだ。
『エサ』のお話。
感じ方のひとつとして読んでください。
一度目の結婚を破棄して新しく生活を始めようと仕事に就いた。
初めての職種、慣れない仕事を一から教えてくれた上司がいた。
新しく店長になったその男性は傾きかけた店を任され、新人のわたしにもずいぶん期待と手をかけてくれた。
まだ正式に離婚が成立しておらず、履歴書と住民票の名字が違ったり^^;小さな会社だったから、その辺りも相談して融通を利かせてくれたりしていた。
なんとなくウマが合う人だったのでわたしは彼のいうことをぐんぐん吸収して、しばらくしたら慣れないながらも同世代の女性社員とうことで、右腕というか女房役のようなポジションになっていた。
その会社も辞め再婚し子供も産み、那智さんとも出会い育んでいる中、数年ぶりにその上司から連絡がきた。
ひさしぶりにメシでも食おうということだった。
夫もかつて一緒に仕事をしていたからわたしとしてはなんらやましい気持ちはなく当然夫にも伝えて、当時まだ小さかった子供を連れて近況報告をしながらランチをした。
実は、上司は退社しひとりで事業をはじめ、それを機に奥さんとは別居したそうだ。
その日を境に上司から頻繁に連絡が来るようになった。
明らかにおかしかった。
わたしを誘おうとしているならまだわかりやすいのだけど、そうじゃないの。
なんていうかな、わたしに『わたしは不幸だ』と思わせたがっているのだ。
たしかに最初のランチのときに『りん子ちゃんは○○(夫)とうまくやってるの?』聞かれて一瞬言葉に詰まった(夫とうまくいっているかどうかではなく、那智さんの存在が一瞬のためらいを生んだのだ)、そして誰にも言えない那智さんとの関係を誰かに聞いてもらいたい、そんな気持ちも僅かに湧いた。
そこを見逃さなかったようで。
りん子ちゃんは何か我慢しているんじゃないか
俺でよければ相談に乗るよ
隙をつくような話をする。
そんなことないですよ
夫とは仲良くやってます
やんわりと否定すれば食い下がる。
そうそう子供の様子を見ていても、なんか父親からの愛情不足に思えた
うまくいっていないんじゃないか
日に日にメールや電話の数が増え、そのたびに『我慢していないか』『相談に乗る』としつこくなってくる。
いえいえ、仮に相談したほうがいいことがあっても、わたしには相談する人がいますから大丈夫です
なかなか引き下がってくれないからわたしも何度もこんな風に断っていると、最初は親切で言ってくれていた発言がだんだん『わたしのため』に言っている言葉ではなくなってくる。
昔のりん子ちゃんはそんなんじゃなかった
りん子ちゃんは変わった
俺がりん子ちゃんのためを思っていっているのがわからないのか
いつの間にか、わたし否定になっているのだ。
最後にはわたしがDVの被害にでも遭っているとまで言い出した。
いい加減腹が立った。
たしかにあの頃とは変わったかもしれない。
でも何年も音沙汰なく、なんら責任を負わない立場で変わったと責められるなんて、その数年わたしに関わってくれた人たちに失礼だ。
夫にも、もちろん那智さんにも。
ここでわたしは見切りをつけてもう連絡はして来ないでくれとばっさり切った。
以前の不安定なわたしだったら、きっと自分の本心がわからず戸惑ってしまっていただろう。
親切に言ってくれているし断ったらなんだか悪いような気もするし、どうしたら良いかわからずズルズルと上司の話に付き合ったり出かけて行ったりしていたかもしれない。
きっとそれを重ねるうちに、知らぬ間に『断れない』ことと『自分は不幸なのかも』という負の感情を抱えるようになっていたかもしれない。
那智さんと知り合う以前からどうして幸福になりきれないか自問して、知り合ってからさらにたくさんの自分と向き合い、わたしの特性みたいなものを理解してきていたから気づいたんだ。
上司はわたしを思い通りにしようとしているって。
この上司は自分の環境が良好ではなかったから、きっとわたしも不幸にしたかったのだろう。
不幸にして、そこから自分が手を差し伸べることでコントロールする優越感を味わいたかったのだ。
このことがきっかけで、コントロールする人というのは存在していて、わたしはずっと昔からそういう人のエサになっていたんだなと気づいたのです。
前エントリーの『負に巣食う人々』からも人を不幸にして優しいフリをしてそこに留め、感謝される優越感みたいな、それと同じ空気を感じる。
この状態を『負に巣食う人々のエサになっている』と表現したのです。
じゃあ、エサってなんだろう?
