『絶対』に『唯一』で『完全』な『永遠』
りん子的独り言(生意気)
デートの前日。
那智さんがちょっと忙しくて夕食のお店やその他諸々予約や手配などができず、わたしが代わりすることがあった。
予約の電話を入れることやその他の準備(地図の用意とかね)をすることなんて、まったく問題ないのでサクサクとこなす。
その都度『手配しました〜』と報告メールを入れて犬気質的な報告欲も満たす(笑)
ちょっと手が空いたのだろう電話をくれた。
改めて諸々報告すると『ありがとうね』と『ごめんな〜』と言ってくれた。
『ありがとう』は受け取れるけど『ごめんな』は違うなって思った。
だってデートの手配をするのは那智さんの義務じゃないものね。
単に『よいようにしたい人』と『よいようにしてほしい人』故の結果だものね。
わたしは基本的に『那智さんのよいようにしてもらう』ことがうれしいからいつもはお任せしているけど、こういうときに手足となってお手伝いすることはなんら問題ない。(むしろ犬気質は役に立てるの、好き^^)
大好きな人が大変なときに手伝うというのは『上下』だからとか関係なく、ごく普通の感覚だよね。
だから、それで『ごめん』は違うよね。
そんなふうに思っていたら、那智さん同じことを言い出した。
いまの『ごめん』は本当の意味の『ごめん』じゃないよ(笑)
りん子は俺に準備してもらうことが好きだろ?
それをしてあげられなくての『ごめんな』なんだよ。
だから本当の『ごめん』じゃないの、わかる?
はい、はい、わかります^^
デートの手配ができなかったことじゃなくて、りん子の好きなことを味わわせてあげられなくての『ごめん』なのですよね。
デートの手配ができないことで『ごめん』を使ってしまっては、那智さんにとって手配が義務になってしまう。
ふたりにとって義務ではなくて『よいようにしたい人』と『よいようにしてほしい人』というごく自然な心地よいポジションでいるほうが幸せだというだけのこと。
那智さんは別に言葉の達人というわけではないけれど、自分の言葉に責任を持ちたいと思っている人だ。
普段は片手間なお返事が多いとしても(笑)、責任を待たなければならない会話や話題のときは特に選んで発言している。
このときも『ごめん』所在を明確にして、適切な使い方をしてくれたわけですよね。
だから那智さんは滅多なことで『絶対』や『唯一』や『永遠』や『完全』みたいな言葉は使わない。
こういう言葉を使うときは特に、一度立ち止まるだろ?
そういう100%を表すような言葉を使うとき、一瞬立ち止まるのだ、そして責任を追えると判断してそれ相応の覚悟を持って発しているそうだ。
少し前のエントリーになるけど『奴隷はご主人様のために存在している』と発言したご主人様にわたしが絡んでしまった話を書いた。(『アラシのりん子』)
この出来事、最初こそわたしの独断でコメントしたのだけど、実は一部那智さんに焚き付けられたところもあったんだ。
このご主人様はコメントレスで『奴隷のしたい調教はしないと常に思っている』と書いていたんだけど、その『常に』に那智さん、引っかかっちゃったんだよね。
『常に』は那智さんにとって『絶対』や『唯一』と同じような種類の言葉なのだ。
人間『常に』と言い切れる状況などはそう簡単にないと思っている。
それを発するとき一度立ち止まるだろ?
