徒然に『わたし中心』のこと
独り言
『那智さんが笑うとき』は、実は下書きの段階で一度書き直している。
いつも一発オッケイでアップしているわけじゃないから、手直しをすることは度々あるけれど、あれはそういうんじゃないってほど書き直した。
よいしょって見ている方向を変えるくらいな直しだった。
最初書いていた向きは、至極まっとうで、しかもいまの現状をそのまま映し出しているものだった。
3人が楽しいのは3人でいるから。
このバランスが保てているのは、誰かが主役なのではなくて、ひとりひとりが主役でいるから。
モカの可愛いキャラクターはわたしたちを微笑ませてくれる。
お父さんがかまってくれるのはふたりとも嬉しい。
わたし?理屈じゃないけど、きっとわたしがいたほうが楽しい。
3人だからあの空気が作れる。
そんなことことを書いていた。
とても現実で理性的な『向き』だ。
でも、そちらを向いているわたしをよいしょと持ち上げて、変えた。
『わたし』を中心にする向きに。
3人だからあの楽しさが作れる。
それは当然だけど、でもふたりともわたしがいたほうが断然楽しい。
ふたりの笑いは、わたしが必要不可欠だ。
だから、あの空気ができるのだ。
って。
ね、同じことを書いているけど向きが違うよね。
目に見えている事実、3人が感じている事実、これらは前者だ。
わたしだって、3人がいるから3人の良さが作れているとわかっているし、実際3人でいるときその時々でスポットの当たる場面はあっても基本的に必ずみんなが主役になっていることを感じている。
それでも書き直したのは。
踏ん張りたかったからだ。
ひとつは。
もともと気を使いすぎるところがあるわたしだ。
3人でいるときも、すごーくアンテナ張ってる。
モカは寂しくないか、那智さんは満足しているか。
もちろんみんなそれぞれ気を使っているのだけど、わたしは自分の気遣いに振り回されてしまうところがあるから、『気を使いすぎる』^^;
加えて、わたしの立場は、ある意味圧倒的に弱い。(いや、後から来てくれたモカも当然守らなきゃいけない立場だけどね)
精神的負担と精神的消耗の激しい立場だ。
那智さんとの上下という関係値。
モカを守りたいという思い。
更に、発端はわたしの願望だったというアドバンテージ(?)まである。
これらはちょっと気を抜けば、精神的負担と消耗を簡単に負う立場にわたし自身を陥れてしまえる。
那智さんのいう通りにしたい。
自分が望んだのに苦しいと口にすることはわがままなのではないか。
モカに気を使わせてしまっていないか。
あと言う間に、自分の居場所を二歩も三歩も下がって『我慢する』ポジションにしてしまいかねない。
だから敢えて『わたし中心』に向きを変えて書いたのです。
あれは、わたしへの気合い。
それともうひとつ。
モカはわたしの気を使いすぎる性格をよく理解してくれている。
『お姉ちゃん、もっとわがままになっていいんだよ。わたしけっこうたくましいんだから』と折りに触れて伝えてくれる。
もちろん那智さんも、わたしのその性格を熟知しているし、モカの気遣いも知っている。
だから、あれはふたりへの宣言。
わたし中心でいるからね。
安心して。
わたしはみんなのために我慢していないからね。
ふたりに安心してもらうための宣言だったのだ。
『那智さんが笑うとき』に拍手コメントをくれた方がいて
『やるからにはやり通すという強い意志のようなものを感じてしまう』
とおっしゃっていた。
その方が感じてくれた意志があるとしたら、この気合いと宣言なのだと思う。
わたしの立場は、簡単に『我慢』してしまう。
やり通すのは、我慢して自分を殺して盲目的に『上』に従うことじゃない。
わたしはわたしの心に触れ、小さな悲しいも見逃さず、ときに軌道那智正して、『3人が笑えるように』をやり通すのだ。(恐らく、それを感じてくれた拍手コメントさんにも感謝)
絶対に我慢せず、そして3人が笑っていられるように。
つまずいたりすることはあっても、笑えるように。
そのための、気合いと宣言だった^^
強い意志を持ってわたし中心に向きを変えた踏ん張りエントリーだったのでした。
だってね〜。
りん子さんったら、やけに自信満々に自分中心なこと言ってる〜^^;
って、思われたくなかったんだよぉ。
ということで、けっこうたくさん考えているんだぜぃという保身の『徒然』でした〜(笑)
全然『徒然』っぽくないけど^^;
『那智さんが笑うとき』は、実は下書きの段階で一度書き直している。