エサといったって、男性自身もたかがブログのコメント欄、『あわよくば喰っちゃえ』なんて明確な意図はないはずだよね。
当然女性なんて喰うも喰わないもない。
おそらく彼らはほとんど無意識にコントロールする優越感に浸っているはずだ。
負の感情を抱いているM女さんもエサになっている意識はないよね。
目を逸らしてくれているのだから、むしろ頼もしい理解者くらいに感じているだろう。
だから、無意識のうちに『コントロールする、される』『優越感を感じる、感じさせる』関係値ができあがっているのだ。
この関係値だけではセックスするわけじゃないしお金も取られないし、実害はないようにみえるよね。
でも確実に搾取されている。
それは『自尊心』。
かつて、わたしは自分には愛される価値がないと感じていた。
不安定なわたしは何かにすがりたかった。
それを嗅ぎ取る人間はいる、男でも女でも。
その人たちは親切を装い自分の思い通りのわたしでいさせようとしていた。
他人にコントロールされること、誰かの優越感を味わう対象でいるということは自尊心を搾取される行為だ。
(例えば、勝負事のような一瞬の優劣はしかたないよね。わたしがいっているのは継続してということです)
誰かに優越感を感じさせているのだ、どんどん自分を大切なものに思えなくなっていく。
自分は大切にされなくてもしかたがないという感覚に支配されていく。
自分で自分を大切に思えなくなるということは、とてもとても大きなダメージだ。
自尊心を搾取される、エサになるということはそういうことだと、わたしは感じている。
人は誰かの影響を受けて生きていくもの。
それだってコントロールといえなくもない。
迷ったときは誰かの意見も参考になる。
大切なことはそれを自分で選んでいるかということと、発言者がどれだけあなたを思ってくれているかということをしっかり見極め肌で感じることだと思う。
負に巣食う人のエサにならないでね。
自尊心を食べられないようにするにはまず自分が自分を大切に思うことだ。
そしたら、すこし見える景色も違ってくるかもしれない。
はっきりいって、わたしは那智さんにコントロールされている^^
なんてったて那智さんの意思はわたしの意志だもの。
迷ったときに『那智さんならどうするか』というのが、わたしの道標になっている。
これをコントロールと言わずしてなんと言おう(笑)
わたしのような同化願望の強い人間はコントロール下であることは、実はとても安定した気持ちで過ごせる。
安定すれば自分で歩ける。
それならば、一緒に薬指に刺青入れてくれる人ようなにコントロールされていたい^^
さらに自分のほうが大きく入っちゃってるくらいの人なら尚良い^^
<関連エントリー>
たまには一気に^^那智さんに出会う前からのこと
『惹かれ合う理由』
愛される価値がないと思っていたこと
尊重されないわたし
『怒らない私4』
『怒らない私で思ったこと』
『暗闇の安息』
『負に巣食う人々』の続きです。
『りん子的独り言(エラそう)』なので、SMや主従についてではありません。
でも『負に巣食う人々』を読んで不快に感じた人は読まないほうがいいかもしれません。
『負に巣食う人々のおいしいエサになっちゃいけない』
共感や励ましが、もしかしたら『不幸に留まらせるコントロール』かもしれない。
問題の本質から目を逸らさないほうがいい。
そんなことを書きました。
じゃあ、『エサ』ってなんだろう。
例え本質から目を逸らしていたとしても本人がそれでいいなら、いいじゃない。
エサなんて大げさ。
たしかにそうかもしれない。
だけどわたしはそんなふうに感じてしまうのだ。
『エサ』のお話。
感じ方のひとつとして読んでください。
一度目の結婚を破棄して新しく生活を始めようと仕事に就いた。
初めての職種、慣れない仕事を一から教えてくれた上司がいた。
新しく店長になったその男性は傾きかけた店を任され、新人のわたしにもずいぶん期待と手をかけてくれた。
まだ正式に離婚が成立しておらず、履歴書と住民票の名字が違ったり^^;小さな会社だったから、その辺りも相談して融通を利かせてくれたりしていた。
なんとなくウマが合う人だったのでわたしは彼のいうことをぐんぐん吸収して、しばらくしたら慣れないながらも同世代の女性社員とうことで、右腕というか女房役のようなポジションになっていた。
その会社も辞め再婚し子供も産み、那智さんとも出会い育んでいる中、数年ぶりにその上司から連絡がきた。
ひさしぶりにメシでも食おうということだった。
夫もかつて一緒に仕事をしていたからわたしとしてはなんらやましい気持ちはなく当然夫にも伝えて、当時まだ小さかった子供を連れて近況報告をしながらランチをした。
実は、上司は退社しひとりで事業をはじめ、それを機に奥さんとは別居したそうだ。
その日を境に上司から頻繁に連絡が来るようになった。
明らかにおかしかった。
わたしを誘おうとしているならまだわかりやすいのだけど、そうじゃないの。
なんていうかな、わたしに『わたしは不幸だ』と思わせたがっているのだ。
たしかに最初のランチのときに『りん子ちゃんは○○(夫)とうまくやってるの?』聞かれて一瞬言葉に詰まった(夫とうまくいっているかどうかではなく、那智さんの存在が一瞬のためらいを生んだのだ)、そして誰にも言えない那智さんとの関係を誰かに聞いてもらいたい、そんな気持ちも僅かに湧いた。
そこを見逃さなかったようで。
りん子ちゃんは何か我慢しているんじゃないか
