ペナルティ
独特な幸福感
ぴっと通り抜けられる改札、便利ですよね。
だけどわたしはほとんどいつも最小限しかチャージしないの。
いくら入れても使われる金額は変わらないのに、無意味なケチ根性?が働いてしまうのです。
ゆえに、しょっちゅうチャージしに改札に立ち寄らないといけないので、これじゃ切符買うのと大差ない状態。
まあ、多少意味があるとすれば、あと○円しかないから、じゃあちょっと遠いけど安い私鉄まで歩くか、 程度の節約とカロリー消費くらいかな。
わたし自身、そんな 自分がキライじゃないのだけど、ときどきチャージし忘れて『ピンポン!!』と足止めを食らうこともあって那智さんにはよくあきれられている。
たくさんチャージすれば?と何度か忠告されるのだけど、どうもそれはわたしの好みに合わず、あれこれ理由をつけてははぐらかしていた。
あるとき、一緒に改札を出ようとして、わたしだけ『ピンポン!!』と足止め。
ったく、チャージしとけよ〜
いままでさんざん忠告していたにも関わらずチャージしなかったりん子。
まあ、りん子なりの主張もわからないでもない、だからチャージする金額はとやかく言うのはやめよう…、でも、自分と一緒のときに『ピンポン』だけは許せん(笑)
俺のアドバイスを無視するなら、せめて俺と一緒のときには無視したなりの責任を取ってもらおう!!
という思考回路が働いたかどうかはさだかではありませんが。
ったく、チャージしとけよ〜
今度、俺と一緒のときに鳴ったら『その場でパンツおろす』、な(笑)
なんと、ペナルティを課せられてしまった!!
那智さんと一緒のときに『ピンポン』になったら、その場でパンツをおろされてしまうのだ!!
有無を言わさず。
那智さんなら、ぜったい、やる。
それ以降。
那智さんと会うときには、いちおう残高を把握し、万が一時間がなくてチャージできず不足していても改札を出る前にさささっと精算機によってチャージするのはOK、『ピンポン』さえ鳴らなければいいので、なんとか『ピンポン』は免れている。
わたしは基本ペナルティは好きじゃない。
お仕置きや罰よりも『幸福』で動くほうが、その人の身に付くと信じている。
だから子育ても、できる限りそうしている(つもりだ)
那智さんも、わたしよりずっと人操縦に長けているので『幸福により動かす』ことが上手なはずなんだけど、きっとこのペナルティは罰より『おもしろい』の比重が大きいから、わたしに課して遊んでいるのだと思う。
(『諭され萌え』『やるは威力』)
ホテルでおつまみと一杯。
気分よく改札で別れる。
手前の改札が那智さん、わたしはその奥。
すこし離れたところで立ち止まり先に改札に向かう那智さんに小さく手を振る。
ピンポ〜ン♪
改札に足止めされて、急いできびすを返す那智さん。
こちらを振り返る。
ふたりして『あ〜(笑)』って顔。
きっと、ふたり同じ種類の表情をしていたはず。
『あ〜(笑)』の表情目を合わせたまま、那智さん自分のベルトに手をかける!!
いいですっ、脱がなくて!!!!
わたしは那智さんにそんなペナルティ課していませんから!!
すこし離れたところで一瞬あわあわ。
笑いながら『いきな』と手を揺らす那智さんに今度は小さく会釈して、那智さんはチャージしに券売機へ、わたしは奥の改札に向かった。
表情とゼスチャーだけで会話するのってたのしい^^
基本ペナルティが好きじゃないのだけど、あれ以降一度も『ピンポン』しないでいられている事実を見ると、なんだかちょっと悔しいような気もする(笑)
でも、『おもしろい』に比重を置いたペナルティは、もしかしたら悪くないかもしれない。
今朝の「等式」感想です。
んん、困った。りん子の感性どうしよう、改札でパンツを下ろされることが「おもしろい」は普通じゃない、確かに我々二人にとっては面白いことであることは間違いないけれど、エントリーする時に一般的では無い言う感覚を知りながら敢え書かないのか、感じていないのか。(笑)
りん子(^-^)Σ(゚д゚;;;)
ぴっと通り抜けられる改札、便利ですよね。
だけどわたしはほとんどいつも最小限しかチャージしないの。
いくら入れても使われる金額は変わらないのに、無意味なケチ根性?が働いてしまうのです。
ゆえに、しょっちゅうチャージしに改札に立ち寄らないといけないので、これじゃ切符買うのと大差ない状態。
まあ、多少意味があるとすれば、あと○円しかないから、じゃあちょっと遠いけど安い私鉄まで歩くか、 程度の節約とカロリー消費くらいかな。
わたし自身、そんな 自分がキライじゃないのだけど、ときどきチャージし忘れて『ピンポン!!』と足止めを食らうこともあって那智さんにはよくあきれられている。
たくさんチャージすれば?と何度か忠告されるのだけど、どうもそれはわたしの好みに合わず、あれこれ理由をつけてははぐらかしていた。
あるとき、一緒に改札を出ようとして、わたしだけ『ピンポン!!』と足止め。
ったく、チャージしとけよ〜
いままでさんざん忠告していたにも関わらずチャージしなかったりん子。
まあ、りん子なりの主張もわからないでもない、だからチャージする金額はとやかく言うのはやめよう…、でも、自分と一緒のときに『ピンポン』だけは許せん(笑)
俺のアドバイスを無視するなら、せめて俺と一緒のときには無視したなりの責任を取ってもらおう!!
という思考回路が働いたかどうかはさだかではありませんが。
ったく、チャージしとけよ〜
今度、俺と一緒のときに鳴ったら『その場でパンツおろす』、な(笑)
なんと、ペナルティを課せられてしまった!!
那智さんと一緒のときに『ピンポン』になったら、その場でパンツをおろされてしまうのだ!!
