「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」3
モカ
『「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」1』に書かれている認識のもとお読みください。
3つ目の苦しいのお話は『素直と正直』を思い出してほしい。
ふたりの間でわたしが『素直』でいるということは幸福な関係を継続させるためには必要なこと。
おしっこがおいしくないと思っても、いくつかある言葉の中から、意に沿いたい否定したくないという資質のもとに『まずい』とは言わず『飲みにくかった』などという言葉を選ぶ。
でも、那智さんは、それが『素直』な感情であるあることを知っていてくれるし、それを汲んでくれている。
『まずい』と言わないから、おいしいんだ、じゃあ大量摂取さても大丈夫だろうなんて勘違いして図に乗らない。
否定的な言葉を使わなくても、素直なわたしの外側の『正直』の存在を知ってくれているのだ。
だから、わたしは安心していいこで素直でいられるのだ。
友達がわたしのことをこんなふうに表現した。
「りん子さんは『金の斧銀の斧』の女神だ」って。
イソップ物語の『金の斧銀の斧』ご存知ですか?
泉に斧を落としてしまったきこりが女神に『これはあなたの斧ですか?』と金や銀の斧を見せられる。
きこりは自分が落とした鉄の斧以外は首を振るお話。(すごーく端折ってます 笑)
それの女神。
この童話の場合は『正直者』であるべきだということが書かれていると思うので、ちょっとニュアンスは違うのだけどね。
りん子さんは付き合う人をぬるま湯に浸からせてしまう、相手を増長させてしまうと書いているけど、それは相手を選んでいるのだろう。
「あなたの落としたのはこれ?」と目の前に金の斧を差し出しても「自分が落としたのは鉄の斧」だと言い続けるかどうか見極めている。
そんなふうに推察してくれた。
人は、自分が付き合っていく人を無意識に選んでいるよね。
『貢いでくれる』とか『わがままを聞いてくれる』とか選び方はそれぞれで^^;
わたしの方法が『金の斧?』と差し出し続けること。
う〜ん、鋭い。
わたしは否定しない、いつもニコニコしている。
だけど、それが当たり前にならないでいてくれる人。
どんなに居心地の良くしても、ぶれることなく『鉄の斧』だと言い続けてくれる人。
それを金の斧を差し出しながら、選んでいるんだ。
で、大抵の人は「金の斧」と言ってしまうから、すーっと泉に消えていく(うう、イヤなやつ〜?)
そんな恋愛を繰り返していた。
那智さんは『鉄の斧』と言い続けてくれる人だ。
否定を表さなくても『素直』でいれば、表していない感情も含めて、わたし以上にわたしのことを考えてくれる。
ずっと鉄の斧だと言い続けてくれる。
わたしが泉に消えてしまわないでいられるのは、そのおかげだ。
これが人間関係全般に於いて正しいかどうかは、いまは議論なしでお願いします^^
ふたりに於いて、これが良いということでだけ読んでください。
3つ目の苦しいは、安心して『素直』でいられないと思ってしまったことだった、那智さんが『鉄の斧』と言ってくれないと感じてしまったことだった。
ふたつの大きな苦しい、それは足元を揺るがし些細なことさえもトゲとなって刺した。
それを、本当に何度も何度も訴える。
那智さんは話を聞き、ふたりの認識の違いを指摘してすり合せをして、『りん子が上手に(?)焦がれるには。モカを悲しませないためには』という観点から思考回路やモカに対する対応を小さく軌道那智正する。
これで大丈夫だと、胸を撫で下ろす。
だって、鉄の斧だと言い続けてくれる人だもの。
意に沿えず悲しいを訴えることだってわたしはしたくないということをわかってくれているはずだ。
ただでさえ本意でないことをするのだ、わたしが素直に『悲しい』を訴えれば、それを汲んでくれる。
一滴『苦しい』を垂らせば、波紋が広がるように周りの苦しいも拭い去ってくれる。
そう信じていた。
だけど、この件に関しては、それはなぜか叶わなかった。
目に見えて那智正されるのは一滴分だけだった。(漠然としてて、ごめんなさい^^;那智さんもわからないかもしれない)
悲しいが、苦しいが伝わらない。
いつものように一滴の苦しいを垂らしあとはいいこのわたしでいると、その一滴分しか変わってくれないのだ。
おかしい。
那智さん、わたしの『いいこ』にだまされているみたいだ。
かつて、否定せずニコニコと金の斧を見せるとそれを当然と思い受け取ってしまっていた男性たちのように。
これも何度も訴えた。
なんでわかってくれないの。
この胸を抉られるような苦しさを。
(それが『焦がれるだろ?』と那智さん以下皆様のツッコミは承知で!!)