俺でよければ相談に乗るよ
隙をつくような話をする。
そんなことないですよ
夫とは仲良くやってます
やんわりと否定すれば食い下がる。
そうそう子供の様子を見ていても、なんか父親からの愛情不足に思えた
うまくいっていないんじゃないか
日に日にメールや電話の数が増え、そのたびに『我慢していないか』『相談に乗る』としつこくなってくる。
いえいえ、仮に相談したほうがいいことがあっても、わたしには相談する人がいますから大丈夫です
なかなか引き下がってくれないからわたしも何度もこんな風に断っていると、最初は親切で言ってくれていた発言がだんだん『わたしのため』に言っている言葉ではなくなってくる。
昔のりん子ちゃんはそんなんじゃなかった
りん子ちゃんは変わった
俺がりん子ちゃんのためを思っていっているのがわからないのか
いつの間にか、わたし否定になっているのだ。
最後にはわたしがDVの被害にでも遭っているとまで言い出した。
いい加減腹が立った。
たしかにあの頃とは変わったかもしれない。
でも何年も音沙汰なく、なんら責任を負わない立場で変わったと責められるなんて、その数年わたしに関わってくれた人たちに失礼だ。
夫にも、もちろん那智さんにも。
ここでわたしは見切りをつけてもう連絡はして来ないでくれとばっさり切った。
以前の不安定なわたしだったら、きっと自分の本心がわからず戸惑ってしまっていただろう。
親切に言ってくれているし断ったらなんだか悪いような気もするし、どうしたら良いかわからずズルズルと上司の話に付き合ったり出かけて行ったりしていたかもしれない。
きっとそれを重ねるうちに、知らぬ間に『断れない』ことと『自分は不幸なのかも』という負の感情を抱えるようになっていたかもしれない。
那智さんと知り合う以前からどうして幸福になりきれないか自問して、知り合ってからさらにたくさんの自分と向き合い、わたしの特性みたいなものを理解してきていたから気づいたんだ。
上司はわたしを思い通りにしようとしているって。
この上司は自分の環境が良好ではなかったから、きっとわたしも不幸にしたかったのだろう。
不幸にして、そこから自分が手を差し伸べることでコントロールする優越感を味わいたかったのだ。
このことがきっかけで、コントロールする人というのは存在していて、わたしはずっと昔からそういう人のエサになっていたんだなと気づいたのです。
前エントリーの『負に巣食う人々』からも人を不幸にして優しいフリをしてそこに留め、感謝される優越感みたいな、それと同じ空気を感じる。
この状態を『負に巣食う人々のエサになっている』と表現したのです。
じゃあ、エサってなんだろう?
エサといったって、男性自身もたかがブログのコメント欄、『あわよくば喰っちゃえ』なんて明確な意図はないはずだよね。
当然女性なんて喰うも喰わないもない。
おそらく彼らはほとんど無意識にコントロールする優越感に浸っているはずだ。
負の感情を抱いているM女さんもエサになっている意識はないよね。
目を逸らしてくれているのだから、むしろ頼もしい理解者くらいに感じているだろう。
だから、無意識のうちに『コントロールする、される』『優越感を感じる、感じさせる』関係値ができあがっているのだ。
この関係値だけではセックスするわけじゃないしお金も取られないし、実害はないようにみえるよね。
でも確実に搾取されている。
それは『自尊心』。
かつて、わたしは自分には愛される価値がないと感じていた。
不安定なわたしは何かにすがりたかった。
それを嗅ぎ取る人間はいる、男でも女でも。
その人たちは親切を装い自分の思い通りのわたしでいさせようとしていた。
他人にコントロールされること、誰かの優越感を味わう対象でいるということは自尊心を搾取される行為だ。
(例えば、勝負事のような一瞬の優劣はしかたないよね。わたしがいっているのは継続してということです)
誰かに優越感を感じさせているのだ、どんどん自分を大切なものに思えなくなっていく。
自分は大切にされなくてもしかたがないという感覚に支配されていく。
自分で自分を大切に思えなくなるということは、とてもとても大きなダメージだ。
自尊心を搾取される、エサになるということはそういうことだと、わたしは感じている。
人は誰かの影響を受けて生きていくもの。
それだってコントロールといえなくもない。
迷ったときは誰かの意見も参考になる。
大切なことはそれを自分で選んでいるかということと、発言者がどれだけあなたを思ってくれているかということをしっかり見極め肌で感じることだと思う。
負に巣食う人のエサにならないでね。
自尊心を食べられないようにするにはまず自分が自分を大切に思うことだ。
そしたら、すこし見える景色も違ってくるかもしれない。
はっきりいって、わたしは那智さんにコントロールされている^^
なんてったて那智さんの意思はわたしの意志だもの。
迷ったときに『那智さんならどうするか』というのが、わたしの道標になっている。
これをコントロールと言わずしてなんと言おう(笑)
わたしのような同化願望の強い人間はコントロール下であることは、実はとても安定した気持ちで過ごせる。
安定すれば自分で歩ける。
それならば、一緒に薬指に刺青入れてくれる人ようなにコントロールされていたい^^
さらに自分のほうが大きく入っちゃってるくらいの人なら尚良い^^
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