有無を言わさず。
那智さんなら、ぜったい、やる。
それ以降。
那智さんと会うときには、いちおう残高を把握し、万が一時間がなくてチャージできず不足していても改札を出る前にさささっと精算機によってチャージするのはOK、『ピンポン』さえ鳴らなければいいので、なんとか『ピンポン』は免れている。
わたしは基本ペナルティは好きじゃない。
お仕置きや罰よりも『幸福』で動くほうが、その人の身に付くと信じている。
だから子育ても、できる限りそうしている(つもりだ)
那智さんも、わたしよりずっと人操縦に長けているので『幸福により動かす』ことが上手なはずなんだけど、きっとこのペナルティは罰より『おもしろい』の比重が大きいから、わたしに課して遊んでいるのだと思う。
(『諭され萌え』『やるは威力』)
ホテルでおつまみと一杯。
気分よく改札で別れる。
手前の改札が那智さん、わたしはその奥。
すこし離れたところで立ち止まり先に改札に向かう那智さんに小さく手を振る。
ピンポ〜ン♪
改札に足止めされて、急いできびすを返す那智さん。
こちらを振り返る。
ふたりして『あ〜(笑)』って顔。
きっと、ふたり同じ種類の表情をしていたはず。
『あ〜(笑)』の表情目を合わせたまま、那智さん自分のベルトに手をかける!!
いいですっ、脱がなくて!!!!
わたしは那智さんにそんなペナルティ課していませんから!!
すこし離れたところで一瞬あわあわ。
笑いながら『いきな』と手を揺らす那智さんに今度は小さく会釈して、那智さんはチャージしに券売機へ、わたしは奥の改札に向かった。
表情とゼスチャーだけで会話するのってたのしい^^
基本ペナルティが好きじゃないのだけど、あれ以降一度も『ピンポン』しないでいられている事実を見ると、なんだかちょっと悔しいような気もする(笑)
でも、『おもしろい』に比重を置いたペナルティは、もしかしたら悪くないかもしれない。
今朝の「等式」感想です。
んん、困った。りん子の感性どうしよう、改札でパンツを下ろされることが「おもしろい」は普通じゃない、確かに我々二人にとっては面白いことであることは間違いないけれど、エントリーする時に一般的では無い言う感覚を知りながら敢え書かないのか、感じていないのか。(笑)
りん子(^-^)Σ(゚д゚;;;)
『絶対』に『唯一』で『完全』な『永遠』
りん子的独り言(生意気)
デートの前日。
那智さんがちょっと忙しくて夕食のお店やその他諸々予約や手配などができず、わたしが代わりすることがあった。
予約の電話を入れることやその他の準備(地図の用意とかね)をすることなんて、まったく問題ないのでサクサクとこなす。
その都度『手配しました〜』と報告メールを入れて犬気質的な報告欲も満たす(笑)
ちょっと手が空いたのだろう電話をくれた。
改めて諸々報告すると『ありがとうね』と『ごめんな〜』と言ってくれた。
『ありがとう』は受け取れるけど『ごめんな』は違うなって思った。
だってデートの手配をするのは那智さんの義務じゃないものね。
単に『よいようにしたい人』と『よいようにしてほしい人』故の結果だものね。
わたしは基本的に『那智さんのよいようにしてもらう』ことがうれしいからいつもはお任せしているけど、こういうときに手足となってお手伝いすることはなんら問題ない。(むしろ犬気質は役に立てるの、好き^^)
大好きな人が大変なときに手伝うというのは『上下』だからとか関係なく、ごく普通の感覚だよね。
だから、それで『ごめん』は違うよね。
そんなふうに思っていたら、那智さん同じことを言い出した。
いまの『ごめん』は本当の意味の『ごめん』じゃないよ(笑)
りん子は俺に準備してもらうことが好きだろ?
それをしてあげられなくての『ごめんな』なんだよ。
だから本当の『ごめん』じゃないの、わかる?
はい、はい、わかります^^
デートの手配ができなかったことじゃなくて、りん子の好きなことを味わわせてあげられなくての『ごめん』なのですよね。
デートの手配ができないことで『ごめん』を使ってしまっては、那智さんにとって手配が義務になってしまう。
ふたりにとって義務ではなくて『よいようにしたい人』と『よいようにしてほしい人』というごく自然な心地よいポジションでいるほうが幸せだというだけのこと。
那智さんは別に言葉の達人というわけではないけれど、自分の言葉に責任を持ちたいと思っている人だ。
普段は片手間なお返事が多いとしても(笑)、責任を待たなければならない会話や話題のときは特に選んで発言している。
このときも『ごめん』所在を明確にして、適切な使い方をしてくれたわけですよね。
だから那智さんは滅多なことで『絶対』や『唯一』や『永遠』や『完全』みたいな言葉は使わない。
こういう言葉を使うときは特に、一度立ち止まるだろ?
そういう100%を表すような言葉を使うとき、一瞬立ち止まるのだ、そして責任を追えると判断してそれ相応の覚悟を持って発しているそうだ。
少し前のエントリーになるけど『奴隷はご主人様のために存在している』と発言したご主人様にわたしが絡んでしまった話を書いた。(『アラシのりん子』)
この出来事、最初こそわたしの独断でコメントしたのだけど、実は一部那智さんに焚き付けられたところもあったんだ。
このご主人様はコメントレスで『奴隷のしたい調教はしないと常に思っている』と書いていたんだけど、その『常に』に那智さん、引っかかっちゃったんだよね。
『常に』は那智さんにとって『絶対』や『唯一』と同じような種類の言葉なのだ。
人間『常に』と言い切れる状況などはそう簡単にないと思っている。
それを発するとき一度立ち止まるだろ?
