薄い氷を歩くように
りん子的独り言(エラそう)
『不快なら読まなければいい』
『自分のところなんだから、好きなことを書けばいい』
時々目にする言葉。
事態を収拾させるためには必要な言葉だと思うけど、私だって『どうしても』の場合は使うけど。
でもできるだけ使いたくないと思っています。
(それを使わずに済んでいる環境に感謝ですね)
前エントリー『やるときは、やる』に関して、もう少し補足をします。
風穴を開けてくださった一市民さんに感謝して、私の考えを書きます。
一市民さんのおっしゃることはもっともなことだと理解しつつ、違う意見になると思いますが、私たちのスタンスをお話しできる良い機会ですので、そんな考え方もあると思って読んでいただけるとありがたいです。
今回のエントリー、私はまったく書く気がしませんでした。
自分のやったことのあまりの非常識さに、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいだったから。
あのことがあってからの数ヶ月、折りに触れ『読みたい』とリクエストされていたけど、その都度お断りしていた。
だって、やらせた那智さんの評判も、読んだ方の不快な思いも、ついでに『私嫌われちゃうよ〜』という保身も、全部考えたら書きたくなかったのだもの。
で、今回、またリクエストされたのだ。
なぜなら。
あれは7年間の付き合いの中で、恐らくふたりにとってはじめての感情だったから。
那智さんは『ハリネズミ』だ。
自分からは攻撃しないけど、他者からの攻撃にぐっと力を入れて針を出す。
人の棘を察知しやすい彼は、常に力を入れる準備をしている。
私は、那智さんに棘を向けない。
基本的に争う気持ちがないから、言い負かしてやろうとかやり返してやろうということにならないのだ。
だから『ハリネズミ』が休息できる。
那智さんは私をブンブン振り回す。
それによって悲しいとかイヤだという感情はたまにあって、それは素直に伝えてきた。
で、あのときはじめて『おう、やってやろうじゃん』という反抗心が出たのだ。
この反抗心は、恐らく『ハリネズミ』が力を入れる種類のものだ。(実際力を入れるほどではないけどね)
7年間の付き合いの中ではじめて私が反抗心を持ち、それを表し、那智さんははじめて力を入れるべきか判断しようとしたはずだ。
このはじめての感情が、那智さんは面白く、それを書いたものを読みたいと思ったのですね。
7年間、一度も反抗心を持たなかった私が『やってやろうじゃん』と思うほどに追いつめられ、どんな暴挙に出たのか。
その希有な出来事を伝えるには、那智さんのコンセプト『全部書く』に従うと、その経緯まで書かないといけないのだ。
確かに、反抗心を抱くなんてめずらしいこと、だけど、それを読んだ人のことを思うと書けない。
最後の最後まで抵抗する私に。
「それをさせたのも、書かせたのも俺の責任なんだから、りん子は気にしないでいい」
と。
普段何を書くかは、私の自由だ。
だけど『俺の責任』とはっきりと那智さんが責任の所在を明らかにしてくれたものには、私は従う。
それが私たちの『上下関係』だから。(『対等で上下』)
那智さんが責任の所在を明らかにしてくれるなら、書こう。
そして、あれは2人にとって大事な、不謹慎ではあるけれど笑い合える一コマでもあったからだ。
だから、できるだけ不快な気持ちにさせないように書いてみようと思った。
でも『ハリネズミ』話なんかを出してみて四苦八苦してみたものの、やってることの非常識さは誤摩化せない。
アップしてから最初のコメントをいただくまでの数時間。
その間も、かなりぐずってた^^;
『那智さんがあんなこと書かせた〜。みんなをイヤな気持ちにさせてる〜』って。
そんなときも
「もし謝罪しないといけないようなコメントが来てもりん子は謝るな。謝るのは俺だからね。」
といって気持ちを落ち着かせてくれた。
そして一市民さんの進言をいただいた。
那智さんはもっと感情的な誹謗中傷や、もしかしたらいままで好意的に読んでいてくれた方が離れてしまうことも含めて想定していたはずだから、理性的に進言してくれて、それにきちんと謝罪することができたことはありがたかったと思っています。
そんな裏側がありました。
