私的一般論『セックスレス』
りん子的独り言(生意気)
わたしという私的な経験と想像で一般論を書きます。
だから私的一般論。
偏った戯れ言と大きな心でお読みください〜^^
ちゃんと調べたわけじゃないけど、日本の夫婦におけるセックスレスの割合は多いのですよね。
そうだとして、今日はなぜセックスレスになるのかを考察してみます。
わたしはいままでセックスをする間柄の男性に対して、あるとき相手を好きなはずなのに急に『したくない』と拒否の気持ちが湧いてしまっていた。
一度その気持ちが湧いてしまうと、もう坂道を転げ落ちるようにあっという間にセックスすることが苦痛になり触れられることにさえ嫌悪感を抱くようになってしまう。
わたしの体に勝手に触るな。
俺がこの女を気持ちよくさせているなんて思うなと怒りに近い感情になる。
最初の結婚のときなどはハネムーンの途中ですでにそうなってしまっていた。
急激に冷めていくのはわたしの性格の問題点でもあるので、そこはちょっと横に置いておいて^^;
なぜ、それらの男性とはセックスをしたくなくのるのだろう。
そして、その当時の自分と比べて、なぜ那智さんとはほぼ9年経ってもそういう気持ちが微塵も起こらないのだろう。
そりゃあ、これだけ愛情をかけてもらって快感を与えてもらえば当然と言われてしまえばそれまでだけど^^;
那智さんと那智さん以前でハッキリと違うと言えることがあるんだ。
それは『尊敬』。
わたしは那智さんと出会うまで『尊敬』という感情を実感したことがなかった。
この人すごいな〜と思うことだってあったけど、どうしてもそれがイコール『尊敬』にはならなかったから、言葉の意味は理解しているけどその感情の体験をしたことがなかった。
人を見下していることを見抜かれ生きにくいわたしの手を引いてくれた、いつでも一定の機嫌を保ちどんなにぬるま湯に浸らせても増長することがない那智さんにはじめて『尊敬』という感情を持った。
これはかなり個人的な感覚なんだけど、この『尊敬』の有無はわたしにとって付き合いはもちろんセックスにも大きく関わっているようです。
もし仮に那智さんがSM欲がなくなったとしても『尊敬』している限りわたしは那智さんとセックスをしたいと思うでしょう。
那智さんと那智さん以前の違いから、セックスレスにならないためには『尊敬』する気持ちが重要だというのが、わたしの考え。
じゃあ、なぜセックスに『尊敬』が必要なんだろう?
それはセックスにおける男女の関係値が要因なんじゃないかと思う。
ここからが特に私事と一般論がごちゃまぜになってしまうのだけど。
セックスは基本的、特に現代日本におけるセックスは基本的に『男が能動、女は受動』ですよね。
行為の構図だけでなく、文化や風潮や認識や産業やもろもろ、どれも男が主体になって動き、男のためのもの。
もちろんずいぶん女性も主体になってきているとは思うけど、やっぱり女は男のセックスの付属品という立ち位置は根強く残っていると思う。
(わたしにとって)その立ち位置を成立させるためには『尊敬』が必要なのだと思うのです。
こちらの演技に気づかないような恋人や、マザコン気味の男に対して、ベッドインしたときだけ『受動で付属品』になることが難しいのではないかな。
大して尊敬していない男性にセックスのときだけ受け身にならざるを得ないこと、そして、そんな男に『俺が気持ちよくさせてやってる』なんて思われること、それらへの抵抗感がセックスを苦痛にしてしまう要因なのではないかなと思うのです。
バカにしている男の前で、たとえ演技だとしても『ああ〜ん』ってすることが苦痛なのですね。
尊敬している人だから受け身任せてしまえるし、あなたで気持ちよくなっていると素直にセックスを喜べるのではないだろうか。
ということで。
ものすごーーーく偏って乱暴な結論を言わせていただけきますよ!!