立ち止まった後に出てきた言葉なら、それに対してきちんと責任を持ち対応できるはずで(わたしの『饅頭怖いになっちゃう?』に対して明確な回答ができるはず)だよねということだ。
ご主人様はどうあるべきだなんて難しいことではなくて、ごく普通の人として日頃自分の発言に責任を持ちたいと思っている那智さんからしたら、立ち止まらずに発言したいたとしたら軽卒に感じられたのでしょう。
それでわたしを焚き付けて再三のコメントになってしまったわけ。
だからね、その『常に』がなかったら『アラシのりん子』にまでは発展しなかったんだよね^^;
(このご主人様もたまたま間違って使ってしまった可能性もあるわけで、どちらにしてもアラシでごめんなさいです)
もちろん那智さんだって、毎度毎度立ち止まっていないかもしれない。
完璧な人間なんていないのだから言葉のあやってことも十分ある。
だけど『立ち止まる』ことを知っている人の『絶対』はきっと『絶対』で、『唯一』は『唯一』だと思える。
『立ち止まる』と感じさせてくれる人から発せられるから、はじめて『完全』も『永遠』も意味を持つ。
簡単に使わないから信じられるのだ。
今朝の「等式」感想です。
『絶対』『唯一』『永遠』『完全』この言葉を使うときは「~でありたい」もしくは「~だと、思わないと達成しない」のように願望や希望などを含めた言い回しで使うのが好きです。まともに、使用できる事もあるかもしれませんがこのワードは小学生の口喧嘩を連想します。(笑)
デートの前日。
那智さんがちょっと忙しくて夕食のお店やその他諸々予約や手配などができず、わたしが代わりすることがあった。
予約の電話を入れることやその他の準備(地図の用意とかね)をすることなんて、まったく問題ないのでサクサクとこなす。
その都度『手配しました〜』と報告メールを入れて犬気質的な報告欲も満たす(笑)
ちょっと手が空いたのだろう電話をくれた。
改めて諸々報告すると『ありがとうね』と『ごめんな〜』と言ってくれた。
『ありがとう』は受け取れるけど『ごめんな』は違うなって思った。
だってデートの手配をするのは那智さんの義務じゃないものね。
単に『よいようにしたい人』と『よいようにしてほしい人』故の結果だものね。
わたしは基本的に『那智さんのよいようにしてもらう』ことがうれしいからいつもはお任せしているけど、こういうときに手足となってお手伝いすることはなんら問題ない。(むしろ犬気質は役に立てるの、好き^^)
大好きな人が大変なときに手伝うというのは『上下』だからとか関係なく、ごく普通の感覚だよね。
だから、それで『ごめん』は違うよね。
そんなふうに思っていたら、那智さん同じことを言い出した。
いまの『ごめん』は本当の意味の『ごめん』じゃないよ(笑)
りん子は俺に準備してもらうことが好きだろ?
それをしてあげられなくての『ごめんな』なんだよ。
だから本当の『ごめん』じゃないの、わかる?
はい、はい、わかります^^
デートの手配ができなかったことじゃなくて、りん子の好きなことを味わわせてあげられなくての『ごめん』なのですよね。
デートの手配ができないことで『ごめん』を使ってしまっては、那智さんにとって手配が義務になってしまう。
ふたりにとって義務ではなくて『よいようにしたい人』と『よいようにしてほしい人』というごく自然な心地よいポジションでいるほうが幸せだというだけのこと。
那智さんは別に言葉の達人というわけではないけれど、自分の言葉に責任を持ちたいと思っている人だ。
普段は片手間なお返事が多いとしても(笑)、責任を待たなければならない会話や話題のときは特に選んで発言している。
このときも『ごめん』所在を明確にして、適切な使い方をしてくれたわけですよね。
だから那智さんは滅多なことで『絶対』や『唯一』や『永遠』や『完全』みたいな言葉は使わない。
こういう言葉を使うときは特に、一度立ち止まるだろ?
そういう100%を表すような言葉を使うとき、一瞬立ち止まるのだ、そして責任を追えると判断してそれ相応の覚悟を持って発しているそうだ。
少し前のエントリーになるけど『奴隷はご主人様のために存在している』と発言したご主人様にわたしが絡んでしまった話を書いた。(『アラシのりん子』)
この出来事、最初こそわたしの独断でコメントしたのだけど、実は一部那智さんに焚き付けられたところもあったんだ。
このご主人様はコメントレスで『奴隷のしたい調教はしないと常に思っている』と書いていたんだけど、その『常に』に那智さん、引っかかっちゃったんだよね。
『常に』は那智さんにとって『絶対』や『唯一』と同じような種類の言葉なのだ。
人間『常に』と言い切れる状況などはそう簡単にないと思っている。
それを発するとき一度立ち止まるだろ?
立ち止まった後に出てきた言葉なら、それに対してきちんと責任を持ち対応できるはずで(わたしの『饅頭怖いになっちゃう?』に対して明確な回答ができるはず)だよねということだ。
ご主人様はどうあるべきだなんて難しいことではなくて、ごく普通の人として日頃自分の発言に責任を持ちたいと思っている那智さんからしたら、立ち止まらずに発言したいたとしたら軽卒に感じられたのでしょう。
それでわたしを焚き付けて再三のコメントになってしまったわけ。
だからね、その『常に』がなかったら『アラシのりん子』にまでは発展しなかったんだよね^^;
(このご主人様もたまたま間違って使ってしまった可能性もあるわけで、どちらにしてもアラシでごめんなさいです)
もちろん那智さんだって、毎度毎度立ち止まっていないかもしれない。
完璧な人間なんていないのだから言葉のあやってことも十分ある。
だけど『立ち止まる』ことを知っている人の『絶対』はきっと『絶対』で、『唯一』は『唯一』だと思える。
『立ち止まる』と感じさせてくれる人から発せられるから、はじめて『完全』も『永遠』も意味を持つ。
簡単に使わないから信じられるのだ。
今朝の「等式」感想です。
『絶対』『唯一』『永遠』『完全』この言葉を使うときは「~でありたい」もしくは「~だと、思わないと達成しない」のように願望や希望などを含めた言い回しで使うのが好きです。まともに、使用できる事もあるかもしれませんがこのワードは小学生の口喧嘩を連想します。(笑)
緊急エントリーで補足だよ〜
りん子的独り言(生意気)
この前も緊急エントリーしたけど、またです。
緊急っていうととても緊迫した感じがしてしまうけど、ほとんどそんなことはなくて、ああ、いま、すぐ言いたい!!とか一日置きじゃないイレギュラーな更新ですよ〜くらいのやんわりした感覚で思ってください。(内容は様々だけど)
先日、よそのブログにコメントをしたら、そこの管理人さんもうちを読んでくださっていたそうです。
なんで、そういう話になったかは端折らせてもらうけど、その方がコメントレスで『りん子さんは、〇〇(彼女のご主人様)みたいな人に否定的ですよね』と、ご自分のご主人様の横暴ぶりを指しておっしゃっていた。
わたしはその〇〇さんに対しては否定的な感情は持っていなかったのだけど、まあ、『りん子的独り言』などでは、否定的な意見を書いているから、そうおっしゃったんだと思います。
それもウソじゃないのだけど、わたしが『りん子的独り言』で伝えたいことは別のことなので、今日はそれを補足しようと思います。
本当はその方のブログで『主眼は否定じゃないよ〜』と再度補足でコメントしてもよかったんだけど、どうせなら、自分のところで、他の人にも補足させてもらおうと思ったのです。
えっと。
わたしは一部のご主人様に対して否定的です、ううん、バカにしていると言っていい。(たとえば、『奴隷に快楽はない』と本気で思っている人とか)
でも、わたしがブログで伝えたいことは、その人たちの否定ではなくて、女性のM側の人に対して
あなたのほしいものは、本当にそれ?