『やるときは、やる』でこんな裏側を書いてもよかったのだけど、あんまり詳しくても那智さんの読みたいものではなくなってしまうと思うので、読んでくださる方の不快を計りながら書いたつもりです。
どんなに裏側を書いても行為は非常識なわけで、それで不快に思われた方の気持ちが治まるかというと、そんなこともないかと思うけど、不快の量が少しでも減ってくれたらいいなと思って補足しています。
それともうひとつ。
これは一市民さんへの反論みたいになっちゃうのだけど。
ルールやマナーを守るということは充分承知の上で、今後『薬指の刺青』を読んでいただくにあたって私たちの考えを述べさせていただきます。
私たちは、自分たちのしたいこと、求めてやまないこと、そして人生の中の大事な大事な出来事を切り取るように積み重ね、付き合っています。
それが時には反社会的な行いもあることも理解しながら。
たかがSM的行為やじゃれ合いですけど。
その行いは2人にとってどんな意味があって、社会にとってどれほど被害を与えるものか、特に他者を巻き込む可能性がある場合は慎重に考えます。
(那智さんはね、迷惑防止条例の中身とかも調べてくれます^^)
私は、那智さんよりずっとそのハードルが高いので、いつも薄氷を踏む思いでその一歩を踏み出します。
那智さんは私の手を取りながら、自分の責任に於いて時々わざと引っ張って薄い氷にヒビを入れたりします。
それが例え人が眉をひそめるようなことだったとしても、したいことをするのです。
自分のしたいこと、それによる責任を負う覚悟で。
事前事後話し、確認して、2人にとって誠実であるように。
で、時々氷にヒビが入ることも、2人の大事な出来事として、ここにできる限り記したいと思っています。
それが那智さんの『全部書け』ですね。
人を気遣うルールやマナーは大切です。
ただ、そのルールやマナーの線引きは誰が決めたのかしら。
私たちは、それも大事なことを理解した上で、一番大事なことは、如何に誠実にどれだけひとつひとつ丁寧に向き合い判断を下すかではないかと思っています。
乱暴な言い方をしてしまいますが、いりん子こにあるマナーがどこか違う場所では非常識かもしれないし、いま非常識なことがもしかしたら10年後にはルールになっているかもしれませんよね。
それを選び判断するのは、やはり個々の真剣さと感性だと思っています。
ビールジョッキにおしっこは非難されても仕方がないことです。
だけど、いまあるルールだけをボーダーラインにするのは、那智さんは好きじゃないのです。
そして『善意』や『連れションはキライ』というエントリーにしましたように、みんながそうだからという線引きを私はできるだけしたくないと思っています。
(一市民さんのご進言がそうだということではありませんよ、私たちのスタンスになってますから話はだいぶ離れています)
ジョッキにおしっこをしたことに苦言を呈した一市民さん。
書きたくないと最後まで抵抗した私。
批判はあると想定してそれを覚悟で書かせた那智さん。
実は、みんなそれが大事なポイントだということで、それほど離れていないボーダーラインを持っているような気がしませんか。
ただ、そこから薄い氷にヒビを入れるかどうか、これは真摯に向き合った結果であれば、個々の感性で違ってくるものだろうし、私はそれが好きです。
だから。
私は、私たちの大事な出来事をできるだけウソ偽りなく書きたいと思います。
薄い氷の上を歩くように怖々と丁寧に、できるだけ誰も傷つけたくないと思いながら。
ときにはヒビが入ってしまうかもしれない。
でも、それは、那智さんがそうしたいと判断して、わかった上でヒビを入れたのだとご理解いただきたいと思います。
(たまーに、私自身の書き方で失敗しちゃうけど。これのほうが多いかな^^;)
もしかしたら、それで不快な思いをさせてしまうかもしれない。
でも私は『それなら読まないで』とは言いたくないです。
私は可能な限りドアを開いていたい。
だから、『それでもよければ、どうぞ読んでください』
と思います。
そんな気持ちでいままでもこれからも更新していきたいと思っていますので、楽しんでいただけたら嬉しいです。
一市民さんには、これを書く機会を与えてくださったことに感謝いたします。
『不快なら読まなければいい』
