mineさん1(『ぶつける』について)
りん子的独り言(エラそう)
前エントリーから読んでいただけるほうが理解度が上がります^^
mineさんがエントリーを書いてくれた。
わたしとの間に流れるわたしたち独自のお話。
(そういうものは他の友達との間にも、それぞれあるよね)
エントリーに書いてあるように、あるときmineさんはわたしのブログと距離を置きたいと話したことがあった。
それはmineさんが感じる『わたし』の変化について行かれなかったそうなのだけど、理由は、まあ、この際は置いといて(笑)
わたしにとってブログはわたしを作る大事な一部であるから、読んでくれないのはとてもとても残念には思ったけど、ご自分の心を見つめ、わたしと良好な関係でいるための立ち位置を考えてくれることのほうが良いと思って受け入れた。
そして、その後も誘っていただく度にランチを楽しんだ。
一番優先することは何か?ということだと思う。
以前、モカちゃんを含む人たちも、ご自分の心を見つめ『等式』から離れる時期を作ってくれたことも同じでね。
(すこし先の未来)
ここに登場している人たちに共通することは、自分も相手(わたし)も傷つけないようにすることを優先してくれたこと。
『等式』を読んで心が乱れる時期にも読み続けることはご自分を傷つけるし、それがわたしへの無意識の攻撃に転じてしまう可能性だってある。
そうしないために、適切な距離を計ってくれたことが共通していること。
わたしはモカちゃんたちと同じでそっと離れ、後日戻れたときに「あのときはね(笑)」って笑い話にするやり方を取るほうだけど、mineさんの違うところは、わたしに説明したところだ。
それをmineさんは『感情をぶつけた』というようにおっしゃっている。
たしかに、しばらくブログは読めませんなんて伝えることは、こちらを傷つけかねないもの。
でも、じつは傷ついていないし、ぶつけられたと思っていないんだ(残念だとはかなり思ったけど)。
なぜなら、mineさんは感情を説明してくれただけだから。
ここに大きな違いが、わたしにとってはある。
人にマイナス事項を伝えるとき、mineさんのように自分の感情や行動だけを伝える人と、そこに自分の正義をつけ加えてしまう人といる。
この違いがわたしのボーダーラインなの。
mineさんは『りん子さんのブログを読むのが辛くなるからしばらく読まない』と感情と行動を説明してくれたけど、たとえばそこに
本当は◯◯であるべきなのに、あんなことを書くのはよくない、だからブログとは距離を置きたい
そんな言葉があったら。
わたしにとっては『ぶつける』になるのです。
自分の正義と相手の否定はわりとセットになっているもので、結局正義を解くことはイコール相手を否定することになるのだよね。
これだと前エントリーに書いたみたいにただスッキリしたいだけである場合が多いとわたしは感じてしまうの。
人と関係を深めたい、理解を深めたいと思うとき、自分の感情と行動を説明するだけで充分。
自分の正解を主張する必要はない。
mineさんは正義を振りかざし溜飲を下げるようなことはしない、ご自分の感情を説明してくれるだけだ。
それがわかっている、無意識だとしても、わかっている感性が好きだからわたしはmineさんとお友達なのです^^
で、わたしの友達はこういう人ばかり^^
否定し合わず重ねた関係は優しくて温かく、何かあったら力になってくれるという心強い信頼にもなのです。
本音、またはマイナス感情を伝えるときの伝え方がわたしのボーダーラインなのでした^^
えっと、わたしがブログでわたしなりの主張をするのは『ブログ』だからですよ〜。
それでも、自分の正解は語るけど、他の否定はしないようにしているつもりです。
『1』ということは『2』もあるのですが、趣向がガラリと変わります^^
<関連エントリー>
信頼は寛容を生む
前エントリーから読んでいただけるほうが理解度が上がります^^