立ち止まった後に出てきた言葉なら、それに対してきちんと責任を持ち対応できるはずで(わたしの『饅頭怖いになっちゃう?』に対して明確な回答ができるはず)だよねということだ。
ご主人様はどうあるべきだなんて難しいことではなくて、ごく普通の人として日頃自分の発言に責任を持ちたいと思っている那智さんからしたら、立ち止まらずに発言したいたとしたら軽卒に感じられたのでしょう。
それでわたしを焚き付けて再三のコメントになってしまったわけ。
だからね、その『常に』がなかったら『アラシのりん子』にまでは発展しなかったんだよね^^;
(このご主人様もたまたま間違って使ってしまった可能性もあるわけで、どちらにしてもアラシでごめんなさいです)
もちろん那智さんだって、毎度毎度立ち止まっていないかもしれない。
完璧な人間なんていないのだから言葉のあやってことも十分ある。
だけど『立ち止まる』ことを知っている人の『絶対』はきっと『絶対』で、『唯一』は『唯一』だと思える。
『立ち止まる』と感じさせてくれる人から発せられるから、はじめて『完全』も『永遠』も意味を持つ。
簡単に使わないから信じられるのだ。
今朝の「等式」感想です。
『絶対』『唯一』『永遠』『完全』この言葉を使うときは「~でありたい」もしくは「~だと、思わないと達成しない」のように願望や希望などを含めた言い回しで使うのが好きです。まともに、使用できる事もあるかもしれませんがこのワードは小学生の口喧嘩を連想します。(笑)
デートの前日。
那智さんがちょっと忙しくて夕食のお店やその他諸々予約や手配などができず、わたしが代わりすることがあった。
予約の電話を入れることやその他の準備(地図の用意とかね)をすることなんて、まったく問題ないのでサクサクとこなす。
その都度『手配しました〜』と報告メールを入れて犬気質的な報告欲も満たす(笑)
ちょっと手が空いたのだろう電話をくれた。
改めて諸々報告すると『ありがとうね』と『ごめんな〜』と言ってくれた。
『ありがとう』は受け取れるけど『ごめんな』は違うなって思った。
だってデートの手配をするのは那智さんの義務じゃないものね。
単に『よいようにしたい人』と『よいようにしてほしい人』故の結果だものね。
わたしは基本的に『那智さんのよいようにしてもらう』ことがうれしいからいつもはお任せしているけど、こういうときに手足となってお手伝いすることはなんら問題ない。(むしろ犬気質は役に立てるの、好き^^)
大好きな人が大変なときに手伝うというのは『上下』だからとか関係なく、ごく普通の感覚だよね。
だから、それで『ごめん』は違うよね。
そんなふうに思っていたら、那智さん同じことを言い出した。
いまの『ごめん』は本当の意味の『ごめん』じゃないよ(笑)
りん子は俺に準備してもらうことが好きだろ?
それをしてあげられなくての『ごめんな』なんだよ。
だから本当の『ごめん』じゃないの、わかる?
はい、はい、わかります^^
デートの手配ができなかったことじゃなくて、りん子の好きなことを味わわせてあげられなくての『ごめん』なのですよね。
デートの手配ができないことで『ごめん』を使ってしまっては、那智さんにとって手配が義務になってしまう。
ふたりにとって義務ではなくて『よいようにしたい人』と『よいようにしてほしい人』というごく自然な心地よいポジションでいるほうが幸せだというだけのこと。
那智さんは別に言葉の達人というわけではないけれど、自分の言葉に責任を持ちたいと思っている人だ。
普段は片手間なお返事が多いとしても(笑)、責任を待たなければならない会話や話題のときは特に選んで発言している。
このときも『ごめん』所在を明確にして、適切な使い方をしてくれたわけですよね。
だから那智さんは滅多なことで『絶対』や『唯一』や『永遠』や『完全』みたいな言葉は使わない。
こういう言葉を使うときは特に、一度立ち止まるだろ?
そういう100%を表すような言葉を使うとき、一瞬立ち止まるのだ、そして責任を追えると判断してそれ相応の覚悟を持って発しているそうだ。
少し前のエントリーになるけど『奴隷はご主人様のために存在している』と発言したご主人様にわたしが絡んでしまった話を書いた。(『アラシのりん子』)
この出来事、最初こそわたしの独断でコメントしたのだけど、実は一部那智さんに焚き付けられたところもあったんだ。
このご主人様はコメントレスで『奴隷のしたい調教はしないと常に思っている』と書いていたんだけど、その『常に』に那智さん、引っかかっちゃったんだよね。
『常に』は那智さんにとって『絶対』や『唯一』と同じような種類の言葉なのだ。
人間『常に』と言い切れる状況などはそう簡単にないと思っている。
それを発するとき一度立ち止まるだろ?