『自分のところなんだから、好きなことを書けばいい』
時々目にする言葉。
事態を収拾させるためには必要な言葉だと思うけど、私だって『どうしても』の場合は使うけど。
でもできるだけ使いたくないと思っています。
(それを使わずに済んでいる環境に感謝ですね)
前エントリー『やるときは、やる』に関して、もう少し補足をします。
風穴を開けてくださった一市民さんに感謝して、私の考えを書きます。
一市民さんのおっしゃることはもっともなことだと理解しつつ、違う意見になると思いますが、私たちのスタンスをお話しできる良い機会ですので、そんな考え方もあると思って読んでいただけるとありがたいです。
今回のエントリー、私はまったく書く気がしませんでした。
自分のやったことのあまりの非常識さに、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいだったから。
あのことがあってからの数ヶ月、折りに触れ『読みたい』とリクエストされていたけど、その都度お断りしていた。
だって、やらせた那智さんの評判も、読んだ方の不快な思いも、ついでに『私嫌われちゃうよ〜』という保身も、全部考えたら書きたくなかったのだもの。
で、今回、またリクエストされたのだ。
なぜなら。
あれは7年間の付き合いの中で、恐らくふたりにとってはじめての感情だったから。
那智さんは『ハリネズミ』だ。
自分からは攻撃しないけど、他者からの攻撃にぐっと力を入れて針を出す。
人の棘を察知しやすい彼は、常に力を入れる準備をしている。
私は、那智さんに棘を向けない。
基本的に争う気持ちがないから、言い負かしてやろうとかやり返してやろうということにならないのだ。
だから『ハリネズミ』が休息できる。
那智さんは私をブンブン振り回す。
それによって悲しいとかイヤだという感情はたまにあって、それは素直に伝えてきた。
で、あのときはじめて『おう、やってやろうじゃん』という反抗心が出たのだ。
この反抗心は、恐らく『ハリネズミ』が力を入れる種類のものだ。(実際力を入れるほどではないけどね)
7年間の付き合いの中ではじめて私が反抗心を持ち、それを表し、那智さんははじめて力を入れるべきか判断しようとしたはずだ。
このはじめての感情が、那智さんは面白く、それを書いたものを読みたいと思ったのですね。
7年間、一度も反抗心を持たなかった私が『やってやろうじゃん』と思うほどに追いつめられ、どんな暴挙に出たのか。
その希有な出来事を伝えるには、那智さんのコンセプト『全部書く』に従うと、その経緯まで書かないといけないのだ。
確かに、反抗心を抱くなんてめずらしいこと、だけど、それを読んだ人のことを思うと書けない。
最後の最後まで抵抗する私に。
「それをさせたのも、書かせたのも俺の責任なんだから、りん子は気にしないでいい」
と。
普段何を書くかは、私の自由だ。
だけど『俺の責任』とはっきりと那智さんが責任の所在を明らかにしてくれたものには、私は従う。
それが私たちの『上下関係』だから。(『対等で上下』)
那智さんが責任の所在を明らかにしてくれるなら、書こう。
そして、あれは2人にとって大事な、不謹慎ではあるけれど笑い合える一コマでもあったからだ。
だから、できるだけ不快な気持ちにさせないように書いてみようと思った。
でも『ハリネズミ』話なんかを出してみて四苦八苦してみたものの、やってることの非常識さは誤摩化せない。
アップしてから最初のコメントをいただくまでの数時間。
その間も、かなりぐずってた^^;
『那智さんがあんなこと書かせた〜。みんなをイヤな気持ちにさせてる〜』って。
そんなときも
「もし謝罪しないといけないようなコメントが来てもりん子は謝るな。謝るのは俺だからね。」
といって気持ちを落ち着かせてくれた。
そして一市民さんの進言をいただいた。
那智さんはもっと感情的な誹謗中傷や、もしかしたらいままで好意的に読んでいてくれた方が離れてしまうことも含めて想定していたはずだから、理性的に進言してくれて、それにきちんと謝罪することができたことはありがたかったと思っています。
そんな裏側がありました。
『やるときは、やる』でこんな裏側を書いてもよかったのだけど、あんまり詳しくても那智さんの読みたいものではなくなってしまうと思うので、読んでくださる方の不快を計りながら書いたつもりです。