現代日本におけるセックスレスを回避したければ、男性の皆様には女に母性なんか求めず、尊敬に足る人であり続けていただくことが重要なのではないでしょうか。
それが無理なら、現代日本のセックスに対する文化や風潮や認識や産業を変えればいい。
先日読んだ本にはオーストラリアのアダルトビデオについて書いてあった。
10年前に発売された本なのでいまと事情は違うかもしれないけど。
オーストラリアのアダルトビデオには
女性がいやがっている描写はダメ
双方が楽しんでいないとダメ
(あともうひとつあったけど、忘れだ^^;)
という規制があるらしい、だからレイプシーンや痴漢物なんてないのだそうだ。
日本のセックスの文化や風潮や認識や産業が『男は能動、女は受動』『男が主体で女は付属品』ではなくなり新しいセックスの価値観ができれば『尊敬』うんぬんなんてこと気にしなくてもよくなるかもしれないね。
これがわたしのものすごく偏った私的一般論。
で、じゃあ、男ばっかり尊敬されなきゃいけなかったり文化を変えたり、男性ばかりに大変なことを押し付けてはいけませんよね。
女性にもするべきことはあるはずです。
それは、自分の尊敬ポイントを知っておくことだと思います。
例えば、男性が身だしなみを気にしたりしているけど誰もがそこがポイントではない場合もあるわけで、ポイントの多様性を世に知らせることじゃないかな。
わたしの場合は、それよりもっと『感情に上下がない』とか『先を見据えてくれている』とか『とことん話に付き合ってくれる』とかのほうがずっとずっと尊敬に値するのだから。
もっと自分の尊敬ポイントを知り、それをちゃんと声にすることで直接付き合っている男性に対しても、ひいては世間に対しても『尊敬ポイント』が多様化するわけで、その合致する率が高まると思うのです。
尊敬ポイントが合致していれば、体臭なんか大喜びのアイテムになるものね。
ということで、偏見たっぷりの私的一般論にお付き合いくださいましてありがとうございました〜^^
で、わたしは受動で主導権を握ってもらったセックスが好きなので那智さんにはこれからもずっとずっと尊敬させていただきたいなと思うのでした(笑)
今朝の「投資期」感想です。
私もレスなので興味深く読みました。言っていることは間違いないと思うのですが、多分もっと別の次元でも考えられるのだと思う。「行為」事態に価値を見いだせるか、抱いて・抱かれて気持ちよいかと抱きたい・抱かれたいを意思表示出来るかなのではないでしょうか。
りん子の言うのは理想でそうあればいいな~(笑)、私の言うのは自分の現実でこうあれば「頑張れる」ぞみたいな感じなのかな。本気で考えた事が無いのでまとまっていません、是非もう少し深めた考察をりん子にリクエストしたいと思います。(笑)おもしろかったです。
わたしという私的な経験と想像で一般論を書きます。
だから私的一般論。
偏った戯れ言と大きな心でお読みください〜^^
ちゃんと調べたわけじゃないけど、日本の夫婦におけるセックスレスの割合は多いのですよね。
そうだとして、今日はなぜセックスレスになるのかを考察してみます。
わたしはいままでセックスをする間柄の男性に対して、あるとき相手を好きなはずなのに急に『したくない』と拒否の気持ちが湧いてしまっていた。
一度その気持ちが湧いてしまうと、もう坂道を転げ落ちるようにあっという間にセックスすることが苦痛になり触れられることにさえ嫌悪感を抱くようになってしまう。
わたしの体に勝手に触るな。
俺がこの女を気持ちよくさせているなんて思うなと怒りに近い感情になる。
最初の結婚のときなどはハネムーンの途中ですでにそうなってしまっていた。
急激に冷めていくのはわたしの性格の問題点でもあるので、そこはちょっと横に置いておいて^^;
なぜ、それらの男性とはセックスをしたくなくのるのだろう。
そして、その当時の自分と比べて、なぜ那智さんとはほぼ9年経ってもそういう気持ちが微塵も起こらないのだろう。
そりゃあ、これだけ愛情をかけてもらって快感を与えてもらえば当然と言われてしまえばそれまでだけど^^;
那智さんと那智さん以前でハッキリと違うと言えることがあるんだ。
それは『尊敬』。
わたしは那智さんと出会うまで『尊敬』という感情を実感したことがなかった。
この人すごいな〜と思うことだってあったけど、どうしてもそれがイコール『尊敬』にはならなかったから、言葉の意味は理解しているけどその感情の体験をしたことがなかった。
人を見下していることを見抜かれ生きにくいわたしの手を引いてくれた、いつでも一定の機嫌を保ちどんなにぬるま湯に浸らせても増長することがない那智さんにはじめて『尊敬』という感情を持った。
これはかなり個人的な感覚なんだけど、この『尊敬』の有無はわたしにとって付き合いはもちろんセックスにも大きく関わっているようです。
もし仮に那智さんがSM欲がなくなったとしても『尊敬』している限りわたしは那智さんとセックスをしたいと思うでしょう。
那智さんと那智さん以前の違いから、セックスレスにならないためには『尊敬』する気持ちが重要だというのが、わたしの考え。
じゃあ、なぜセックスに『尊敬』が必要なんだろう?