いままでの那智さんなら、わたしが悲しいと告げればちゃんと助けてくれたのに、なぜ?
だんだん、那智さんに『素直』でいることが怖くなってしまっていった。
素直でいても、またわかってくれないんじゃないか。
わたしの笑顔にだまされる那智さんを見るのはイヤだ。
何も考えず、ただ無邪気に安心して『那智さんがだーいすき』と素直でいることが、怖くてできなくなっていた。
たまたまちょうど一年前のエントリーを読み直していた。
チョーカーを買ってもらうために首のサイズを測ってもらったときのこと。
あんなふうに無防備に那智さんに寄りかかれることはもうないのではないかと思ってしまった。
那智さんは、モカとのことが過ぎたらもっと関係は深まると話していたけれど、どうしてもそう思えなかった。
過去には戻れないけど、深くなると。
どうしても思えなかった。
過去エントリーを読みながら涙が溢れた。
そして、一番の『苦しい』感情に気付いてしまったのだ。
那智さんへの気持ちが離れている。
このままでは那智さんへの好きがどんどん減ってしまう。
『基本3人』も『味わえない目線』も『金の斧銀の斧』もどれも苦しかった。
でも、それはわたしひとりの感情だ。
それより恐怖になったのは那智さんへの気持ちが離れてしまう、だった。
ふたりにとって、犬気質のわたしが『那智さん大好き、那智さん大好き』と尻尾ぶんぶん恋い慕っていることが幸福な形だ。
だからわたしには、その好きがひとつでも減ってしまうことは、嫉妬で苦しいなんかよりも、もしかしたら恐ろしいことかもしれない。
金の斧を当然のように受け取る男性を諦めるように、すーっと泉に消えていく感覚。
かつて自分が感じた、自分でも止められない氷のような諦念が背中を撫でてしまいそうだ。
過去エントリーを読んで涙を流しながら、これは取り返しのつかないことになってしまうのではないかと、また別の形で足元から崩れるようだった。
これが、最後の『苦しい』。
あ〜、引っ張ります〜^^
<関連エントリー>
『マイ フェア レディ(横道)』
素直と正直の違いが書かれています。エントリー内の関連エントリーもお読みいただくとより理解しやすいかも^^
『怒らない私』
『ぬるま湯VS負けず嫌い』
『金の斧』のわたしは、この辺から^^
『「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」1』に書かれている認識のもとお読みください。
3つ目の苦しいのお話は『素直と正直』を思い出してほしい。
ふたりの間でわたしが『素直』でいるということは幸福な関係を継続させるためには必要なこと。
おしっこがおいしくないと思っても、いくつかある言葉の中から、意に沿いたい否定したくないという資質のもとに『まずい』とは言わず『飲みにくかった』などという言葉を選ぶ。
でも、那智さんは、それが『素直』な感情であるあることを知っていてくれるし、それを汲んでくれている。
『まずい』と言わないから、おいしいんだ、じゃあ大量摂取さても大丈夫だろうなんて勘違いして図に乗らない。
否定的な言葉を使わなくても、素直なわたしの外側の『正直』の存在を知ってくれているのだ。
だから、わたしは安心していいこで素直でいられるのだ。
友達がわたしのことをこんなふうに表現した。
「りん子さんは『金の斧銀の斧』の女神だ」って。
イソップ物語の『金の斧銀の斧』ご存知ですか?
泉に斧を落としてしまったきこりが女神に『これはあなたの斧ですか?』と金や銀の斧を見せられる。
きこりは自分が落とした鉄の斧以外は首を振るお話。(すごーく端折ってます 笑)
それの女神。
この童話の場合は『正直者』であるべきだということが書かれていると思うので、ちょっとニュアンスは違うのだけどね。
りん子さんは付き合う人をぬるま湯に浸からせてしまう、相手を増長させてしまうと書いているけど、それは相手を選んでいるのだろう。
「あなたの落としたのはこれ?」と目の前に金の斧を差し出しても「自分が落としたのは鉄の斧」だと言い続けるかどうか見極めている。
そんなふうに推察してくれた。
人は、自分が付き合っていく人を無意識に選んでいるよね。
『貢いでくれる』とか『わがままを聞いてくれる』とか選び方はそれぞれで^^;
わたしの方法が『金の斧?』と差し出し続けること。
う〜ん、鋭い。
わたしは否定しない、いつもニコニコしている。
だけど、それが当たり前にならないでいてくれる人。
どんなに居心地の良くしても、ぶれることなく『鉄の斧』だと言い続けてくれる人。
それを金の斧を差し出しながら、選んでいるんだ。
で、大抵の人は「金の斧」と言ってしまうから、すーっと泉に消えていく(うう、イヤなやつ〜?)