どんなに裏側を書いても行為は非常識なわけで、それで不快に思われた方の気持ちが治まるかというと、そんなこともないかと思うけど、不快の量が少しでも減ってくれたらいいなと思って補足しています。
それともうひとつ。
これは一市民さんへの反論みたいになっちゃうのだけど。
ルールやマナーを守るということは充分承知の上で、今後『薬指の刺青』を読んでいただくにあたって私たちの考えを述べさせていただきます。
私たちは、自分たちのしたいこと、求めてやまないこと、そして人生の中の大事な大事な出来事を切り取るように積み重ね、付き合っています。
それが時には反社会的な行いもあることも理解しながら。
たかがSM的行為やじゃれ合いですけど。
その行いは2人にとってどんな意味があって、社会にとってどれほど被害を与えるものか、特に他者を巻き込む可能性がある場合は慎重に考えます。
(那智さんはね、迷惑防止条例の中身とかも調べてくれます^^)
私は、那智さんよりずっとそのハードルが高いので、いつも薄氷を踏む思いでその一歩を踏み出します。
那智さんは私の手を取りながら、自分の責任に於いて時々わざと引っ張って薄い氷にヒビを入れたりします。
それが例え人が眉をひそめるようなことだったとしても、したいことをするのです。
自分のしたいこと、それによる責任を負う覚悟で。
事前事後話し、確認して、2人にとって誠実であるように。
で、時々氷にヒビが入ることも、2人の大事な出来事として、ここにできる限り記したいと思っています。
それが那智さんの『全部書け』ですね。
人を気遣うルールやマナーは大切です。
ただ、そのルールやマナーの線引きは誰が決めたのかしら。
私たちは、それも大事なことを理解した上で、一番大事なことは、如何に誠実にどれだけひとつひとつ丁寧に向き合い判断を下すかではないかと思っています。
乱暴な言い方をしてしまいますが、いりん子こにあるマナーがどこか違う場所では非常識かもしれないし、いま非常識なことがもしかしたら10年後にはルールになっているかもしれませんよね。
それを選び判断するのは、やはり個々の真剣さと感性だと思っています。
ビールジョッキにおしっこは非難されても仕方がないことです。
だけど、いまあるルールだけをボーダーラインにするのは、那智さんは好きじゃないのです。
そして『善意』や『連れションはキライ』というエントリーにしましたように、みんながそうだからという線引きを私はできるだけしたくないと思っています。
(一市民さんのご進言がそうだということではありませんよ、私たちのスタンスになってますから話はだいぶ離れています)
ジョッキにおしっこをしたことに苦言を呈した一市民さん。
書きたくないと最後まで抵抗した私。
批判はあると想定してそれを覚悟で書かせた那智さん。
実は、みんなそれが大事なポイントだということで、それほど離れていないボーダーラインを持っているような気がしませんか。
ただ、そこから薄い氷にヒビを入れるかどうか、これは真摯に向き合った結果であれば、個々の感性で違ってくるものだろうし、私はそれが好きです。
だから。
私は、私たちの大事な出来事をできるだけウソ偽りなく書きたいと思います。
薄い氷の上を歩くように怖々と丁寧に、できるだけ誰も傷つけたくないと思いながら。
ときにはヒビが入ってしまうかもしれない。
でも、それは、那智さんがそうしたいと判断して、わかった上でヒビを入れたのだとご理解いただきたいと思います。
(たまーに、私自身の書き方で失敗しちゃうけど。これのほうが多いかな^^;)
もしかしたら、それで不快な思いをさせてしまうかもしれない。
でも私は『それなら読まないで』とは言いたくないです。
私は可能な限りドアを開いていたい。
だから、『それでもよければ、どうぞ読んでください』
と思います。
そんな気持ちでいままでもこれからも更新していきたいと思っていますので、楽しんでいただけたら嬉しいです。
一市民さんには、これを書く機会を与えてくださったことに感謝いたします。
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