mineさんがエントリーを書いてくれた。
わたしとの間に流れるわたしたち独自のお話。
(そういうものは他の友達との間にも、それぞれあるよね)
エントリーに書いてあるように、あるときmineさんはわたしのブログと距離を置きたいと話したことがあった。
それはmineさんが感じる『わたし』の変化について行かれなかったそうなのだけど、理由は、まあ、この際は置いといて(笑)
わたしにとってブログはわたしを作る大事な一部であるから、読んでくれないのはとてもとても残念には思ったけど、ご自分の心を見つめ、わたしと良好な関係でいるための立ち位置を考えてくれることのほうが良いと思って受け入れた。
そして、その後も誘っていただく度にランチを楽しんだ。
一番優先することは何か?ということだと思う。
以前、モカちゃんを含む人たちも、ご自分の心を見つめ『等式』から離れる時期を作ってくれたことも同じでね。
(すこし先の未来)
ここに登場している人たちに共通することは、自分も相手(わたし)も傷つけないようにすることを優先してくれたこと。
『等式』を読んで心が乱れる時期にも読み続けることはご自分を傷つけるし、それがわたしへの無意識の攻撃に転じてしまう可能性だってある。
そうしないために、適切な距離を計ってくれたことが共通していること。
わたしはモカちゃんたちと同じでそっと離れ、後日戻れたときに「あのときはね(笑)」って笑い話にするやり方を取るほうだけど、mineさんの違うところは、わたしに説明したところだ。
それをmineさんは『感情をぶつけた』というようにおっしゃっている。
たしかに、しばらくブログは読めませんなんて伝えることは、こちらを傷つけかねないもの。
でも、じつは傷ついていないし、ぶつけられたと思っていないんだ(残念だとはかなり思ったけど)。
なぜなら、mineさんは感情を説明してくれただけだから。
ここに大きな違いが、わたしにとってはある。
人にマイナス事項を伝えるとき、mineさんのように自分の感情や行動だけを伝える人と、そこに自分の正義をつけ加えてしまう人といる。
この違いがわたしのボーダーラインなの。
mineさんは『りん子さんのブログを読むのが辛くなるからしばらく読まない』と感情と行動を説明してくれたけど、たとえばそこに
本当は◯◯であるべきなのに、あんなことを書くのはよくない、だからブログとは距離を置きたい
そんな言葉があったら。
わたしにとっては『ぶつける』になるのです。
自分の正義と相手の否定はわりとセットになっているもので、結局正義を解くことはイコール相手を否定することになるのだよね。
これだと前エントリーに書いたみたいにただスッキリしたいだけである場合が多いとわたしは感じてしまうの。
人と関係を深めたい、理解を深めたいと思うとき、自分の感情と行動を説明するだけで充分。
自分の正解を主張する必要はない。
mineさんは正義を振りかざし溜飲を下げるようなことはしない、ご自分の感情を説明してくれるだけだ。
それがわかっている、無意識だとしても、わかっている感性が好きだからわたしはmineさんとお友達なのです^^
で、わたしの友達はこういう人ばかり^^
否定し合わず重ねた関係は優しくて温かく、何かあったら力になってくれるという心強い信頼にもなのです。
本音、またはマイナス感情を伝えるときの伝え方がわたしのボーダーラインなのでした^^
えっと、わたしがブログでわたしなりの主張をするのは『ブログ』だからですよ〜。
それでも、自分の正解は語るけど、他の否定はしないようにしているつもりです。
『1』ということは『2』もあるのですが、趣向がガラリと変わります^^
<関連エントリー>
信頼は寛容を生む
mineさん2(これは語りエントリーじゃないよ^^)
独り言
お友達のmineさんとはもう何年の付き合いになるだろう。
もう6年くらいかな?
