羞恥系の葛藤
非日常的な日常
わたしみたいなのは『羞恥系』というのだろうか。
痛いこともスカトロもして普通にセックスもしているわたし、どれかに特化しているほうではないので、『○○系』と名乗るほどのものではないとも思うけど。
わたしの核になっている『過剰な自意識』。
多分、痛いこともスカトロもわんこも、根っこはこの『過剰な自意識』から来るんじゃないかな。
この過剰な自意識には『自己否定』と『自己愛』の両方が混在していて、その矛盾からいろんなものが生まれているように思う。
思いつきで書いてるから、いつかまとめてみます。
で、もちろん羞恥もこの過剰な自意識のなせる業だと思うので、『羞恥系』でもあると。
いや、もともと恥ずかしがり屋なのは自覚していた。
ベルトにチェーンを付けられただけで顔を上げて歩けなくなるし、おちんちんやおまんこはもちろん、日常生活で『耳くそ』や『鼻くそ』なんていうのさえ、ちょっと意識してしまう。
以前飲み屋で『地豚の○○焼き』っていうのをオーダーしようとして『豚』の文字に照れてしまったときなどは、自分でも『どんだけ自意識過剰なんじゃ!1』と突っ込みたくなるほどの、恥ずかしぶり。
(まあ、このときは、那智さんと他のSMカップルさんと一緒だったから余計だと思うけど)
だけど、『羞恥系』だと決定付けたのが、なつこさん主催の台湾料理ツアー。
『マンゴージュースの濁点を取って』に大赤面。
それを言う言わないで、わたし的には真剣にきゃーきゃー楽しませていただいたのだけど。
途中トイレに立ったときに冗談で濡れているか確認したら、濡れていた…。
那智さんが作用していない、その状況ででも、恥ずかしいで濡れるわたし。
軽ーくショックを受けながら、ああ、こういう女は『羞恥系』と呼ばれるのかもしれないと自覚したのです。
『那智さんが作用していない』を書くの、少し悩みました。
なぜかというと、特に性的な部分でいまのわたしを作り上げたのは那智さんの力が大きいので、『いま』濡れるのは、そこに那智さんがいなくても作用しているとも思うからです。
那智さんに出会う前のわたしが『マンゴー』で濡れていたのか、いまとなっては知る術がなく。
100%那智さん仕様でいたいわたしなので、『那智さんが作用していない』という言葉はちょっとためらうけど、目に見えている事実だけとって、そう表現しました。
そんなわたしに那智さんは、
恥ずかしいのがいいんだろ?
と言います。
その最中に言うことはないけど(そういう言葉責めはちょっと興ざめする、わたしは^^;)、何か提示されて『恥ずかしいから無理!!』と難色を示すときなどに、そんなふうに言ってくるのです。
でも、それは、NOなのです。
恥ずかしいことは、ただただ恥ずかしい。
恥ずかしいことは、恥ずかしいんだから、困ること。
だから、恥ずかしいことがいいわけない。
だけど。
だけど。
恥ずかしいことは、とても興奮する。
那智さんが、お仕事場の近くでハプバーを見つけてくれた。
歓楽街からは離れた所なのでそういうものが少ないみたいなんだけど、見つけてくれた。
なぜ、『見つけてくれた』という言い方をするかというと。
俺が休みが取れなくてりん子が欲情して悲しくなりそうなときに、昼休みを少し延長して使えるだろ。
という理由。
もちろん、那智さんだってわたしを抱きたいという気持ちはあるでしょうけど、この場合はレスキューの意味合いが強い。
ちょっとゆっくりできるし肌を合わせることも可能なので『那智さん不足』を埋めるにはカラオケよりも有効だろうということらしい。
なんだか情けない気もするけど、ここは素直に感謝なのです。
で、明日のランチデートは時間を延長させてそこに行ってみようという提案だったのだ。
それを聞いてわたしはまず喜んだ。
那智さんが、わたしに何かしたいとアクションを起こしてくれることは、大概のことは喜びに繋がる。
だから、まず喜びが湧く。
それから、あとは、もうずっとずっと困ってしまっていた。
いつも行くハプバーはだいぶ慣れたけど、それでも、そこに行くということは…と考えちゃうと毎度毎度照れ臭い。
そんな具合なので、はじめて行く、しかも真っ昼間に、なんて状況恥ずかしい以外の何ものでもない。
お昼間だから、恐らくわたしたち以外はいないだろう。
だけど、開店と同時に入店して、2時間もいないで帰るなんて、『それ』目的ですと言っているようなもんではないか。
誰かいても恥ずかしいし、誰もいない時間帯に行くのも恥ずかしい。
ましてはじめての所だから、わたしはエッチですと、新たに自己紹介することになるようで、それも恥ずかしい。
そして、その理由が『わたしが欲求不満になった場合のレスキュー』だなんて、もう居たたまれないほど情けなくて、とても困る。
店も入り口は人目につく?
