徒然に「ドロップ」
非日常的な日常
『徒然に「泣き叫ぶ」』というエントリーにもしたけど『泣く』というものにはいろいろな要素が含まれている。
また、ひとくちに『泣く』といっても、泣き声だけのこともあるし、涙だけが流れることもあるし、種類もいろいろだ。
『ドロップ』から感じたことを徒然に。
しばらく前、わたしはもう痛いことでは涙を流さないのではないかと思っていた。
涙を流すことは、じつはカタルシス、とても心地よいものなのですこし残念ではあったけど。
那智さんが、可愛がる=精神的苦痛を与えず快感を与えるためにする『痛いこと』には、傷やケガなどを考慮したら限界があるはずなんだ。
いましている鞭は、その限界にかなり近づいていると思う。
わたしは、純粋に痛いことだけでは簡単に涙は出ないと思っているので、それで快感を得ている経験を積んでしまうと、痛いこと=いずれ快感ななるものでは涙に繋がりにくいのだ。
じゃあ、それ以外で涙を流すこと、これは精神が作用するのだけど。
たとえば、恐怖、これも恐いけど、いずれ快感と知っているから単純に泣くような恐怖にはなれない。
屈辱のような精神的苦痛でも涙は出ると思うんだけど、那智さんは可愛がって打っているのだから、これにもなれない。
そうなると、精神作用で涙するとしたら自己憐憫とうれし泣きが残るよね。
痛くされてかわいそうなわたし。
痛いことを望む不憫なわたし。
それが叶ってうれしい。
痛いことで『あの世界』に行かれるようになった頃からはこの涙が多かった。
やっと叶ったという安堵の気持ちが自己憐憫という陶酔を呼べたのだと思う。
しかし、これも、じつはちょっとシリアスな空気があるほうがいいのだけど、このところのわたしたちの痛いことは『可愛がってる、ふたりの良い時間』という認識になっていて微笑ましかったり、冗談まじりの空気だったりで、なかなかシリアスなものにはなりにくかった。
もちろん、痛いことを続ければ『あの世界』に行かれる可能性は多いので、楽しい雰囲気→痛がって快感→『あの世界』に行くにはなれるのだけど、涙を流す道は通ってくれないのだよね。
だから、那智さんが『可愛がる』気持ちでいてくれる限りもう痛いことで涙を流すことはないのかなと、すこし残念に思っていたんだ。
それが、今回はポロポロ涙が零れ落ちた。
相変わらず、恐怖や屈辱の精神的苦痛ででは涙していない。
だけど、とてもひさしぶりに、はっきりと涙を流した。
きっと部屋に入ってからの息つく間もない展開に、特に厳しい雰囲気なんてなかったのだけど、すこし追いつめられたのかもしれない。
それが陶酔しやすかったのかもしれない。
だから叶っている安堵や、『那智さんひどい!!』の自己憐憫の涙を流すことになったのだと思う。
痛いことだけではないけど人間同士が作る時間では、そこに生まれるものは本当にひとつとして同じものにはならない。
痛いことで快感を得るときも『あの世界』に行くときも、いろんな道筋を通って行く。
到達点だって寸分違わず一致していることなんて、きっとない。
もう涙を流すことはないかもしれないと思っていたけど、そんなこともなかったように、これからも那智さんとふたりで作る時間は、いろいろな形が出来上がるはずだ。
これは『ゴールを決めない』という那智さんのやり方が功を奏しているのだと思う。
それにしてもポロポロ涙を流すのは、気持ちよかった〜♪
あ、そうそう、ただ単純に、すごく痛かったというのも、今回はアリだった気がします^^
すごくすごく痛いはずなんだけど、でも、また甘いドロップみたいな涙、流したいな。
今日の「等式」感想です。
いつも気分でしたい事をしているので、たまには予定調和やロールプレイみたいなことを意図的にするのも面白いかもしれないと思いました。「型」が無い事が型になっているので、今、何かおもしろいロールプレイができないか思案中です。
『徒然に「泣き叫ぶ」』というエントリーにもしたけど『泣く』というものにはいろいろな要素が含まれている。
また、ひとくちに『泣く』といっても、泣き声だけのこともあるし、涙だけが流れることもあるし、種類もいろいろだ。
『ドロップ』から感じたことを徒然に。
しばらく前、わたしはもう痛いことでは涙を流さないのではないかと思っていた。
涙を流すことは、じつはカタルシス、とても心地よいものなのですこし残念ではあったけど。
那智さんが、可愛がる=精神的苦痛を与えず快感を与えるためにする『痛いこと』には、傷やケガなどを考慮したら限界があるはずなんだ。
いましている鞭は、その限界にかなり近づいていると思う。
わたしは、純粋に痛いことだけでは簡単に涙は出ないと思っているので、それで快感を得ている経験を積んでしまうと、痛いこと=いずれ快感ななるものでは涙に繋がりにくいのだ。