ネットを通じて出会い、定期的にランチをしている。
彼女のお休みに合わせるために、ほぼ毎回彼女から誘ってくれるというやり取りで、もう何年もだ。
mineさんも『物作りの人』な部類なんじゃないかなと思っている。
『等式』を読んでくれている人の中でmineさんの前のブログをご存知の方はどれくらいいろだろうか、ご存知ない方にはわかりにくくて申し訳ないのだけど、前のブログはまさに溢れんばかりの感性に満ちたブログだった。
(いまのブログは乙女心が溢れているけどね^^)
パートナーのsinさまに送る数々の露出画像と、そのときの感情が載せられたブログには、露出の快感と恐怖と、恐怖ゆえの快感が、鼓動まで聞こえてきそうなほどの密度で描かれていた。
何枚かある男性用トイレに侵入した画像の中でも、小便器をバックに立ち尽くした画像などは思わず壁紙にしたい!!と言ってしまうほど胸を掴んだ記憶がある。
男性用トイレに入ることの是非はここでは問わないでください。
そんなことしないでいられるほうが穏やかでいいのはわかっているけれど、せずにはいられないマゾの性が苦しいほど、その感性を伝えたいのですから。
ときに素直すぎる不器用さで誤解を生んでしまうみたいだけど、わたしとは感性の相性がいいのだ、そんな彼女とのランチは楽しい。
生ビールとボトルの赤ワイン。
わたしの提案したお店、お料理は期待よりイマイチだったけど、充実した会話はそれをどうでもいいことにしてくれる。
彼女に起こったこと、そのときの彼女の感情、それを聞いたわたしの感想、またその逆。
そんなやり取りも楽しい。
もしかしたら、ある回路では那智さんにも理解不能なレベルの会話になっているかもしれないほど共通言語を持つ(笑)
道具なんてなくても、いいセックスはいい!!
ランチタイムの終わりに近づき人もまばらな店内にちょっと響いてしまったけど、変態話もやめられない。
場所を移動し、今度はカフェで飲み直し(笑)
カフェというより喫茶店というほうが近いかもしれない。
古いビルの中にある店舗は昭和にタイムスリップしたような懐かしさがあった。
おつまみ付きのビールセット^^
食前酒と食後種がビールというめちゃくちゃ加減もいい感じで、そろそろお開きの時間になった。
会計を済ませトイレに寄ろうと店を出る。
古いビルの廊下は照明までレトロでいい雰囲気を醸し出していた。
出口に向かって廊下の手前に男性用、出口に近いほうに女性用と通路沿いにトイレがある。
ビルは古いけど、設備はいまどき、男女それぞれのマークと一緒に車椅子マークもついていたらしい。
なせ『らしい』かというと。
そんなことに気づくより早く、mineさんったら、何やらつぶやきながら、男性用トイレのドアを開けたから!!
なんのためらいもなく!!
ど、ど、どうしたの!?
慌てるわたしに、mineさんのほうも『?』な表情。
??、車椅子のマークがあったから、ちゃんと男女それぞれに付いているんだなって思ってね、見てみたんだけど??
どんなふうにあるのかなって思って^^;
ああ、なるほど、わかる、うん、わかる。
福祉の視点から、だよね。
車椅子用がひとつしかないより、男女それぞれにあったほうが利用者には優しい。
そんなふうに弱者の視点に立てるあなたはステキ。
でも、でも、でも。
男性用トイレのドアを開けることに対するハードルが低すぎませんかーーー!!
悪いことではないと思うのよ。
中に入ったわけではないし、いや、人がいたら驚かれてしまうけど、ただ中を確認しただけ、間違って開けてしまうなんてことだってあるし、それほど極悪な行為ではないよ。
それでも、男性用トイレのドアを開け慣れていない女だったら、行動を起こす選択肢にない行為だと思うのよ!!
そして、それが大多数という常識^^;
福祉の視点に立てる常識のある人がピンポイントで常識と非常識の境界線がわけわからなくなってしまったことがおかしいの(笑)
経験者ゆえの境界線の曖昧さ。
わたしの指摘ではじめて、ご自分の行動が一般的ではないと気づいたmineさんは、そこから慌てまくり照れまくり!!
この慌てて照れる感性があるから、前ブログの露出画像のようなヒリヒリするような快感を書くことができるのだけど。
そんなに照れるなら、ドアを開けるハードルにも気づこうね(笑)
もう変態活動していると何が常識で非常識か、ときどきわからなくなる!!
(わたしも時々あるらしい^^;『非日常的な日常?』)
おかしくて、おかしくて、ふたりして笑いながらビルを後にした。
変態行為は人の感覚をマヒさせる!!
みなさん、気をつけましょう。
いや、外で四つん這いになってるおまえがなにをいう?と言われちゃいそうだけどもね^^;
そんなハプニングも楽しいのでした^^
「等式」感想です。りん子とmineさんの意見の交換、「好感」を前提にしているので話に無理がない。
お友達のmineさんとはもう何年の付き合いになるだろう。
もう6年くらいかな?