スタッフはどんな人?
いろんなことを考えて、居たたまれなくて困って困って、大変だった。
だけど、とても困っていながらも、それと同じくらい、その日一日興奮してどうにも落ち着かなかった。
何もしていないのに、下着を濡らすわたし。
はしたないその様子に、もっと困る。
翌日、お昼に合流して、そのハプバーへ。
お店のほうの手違いでわたしたちは、近くのドトールで待たされることになるのだけど、その間も、ずっと落ち着かない。
はじめての場所は戸惑うし、どんなふうに思われるか想像して、関係ない隣りのサラリーマンの存在まで意識しちゃって、那智さんと一緒に遊びに行くというワクワクを差し引いても、落ち着かない。
テレテレ状態で店に入る。
マンションの一室を改装したそこは、大きなソファや広いマットレスがあって、意外と寛げる雰囲気だった。
スタッフはわたしと同じような年代の女性で、一見するとまじめな印象すらあるにこやかなの人だった。
ハプバーのスタッフだからそれっぽい衣装を身につけるでもなく、マンションの一室だったこともあって、まるで、その人のお宅に遊びに来たかのような感じだった。
お仕事中の那智さんはコーヒーで、わたしは失礼してちょっとだけアルコールの入った飲み物をいただいた。
スタッフがキッチンに入ったのをきっかけに、那智さんが動く。
「じゃあ、さっさとやることやるか(笑)」
こういうとき那智さんはことさら『堂々』とする。
少しでも躊躇を見せるほうが、ずっとずっと恥ずかしいことだと思う人だから。
マットレスのほうに移動して、さっさとスーツを脱いでしまう。
わたしは、どうしたらいいかわからなくて、動けない。
「おいで。」
そういわれてはじめてソファを降りる。
なんとか洋服は脱いだけど、仕切りの向こう側のスタッフのことが気になってしまって、下着姿のまま、どうしようか固まっていると。
「ったく、めんどくせーなー(笑)」
わたしを押し倒し、強引に下着を剥ぐ。
その乱暴さと優しさに、胸がきゅっと掴まれる。
時間がないから、乱暴に愛撫されて、すぐ挿入される。
もう、昨日からずっと濡れているからまったく問題ない。
仕切りの向こうが気になってしかたないのに、驚くほど濡れている。
気持ちいいのはいつもなんだけど、興奮の度合いが大きい。
声を出すわけにはいかないから、唇を噛んで抑えるけれど、後から後から快感が押し寄せて気を抜くと大きな声が漏れる。
その一瞬の決壊に、また、恥ずかしさが増して、もっと興奮する。
那智さんの指がクリトリスを触る。
あああああ、気持ちいいです。
声も快感も抑えられない。
指の動きだけではもどかしく。
それに合わせるように、わたしは腰を動かす。
そんな自分が恥ずかしい。
だけど、気持ちいいを味わうことをやめられない。
もっと、もっとと那智さんの指に腰を押し付ける。
上半身と下半身が別の生き物みたいだ。
もしかしたら、那智さんはそれほど指を動かしていないかもしれない。
わたしだけが、動き、擦り付けているようだ。
那智さんの腕の中で、那智さんの指でするオナニー。
自ら快感を求めてしまうほど情けないものはない。
それを、まるで知り合いのお宅にお邪魔したような空間で、仕切りの向こうの女性の気配を意識しながらするのだ。
いやだ。
那智さんとふたりきりのホテルの部屋で、誰の目も気にせずはしたない声を上げているほうが、ずっと心の負担が少ない。
まわりを気にしながら気持ちいいのなんて、いやだ。
だけど。
この上なく恥ずかしくて。
たまらなく気持ちいい。
正味15分くらいのことだった。
だけど驚くほど興奮して、それと比例するように、とても満たされた。
このときの自分をみると、わたしは恥ずかしいことでとても興奮するようなのだ。
だけど、恥ずかしいのがいいのかと聞かれれば、それは違う。
だって、小学生のとき、クラスメイトの中で先生にひとりだけ名指しされたりすると、恥ずかしくて赤面したでしょ?