じゃあ、それ以外で涙を流すこと、これは精神が作用するのだけど。
たとえば、恐怖、これも恐いけど、いずれ快感と知っているから単純に泣くような恐怖にはなれない。
屈辱のような精神的苦痛でも涙は出ると思うんだけど、那智さんは可愛がって打っているのだから、これにもなれない。
そうなると、精神作用で涙するとしたら自己憐憫とうれし泣きが残るよね。
痛くされてかわいそうなわたし。
痛いことを望む不憫なわたし。
それが叶ってうれしい。
痛いことで『あの世界』に行かれるようになった頃からはこの涙が多かった。
やっと叶ったという安堵の気持ちが自己憐憫という陶酔を呼べたのだと思う。
しかし、これも、じつはちょっとシリアスな空気があるほうがいいのだけど、このところのわたしたちの痛いことは『可愛がってる、ふたりの良い時間』という認識になっていて微笑ましかったり、冗談まじりの空気だったりで、なかなかシリアスなものにはなりにくかった。
もちろん、痛いことを続ければ『あの世界』に行かれる可能性は多いので、楽しい雰囲気→痛がって快感→『あの世界』に行くにはなれるのだけど、涙を流す道は通ってくれないのだよね。
だから、那智さんが『可愛がる』気持ちでいてくれる限りもう痛いことで涙を流すことはないのかなと、すこし残念に思っていたんだ。
それが、今回はポロポロ涙が零れ落ちた。
相変わらず、恐怖や屈辱の精神的苦痛ででは涙していない。
だけど、とてもひさしぶりに、はっきりと涙を流した。
きっと部屋に入ってからの息つく間もない展開に、特に厳しい雰囲気なんてなかったのだけど、すこし追いつめられたのかもしれない。
それが陶酔しやすかったのかもしれない。
だから叶っている安堵や、『那智さんひどい!!』の自己憐憫の涙を流すことになったのだと思う。
痛いことだけではないけど人間同士が作る時間では、そこに生まれるものは本当にひとつとして同じものにはならない。
痛いことで快感を得るときも『あの世界』に行くときも、いろんな道筋を通って行く。
到達点だって寸分違わず一致していることなんて、きっとない。
もう涙を流すことはないかもしれないと思っていたけど、そんなこともなかったように、これからも那智さんとふたりで作る時間は、いろいろな形が出来上がるはずだ。
これは『ゴールを決めない』という那智さんのやり方が功を奏しているのだと思う。
それにしてもポロポロ涙を流すのは、気持ちよかった〜♪
あ、そうそう、ただ単純に、すごく痛かったというのも、今回はアリだった気がします^^
すごくすごく痛いはずなんだけど、でも、また甘いドロップみたいな涙、流したいな。
今日の「等式」感想です。
いつも気分でしたい事をしているので、たまには予定調和やロールプレイみたいなことを意図的にするのも面白いかもしれないと思いました。「型」が無い事が型になっているので、今、何かおもしろいロールプレイができないか思案中です。
COMMENT
こんにちは。
わたしは最近、鞭はできるだけしたくない。
だって、とっても痛いだけの時が増えてきてしまってるから。
前は喜んでお尻を突き出して待っていたのに。
自分が変わってきてしまっているようです。
でも変わってないこともあって、それは、
気持ちよすぎて涙がぽろぽろ出ちゃうこと。
セックスの快感で、心も身体もすっきりするのに
涙を流すとさらにすっきり気持ちいい。
あれ?りんこさんの気持ちいいと違うね(汗)
ごめんなさーい。
わたしは最近、鞭はできるだけしたくない。
だって、とっても痛いだけの時が増えてきてしまってるから。
前は喜んでお尻を突き出して待っていたのに。
自分が変わってきてしまっているようです。
でも変わってないこともあって、それは、
気持ちよすぎて涙がぽろぽろ出ちゃうこと。
セックスの快感で、心も身体もすっきりするのに
涙を流すとさらにすっきり気持ちいい。
あれ?りんこさんの気持ちいいと違うね(汗)
ごめんなさーい。
気持ちよすぎて涙が出るかぁ、その経験はないな。
ダブルの気持ちよさで、それはかなり体も心も気持ちいいでしょ〜^^
そういうお話をお聞きすると人の精神や快感ってホント不思議ですね。
いままでできたことができなくなったり、新しい発見があったり、いろんな要素でそのときそのときで変わってくる。
まだ知らないこともあるかもしれないと思うとわくわくしますね。
それはそうと、気持ちよくて泣いちゃうあこさん、かわいい^^
ダブルの気持ちよさで、それはかなり体も心も気持ちいいでしょ〜^^
そういうお話をお聞きすると人の精神や快感ってホント不思議ですね。
いままでできたことができなくなったり、新しい発見があったり、いろんな要素でそのときそのときで変わってくる。
まだ知らないこともあるかもしれないと思うとわくわくしますね。
それはそうと、気持ちよくて泣いちゃうあこさん、かわいい^^