ネットを通じて出会い、定期的にランチをしている。
彼女のお休みに合わせるために、ほぼ毎回彼女から誘ってくれるというやり取りで、もう何年もだ。
mineさんも『物作りの人』な部類なんじゃないかなと思っている。
『等式』を読んでくれている人の中でmineさんの前のブログをご存知の方はどれくらいいろだろうか、ご存知ない方にはわかりにくくて申し訳ないのだけど、前のブログはまさに溢れんばかりの感性に満ちたブログだった。
(いまのブログは乙女心が溢れているけどね^^)
パートナーのsinさまに送る数々の露出画像と、そのときの感情が載せられたブログには、露出の快感と恐怖と、恐怖ゆえの快感が、鼓動まで聞こえてきそうなほどの密度で描かれていた。
何枚かある男性用トイレに侵入した画像の中でも、小便器をバックに立ち尽くした画像などは思わず壁紙にしたい!!と言ってしまうほど胸を掴んだ記憶がある。
男性用トイレに入ることの是非はここでは問わないでください。
そんなことしないでいられるほうが穏やかでいいのはわかっているけれど、せずにはいられないマゾの性が苦しいほど、その感性を伝えたいのですから。
ときに素直すぎる不器用さで誤解を生んでしまうみたいだけど、わたしとは感性の相性がいいのだ、そんな彼女とのランチは楽しい。
生ビールとボトルの赤ワイン。
わたしの提案したお店、お料理は期待よりイマイチだったけど、充実した会話はそれをどうでもいいことにしてくれる。
彼女に起こったこと、そのときの彼女の感情、それを聞いたわたしの感想、またその逆。
そんなやり取りも楽しい。
もしかしたら、ある回路では那智さんにも理解不能なレベルの会話になっているかもしれないほど共通言語を持つ(笑)
道具なんてなくても、いいセックスはいい!!
ランチタイムの終わりに近づき人もまばらな店内にちょっと響いてしまったけど、変態話もやめられない。
場所を移動し、今度はカフェで飲み直し(笑)
カフェというより喫茶店というほうが近いかもしれない。
古いビルの中にある店舗は昭和にタイムスリップしたような懐かしさがあった。
おつまみ付きのビールセット^^
食前酒と食後種がビールというめちゃくちゃ加減もいい感じで、そろそろお開きの時間になった。
会計を済ませトイレに寄ろうと店を出る。
古いビルの廊下は照明までレトロでいい雰囲気を醸し出していた。
出口に向かって廊下の手前に男性用、出口に近いほうに女性用と通路沿いにトイレがある。
ビルは古いけど、設備はいまどき、男女それぞれのマークと一緒に車椅子マークもついていたらしい。
なせ『らしい』かというと。
そんなことに気づくより早く、mineさんったら、何やらつぶやきながら、男性用トイレのドアを開けたから!!
なんのためらいもなく!!
ど、ど、どうしたの!?
慌てるわたしに、mineさんのほうも『?』な表情。
??、車椅子のマークがあったから、ちゃんと男女それぞれに付いているんだなって思ってね、見てみたんだけど??
どんなふうにあるのかなって思って^^;
ああ、なるほど、わかる、うん、わかる。
福祉の視点から、だよね。
車椅子用がひとつしかないより、男女それぞれにあったほうが利用者には優しい。
そんなふうに弱者の視点に立てるあなたはステキ。
でも、でも、でも。
男性用トイレのドアを開けることに対するハードルが低すぎませんかーーー!!
悪いことではないと思うのよ。
中に入ったわけではないし、いや、人がいたら驚かれてしまうけど、ただ中を確認しただけ、間違って開けてしまうなんてことだってあるし、それほど極悪な行為ではないよ。
それでも、男性用トイレのドアを開け慣れていない女だったら、行動を起こす選択肢にない行為だと思うのよ!!