あれ、よかった?
そんなことないですよね。
びっくりしたりドキドキしたりで、いいことなんか全然ない。
それを想像してみれば、赤面するほどの動揺を『いいだろ?』というのは、違う気がするのだ。
那智さんは、『興奮する=いい』と思っているみたいなんだけど。
この違い理解してもらえないんだ。
性的に興奮することに、自己嫌悪をしてしまうわたしにとって、『興奮する=いい』とは一概に言えないのだ。
恥ずかしいことは、決して『いい』わけじゃない。
そして、興奮するものは、何もかも『いい』というものでもない。
だから、いいかと聞かれれば、NOなの。
ただ、恥ずかしいことは、とてもとても興奮する。
『恥ずかしいからいい』とか『恥ずかしいことが好き』というのが羞恥系なら、わたしは違うと思うけど。
恥ずかしいことで、とても興奮するというのが羞恥系ならば、わたしはそういう性癖のようだ。
で、その恥ずかしいことの最たるものの『わんこ』。
那智さんの好みの変わった露出。
昼間の一般道を、四つん這いのわたしを連れて散歩するのだ。
そんな行為、苦しいほど物凄い抵抗はある。
だけど、結果的に興奮している。
そこに那智さんに従属しているというもうひとつの喜びが加わるのだ。
その興奮と従属の甘美な喜びが混ざり合った快感にどっぷりと浸かる。
だけど、その恥ずかしいことが『いい』わけじゃない、葛藤。
その葛藤を伝えたいと、いつも思っている。
葛藤の中、徐々に『百貨店のショウウィンドウをお散歩』包囲網を狭められているわたしの話を次回から。
しばらく『わんこ』です^^
わたしみたいなのは『羞恥系』というのだろうか。
痛いこともスカトロもして普通にセックスもしているわたし、どれかに特化しているほうではないので、『○○系』と名乗るほどのものではないとも思うけど。
わたしの核になっている『過剰な自意識』。
多分、痛いこともスカトロもわんこも、根っこはこの『過剰な自意識』から来るんじゃないかな。
この過剰な自意識には『自己否定』と『自己愛』の両方が混在していて、その矛盾からいろんなものが生まれているように思う。
思いつきで書いてるから、いつかまとめてみます。
で、もちろん羞恥もこの過剰な自意識のなせる業だと思うので、『羞恥系』でもあると。
いや、もともと恥ずかしがり屋なのは自覚していた。
ベルトにチェーンを付けられただけで顔を上げて歩けなくなるし、おちんちんやおまんこはもちろん、日常生活で『耳くそ』や『鼻くそ』なんていうのさえ、ちょっと意識してしまう。
以前飲み屋で『地豚の○○焼き』っていうのをオーダーしようとして『豚』の文字に照れてしまったときなどは、自分でも『どんだけ自意識過剰なんじゃ!1』と突っ込みたくなるほどの、恥ずかしぶり。
(まあ、このときは、那智さんと他のSMカップルさんと一緒だったから余計だと思うけど)
だけど、『羞恥系』だと決定付けたのが、なつこさん主催の台湾料理ツアー。
『マンゴージュースの濁点を取って』に大赤面。
それを言う言わないで、わたし的には真剣にきゃーきゃー楽しませていただいたのだけど。
途中トイレに立ったときに冗談で濡れているか確認したら、濡れていた…。
那智さんが作用していない、その状況ででも、恥ずかしいで濡れるわたし。
軽ーくショックを受けながら、ああ、こういう女は『羞恥系』と呼ばれるのかもしれないと自覚したのです。
『那智さんが作用していない』を書くの、少し悩みました。
なぜかというと、特に性的な部分でいまのわたしを作り上げたのは那智さんの力が大きいので、『いま』濡れるのは、そこに那智さんがいなくても作用しているとも思うからです。
那智さんに出会う前のわたしが『マンゴー』で濡れていたのか、いまとなっては知る術がなく。
100%那智さん仕様でいたいわたしなので、『那智さんが作用していない』という言葉はちょっとためらうけど、目に見えている事実だけとって、そう表現しました。
そんなわたしに那智さんは、
恥ずかしいのがいいんだろ?