立ち止まった後に出てきた言葉なら、それに対してきちんと責任を持ち対応できるはずで(わたしの『饅頭怖いになっちゃう?』に対して明確な回答ができるはず)だよねということだ。
ご主人様はどうあるべきだなんて難しいことではなくて、ごく普通の人として日頃自分の発言に責任を持ちたいと思っている那智さんからしたら、立ち止まらずに発言したいたとしたら軽卒に感じられたのでしょう。
それでわたしを焚き付けて再三のコメントになってしまったわけ。
だからね、その『常に』がなかったら『アラシのりん子』にまでは発展しなかったんだよね^^;
(このご主人様もたまたま間違って使ってしまった可能性もあるわけで、どちらにしてもアラシでごめんなさいです)
もちろん那智さんだって、毎度毎度立ち止まっていないかもしれない。
完璧な人間なんていないのだから言葉のあやってことも十分ある。
だけど『立ち止まる』ことを知っている人の『絶対』はきっと『絶対』で、『唯一』は『唯一』だと思える。
『立ち止まる』と感じさせてくれる人から発せられるから、はじめて『完全』も『永遠』も意味を持つ。
簡単に使わないから信じられるのだ。
今朝の「等式」感想です。
『絶対』『唯一』『永遠』『完全』この言葉を使うときは「~でありたい」もしくは「~だと、思わないと達成しない」のように願望や希望などを含めた言い回しで使うのが好きです。まともに、使用できる事もあるかもしれませんがこのワードは小学生の口喧嘩を連想します。(笑)
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- 精神的SMから派生したこと1 9:45追記あり 2013/07/12
COMMENT
その通りだと思いました。
立ち止まることのできる方から発せられる、
稀にしかない言葉は、
本当に大切なものですね。
立ち止まることのできる方から発せられる、
稀にしかない言葉は、
本当に大切なものですね。
共感してくださってありがとうございます。
那智さんね、自分からは言わないけど、わたしが聞けばその手の言葉はけっこう言ってくれるんです。
「永遠?」と聞けば「うん、永遠」と答えるような具合に。(さすがに『永遠』は聞いたことないけど^^;)
それは『永遠でありたいという願うことは、永遠だと思うところからはじまる』という気持ちのようです。
立ち止まるから滅多に口にしないけど、願いをこめてあえて口にすると両輪あるみたい^^
だから、聞くほうも立ち止まらないといけない。
なんだか歯の浮くような言葉はあまり飛び交ってくれません(笑)
那智さんね、自分からは言わないけど、わたしが聞けばその手の言葉はけっこう言ってくれるんです。
「永遠?」と聞けば「うん、永遠」と答えるような具合に。(さすがに『永遠』は聞いたことないけど^^;)
それは『永遠でありたいという願うことは、永遠だと思うところからはじまる』という気持ちのようです。
立ち止まるから滅多に口にしないけど、願いをこめてあえて口にすると両輪あるみたい^^
だから、聞くほうも立ち止まらないといけない。
なんだか歯の浮くような言葉はあまり飛び交ってくれません(笑)
私の主も
責任を持つからこそ
軽率に歯の浮くような言葉は使わないですね
言葉ではなく
行動から読み取り実感できるような言葉を
選んで使っています
あとは受け取る力なんでしょうね
永遠や唯一を1番信じているのは
主でしょうね
深くに当たり前のこととして
存在している意識だと思います
だから今をできる限り佳いものにしようとしてくれる
その想いに応えるだけ
かな(^_^)
責任を持つからこそ
軽率に歯の浮くような言葉は使わないですね
言葉ではなく
行動から読み取り実感できるような言葉を
選んで使っています
あとは受け取る力なんでしょうね
永遠や唯一を1番信じているのは
主でしょうね
深くに当たり前のこととして
存在している意識だと思います
だから今をできる限り佳いものにしようとしてくれる
その想いに応えるだけ
かな(^_^)
ときどきね、この手の100%を表す言葉を使っているご主人様を見ると、教科書に載っていた『リア王』を思い出すんです。
ああ、きっと、安心したいんだな〜って。
これはご主人様に限ったことではないのだけど、上の立場だから、余計にそう思うのかな。
だからといって『男は黙って』とか『言わなくてもわかるだろ』みたいなのはイヤでして(笑)
りんさんの主さんのように行動から読み取り実感できる言葉を選んで、伝えてくれることがいいですよね。
たとえば100%じゃなくても、80%や95%の言葉だってあるわけで、結局それの積み重ねがウソを言わないと信じることに繋がるんですよね^^
はい、こちらは受取手としてアンテナ磨かないといけません^^
ああ、きっと、安心したいんだな〜って。
これはご主人様に限ったことではないのだけど、上の立場だから、余計にそう思うのかな。
だからといって『男は黙って』とか『言わなくてもわかるだろ』みたいなのはイヤでして(笑)
りんさんの主さんのように行動から読み取り実感できる言葉を選んで、伝えてくれることがいいですよね。