そして、それが大多数という常識^^;
福祉の視点に立てる常識のある人がピンポイントで常識と非常識の境界線がわけわからなくなってしまったことがおかしいの(笑)
経験者ゆえの境界線の曖昧さ。
わたしの指摘ではじめて、ご自分の行動が一般的ではないと気づいたmineさんは、そこから慌てまくり照れまくり!!
この慌てて照れる感性があるから、前ブログの露出画像のようなヒリヒリするような快感を書くことができるのだけど。
そんなに照れるなら、ドアを開けるハードルにも気づこうね(笑)
もう変態活動していると何が常識で非常識か、ときどきわからなくなる!!
(わたしも時々あるらしい^^;『非日常的な日常?』)
おかしくて、おかしくて、ふたりして笑いながらビルを後にした。
変態行為は人の感覚をマヒさせる!!
みなさん、気をつけましょう。
いや、外で四つん這いになってるおまえがなにをいう?と言われちゃいそうだけどもね^^;
そんなハプニングも楽しいのでした^^
「等式」感想です。りん子とmineさんの意見の交換、「好感」を前提にしているので話に無理がない。
関係終了
りん子的独り言(生意気)
りん子的独り言は『その関係で幸せを感じている人』には向けて書いていません。
その方たちには祝福の気持ちです。
ただ、何か疑問を持ったりしている人のヒントになればいいなという気持ちで書いています。
関係終了をチラつかせるのが苦手だ。
『捨てる』なんていうのは主従関係の間ではとくに見聞きするような気がするけど。
わたしは、それに準ずる言葉が苦手だ。
とくに、かつてのわたしのような依存体質の女性は依存先を失う不安からより一層逃れられなくなって萎縮してしまうから。
これじゃあ、ぜんぜん良好な関係が築けないよって思う。
捨てられ萌えな人とか、スパルタが好きな人とかは、これがいいのかもしれないので、『わたしのような』場合のお話ですが。
『捨てる』に準ずる言葉を吐くご主人様を見ていると、なんでそんな脅すかなぁと思う。
まあ、でも、恋人同士でも、まったく褒められたもとではないけど親子の間でも『それ以上◯なら別れる』とか『よその子になるか!?』なんてことはあるので、そういうことをいうご主人様だけがダメってことではないのだけど。
どうしてご主人様には余計に苦手感が出ちゃうんだろう?
(かつて憧れていた身のバイアスをかけてるのは差し引く努力する 笑)
たぶんね、すごいこという場合が多いでしょ^^;
すべを支配する、とか
飼う、とか
所有する、とか
まあ、それ自体は本人がそう思っていっているのだから、お好きにどうぞだし、支配しているから捨てちゃいけない道理もないのだけど、その言葉から想像する安心感と『捨てる』をチラつかせる脅しにギャップを感じてしまう。
『すべて』と言われて期待してしまう分、『捨てる』発言に対する衝撃は大きいよねぇと想像してしまうのだ。
『すべて』なんて立派な言葉を使うなら、こちらが怯えるような言葉は吐かないでほしいなと思う。
と、言いつつ。
あれ?那智さんも『別れ』をチラつかせていないか!?(笑)
那智さんもこれをしたら別れると宣言していることがあることは書いてある。
浮気(他の男に抱かれたいと思うこと)をしたら別れるというのだ。
まあ、浮気をしたら有無を言わさず別れることもどうかと思うけど、何よりその浮気の定義が『他の男に抱かれたいと思ったら』というのだから理不尽極まりない(笑)のだけど、これだって充分、わたしが苦手だといっていることにならないだろうか。
そう思って那智さんに聞いてみた^^
曰く
事前に言っておくことと渦中で言うのとの違い
だそうだ。
事前に別れる条件を提示するのは脅しとは違って、努力目標になったり気をつけたりできるから問題ない。
だけど、ケンカをしたり怒っている最中に『捨てる』を持ち出すからよくないんじゃないの。
ということだ。
まあ、事前でも別れる条件を提示されることはあまりうれしくないのだけど(ああ、別れが視野に入っているのねって思っちゃうからね)、わたし自身の経験上、他のほとんどは許容してくれる中、これだけはというポイントだけであれば不安を感じることはないのはたしか。
それに、他の男に抱かれたいと思う定義は一見理不尽ではあるけれど、那智さんで満足していたらそう思うことはないわけで、これはある意味那智さんへの枷でもあったりするのだ。
だから、じつはふたりの努力目標でもあるかもしれないね^^
(おかげさまでいまのところそう思ったことがないというミラクル!?)