それはセックスにおける男女の関係値が要因なんじゃないかと思う。
ここからが特に私事と一般論がごちゃまぜになってしまうのだけど。
セックスは基本的、特に現代日本におけるセックスは基本的に『男が能動、女は受動』ですよね。
行為の構図だけでなく、文化や風潮や認識や産業やもろもろ、どれも男が主体になって動き、男のためのもの。
もちろんずいぶん女性も主体になってきているとは思うけど、やっぱり女は男のセックスの付属品という立ち位置は根強く残っていると思う。
(わたしにとって)その立ち位置を成立させるためには『尊敬』が必要なのだと思うのです。
こちらの演技に気づかないような恋人や、マザコン気味の男に対して、ベッドインしたときだけ『受動で付属品』になることが難しいのではないかな。
大して尊敬していない男性にセックスのときだけ受け身にならざるを得ないこと、そして、そんな男に『俺が気持ちよくさせてやってる』なんて思われること、それらへの抵抗感がセックスを苦痛にしてしまう要因なのではないかなと思うのです。
バカにしている男の前で、たとえ演技だとしても『ああ〜ん』ってすることが苦痛なのですね。
尊敬している人だから受け身任せてしまえるし、あなたで気持ちよくなっていると素直にセックスを喜べるのではないだろうか。
ということで。
ものすごーーーく偏って乱暴な結論を言わせていただけきますよ!!
現代日本におけるセックスレスを回避したければ、男性の皆様には女に母性なんか求めず、尊敬に足る人であり続けていただくことが重要なのではないでしょうか。
それが無理なら、現代日本のセックスに対する文化や風潮や認識や産業を変えればいい。
先日読んだ本にはオーストラリアのアダルトビデオについて書いてあった。
10年前に発売された本なのでいまと事情は違うかもしれないけど。
オーストラリアのアダルトビデオには
女性がいやがっている描写はダメ
双方が楽しんでいないとダメ
(あともうひとつあったけど、忘れだ^^;)
という規制があるらしい、だからレイプシーンや痴漢物なんてないのだそうだ。
日本のセックスの文化や風潮や認識や産業が『男は能動、女は受動』『男が主体で女は付属品』ではなくなり新しいセックスの価値観ができれば『尊敬』うんぬんなんてこと気にしなくてもよくなるかもしれないね。
これがわたしのものすごく偏った私的一般論。
で、じゃあ、男ばっかり尊敬されなきゃいけなかったり文化を変えたり、男性ばかりに大変なことを押し付けてはいけませんよね。
女性にもするべきことはあるはずです。
それは、自分の尊敬ポイントを知っておくことだと思います。
例えば、男性が身だしなみを気にしたりしているけど誰もがそこがポイントではない場合もあるわけで、ポイントの多様性を世に知らせることじゃないかな。
わたしの場合は、それよりもっと『感情に上下がない』とか『先を見据えてくれている』とか『とことん話に付き合ってくれる』とかのほうがずっとずっと尊敬に値するのだから。
もっと自分の尊敬ポイントを知り、それをちゃんと声にすることで直接付き合っている男性に対しても、ひいては世間に対しても『尊敬ポイント』が多様化するわけで、その合致する率が高まると思うのです。
尊敬ポイントが合致していれば、体臭なんか大喜びのアイテムになるものね。
ということで、偏見たっぷりの私的一般論にお付き合いくださいましてありがとうございました〜^^
で、わたしは受動で主導権を握ってもらったセックスが好きなので那智さんにはこれからもずっとずっと尊敬させていただきたいなと思うのでした(笑)
今朝の「投資期」感想です。
私もレスなので興味深く読みました。言っていることは間違いないと思うのですが、多分もっと別の次元でも考えられるのだと思う。「行為」事態に価値を見いだせるか、抱いて・抱かれて気持ちよいかと抱きたい・抱かれたいを意思表示出来るかなのではないでしょうか。