と言います。
その最中に言うことはないけど(そういう言葉責めはちょっと興ざめする、わたしは^^;)、何か提示されて『恥ずかしいから無理!!』と難色を示すときなどに、そんなふうに言ってくるのです。
でも、それは、NOなのです。
恥ずかしいことは、ただただ恥ずかしい。
恥ずかしいことは、恥ずかしいんだから、困ること。
だから、恥ずかしいことがいいわけない。
だけど。
だけど。
恥ずかしいことは、とても興奮する。
那智さんが、お仕事場の近くでハプバーを見つけてくれた。
歓楽街からは離れた所なのでそういうものが少ないみたいなんだけど、見つけてくれた。
なぜ、『見つけてくれた』という言い方をするかというと。
俺が休みが取れなくてりん子が欲情して悲しくなりそうなときに、昼休みを少し延長して使えるだろ。
という理由。
もちろん、那智さんだってわたしを抱きたいという気持ちはあるでしょうけど、この場合はレスキューの意味合いが強い。
ちょっとゆっくりできるし肌を合わせることも可能なので『那智さん不足』を埋めるにはカラオケよりも有効だろうということらしい。
なんだか情けない気もするけど、ここは素直に感謝なのです。
で、明日のランチデートは時間を延長させてそこに行ってみようという提案だったのだ。
それを聞いてわたしはまず喜んだ。
那智さんが、わたしに何かしたいとアクションを起こしてくれることは、大概のことは喜びに繋がる。
だから、まず喜びが湧く。
それから、あとは、もうずっとずっと困ってしまっていた。
いつも行くハプバーはだいぶ慣れたけど、それでも、そこに行くということは…と考えちゃうと毎度毎度照れ臭い。
そんな具合なので、はじめて行く、しかも真っ昼間に、なんて状況恥ずかしい以外の何ものでもない。
お昼間だから、恐らくわたしたち以外はいないだろう。
だけど、開店と同時に入店して、2時間もいないで帰るなんて、『それ』目的ですと言っているようなもんではないか。
誰かいても恥ずかしいし、誰もいない時間帯に行くのも恥ずかしい。
ましてはじめての所だから、わたしはエッチですと、新たに自己紹介することになるようで、それも恥ずかしい。
そして、その理由が『わたしが欲求不満になった場合のレスキュー』だなんて、もう居たたまれないほど情けなくて、とても困る。
店も入り口は人目につく?
スタッフはどんな人?
いろんなことを考えて、居たたまれなくて困って困って、大変だった。
だけど、とても困っていながらも、それと同じくらい、その日一日興奮してどうにも落ち着かなかった。
何もしていないのに、下着を濡らすわたし。
はしたないその様子に、もっと困る。
翌日、お昼に合流して、そのハプバーへ。
お店のほうの手違いでわたしたちは、近くのドトールで待たされることになるのだけど、その間も、ずっと落ち着かない。
はじめての場所は戸惑うし、どんなふうに思われるか想像して、関係ない隣りのサラリーマンの存在まで意識しちゃって、那智さんと一緒に遊びに行くというワクワクを差し引いても、落ち着かない。
テレテレ状態で店に入る。
マンションの一室を改装したそこは、大きなソファや広いマットレスがあって、意外と寛げる雰囲気だった。
スタッフはわたしと同じような年代の女性で、一見するとまじめな印象すらあるにこやかなの人だった。
ハプバーのスタッフだからそれっぽい衣装を身につけるでもなく、マンションの一室だったこともあって、まるで、その人のお宅に遊びに来たかのような感じだった。
お仕事中の那智さんはコーヒーで、わたしは失礼してちょっとだけアルコールの入った飲み物をいただいた。
スタッフがキッチンに入ったのをきっかけに、那智さんが動く。
「じゃあ、さっさとやることやるか(笑)」
こういうとき那智さんはことさら『堂々』とする。
少しでも躊躇を見せるほうが、ずっとずっと恥ずかしいことだと思う人だから。
マットレスのほうに移動して、さっさとスーツを脱いでしまう。