とにかく、事前に示すわけではなく、いきなり『捨てる』をチラつかせながら怒られたら、そりゃあ、不安になるし、またどこかで地雷踏んじゃうかわからなくて萎縮しちゃうよね。
ちょっとだけね、DVの構図に似ているなって思うのだ。
DVの被害に遭っている人は相手を怒らせないようにすることに心血を注ぐので、それが理不尽なことかどうか判断が鈍るんだよね。
まあ、お互い、その関係でよいと思ってお付き合いしているのだからDVとは違うと思うけど、依存体質にとって『捨てる』をチラつかせられることは、なかなかの恐怖だよねって思う。
ただ、理不尽さを受け入れることや理不尽さが萌えであることが、その関係や立場を選ぶ条件だと思うので、外側から見た景色を披露するのは必要ないのかな〜と思いつつ、自分のブログだからよしとしてくださいませ^^;
いきなり『捨てる』をチラつかせる行為は、わたしは苦手だ。
でも、それ『が』いい人もいるだろう。
だから、いつも言っているけれど、そうじゃない市場もあるはずだから、どうか自分の求めるものと市場をちゃんと見極めてねって思う。
もっとSM界に『娘』カテゴリ普及すればいいのにな〜(笑)
お父さんは、娘を捨てないもん^^(実際の親子関係とは違う意味ですよ^^象徴として)
<関連エントリー>
浮気の定義
たまには、最近は穏やかになってきましたが(笑)
こんな気持ちで書いてます^^
りん子的独り言って
かつてのわたしに
『等式』のえこひいき
カテゴリ「娘」
「等式」感想です。あの~りん子、勘違いしていないか?このエントリーを読んで逆の虐待みたいなものを感じる。(笑) S側の男性がフラレることを微塵も前提になっていないのはなぜ、おとぎ話になってしまうよ?関係ない話ですが上下があるような関係性において上がフラレるのと下がフラレるのではどちらが多いのか?色々言っても男がフラレる方が多いのではないかと思う。能動的に行動し、評価されるのは下から見たら上だから。これは、私の主観なのて実際の世の中がどうなのかは解りませんがね。皆さん、自由でしょ?(笑)不自由を自ら求める方と、病気の方は例外としてね。読みが浅いかな?笑)
りん子的独り言は『その関係で幸せを感じている人』には向けて書いていません。
その方たちには祝福の気持ちです。
ただ、何か疑問を持ったりしている人のヒントになればいいなという気持ちで書いています。
関係終了をチラつかせるのが苦手だ。
『捨てる』なんていうのは主従関係の間ではとくに見聞きするような気がするけど。
わたしは、それに準ずる言葉が苦手だ。
とくに、かつてのわたしのような依存体質の女性は依存先を失う不安からより一層逃れられなくなって萎縮してしまうから。
これじゃあ、ぜんぜん良好な関係が築けないよって思う。
捨てられ萌えな人とか、スパルタが好きな人とかは、これがいいのかもしれないので、『わたしのような』場合のお話ですが。
『捨てる』に準ずる言葉を吐くご主人様を見ていると、なんでそんな脅すかなぁと思う。
まあ、でも、恋人同士でも、まったく褒められたもとではないけど親子の間でも『それ以上◯なら別れる』とか『よその子になるか!?』なんてことはあるので、そういうことをいうご主人様だけがダメってことではないのだけど。
どうしてご主人様には余計に苦手感が出ちゃうんだろう?