ということです。
マゾとか奴隷とかって性癖や嗜好のカテゴリだから、体質や体格みたいなものだと思うんです。
走るのが早い人とか歌が上手な人がいるように。
屈辱的な扱いやセックスを望む、喜べるのは、そういう性癖や嗜好だからで、恋愛感情や信頼関係だけではどうにもならないことだと思うんです。
(『屈辱』に関してはただいま下書き中〜←宣伝^^)
自分の性癖嗜好にないセックス、ゆえに不本意なセックスをすることは深く傷つくと思っているので、あなたのほしいものは何かをちゃんと見たほうがいいよと伝えたいのです。
普通に批判の気持ちもあるけど^^;一部のご主人様の矛盾や情けなさを書いて、本当にほしいものをあぶり出すヒントになればと思って書いているのです。
じゃあ、マゾや奴隷嗜好しかSMはしちゃいけないのか!!ってこともなくて、好きな男が縛りたいというならば、それを叶えたいと思うのも女心ですよね。
そこで、もうひとつの伝えたいことが、恋心や依存心などいろいろな理由で『自分の性癖とは違うけど受け入れている』と自覚することの必要性です。
性癖じゃないことをしているから傷を負うかもしれないと自覚して傷つくのと、愛情や信頼という言葉に目隠しされて、無自覚につく傷では、その後の歩む道も違ってくると思うのです。
『不本意なセックス』を受け入れていると自覚していたら、それで喜べなかったとしても自分を責めることなくなるでしょ?
自分の心を自覚しないまま、自分を責める状況に自ら追い込むと、なかなか苦しいと思うからね。
ということで、『りん子的独り言(生意気)』は、一部のご主人様否定をしていますが、本当に伝えたいのは
不本意な扱いやセックスは深い傷になるよ、だから自分の本当にほしいものと現状を自覚してねってこと、なのでした^^
この前も緊急エントリーしたけど、またです。
緊急っていうととても緊迫した感じがしてしまうけど、ほとんどそんなことはなくて、ああ、いま、すぐ言いたい!!とか一日置きじゃないイレギュラーな更新ですよ〜くらいのやんわりした感覚で思ってください。(内容は様々だけど)
先日、よそのブログにコメントをしたら、そこの管理人さんもうちを読んでくださっていたそうです。
なんで、そういう話になったかは端折らせてもらうけど、その方がコメントレスで『りん子さんは、〇〇(彼女のご主人様)みたいな人に否定的ですよね』と、ご自分のご主人様の横暴ぶりを指しておっしゃっていた。
わたしはその〇〇さんに対しては否定的な感情は持っていなかったのだけど、まあ、『りん子的独り言』などでは、否定的な意見を書いているから、そうおっしゃったんだと思います。
それもウソじゃないのだけど、わたしが『りん子的独り言』で伝えたいことは別のことなので、今日はそれを補足しようと思います。
本当はその方のブログで『主眼は否定じゃないよ〜』と再度補足でコメントしてもよかったんだけど、どうせなら、自分のところで、他の人にも補足させてもらおうと思ったのです。
えっと。
わたしは一部のご主人様に対して否定的です、ううん、バカにしていると言っていい。(たとえば、『奴隷に快楽はない』と本気で思っている人とか)
でも、わたしがブログで伝えたいことは、その人たちの否定ではなくて、女性のM側の人に対して
あなたのほしいものは、本当にそれ?
ということです。
マゾとか奴隷とかって性癖や嗜好のカテゴリだから、体質や体格みたいなものだと思うんです。
走るのが早い人とか歌が上手な人がいるように。
屈辱的な扱いやセックスを望む、喜べるのは、そういう性癖や嗜好だからで、恋愛感情や信頼関係だけではどうにもならないことだと思うんです。
(『屈辱』に関してはただいま下書き中〜←宣伝^^)
自分の性癖嗜好にないセックス、ゆえに不本意なセックスをすることは深く傷つくと思っているので、あなたのほしいものは何かをちゃんと見たほうがいいよと伝えたいのです。
普通に批判の気持ちもあるけど^^;一部のご主人様の矛盾や情けなさを書いて、本当にほしいものをあぶり出すヒントになればと思って書いているのです。
じゃあ、マゾや奴隷嗜好しかSMはしちゃいけないのか!!ってこともなくて、好きな男が縛りたいというならば、それを叶えたいと思うのも女心ですよね。
そこで、もうひとつの伝えたいことが、恋心や依存心などいろいろな理由で『自分の性癖とは違うけど受け入れている』と自覚することの必要性です。
性癖じゃないことをしているから傷を負うかもしれないと自覚して傷つくのと、愛情や信頼という言葉に目隠しされて、無自覚につく傷では、その後の歩む道も違ってくると思うのです。
『不本意なセックス』を受け入れていると自覚していたら、それで喜べなかったとしても自分を責めることなくなるでしょ?
