怒らない私で思ったこと
りん子的独り言(生意気)
マゾヒストとは何でしょうという定義はわからない。
被虐が快感になる性癖の人もいるでしょう。
そんな人もマゾ。
従いたいという願望の強い人も、マゾっていうのかな?
人それぞれ、方法は違えど、心地よい形を作っているはずだから、○○だからマゾなんて定義は必要ないですよね。
でも、もし私のように「被虐」で興奮して(性癖としてMとしよう)、「従いたい」という願望があって(これは性格としてM)、尚かつ「尊重されることを諦めてる」人がパートナーを見つけるとしたら、それはとても慎重にしないといけないなと思う。
尊重しないで酷いことができるのだもの、心ないパートナーだったら、その人の都合で如何ようにも好きにできるからね。
たくさんあるブログのうちのいくつかを楽しみに読んでいます。
ご自分の性癖に向き合って、皆さん幸せの形を作っていらっしゃいます。
似たよな行為や精神状態の中でも「尊重されていない」と感じてしまうものを目にすると、私は悲しくなってしまう。
それは私の勝手な想像で、実際は大切にされているのかもしれないけど。
そもそもSMなんて行為だけ取れば「尊重」からほど遠いことばかり。
おしっこかけられたり、頭踏まれたり(あ、これは私のことね^^)。
だから、書かれていることはどれも「酷いこと」ばかりなんだけど、そこから「幸せ」を感じるものもあるし、「つらそう」と感じてしまうものもあるんだ。(いや、実際つらいことしてるけど^^;)
いくら(笑)マークと一緒に冗談めかして書いてあっても、「幸せ」と書いてあっても、なんだか無理してる感じが伝わってしまうような。
そうすると「尊重されることを諦めてる」私の芯をグッと掴まれてしまう。
「被虐願望」も「従いたい願望」もセットになってると、その行為で感じてしまうから余計に表の文章には表れにくいのだけど、その「尊重されてない」空気に敏感に反応しちゃうのね。
それでも「幸せ」と書かれてるから、その方をどうこうは思わないし、幸せでよかった♪と思うのだけど、その人を透かして自分を見てしまって悲しくなるの。
私は、怒らない種類の人間で、一歩間違えれば性的願望を叶えるという大義のもと(大義か!?)「尊重されることを諦める」側に行ってたと思うから。
「被虐」で感じて「従いたい」と思い、「尊重されることを諦めてる」。
最初はきっと、「被虐」から入るでしょ?
「いじめられたい」とかね。
そのうち、褒められたりすると従う喜びも覚えてね、その人に心酔してしまう。
そして、丁重に扱われないことに傷付いているはずなのに、気付かずに離れられない。
そんな自分を思い描けてしまって、悲しくなってしまうのね。
一歩間違えればあちら側に行ってたと思う、そして、実はいまでも絶対の自信はない。
万が一、大好きな信頼する那智さんが私を侮辱したとしても、離れたくないという一心で、気付かないか無意識に気付かないふりをしてしまうかもしれないと、絶対大丈夫という自信がない。
だからかな、時々、「尊重されなかった」私を思い出して、繰り返し見る恐い夢を見たあとのように、足下がざわざわして落ち着かなくなってしまう。
「被虐」と「従いたい」と「諦めてる」の三位一体、危険な組み合わせ。
(ああ、でも、もしかしたら、それでも幸せな人、いるかもしれない…)
だから、私はずっと那智さんに言うの。
あなたを信頼してるから、ずっと手を離さないで。
尊重して、大切にして、そして、酷いことをして(ああ、これは「被虐」の方でしたね^^;)
自信を持つことを教えて、跪かせる。
一見正反対のことだよね、那智さん大変、でも、よろしくお願いしますね^^
あなたにしかできないのだから。
マゾヒストとは何でしょうという定義はわからない。
被虐が快感になる性癖の人もいるでしょう。
そんな人もマゾ。
従いたいという願望の強い人も、マゾっていうのかな?
人それぞれ、方法は違えど、心地よい形を作っているはずだから、○○だからマゾなんて定義は必要ないですよね。
でも、もし私のように「被虐」で興奮して(性癖としてMとしよう)、「従いたい」という願望があって(これは性格としてM)、尚かつ「尊重されることを諦めてる」人がパートナーを見つけるとしたら、それはとても慎重にしないといけないなと思う。
尊重しないで酷いことができるのだもの、心ないパートナーだったら、その人の都合で如何ようにも好きにできるからね。
たくさんあるブログのうちのいくつかを楽しみに読んでいます。
ご自分の性癖に向き合って、皆さん幸せの形を作っていらっしゃいます。
似たよな行為や精神状態の中でも「尊重されていない」と感じてしまうものを目にすると、私は悲しくなってしまう。
それは私の勝手な想像で、実際は大切にされているのかもしれないけど。
そもそもSMなんて行為だけ取れば「尊重」からほど遠いことばかり。
おしっこかけられたり、頭踏まれたり(あ、これは私のことね^^)。
だから、書かれていることはどれも「酷いこと」ばかりなんだけど、そこから「幸せ」を感じるものもあるし、「つらそう」と感じてしまうものもあるんだ。(いや、実際つらいことしてるけど^^;)
いくら(笑)マークと一緒に冗談めかして書いてあっても、「幸せ」と書いてあっても、なんだか無理してる感じが伝わってしまうような。
そうすると「尊重されることを諦めてる」私の芯をグッと掴まれてしまう。
「被虐願望」も「従いたい願望」もセットになってると、その行為で感じてしまうから余計に表の文章には表れにくいのだけど、その「尊重されてない」空気に敏感に反応しちゃうのね。
それでも「幸せ」と書かれてるから、その方をどうこうは思わないし、幸せでよかった♪と思うのだけど、その人を透かして自分を見てしまって悲しくなるの。
私は、怒らない種類の人間で、一歩間違えれば性的願望を叶えるという大義のもと(大義か!?)「尊重されることを諦める」側に行ってたと思うから。
「被虐」で感じて「従いたい」と思い、「尊重されることを諦めてる」。
最初はきっと、「被虐」から入るでしょ?
「いじめられたい」とかね。
そのうち、褒められたりすると従う喜びも覚えてね、その人に心酔してしまう。
そして、丁重に扱われないことに傷付いているはずなのに、気付かずに離れられない。
そんな自分を思い描けてしまって、悲しくなってしまうのね。
一歩間違えればあちら側に行ってたと思う、そして、実はいまでも絶対の自信はない。
万が一、大好きな信頼する那智さんが私を侮辱したとしても、離れたくないという一心で、気付かないか無意識に気付かないふりをしてしまうかもしれないと、絶対大丈夫という自信がない。
だからかな、時々、「尊重されなかった」私を思い出して、繰り返し見る恐い夢を見たあとのように、足下がざわざわして落ち着かなくなってしまう。
「被虐」と「従いたい」と「諦めてる」の三位一体、危険な組み合わせ。
(ああ、でも、もしかしたら、それでも幸せな人、いるかもしれない…)
だから、私はずっと那智さんに言うの。
あなたを信頼してるから、ずっと手を離さないで。
尊重して、大切にして、そして、酷いことをして(ああ、これは「被虐」の方でしたね^^;)
自信を持つことを教えて、跪かせる。
一見正反対のことだよね、那智さん大変、でも、よろしくお願いしますね^^
あなたにしかできないのだから。
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