りん子の言うのは理想でそうあればいいな~(笑)、私の言うのは自分の現実でこうあれば「頑張れる」ぞみたいな感じなのかな。本気で考えた事が無いのでまとまっていません、是非もう少し深めた考察をりん子にリクエストしたいと思います。(笑)おもしろかったです。
COMMENT
尊敬できる感性ってほんとうに素敵で大切なものだと思います。
きっと、りん子さんも、那智さんに
ある種の尊敬を受けているから、
関係が続いてきたのでしょうね。
相手の雄性(女性が持っていることも)が
つよければ、
より強い雌性を持つことが出来る感じがして、
エロティックな気分がパワーアップする感じがします(笑)
きっと、りん子さんも、那智さんに
ある種の尊敬を受けているから、
関係が続いてきたのでしょうね。
相手の雄性(女性が持っていることも)が
つよければ、
より強い雌性を持つことが出来る感じがして、
エロティックな気分がパワーアップする感じがします(笑)
んっ?
「那智さんに」ではなく、
「那智さんから」と訂正。
「那智さんに」ではなく、
「那智さんから」と訂正。
わー、なんだか独りよがりなエントリーにコメント、うれしいです^^
どうやらわたしは性的に『相手に委ねる』ことを求めているようなので、それには相手を尊敬しているということが必要なようです。
那智さん以前は自分に合う男性を選べていなかったことが大きな原因なんだなと、ちょっとトホホに思っています。
じつは、わたし自身が、ものすごく『日本の性的文化』を引きずっているのかもしれません^^;
自分にとって性的魅力が感じられる人とは性的な場面で相乗効果があるのでしょうね。
智薫さんのおっしゃる雄性と雌性って、きっとそういうことなのかな^^
その人によって性的魅力を何から感じるか、いろいろなのでしょうから、それを知っているのはいいですよね。
どうやらわたしは性的に『相手に委ねる』ことを求めているようなので、それには相手を尊敬しているということが必要なようです。
那智さん以前は自分に合う男性を選べていなかったことが大きな原因なんだなと、ちょっとトホホに思っています。
じつは、わたし自身が、ものすごく『日本の性的文化』を引きずっているのかもしれません^^;
自分にとって性的魅力が感じられる人とは性的な場面で相乗効果があるのでしょうね。
智薫さんのおっしゃる雄性と雌性って、きっとそういうことなのかな^^
その人によって性的魅力を何から感じるか、いろいろなのでしょうから、それを知っているのはいいですよね。
例えば、男性から拒否のレスの場合も女性が「尊敬」を勝ち取ることで解消していくでしょうか?
それともまた別の要素が必要になるでしょうか?
女性が相手の男性を尊敬していても拒否される場合は?
最近のレスは男性からの場合もかなり多いようなので、りん子さんの考察をうかがってみたくなりました☆
それともまた別の要素が必要になるでしょうか?
女性が相手の男性を尊敬していても拒否される場合は?
最近のレスは男性からの場合もかなり多いようなので、りん子さんの考察をうかがってみたくなりました☆
わーい、なかなか楽しく、鋭いご指摘。
喜んでいます^^
たしかに、統計は知らないけど、もしかしたら男性側からのレスのほうが実は多いかもしれませんよね。
『女房に女を感じない』というパターン。
わたしなりに考えてみましたが、おもしろそうなのでエントリーにさせてくださいませ^^
極論の私的一般論なエントリーの続きなので、そのトーンは変わらないと思いますが、それは許してね〜♪
喜んでいます^^
たしかに、統計は知らないけど、もしかしたら男性側からのレスのほうが実は多いかもしれませんよね。
『女房に女を感じない』というパターン。
わたしなりに考えてみましたが、おもしろそうなのでエントリーにさせてくださいませ^^
極論の私的一般論なエントリーの続きなので、そのトーンは変わらないと思いますが、それは許してね〜♪