わたしは、どうしたらいいかわからなくて、動けない。
「おいで。」
そういわれてはじめてソファを降りる。
なんとか洋服は脱いだけど、仕切りの向こう側のスタッフのことが気になってしまって、下着姿のまま、どうしようか固まっていると。
「ったく、めんどくせーなー(笑)」
わたしを押し倒し、強引に下着を剥ぐ。
その乱暴さと優しさに、胸がきゅっと掴まれる。
時間がないから、乱暴に愛撫されて、すぐ挿入される。
もう、昨日からずっと濡れているからまったく問題ない。
仕切りの向こうが気になってしかたないのに、驚くほど濡れている。
気持ちいいのはいつもなんだけど、興奮の度合いが大きい。
声を出すわけにはいかないから、唇を噛んで抑えるけれど、後から後から快感が押し寄せて気を抜くと大きな声が漏れる。
その一瞬の決壊に、また、恥ずかしさが増して、もっと興奮する。
那智さんの指がクリトリスを触る。
あああああ、気持ちいいです。
声も快感も抑えられない。
指の動きだけではもどかしく。
それに合わせるように、わたしは腰を動かす。
そんな自分が恥ずかしい。
だけど、気持ちいいを味わうことをやめられない。
もっと、もっとと那智さんの指に腰を押し付ける。
上半身と下半身が別の生き物みたいだ。
もしかしたら、那智さんはそれほど指を動かしていないかもしれない。
わたしだけが、動き、擦り付けているようだ。
那智さんの腕の中で、那智さんの指でするオナニー。
自ら快感を求めてしまうほど情けないものはない。
それを、まるで知り合いのお宅にお邪魔したような空間で、仕切りの向こうの女性の気配を意識しながらするのだ。
いやだ。
那智さんとふたりきりのホテルの部屋で、誰の目も気にせずはしたない声を上げているほうが、ずっと心の負担が少ない。
まわりを気にしながら気持ちいいのなんて、いやだ。
だけど。
この上なく恥ずかしくて。
たまらなく気持ちいい。
正味15分くらいのことだった。
だけど驚くほど興奮して、それと比例するように、とても満たされた。
このときの自分をみると、わたしは恥ずかしいことでとても興奮するようなのだ。
だけど、恥ずかしいのがいいのかと聞かれれば、それは違う。
だって、小学生のとき、クラスメイトの中で先生にひとりだけ名指しされたりすると、恥ずかしくて赤面したでしょ?
あれ、よかった?
そんなことないですよね。
びっくりしたりドキドキしたりで、いいことなんか全然ない。
それを想像してみれば、赤面するほどの動揺を『いいだろ?』というのは、違う気がするのだ。
那智さんは、『興奮する=いい』と思っているみたいなんだけど。
この違い理解してもらえないんだ。
性的に興奮することに、自己嫌悪をしてしまうわたしにとって、『興奮する=いい』とは一概に言えないのだ。
恥ずかしいことは、決して『いい』わけじゃない。
そして、興奮するものは、何もかも『いい』というものでもない。
だから、いいかと聞かれれば、NOなの。
ただ、恥ずかしいことは、とてもとても興奮する。
『恥ずかしいからいい』とか『恥ずかしいことが好き』というのが羞恥系なら、わたしは違うと思うけど。
恥ずかしいことで、とても興奮するというのが羞恥系ならば、わたしはそういう性癖のようだ。
で、その恥ずかしいことの最たるものの『わんこ』。
那智さんの好みの変わった露出。
昼間の一般道を、四つん這いのわたしを連れて散歩するのだ。
そんな行為、苦しいほど物凄い抵抗はある。
だけど、結果的に興奮している。
そこに那智さんに従属しているというもうひとつの喜びが加わるのだ。
その興奮と従属の甘美な喜びが混ざり合った快感にどっぷりと浸かる。
だけど、その恥ずかしいことが『いい』わけじゃない、葛藤。
その葛藤を伝えたいと、いつも思っている。
葛藤の中、徐々に『百貨店のショウウィンドウをお散歩』包囲網を狭められているわたしの話を次回から。
しばらく『わんこ』です^^