たとえば100%じゃなくても、80%や95%の言葉だってあるわけで、結局それの積み重ねがウソを言わないと信じることに繋がるんですよね^^
はい、こちらは受取手としてアンテナ磨かないといけません^^
難しい~~~><
どれもこれも言われたら舞い上がるお手軽な私ですが、私の心のどこかで「んなわけない」って思ってる時点で100%だと認識していないのだろうなぁ。
言葉悪いけど「勝手に使ってて頂戴、とりあえずご褒美程度に嬉しいから」って気持ちがあるかも とエントリ読みながら気付きました。
嘘を嘘と思えなくなる(嘘だと認識してもそれも有りと許容する)境地まで行くと、無償の愛だそうです。
私にはイスカンダルより遠い心境だ(;^ω^)
お二人の信頼関係は、明確で気持ちよいです♪
どれもこれも言われたら舞い上がるお手軽な私ですが、私の心のどこかで「んなわけない」って思ってる時点で100%だと認識していないのだろうなぁ。
言葉悪いけど「勝手に使ってて頂戴、とりあえずご褒美程度に嬉しいから」って気持ちがあるかも とエントリ読みながら気付きました。
嘘を嘘と思えなくなる(嘘だと認識してもそれも有りと許容する)境地まで行くと、無償の愛だそうです。
私にはイスカンダルより遠い心境だ(;^ω^)
お二人の信頼関係は、明確で気持ちよいです♪
なるほど〜、薫さんも嬉しい気持ちとちょっと疑う気持ちとあるんですね^^
無償の愛なんて基本あり得ないですよ^^;
たとえば、いま我が子の命と引き換えに自分の命なんていうのは、おそらく迷わず差し出せるけど、でも、わたしだって我が子からいろいろもらっているはずだものね。
永遠や唯一と同じ類いの言葉です『無償の愛』なんて。
マザーテレサのような偉業を成し遂げる人もいるかもしれないけど、こういう人はもしかしたら誰にでも『無償の愛』を持てる選ばれた人なんじゃないかな。
だから、普通のわたしたちはいただいた愛にちょっとラッピングをしてお返しできれば、それで十分なのかな〜と思いました。
無償の愛なんて基本あり得ないですよ^^;
たとえば、いま我が子の命と引き換えに自分の命なんていうのは、おそらく迷わず差し出せるけど、でも、わたしだって我が子からいろいろもらっているはずだものね。
永遠や唯一と同じ類いの言葉です『無償の愛』なんて。
マザーテレサのような偉業を成し遂げる人もいるかもしれないけど、こういう人はもしかしたら誰にでも『無償の愛』を持てる選ばれた人なんじゃないかな。
だから、普通のわたしたちはいただいた愛にちょっとラッピングをしてお返しできれば、それで十分なのかな〜と思いました。
刹那にしても永遠にしても
時間というのは
ただの主観でしかないから
刹那に永遠という言葉が
発せられたことを
愛でたいと思うのです。
「ずっと、いつまでも」
なんて
絶対ウソになる言葉だけれど
発したその瞬間に
そう思ってくれたことは
絶対ウソじゃない。
それで
ええじゃないか。って。
時間というのは
ただの主観でしかないから
刹那に永遠という言葉が
発せられたことを
愛でたいと思うのです。
「ずっと、いつまでも」
なんて
絶対ウソになる言葉だけれど
発したその瞬間に
そう思ってくれたことは
絶対ウソじゃない。
それで
ええじゃないか。って。
たとえば、小さな子供がこわい夢を見て泣いていたら「大丈夫もうぜったい見ないからね」って親が頭を撫でながらいう『ぜったい』だって『絶対』なわけで、そういう温かいものだってあるよね。
みゅーさんのコメントの中にある
> 発したその瞬間に
> そう思ってくれたことは
> 絶対ウソじゃない。
一番大事なのは、これだよね。
この人のいうことはウソじゃないと思えることが、その言葉を使うか使わないか別にして一番大事だし、自分にとって幸せなこと。
わたしは簡単に『絶対』や『唯一』にすがってしまう女だったので、『立ち止まりながら発する』那智さん方式(?)でこの人はウソをつかないと信じる訓練を積んだのです(いまのところ、それ以外の有効な方法が見当たらないのだけど)。
だから、そういうエピソードはエントリーにしたくなっちゃうんだね^^
ウソじゃないと信じられる人の永遠は親の掌のように温かいけど、そうじゃないと、すこし悲しい、その悲しい『永遠』はできるだけないほうがいいなと思うのです。
みゅーさんのコメントの中にある
> 発したその瞬間に
> そう思ってくれたことは
> 絶対ウソじゃない。
一番大事なのは、これだよね。
この人のいうことはウソじゃないと思えることが、その言葉を使うか使わないか別にして一番大事だし、自分にとって幸せなこと。
わたしは簡単に『絶対』や『唯一』にすがってしまう女だったので、『立ち止まりながら発する』那智さん方式(?)でこの人はウソをつかないと信じる訓練を積んだのです(いまのところ、それ以外の有効な方法が見当たらないのだけど)。
だから、そういうエピソードはエントリーにしたくなっちゃうんだね^^
ウソじゃないと信じられる人の永遠は親の掌のように温かいけど、そうじゃないと、すこし悲しい、その悲しい『永遠』はできるだけないほうがいいなと思うのです。