いつも一発オッケイでアップしているわけじゃないから、手直しをすることは度々あるけれど、あれはそういうんじゃないってほど書き直した。
よいしょって見ている方向を変えるくらいな直しだった。
最初書いていた向きは、至極まっとうで、しかもいまの現状をそのまま映し出しているものだった。
3人が楽しいのは3人でいるから。
このバランスが保てているのは、誰かが主役なのではなくて、ひとりひとりが主役でいるから。
モカの可愛いキャラクターはわたしたちを微笑ませてくれる。
お父さんがかまってくれるのはふたりとも嬉しい。
わたし?理屈じゃないけど、きっとわたしがいたほうが楽しい。
3人だからあの空気が作れる。
そんなことことを書いていた。
とても現実で理性的な『向き』だ。
でも、そちらを向いているわたしをよいしょと持ち上げて、変えた。
『わたし』を中心にする向きに。
3人だからあの楽しさが作れる。
それは当然だけど、でもふたりともわたしがいたほうが断然楽しい。
ふたりの笑いは、わたしが必要不可欠だ。
だから、あの空気ができるのだ。
って。
ね、同じことを書いているけど向きが違うよね。
目に見えている事実、3人が感じている事実、これらは前者だ。
わたしだって、3人がいるから3人の良さが作れているとわかっているし、実際3人でいるときその時々でスポットの当たる場面はあっても基本的に必ずみんなが主役になっていることを感じている。
それでも書き直したのは。
踏ん張りたかったからだ。
ひとつは。
もともと気を使いすぎるところがあるわたしだ。
3人でいるときも、すごーくアンテナ張ってる。
モカは寂しくないか、那智さんは満足しているか。
もちろんみんなそれぞれ気を使っているのだけど、わたしは自分の気遣いに振り回されてしまうところがあるから、『気を使いすぎる』^^;
加えて、わたしの立場は、ある意味圧倒的に弱い。(いや、後から来てくれたモカも当然守らなきゃいけない立場だけどね)
精神的負担と精神的消耗の激しい立場だ。
那智さんとの上下という関係値。
モカを守りたいという思い。
更に、発端はわたしの願望だったというアドバンテージ(?)まである。
これらはちょっと気を抜けば、精神的負担と消耗を簡単に負う立場にわたし自身を陥れてしまえる。
那智さんのいう通りにしたい。
自分が望んだのに苦しいと口にすることはわがままなのではないか。
モカに気を使わせてしまっていないか。
あと言う間に、自分の居場所を二歩も三歩も下がって『我慢する』ポジションにしてしまいかねない。
だから敢えて『わたし中心』に向きを変えて書いたのです。
あれは、わたしへの気合い。
それともうひとつ。
モカはわたしの気を使いすぎる性格をよく理解してくれている。
『お姉ちゃん、もっとわがままになっていいんだよ。わたしけっこうたくましいんだから』と折りに触れて伝えてくれる。
もちろん那智さんも、わたしのその性格を熟知しているし、モカの気遣いも知っている。
だから、あれはふたりへの宣言。
わたし中心でいるからね。
安心して。
わたしはみんなのために我慢していないからね。
ふたりに安心してもらうための宣言だったのだ。
『那智さんが笑うとき』に拍手コメントをくれた方がいて
『やるからにはやり通すという強い意志のようなものを感じてしまう』
とおっしゃっていた。
その方が感じてくれた意志があるとしたら、この気合いと宣言なのだと思う。
わたしの立場は、簡単に『我慢』してしまう。
やり通すのは、我慢して自分を殺して盲目的に『上』に従うことじゃない。
わたしはわたしの心に触れ、小さな悲しいも見逃さず、ときに軌道那智正して、『3人が笑えるように』をやり通すのだ。(恐らく、それを感じてくれた拍手コメントさんにも感謝)
絶対に我慢せず、そして3人が笑っていられるように。
つまずいたりすることはあっても、笑えるように。
そのための、気合いと宣言だった^^
強い意志を持ってわたし中心に向きを変えた踏ん張りエントリーだったのでした。
だってね〜。
りん子さんったら、やけに自信満々に自分中心なこと言ってる〜^^;
って、思われたくなかったんだよぉ。
ということで、けっこうたくさん考えているんだぜぃという保身の『徒然』でした〜(笑)
全然『徒然』っぽくないけど^^;
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