自分の心を自覚しないまま、自分を責める状況に自ら追い込むと、なかなか苦しいと思うからね。
ということで、『りん子的独り言(生意気)』は、一部のご主人様否定をしていますが、本当に伝えたいのは
不本意な扱いやセックスは深い傷になるよ、だから自分の本当にほしいものと現状を自覚してねってこと、なのでした^^
撮影
非日常的な日常
写真や映像。
主にSM行為をしている最中、那智さんはその手のものをほとんど撮らない。
お尻についた鞭の痕などは、すべて終わった後でわたしのリクエストで撮ることのほうがずっと多い。
どきどき撮ることに主眼をおくときもあるけど、やはりそれは最中じゃない。
流れを止めたくないのだろう。
これはわたしも同じ気持ちだ。
痛いことも快感に没頭してしまうようなこともカメラを向けられた途端、意識が撮影に向いてしまう。
SM行為の快感のひとつは『内にこもる』ことだと思っているので、なにか別の意識が入る込むとなかなかその快感は得られない。
わたしはカメラを意識しなくなるくらい没頭できるほど完成(?)していないし、また撮影自体が快感になるようには作られていないので、カメラを向けられると『内にこもる』ことはできないのだ。
いまふたりがしている行為と心の交流が『撮影のためのもの』になってしまう。
だから那智さんは、その最中に撮影をしない。
ここは、ふたりの一致した意見。
その那智さんが、ある日ビデオカメラを持ってきた。
仕事で三脚を使ったそうで、しばらくその三脚が手元にあったからちょうどよいということだったのでしょう。
でも、ビデオを撮られるということは、それを意識しちゃって『撮影のための』時間になってしまうなぁとちょっと残念な気持ち。
三脚にカメラをセットしていまわたしが座っているソファのあたりが中心になるように固定して。
今日はずっとカメラを回しておくよ。
ずっとですか!?
そう、回しっぱなしにするから、まあできるだけカメラの範囲にいるんだよ(笑)
うわぁ、そうきましたか!!
ホテル滞在時間推定6時間(なんかある意味生々しい^^;)ノンストップで撮り続けるのだ。
撮り続けることで、今日は撮っていることを基本状態にすることで『撮影のため』の時間ではなくそうという意図なのでしょう。
う〜ん、それでも、やっぱりどうしても意識してしまいそうだなぁ。
ちょっと先行き心配になりながら、6時間回しっぱなしこれぞリアル、ドキュメンタリー撮影開始となった。
以下、後日断片的に観させてもらったものと記憶を合わせて、視点めちゃくちゃのエントリー。
まず、那智さんがプレゼントしてくれたコルセットを試着することからスタート。
いちおうアウターとして使えそうなものだったので、スカートやパンツを持参してどんなコーディネートが合うかファッションショー。
その前に、装着に手間取る。
ホックが思い通りに止まらずにふたりで悪戦苦闘^^
やれ、コーディネートがむずかしいとか、ひとりで着るとしたら大変だとか、ぶーぶー。
でも、想像よりずっと『いい感じ』でだんだん上機嫌になっていくわたし。
手首、反りまくってる^^;(『モテ仕草』)
定点撮影だから、ドレッサーに姿を映しにいくときは見切れてしまうけど、だからといって咎められるわけでもないし、那智さんも一緒にカメラから外れたりして、そんな自由な感じもたのしい。
最初はそれも気になっていたのに、だんだん2段階下くらいまで意識下に潜んでくる、これが那智さんの意図。
ひと通り試着が終わって、今度はソファで首輪とリードをつける。
自然と、わたしはソファから降り那智さんの足下に。
那智さんの腕が伸び、コルセットの隙間から胸を摘む。
首輪を着けている自分の姿を、自分の感覚と他人事のふたつの感情で見るのは複雑な気持ちになる。
幸せなわたしと幸せそうなわたし。
胸を可愛がられ。
軟体動物のようにうねる腰に、また気持ちいいわたしと気持ちよさそうなわたし。
半分幽体離脱のような不思議な感じだ。
この辺りから撮影をしていることをほとんど意識しなくなってくる。
なかなか長時間の定点撮影は効果がある。
すこし早送り。
次にわたしが見せてもらったのは、カメラの位置をはじめて変えてからのようだ。
ベッドの上に正座をして、那智さんに向かってなにか話しかけている。
普通に裸でいることが、照れる^^;
どうやら鞭をするようだ。
わたしは密かに『痴人状態』になるわたしを見てみたいと思っていた。
かなり自己嫌悪してしまいそうな危険性はあるけれど、鞭を打たれて高笑いする自分は、きっと異常で愛おしい存在に映るはず。
だからこのとき、鞭をすることになってベッドの上で願いが叶うとすこし心が撮影に傾いてしまったような気がする。
ベッドにうつぶせの無防備なお尻にバラ鞭の一撃。
お尻が衝撃にぶるんと揺れぎゅっと力が入る。
膝から足首にかけてと爪先に緊張が走る。
なにか、那智さんのほうに顔を向けて言葉を発しているわたしにごく普通のテンションで『ん?』と近づく那智さん。
また2発。
足首がぐいっと曲がり、腰ががくんと震える。
ああ、もう気持ちよくなっている。
この日は、気持ちよくなるのが、たしか早かった。
鞭の強さと連動する体の振動、そして、それに呼応する腰の震え。
腰の震えは快感の証拠。
痛がり、体を起こし、四つん這いになり、なんとか痛みをやり過ごそうとしながらも、腰が快感に震えている。
那智さんにすり寄って甘える。
それに抱擁やキスで答えてくれる。
ときどき何か訴え、それに答えてくれている。
そのやり取りは、日常のそれとほとんど変わりない。
皮膚を打つ音と時折苦痛と快感の声をあげる以外は、なんだか穏やかな空気さえ感じる。
真剣で、とても穏やかな時間。
日常と非日常の境い目がない、まさしく『非日常的な日常』、おそらく那智さんが目指したSMはこういうこのなんだろう。
なんだか、自分の感じている姿を見る気恥ずかしさと、鞭を打たれるという異常な状況と、全体を包む幸せな空気に、どんなテンションで観たらよいのやら、複雑な気持ち。
しかし、苦痛と快感を行き来しているだけで、『あの世界』には行かれないようだ。
もしかしたら、最初に心が撮影に傾いてしまっていたからなのかもしれない。
ほんのすこし那智さんが苦心しているようにも見える。
とても強く確かめるように、連続して追い込むように、那智さんの意思でわたしを導こうとしているのは伝わるのだけど、わたしは『感じている』状態止まり。
いや、自分が鞭で気持ちよくなっていることだってはじめて見る光景で興味深いのだけど、痴人状態をちょっぴり期待してしまっていたから、残念^^;
そこから、セックスやお風呂、マッサージにお昼寝とカメラアングルを2回くらい変えて延々撮影は続いたのだけど、わたしが見せてもらったのは鞭のあたりまで。
セックスがはじまった最初のところくらいは見たけど、そこで鑑賞会はおしまいになった。
事前に早送りしながらもひと通り目を通した那智さん曰く、セックスの場面と那智さんの裸が丸写しの場面は那智さん自身羞恥プレイだそうです^^;
途中、くつろぎながら会話をしている場面もあったそうなのですが、そこもわたしは見切れていて那智さんだけ部屋着でベッドに大の字になっていて
俺、なんかエラそうなこと言ってるんだけど、ちんちん出したままでさ、ほんと情けないんだよ
ちんちん、右に傾いててさ〜(笑)
男のあれは見えているとまったく説得力ないね。
だそうで、そのようなシーンは飛ばされました^^;
おちんちんというのは、主に男性にとってはすべてを吹き飛ばす破壊力があるようです。
那智さん自身の羞恥プレイシーンは、わたし、むしろ見たいのですが(笑)
それよりなにより、わたしのはしたない姿を見て自分自身が嫌悪感や情けない気持ちになるのではないかと心配していたけど、ぜんぜんならなかった。
それを那智さんに伝えたら
そのシーンだけ見たわけじゃないからだろ?