(かつて憧れていた身のバイアスをかけてるのは差し引く努力する 笑)
たぶんね、すごいこという場合が多いでしょ^^;
すべを支配する、とか
飼う、とか
所有する、とか
まあ、それ自体は本人がそう思っていっているのだから、お好きにどうぞだし、支配しているから捨てちゃいけない道理もないのだけど、その言葉から想像する安心感と『捨てる』をチラつかせる脅しにギャップを感じてしまう。
『すべて』と言われて期待してしまう分、『捨てる』発言に対する衝撃は大きいよねぇと想像してしまうのだ。
『すべて』なんて立派な言葉を使うなら、こちらが怯えるような言葉は吐かないでほしいなと思う。
と、言いつつ。
あれ?那智さんも『別れ』をチラつかせていないか!?(笑)
那智さんもこれをしたら別れると宣言していることがあることは書いてある。
浮気(他の男に抱かれたいと思うこと)をしたら別れるというのだ。
まあ、浮気をしたら有無を言わさず別れることもどうかと思うけど、何よりその浮気の定義が『他の男に抱かれたいと思ったら』というのだから理不尽極まりない(笑)のだけど、これだって充分、わたしが苦手だといっていることにならないだろうか。
そう思って那智さんに聞いてみた^^
曰く
事前に言っておくことと渦中で言うのとの違い
だそうだ。
事前に別れる条件を提示するのは脅しとは違って、努力目標になったり気をつけたりできるから問題ない。
だけど、ケンカをしたり怒っている最中に『捨てる』を持ち出すからよくないんじゃないの。
ということだ。
まあ、事前でも別れる条件を提示されることはあまりうれしくないのだけど(ああ、別れが視野に入っているのねって思っちゃうからね)、わたし自身の経験上、他のほとんどは許容してくれる中、これだけはというポイントだけであれば不安を感じることはないのはたしか。
それに、他の男に抱かれたいと思う定義は一見理不尽ではあるけれど、那智さんで満足していたらそう思うことはないわけで、これはある意味那智さんへの枷でもあったりするのだ。
だから、じつはふたりの努力目標でもあるかもしれないね^^
(おかげさまでいまのところそう思ったことがないというミラクル!?)
とにかく、事前に示すわけではなく、いきなり『捨てる』をチラつかせながら怒られたら、そりゃあ、不安になるし、またどこかで地雷踏んじゃうかわからなくて萎縮しちゃうよね。
ちょっとだけね、DVの構図に似ているなって思うのだ。
DVの被害に遭っている人は相手を怒らせないようにすることに心血を注ぐので、それが理不尽なことかどうか判断が鈍るんだよね。
まあ、お互い、その関係でよいと思ってお付き合いしているのだからDVとは違うと思うけど、依存体質にとって『捨てる』をチラつかせられることは、なかなかの恐怖だよねって思う。
ただ、理不尽さを受け入れることや理不尽さが萌えであることが、その関係や立場を選ぶ条件だと思うので、外側から見た景色を披露するのは必要ないのかな〜と思いつつ、自分のブログだからよしとしてくださいませ^^;
いきなり『捨てる』をチラつかせる行為は、わたしは苦手だ。
でも、それ『が』いい人もいるだろう。
だから、いつも言っているけれど、そうじゃない市場もあるはずだから、どうか自分の求めるものと市場をちゃんと見極めてねって思う。
もっとSM界に『娘』カテゴリ普及すればいいのにな〜(笑)
お父さんは、娘を捨てないもん^^(実際の親子関係とは違う意味ですよ^^象徴として)
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たまには、最近は穏やかになってきましたが(笑)
こんな気持ちで書いてます^^
りん子的独り言って
かつてのわたしに
『等式』のえこひいき
カテゴリ「娘」
「等式」感想です。あの~りん子、勘違いしていないか?このエントリーを読んで逆の虐待みたいなものを感じる。(笑) S側の男性がフラレることを微塵も前提になっていないのはなぜ、おとぎ話になってしまうよ?関係ない話ですが上下があるような関係性において上がフラレるのと下がフラレるのではどちらが多いのか?色々言っても男がフラレる方が多いのではないかと思う。能動的に行動し、評価されるのは下から見たら上だから。これは、私の主観なのて実際の世の中がどうなのかは解りませんがね。皆さん、自由でしょ?(笑)不自由を自ら求める方と、病気の方は例外としてね。読みが浅いかな?笑)