そんな恋愛を繰り返していた。
那智さんは『鉄の斧』と言い続けてくれる人だ。
否定を表さなくても『素直』でいれば、表していない感情も含めて、わたし以上にわたしのことを考えてくれる。
ずっと鉄の斧だと言い続けてくれる。
わたしが泉に消えてしまわないでいられるのは、そのおかげだ。
これが人間関係全般に於いて正しいかどうかは、いまは議論なしでお願いします^^
ふたりに於いて、これが良いということでだけ読んでください。
3つ目の苦しいは、安心して『素直』でいられないと思ってしまったことだった、那智さんが『鉄の斧』と言ってくれないと感じてしまったことだった。
ふたつの大きな苦しい、それは足元を揺るがし些細なことさえもトゲとなって刺した。
それを、本当に何度も何度も訴える。
那智さんは話を聞き、ふたりの認識の違いを指摘してすり合せをして、『りん子が上手に(?)焦がれるには。モカを悲しませないためには』という観点から思考回路やモカに対する対応を小さく軌道那智正する。
これで大丈夫だと、胸を撫で下ろす。
だって、鉄の斧だと言い続けてくれる人だもの。
意に沿えず悲しいを訴えることだってわたしはしたくないということをわかってくれているはずだ。
ただでさえ本意でないことをするのだ、わたしが素直に『悲しい』を訴えれば、それを汲んでくれる。
一滴『苦しい』を垂らせば、波紋が広がるように周りの苦しいも拭い去ってくれる。
そう信じていた。
だけど、この件に関しては、それはなぜか叶わなかった。
目に見えて那智正されるのは一滴分だけだった。(漠然としてて、ごめんなさい^^;那智さんもわからないかもしれない)
悲しいが、苦しいが伝わらない。
いつものように一滴の苦しいを垂らしあとはいいこのわたしでいると、その一滴分しか変わってくれないのだ。
おかしい。
那智さん、わたしの『いいこ』にだまされているみたいだ。
かつて、否定せずニコニコと金の斧を見せるとそれを当然と思い受け取ってしまっていた男性たちのように。
これも何度も訴えた。
なんでわかってくれないの。
この胸を抉られるような苦しさを。
(それが『焦がれるだろ?』と那智さん以下皆様のツッコミは承知で!!)
いままでの那智さんなら、わたしが悲しいと告げればちゃんと助けてくれたのに、なぜ?
だんだん、那智さんに『素直』でいることが怖くなってしまっていった。
素直でいても、またわかってくれないんじゃないか。
わたしの笑顔にだまされる那智さんを見るのはイヤだ。
何も考えず、ただ無邪気に安心して『那智さんがだーいすき』と素直でいることが、怖くてできなくなっていた。
たまたまちょうど一年前のエントリーを読み直していた。
チョーカーを買ってもらうために首のサイズを測ってもらったときのこと。
あんなふうに無防備に那智さんに寄りかかれることはもうないのではないかと思ってしまった。
那智さんは、モカとのことが過ぎたらもっと関係は深まると話していたけれど、どうしてもそう思えなかった。
過去には戻れないけど、深くなると。
どうしても思えなかった。
過去エントリーを読みながら涙が溢れた。
そして、一番の『苦しい』感情に気付いてしまったのだ。
那智さんへの気持ちが離れている。
このままでは那智さんへの好きがどんどん減ってしまう。
『基本3人』も『味わえない目線』も『金の斧銀の斧』もどれも苦しかった。
でも、それはわたしひとりの感情だ。
それより恐怖になったのは那智さんへの気持ちが離れてしまう、だった。
ふたりにとって、犬気質のわたしが『那智さん大好き、那智さん大好き』と尻尾ぶんぶん恋い慕っていることが幸福な形だ。
だからわたしには、その好きがひとつでも減ってしまうことは、嫉妬で苦しいなんかよりも、もしかしたら恐ろしいことかもしれない。
金の斧を当然のように受け取る男性を諦めるように、すーっと泉に消えていく感覚。
かつて自分が感じた、自分でも止められない氷のような諦念が背中を撫でてしまいそうだ。
過去エントリーを読んで涙を流しながら、これは取り返しのつかないことになってしまうのではないかと、また別の形で足元から崩れるようだった。
これが、最後の『苦しい』。
あ〜、引っ張ります〜^^
<関連エントリー>
『マイ フェア レディ(横道)』
素直と正直の違いが書かれています。エントリー内の関連エントリーもお読みいただくとより理解しやすいかも^^
『怒らない私』
『ぬるま湯VS負けず嫌い』
『金の斧』のわたしは、この辺から^^
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