たしかに、最初のコルセットの場面のような普通の時間のわたしたちを眺めていたから、そこからはしたない姿に変わっていくことに抵抗なく見ることができたようにも思う。
なぜなら、那智さんに話しかけるわたしも、答えを待つわたしも、答えを聞いているわたしも、どのわたしも実に幸せそうなんだ。
一時も視線を外すまいと、ずっと那智さんの姿を負う様子は恋する乙女か主人を慕う犬のようで、我ながらちょっといとおしささえ感じる。
りん子、幸せでよかったね^^
と画面のわたしに思えたから、それ以外の姿も受け入れることができたのだね。
ということで、6時間ぶっ通しの撮影と一部鑑賞会は終了。
撮影をすることは『撮影のための時間』になってしまうから、日頃はそこに重きをおかないのだけど、定点撮影で回しっぱなしで、全部撮影することで『撮影が通常』という状況を作るのも、那智さんらしい^^
おかげで100%とは言い難いけど、かなり撮影していることを意識の下のほうに追いやることができた。
だから、那智さんを見るわたしの視線を知ることができたし、那智さんの背中に回した指先の動きなんていうものも知ることができる(これは那智さんの視点で発見)。
ついでに『ちんちん』の破壊力も(笑)
鞭のシーンなどはなかなかの迫力で、ちょっぴりどなたかにお見せしたいなと露出癖もなきにしもあらずなんですけど、ご覧になりたい方いるかしら『破壊力のあるちんちん』付きですけど^^;
今朝の「等式」感想です。
①「また撮影自体が快感になるようには作られていない」この表現は恥ずかしげな感じで微笑ましい。
②二人にカメラを意識したら負けのような感覚があったと思う。
③時にはサービスカット言い、カメラ目線や、ベッド上で全裸ジャンプしぶらぶらなど楽しむことができました。
りん子(^-^)補足です。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、③のサービスカットは那智さんのです。破壊力のあるブツ露出させてわざとジャンプしたりしていました^^;誰に対するサービスカットがわかりませんが(笑)
写真や映像。
主にSM行為をしている最中、那智さんはその手のものをほとんど撮らない。
お尻についた鞭の痕などは、すべて終わった後でわたしのリクエストで撮ることのほうがずっと多い。
どきどき撮ることに主眼をおくときもあるけど、やはりそれは最中じゃない。
流れを止めたくないのだろう。
これはわたしも同じ気持ちだ。
痛いことも快感に没頭してしまうようなこともカメラを向けられた途端、意識が撮影に向いてしまう。
SM行為の快感のひとつは『内にこもる』ことだと思っているので、なにか別の意識が入る込むとなかなかその快感は得られない。
わたしはカメラを意識しなくなるくらい没頭できるほど完成(?)していないし、また撮影自体が快感になるようには作られていないので、カメラを向けられると『内にこもる』ことはできないのだ。
いまふたりがしている行為と心の交流が『撮影のためのもの』になってしまう。
だから那智さんは、その最中に撮影をしない。
ここは、ふたりの一致した意見。
その那智さんが、ある日ビデオカメラを持ってきた。
仕事で三脚を使ったそうで、しばらくその三脚が手元にあったからちょうどよいということだったのでしょう。
でも、ビデオを撮られるということは、それを意識しちゃって『撮影のための』時間になってしまうなぁとちょっと残念な気持ち。
三脚にカメラをセットしていまわたしが座っているソファのあたりが中心になるように固定して。
今日はずっとカメラを回しておくよ。
ずっとですか!?
そう、回しっぱなしにするから、まあできるだけカメラの範囲にいるんだよ(笑)
うわぁ、そうきましたか!!