刻印
独特な幸福感
すごいセックスをした。
ううん、やったことはただのセックスだ。
安ホテルのショートタイム、数十分。
道具もなく那智さんの体ひとつ。
それでもすごかった。
本当はセックスなんてできる状態じゃなかった。
那智さんとわたしの関係性さえ変えかねないほどのあまりに大きな問題を抱え、セックスなんてしている精神状態ではなかったはずだった。
それなのに、わたしは那智さんに欲情した。
ボタンを外したYシャツのスーツ姿に。
すこし乱れた髪に。
電車で触れ合う足に。
優先順位があっけなく覆る。
こんなときに欲情する自分を嫌悪しそうなほど、あっけなく。
それでも不思議と晴れやかだった。
こんな状態でも欲情するわたしを、その自分を肯定することを、那智さんが作ったからだ。
関係性を変えてしまいかねない問題があったとしても、わたしの手は那智さんをにぎりつづける自信があったからかもしれない。
那智さんがずっとそうしてくれていたように。
那智さんはお薬を飲んだ。
包み隠すことなくおちんちんのお薬を飲んだ。
それでも抱かれたかったし、きっと抱きたいと思ったのだ。
ただセックスしただけ。
那智さんに抱かれ見上げる。
強烈に思う。
わたしはあなたのもの。
膣の中で勢いよく水分が溢れるのがわかる。
「この時間はかけ布団のサービスはありません」
フロントのおじさんにそう言われて通された安ホテルのセックスが、わたしの心を抉り形作る。
わたしは那智さんから離れられない、と。
追伸
『関係性を揺るがしかねない問題』、これはふたりの間のことではなく個に起きた問題です。
それでも、那智さんとわたしは等式なので、ふたりの問題なのでした。
いつか書けるかな〜^^
<関連エントリー>
お薬^^
プライスレス
「等式」「刻印」感想です。sexしたくない時。sexしてあげられない時。広い意味でどんな時だろう?自分自身がその気になるよう、りん子に頼んでダメだったことはないと思う。極端に疲労している時も「疲れまら」を経験したこともあるし、大きな問題や壁がある時もしない理由になるのかな?
出来ない時は容易に想像つくけれどね。(笑)
すごいセックスをした。
ううん、やったことはただのセックスだ。
安ホテルのショートタイム、数十分。
道具もなく那智さんの体ひとつ。
それでもすごかった。
本当はセックスなんてできる状態じゃなかった。
那智さんとわたしの関係性さえ変えかねないほどのあまりに大きな問題を抱え、セックスなんてしている精神状態ではなかったはずだった。
それなのに、わたしは那智さんに欲情した。
ボタンを外したYシャツのスーツ姿に。
すこし乱れた髪に。
電車で触れ合う足に。
優先順位があっけなく覆る。
こんなときに欲情する自分を嫌悪しそうなほど、あっけなく。
それでも不思議と晴れやかだった。
こんな状態でも欲情するわたしを、その自分を肯定することを、那智さんが作ったからだ。
関係性を変えてしまいかねない問題があったとしても、わたしの手は那智さんをにぎりつづける自信があったからかもしれない。
那智さんがずっとそうしてくれていたように。
那智さんはお薬を飲んだ。
包み隠すことなくおちんちんのお薬を飲んだ。
それでも抱かれたかったし、きっと抱きたいと思ったのだ。
ただセックスしただけ。
那智さんに抱かれ見上げる。
強烈に思う。
わたしはあなたのもの。
膣の中で勢いよく水分が溢れるのがわかる。
「この時間はかけ布団のサービスはありません」
フロントのおじさんにそう言われて通された安ホテルのセックスが、わたしの心を抉り形作る。
わたしは那智さんから離れられない、と。
追伸
『関係性を揺るがしかねない問題』、これはふたりの間のことではなく個に起きた問題です。
それでも、那智さんとわたしは等式なので、ふたりの問題なのでした。
いつか書けるかな〜^^
<関連エントリー>
お薬^^
プライスレス
「等式」「刻印」感想です。sexしたくない時。sexしてあげられない時。広い意味でどんな時だろう?自分自身がその気になるよう、りん子に頼んでダメだったことはないと思う。極端に疲労している時も「疲れまら」を経験したこともあるし、大きな問題や壁がある時もしない理由になるのかな?
出来ない時は容易に想像つくけれどね。(笑)