ホテル滞在時間推定6時間(なんかある意味生々しい^^;)ノンストップで撮り続けるのだ。
撮り続けることで、今日は撮っていることを基本状態にすることで『撮影のため』の時間ではなくそうという意図なのでしょう。
う〜ん、それでも、やっぱりどうしても意識してしまいそうだなぁ。
ちょっと先行き心配になりながら、6時間回しっぱなしこれぞリアル、ドキュメンタリー撮影開始となった。
以下、後日断片的に観させてもらったものと記憶を合わせて、視点めちゃくちゃのエントリー。
まず、那智さんがプレゼントしてくれたコルセットを試着することからスタート。
いちおうアウターとして使えそうなものだったので、スカートやパンツを持参してどんなコーディネートが合うかファッションショー。
その前に、装着に手間取る。
ホックが思い通りに止まらずにふたりで悪戦苦闘^^
やれ、コーディネートがむずかしいとか、ひとりで着るとしたら大変だとか、ぶーぶー。
でも、想像よりずっと『いい感じ』でだんだん上機嫌になっていくわたし。
手首、反りまくってる^^;(『モテ仕草』)
定点撮影だから、ドレッサーに姿を映しにいくときは見切れてしまうけど、だからといって咎められるわけでもないし、那智さんも一緒にカメラから外れたりして、そんな自由な感じもたのしい。
最初はそれも気になっていたのに、だんだん2段階下くらいまで意識下に潜んでくる、これが那智さんの意図。
ひと通り試着が終わって、今度はソファで首輪とリードをつける。
自然と、わたしはソファから降り那智さんの足下に。
那智さんの腕が伸び、コルセットの隙間から胸を摘む。
首輪を着けている自分の姿を、自分の感覚と他人事のふたつの感情で見るのは複雑な気持ちになる。
幸せなわたしと幸せそうなわたし。
胸を可愛がられ。
軟体動物のようにうねる腰に、また気持ちいいわたしと気持ちよさそうなわたし。
半分幽体離脱のような不思議な感じだ。
この辺りから撮影をしていることをほとんど意識しなくなってくる。
なかなか長時間の定点撮影は効果がある。
すこし早送り。
次にわたしが見せてもらったのは、カメラの位置をはじめて変えてからのようだ。
ベッドの上に正座をして、那智さんに向かってなにか話しかけている。
普通に裸でいることが、照れる^^;
どうやら鞭をするようだ。
わたしは密かに『痴人状態』になるわたしを見てみたいと思っていた。
かなり自己嫌悪してしまいそうな危険性はあるけれど、鞭を打たれて高笑いする自分は、きっと異常で愛おしい存在に映るはず。
だからこのとき、鞭をすることになってベッドの上で願いが叶うとすこし心が撮影に傾いてしまったような気がする。
ベッドにうつぶせの無防備なお尻にバラ鞭の一撃。
お尻が衝撃にぶるんと揺れぎゅっと力が入る。
膝から足首にかけてと爪先に緊張が走る。
なにか、那智さんのほうに顔を向けて言葉を発しているわたしにごく普通のテンションで『ん?』と近づく那智さん。
また2発。
足首がぐいっと曲がり、腰ががくんと震える。
ああ、もう気持ちよくなっている。
この日は、気持ちよくなるのが、たしか早かった。
鞭の強さと連動する体の振動、そして、それに呼応する腰の震え。
腰の震えは快感の証拠。
痛がり、体を起こし、四つん這いになり、なんとか痛みをやり過ごそうとしながらも、腰が快感に震えている。
那智さんにすり寄って甘える。
それに抱擁やキスで答えてくれる。
ときどき何か訴え、それに答えてくれている。
そのやり取りは、日常のそれとほとんど変わりない。
皮膚を打つ音と時折苦痛と快感の声をあげる以外は、なんだか穏やかな空気さえ感じる。
真剣で、とても穏やかな時間。
日常と非日常の境い目がない、まさしく『非日常的な日常』、おそらく那智さんが目指したSMはこういうこのなんだろう。
なんだか、自分の感じている姿を見る気恥ずかしさと、鞭を打たれるという異常な状況と、全体を包む幸せな空気に、どんなテンションで観たらよいのやら、複雑な気持ち。
しかし、苦痛と快感を行き来しているだけで、『あの世界』には行かれないようだ。
もしかしたら、最初に心が撮影に傾いてしまっていたからなのかもしれない。
ほんのすこし那智さんが苦心しているようにも見える。
とても強く確かめるように、連続して追い込むように、那智さんの意思でわたしを導こうとしているのは伝わるのだけど、わたしは『感じている』状態止まり。
いや、自分が鞭で気持ちよくなっていることだってはじめて見る光景で興味深いのだけど、痴人状態をちょっぴり期待してしまっていたから、残念^^;
そこから、セックスやお風呂、マッサージにお昼寝とカメラアングルを2回くらい変えて延々撮影は続いたのだけど、わたしが見せてもらったのは鞭のあたりまで。
セックスがはじまった最初のところくらいは見たけど、そこで鑑賞会はおしまいになった。
事前に早送りしながらもひと通り目を通した那智さん曰く、セックスの場面と那智さんの裸が丸写しの場面は那智さん自身羞恥プレイだそうです^^;
途中、くつろぎながら会話をしている場面もあったそうなのですが、そこもわたしは見切れていて那智さんだけ部屋着でベッドに大の字になっていて
俺、なんかエラそうなこと言ってるんだけど、ちんちん出したままでさ、ほんと情けないんだよ
ちんちん、右に傾いててさ〜(笑)
男のあれは見えているとまったく説得力ないね。
だそうで、そのようなシーンは飛ばされました^^;
おちんちんというのは、主に男性にとってはすべてを吹き飛ばす破壊力があるようです。
那智さん自身の羞恥プレイシーンは、わたし、むしろ見たいのですが(笑)
それよりなにより、わたしのはしたない姿を見て自分自身が嫌悪感や情けない気持ちになるのではないかと心配していたけど、ぜんぜんならなかった。
それを那智さんに伝えたら
そのシーンだけ見たわけじゃないからだろ?
たしかに、最初のコルセットの場面のような普通の時間のわたしたちを眺めていたから、そこからはしたない姿に変わっていくことに抵抗なく見ることができたようにも思う。
なぜなら、那智さんに話しかけるわたしも、答えを待つわたしも、答えを聞いているわたしも、どのわたしも実に幸せそうなんだ。
一時も視線を外すまいと、ずっと那智さんの姿を負う様子は恋する乙女か主人を慕う犬のようで、我ながらちょっといとおしささえ感じる。
りん子、幸せでよかったね^^
と画面のわたしに思えたから、それ以外の姿も受け入れることができたのだね。
ということで、6時間ぶっ通しの撮影と一部鑑賞会は終了。
撮影をすることは『撮影のための時間』になってしまうから、日頃はそこに重きをおかないのだけど、定点撮影で回しっぱなしで、全部撮影することで『撮影が通常』という状況を作るのも、那智さんらしい^^
おかげで100%とは言い難いけど、かなり撮影していることを意識の下のほうに追いやることができた。
だから、那智さんを見るわたしの視線を知ることができたし、那智さんの背中に回した指先の動きなんていうものも知ることができる(これは那智さんの視点で発見)。
ついでに『ちんちん』の破壊力も(笑)
鞭のシーンなどはなかなかの迫力で、ちょっぴりどなたかにお見せしたいなと露出癖もなきにしもあらずなんですけど、ご覧になりたい方いるかしら『破壊力のあるちんちん』付きですけど^^;
今朝の「等式」感想です。
①「また撮影自体が快感になるようには作られていない」この表現は恥ずかしげな感じで微笑ましい。
②二人にカメラを意識したら負けのような感覚があったと思う。
③時にはサービスカット言い、カメラ目線や、ベッド上で全裸ジャンプしぶらぶらなど楽しむことができました。
りん子(^-^)補足です。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、③のサービスカットは那智さんのです。破壊力のあるブツ露出させてわざとジャンプしたりしていました^^;誰に対するサービスカットがわかりませんが(笑)
返球
非日常的な日常
マゾ的嗜好の他にも従属願望や犬気質があったのだもの。
首輪にリード、『犬のように』なんてことは憧れのものだった。
だけど、だからといって、お外で尻尾つけてリードを引かれて四つん這いで歩くなんてことを具体的に望んでいたわけでもないし、当たり前だけど、いきなりすんなりできるものでもない。
首輪やリードへの憧れは話題に出ていたれど、最初は、たしか那智さんがどこかからフォックスのファーを見つけてきて、それをアナルパールに結びつけて尻尾にしたことが、具体的な『わんこ』のはじまりだったような気がする。
とうぜん、最初はお外でなんてことは思考にはなかったはずなんだけど、ホテルで尻尾をつけ、犬のお皿で食べたり飲んだりしていることで互いの支配、被支配欲をつついて満足していた程度だった。
(『矛盾は辛い』)
そこから、なにかの話題の中で『外』や『人目』が加わってきて、徐々にいまの形ができていったのだ。
那智さんが最初にボールを投げた、そして返ってきた球がよい感触だった。
もしくは、わたしが『ここに投げて』とミットをかまえていて、そこに投げてくれたのかもしれない、そして、また返球した。
投げかける。
そして、それに反応する。
おもしろい返球に、すこし力をこめてまた投げる。
いつの間にか球種も増えていく。
投げかけ、反応。
これの積み重ねが『わんこ』を作っていたのだと思う。
おそらく、那智さんは話題にしながらある程度前からいろいろ下準備(条例調べたり、わたしをその気にさせたり?)はしていたと思うけど、それでも出会った頃の頭の中にはなかったはず。
きっと、どちらか片方の思いだけではこの形は作れなかっただろう。
互いの情熱のやり取りで出来ていった結果が『わんこ』。
わんこに限ったことではない。
鞭だって最初は痛くて恐くてたくさん泣いた。
スカトロも、醒めてしまうんじゃないかってNGだったはずだ。
またしてほしいと思うわたしと、もっとしたいと思う那智さんとのキャッチボールでできていった。
基本的に、最初にボールを投げるのは那智さんだと、ふたりの関係値では決まっているけど、おそらく、その返球によって、また投げる球も変わってきたかもしれない。
ひとつのことを足したり引いたりこねくり回して長く長く続けられるのは、ふたりとも、この人とそれをしたいという情熱があるから叶うんだよね、きっと。
わんこや鞭で笑い出すようなお話を書くと、一足飛びにこうなったわけじゃないんだよ~って、自分でもちょっと焦るわけです(笑)
那智さんが投げて、わたしが返す、これを飽きずにもう何年も続けているような気がする。
今朝の「等式」感想です。
まあ、嘘は無いのだけれどそんな綺麗なキャッチぼーるじゃなかったな~(笑)だいたい球をを投げているのかも解らず、後ろに投げたり、偶には隠してみたり。徐々に上手く出来るようになりました。
マゾ的嗜好の他にも従属願望や犬気質があったのだもの。
首輪にリード、『犬のように』なんてことは憧れのものだった。
だけど、だからといって、お外で尻尾つけてリードを引かれて四つん這いで歩くなんてことを具体的に望んでいたわけでもないし、当たり前だけど、いきなりすんなりできるものでもない。
首輪やリードへの憧れは話題に出ていたれど、最初は、たしか那智さんがどこかからフォックスのファーを見つけてきて、それをアナルパールに結びつけて尻尾にしたことが、具体的な『わんこ』のはじまりだったような気がする。
とうぜん、最初はお外でなんてことは思考にはなかったはずなんだけど、ホテルで尻尾をつけ、犬のお皿で食べたり飲んだりしていることで互いの支配、被支配欲をつついて満足していた程度だった。
(『矛盾は辛い』)
そこから、なにかの話題の中で『外』や『人目』が加わってきて、徐々にいまの形ができていったのだ。
那智さんが最初にボールを投げた、そして返ってきた球がよい感触だった。
もしくは、わたしが『ここに投げて』とミットをかまえていて、そこに投げてくれたのかもしれない、そして、また返球した。
投げかける。
そして、それに反応する。
おもしろい返球に、すこし力をこめてまた投げる。
いつの間にか球種も増えていく。
投げかけ、反応。
これの積み重ねが『わんこ』を作っていたのだと思う。
おそらく、那智さんは話題にしながらある程度前からいろいろ下準備(条例調べたり、わたしをその気にさせたり?)はしていたと思うけど、それでも出会った頃の頭の中にはなかったはず。
きっと、どちらか片方の思いだけではこの形は作れなかっただろう。
互いの情熱のやり取りで出来ていった結果が『わんこ』。
わんこに限ったことではない。
鞭だって最初は痛くて恐くてたくさん泣いた。
スカトロも、醒めてしまうんじゃないかってNGだったはずだ。
またしてほしいと思うわたしと、もっとしたいと思う那智さんとのキャッチボールでできていった。
基本的に、最初にボールを投げるのは那智さんだと、ふたりの関係値では決まっているけど、おそらく、その返球によって、また投げる球も変わってきたかもしれない。
ひとつのことを足したり引いたりこねくり回して長く長く続けられるのは、ふたりとも、この人とそれをしたいという情熱があるから叶うんだよね、きっと。
わんこや鞭で笑い出すようなお話を書くと、一足飛びにこうなったわけじゃないんだよ~って、自分でもちょっと焦るわけです(笑)
那智さんが投げて、わたしが返す、これを飽きずにもう何年も続けているような気がする。
今朝の「等式」感想です。
まあ、嘘は無いのだけれどそんな綺麗なキャッチぼーるじゃなかったな~(笑)だいたい球をを投げているのかも解らず、後ろに投げたり、偶には隠してみたり。徐々に上手く出来るようになりました。